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2018年12月20日木曜日

18年度関西ぶらり旅・・・(前編)

各地の山は雪の便り、こうなると3月に雪が締まるまで高山の登山はお預けです。いつものように激安高速バスを利用しての大阪・京都・奈良にでもぶらり旅しよう。

出発日は12月7日(金)から4日間、往復は移動日なので実質2日間のぶらり観光です。早割の格安乗車チケット(往復¥7840)はひと月前にすでに入手済みである。

https://www.nishinihonjrbus.co.jp/search/

夜間運行のバスはさらにお得な便もあるのだが(¥2500くらい)一度利用して懲りました。夜行列車と違いバスは走行スピードを一定に保てません。道路の状況に応じスピードを上げたりブレーキ踏んだりでその都度加速度がかかり眠りを妨げられてしまいます。

また列車ならガタンゴトンと線路の響きが睡眠導入に役に立ちますがタイヤの回転音では一定のリズムが叶うはずもなく睡眠を妨害します。そんなわけで一睡も出来ずに大阪から帰ったことがあります。夜行なのでSAもあまり立ち寄らずに3時間ノンストップ、寝られないだけなら本読んだりして我慢することが出来ますが夜中とて照明点ける訳にもいきません。何も出来ず暗闇でじっとしていなければならないのです。拷問ですよあれは。

東京駅9時40分発青春特急7号に乗車すべく7時に家を出て通勤客に紛れて現地に向かう。それにしても青春特急の名称なんとかならんかねえ、JR東海さん。乗車客で青春に該当する人はちらほら、メイン利用者は中高年以上だよ。かめ7号とか弥次喜多7号なんかどうですかねえ。(^O^)

ちょっと出かけるのが早いのでは?ですって。そうなんですがこの後の便だと混雑して座席確保が難しくなります。また公共交通は何が起きるかわかりません。早めに出るに越したことはないのです。

8時50分ころに東京駅に着きました。構内をしばし探索、目的は昼食用の駅弁購入である。人々がせわしなく往来する中、八重洲中央口にある駅弁屋”祭”を探す。

え~っと、どこだ、いたいた、でっかい看板が出ている。人の波をかき分け弁当屋にたどり着く。
いやあ、あるねえ、¥600台から¥2000以上と選り取り見取りで目移りしてしまいます。値頃の¥1000、柿の葉寿司を購入しました。

お茶やらサンドイッチを追加購入していたら早、9時15分だ。八重洲口の改札を出て右側のバス乗り場へと急ぐ。

おお、結構乗客がいるなあ。改札を受けて車内へ、ところが定刻の9時40分になってもバスは動かない。動かないどころか定刻を過ぎても乗客が1人、2人と乗ってくる。乗客名簿をチェックして未着の乗客を待つようだ。へえ~親切だ
ねえ。待ってくれるんだあ。

大したもんだが、いい加減に発車してくれんかなあ。結局定刻7分過ぎに発車と相成りました。

新幹線と違い運行時間は道路の混み具合に左右されるので10分やそこいらはどうってことないんだろう。鉄道もこういうおおらかな管理体制であったら福知山脱線事故も起きなかっただろうね。

車内はほぼ満席で2列座席を独り占めしているのは数人しかいないようです。一昨年なんかは乗客10数人で座席間を自由に移動できたことを思うと雲泥です。

 11時20分、定刻12分遅れで足柄SAに着きました。毎度ここから富士山を眺めるのが楽しみなのですが今年は低気圧が通過した直後なので木花開耶姫(富士山)の頭上に笠雲がかかっていました。

まあ見られただけマシというものです。ここで15分休憩です。

次の浜名湖SAは2時間先なので車内でお昼をいただく。皆さん車内でいろいろなものを食べ始めた。山爺はさっき買った柿の葉寿司をいただくとしよう。おお、寿司が柿の葉(殺菌作用あり)に包まれて7個入ってます。

