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2017年2月11日土曜日

鎌倉 葛原岡~高徳院大仏コースハイキング

ご同輩諸兄殿!まだまだ寒い日が続きますが2月4日(土)は暦の上で立春です。杉作!日本の夜明けは近いゾ(嵐寛寿郎の鞍馬天狗より)・・・って古いなあ。何はともあれ春はもう少しでやってきます。頑張ろうではありませんか。そういえばずいぶん日が延びてまいりました。と言う訳で。山爺にとって本年度の山行事の始まりです。

去年は天候不順という事も手伝って山歩きに関しては寂しい実績しか残せませんでした。これではいかんです。『どげんかせにゃいかん』です。・・・去年の実績は鎌倉天園ハイク・秩父天狗~破風山・七ッ石~雲取山と寂しい実績しか残せませんでした。

まあ、ここんとこ仕事もせんで寝てばかりなので体力が相当減衰しております。よって本年最初のハイキングの場所は無理なく歩け、いつでも中断して帰宅できる鎌倉のハイキングコースより選び首題のコースに決めたわけです。・・・鎌倉は去年も明月院から天園ハイキングコースを選んで歩きました。

予定は北鎌倉駅→東慶寺→浄智寺→葛原岡神社→銭洗弁天→大仏切通→高徳院(大仏)→長谷駅→鎌倉駅

のコースで寺院見学も含め4時間と見積もりました。

今回の計画に合わせ小型ザックも新調いたしました。いままで使っていた奴は今風ではなく奥行というか厚みが35cm近くもあるので荷物を適当に放り込むと団子状態になり背負うと誠に格好が悪い。収納に工夫が必要でした。

そこで奥行が浅くて20~30LクラスのものをNetで探していたところ・・・ありました。奥行15cmです。しかも値段は¥890とタダみたいな価格で送料を含めても¥1500と居酒屋1回分にも満たない嘘みたいな値段です。

これは注文しなければなるまいと早速コンビニ決済して。入荷を待ちます。まあ鎌倉行まであと10日もあるから間に合うなと安心しておりましたがなんと、入金の翌日の10時には届いてしまいました。入金後24時間も経たないうちに手に入りました。通販恐るべしです。

カッターナイフを引き出しから取り出しダンボールを開ける。何度体験してもこの瞬間はなんか楽しい。    (^0^)


出てきました注文品が。おお!色合いもミリタリー調で渋く、生地も厚くて丈夫そうです。この値段で一丁前に腰バンドと胸バンドが付いてます。これなら体にきちっとフィットし肩への負担が少なくて済みます。こんな値段で商売になるのかなあ、といつも余計な心配をしてしまいます。Netの流通関係の皆さんに最敬礼です。

m(_  _)m


さて首題のハイキングに戻ります。

いつものように我が家を早朝6:30に出発しました。最寄り駅から北千住までは私鉄でここからJR常磐線に乗り換え上野へ向かいました。上野でまたまた上野東京ラインに乗り換え一路鎌倉へ。

横浜を8:30に通過、へえ~横浜意外と近いじゃんかこれなら通勤可能だなぁ、と妙に感心してしまいました。戸塚で横須賀線に乗り換えて8:52北鎌倉へ計画通り到着しました。ここまででかかった費用 私鉄¥720・JR¥920でした。この先、帰りの交通費以外はかかりません。食料を全部背中に背負っているのだからして外食産業のお世話になる必要性がありません。

大人の趣味としては、やはり山歩きが一番安上がりなのですかねえ。え!なんだって!散歩とラジオ体操が一番だ!なんてのは守銭奴ぽくってダメだぞ。

改札を出ていつものように軽くストレッチ体操をしてから歩き始めました。まずは縁切寺として名高い東慶寺へ。

東慶寺はご存知のように女性側から離婚することが難しかった封建時代にこの寺に駆け込めば離縁出来る唯一のお寺だったそうです。(たとえ追手に門前で捕まっても草履や手荷物を寺内に放り込めばお寺側から助けが入りセーフだったとか)・・・明治4年に尼寺の歴史を閉じて現在は男僧寺となっています。

東慶寺に到着し拝観料¥200を収めて境内に入る。この寺は山
爺にとって苦い思い出のある場所でもあります。実は20代前半に一度訪れたことがあります。

誰と?ふふふ!その頃、山爺にも一丁前に一つ年下の彼女らしき人がいました。毎週のようにあちらこちらデートしまくり有頂天でした。泊まりがけのスキーや旅行なんかも(残念ながらグループの清い交際でした、ハイ!)出かけたりもしてから・・で、鎌倉デートで運命の東慶寺にも平然と参拝に訪れてしまいました。

