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2017年5月12日金曜日

貨幣博物館ほか東京散策

世間ではゴールデンウイークとかで連日マスコミがやれ9連休だの交通渋滞だのと、かまびすしい。
山爺としては今のところ毎日がシルバーウイークで大連休である。(笑)どげんかせんといかんとです。

連休中は家内や娘たちも朝から一緒なので毎日顔を付き合わせる。毎日ではお互い憂っとおしいだろうからと気を利かして1日くらいどこかに出かけることにした。といっても旅行や山歩きはどこに行っても混雑している。いつでもいける境遇なのにわざわざ混雑に巻き込まれに行くのも愚策というものであろう。

PCでネットを検索していたら、5月3日~5日東京都体育館で日本障害者スポーツ協会主催の共生スポーツ祭りなるものが開催されて共催のTBSにより5月4日の13:30~吉田類のトークショーがあることを知った。しかも無料である。これは聞きに行かねばなるまい。

吉田類とは知る人ぞ知るBS・TBSで毎週月曜日21:00~22:00に放映されている『吉田類の酒場放浪記』に出演しているあの吉田類である。都内や関東近県の街の庶民的居酒屋の暖簾をふらりとかき分け、ひたすら酒を飲むだけ、ただそれだけのたわいのない番組である。

見ようによってはなんともひどい番組であるが、居酒屋で自分も呑んでいる雰囲気に浸れることと類氏の軽妙な会話が面白い。地デジ民放各社が相変わらず白痴然とした番組ばかり流す昨今、山爺お気に入りの番組の一つである。

ナレーターの声優、河本邦洋が掛け合い漫才よろしくつぶやくのがまた絶妙なのであるが、河本氏が吉田氏を評して曰く、『高知県が生んだ偉大なよっぱらい』と。


山爺の一口メモ】

吉田 類は、高知県高岡郡仁淀村出身の酒場ライター、画家、作家、タレント、歌手。名前の「類」は通称

トークショーは午後からである。午前中時間があるので前から行こうと思っていた日本橋にある貨幣博物館で時間を潰すことにした。

地下鉄半蔵門線三越駅下車、地上に出るとすぐそばにその博物館はある。先に道路一本挟んだ日本銀行本店のぐるりを見学しようと行ってみたがなんと工事中で外周ぐるりと工事塀で囲まれて無粋ったらありゃしない。

景観台無しである。博物館に戻り入館しようとすると厳つい警備員が立っている。

入ろうとするとこの警備員愛想よく『こんにちは』と挨拶するではないか。仕方なくこちらも『こんにちは』と挨拶を交わし中に入る。

普通、受付けは女性と決まっているがなぜかここは受付けも男子警備員である。お金を扱う場所だからかなあ?(下画像赤丸)

ここの博物館は無料であるが入館者名簿に記帳しなければならないらしく警備員に記帳を促される。面倒だなと思ったが、なあに居住県名だけ書けば良いのである。

博物館は2階にある。2階のフロアーに到着すると右側に土産物屋がまず目に付いた。売り子の女性が愛想よく土産物を説明する。お札ハンカチや貨幣まんじゅうやらキーホルダー面白いものがずらりとある。

『いかがですか』と言われたので鼻の下を伸ばしながらか『帰りにネ』と言い展示コーナーに移動する。

うわあ!いるいる見学者がたくさんいるではないか。順路に従いまず古代の貨幣展示コーナーから鑑賞開始。

一般的に貨幣流通の最初は708年の和同開珎が有名で『何円張ろうか和銅銭』と覚えたもんだがそれ以前に試作された銀貨の無文銀銭や銅貨の富本銭が展示してあった。

ときの大和朝廷は懸命に貨幣の普及に努めたようだが和同開珎も含め実際の流通は思わしくなかったようである。

そりゃそうだろう。いきなりヘンテコな価値のない丸いものを押し付けられ、これで物品よこせと言われたら誰だって『何なんだこれは、お前気は確かか?』と拒否するだろう。

したがって、実際は塩・米・布といった物品貨幣または商品貨幣が流通し続けた。貨幣流通が本格化してくるのは中世の室町時代以降らしい。

昭和に入ってからでさえこんな話がある。(本当かどうかは怪しいが)

九州の人吉の山奥五家荘五木村を旅行をしたある人が雑貨屋で買い物をし当時流通して間もない¥500硬貨(昭和57年発行開始)を差し出したところ店番の婆さんがその硬貨をしげしげと見て『年寄りと思って馬鹿にするでねえ。こんな銭は見たことがない』といって断られたそうだ。普段何気なく使っているが銭の価値観とはそんなものである。

