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2023年9月20日水曜日

小田原城へ行ってみた。帰ってきたらコロナに感染

 
8月初めに購入した青春18切符の残りがあと3回ある。有効期限は9月10日まで。9月1~3日で名古屋を拠点に岡崎城・岐阜城・大垣城と歴史事件上関係の深いお城巡りでもしようと考えていたが、その矢先に長女がコロナに感染してしまったので山爺も待機を余儀なくされた。

幸い山爺には症状は出ていない。日帰りなら出かけてもよかろうと前々から行きたかった小田原城まで足を運んだ。青春切符の購入代金は¥12050、仙台まで往復は正規運賃だと¥11000、小田原往復運賃が¥4600だから合計¥15600となり下衆な言い方によるがこれで元が取れた。これにより残り2回分での名古屋旅行は運賃がただで行ける勘定になる。いいねえ。

山爺が利用する最寄駅からはなんと熱海まで直通列車が運行しているので複雑な乗り換えなしで小田原まで行くことができます。

早朝にJR最寄駅から各駅停車熱海行に乗り込む。途中大船駅で隣のホームに入線する快速小田原行に乗り換えるだけで10時14分、難なく小田原駅に着いた。

小田原駅に降り立つのも久しぶりである。久しぶりなんてものではない。40年以上も前になろうか。山爺が企業に勤務していた頃、ある委員会の委員を拝命していたことがある。

各地にある事業所から委員が集まり事業所持ち回りでテーマに沿って会合を開き、報告書にまとめ上げる。報告書のまとめ時期になると当該事業所が保有している健保の保養所に缶詰になってまとめ上げるのが慣習となっていた。

あるテーマのまとめ時期に運悪く(開催当番に当たると会場準備や費用の捻出など大変です)小田原の事業所が当番になりその直営保養所(有名観光地・温泉付き)で報告書をまとめたことがあった。

その頃全国にあった直営の健保保養所はバブル崩壊とともに消え去り今は契約保養所が残っているだけになった。

たしかその帰りに委員の有志と共に?(あるいは駅で皆と別れて山爺1人のだったかも)三々五々小田原城を見学してから解散した記憶がある。

今となっては良い思い出となっているが委員の皆さん元気にお過ごしだろうか。当時、山爺が最年少だったと記憶しているので、もう鬼籍に入られた方もいるんだろうなあ。

小田原駅東口を出てすぐ右折し5分も歩くと小田原城の天守がビルの上からちょんと飛び出して見えて来ました。駅から一番近い北入口から場内に進入、いざ突撃じゃあ。

小田原城の概要は以下の通り。

【山爺の一言メモ】

小田原城は、室町時代に西相模に進出した大森氏が築いた城郭が前身とされる。城の規模や築城年は明らかになってないが、15世紀の中頃に造られたのではないかと考えられている。

1500年頃、伊勢宗瑞(北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって関東での勢力を拡大していく。小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え、城と城下を囲む総延長9kmに及ぶ総構の出現に至ってその規模は最大に達した。
しかし、天正18年(1590)、石垣山(一夜城)の築城という前代未聞の秀吉の小田原攻めにより北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えた。小田原城(本城)は7月5日に開城(落城ではない)したが支城は忍城(行田市)のみが7月16日になっても落城せず戦い続けたことは映画のぼうの城に詳しい。

北条氏滅亡後、徳川家康に従って小田原攻めに参陣した大久保氏が城主となり、城は近世城郭の姿に改修された。その後、大久保氏の改易にあたり、城の一部は破却されたが、稲葉氏の入城の際に再整備され、城の姿は一新された。

貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となり、小田原城は東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至る。

小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、明治5年(1872)までに城内の多くの建物は解体された。後に、小田原・足柄県庁・神奈川県支庁の所在地となり、さらに明治34年(1901)には、二の丸に御用邸が建てられた。しかし、大正12年(1923)9月の関東大震災により御用邸のほか石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまった。
その後、昭和9年(1934)に隅櫓が再建され、昭和35年(1960)5月には廃城以来90年ぶりに市民待望の天守閣が復興された。続いて昭和46年(1971)3月に常盤木門、平成9年(1997)10月に銅門、平成21年(2009)3月には馬出門が完成した。

土塁の上を天守閣に向かって歩く。吹き上げる風が心地よい。
北の入口は搦手になるのかなあ。

途中に土塁をカットしてわかりやすくしたモニュメントがありました。

お城というものは全体をカッチカチに防御すると攻め手は攻めあぐねて持久戦となる。持久戦になると困るのは食料調達が弱点の城側だ。

そこで城の一部を故意に弱く作り(見せかける)寄せ手をおびき寄せる。これが搦手だ。剣道の巧者同士もにらみ合いが続くとわざと隙をつくり相手を誘い込む、それと同じです。

