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2021年11月5日金曜日

キャンプ登山に挑戦するも・・・

価格が四千円と廉価だからとは言え性懲りもなくソロテントを衝動買いしてしまった。さてどこに行こうかなあと山地図を引っ張り出して候補地をさがしている。

条件としては公共の交通機関を利用して登山口から徒歩で2時間圏内、それ以上だと重い荷物を背負っての行動は古希もとうに過ぎた身の上とて体が悲鳴を上げる。

大菩薩嶺登山はどうだろうか。最も近い登山口である上日川峠からテントサイトがある福ちゃん荘まで1時間未満で歩けそうだ。上日川峠までのバス便は普段は土日のみだが紅葉時期は平日も臨時バス便が出ているようだ、結構、結構。

アウトドアーレジャーの中でもゴルフとキャンプに関しては、コロナの密に当たらないと勝手に思っている諸兄が大勢いるせいか、いずれも盛況だ。

ヒロシのボッチキャンプというBSの番組が隠れた人気でキャンプ人気をさらに煽っているようだ。

そのお陰なのかキャンプ場も強気の値段設定で値上がりムード、幕営料¥2000~¥3000なんて所もザラ、なんと高いことか。地べた借りるだけですよ、トイレなんて汚くてひどいもんです。あと¥1000も追加すれば素泊まり民宿や温泉宿に泊まれてしまう価格設定だ。確かに運営費÷顧客数で割るとそんな数字になるのだろうけれど、値頃感ゼロ、なんか理解に苦しむ価格設定である。

さて福ちゃん荘の幕営料はとみると¥400!安っ、ここに決めた。

10月中旬以降、日夜天気予報とにらめっこしているが台風が来たりして、さっぱり天気がよくない。かつて晴れの特異日とされた10月10日も今は通用しなくなった。これも温暖化による影響なのだろうか。

様子見していたら10月も中旬になってしまった。もたもたしていると寒くなってしまう。10月21日が晴れ、翌日は曇りの予報を得た。もう待てない。出かけよう。出発4~5日前より荷造りを始めた。

山小屋泊まりの登山と違いテント泊は自己完結装備が必要だ。テントやら照明、寝袋、マットなど余計なものが増えてしまう。あれやこれや放り込みザック重量を測ってみると9kgだ。これに食料を加えると2k増量で間違いなく10k超えになる。食料は手持ちで行くとしてザック重量を8k以下にしたい。


これいらない、あれもやめたと、減量に苦慮しているとまたまた天気予報が・・なになに、
気圧配置が冬型になるだとう。

当日の甲府の最低気温8℃の予報だ。福ちゃん荘の幕営地は標高1700mのところにある。

1700mー300m(甲府標高)×ー0.6℃=ー8.4℃ 幕営地は氷点下になっちまう。ひええ。装備見直し!、セーター、下着、カイロ、エアーマット、もろもろ追加してパッキングしたら総重量が11kになってしまった。これにカメラ2台を乗せると11.5kgだ、ふええ。

時間切れ、これで行くしかなくなった。重い荷物を背負い早朝に家を出る。武蔵野線で西国分寺に出て豊田駅で一旦下車、この駅から甲府行の始発電車が出る。それに乗り換えて一路登山バスの出ている甲斐大和駅へ・・・

順調に乗り継いで定刻通り甲斐大和駅9時27到着し9時50分の臨時バスに無事乗ることが出来た。10時30分プラン通りに上日川峠に降り立った。同乗の皆さんは日帰りなので軽装だ。重いのを背負っているのは山爺だけ。

ベンチに座り水分補給しながらしばし休憩。さて幕営地まで出発。重いなあ、荷物がズシッと腰にくる。この重さのためこの後に起きる悲劇に山爺はこの時点では気がつかない。

ハイカーの皆さんはここから山道を福ちゃん荘へ向かうが、山爺は歩きやすい林道(車通行可)を選んでのしのしと歩き始める。周りの木々はまだ緑色で紅葉には少し早かったかなあ。

順調に歩を進め12時前には福ちゃん荘に着いた。早速受付に向かう。ぶっきらぼうな親父が応対。小紙片に住所・電話・目的地・下山日を書かされる。なるほど登山届を兼ねているんだな、と納得。

横で受付表に諸事を記入をしているとカップルのハイカーと店の親父の面白い会話が耳に入った。ハイカーが、なにやら3個入り¥600のおにぎり弁当について件のぶっきら親父に質問している。