普通まともなカップルは縁起を担ぎここへは近づきません。山爺も縁切寺であることは知っていましたが、2人はこんだけ仲がいいのだから大丈夫と変な自信がありました。それから半年後、山爺は、何も思い当たる節はないのですが彼女が徐々に距離を置くようになり、とうとう疎遠となってしまいました。考えてみたら歴代多くの不幸な女が暮らした場所です。嫉妬の怨念が渦巻いていたのでしょう。祟られてしまったようです。若い皆さん。絶対カップルで訪れては駄目ですよ。ひどい目に遭うよ。・・・逆に別れたかったらおすすめポイントです。怨念渦巻く女の執念により直ぐに・・んん!駄目かな?二人が不仲ならそのままにされちまうか。
  (´▽`*)アハハ

山爺の本音を言うと当時も今も20代そこそこの男なんてまだ子供同然、結婚なんて頭の隅っこにあるだけです。一方女にしてみれば完全な大人、この辺の食い違いで見限られたのが原因だと思っていますが・・トホホの苦い思い出です。 (´Д⊂ヽウェェェン

閑話休題、

寺に入ると既に梅が咲いておりました。ここは山間に建てられたお寺です。まだ朝方なので日差しが入り切れていません。こんな状態ですが高級カメラをぶら下げたおっさん達(俺もだ)4~5人がシャッターを切っている。この条件ではいい写真なんか撮れまいに、と思いつつ山爺もパチリ・・山爺はブログ掲載用だからどうでもよろしいのだ!。









境内を3~40分ほど散策、水仙や椿も綺麗に咲いていました。春はもうすぐだ。






次は浄智寺に向かいます。

浄智寺は初めての訪問です。創建は13世紀の終わり頃です。正式には臨済宗円覚寺派金宝山浄智寺と言います。・・うわあ長い、落語の寿限無だよ!

長い階段を登り山門に到着、やはり拝観料¥200を払い境内に入ります。


左の建物は南北朝時代の創建のお堂です。歴史を感じますねえ。







右の画像はよくわかりませんが偉い人なのでしょう。多分!






 三角コーンまで仏様のお顔が付いています。うへ~ぇ!もったいなや、ありがたや、ありがたや。  m(_  _)m
 右の画像は横井戸という珍しい井戸です。山の多い鎌倉は横穴を掘るとこうして水が出たのでしょうね。便利だね、井戸の手入れも簡単で済むし。
仏様が朝日に映えて芸術的な絵が撮れました。南無まん陀仏!・・あれ臨済宗は何て唱えるんだっけ。









【山爺の一口メモ】

臨済宗は般若心経です。でも南無!はどの宗派でも使う、仏様への呼びかけで語源は梵語(サンスクリット)のnamasから来ております。意味は身命を捧げて服従し、おすがり致しますの意味ですから、今、巷でナマステ(こんにちは)と気軽に使っているが本来は大変意味の深いお言葉なのであります。南無阿彌陀仏!。





どうもお寺巡りをしていると時間の過ぎるのが早い。先は長いので浄智寺を辞して先を急ぎます。

浄智寺の左側の小道を登ると目的の葛原岡ハイキングコースに着きます。右画像は普通?個人宅の門です。さすがは鎌倉で誠に風情があります。こんな家に住める人がうらやましい。

ここからは山道です。鎌倉のハイキングは古都散策と山歩きの両方が楽しめるので実に楽しい。ただ惜しむらくは人里離れたというわけには行かず、山中であっても車の音や人の声がしょっちゅう聞こえてくることと、携帯コンロを使えない?ことにあります。

山歩きでコンロが使えないと昼食や喫茶が制限され食べる楽しみがぐう~んと低下します。せっかくの携帯コンロですが今回はお荷物となってしまいました。
 次の目的地葛原岡は後、300m、あっという間に到着です。

ここ葛原岡神社は後醍醐天皇の忠臣日野俊基公を祀った神社であります。建武の中興に功績のあった人ですが倒幕計画が漏れてこの地で斬首されたあわれなご仁です。

【山爺の一口メモ】

建武の新政・・山爺らは建武の中興として日本史を習った。

1324年、後醍醐天皇は天皇親政を目指し鎌倉幕府の打倒を画策します。後醍醐天皇の命により日野俊基は諸国を巡り反幕勢力を募りますが事前発覚、この天ちゃん一度は許されますがこれに懲りず1331年にまたも打倒鎌倉幕府を計画しましたが、またもや事前発覚し、ご本人は隠岐の島に島流しとなり、日野俊基は捉えられ鎌倉葛原岡でかわいそうに斬首と相成りました

