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2017年10月17日火曜日

足利 両崖山ハイキング

先週からずっと雨模様の天気が続いています。その前の週も雨ばかり、山爺の先週のホールインワンも前日まで雨でした。まったく一体どうしたというのでしょう。本来なら今頃は天高く馬肥ゆる秋と、ことわざにあるとおり晴天が続くはずなのにめちゃくちゃです。やはり温暖化の進行で日本の気候が大きく様変わりする前兆なのでしょうか。

それにしてもこうも長々と秋雨前線が張り出し長雨が続くともう笑うしかなくなるね。八ヶ岳登山、今年はもう半ば諦めました。来年また再企画です。
≧(´▽`)≦アハハハ 

山爺の悪友、サボろうくんの誘惑しきりで困ってしまいます。

【山爺の一言メモ】

天高く馬肥ゆる秋」とは、秋は空が澄み気候が良いため食欲が増し、馬が肥えるという意味です。 大陸育ちの移動性高気圧が日本付近を緩やかに覆うと、乾燥した爽やかな空気が広がります。 秋晴れの空は青く澄み、高く見えます。

雨ばかりの中、先週14日(土)だけが曇りの予報に勇気づけられ前々日に急遽パッキングし登山訓練のためのハイキングに出かけることにしました。場所は前々から下調べをしている足利方面です。ここは山爺の家から往復¥1000でお釣りが来るくらいの近隣ながら魅力あるハイキングコースが6~7箇所もあります。

今回は曇りの予報とは言え女心と秋の空の例え通りいつ急変するかわからないので欲張らず軽い場所として標高261mの両崖山(りょうがいさん)を選びました。ここは東武足利市駅から徒歩30分くらいで登山口に着くことが出来ます。

朝、7時の電車に乗ろうと家を出て近くのコンビニで昼食の買い物を済ませて通りを歩き出すと向こうから見慣れた人が犬を連れてやってきました。

行きつけの居酒屋のマスターです。挨拶もそこそこに駅に近づくと今度は行きつけのタイ料理屋の女将がシャッターを閉めているところに出くわします。声をかけると昨夜(今日の深夜)遅くまで店を開けていて今から家に帰るところとか。

朝から偶然が2度重なりました。これだから悪いことは出来ない。

7時の電車に乗ると30分ほどで足利市駅に到着してしまいました。まだ早いので当然登山客など誰も降りません。

東武駅の方がJR足利駅よりも賑やかで大きな駅です。ここで飲料水を購入し身支度を整え、いざ出発、まずは30分先の織姫神社登山口まで歩きます。!

渡良瀬川の右岸土手に沿って5~6分も歩くと
渡良瀬橋に着きます。

あ!皆さんは右岸・左岸の区分かりますか。上流から下流を眺めて右側が右岸、左側が左岸と言いますよ。一つ利口になりましたねえ。え!知ってる!。それは失礼しました。山慣れした登山家でさえもこの区分を勘違いし山で遭難騒ぎを起こす人もいるくらいだから念のため、レクチャーです。

渡良瀬橋は、かの有名なシンガーソングライター森高千里のヒット曲、あの”渡良瀬橋”です。鉄骨の造りの無骨な橋ですが、ここから眺める夕日がとても綺麗と歌っています。

親愛なる諸兄には無縁の歌かなあ?以下に”渡良瀬橋”の概略を載せるのでご参考まで。
叙情豊かな詩が美しい旋律に乗せられた良い歌です。ご当地ソングなので、ど演歌ばかり唸っていないで地元民は覚えてね。

【山爺の一言メモ】

森高 千里は歌手・シンガーソングライター・音楽家・タレント。高校卒業後の1987年に、歌手としてメジャー・デビューを果たした。その後、様々な楽器に触れながら表現手法を拡張し続け、現在ではライブ活動を中心に、雑誌連載や音楽番組のMCなど多様な分野で才能を発揮して活動している。本名:江口千里。
生年月日: 1969年4月11日 (48歳) 生まれ: 大阪府 茨木市

歌詞の中の渡良瀬橋・八雲神社・床屋の角の公衆電話、などはいずれも実在します。

公衆電話は利用者が少なくなったのでNTTが撤去しようとしたところファンがわざわざその公衆電話に出向いて交代で使用したり足利市の強い要望もあったりで撤去を見合わせたというエピソードがあります。

八雲神社も市内に正式登録だけで5箇所あるそうな。千里が実際訪れた八雲神社は平成24年に不審火で焼失し現在再建中とか。

れにしても関西人の千里がなぜ渡良瀬橋を取り上げて詩にしたのか?