城の守りといえば石垣を連想しがちだ。確かに関西の城は城郭全体を石垣で守っていることが多いが関東の城は天守閣や曲輪以外は土塁で守りを固めていることが多い。

関東は技術が稚拙と思うなかれ。関東の城の多くが土塁で守っていたのには大きな理由がある。関東の土はちょいと掘ると火山灰、いわゆる関東ローム層にぶち当たる。

こいつで土塁を築くと粘土質で保水力に優れた土なので登ろうとすると滑りまくって登りにくいらしい。
小田原城の総構えではこの地質を有効利用した障子堀その他の恐ろしい堀が小田原の随所に見られるようだ。図のような障子の背を真っ直ぐ歩かされたら格好の標的となるし、障子の底に落ちたら這い上がるのは至難の業だ。堀の底でばたばたしているうちに狙い撃ちとなり命はないだろう。

今は障子堀もないので簡単に搦手から天守閣の脇腹へ進出することができました。

この天守閣とは40年幾年ぶりの再会です。美しい城だなあ。
正面からみた小田原城天守閣。見事な構えです。
暑いので早速、城内に入ろう。
入場料は一般¥510、長老割引はありません。 (;_;)

城内は近代文明の利器、クーラーが効いていて涼しい。
撮影は2階を除いて自由ですが見るべきものはありません。

早く最上階の外に出て本日のお目当て、石垣山城(秀吉の一夜城)が設置された山の確認がしたい。


最上階から外に出ました。相模湾が一望です。薄らと伊豆大島も遠望できました。


さて右に目をやると、ありました。すぐ近くに石垣山(城から5km)が。

秀吉は1590年の小田原攻めのときこの山の山頂に出城を作った。出城と言っても砦のような粗末なものではない。
曲輪を従えた本格的な城郭で俗に言う一夜城だ。実際の工期は延4万人を動員し4月に着手し6月末に完成した。

3ヶ月の突貫工事だがもともと北条方への脅し目的の城なので随分と手を抜いた工事だったようで白壁などは紙で代用したとか。

秀吉が伊達政宗にこの城を自慢げに見せたところ政宗は白壁のインチキを見破っている。

工事中は周囲の樹木は伐採せず完成後に一気に樹木を伐採したので城兵たちはいきなり城郭が現れたので恐れおののいたとか、・・でも、ほんの目の前5km先の工事が秘密裏に済むわけがない。これは後世の作り話だろう。

それにしても一兵卒まで情報が伝わることもなかったろうから樹木が取り去られていきなり立派な城郭が現れたら、兵たちは度肝を抜かれ戦意喪失したことは想像に難くない。

秀吉らしい嫌味なパフォーマンスだが。秀吉は小田原城の防御力の恐ろしさを見抜いたのだろう。
無理に力攻めをせずに眼前に城郭まで作って、おのが威力を見せつけ戦わずして北条を屈服させた。
実にずる賢い男である。やむなく秀吉に合力して小田原攻めに加わった諸将達もこの男にはかなわんと思ったろうなあ。

かくて、豊臣秀吉の天下統一は小田原城の開城により達成した。

さて、西の方に目をやると見覚えのある山々が望見できる。丹沢山塊だ。

2015年の11月にヤビツ峠(大山と三ノ塔の間の峠)から入って三ノ塔、塔ノ岳、鍋割山と縦走し大倉登山口に抜けたことがある。途中木の又小屋に一泊しての山旅だった。
あれから8年も過ぎた。あのルートはもう歩けないだろうなあ。残るは思い出だけ?情けないなあ。

なんの、老け込むのはまだ早い。年齢に応じた山歩きの方法が必ずあるはずだ。と気力だけはなんとか持ち続けている今日このごろです。









【山爺コロナに感染す】

小田原から帰って2日目の夕方から何か体が火照り気味に、表面体温計で体温をチェックすると36.8℃でやや高いが、まあ平熱か、夜になってもなんか体がだるい。表面体温計は相変わらず36.8℃で平熱を示している??、


念のため通常の体温計で腋の下を測ってみると、なんと37.7℃ある。だめだこりゃ。翌日、かかりつけの内科医で抗原検査を受けると見事に陽性反応が出てしまいました。
症状は発熱が38℃、続いて喉の痛み、一時は物を飲み込むのにも難渋したが、うがい薬で喉のうがいを入念に行うことで症状が和らいだ。副反応としては嗅覚の異常?、カビのような、カビキラーを撒いた時のような薬品臭?・・異様な臭いがやたら鼻につく。これが3~4日続いた。

家庭内隔離をすること5日間で症状は落ち着いて1週間でほぼ正常に戻った。幸い軽症で済み今のところ後遺症といったような悪い症状は出ていない。どうかこのままで終わりますように・・

【川柳】
・幾万人 どこに隠して 一夜城 
・知恵よりも 関白銭で 戦をし

・陽性で 18切符 つゆと消え
・陽性で 神も仏も 急信心
・5類とて 滅せず猛威の コロナかな

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