夢で見たつまらない話を今から書きます。m(_ _)m・・・11/28
昨日(11/27)去年亡くなった愛猫の夢を見た。場面は我が家らしいのだが雰囲気は少し違う。周りはどうも洪水らしく水で囲まれて水没している家も見える。私の夢は大抵総天然色(古っ!)なのであるが今回もカラフルな家々が水没している様子が見えた。猫は私の背中にまとわりついたあと飛び降りてどこかにいってしまった。
行方が心配になり、どこに行ったと聞いた相手が実の兄で、猫のいる方向を指さした。夢とは不思議なもので、そのときはなぜ洪水が起き、なぜ遠く離れて住んでいる実の兄がそこのいるのか疑問にも思わない。
見ると普段使っている厚みのある見慣れた座布団(背もたれ)の上で寝ているのだが中央が膨らんだ形状で収まりが悪い上に乗って寝ているものだからそこからずり落ちているところであった。相変わらずドジなことをやるなあこの猫は、と思ったあたりで目が覚めた。心理学のフロイトならこんな心情をどう分析してくれるのだろうか。
雄であった愛猫は下の娘が随分と幼い頃、家内と散歩中に近所の公園に捨てられていたのを拾って来たのが縁で飼い始めた。娘達が『たまら』と命名し、以来16年の長きに渡り我が家で愛嬌を振りまいてきた。生まれたばかりで、まだ目が開いていない時から育てたので自分のことを人間と思っている節が多々あり、猫らしからぬ変なところが随所に見られたおかしな猫に成長した。
たとえば不意に背中を触ったりすると『ううん!』といった人間と同じ音声で声を出すのでそのたびに家族は大受けであった。言葉も『ごはん』と言えばすっ飛んで来るし、『ないない』というと目を瞬き寂しそうな顔をした。『待て待て』といえば餌を見ないでそっぽを向くといった具合でかなりの言葉を理解した。
また、いたずら等した時に叱りつけると毛造くろいして誤魔化したり、終いには専用のハウス(手作りダンボール製)の方にトボトボ歩いて行き、ふて寝する愛嬌者でした。
かなり賢い奴でガラス戸の鍵は小さな2重ロックまで外して開けたり、玄関のロックレバーをひねれば開くことをいつの間にか学習し開けようとする知能がありました。
掃除機が大嫌いで(大抵の猫は騒音の大きな掃除機は苦手のようです)いつも逃げ回っていたが、ある日、私がこたつでうたた寝をしているとカツン!カツン!と不思議な音に気づき目が覚めました。なんだろうと目をやると猫が、こいつめ、こいつめと一生懸命に携帯用の小型掃除機に猫パンチを食らわせている最中であった。大きな奴は怖いけど小さいこいつなら大丈夫と思ったのだろう。愉快なことをする奴である。
それだけの個性を持ち合わせただけに、私の夢枕に立ったと言うことは、『俺のことを忘れないようにブログで紹介しろ』とでも言われているよう気がしたのでブログで紹介することにした。
この猫が我が家に来るまでは、幼い娘二人はいつも口癖のように『なんかつまんない』を連発していましたが、それからはその声を一度も聞くことがなくなりました。よい遊び相手になったようです。二人が素直に成長したのもこの猫に負うことが大だったのでは、と本当に感謝しています。
娘達が成人してからは、ともすると家族の会話が途絶えがちになってきましたが、その時に救ってくれたのもこの猫でした。
猫を介して間接的に会話をするのです。お互い直接には言いづらいことを『そんなこと言っても無理だよねぇ、たまちゃん!』といった具合に・・猫は10年過ぎると人間の会話を理解するとよく言うので猫としてはえらい迷惑だったろうねえ。
いつの間にか家族の中心的存在となってしまった猫であったが去年の10月31日の早朝に突然亡くなってしまいました。
16年といえば人間では80歳近くの老人に該当していたようですが食欲も旺盛、洗濯機位の高さには軽く飛び乗れるくらい元気だったので我々にも油断がありました。死因はどうも毛玉が吐き出しきれずに喉に詰まったようです。日頃の状態をよく観察しケアして病院で見てもらえばまだまだ長生き出来たのではと今でも悔やんでいます。
亡くなったペットは市で焼却してくれるということを普段から知っていたのでそうしようとしたが、一度に数体くらい焼くようで娘たちから『それではかわいそう、お金出すから別のところで』と健気なことを言う。そんな訳でペット専用の葬儀社に持ち込み我が愛猫だけで火葬、骨壷に収め、と人間並みの葬儀をしました。
当日は土曜日だったので家族4人とも立ち会うことができました。娘達から『亡くなる時も休みの時を選んで本当に迷惑の掛からないお利口さんだ』のつぶやきが・・・本当に利口な奴でした。今、我が家の居間で供養しています。
