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2026年4月4日土曜日

#伊勢神宮に行って記た(宿望のお伊勢参り)

 今年も正月を無事に迎えることが出来た。目出度い限りだったのもつかの間、一月末に不整脈が出始めて欝の気分が続いた。

なにせ心拍が5拍に一回飛ぶ(止る)のである。その度に胸にムカッとした 不快感が起きる。それが昼夜を問わずいきなり長時間も続いてしまう。これには普段、太平楽な山爺もへこんだ。

あわててかかりつけの医者に駆け込み診察を受けた。心電検査のデータを見て医師曰く。『まあ、加齢からくるもんでそう心配しなくても大丈夫でしょう』と油断をさせておいて・・・

『万一心房細動の兆候があると大ごとなので24時間モニターを着けて様子を見ましょう』・・・なんだよそれ、大丈夫じゃないだろう。・・・Σ(゚д゚lll)

かくて、胸に小さなモニターを貼り付けられて24時間の鼓動を記録し、分析してもらうことに・・・新年そうそうなんということだ。

モニタリングしたからといって結果がすぐわかる

訳でもない。病院からセンターに送り込んで分析してもらうので結果が分かるのは10~12日先になるという。

ほかの病気ならともかくも心臓の鼓動が飛ぶのは不安この上ない。このまま止まっちゃったら1巻の終わりだ。いきなり此岸から彼岸に渡らされたのではたまらない。

山爺とてこの世には未だ未練がたっぷりとあるし彼岸行きに際し覚悟ってものもあるだろう。予告なしで閻魔大王との面談は勘弁してもらいたい。結果が分かるまで不安だなあ、と日々悶々・・・。

と、モニタリングを終えて5日も過ぎた頃になり、ふと気が付けば不整脈が起きなくなっていた。こうなると現金なもので分析結果が分かる日がやって来てもすぐに病院には行かない。持病治療の定期通院まで待ってから結果を合わせて聞くことに・・・

モニタリングの分析結果は24時間中一度も連続2拍以上脈が飛んでいないので投薬治療はせず経過観察しましょう、里山歩きやゴルフも大丈夫とのありがたいご指導をいただいた。

なんでも2拍連続して飛ぶことは心房細動の恐れが高くなり非常に良くないのだそうです。

それにしても不整脈とは・・何か要因がある・・???。

山爺はコロナ病に罹患したときの後遺症で低音性難聴になり、めまい症状の治療に2種類の薬を毎日服用していた。気になったのでそれらの副作用についてSNSで調べていたら、その薬の片方について服用していた人の投稿によれば”不整脈が出たので服用を止めた”との記事を見つけた。止めたら不整脈も止まったとも書いてある・・

これは問題だ、かかりつけ医師に相談して急遽服用を止めることにした。『服用やめます』と件の医師に言ったがその医師は肯定も否定もしなかった。じゃあお薬出すの止めますねとあっさり受諾・・当人の体に合わなければ服用を止める。薬ってそんなもんなのかねえ。

2月も中旬を過ぎるころには、あれだけ悩んだ不整脈がピタッと止まった。さあ、こうなると日射しも日ごとに強くなり過ごしやすくなって来ているので、身中のお出かけ虫がムズムズ。気分は早、山頭火の”分け入っても分け入っても青い山”だ。

春のぶらり旅はどこに行こうかなあ。

NHKの大河ドラマ”豊臣兄弟"の影響も重なり、大垣の墨俣一夜城や伊賀の上野城など名古屋周辺に行きたいところがわんさかある。

しかしながら山爺、のんべんだらりと無駄に齢(よわい)を重ねてしまい、まもなく喜寿になろうとしている。いつまで元気で歩き回れるか先行きが不安だ。(このブログを執筆時には喜寿を過ぎました)

江戸時代になり世の中が平和になると人は一生のうちに一度は伊勢神宮に詣でお礼参りを果たさねばならないという風習が芽生えた。山爺もかねがね詣でなければなあと思ってはいたの
だが・・・いつ参る?『今でしょう』。

というわけで今年の春季ぶらり旅はお伊勢参りに決定。

3月になればJRから各駅停車限定ながら3日間乗り放題で一万円の青春18切符が発売される。伊勢市までJR路線が継っているのでこれを利用すれば山爺の最寄駅から1万円で伊勢市まで往復できる。誠に経済的な移動手段となる。

それでも高速バスの楽チン移動を覚えてからというものは各駅停車で延々乗り継ぐことが億劫でしかたがない。

かつては時刻表で乗り継ぎ列車を調べて行程表を作成、缶ビール持ち込んで列車に乗り込み車窓を見ながら気分は”呑み鉄本線日本旅”的な旅が楽しかったがそれが億劫となってきたのである・・山爺も歳取ったんだねえ。

名古屋までの高速バスの発便を調べたら9時~11時の昼便で土曜日:東京駅発9:30¥4300 月曜日:名古屋駅発13:00発¥3100 合計¥7400 名古屋から伊勢市まで往復¥4080を加算すると合計¥11480 18切符よりちょっと割高だが高速バスの指定席料金と思えば納得の増額だ。

実際は楽天トラベルから購入したので溜まっていたポイントが使えたので若干安めになり往:¥4000 復:¥3000と相成った。¥7000で名古屋往復出来るとは貧民の強い味方、JR高速バスのなんとありがたいことか。ちなみに普通に乗車券を購入して東京駅から名古屋まで各駅乗り継ぐと片道でも¥6380です。 (°0°)!!