千里が新曲を出す際にまず橋をテーマーにしようと考えたそうです。そして地図で全国の橋を片っ端から調べ上げ言葉響きの良い”渡良瀬橋”を見つけて詩にしたそうな。さすがアーチストは考えることが違うね。

歌詞の中に出てくる場所も単なる想像ではなく実際に自分で何度も足を運び実在の場所を選び出してからストーリーを創作したとか。大したもんである。森高千里なる人物を山爺は少し見直した。暇な人は動画をチェックしてみて下さい。


まだ早朝なので歩いているのは山爺だけ、部活でしょうか?。自転車に乗った若い男女が時々山爺を追い越して行くだけです。

織姫神社前の大鳥居に8時10分到着、229段ある長い石段をとぼとぼ登ります。 

この階段の真ん中の手すりは屋外消火栓用の配管も兼用しているそうです。神社さん、なかなかやるじゃん。エライ!

今日の気温は16℃しかなく長袖を着用していても寒い。そんな天候なのに上の方から短パンにランニングシャツ姿の親爺が走り降りて山爺とすれ違います。元気な親爺だなあと感心していると今度は走り登ってきます。山爺を追い越してしばらくするとまたもや走り降りて来ます。いくら体力鍛錬といってもこの急な石段を何度も往復、誠にご苦労なことです。と思っていると階段を登りきり織姫神社に着きました。

ここにも猪注意の看板が!境内でも猪出るんかい!先々週の桐生といい今日の足利といい北関東の山麓恐るべしです。

そういえば栃木市周辺のゴルフ場に行くと猪除けの電線が縦横無尽に走っていたのを思い出しました。実際、栃木のゴルフ場ではプレー中、何度か猪家族がゴルフ場内を移動して行くのを目撃しています。

本殿に着いたのでお賽銭を¥60奮発し家内安全・我が娘達の良縁祈願をしました。

なぜ¥60かって!充分(¥10)ご縁(¥50)がありますようにとの洒落です。¥5では安いし¥500はちょっと奮発し過ぎという訳で¥50です、はい。

織姫神社の主祭神は天御鉾命(あめの み ほこの みこと)、天八千々姫命(あめの や ち ち ひめの みこと)・・2人の女の神様です。

森高千里はなぜ足利で最も有名な織姫神社を歌詞に織り込まなかったのだろうか?、そりゃそうだろう、織姫神社は縁結びの神様だもん。

”渡良瀬橋”の男女は結局、悲恋に終わり別れてしまう。神社から『頼むからこれ以上歌わんでくれ、営業妨害だ』の苦情がくるわ。(^O^) 

そこ行くと八雲神社の主祭神は荒ぶる神、素戔嗚尊(スサノオノミコト)武運長久・厄除けの神様だもん。さすが千里ちゃん!深謀遠慮、気配りが出来てます。

なんて馬鹿なことを考えながら神社の右側を通り抜けて歩いていたら左側に階段が現れて両崖山の標識が目に入りました。 

ここでスパッツを足に巻きつけ泥除け対策。いざ登山開始と登り始めたら5分で駐車場に出てしまいました。上にある丸い丘は機神山(はたがみやま)古墳です。登るの禁止の看板が立っています。

ここの駐車場で車でから降りたばかりの第一登山者に遭遇、山爺と同じ単独者だ。あまり関わりたくなかったのだが近寄ってきて歩きながら話しかけてくる。どこから来た・いつも山行くのか・どんな山に行った、とやたら聞きまくり、うるさくて仕方がない。

それだけならまだ我慢できるのだが、こちらの話は最後まで一切聞かないで途中から割り込んで自分の話ばかりしてくる。山爺はこの手のご仁は苦手である。登山口についたので『私は写真を取りながらゆっくり歩くのでお先にどうぞ』と先行を奨めて体よく追っ払った。

多分こういう人は皆んなに煙たがられて友達いないんだろうなあと、少しかわいそうに思った。”他山の石”、自分も気をつけなくっちゃ。

歩き出して15分もすると織姫公園なるビューポイントに到着した。足利市内が一望だ。心配の雨も今のところ大丈夫。

先ほどのおしゃべり親爺に追いつきたくないので小休止とし写真撮影をゆっくりと行う。

市民憩いのハイキングコースという触れ込みの両崖山であるが、どうしてどうして険しい崖道が随所にある。下って来た5~6人の老男女パーティが、『この間、ここで転落した人がいて救助された』と物騒な話をしながら通り過ぎてゆく。

 崖道ではあるが鎖を張るほどの険しさはない。しかしながらこういう中途半端な崖が油断を引き起こし一番危ないのである。注意しながら順調に高度を稼ぐ。

崖を登りきるとすぐに物見櫓って、大河ドラマの見過ぎかなあ。展望台のある開けた場所に着きました。そこからの眺めが素晴らしい。大パノラマだ。晴天だったら、いかばかりだろうか。
  

先々週に桐生の山で鍛えたせいか順調に足が前にでる。

気温が低いことも手伝うのかそれほど疲れもしない朱色の祠に9時30分到着しました。

  
事前調査では山頂はここからさらに石段を登ってすぐとあったのですが・・あった、あった 長い石段がずうっと上に延びています。5分も登ると奥の院のある山頂に着きました。



