10月6日は久方ぶり(3ヶ月)のゴルフ、平日だったので、かつて女子プロのオープンコンペも開催された栃木市にある老舗のTゴルフ場を予約、プレーすることができた。前日5日は低気圧が通過して雨模様、6日は晴天ながら午前中からやや強い風が吹き午後からはさらに強い北風が吹き込んでゴルフに少し影響が出た。
翌日7日正午のニュースを筋肉痛をさすりながら見るともなく見ていたら驚きのニュースが飛び込んできた。”那須の朝日岳(1896m)で男女4人が遭難、4人とも心肺停止”・・え?あの朝日岳で今頃4人も?
山爺は二十歳の時に、知人に誘われて初めて本格的な登山したのが那須連山(茶臼岳・朝日岳・三本槍ヶ岳)で三斗小屋温泉大黒屋に宿泊しての1泊2日の山歩きでした。
ランプの灯る宿や今持って白煙をあげる火山噴気孔、樹木が全くなく鎖場もある岩山の登山、それまで歩いたハイキングとは全く別世界の山歩きに魅了され爾来この山が気に入り冬山も含めて今日まで何十回となく登り続けています。ゆえにこの山で起きる事象は気になるのです。
ニュースを聞いた刹那、ははあ、昨日の強風が災いしたなと思った。すぐにPCを稼働させて記事を検索し拾い読みする。内容が錯綜して要領を得ないが、およそ次のようだ。遭難したのは2パーテイ、ひとつは栃木県央の男1(69)女2(72)(79)のグループで全員死亡、もうひとつは大阪から入山した男2人のパーテイのうち一人(65)が亡くなった。いずれも高齢の方々ですべて低体温症による凍死である。
どこの報道内容も遭難死、遭難死と書きまくっているだけでいつ入山してどんなルートを辿ってどこで倒れたのかが示されていない。装備も軽装ではなく山の上着を着用していたとあるが一体山の上着とは何なんだ。報道には締切時間があるとは言え、山の上着と書いてしまうとは、笑える。
那須・朝日岳で男女4人遭難死、隣の茶臼岳に登った男性「吹き飛ばされそうな強風だった」 (msn.com)散々調べたところ大阪のパーティは前日、山中にある温泉宿(三斗小屋温泉)に宿泊し大峠⇒三本槍ヶ岳⇒清水平⇒朝日岳(あるいは登頂前に)⇒分岐付近で一人が低体温症で動けなくなり、もうひとりが電波の届くところ(剣ヶ峰そばの峠、峰の茶屋)まで移動して午後0時25分ころ救助要請したようだ。
県央グループの方は6日の朝ロープウエイ駅の上にある駐車場登山口から入山、遭難時間から逆算すると8時頃から登り始めたのではと思う。
午前中は小雨は降っていたものの風は弱かったと報道にある。恐らく10時から11時には朝日岳山頂には立ったのだろう。健常者であれば2~3時間もあれば山頂に立てるはずだ。朝日岳登頂を果たして下山途中に天候が急変し避難小屋まであと20分くらいの地点で低体温症に陥り動けなくなったようだ。彼らが動けなくなっていたところを大阪グループの救助要請者がその横を通過している。(当人による目撃証言)
別の画像(左画像)から遭難地点を見てみよう。下部に見えるのが登山者用の無料駐車場でトイレも完備。車で来る人はここに駐車して登山を開始する。今回の遭難は深い山中で起こったのではない。道迷いなぞ起きようもない人里近くで起きてしまったのである。
朝日岳へのルートは途中に鎖場もある。ニュースでは鎖場のある険しい山岳と解説していたが誤った情報だ。
鎖場といっても本格的に岩場を登攀する為のものではなく登山道の補助としてついているだけで多少スリルが味わえる程度だ。好天に恵まれれば5歳児でも山頂に立てるだろう。
那須連山は火山なので山頂付近は樹林が育たない。ゆえに2000m級の山ながら、あたかも3000mの稜線を歩いているような雰囲気が味わえ、朝日岳には別名にせ穂高と呼ばれるくらい格好がよく人気の山なのである。
加えて茶臼岳・朝日岳はアプローチも短かく登山道もよく整備されているので初心者向けの山と紹介されているが、とんでもないことである。
それは好天に限ってのことといっても過言ではない。
今回のようにひとたび天候が変わればこの山は樹林のない坊主山なので登山者に牙を剥き、毎年のように遭難騒ぎが起きる山なのだ。今年の5月にも若い男女が遭難し救助されている。
ゆえに里山ハイキング程度しか経験のない者だけでの登山は避けたほうがよく、那須連山について経験豊富な者の同伴が望まれる。