ペットロス症候群という症状を知識としては知ってはいましたが、いざ体験してみると本当に辛いもので半年位は本当に寂しく家族の会話も沈みがちになります。猫を飼っているという存在ではなく完全に家族の一員あるいはそれ以上の貴重な存在だったのだなあと今もつくづく思っています。
愛猫が亡くなってから1週間後丹沢の塔ノ岳という山に1泊で出かけましたが山頂で猫に遭遇しました。思わず『おまえ、たまか?』と声をかけると『にゃ~』と返事をしてくれました。やはり私の後をついてきたのかと感傷的になり話しかけ続けました。
人馴れした猫のようで、しばらく私のそばにいましたが私には生憎と猫に与える餌らしき持ち合わせがありません。そのうち猫の方も諦めて別の登山者の方へ餌をねだりに行ってしまいました。
帰宅後その話を家族に話すと『好奇心旺盛なたまちゃんだから追いかけて行ったんだね、きっと』と喜んでくれました。
てっきり近くの尊仏山荘の飼い猫かと思っていましたが、後でHPで調べるとどうも麓から上がってきた野良猫で尊仏山荘の飼い猫とは相性が悪く追い出されてしまい、登山者から餌をもらいながら山頂付近のどこかで暮らしているらしいとか。・・・今年でもう3年くらい越冬し住み着いているスーパー猫らしい。
寒いのが最も苦手の猫がなぜ厳しい雪山の中で生き延びることが出来るのだろうか、頑張れよと応援せざるを得ません。今年は雪も多く厳冬の予報です。この猫が無事越冬できるか心配です。
1人旅のこと
今のところ失職中で日程に自由が利く・・・所謂暇なので、こんな時こそと思い立ち、格安高速バスを利用した大阪・京都・奈良へ放浪の旅に出かけようと考えています。・・・旅行業者のキャッチコピーではありませんが『そうだ!関西へ行こう』です。
高速バスは早割特別料金制というサービスがあり早めに切符を購入すると格安で手に入ります。出発の2~3週間前なら往きは(木)朝発で¥4000、復は(日)朝発で¥4300とメチャ安で購入できます。これが1週間前くらいになると¥6000~¥7000位に跳ね上がります。
そんな訳で、なにはともあれ大阪までの往復切符をNet予約で入手済みです。これで関西ぶらり旅実施はほぼ確定です。バスは往復ともトイレ付きなのでおションの近い山爺でも安心です。
去年もこれを利用して、犬山城・彦根城・姫路城と建造時から現存する古城巡りをしてきました。
夜は大阪のこれまた格安のカプセルHを利用し夜の居酒屋を訪問、人気番組、BSのTBS吉田類の酒場放浪記の真似を実践しました。
今回は奈良の東大寺・興福寺・法隆寺、京都の八木邸(元新選組屯所)・御所を巡ります。奈良のお寺は高校の修学旅行以来の訪問で一際楽しみです。
法隆寺は一般的には聖徳太子が建立したとされているが哲学者の梅原猛ほかの学者によれば、ここは聖徳太子の怨霊の祟り封じのために藤原一族が建立したとの説もあり興味深い。
徳のついた人物の大半は諡号(死後の忌名)で大方は無実のものを陥れた側が祟りを恐れ神社を建立、偉大な名前とともに供養したものが多いという。崇徳・安徳・孝徳・称徳・順徳・聖徳いずれも不遇な死に方をしている場合が多いとか。
最近では聖徳太子そのものが実在したかどうかも疑わしいとの学説もある。あの乙巳の変(いっしのへん)で非業の死を遂げた蘇我入鹿の祟を恐れて、聖徳太子という架空の太子をでっち上げ祀ったのではという。そのために、あんな立派なお寺寄進したのだとしたら藤原一族よほど後ろめたいことをしたのかなぁ。。
そういえば私が若い頃に習った日本史では大化の改新と言っていたはずだが最近はNHKでも乙巳の変と言い換えている。そりゃあそうだろう。改新でもなんでもなく、なにも悪いことをしていないのに、ただの権力争いで殺されたのだとしたら、蘇我入鹿としてみればいつのまにか大悪人とされてしまい、『ふざけるな何が改新だ!よ~し祟ってやる』と、こうなるだろう。・・現代の祟られる側の誰かがこれを意識し言い方を変え始めたのだとしたら?。(笑)・・いや笑い事ではなく恐ろしいことです。
この辺の知識をもう一度おさらいしてから法隆寺を訪問するのも面白いと思います。
夜は大阪の道頓堀・難波で山爺版酒場放浪記をやりたいと思ってます。
去年立ち寄った天満商店街の鉄板焼屋さんを今回再訪しようとも考えてます。山爺よりひと回り干支が上の女将に再会するのが目的です。・・覚えていてくれるかなぁ、無視されるとガッカリですが・・・。
愛猫のこと・一人旅計画のこと・・完