アクセスカウンター

アクセスカウンター

2025年3月21日金曜日

#梅が咲いた・・向島百花園へ

 山爺は悠々でも気ままでもないがいわゆる年金暮らしである。ゆえに慢性の金欠病により軍資金は乏しいが暇だけはたんとある。

それにしても連日寒い日が続くので気が滅入るし散歩も億劫だ。以前なら寒くても体が疼くのでノコノコと外出したものだが最近はさっぱり、こたつにデ~ンと入ったきりでWOWOWの洋画ばかり見ている。加齢病の副作用ということか。『いかん~いかん、これでは、いかん』・・笠智衆の声色で・・ (^^♪

TVの天気予報を見ていると3月1日(土)は気温も上がり陽気が良いとのこと。また梅も各所で咲き出していると報道している。梅の撮影にでも行こうか。

重い腰を上げたのには他に理由がある。

ヤフオクでまたもやNikon1眼レフ、D3100という機種を¥4500(送料込)の格安で手に入れた。

このカメラの特徴は従来のDシリーズより一回り小さく、より軽量設計なので里山歩きや旅行用に重宝することだ。かねてから欲しい機種のひとつであったが、新品はボディのみでも6万5千円以上、年金爺にはとても手が出ない。

いったいにカメラが高額なのはその驚くべき部品点数によることだ。以前半蔵門にあるカメラ博物館を訪ねて展示してあった一眼レフカメラの構造と分解部品を見て魂消た。たしか1000点以上の部品で成り立っているようだ。

改めて高級カメラというものが相当の部品製作費用と組立工数で成り立っていることを認識した。

なるほどなあ、高額なのも納得だ。『これに比べたら家電品の製作なんぞはへのカッパだなあ』・・・・もと家電メーカー勤務者の独り言。

またこれだけ細かい精密部品の集合体である。これをなし得る技術を持った国は当然限られるなあと感心したもんです。隣国のC国やK国はまだ無理だろうなあ。

山爺が落札したヤフオク出品の状態は”動作確認済み”との説明であったが、そこはオークション、実際に手に取って確認するまでは不安だ。

なにせヤフオクに掲載している品物は”動作保証せず”などはまだ良い方で、シャッター降りません・電源スイッチはいりません・電池蓋欠損・はてはレンズ割れてます、などのガラクタが堂々と出品されている。そんなもの誰が買うかって?・・・それが買うんですよ。部品取りして自分のカメラの修理に使うんです。メーカーから純正修理部品購入すると目ん玉飛び出るほど高額だからねえ。また本体は不要で付属しているストラップ・充電器・レンズが目当ての人もいます。

猛者になるとガラクタばかり数台落札して寄せあつめ、再組立して1台の動作品に仕上げ再びオークションに出品するか、中古ショップに持ち込んで利ざや稼ぐ。この世界は奥が深いのです。

D3000シリーズが出品されるたびに動作品で値頃な物を選んで入札していたがオークション締切(20時~22時が多い)間際の数分間に¥100程度ちょい上乗せされてオークションに手馴れた者にさらわれる。山爺はそこまでのセリ根性は持ち合わせていないのでなかなか落とせない。そんな事の繰り返しだったがついに安価ながら状態の良さそうな物を落札した。

宅配便の包装を開けるのも、もどかしく・・出てきた商品の外観をチェック。『おお、綺麗ではないか』新品同様で傷が見当たらない・・第一関門クリアーだ。

レンズを装着し電源を入れ適当な被写体にカメラを向けてピント合わせ。オートフォーカスもピシャリと動くし試し撮りも大丈夫だ。『よし、こりゃあ良さそうだわい』・・と、心うちでガッツポース。落札商品の”無事確認”、この瞬間がたまらないんだよなあ。

これで山爺の所持するニコン一眼レフカメラはベースのD50、モニターが可変するD5000、小ぶりのD3100と3機種そろい踏みとなった。ちなみに若い頃大枚をはたいて購入した光学フィルム式のニコン一眼レフカメラも大事に持ってますよ。

ご存知のとおりニコンは世界に名立たる名器で報道カメラマンほかプロのほとんどがこのカメラを使っている。現在国内生産はしていなくタイ国・中国に全てシフトし終えたことにより若干安価になったとは言え小型カメラに至るまで今持って高額商品だ。

