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2021年1月3日日曜日

山爺闘病記 Ⅱ

こうして重篤な喉の痛みは治まり食物・飲み物嚥下は出来るようになったが相変わらず喉の奥に違和感・痛みがあり治らない。飲み込んだ後の食後感というか、全ての物が不味く感じられて食欲がまるでなくなった。

そのうちしゃっくりがで出して止まらなくなって来た。3日間は我慢したがそれも限界。15日(火)再び行きつけの医院を訪れた。また外での対応だ。
『先生、喉の違和感で食欲がまったくなく味覚がおかしい』
『味覚障害!、だめだ、コロナ症状が出た以上ウチでは診療できない』
『味はわかるのですが、飲み込むとき不味い感覚・・』・・味覚障害なんて言ったつもりはないのだが迂闊な発言をしてしまった。
『保健所に自分で相談して指示を仰いでください。総合病院でPCR検査を受ける・・そういう決まりになってます』・・・けんもほろろ。
『この間、陰性だったけど・・・』
『あれは抗原検査で精度が低い、症状が出たならPCR検査が必要』・・取り付く島がない。診療を断られてしまった。

家にすごすご帰り保健所に連絡。この時点ではまさかその後に矢継ぎ早に起きる悲劇を知る由もない。

保健所に連絡し状況を説明。
『症状からするとコロナ感染の恐れは低いので一度専門医院(耳鼻咽喉科)に見てもらうことをお勧めします』とのアドバイス。

さっそくその日のうちに市内の耳鼻咽喉科を訪れる。鼻からスコープを入れて喉を観察。
『喉の腫れは引いているようですが白い残渣があるのが気がかり、紹介状を書くので総合病院で診察してもらってください。』
『先生、喉の痛みというより右下顎奥から喉にかけて痛いのですが』
外から首から喉にかけて触診して
『特段腫れてはいないようです』・・・人の言うことに耳貸さない。

翌16日(水)隣のG県にあるT市の総合病院へ紹介状を携えはるばる受診。
ここでも抗原検査をされたが結果は陰性、結果が出るまで薄ら寒い人気のない病院隅で1時間以上の待機をさせられる。

鼻腔からスコープを入れられ組織の一部を採取して診療は終わり。
『あのお、喉というより右下顎の奥が痛いのですが・・・』と訴えるも、この先生も人の言うことに耳貸さない。外から手で耳周りを触診して
『特段、腫れてはいないようです、来週分析結果が出るので来てください』・・・消炎薬とうがい薬を処方でこの日は終わり。

もう5~6日も食事らしい食事をしていない。徐々に体に変化が起きてきた。
夜間身体が温まるとしゃっくりがひどくなり、さらに横隔膜が5~6秒痙攣する。その間は息ができない。さらに胃から突き上げるような嗚咽感が、・・・毎日まったく眠れない日が続いた。
12月18日(金)再び市内の同じ耳鼻咽喉科を受診。
『しゃっくりと嗚咽がひどいのですが』・・・
『喉の痛みとしゃっくりの関連性は低いです。紹介状を書くので市内の総合病院に行ってください』・・・また、紹介状?ここは病院紹介所か!何を考えているのだ、この医者は!!

『喉というより右下顎奥が痛いのですが』と訴えるが人の話にまったく耳を貸さない。手で触診して『特段腫れてはいないようです、お大事に』で体よく診療終わり。

紹介状を携えて市内の総合病院へ・・・この頃には身体が衰弱しており長時間立っていられない。歩行途中で柱に掴まって休んでいると係員が車椅子を持って飛んできた。係員が押してくれて病院内移動、楽チンだなあ、初めての車椅子体験だ。

散々待たされてやっと内科の受付へ・・・問診で山爺がまとめた症状の覚書を提出したところ、たった1回だけ体温が37.2℃だったのを見とがめて診療拒否されてしまった。

覚書は病院訪れる度に同じこと何度も聞かれるのでうんざり、辛い体調を我慢してまとめたものだがこれが裏目となった。

曰く『明日コロナPCR検査を受けてください。今日は診療キャンセルです』 Σ(゚д゚lll)
車椅子を押してもらいながら看護師さんに愚痴った。
『今晩、症状悪化したらどうするんですか?』
『その場合は救急車を要請してください・・・』