あのやかましい親爺がどうか居ませんようにと念じながら広場中央へ。よかった、件の親爺はいない。1人、地元のボランテァらしき親爺が拝礼しながら祠群の清掃を黙々としている。この親爺に目礼して祠群を参拝した後、ザックを下ろし大休止を取ることにした。




軽い日帰り登山用に今回新調したサーモスを取り出し珈琲パックにお湯を注ぎドリップ珈琲を作る。これの購入により重たいコンロとボンベ、やかんの携行が不要となった。うん充分役に立つわい。



タイガー製(性能重視で日本ブランド選定)サーモス 容量360ml送料込¥2000、アマゾンで購入しました。・・珈琲2杯分作れました。




アンパンをほおばり珈琲をごくり。至福のひと時を味わい・・・と思うまもなく清掃親爺の知合いパーティが4~5人到着した。

『おお!来たのか』

『朝からご苦労さん』

このあと大声で世間話やら付近のハイキングコースの話で大盛り上がり、誠にかまびすしい。

こうして静寂な山中での珈琲ブレイクは文字通り、じじい・ばばあによりブレイクされてしまったのでありました。

いつ終わるともなく大はしゃぎの面々、”36計逃げるに如かず”急いで撤収!!。

両崖山にはかつて山城が築かれていたそうで解説看板が立っていました。

山爺の一言メモ】

足利城跡

佐野の藤原秀郷7世の孫が1054年に築城、5代、120年、経過したが藤姓足利氏は平家滅亡とともに滅んだそうです。一旦廃城の後、室町中期に足利長尾氏が再築城1590年の秀吉北条攻めに際し北条氏に味方したため廃城となり現在に至る。

ここから天狗山経由、須永山への縦走路があるので行くかどうか悩んだのですが、
①いつ雨が降り出すか分からない。
②山道も雨でどうなっているか不安。
なので今回は素直に下山することにしました。近いのでいつでもまた来ることが出来ます。

織姫公園まで一気に下り、休憩所があるので椅子に座り、サンドイッチ・梅握り・アンパンなどの定番昼食を早めに採りました。サーモスによる2度目のドリップ珈琲も勿論いただきました。


12時前には織姫神社前の通りに戻ることが出来ました。

織姫神社の由来の書いてある掲示板を読んでいたら『おや!朝あった人だよね』の声がする。振り返ると駐車場で朝一に会った例のやかましい親爺が笑顔で立っている。あちゃ~また会ってしまった。

どこ歩いたの、何時に着いたの、槍ヶ岳は登ったか?の、またまた一方的に脈絡のない話題で質問攻め。『駅に戻るので失礼します』と話をさえぎり、ほうほうの体で逃げ出した。いやあ、参った、参った。まさかまた会うとはねえ!。

次は織姫神社の向かい側にある”渡良瀬橋”の歌詞・・・♫ 今でも八雲神社にお参りすると~・・・にある八雲神社への参拝です。

なお、この神社には森高千里は訪れて居ません。千里が参拝した八雲神社は残念ながら平成24年不審火により焼失、再建中です。・・ってモテない男による放火かね、神も仏もないねえ!

この八雲神社から10分くらい歩くと歌の文句にある”床屋の角の公衆電話”があるらしいので行ってみます。

その場所はすぐに分かりました。大きな交差点の向こう側、・・・♫ 床屋の角にポツンとある公衆電話・・・本当にポツンとありました。


交差点を渡り撮影をしていると自転車に乗った親爺が山爺の間に割り込んで止まりました。
邪魔だなあ、今日3人目の邪魔親爺の出現か! 自転車邪魔!!と思っていると、
『中も見るかい!』と声をかけられました。
『床屋のご主人ですか』
偶然、床屋の主が帰ってきたところに遭遇したわけで遠慮なく中を見せていただきました。

中は普通の床屋ですが森高千里のサインやら写真やら、ほかの新人タレントの掲示物やら、置物やらが飾ってあります。・・・聞いたところ千里のヒットにあやかろうと新人タレントが時折訪れるとか。置物は全部その時のプレゼントだと説明してくれました。

その他、いわゆる聖地巡礼フアンがいきなりドアーを開けて散髪するでもなく
『なか見せて』
と来るので嫌になっちまうと、ぼやいていました。

『見学自由、ただし散髪客に限る』の看板出せば、と言うと親爺さん、苦笑をしていました。
そうは言うものの、この親爺さん。千里がらみの訪問者を実のところはまんざらでもない印象を受けました。

さて、観光も終わったし時間はまだ十分にある。30分も歩けば市内に幸の湯なる温泉があるのも下調べしてある。そこに立ち寄り湯してから帰ろうか。

【川柳】

・楽しくて やがて やかまし 両崖山
・古城にて ジジババ会話 かまびすし 


足利 両崖山ハイキングの項・・・完





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