9月に入り、7月下旬からず~っと!!どんよりした空でしたが久しぶりに青空が現れました。実に50日以上振りのことです。本当に今年の夏はヘンテコな天候でした。作物の生育が心配されるところです。
毎日のように北アルプスや八ヶ岳のライブカメラをチェックしていたのですが連日お山は雲に隠れて見えず。
いったいどうなってしまったのだ今年の夏はと嘆いておりましたが、9月3日になってようやく赤岳・阿弥陀岳山頂を望むことが出来ました。
さ~て、と思ったら9月7日現在、あっという間にウジウジした天候に戻ってしまいました。こうなるともう笑うしかない。まさに女心と秋の空でげすなあ!(ヤケ笑)
こうなったら9月下旬~10月初旬を目標に再度登山計画の練り直しです。
暑い夏の間は眼中になかったのですが八ヶ岳には本沢温泉という秘湯があります。交通機関を調べると北陸新幹線を利用すれば羽生⇒熊谷⇒佐久平⇒小海(バス)⇒稲子湯という経路で午前中に登山口に着くことが分かりました。
ここから徒歩4~5時間で本沢温泉に入れます。
このルートなら平日早朝に出かけても通勤ラッシュに遭遇することなく快適に行動出来そうです。
ここは山小屋といっても限りなく旅館に近い施設でかけ流し内湯と野趣満点の露天風呂があるのも魅力です。特に宿自慢の露天風呂は標高が日本で一番高いところにあるとか。
料金も相部屋2食付¥8700素泊¥5800で利用できます。
ここならほかの山小屋と違い¥8700を出す価値はありそうです。
【山爺の一口メモ】
八ヶ岳の硫黄岳直下に湧く日本最高所野天風呂(2150m)「雲上の湯」と泉質の違う「苔桃の湯」、2つの天然温泉が楽しめます。通年営業の山小屋なので四季を通じて多くの山仲間や立ち寄り湯客に親しまれ、特に秋の本沢温泉周辺の紅葉は実に見事です。
ちなみに山のいで湯の標高ランキングは左画像の通りですが4位と5位は栃木県にあり山爺はいずれも何度も訪れ入湯体験済みです。
大まかな計画は2通り
第1プラン(限りなく希望に近い)
1日目:稲子湯⇒本沢温泉(泊)
2日目:本沢温泉⇒夏沢峠⇒硫黄岳⇒横岳⇒赤岳⇒キレット小屋(泊)
3日目:キレット小屋⇒権現岳⇒三ッ頭⇒天女山⇒甲斐大泉駅
若い時ならなんの心配もしないのですが・・ほんと!これ以上歳はとりたくないもんだね。キレット小屋へは悪いけれど予約は入れずに我が体力がバッテリー切れになったら途中の山頂小屋泊まりで翌日権現岳は割愛して県境尾根または美濃戸口へ下山することも考慮にいれよう。
第2プラン・・(サボ郎君はこちらにせよと耳元で大騒ぎ)
1日目:稲子湯⇒本沢温泉(泊)
2日目:本沢温泉⇒夏沢峠⇒硫黄岳⇒天狗岳⇒黒百合ヒュッテ(泊)
3日目:黒百合ヒュッテ⇒渋の湯⇒(バス)茅野駅
第2プランは若い時この逆コースを歩こうと渋の湯から入山し黒百合ヒュッテに1泊、翌朝、本沢温泉を目指すも天狗山でアイゼン(靴に装着する鉄の爪)が壊れて黒百合ヒュッテに引き返した苦い体験があります。いつか再挑戦をしたいなあと思いながらとうとうこんな歳になってしまいました。来年こそ春山シーズンに踏破したい。その偵察も兼ねることができます。
また天候が思わしくない場合の選択肢でもあります。冷たい霧雨の中の長時間歩行は面白くもなんともない。いくら好天を狙っても山の天気は気まぐれだからねえ。なんせ八ヶ岳の神様も女神だからして・・・とかく女心と秋の空は・・・苦労するねえ、ご同輩、諸兄!。
【山爺の一口メモ】
八ヶ岳と富士山の女神様の背比べ騒動伝説
むかしむかし、おおむかし、八ケ岳がまだ活火山だった頃のお話にさかのぼります。
その頃は、富士山も活火山で煙をあげていました。富士山の神様は「木花柵耶姫(このはなさくやひめ)」、八ケ岳の神様は「磐長姫(いわながひめ)」、いつもこの神様は、お互いの自分が一番高いとお互いにいっていました。
ある日の事です。
富士山の神様が八ケ岳の神様に向かい、「わたしのほうがあなたより高いのよ」と言い八ケ岳の神様は「わたしのほうが高いわよ!」と、喧嘩になりはじめました。
その結果、見かねていた如来様が、この喧嘩をいいかげんやめさせようと思い、「水裁判をしてやろう」との事になり八ケ岳の峰から富士山の峰まで長い樋をかけ、そこに水を流したそうです。