旨い!、この寿司は観光か仕事先でずいぶん前に食べたことがあったが相変わらず旨いなあ、酒が欲しくなります。あっという間に7個平らげてしまいました。もう1箱買っておくんだった。弁当屋が祭りだけに後の祭り。お後がよろしいようで。・・・

浜名湖SAを定刻前に発車、順調に名古屋湾をバスは走ります。甲南SAにも定刻前の16時55分に到着です。

SAにはいろいろなB級グルメをこれみよがしに販売しています。つい、みたらし団子やら焼き〇〇なんかに手を出してSAうろつきながらパクついてしまいます。

普段は立ち食いなんかようやらんのに旅先では平気な顔でぱくつく、この心理は不思議なもんです。

去年も食べた焼き草餅を今年も買い求め食べました。

ここの焼きまんじゅうは餡が絶妙の甘さで誠にうまいのです。・・・単に小腹がすいた頃着くからかな?( ^ω^)

このバスは京都に立ち寄ります。京都に定刻ちょい過ぎ17時20分に到着したものの下車客が多く荷物の受け渡しに手間取り10分遅れで発車、例年ここから道路が徐々に渋滞してきます。

 千里ニュータウン前からバスはのろのろ状態に、運転手からギブアップのアナウンスが入る。

『今日の渋滞はいつもと違います。大阪到着は相当遅延しますのでお急ぎの方はここから地下鉄で・・』

このアナウンスで大半の乗客が降りてしまいました。山爺も当然降りて地下鉄で梅田に向かうことにしました。地下鉄に乗ると15分くらいで梅田に到着です。やはり鉄道は早い。

梅田でJR環状線に乗り換え天満駅で下車、目的は馴染みとなった、天満駅近くに有る鉄板焼き屋さん”たか”のおばちゃん夫婦に再会することにある。

迷路のような駅前の飲み屋街をすり抜けて鉄板焼き屋さんの前に到着。あれえ!開いてません。シャッターが下りています。


しばし周囲をぶらついて難波方面に移動しようかと思ったがおばちゃん達の消息も知りたいので近くの串カツ屋さんに飛び込んだ。

中に入ると御夫婦らしき二人で切り盛りしている風の店で雰囲気は良好。メニューを見るとセットメニューというものが目に付いた。

ヒラマサ刺身、串カツ5本、キャベツ、生ビール付きで¥1000は安いが、どうせビールは小さなグラスだろう。(一昨年、水掛不動さんのそばの飲み屋がそうだった)

出てきた品々見て驚いた。ヒラマサは大ぶり5切れ、生ビールは中ジョッキー、揚げたて串カツ5本、おろしポン酢、キャベツ付きと来たもんだ。

しかも何回セットメニューで注文しても良いとのこと。刺身の変更も出来て、おまけに酒はハイボールでも焼酎でも日本酒でも変更OKとのこと。

お店の雰囲気がよくて格安、すっかり気に入り翌日もここに来てしまいました。(もしかして鉄板焼き屋さん開いてるかなあ、の思いもあり同所を2日間訪問)


2日間通ったので顔を覚えてもらえ?ました。新しく馴染みになりそうです。来年もまた寄りますよと告げて店を出ました。

この日は難波のいつものサウナに宿泊し翌朝は京都観光です。

まずは世界遺産の宇治の平等院と川向こうにあるこれも世界遺産の宇治上神社を訪ねます。JR線を使うと勝手が分かっているので安心なのですが関西は私鉄が発達しており運賃も格安です。




JR線だと宇治まで¥970ですが環状線の京橋で乗り換えて京阪線を利用すれば¥540、往復で¥860もお得なのです。お昼代が浮いてしまいます。これを使わない手はありません。