病院から帰って寝込んでいたが夜8時ころ胃痙攣、嗚咽が止まらず息ができない症状が連続して起きた。とても我慢できる状態ではない。このままでは死んでしまうのではという恐怖に襲われた。

家族に救急車の要請を頼んだ。やがて救急車が到着。その頃には発作も収まったので自力で救急車へ向う。
『患者さんは』『私です』・・救急隊員の顔が一瞬変わったかどうかは山爺は衰弱している
のでわからないが、自力で歩けるではないか?これが病人かと唖然としたかもしれない。

車内で血中酸素濃度ほかのデーターを調べた結果は、
『酸素濃度は健常で私より多いくらい、ほかのデーターも異常がないのですが・・・』
冗談じゃない。先ほど息も絶え絶えだったのに・・・
『救急搬送しても異常なしで診てもらえないと思いますがどうしますか』
結局、救急搬送辞退書類にサインさせられて救急車は帰っていった。一抹の不安がよぎる。案の定、その晩も発作が続き一睡も出来なかった。

12月19日(土)市内総合病院でコロナPCR検査を受けた。同日夕方コロナ陰性の電話連絡が入った。やれやれ、これで一安心。晴れて内科受診ができる。

この間、食事はおかゆとはちみつジュースのみだったので低血糖症に陥ったのか2度も意識を失い気絶する事態に陥り家族は大騒ぎとなった。

もう、医者はあてにできない、自衛せねば。ドラッグストアーでハイカロリージュースを買ってきてもらい補食材として飲用する。

12月21日(月)市内総合病院の内科でやっと診察をしてもらった。
『あのお、右喉奥が痛くて食事もままならないのですが』・・と訴えたが
ここでも人の話に耳を貸さない。触診をしたあと、
『痛みがあるようですから念のため頭部CTスキャンをしてみましょう』
話が大きくなってきた。山爺いよいよ先行き不安。

CTスキャン結果は特に重篤に発展するような腫れは見当たらないとの所見だった。
胃酸過多予防薬を処方されお仕舞。

おいおい、異常なしじゃあねえだろう。こんだけ衰弱した身体どうしてくれるんだあ~!

12月23日(水)予約していたG県T市の総合病院へ組織検査結果を聞きに行く。
『悪性のモノではないようです。』・・・やれやれ一安心。
『ただ、見たことない組織があります。経過を見たいので2週間後来てください』
『・・・』・・これで診療終わりかい。冗談じゃない。
『先生、喉というより右顎下の奥、の違和感と痛みが消えない。口内炎なのでは!』と強訴する。
『そうですか、どれスコープで見てみましょう』ようやく人の言うことに耳を貸した。口からスコープを入れ観察する。
『はあ、少し腫れてるようですね。』・・だから最初から言ってるだろう。よく見ろや。
『口内炎に効く薬はないのですか?』
『ありますよ、塗り薬出しましょうか』・・・あるなら早く出せ、出し惜しみするな~。
塗り薬・うがい薬を処方してもらった。
この頃には不味くても無理やりうどん・お粥その他を食べ始めたので体力は少し回復したが喉奥の痛みは以前消えない。

塗り薬を塗ると若干痛み、違和感は減少してきた。やはり口内炎だったのでは??

12月29日(火)最初に受診した行き付けの医院に行く。これまでの症状や診療の覚書をまとめて提出し、まだ右顎下奥の違和感と痛みが治らない旨訴える。

抗生物質5日分をやっと処方してもらった。診断病名は口内炎ではなく下部咽頭炎との診断結果である。

抗生物質を5日間服用、塗り薬と併用だ。少しは症状が軽減したが食事後の不味さは相変わらず、新年早々先行き不安の日々が続いている。体重が5Kgも減って足の筋肉がすっかりやせ細ってしまった。

【川柳】

・病状の 訴え届かず 先送り
・患者より 堅く守るは 我が病院
・新コロナ 疑惑で診療 放っとかれ

山爺闘病記 Ⅱ の項 (完)

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