一昔前ならニコン一眼レフを3台も揃えるのはよほどの趣味人かプロのカメラマンでないと叶わなかったが時代が変わったんだねえ。皆んな裕福になり手に入れたものを簡単に手放して次々新製品に買い換える。山爺の嫌いな言葉『断捨離』がここにもある。・・・ってか。

3機種の違いをまとめたのが下表であるがD50と比較するとD3100は115gも軽い、この差は大きいねえ。


D50とD5000・D3100、構造上大きく違うのがD50は自動ピント合わせの駆動モーターがボデイに内蔵されているのに対してD5000・D3100は原価低減・小型化を目的?とし交換レンズ側に駆動モータを組み入れたことだ。それらのレンズは駆動モーターのないものをAF、駆動モータ内蔵のものをAF-Sとして区別している。

D50シリーズはAF・AF-Sともに自動でピント合わせが可能だがD5000・D3100にAFレンズを装着すると駆動モータが存在しなくなるのでピント合わせは手動(M)モードのみとなる。

まあ、専門的なことはこれぐらいにして。新しいカメラが手に入ったので試し撮りがしたくてウズウズ。そんなときにTVニュースで気温が3月下旬並みで陽気も良く梅が各所で満開とのこと、これは行かねばなるまい。

さて、どこに行こうか。

去年10月に訪れた向島百花園はもともと梅の名所だ。入場料も65歳以上は70円とタダ同然。そこに行ってみよう。

百花園を見終えたら駅に戻らず隅田川に出て桜橋を越え右岸へ渡り猫神社で有名な今戸神社をお参りして浅草に抜けてみよう。

ちなみに右岸とは川の上流を背にして右手を指します。勉強になりましたねえ。

『馬鹿にするな、それくらい知ってるわ』ですって。・・登山の専門家でも右岸と左岸の定義を間違えて道に迷い、遭難死した事例があるので念のため申し上げました。

・・ (・∀・)

午前10時に百花園到着。マイナンバーカードを提示して70円を支払い入場する。

入園すると、いきなり赤や白の梅が目の前に飛び込んでくる。


おお、いいねえ。文字通り、ちょうど良い”塩梅”ではないか。急ぎカメラを構えてぱちり。背景に偶然スカイツリーが入った。都内には著名な被写体が、ここ、かしこにあるのでカメラの趣味人にはたまらない地域のひとつなんだなあ。

園内には自慢のカメラをブラ上げた中年男のカメラ小僧ならぬカメラ爺いがちらほら見受けられます。・・・って、わしもそのひとりかい。
傍らには春の七草があしらってありました。憎い演出ですなあ。


ちなみに春の七草とはせり、なずな、ごぎょう、はこべ、ほとけのざ、すずな、すずしろを言いますが、山爺はいつになっても覚えきれません。

レンズを200mmズームに取り替えて撮影続行。


まずはスカツリーと白梅のコラボ。
紅梅は艶やかですなあ。










白梅も満開です。









でも、梅と言ったら白梅(しらうめ)に軍配が挙がるのですかねえ。山爺は白梅の方が好きです。

紅梅もそれなりに綺麗ではあるが何かケバくて厚化粧の軽い女を連想してしまう。
水仙もまだ負けずに頑張ってます。












あたしも見て、見て、と福寿草。








動物も負けずにポーズ・・

あれぇ、ファインダー越しに覗いてよく見ると陽気に誘われ昼寝してる?みたいだ。

のどかだねえ。





こちらは番(つがい)かな?仲良さそうです。

鳥の番のおおくは一旦連れ添うと死ぬまで一緒と聞きますが素晴らしい習性ですねえ。

それに比べて人間と言ったらあなた・・何十人と取っ替え引っ替え、ひどいもんですなあ。

百花園のそばで見つけたおしゃれな喫茶店。

入口にサイフォンが飾ってありましたが、今時珍しくサイフォンで入れてくれるのかなあ。・・・まだ散策の半ばなので我慢、我慢。
隅田川に出ると土手に一本の河津桜が・・・満開で綺麗に咲いてました。

隅田川の下流に向かってのんびり歩く。山爺は野山の景色を眺めながらの里山散策が好みだけれどぶらり散歩していると期せずして名物被写体に出くわす都内の散歩も好きである。

また都内はいたるところに路線バスが走っているので疲れたらぽんと飛び乗れば必ずどこかの駅に連れて行ってくれる。どこまで乗っても定額なのが何よりだ。

隅田川の正面にア〇ヒビールの本社社屋が見えてきました。有名な黄金ウ〇コオブジェの先っぽだけが見えてます。

食品を扱う会社にとって最大不名誉なあだ名がついてしまっているオブジェだが山爺も設置当初にこれを見た瞬間にウ〇コだ、と直感した。


果たしてこのオブジェの正体とは何なんだ?