出かける前に京阪線を勉強して路線が頭に入っていたので迷うことなく乗り継ぎ9時30分ころに京阪線宇治駅に到着。ここから6~7分も歩けば平等院に行けます。

まず宇治川に架かる大橋を渡ります。宇治川はイメージだとちょろちょろ川かと思いましたが堂々の清流で驚きました。

渡ったら左折して5分も歩くと世界遺産の平等院鳳凰堂に着きました。園内をしばし進むと、ありました鳳凰堂が、高校の修学旅行以来50年ぶりの対面です。

相変わらず優美なたたずまいでそれはありました。なんと美しいことか、山爺としては日本で一二を争う建築物だと思ってます。

お堂内を見ようと思いましたが勝手には入れなく予約制で15人ごとに案内人付きで案内するとか。
現在待ち時間1時間以上だそうです。が~ん、一時間も待てないなあ。お堂内部の見学は諦めることにしました。まあ同じ物のレプリカが記念館にあるからそちらで我慢しよう。こちらは自由に見学出来ます。

この面倒な管理は恐らく心無い見学者(特に韓国・中国人)のいたずらや損壊行為を恐れてのことと思います。

彼らの一部は平気でそこかしこで唾吐いたり落書きしたり反日の英雄気取りで油撒いたり乱暴狼藉を繰り返しますからなあ、仕方のないことです。まったく困ったもんだ。

堂内見学を諦めた代わりに周辺の建物をゆっくり見ることができました。寺院内は紅葉が真っ盛り、実に綺麗です。

続いて朱塗りの橋(朝霧橋)を渡り対岸にあるもうひとつの世界遺産、宇治上神社に行こう。平安の昔はこの朱塗りの橋の上から水を汲み上げて平等院でお茶を立てたとか、貴族とは優雅なもんですなあ。


橋を渡ると正面に神社が見えました。一応参拝しますがこれは世界遺産ではありません。宇治神社です。世界遺産はもっと上にあります。だから”宇治上神社”って嘘です。

宇治神社の左横にあるさわらびの路と言う路地を歩くと5~6分くらいで世界遺産の表示がある大鳥居に到着します。
大鳥居をくぐり参道の周囲の景色を見ながらゆっくりと歩く。石灯籠と紅葉がしっくり溶け込んで実に美しい。ほかの観光者はこんな景色に目もくれず神社に向かって歩いていきます。おおい、こういうところも見てくださいな、と叫びたい。





神社に到着しましたが、鳳凰堂と違い質素で目立ちません。諸外国人、いや日本人も含めこれが世界遺産?といぶかるに違いありません。古いだけで華やかさがありませんが年季が入ってます。藁屋根の苔の生しかたが半端ではありません。それもそのはず、祀られているのは応神・仁徳天皇ほかで、現存する日本最古級の神社建造物なのだそうです。世界遺産も納得です。

山爺の一言メモ】

宇治上神社

古墳時代(4世紀末~5世紀初頭)現在宇治神社や宇治上神社がある付近は応神天皇の離宮がある場所だった。ちなみに応神天皇は実在したとされる最初の天皇です。
また、その皇子のウジノワキイラツコノミコトの宮居もここにありました。

応神天皇には2人の皇子がいましたがなぜか弟の方のウジノ皇子に次期天皇を譲ろうとします。が、ウジノは儒教の教えから皇位を兄に譲り、自身は自害しました。
この即位した兄がのちの仁徳天皇だが、その言い伝えは実に怪しい。皇位継承を譲ったまでは良いが何も死ぬことはないだろう。事件のにおいがふんぷんします。

れが証拠に、皇位を譲られた?仁徳天皇は死んだ皇子の御霊を鎮めるため宇治神社を作ったとされてます。自分で追い詰めておいて祟を恐れて神社を作り鎮魂する。古代史によくあるパターンです。
この3神(応神・仁徳・ウジノワキイラツコノミコト)が今は仲良く?同じ社に祀られているのが面白い。
ウジノ:兄者、よくもやりやがったな!
仁徳 :しょうがねえだろう。目上をさておいて、親父にゴマすりやがるからだよ。
応神(親父):まあまあ、二人共、仲良くせんかい。
なんて毎日、社殿で喧嘩してるのでは?( ^ω^)

