毎日、毎晩あれだけ報道されていたコロナ感染者の実態がいきなり報道されなくなった。
感染症のランクが2類から5類に格下げ?になったからだそうです。感染症ごとの区分は次のHPにまとまっているので暇な人は見てちょうだい。
感染症発生情報 [1類・2類・3類・4類・5類・指定(全数把握分)感染症発生情報] 堺市 (sakai.lg.jp)1類にはエボラ出血・ペスト・ラッサ熱など恐ろしい感染症が・・2類は結核・鳥インフル3類はコレラ・赤痢・チフスなどお馴染みの伝染病がランク入り。
5類は肝炎(A型だけ4類・・てことはA型の方が感染力は強いのか?(´ºωº`) )梅毒・破傷風など・・おいおい、いきなり2類から3階級も下げていいのかね。本音は国費で医療費負担するのが嫌になったからじゃあないのかな?
何にしても平和な世の中が戻りつつあることは良いことだ。思えばコロナめのために大切な3年間を無駄に過ごさせられた。残念というほかはない。
下表が健康寿命と平均寿命を表したものですが健康寿命を見ると山爺の年齢はとうに過ぎているではありませんか。平均寿命の到達だって俺はあと何年?、改めて考えると憂鬱になってしまいます。いつの間にかこんな年になっちゃったなあ。阿藤快のセリフを借りるまでもなく『何だかなあ』と言いたくなるわ。♫思えば遠くへ来たもんだ~・・ってか!
ぼやきはともかく、残り少ない人生だ。有意義に使おう。・・退屈だなあ、さりとてお天気は大陸の気団と小笠原気団が相変わらず押合いへし合いしており雷注意報まで出る始末で山歩きに不向き、とても出かける気がしない。どこに行こうか。今現在、手元不如意(いっぺんこの四文字熟語使ってみたかった(^^♪))。70歳以上は無料で入れる上野の東京博物館に行き前回見残した展示物でも見てこよう。
上野の東京博物館は広い敷地内に本館・平成館・法隆寺宝物館・表慶館・東洋館と展示館がズラリ、とても一日では見切れない。
前回訪れた時も本館の半分も見たろうか、途中で疲れてしまうのである。結局『無料だからまた来よう』となる。今回は手付かずの東洋館に入ってみよう。厳密に言うと東洋館は随分昔、20代の頃に友と連れ立って一度入っている・・・友とは誰だ、男・女?それは内緒です♫。ちなみに常設展示館への入場料は大人¥1000です。
いつものように入場口に立っている係員に免許証を見せて通過。なんか優越感で気持ちが良い。まずは東洋館の脇をすり抜けて本館の裏にある日本庭園を散歩しよう。大きな池の周りに茶室が点在、周りは鬱蒼とした木々で覆われており都会の喧騒から隔絶した世界が広がっている。
木々の合間に茶室が点在している。これは各地より移設されたもので古いものは慶安年間(17世紀)とあるから相当古い。
ガラス窓のはめられた茶室もあるのでこれは近代の建築だろう。明治初年のころ建てられたようですが落ち着いた佇まいがいいねえ。庭園の出入り口付近に”茶会参加の方はこれより入場(山爺注・博物館への)ご遠慮ください”の注意書きがある。実際に茶会が催されているみたいですねえ。
さて、本題の東洋館へ入ってみよう。館内はB1から5階に分かれておりアジア・中近東の美術・工芸・考古物が展示されている。
受付のお嬢様に写真撮影の可否を聞いてみる。撮影不可のマークがある展示物以外はノーフラッシュなら撮影OKとのこと。カメラの感度をISO100から1600・フラシュ禁止モードに切り替えて展示場へ・・・
東京国立博物館 - 来館案内 構内マップ 東洋館フロアマップ (tnm.jp)
まずはB1(古代インド・アジア・クメール)から見学じゃ。クメール(カンボジア)と国名で区分するだけあり12世紀のアンコール時代に作られた寺院のレリーフが沢山展示してあった。見事な彫刻だ。失礼ながら現在のカンボジアの文化レベルを考えると隔世の感があります。
右はヒンドゥー教の神の像でやはり12世紀の創作です。右下は仏陀三尊像とあるので仏教所以の像だと思います。アンコール時代の12世紀から13世紀とあるので100年の間にこの地域で宗教の入れ替わりがあったのかなあと想像を掻き立てられる。
今の時代だって宗教に関した争いは悲惨なものである。当時どんな争いがあったのかなあ。山爺がタイ国に仕事で長期滞在していたときアユタヤの遺跡見学に行く機会を得た。アユタヤの遺跡群のなかで目を引いたのか首の落ちた石仏群である。ガイドさんに聞くとビルマ軍が攻めてきてアユタヤ王朝は滅亡した。
朽ち果てた寺院が立ち並んでおり単に風雨による崩壊じゃあないことは素人目にも判る。なかでも凄まじいのが頭の取れた石仏群がずらりと並んでいることだ。侵攻したビルマ軍の狼藉だったとか。 当時ビルマも同じ仏教国のはずですが、神罰恐れぬ狼藉だ。たぶんか同じ仏教がルーツでもおらが国さの神様と違うわいとして平気で破壊するんだろうなあ。
アンコール王朝の宗教変遷時にどれだけの争いがあつたのだろうか。