俊基の辞世の句

秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん

時は過ぎて明治20年。明治天皇が俊基の功績を高く評価しこの神社を創建したんだそうな。右の画像が終焉の場所です。・・って高札に書いてあります・・ここで首切られたんかなあ。ひえぇ~だね。

現在では縁結びの神としてご利益があるということで今日も若いカップルが何組か訪れていました。

右画像の石は縁結び石で丸っこいのが女石、とんがっているのが男石です。うん!男石ご立派、さもありなん。です。はい!。

私も昔々鎌倉デートした時に、東慶寺なんか行かないでここに来ていたら人生変わっていたんかなあ。・・・と今頃回想に耽る山爺でありました。・・航海先に行かず、危ない!です。んん!違うか。
   (´⌒`。)グスン。
それにしても非業の最期を遂げた人物を祀った神社が縁結びなんかいな。訳が分からないね。



ここを150m下ると、かの有名な銭洗弁天があります。創建は1185年というから。鎌倉幕府が開かれた年です。

右画像の洞窟を抜けた反対側に神社があります。

【山爺の一口メモ】

山爺たち熟世代は源頼朝が鎌倉に幕府を開いたのは1192年(いいくに作ろう頼朝さん)と学校で教わったが、歴史学者によればこれは頼朝が朝廷から征夷大将軍の宣下を受けた年であり頼朝はもっと前に政権を奪取しているはずとされてます。

1185年平家が滅亡、後白河法王はあまりに強大な力を持った頼朝を恐れて、源義経を手懐け、頼朝追討令を宣下します。その結果はご存知の通りで頼朝が逆に勝利します。さらに後白河法皇に強談判し諸国の守護地頭設置権限委譲を迫ります。
現在では1185年が鎌倉幕府開府年とされているようで、学校でもそう教育している。いい箱、作ろう頼朝さんと語呂合わせが変わりました。ご同輩!恥かかないように覚えてね

ここは拝観料は取られませんが、ザルとロウソクを¥100で販売(ザルは貸出)しています。


この洞窟(画像)でザルにお金を入れて洗えばなんと後日、何倍にもなってお金が戻ってくるとされています。洗ったとたんに増えたら凄いのにねえ。Mrマリックが腰を抜かすわい。
  (´▽`*)アハハ

本当に何倍にもなるのならザルの貸賃料1万円でも山爺は借りますがな。ここから億万長者が出た話も聞かないのでお賽銭を些少、奉納して勘弁していただきました。


ここも若い時一度訪れています。もちろん、あの彼女とカップルで。・・・えへへ(^┰^;)ゞ

あの時は銭洗ったかなあ。10万円も洗っとけば今頃小金持ちに!・・ないなあ~だから多分洗わなかったんだあろうなあ。

小さいながら綺麗な滝も流れています。なかなか風光明媚なところでで多くの人で賑わっていました
 一旦、葛原岡まで坂道を引き返し、再びハイキングコースに入ります。眼下に由比ケ浜が見えてきました。









右大仏へ左は住宅地という道標がありました。
片方が住宅地と言うのがいかにも鎌倉ハイクらしくって笑えます。

 おお!結構急な道になり、山らしくなりました。

今日の山爺はダウンのコートを着ているので汗が出てきましたが、ザックが小さいので収納できません。








一丁前に鎖場がある危険なところもあります。

正月明けのなまくら身体の訓練にはちょうどいいハイクになりました。








 途中、ハイクコースから150m(もっとあるなあ)ほど外れたところに国の史跡大仏切通があるので立ち寄ることにしました。なんせ歴史上有名な鎌倉の切通しです。

特に大仏切通は鎌倉幕府滅亡時新田義貞軍と北条軍が激突した古戦場でもあります。見逃す訳には参りません。

場所まではきつい登りもあるので結構疲れます。














切通に到着です。・・なんか今一だなあ。・・・と思いここで引き返したのがまずかった。

ここからさらに下ったところに迫力ある切通があったのです。



こら!鎌倉教育委員会の皆さん?こんなところに看板立てるんじゃないよ。もっと下だろうが下!