拝殿は鎌倉時代初頭のものだが本殿は平安時代後期に建てられた現存する日本最古の神社建築だそうです。1994年世界遺産登録。


二つの世界遺産を満喫したので京阪宇治駅にもどり宇治駅→中書島→祇園四条と乗り継ぎ京都に移動します。

祇園四条から徒歩で南座、花見小路と人ごみをすり抜け、まずは高台寺へ向かいます。


高台寺は豊臣秀吉の正室おね(ねねとも)が晩年過ごしたお寺で有名です。
現地に着きました。高台寺は大規模な寺院で観光バスがひっきりなしに到着、大混雑です。ひえ~こんなに大規模だとは知らなんだ。右画像はおねの道でこの上に高台寺がありますが今日の目的はおね観光ではありません。高台寺の一角に月真院という小さなお寺があります。
  
このお寺は慶応三年3月に新選組から分離した伊東甲子太郎一派が宿所としたところです。それの訪問が目的です。
山爺の一言メモ】
新選組幹部の藤堂平助の紹介で途中から参謀として破格の待遇で入隊した伊東甲子太郎はインテリで尊皇攘夷の思想が厚く近藤一派とは何かと相容れなく対立した。

やがて伊藤は故孝明天皇の御陵を守る御陵衛士になるという言い分で隊士の大分を洗脳し引き連れて強硬に脱退する。総勢14名あまり。これは弁舌が達者で自信満々の伊藤が入隊前から隊ぐるみの洗脳を画策していたとも言われている。

そして移り住んだ場所がこの地の高台寺の月真院だった。
これにより高台寺党と名乗った。伊藤さん、分離直後は有頂天だったに違いない。俺の論説は完璧だ。田舎モンの近藤・土方に何がわかる・・と、やがてその田舎モンに自身が粛清されるとは知る由もなかったろうが。

役職名から天皇側に寝返ったと思われがちだが御陵衛士は天皇側直属の役目ではなくあくまでも幕府側山稜奉行の役職である。さすがインテリ伊藤さん。幕府の役職では文句のつけようもなく近藤らに付け入るスキを見せない。新選組は局中法度、”局を脱するを許さず”で脱退は切腹ものだが脱退ではなく分離だからどうすることも出来ない。近藤・土方のお2人、地団駄踏んで悔しがったろうね。


続いてここから10分ほどにある明治維新に貢献した人々を祀った霊山護国神社を訪ねることにする。長~い坂をエッチらオッちら、ふええ、なんて坂を登らせるんだろう。息が上がるので時々休んで後方を振り返る。八坂の塔があんなに低く見えます。
霊山護国神社は自動改札式です。¥300を支払い中へ、またまた坂道を延々歩かされます。

坂本龍馬と中岡慎太郎の墓碑がありました。そばには池田屋事件のきっかけとなった古高俊太郎も祀られています。
(捕らえられた俊太郎は池田屋事件のすぐ後に起きた禁門の変のドサクサで京都市内に火災が発生、脱走を恐れた役人により裁判を受けることなく斬首の憂き目に)
更には高杉晋作・久坂玄瑞なのど墓碑銘も。・・・


更に墓碑銘をよく見ると千代松・三吉・幸助などの町人の名もあります。この人達は維新でどんな貢献をしたのかな?

ここに祀られている人々は維新功労者ばかりなので新撰組や見廻組のような幕府サイドの人々は祀られておりません。彼らだって維新の犠牲者に変わりはないだろうに。なんか不公平です。

お山のてっぺんは桂小五郎(木戸孝允)の墓碑が奥様の幾松とともにあるようです。やはり明治維新一番の功労者だからでしょうか。もしも西郷隆盛があんなことに(西南戦争)ならなければ隆盛さんがてっぺんだったのでは?