すると、水は八ケ岳から富士山へと流れ、八ケ岳のほうが高いという事に決まったのです。
ところがプライドの高い富士山の神様はこの結果にはどうしても承知ができなく、怒ってしまって思わず八ケ岳を蹴飛ばしてしまいました。
すると、天地も揺らぐほどに大音響と共に、八ケ岳は8つに裂けてしまいました。それで、八ケ岳は現在の形となり、富士山よりも低くなってしまったのでした。
このお話は、八ケ岳の裾野に住む私達の間で古くから言い伝えられているお話として有名です。
実際の高さは、蓼科山2530m、天狗岳2645mとなっています。
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8月27日(日)暇で暇で仕方がないので天気の良さに釣られて格安散髪目的で都内まで出かけました。
結構蒸し暑い中、上野公園を散歩し不忍池でドリンク休憩。もう盛りは過ぎていましたが。蓮の花が綺麗に咲いていました。
不忍池の辺に下町風俗資料館なるものがあるので入ってみました。
ここはずいぶん若い時に入ったことがあるのですが(2人で!)40年以上も前の話です。≧(´▽`)≦アハハハ
入場料は¥300と安いので涼み目的に入るのには格好の場所です。受付で入場料を払い入館。『写真撮影は?』『フラッシュをかけなければOKです』のお答えを頂いたので自由に写真を撮ることが出来ました。
中に入ると昭和30年代の趣の長屋が再現されたセットがあります。
おお懐かしいガッチャンポンプです。小さい頃これで風呂汲みをよくやらされた。風呂桶にいっぱいにするのに大変だったなあ。1時間も2時間もかけて水汲みするアフリカの子供に比べりゃどうってことはないけれど。
駄菓子屋さんです。思い出しますなあ。10円玉を握り締め駄菓子を買いに行った日々を・・あの頃10円でも結構使いでがありました。
当時の生活が滲んでいる居間です。
漫画巨人の星、星一徹の秘技、ちゃぶ台返しもこんな部屋で行われた。
♫二人で行った横丁の風呂や~の歌はもうちょっとモダンな風呂屋かなあ?。
ありましたよ。山爺の小さい頃、近くにこんな銭湯が・・・浴槽ではしゃいでいて見ず知らず(近所?)のじいさんに頭ごっつんされたりした。
中央のナイフは肥後守といって鉛筆削りや工作になくてはならないもので当時の鼻垂れ小僧や鼻垂れお嬢も全員筆箱に入れていた。
ただし不器用な奴はよくこれで手を切った。これを使用した傷害事件でもあったのか、ほどなくプラスチックのカバーのついた安全ナイフにとって変わってしまい肥後守は学校内持ち込み禁止になったっけ。
当時はこれで動物を虐待、ましてや人を刺そうなんて、これっぽっちも思いつかなかったけどねえ。
学校の机も低学年のうちはこんなものだったなあ。二人で仲良く座るタイプだった。
ただし当時は”男女7歳にして席を同じゅうすべからず”の質実剛健の気風がまだ強く男同士で座らされた。∧(_ _)∧ ゲロゲロ~
大正時代?の浅草ロックの通りみたいです。左右に芝居小屋や映画館が30軒以上も軒を並べて大層賑わっていたみたいです。栄枯盛衰、今は演芸館・木馬座ほか数軒残すのみです。
この資料館は1階と2階の狭いエリアしかないので大雑把に見るなら30分もすれば見学は終了します。山爺は1時間位いたかな?
すっかり昭和30年代、西岸良平の3丁目の夕日の世界にタイムスリップすることができました。
根岸方面に下町風俗資料館の分室?で旧吉田屋酒店が屋外にそのまんま保存されているらしいので足を伸ばすことにしました。
上野公園をまっすぐ北上し国立博物館前の通りを左折し東京芸大を右に見ながら通り過ぎて、どんどん行くと下町風俗資料館付属展示場である旧吉田酒店があります。
あいにくとこの日は地元桜木町の夏祭りの最中で展示場前広場はお祭り本部が置かれてしまい情緒もヘチマもありません。
中はこんなふうになっておりレトロ感満載です。表のお祭りのかまびすしさ、さえなかったらより雰囲気を味わえたのにとちょっぴり残念です。
まあ、地域の方々が日頃ボランティア管理しているのだろうから仕方がありません。