今回は見損ねましたが本当はこんな迫力ある地域(右画像)があります。看板に騙されてしまいました。

鎌倉の古道は鎌倉7口といわれているので次回は切通しシリーズで歩いてやろうと思いついた山爺でした。








長い石段を降りて騒音漂う車道に出たところで本日のハイキングは終了となりました。時計は11時を回っております。

この車道を左に曲がり下ってゆけば露座の大仏がおわします高徳院があります。






ほどなく高徳院の仁王門に着きました。土曜日なので観光客でいっぱいです。



吽(うん)形像・阿(あ)形像、1対の仁王様がお出迎えです。・・画像は吽形像です。



後で調べたらこの仁王門は18世紀に別の場所から移築されたもので鎌倉時代の創建ではないようです。



いました・いました、鎌倉の大仏様と久方ぶりのご対面です。小学校6年の時だったと思うのですが。・・・あれからいたずらに悠久の時が流れてしまっています。

寅さんのセリフではありませんが。『私、今はただ反省の日々を過ごしておりますればどうかお許しくださいませ。』。です、はい。

【山爺の一口メモ】

正式名称は阿弥陀如来坐像、台座を含めた高さは13.35m・重量121t
(奈良の大仏は18m・重量250tだから奈良の圧勝)
1238年着工、6年後完成、当初は木造で作ったが大風で倒壊、1252年に今の青銅大仏となった。最初は大仏殿の中に鎮座していたが1498年の津波で大仏殿が流されてから宿無しで露座の大仏となりました。・・やはり津波ここまでくるんだ。

この大仏様、よくよく見ればなかなかのイケメンではありませんか。

歌人、与謝野晶子もこんな句を詠んでいます。

『かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな』 ・・境内の裏手に歌碑があります。

さすがは晶子ちゃん。男には目がないねえ。

『柔肌の熱き血潮に触れもみでさびしからずや道を説く君』・・とか、なんとかて言って口説いても相手は大仏様なので修行が出来ており無言(笑)

ここで私も一句浮かんだので本文の巻末に掲載致します。

この大仏は中にも入ることが出来ます。拝観料今時¥20って安い。鎌倉大仏偉い!

只同然の拝観料¥20を支払い中へ入る。ちゃんと料金係が一人いたが儲け出ないのではと余計な事を考える山爺であった。

中は意外と明るい。明るいはずで背中に明かり取りのための窓が付いています。

大仏の中です。丸い穴は大仏の首の部分です。
鋳物を鋳込んだままの状態がよく観察できました。

すっかり歴史観光をさせていいただきました。これで拝観料¥200とはありがたいことであります。南無阿彌陀仏・南無阿彌陀仏。  m(_  _)m

さてここからは鎌倉駅まで約2km、江ノ電の長谷駅まで約900mどちらに行っても、たいして変わりません。古都散歩がてら鎌倉駅方面を歩くも良しですが。江ノ電に乗ったことがないの長谷駅まで歩いて江ノ電経由で鎌倉駅から帰宅することにしました。

都内にもどり秋葉原界隈で時間をつぶし20時過ぎ最寄り駅までは取り合えず無事に戻ることが出来ました。

時間調整の訳は我が家とは反対方向にある行きつけの居酒屋に立ち寄ることにあります。

荷物を背負い、居酒屋ののれんをくぐりマスターに鎌倉行きを報告すると傍らに座っていた婆さんがいきなり、話しかけてきた。
『一人じゃつまらないでしょう』
『いや、一人の方が気楽でいいよ』
『ここきれいだね、と言う相手がいるから出かけると楽しいんだよ、一人は駄目だよ』

なにを言うかこの酔っ払いババアめ、と不愉快になる。どうせお前は他人の迷惑顧みず金魚の糞よろしく人の後をトコトコ付いて行くだけで一人旅の良さなんか永遠に分かるまいと独酌しながら一人ごちた。  

鎌倉大仏を拝観して発句

【川柳】

・柔肌に 触れもみで 12も子を設け・・・鉄幹との間に12人の子がいた。
・鉄幹は 晶子逃れに 道を説き   ・・・こう毎晩ではたまらん!。
・鉄幹は 道説き晶子 帯を解き   ・・・(゚д゚lll)
・詩歌より 鉄幹得手は 色の道   ・・・生徒や弟子に手を出しまくる色魔だったとか。
 
**いやあこの2人の下ネタならいくらでも句が浮かぶ。(≧∇≦)ブヒャヒャヒャ

【都々逸】

・すわり小便 大仏すれば 江ノ電、流れて 大迷惑  

鎌倉 葛原岡~高徳院大仏コースハイキングの項・・完

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