あそこまで登るのはしんどいので引換します。桂さん!偉くなりすぎましたなあ。皆んな途中で引返しますわ。
( ^ω^)
下にもどり霊山歴史館を見学、大したものは展示していないのですが、坂本龍馬暗殺に使われたとされる刀や西郷隆盛を介錯した刀、新選組の近藤・土方が使用したとされる刀が展示してあります。

坂本暗殺の刀はガタガタに錆びており先端は刃こぼれが顕著、妙に生々しい。

この刀の持ち主は竜馬を斬ったとされる京都見廻組、桂早之助のものである。小太刀の名手だった早之助が狭い室内で有利な小太刀で龍馬に立ち向かったとされています。

当人はこの1ヶ月後に起きた鳥羽伏見の戦いで戦死しているので真相は闇だが、持ち主がすぐに亡くなったので研ぎに出す暇もなく刃こぼれもそのままに錆び付いて今日に至ったのかと思うと妙に納得です。

近藤・土方の愛刀はともに直刀で実戦向けであつたことが素人目にも明らかにわかります。
¥700の見学料金が高いか安いかはあなた次第です。

つぎは京都で最古とされる禅寺、建仁寺を訪ねよう。一旦高台寺に戻ります。高台寺の山門が消防署の指導のもと防災訓練の真っ最中、健気な女子がヘルメットもかぶらずに一生懸命に消火ホースを操作していました。頑張れ!ねねちゃんが見守ってるぞ。

風情のある路地を抜けて建仁寺を目指します。お目当ては俵屋宗達の風神・雷神屏風と枯山水の庭園です。

霊山護国神社の静けさと比べるとこちらの賑わいはどうだろう。人でいっぱいだ。拝観料¥500を払って中へ、世界遺産ではないので拝観料が安いのはありがたい。

 まずは境内の外回りを見学する。立派な伽藍が点在し広い境
内だ。三門、法堂を鑑賞の後、いよいよ内部を拝観します。靴を脱ぎ上履きに履き替
える。青い目の外人さんも神妙に靴を脱いで靴箱に収めていうのがなんか可笑しい。

上がった途端にいきなり風神・雷神屏風のある間が現れました。おいおい、いきなりかよ。いささか度肝を抜かれた。

屏風に見入っていると隣のカップルがVサイン出して記念撮影をしているではないか。これだから中国人は(と勝手に人種を決めた)マナーがなっていない。と、次々とほかの人々も写真を撮るではないか、えぇ~!写真OKなのお!

屏風の下にある説明書きを見てみると複製の文字が!、なあんだ、偽物か、道理で気前よく撮影させるわけだ。

このあとも随所にある屏風や襖絵、天井の龍、すべてレプリカにすり替えられておりました。これも文化財を心無い観光者による弊害から守るための措置なのでしょう、はぁぁ~まったく困ったもんです。そのうち京都中の文化財が保護のため複製品にすり替えられるのではと懸念しちゃいますねえ。
このブログを書いている最中にも仁和寺で山門に千社札を貼り付けた馬鹿がいた。低レベルの観光客には困ったもんです。なんとか締め出す方策はないものでしょうか。

いささか拍子抜けしながら拝観を続けます。しかしながらここの枯山水庭園と中庭は見事なものです。紅葉が今真っ盛りで誠に秀麗です。


一昔前は京都の紅葉は11月上旬~下旬でしたから明らかにひと月はズレています。ここにも温暖化の影響が感じられます。

建仁寺で日本の美を十分に堪能致しました。これで拝観料¥500はありがたい。レプリカ対策により警備に人員がかからないのでこの価格設定になったのでしょうか?。

さて時間も押してきたので今日、最後の目的地である高台寺党盟主、伊東甲子太郎暗殺現場の京都油小路へ急ごう。祇園四条駅から地下鉄で東福寺へ、ここからJRに乗り換えて京都駅へ、目的地の油小路は駅から徒歩10分くらいのところにあります。


油小路の名称は平安京時代からそう呼ばれており名前の由来は不明です。

油屋さんが軒を連ねていたことからそう呼ばれていたのではと思います。今はご覧のとおりなんの変哲もない道路ですが古そうな油屋さんが1軒だけ天保年間の昔から営業を続けています。