展示は2階のフロアーだけであるが古代から中世、近代、そして現代とわかりやすく展示してあり期待以上の成果を得た。笑えるのは今の千円・五千円・一万円そして悪名高き二千円札がガラスに入り壁に展示してあることであった。ん!別におかしくないか?でもなんか笑えた。

一円札や十円札、百円札は今でも使えるそうですが実際使う人は誰もいないだろう。山爺は小学校4年生のころ?十円札を一度だけ使ったことがある。なぜ手に入れたかは覚えていないが当時でもすでに珍しかったのでしばらく手元に持っていたが駄菓子が買いたくなってついに手放してしまった惜しい記憶がある。その懐かしい十円札とも久々に対面した。

一億円の束のレプリカがショーケースの中に入っており左右の穴から実際持ち上げることが出来る。一万円のお札は一枚1gだそうで、これで10kgあり相当重い。この間起きた福岡の3億8千万の強奪事件は被害者は一人でこれを運んでいたのだから恐れ入ります。どうやって運んだのかなあ。台車使ったのかなあと下衆の疑問が沸く。

38kgもあるのでは、奪う方も相当の体力を要しただろうにねえ。山爺とは無縁の世界です。はい!。

約束通り、帰りに売店に立ち寄りお札のクッキーと銭形まんじゅうを購入して博物館を後にした。都内にはまだまだ面白そうなミニ博物館が沢山あるのでこれからもせっせと足を運びたいものです。

11時を回ったのでいつもの通り秋葉原電気街に移動しLED電球と5月中旬に山行予定なので山用品販売店(日品)でドライフードを数点購入した。

12時30分に千駄ヶ谷に移動し東京都体育館で開催されている共生スポーツ祭りへの会場へと急ぐ。

おお!なかなかの人だかりである。身障者による車椅子バスケットの試合がメーンイベントであるが場内に地場産業コーナーや売店もあり盛況です。家族連れで賑わっていました。

トークショーまでまだ30分以上あるので体育館内で車椅子バスケットの模様を見学しようと体育館に入ると入口でスポーツドリンク500mLを頂きました。

いやあ今日は無料ずくし結構、結構と気分を良くする。
  
試合はまもなく準決勝が宮城と埼玉のチームで争われるらしく盛んに練習をしていた。その練習たるや真摯で激しく、その光景を見て健常者の山爺としても、日々ぐうたらしていてはいかんと反省させられました。

2階のフェンス越しに練習風景を見ていたところ、ふと横を見ると1人置いて隣に見たような人がやはり見学しながら連れの人と話している。あっ、その声は!吉田類だ、間違いないトレードマークの鳥打帽子に黒い服装、偶然にも隣り合わせになってしまった。

よほど『類さんですね。いつも番組見てます』と声を掛けようとしたが、マネージャーらしき人と会話中なので遠慮した。しばらく吉田氏の様子を見ていたがやがて別の場所に移動していった。

いやあ、いきなり有名人に出くわすと咄嗟に声が出ないもんですなあ。大阪のオバチャンのような厚顔無恥がうらやましい。

トークショー5分前になったので会場にいってみるとなんとすでに黒山の人だかり。しまった、もっと早く席取りをしておくんだったと思ったが後の祭り。

なんとか人をかき分けながら中に潜り込み、見える位置を確保した。司会はTBSのアナウンサーである(名前は失念)

写真を撮ろうとすると(撮っちゃったが)TBSのロゴ入りシャツを着たイベント関係者がすばやく飛んできて『写真はご遠慮ください』ときた。見やすい後方に移動して写真を撮るとまたもや、『恐れ入ります写真はご遠慮ください』と注意された。『いいじゃねえか、減るもんじゃなし』しかしなんで写真ダメなんだろうなあ、としばし考え込む山爺でありました。

吉田先生、最初から使い捨てプラ容器にビールを波々と注いで飲みながらトークをする始末。酔っぱらいの面目躍如である。結局45分のトークの間に中ジョッキー2杯くらい飲み干した。いやはやなんともである。

酒場放浪記の収録では概ね1升くらいの酒を飲んでしまうというから、かなりの酒豪に違いない。

観客の中には用意のいい奴がいるものでビールを飲みながらトークショーを聞いている者が2、30人はいた。

吉田氏が何かに付け『乾~杯』と手に持ったビールを高々と上げると『乾~杯』と呼応する。まさかTBSの回し者のサクラではあるまいなと疑うほどノリが良い。

今日は貨幣博物館といい、トークショーといい、全て無料でおまけにスポーツドリンクまで頂いた。なんか得した気分の一日でした。


貨幣博物館ほか東京散策の項・・完







(1949-06-0