【山爺の一言メモ】

ア〇ヒビールの広報を検索してみると、質問に対し(そりゃあ毎日かなりの質問が来るだろうなあ)以下の回答が記されていた。

・聖火台の炎をイメージ
・金色の炎は「新世紀に向かって飛躍するア○ヒビールの燃える心」を表している。
・設計者は有名なデザイナーであるフランス人のフィリップス・スタルク氏。
・ア〇ヒビール100周年の記念事業の一環として1989年に竣工
とありました。

うーん、どう見ても聖火台の炎には見えないなあ。どこから、どう見ても黄金色のウ〇コだよ。

山爺はこう考える。・・・これはあくまで山爺の私見で洒落ですから苦情やお叱り等のご意見は無用に願います。  m(_ _)m

フランスの著名なデザイナーフィリップス某にオブジェの制作を依頼した1980年頃の日本はバブルの絶頂期だ。もともと欧米人の多くは有色人種を蔑視する傾向にある。

フランス人であるフィリップス某もバブルで大儲けをしている有色人種たる日本のことを愉快に思うはずがない。

アジアの猿共にはこんなもので十分だ。と、ふざけ半分に創作したのが件のオブジェに違いない。聖火の炎なら縄文土器のようにばらけて赤色に作るのが普通だろう。

提案されたア〇ヒビール側は西洋人の著名なデザイナーに対し反論することができない。外国人コンプレックスも相まってとうとう竣工に踏み切らざるを得なかった。日本人が設計したらこうはならなかったろうねえ。日本人同士なら遠慮なくクレームをつけるのが常だから。・・・ (^^♪ 

しかもこのオブジェは10数年に一度大々的に塗り直しをしているとか。・・ウ〇コオブジェと言えども維持管理し綺麗にしなければならないとは、大変だなあ。・・ウ○コは汚れたままで良いのでは?ア〇ヒさんには悪いが何か笑える。

まあ、今持って質問が相次いでいるほど有名になり浅草の名物になってしまったのだから広報的にはある意味大成功だったのではと思う。以て瞑すべし、なんちゃって。

ちなみに隣の金色の四角いビルはビールのジョッキーを模しているとか・・皆さん知ってましたぁ。山爺はちいとも存じ上げませんでした。こちらは日本の会社が設計したので十分議論した?からまともな形に出来上がっている。で、逆に全然有名にならないとは皮肉なもんだねえ。

そうこうとゲスの想像をしているうちに今戸神社に到着しました。
大鳥居の脇に沖田総司終焉の地との看板が掲げてある。

はて?司馬遼太郎の新選組血風録によれば沖田総司は千駄ヶ谷の植木屋宅で亡くなったとあったはずだが・・・
調べてみるとこう言いうことらしい。

京都より戻った総司は新選組の産業医(作者注:当時そんな職業あるか馬鹿者)だった松本良順の家が今戸神社近くにあり当初そこで療養していた。のちに千駄ヶ谷の植木職人平五郎宅に療養先を変えたという記録が残っている。

今戸終焉説は同じ新選組隊士で大正の世まで生き延びた永倉新八(1915年75歳で没)の証言が元になっているようだが永倉は沖田が今戸神社で療養中に江戸を離れて東北へ転戦している。

ゆえにその後、沖田が今戸から移動したことを知らないはずで誤った情報を仲間に伝えたのだろう。昨今の新選組ブームで婦女子には土方歳三と双璧の人気者だ。終焉の地として神社が利用するのも頷ける。