当然、暗殺当日も商売をしていたわけで、激しく人の争う叫び声や騒音を聞いたはずでしょう。


【山爺の一言メモ】

油小路の変
慶応3年3月に新選組から分離して御陵衛士として高台寺党を組織した伊東甲子太郎だが新選組の近藤・土方が黙って指を咥えていたわけではありません。高台寺党に斎藤一という朴訥でおよそ間者には似つかわしくない人物を間者として潜り込ませて逐一状況を報告させていました。

やがて彼らが長州・薩摩と接触し始めたことを知った新選組は高台寺党の粛清を決意します。

慶応三年11月18日、近藤は兼ねて伊藤から申し込まれていた資金援助金を承諾、近藤の妾宅で懇親の酒宴を開く旨の連絡をする。たもとを分かった相手から資金をむしり取ろうとは伊東甲子太郎の自信過剰ぶりが伺えます。

所詮、近藤・土方らは多摩の百姓のこせがれ、私の教養に心服したに違いないとでも思ったのでしょう。この自惚れが災いし彼の命取りになってしまいました。

罠だからと周囲が止めるのも聞き入れず自信満々の伊藤はこの招待に応じて、したたか酒を飲んで帰宅の途へ。

油小路まで差し掛かったところで待ち伏せていた新選組に襲撃を受ける。草むらからいきなり槍でブスリ、殺ったのは槍の名手、原田佐之助とも。

伊藤は神道無念流・北辰一刀流の剣の達人だ。まともに戦ったのでは面倒なので新選組得意の闇討に。深手を負った伊藤だが数回切り結んだと言う。しかし多勢に無勢、ここ本光寺門前で息絶えた。

そしてここからがすごい、伊藤の遺骸を道の真ん中に放置して高台寺党に知らせる。彼らが遺骸を引取りにきたところを更に襲撃するという用意周到ぶり。これにより江戸試衛館以来の仲間で高台寺党に分離した藤堂平助ら3名が討ち死にする。

慶応三年11月18日の三日前15日は坂本龍馬が暗殺された日であり、このことからも山爺の私見では新選組の龍馬暗殺はないと思っている。伊藤一派だけでも大変なのにそう簡単に暗殺行動を何度もやれるものではない。

山爺が新選組の歴史に関心を持つようになったのは中学3年の頃に放送された司馬遼太郎原作のテレビドラマ”新選組血風録”(1965~1969放送)を見てからである。それまでは新選組のイメージは勤皇の志士の倒幕運動を邪魔する悪役程度にしか思っていなかった。

しかし、このドラマを見てから考えを一変した。それまでのイメージと違い義に殉じる隊士たちの生き様を鋭く描いた内容であった。さらに1970年から半年位放送された同じ原作者の”燃えよ剣”ですっかり新選組に心酔してしまった。

映画を見てから衝撃を受け原作を読んでみたがなんか物足りない。映画が原作を上回る希少な例となった。(あくまで山爺の私見です。はい)そうはいうものの新選組個々の隊士の生き様を丁寧に描き、新たに新選組という存在を世に広めた司馬遼太郎の作品そのものには敬服してはおりますが。

主人公の土方歳三(栗塚旭:左2番目)はじめ近藤勇(舟橋元:中央)沖田総司(島田順司:右2番目)斎藤一(左右田一平:右端)がはまり役でカッコいいのなんのって。以後、新選組に関しては彼らを上回る役者が出てこない。

新選組面々の生き様に感化された山爺、その後の人生に多いに影響したことは間違いない。

さて、油小路の変の現場も見終えたし予定ではこのあと島原界隈も見る予定であったが日も暮れたし歩く気力も残っていない。日暮れて道遠し、昨夜の串かつ屋さんに戻って今日の報告でもしようか。

18年度関西ぶらり旅・・・(前編) 完

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