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2016年8月25日木曜日

お盆のこと・友人のこと

8月13日にお盆の風習にしたがって実家へ線香あげに行ってきた。90歳半ばになる、おふくろ様も幸い元気で過ごしており(ずいぶん耳が遠くなっていた)再会することができた

実家といっても電車で1時間半ほどの近傍にあるのだが普段はなかなか行く機会がない。盆と正月はありがたい風習で、この日は無精者でもやはり故郷に足を運びたくなる

ちなみにお盆とは、賢明なる諸兄に向かって改めていうのもなんですが旧暦7月15日を中心に先祖供養をする風習で13日が迎え盆でお墓に行き先祖の墓参りをし、その魂を家に連れて帰る日、15日が中日、16日が送り盆となり、もとのお墓に帰っていただくといった、一連のセレモニーである。

なぜ15日~16日に実施するか言うと、初春と初秋の満月の日に死者の魂が彼岸(あの世)から帰ってくるとされているからだそうである。

昔は太陰暦という暦を使っていたがこれは、お月様の満ち欠け周期を利用したものである。すなわち月の満ち欠けが29.5日で1周期となる(公転周期は27.5日)のでこれを1ヵ月としたものである。したがって太陰暦では14~16日近辺が必ず満月日に当たるので、お盆の期間は必ず満月に近い月が出ていることになる。昔は照明がほとんど用をなさないから満月の下でないと暗くて、いろいろ行事を行うにも不便だもんね。

今の暦(新暦)では満月の日は毎月ずれてゆくので15日でも満月とは限らないから言い伝えの趣旨に合わないね。

余談だがあの有名な『頃は元禄14年12月14日』の赤穂浪士の討ち入りは何故14日に討ち入ったか?一説には14日が満月で行動しやすいからそう決めたのではという歴史学者もいる。

暗視スコープなぞない時代、真っ暗闇では誰が誰だかわからん!同士打ちをしてしまう恐れがあるものね。まあ実際のところは雪が降ってきて月は出なかった。その代わりに雪明りが役に立ったようだけど、そのほか歴史上の重要な合戦などでも15日近辺の日にちが多いそうである。

試しに調べてみると、上杉謙信が武田信玄の夜襲を見破り妻如山を密かに抜け出した第四次川中島の合戦が8月14日~16日、関ケ原の合戦が9月15日といずれも満月の日を選んでいる。当時の暗黙のルールかな?そういう目で歴史をみるのも面白い。

若いころはお盆なぞという風習にほとんど興味を示さなかったが、年を取ってくると死というものが身近に感じられるようになってくるので、先祖の霊を毎年供養する風習はやはり必要だなぁと、つくづく思うようになってきた。

私は4年ほど前から高校の同級会の万年幹事を仰せつかっている。幹事長々と皆におだて上げられてその気になり、毎年6月末、栃木の温泉地を中心に1泊旅行を兼ねて企画しているが、宿泊プランにも関わらず毎年15~16人が参加してくれて旧交を温めている。

普通これだけ参加すると一人や二人嫌な奴も交じるもんだが、現在参加してくれている連中は誠に気の置けない面々で愉快な奴ばかりなのである。

毎年企画し実行するのは手間と気苦労ばかりで何の得にもならないのであるが、皆さんの笑顔を見たり『幹事長ごくろうさん』と一言声をかけられたりすると幹事冥利に尽き、ついつい毎年引き受けてしまう。

今年は趣向を凝らして日光の隠れ里、家康の里にある評判の民宿でクラス会を実施、珍味に舌鼓をうちカラオケで大騒ぎ、盛会のうち終了しました。                  

高校生の時にわずか2年間だけ同じクラスで学んだという間柄でしかないのに、何十年と付き合い続けている同窓生とはいったいなんなんだろうと最近つくづく思ったりもします。

つらいこともありました。私が幹事になってからの4年間で3人の方々が相次いで鬼籍に入られてしまいました。12年に仕事中に不慮の事故で亡くなられたO氏、去年10月には親から家業を引き継ぎ頑張っていた人なつこいH氏が、そして今年の7月にOK氏が、早足で、煩悩渦巻く此岸(しがん)から彼岸側へ川を渡ってしまいました。

不慮の事故のO君は風貌が親分的でちょっと見は強面だが実際は気さくな性格で、私が得意とするエロコミックソングを誰よりも大笑いしてウケてくれた奴だった。

社長業で頑張っていたH君は私の幹事を一緒に手伝ってもらったことがありました。その時にわざわざ1時間半かけて我が家まで訪問してくれて打ち合わせをし、その後居酒屋で酒を酌み交わしたことがあったっけ。

OK君は大柄な体形に似ずユーモラスな性格で高校時代はいつも昼食時『当番!お湯』と叫ぶのが口癖で、皆んなを良く笑わせていたっけ。生涯現役をモットーとし人一倍元気印でクラス会盛上げのキーマン的存在だったのに・・・。

幹事の役目上、各人と電話で問い合わせることが間々あるが3人とも亡くなる1ヵ月~半年前に電話でやり取りしており、今もその時の声が脳裏に残り続けている。多分、この先も消えることはないだろう。なんともつらい記憶である。

H氏、OK氏にとっては今年が新盆である。改めて合掌!。それにしても3人とも少々早すぎる旅立ちだぞ、このせっかち共め!(涙)・・・ 残念の一語に尽きる。