当時は官軍の連中が新選組の残党を血まなこで探している時だ。総司も例外ではなく、否、かつて薩長始め勤皇の志士の多くを倒した総司こそ相当憎まれたいたはずだ。ゆえに松本良順の傍に置いていたのでは危ういと考えて往診しにくくなるが良順の住居から離れた千駄ヶ谷に避難させたのかも知れない。

今戸神社の創建は1063年、主祭神は応神天皇・伊邪那美命・伊邪那岐命。

当初は京都の石清水八幡宮として勧進したが1937年近隣にあった白山神社を合祀し今戸八幡から今戸神社と呼ばれるようになったそうです。

そんな今戸神社も今は縁結びの神社として、近々では猫神社として若者たちの人気神社だ。

今戸神社が猫神社になった理由は江戸時代にさかのぼります。




【山爺の一言メモ】

江戸時代、あるお婆さんが猫を飼っていたが貧乏で買い続けることができず泣く泣く手放した。するとその猫が夢枕に立ち、我が姿を人形にして商いせば福徳がとのお告げ。早速今戸焼の猫人形を作って売ったところ大評判でお婆さんは幸せに暮らしたとか。

この招き猫の姿をした今戸焼はその後、今戸神社の名物として人気商品となり今日に至っています。職人による手作りなので一体ずつ顔立ちが違うので今も大人気だとか。

でも、この神社が猫神社として近年大賑わいになっているのは他にも理由がありました。

いつの頃からか神社境内に白猫がぶらりと現れるようになったんだとか。名前はナミちゃん(今戸神社の祭神イザナミから取ったようです)

いつも神社にいるわけではないのでいつしかこの猫を目撃した人には幸運が訪れるとの噂が流れます。

やれ彼氏が出来たとか、良縁に恵まれたとか、商売が繁盛、果ては宝くじ高額当選まで。やがてこの噂を聞いた人がわんさか押しかけるようになって神社自身も御朱印ほか縁起物が飛ぶように売れて大繁盛?。ナミちゃん様々、まさに招き猫そのものだったとか。

残念ながら今年一月に亡くなったようですが年齢不明ながら相当長寿だったようで人間で言うと100歳近くの大往生だったとか。

神社の本殿をよく覗いてみると確かに白猫の遺影が祀られてます。ナミちゃん神様になっちゃったんですねえ。大した猫ちゃんです。

昨今の海外からの観光ブームで外国の方々がこの神社にも数多く訪問しているようで、境内に奉納された絵馬に英語の書き込みがありました。
すっかり楽しい雰囲気でいたのですが不愉快なことも耳にしました。

山爺が縁起物の猫マスコット付きのおみくじを購入したとき、社務所の人と交わした会話。

『大繁盛ですね』『おかげさまで』・・ここまではよかったが、社務所の人から『でもC国の人は境内に飾ってある招き猫を断りなく持って行ってしまうので困っています』『え、そりゃあひどいなあ』

それも1人や2人ではないようです。何だかなあ、縁起物として失敬するのか、警備薄だから儲け、儲けと思い盗むのか・・山爺としては前者の理由だと思いたいが、相変わらず民度が低いねえこの国の人々は。このようなことを平然としているうちはC国、恐るるに足らんと山爺は考えている。

さて、このあとは浅草界隈の散策に出かけよう。

【川柳】

・言問に 聖火に見えぬ 大オブジェ 
・炎には 見えぬ隅田の 黄オブジェ
・今戸では ニイハオと言う 猫さらい
・今戸には 猫も招かぬ 人も来る

***************************************
①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転載は禁止で、行った場合、著作権法の違反となります。

読後の感想をコメントまたはメールしていただけると幸いです。




2025年2月7日金曜日

#年賀状しまいについて考えてみる。

 山爺は毎年元旦に郵便受けを覗き込み中に入っている年賀状を取り出すのを楽しみにしている。家に戻って親戚、元会社の先輩や同僚、学生時代の友人など、日常疎遠になっている方々からの賀状に目を通しその消息を1年ぶりに確認出来ることが何よりである。