ハイカー『あのぉ このお弁当4個入りに出来ませんか』・・・二人で分けるつもりだろか?。
・・・そりゃ無理だろう、もう作り貯めしているだろうし・・(山爺)

親父『出来ません、3個入り買って!』・・・と手短か、かつ横柄な返答、へえ~よく商売になるなあ、ここだから通用する言い草で普通の商店街では即廃業だな・・・(山爺)

¥600のおにぎり弁当は梅干が入った3個入り沢庵付きだ。山中でこの値段は仕方がないだろう。聞く方も聞くほうだなあ。弁当2つ買ってあんたが2個食って旦那?に4個喰わせりゃいいだろうに、あるいは一つの弁当で仲良く1個半づつで我慢せいや・・・(山爺)

さて、受付も済んだのでテントを張って昼飯だ。テントサイトに行くとテントが2張りだけだ。おお、空いてるなあ。アウトドアーは、やはり平日に限ります。

大きな木の下が雨もしのげて幕営には好条件の場所です。すでに1張りテントがあるが、そこにテントを張ることにする。


テントを張っていると近くの茂みでガサゴソ音がする。ん、熊か?なんと親子連れの鹿が現れました。全然人を恐れない様子で悠々と草を食ってます。

設営も済んだので水を手に入れよう。1.5Lの容器を携え水場へ、水場はテント場のすぐ上にあり遠くまで汲みに行く必要がない。楽ちんだ。(山岳テント場の場合水場まで往復30分なんてところも多々ある)

昼食はバターロールと、ミルクセーキ、余興にガスコンロに網をのせ焼き餅に初トライしてみたが全然焼けず焦げるだけ、少しづつ、かじって食う羽目に・・バターロールも焼いてみたが、網にパンが食っ付いて持ち上がってしまい、それが剥がれた拍子に網が山爺の右手の上へ、アチチ・・指先が網目状のやけど模様になってしまいました。

腹も膨れ、人心地ついたら眠くなってきた。ちょっと昼寝しよう。実は夕べほとんど寝てないのです。(興奮して寝られなかった。いい歳をして子供の遠足じゃあるまいし)

しかしよく見ると山爺のテント小っさ。軽量設計でポールが1本タイプなので貧弱なのは仕方がないのです。(一般の自立型テントは十文字に2本ポールが入ります・・丈夫だがその分重量が増す)

夕方近くに夫婦らしきカップルがやって来て手馴れた様子であっという間にテント1張り設営。今日は都合4張りだけという贅沢な幕営状況です。

さて明るいうちに夕食の準備だ。福ちゃん荘が閉まる前にビールも買っておこう。¥450、1本購入、山小屋より少し安いが車で運べるにしては高いか。

夕食はドライフードのピラフと茄子の煮浸し、ソーセージのソース炒めを作る。作るったってソーセージ輪切りにして鍋に入れソースをぶっかけ火を通すだけ、ピラフはお湯を入れて15分待つだけですが、これが結構うまい。

夜も更けてきたので、といってもまだ夜7時30分、山小屋閉まっちゃったのでビールも買えないし、めちゃ寒いので寝るとするか。気温は3℃です。

右画像は我がテント内です。去年買ったテントより居住スペースは広いです。広いをいいことに中は散らかし放題。

ちらかしたまま寝たので夜間トイレに起きるたびライトが見つからず往生しましした。どこでも整理整頓は必要ですなあ。

夜10時、11時が過ぎても寒くてなかなか寝付かれません。外気温は1℃、テント内は7.5℃とやや暖かい?のですが地べたから冷気が上がってきます。

最初は下着姿で寝袋に潜り込みましたが結局、寒さに耐えられず寝られません。ダウンまで着込んでカイロ2枚も体に巻きつけようやくウトウト・・時折女の悲鳴・・じゃなくて牡鹿の嘶きでウトウトと、眠たところを邪魔されます。寒さと鹿の悲鳴で今夜もほとんど寝られませんでした。夜中にトイレに行こうと起き上がったとたん腰にズキンと激痛が・・あちゃあ持病の腰痛が襲います。

朝5時にトイレ起床しするとまたまた腰に激痛が、激痛に耐えながら外を見ると夫婦キャンパーは既に起きておりテント撤収中、あっという間に撤収完了していなくなりました。へえ、手馴れたもんだ。山爺は撤収にゆうに小一時間かかりますわ。それにしてもこんなに早く何処に向かうのかなあ。