5日~7日の天気図にアクセスしてみると10月初めとは思えない立派な西高東低、冬型の気圧配置である。那須連山は日本海と太平洋の境界線上にある山々なのでこんな天気だと北西の強風が吹き抜ける。
特に朝日岳の途中にある剣ヶ峰の左右は鞍部(山の低いところ)なのでとりわけ強風が吹き抜ける。
昔、三斗小屋温泉、大黒屋のおやじが酒の上の冗談で、強風の中、無理して峰の茶屋峠を越えると人間が旗竿の旗のようになびいてしまうとか。 (^^♪
その時はまさかと思ったが、ある冬の日、当時は越冬していた大黒屋のおやじを訪ねるべく峰の茶屋峠を越えようとしたが猛烈な風に阻まれて大苦戦、ピッケルを刺し、刺し、ほふく前進でようやく峠を越えた。このとき、ああ、あの時の冗談は半ば本当なんだなあと得心した。強風中を進むときにウインドヤッケのフードをだらしなく開けていると風が吹き込み背中が膨らみ防寒の用をなさなくなることもこの時学んだ。風雨の状態だったら冷たい水も一緒に体内に侵入し悲惨な目に遭うことは間違いない。6日の天候は11時ころより天候が崩れ始め風雨が強くなりだした。ロープウエイ山頂駅での気温が4.5℃・風速20mを越えており正午から下り線のみの運行に切り替えたほどだ。
体感温度は風速1mごとに1℃下がると言われているから当時の体感温度は-15.5℃だ。体が濡れて風雨にさらされ続けたらひとたまりもないだろう。
そんな環境下に濡れた体で晒されたら15~20分で低体温症の症状(歯がガチガチなど)が出て30分で意識はあってもいきなり体が動かなくなるそうだから恐ろしい。亡くなった大阪の登山者の職業は医師なので低体温症の知識は十分に持ち合わせているだろうに。
複数の記事が瞬間風速は80mを越えていたとあるがにわかには信じられない強風だ。
あまりの強風に救助隊が避難小屋のある峰の茶屋峠に到着したのが2時過ぎ、風雨が強くてそこから先は進めなく午後5時、この日の救助活動を断念、翌朝に持ち越されたことも不運であった。
遭難者たちはツェルト(非常用簡易テント)を持参していなかろうから風雨の中で一晩持ちこたえることは100%不可能だ。あるいは救助隊は遭難した4人はすでに死亡していると見切ったゆえの救助延期だったのかもしれない。
なぜ、彼らは遭難したのか。表向きには6日午後からの天候の急変で低体温症に陥り動けなくなり凍死したとあり、遭難者に対し辛辣な批判は避けている。
低体温症を避けるうんちくについて知識人?や評論家?たちが述べている。
①防寒具や雨具を着用する。
②アルミシートやツェルト(簡易テント)を持参
③体温を上げるには甘いものやカロリーの高い炭水化物を摂取する。羊羹・チョコなど。
いちいち、もっともなご意見だが、悪天候の最中では、のんびり羊羹食ったりその場でアルミシートかぶって停滞する気には絶対になれない。
山爺が若い頃の体験で8月の3000m峰(南ア塩見岳)に入山後(山小屋泊)、台風に遭遇したがやんちゃだったので毎回稜線に出てみては風雨に撃退(小石が飛んでくるのでメガネも外すほど)されて濡れそぼりになり(首と袖から水が入る)寒さに震えながら山小屋に戻った。寒さに震えながら思ったことは、羊羹食おうでも、シート被って緊急避難でもなく一刻も早くこの場を離れて、ひたすら山小屋目指して帰ることだけだった。
ここからは山爺の私見なので読み流しとしてください。
【防寒具や雨具】
遭難者たちがどんな服装をしていたのか”山の上着”では判別出来ないが、朝のうちは穏やかだったようだからダウンジャケットを羽織っていたのではないかと思う。これだと風には強いが雨に濡れると逆効果となる。裸で濡れタオル羽織って扇風機の前に立つようなものだ。
また雨具と一口に言うがその性能は千差万別で右表のように大雨時には10,000mm以上の耐水性が要求される。これ以下だと雨が徐々に浸透して衣服を濡らす。ちなみに傘の耐水性は200mm~500mmです。
ただし耐水性が高くなれば比例して雨具の重さも重くなり購入代金も高額になるので用途に応じた使い分けが肝要だ。
山爺はゴルフでは2000mm程度の安物(軽いから)を使っているが、これだと無風の雨中でさえ2~3時間もラウンドすると薄ら体が湿ってくるので山では使えない。