去年(24年度)の正月に知人からいただいた年賀状の文面に”これで年賀状の交換を終了したいと思います”と書いてあり、いささか驚いた。

それが今年は5件に増加した。やはり年賀状しまい流行りなんだなあ、昨今の年賀状しまいブーム、理屈ではわかっているつもりだがこの風潮に山爺は馴染めないでいる。

阿藤快の言葉を借りれば『何だかなあ』である。そのほか”虚礼廃止で今後はメールで挨拶を”という人も複数いたがその方々から爾後メールが来たことはない。

年賀状の歴史は古く、現存する文書の最古のものが平安時代の学者の藤原明衡とされています。飛脚便の整備にともない江戸時代には武家や商人の間で年賀挨拶状が普及し明治初年の郵便制度の開始にともない庶民にも拡大します。

年末に投函すれば1月1日に届くという仕組みは1900年頃に始まりました。

現在のようなお年玉付き年賀はがきが発売されるのは1949年12月からです。

年賀状を交換していれば、普段疎遠でも年間わずか63円(24年10月から85円)で相手の近況や安否がわかる優れた手段だと山爺は常々思っている。

斯く言う山爺が年賀状に積極的になったのは所帯を持ち、式にご列席頂いた方々への礼状として出したのがきっかけだ。ワープロやPCの普及がその手助けをしたことは言うまでもない


それまでは文字書きが苦手で金釘流の山爺ゆえ元来が筆不精、こちらから年賀状を出したことは一切なく頂いたものだけ気が向いたとき返信していた。当然年々賀状は年々減り続け遂には数枚まで落ち込んだ。 (^^♪

毎年、年賀状を出していれば、普段疎遠の人でも孫が生まれたとか旅行にに行ってきたとかお元気な様子がわかる。

また不幸にしてその方が不幸に見舞われたとき、ご家族様から年賀状辞退の挨拶状が届くので訃報を知ることもできる。それにより陰ながらご冥福を祈ることも出来ようというものだ。

事実、最近は山爺の知人や元職場の先輩・同輩の訃報をその案内状で知ることが多くなってきた。そんな優れた文化が今廃れようとしている。

年賀状しまいをしてしまうとその時点でその方との音信は全く途絶えてしまう。

万が一逝去された場合、陰でご冥福のお祈りどころか亡くなったことさえ露知らず・・・・のんきに暮らし続けてしまう。

一体に年賀状しまいとはいかなるもので知識人の誰が言い出したものか?言いだしっぺ出てこ~い。

年賀状しまいの理由はSNSによれば次の理由が主なんだそうです。改行以下の文章は山爺の私見です。

【200名に聞いた】年賀状じまいの実態と課題とは?

①郵便料金の値上がり

これが理由の人は何百枚も賀状を出している人なんだろうなあ。10人や20人なら数千円ですよ。これが理由とは思えない。

②SNSやメールに切り替える

普段からSNSやメールやり取りするほどの間柄なら初めから賀状交換はしていないだろう。

③引越しなど環境が変わったことを機会に止める

義理で出し続けていた場合、これはありうるなあ。ちょうど良い機会(作者注:ちょうど良い機会とは自分にとって好都合)だからと考える。

④終活の一部

加齢とともに賀状作りがしんどくなった。面倒くさくなった・・そんな時こそ賀状を出しておいたほうがよいのでは?。

⑤お付き合いの見直し


これが大半じゃあないのかなあ。近況を知る必要もない相手だし、この際、出すの止めよう。・・・国交断絶、最後通牒・・ってか。




年賀状は時代遅れでメールやSNSがそれに取って代わると口さがない人々は宣うがメールやSNS、LINEなどはもともと親しい者同士が使う手段であり普段疎遠の人とは無縁の代物だ。人情が薄れつつある日本、年賀状の廃止によりさらに拍車がかかることは否めないと思う。

私の年賀状しまいの方法は?そりゃあ嫌な相手から来ても返事出さないもん。・・そりゃあ1番ひでえやり方だなあ。

お後がよろしいようで。




【川柳】

・賀状みて 今年も安堵の 年初め

・先に書く 賀状しまいの 優越感

・これにてと 機先制さる 年賀状

***************************************
①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転載は禁止で、行った場合、著作権法の違反となります。

読後の感想をコメントまたはメールしていただけると幸いです。







2025年1月29日水曜日

#25年度初登山(新宿の富士塚を訪ねて)