【山爺の一言メモ】
アンコール王朝は9世紀初頭に勃興、アンコールワットの建造など栄華を極めます。
アンコール王朝の宗教はヒンドゥー教です。一方のタイ・アユタヤ王朝は仏教、仏教はバラモン教(ヒンドゥー教のルーツ)の分派だったようです。だから両方とも輪廻転生の考えがある。大きな違いはヒンドゥー教には身分制度(カースト)があるが仏教にはそれがない。インドにカーストが今持って根強く残っているのは皆様ご存知のとおり。
そのアンコール王朝は1431年にアユタヤ王朝の侵攻により滅亡します。東洋館で見た彫刻は13世紀の作とあるのでその頃はアンコール王朝は栄華の最中、山爺の思惑(宗教戦争)はな外れたようです。両派とも教義は同一だから共存しやすいのかな?それともアンコール王朝の住民をまず宗教改革(洗脳)させてからのち占領する策をとったのかな?。
そのアユタヤ王朝も隣国ビルマ(現ミャンマー)の侵攻により1767年に滅びてしまいます。
隣国同士攻めたり攻められたり、陸続きは怖いですねえ。
さて、長々とつまらない山爺の歴史観を述べました。m(_ _)m
こんなものも展示してあります。南インドより出土した楔形石器(打製石器)なんと年代は60万年前、ほんまかいな、ジャワ原人の親戚筋が作ったのだろうか。
パキスタン・ガンダーラの菩薩像です。13世紀?3体あったが顔の作りが似ています。写真なんかない時代です。モデルがいたのかなあ。(^^♪
殷時代(紀元前18~16)の青銅の武器類がありました。 中央のT字の武器は戟(げき)といいます。槍の穂先の下につけて攻撃と防御の両方の役目をします。中国の三国志や項羽と劉邦の時代劇によく出てくるので知ってはいましたが、実物を目の当たりにすると改めてこんなもん振り回されたらたまらないなあと思うわ。
紀元前18世紀といったらあなた、日本では縄文時代の末期ですよ。こんな物騒なもの携えて攻め込まれたら平和で武器もよう持たない縄文人はあっという間に滅亡じゃあ。ほんとに日本は海で囲まれていて良かったねえ。
左のへんてこな容器は爵(しゃく)といいます。お酒を温めて注ぐものとあるのでお銚子の類でしょう。中国の三国志なんかでこれで乾杯するシーンをよく見ますが、相当重たそうです。
玉斧(ぎょくふ)紀元前5千~4千、磨製石器の斧です。よく磨かれてますねえ。どうやって穴開けたのかなあ。
5銖銭石范(ごしゅせんせきはん)紀元前2~1、石で出来た5銖銭を作る鋳型です。前漢の武帝時代紀元前119年に初鋳造されたそうです。この時代にすでに貨幣が流通したいたとは驚きです。戦乱の多さと無縁ではないと思う。なぜ、そりゃあ貨幣は持ち運びに便利だもん。
日本の貨幣の始まりは中国を見習って作った和同開珎708年
だが(その前に富本銭683年というのも作っている)まったく流通せずポシャってしまった。その後貨幣は作られず永いこと布やコメなどの物品貨幣が主流でした。
銭の流通が本格的になってきたのは12世紀末ごろから、それも自国では鋳造せずに他国の銭(宗・中国)を流用したというから呆れる。銭の数が増えればインフレ、減ればデフレなど不具合が起きちゃうはずだが、経済統制どうやっていたのかな?
当時経済学者なんかいなかったはず?なんとなく直感で輸入調整してたのかなあ。絶対影で大儲けした奴がいるはずだ。宗との貿易権を握っていた平清盛あたりが怪しいゾ、なんったっ銭そのものの輸入だもん。絶対に儲かるわ、マージン載せ放題だ。 (^^♪
左画像、韓国より出土の石剣。紀元前6~5世紀の作、良い出来栄えですが1本作り上げるのにどんだけ時間がかかるのかなあ、韓国も古代では素晴らしい技術を持っていた証です。今は?・・・・
6世紀に中国で作られた釈迦三尊像。この頃は日本にも仏教が伝来しており飛鳥寺や法隆寺の建立時期と重なる?。失礼ながら我が国の仏様の方がご立派に見えるw。(^ω^)
樽形水かめ・水差しなど日用品が展示してありました。キプロスで紀元前8~6に作られシリアやパレスチナに輸出していたと説明書き。
キプロスって地中海じゃん。出土場所がシリアだから、ぎり東洋圏ということで展示してあるのかな。
2800年前の作とは思えない斬新な形状ですねえ。今、お店に並べても売れそうです。いい仕事してます。
あれこれ、想像しながら歩いていたらいつの間にやら最上階の5階へ。
やあ、だいぶ疲れたなあ。エレベーターで1階のロビーに戻り、休憩所で持参の飲み物をゴクリ。表慶館か平成館にアイヌ関係の展示コーナーあったように記憶しているがもう疲れたわい。このあとの予定もあるし(といっても秋葉原散策)アイヌの展示コーナーは、また今度、なにせ入場料無料だから。
・・o(^▽^)o
【川柳】
・東博で 古代の意気に 触れてみる
・出土品 時代見比べ ひとりごち
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