山で使うには15000~20000mmは必要なのではないかと思う。しかしながらスポーツ専門店でその性能の雨具を求めようなら店員に『命を預けるものだから良いものを選びましょう』とかなんとか、おだてられ2万円以上のものを押し付けられるからご用心。山爺は同等の性能の雨具をワークマンで¥6000くらいで手に入れてザックに入れている。
また良い雨具といえど長いこと使っているとコーティング薬品が劣化するのでまめにシリコンスプレーで手入れすることが必要だ。山爺は登山前に必ずシリコンスプレーを掛けておく。
遭難した方々がダウンジャケットではなく雨具を着用していたのだとしたら、どんな雨具を装備していたのか?あの悪天候でも無事に生還した人々が数多くいたのだから生死を分けたのは雨具にあったのではと思えてならない。
【天候の急変というが】
入山前に天気図を下調べしておけば急変ではなく当然の気象変化だと分かるはずです。その日に登山口に着いて上空を見て、ちょっと曇っているけれど大丈夫だろう程度の判断で山に入る人のなんと多いことか。正常性バイアスの考えはこと山に関しては危険思想です。
【山爺の一言メモ】
正常性バイアス
危険や脅威が迫っていることを示す情報に対して、過小評価してしまう傾向のこと。確かに危険が迫っているのに臆して縮み込んでいては助かる命も危ういので勇気を持つことは必要だが時と場合によりますねえ。
大阪のグループも前日入山して宿泊していたのだから出かけるのは仕方がないとして、なぜ、予報を無視して大峠⇒三本槍ヶ岳⇒清水平⇒朝日岳⇒峰の茶屋⇒駐車場と計画通りのロングコースを選ぶのかなあ。温泉宿の人から早く下山するようにアドバイスを受けていたようなのに。
三本槍ヶ岳あたりで天候が悪化しだしたはずだ。それなのに、なぜ引き返さずさらに進んで風雨の強い地帯を通って帰ろうとするのか?。遠回りになるが一旦温泉宿に戻り沼原経由の樹林帯を選んで帰るとか。他に安全な選択肢はいくらでもあったはずだが、・・・
乗用車を利用して麓の登山者用駐車場に車を止めていたとなると事情は大きく変わる。無理しても元の所(駐車場)に戻ろうとするだろう。
彼らの根底には正常性バイアスと”せっかく来たんだから”の思想が働いたに違いない。
①せっかく来たんだから
②行けるとこまで行こう
山爺はこの2つの言葉が大嫌いである。この2つの考えはこと山に限って言えば遭難のもととなる。
山爺の実体験に、こんなことがあった。
山爺が雨中、単独で入山、午後1時ころようやく山小屋にたどり着いて一息入れていると5~6人のパーティのリーダーらしき人が
『せっかく来たんだから空身で〇〇岳にアタックしよう』・・・でた~せっかく来たんだから。
え~ぇ!?この雨の中、滑りやすい岩場のあるところ通過して、しかも何も持たず?アタック(攻撃)?だってぇ、戦(いくさ)にでも行くんかい。・・あ~やだやだ。こんなリーダーとはとっとと別れたほうがいいよ。と頭の中で呟いた。
行けるとこまで行って進退極まって救助要請する人々のなんと多いことか、今は携帯で救助要請が簡単に出来るのでいとも簡単に救助をお願いしちゃう。救助隊もたまったものではないねえ。
猫の木登りじゃあないんだから、行けるとこまで、ではなく、行って戻れそうなところまでとなぜ思わないのかなあ。
【山爺の悪天候時の山歩き信条】
①また来よう・・・神様(天気)には勝てない。三十六計逃げるに如かず、温泉で一杯じゃあ。
②戻れるうちに戻ろう・・名将は常に退路を確保しながら戦う
【川柳】
・行けるとこ そこまで行って 救助され
・せっかくと 無理を重ねて 災厄に
長々ととりとめのない文章を書いてしまいました。目を通していただき深謝・深謝。
追伸:温泉宿煙草屋には前日(5日)30人の宿泊者がいた。夕食時、宿の主人が明日は天候が崩れるので早めに下山するように、遠回りだが樹林帯の中を下山し沼原からタクシーで帰るのが安全と呼びかけていたようです。素直に受け止めて3組の方々は翌朝に(10人くらい?)タクシーを呼んでそうしたようです。・・その方々は命拾いしたのかもね。
4人死亡の山岳遭難 「やめた方がいいのでは」旅館主は声をかけた (msn.com)