 遅ればせながら、皆様明けました(作者注:誤字にあらず・・明けましたので)おめでとうございます。

去年ヤフオクでニコンD5000のボディを格安で手に入れた。D5000は液晶のモニターが可動出来るので草花撮影などの低アングル撮影に威力を発揮する機種だ。

この機種はかねがね欲しいと思っていたが中古でも5~6万する人気機種なので貧民たる山爺には高嶺の花であった。

ところが、ヤフオクでモニター画像が滲むが撮影には異常なしの訳あり物が¥500で出品中であった。入札数が少なかったので軽い気持ちで入札・・と、瓢箪から駒が出て¥4000台で落札してしまった。

どんな品物なのかなあ、と後悔半分で支払いを済ませ落札品の到着を待つ。

やがて、落札品が手元に。外観は素晴らしい、傷一つない新品同様の品物だ。レンズを装着して自動モードで撮影してみる。何ら問題なく撮影できた。

さて問題のモニターだが、なるほど画像が滲んで細かい判定は出来ないが大まかな輪郭の判断には支障がない。

試写した画像をPCで編集するとシャープなピントと色調の画像が撮れている。さすがは”腐ってもニコン” 掘り出し物だと山爺ご満悦。

こうなると試撮影に出かけたくなる。新年でもあるし予てから行きたかった新宿にある富士塚でも訪ねてみよう。その塚は新宿の成子天神の境内にあり東京でも1・2を争う高さの塚だそうです。


天神とあるくらいだから祭神は菅原道真公で1100年の歴史のある由緒正しい神社だ。初詣には相応しい。

【公式】ーめぐり天神ー 成子天神社・東京都新宿区西新宿



地下鉄丸ノ内線の西新宿駅、1番出口から地上に出て青梅街道を西に5分も歩くと成子天神です。

都内の名所は押し並べて駅に近いので探訪が楽ちんで助かるわ。

ちなみにこのビル群画像は今回落札したD5000により撮影されたものです。贔屓目からか”腐っても鯛”ニコンは発色がやはり違う。いい色出てますねえ。



ビルの谷間に目指す神社がありました。
お神輿が3基保管してあります。3基とも毎年夏祭で使われているのかな?。
境内には牛さんや七福神などの彫像があります。

富士塚は神社の左手を抜けてしばらく進むと到達します。

富士山は浅間神社の管轄だから菅原道真公の成子天神とは一線を画すのかなあ。成子神社のHPには富士塚の説明がありません。

祭神だって道真公ではなく神代の昔の神様、木花開耶姫です。格が違う。



と思いながら富士塚の領域に入ったら説明板があり読んでみたら山爺の予想は大外れ。







もともと成子神社内にあった小山(天神山)を大正九年に富士塚として築き直したものなんだそうです。

なあんだ江戸時代に築かれたものじゃあないんだ。山爺ちょいと落胆。
それでも塚の大きさには圧倒されます。

鳥居をくぐると小さな祠と女神様の彫像がありました。彫像は木花開耶姫に違いありません。

祠に参拝してお賽銭を奉納、幸い施錠していないので自由に登れます。さてぇ、いざ登山開始。



おお、山道っぽい。
おお、おお。険しくて狭い上に岩がごつごつして歩きにくい。しっかり鎖に掴まらないと転げ落ちたら”遭難”するわ。

ストックが必要だなあ。



山頂はまだ先だ、息切れがする、『これは登りごたえのある富士塚だわい』と独り言ちた。
中腹にちょいとした休憩広場?があり1丁前に祠まで備わってます。

あと一息で山頂だ。頑張ろう・・って大げさな。

やった~、標高12mの山頂に到達です。
先ほど参拝した麓の祠と女神様が小さく見えます。




登頂を済ませたので反対側から下山します。

降り口がまた険しいこと。迂闊に踏み出すと滑落する。

こんなところで遭難したら世間の良い笑いものになるから慎重に降りよう

無事下山し、富士塚を遥拝します。
改めて見ると良く出来ている富士塚だ。

例年7月1日に山開き祭があるようです。
その時にまた来ようかなあ。・・・
”酔狂な”という声が聞こえてきました。


【川柳】
・生半な 構えで挑むな 成子富士
・模山でも 遭難もある 成子富士
・大正の 作りで気が抜け 成子富士

***************************************
①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転載は禁止で、行った場合、著作権法の違反となります。

読後の感想をコメントまたはメールしていただけると幸いです。