さて6時に改めて起きてみるとあたり一面ガス(霧)で雨もぱらついている。腰痛がひどくて行動する気が起きません。そんな訳でテントに再び潜り込み1寝入り。

7時に改めて起きて猛烈な腰の痛みに耐えながら朝食準備、朝食はドライ白米でお茶漬け、ミニラーメンを作る。福ちゃん荘は静まり返っております。

8時、テントはそのままで(ここのテント場のチェックアウトは曖昧で決まっていないようです・・12時過ぎにテント撤収でもOKでした)痛い腰を気遣いながらサブザックに雨具、軽食、を放り込み首にカメラぶら下げ大菩薩峠に向かう。天候は濃霧で時折小雨がぱらつく最悪の状況です。

歩き始めは猛烈に腰が痛いが歩き続けると麻痺してくるのか、あるいは脳内麻薬が出るのか痛みが消える。

登山者の多くは林道を毛嫌いし山道を歩くのが常なのですが今日は山小屋が荷揚げに利用する林道を歩く。軽トラが通れる林道は起伏が少ないので歩きやすいのです。

立ち止まって息を整えるため小休止すると、歩き始めがズキンと腰にくる。まいったなあ、コロナ渦ですっかり腰が弱ってザックの重量に負けたようです。無事に家に帰れるだろうか、先行き不安。

それでも1時間も歩き続けたら霧の中に介山荘が見えてきました。大菩薩峠に到着です。介山荘には誰もいません。

店も開いてはいるようですが節電のためか中は消灯。昨日のハイカーたちの混雑が嘘のようです。

さて、現地到達の証拠写真を撮影しよう。

霧で視界は10mもないようです。あたりは真っ白で何も見えません。


五里霧中を地で行く世界に入り込んでしまいました。

おまけに寒いのなんのって。こんな天候の時、軽装備で道に迷い進退極まったら一巻の終わりだろうなあ・・が実感で伝わります。

軽装で行けるところまで行こう的な考えがいかに危険かよくわかります。

私のミニザック内には本格雨具上下と万が一のためアルミシートで出来たレスキュー袋、携帯ライトが入ってます。

それにしても天候が回復する兆しはありません。

とりあえず賽の河原にある避難小屋まで行ってみようと思いましたが腰は痛いは、霧は深いは、寒いは、コンデション最悪です。

だめだこりゃ、去年の那須登山に続いて悪天候のため引き返しです。

晴れたらこんな眺望が得られるというのに、最近木花開耶姫に嫌われ通しです。わし、最近なんか嫌われるようなことしたかなあ。(上のガスっているところが晴れると左画像のような景色が見えます)

下り道は普段は楽ですが、今日は違います。腰に体重が掛かるためちょいと重心が外れると痛みが起きます。

そろり、そろりとすり足忍者のような格好で下山して行きます。誰もいなくてよかった。こんな格好の登山者は本来いません。小雨降る中、11時ころ福ちゃん荘のテント場に戻ってきました。登山靴のままテント内に倒れこみました。

いつの間にか寝てしまったようです。気が付くと12時近く、上日川峠のバスの時間は2時です。うわあ、のんびり昼食を食べてる暇がなくなりました。外は雨、雨の中のテント撤収など初めてです。どうやってテント撤収しようかなあ。結局、テント内で装備や残りの食料をザックに全て詰め込み、最後にテントを畳んで手持ちの手提げ袋に押し込んだ。

痛みを堪えて、えいやあ、と重いザックを担ぐ。山爺が陣取った幕営地は木の下の一等地。山爺が撤収完了したとたん側に設営していたカップル達が自分のテントをひょいとつまんで移動して私の跡地に収まった。あらら、山爺が寝ている間、近くで待っていたんだなあ。この爺いめ早く起きろと心で叫んでいたにちがいない。悪いことしたなあ。

重いザックを担いでとぼとぼ霧の林道をひたすら歩き続け、なんとか2時のバスに間に合うことができました。


無事に家にたどり着けますようにと神仏に祈願しつつ、電車乗り継いでなんとか家までたどり着きました。

さて、翌朝から数日間は猛烈な腰の痛みで寝返りも打てません。咽頭炎を患って以来突然でる咳が大敵で咳込たびに猛烈な激痛が腰に・・・その時は誇張ではなく目がくらみます。

なんとか腰痛が和らいで普通の生活が戻ってきたのは11月に入ってからでした。もう、山は引退かなあ、

しょぼん (´д`)

【川柳】

・年寄りの 冷や水たたる ソロキャンプ

・年を知れ 重荷たたるや ソロキャンプ

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