3月7日(土)早朝に家を出て東京駅に8時30分到着、八重洲口の駅弁屋”祭り”に立ち寄り昼の弁当を購入した。暮に購入して美味しかったちらし寿司を探すも見つからない。仕方ないからいつもの柿の葉寿司¥1290也をチョイスした。

9時過ぎに地上に出て乗車する高速バスの運行状況を確認する。予定通りの運行のようだ。乗車状況は”満席”となっている。隣席が空いていることを期待していたのだが残念。山爺は早割購入だったから¥4300だが乗車直前に窓口で購入すると¥5800と割高になる。それでも新幹線と比べると半額だから利用する人が多いんですねえ。

中には悪知恵の働く奴がいて、まず2人分隣席も予約しておいて片方を寸前にキャンセルする。そうすれば上手くすると隣席は空席のままに・・悪い奴がいるもんですなあ。小心者の山爺はそのようなこと思いつきもしませんわ。



八重洲口のJR高速バス乗り場は1番~9番まで、ここから日本の東西南北各所へバスが次々と出て行く、さすがは大都市のど真ん中だ。

改札が始まったので乗り込もう。コピーしたQRコードを提示して無事乗車。網棚に脱いだ上着と旅行カバンを載せて、飲み物・昼食・おやつ・文庫本を小袋に開け変えて着席し発車を待つ。
ちなみに窓側の隣席はうら若き女性でした・・・山爺も若いころならば少しは胸がときめくのだが喜寿になんなんとする今は女人は無用の介、余計な気遣いが増えるのでありがたくない。

定刻通りバスがゆっくりと動き出した。名古屋まで5時間15分の走行予定だが・・果たして何時間かかるやら。
今日のバス便は足台が付いており靴が脱げるようになっている。こいつは良いや。・・でぇも~・・隣席が若い女性では靴脱ぐのは山爺がおぢさん然と見られそうではばかられる・・こういうことなんでよ隣席に若い女性が来るのを良しとしない理由があるのは。(T_T)




早速、本を広げて読書を開始する。車窓から景色を眺めながら時々お茶飲んでの読書三昧、高速バスならではの贅沢だなあ。

車内はほぼ満席だが目の届く限りでは、読書しているのは山爺のみ、後の方々は寝ているかスマホの画面を覗き込んでいる。・・時代が変わりました。・・って取り残されているのは俺だけかい。

今日も道路は渋滞模様で東名道を高速バスは低速バスと化してノロノロ進む。
それにしても今日のノロノロはいつもよりひどそうだなあ。

いつもだと2時間走行して足柄SAで20分休憩する。ここからは富士山がよく見えるのでいつも楽しみにしているのだが今日は渋滞がひどくドライバーさんの判断でその手前で休憩するようだ。降りてみるとなんか地味なSAだなあ。(実際は鮎沢PA)
周りはヤブ山ばかりで眺望も悪く富士山の富の字も見えません。販売店も小さな建家がぽつんとあるだけ。おション休憩しただけに終わりました。

ふたたび走り出しましたがこの頃より渋滞はなくなり順調な走行が始まりました。足柄SAを横目で見ながら通過。

さて、お昼も過ぎたので柿の葉寿司でも頂こう。

中身はタイ・シャケ・鯖の三種×2個ずつ・・酢と昆布?でよく〆てあり絶妙な味、2個ずつあるというところが憎い配慮ですねえ。

1個だと味わう間もなく平らげちゃう。2個めはゆっくりと・・そんな理由で同じものが2個ずつ・・深謀遠慮って、そんなわけないか。 (^^;

とは言え小ぶりな6個ですからやはりあっという間に平らげてしまい”ごちそうさま”と相成りました。



ぱくつきながら車窓に目をやるとなんとも雄大な富士山が見えてるじゃあありませんか。


何度見ても秀麗な富士山を見るとなんか得したような気がするのは山爺だけ?。

高さが日本一だから?それだけじゃあないような気がします。左右対象の円錐形、程よく雪を被っているなどが作用しているんだろうなあ。

鮎沢PAから2時間走行したのでいつもの遠州森町SAに休憩停車。

ここまでくれば名古屋まで残り1時間30分だ。



結局、到着予定時間14時45分に遅れること40分で名古屋駅新幹線口に無事到着です。まあ、40分遅れは想定内ですがね。

時間も中途半端なのでいつものように大須商店街に移動し早めの夕食を採ろう。

名古屋から大須観音のある大須商店街は地下鉄乗り継いで10分くらいだ。

山爺はカオスめいた大須商店街がお気に入りだ。なにせ商店街の中にお笑い演芸場まで混じってる。そして飲食店が総じて安い・旨い。
まずは商店街をぶらつきながら、めぼしい店をさがそう。

と、目の前に雰囲気が良さそうな串揚げ屋が目に入る。

去年の暮れは名古屋名物味噌カツで一杯だったが今日は串揚げで一杯やりたいなあ。

素人が作つたような風よけのビニールカーテンをガタピシ開けながら入店。

串揚げ定番8本盛合せと角ハイボールを注文する。


どうです、旨そうでしょう。実際旨かったですよ。





この生姜の串揚げなんか絶品ですよ。

生姜を揚げちゃうなんて芸当を最初に思いついた人は天才だよ。いったい誰が考えたんでしょうかねぇ。 (^^♪

大阪の串揚げ屋の多くはソースが平たい容器にたっぷりと入っており、横に大きくメモ書きで『ソース2度付け禁止でっせ』と書いてある。またそれが売り・自慢みたいだけれど、蓋がないことが多いんだよねえ。『ソースにホコリ・唾が入りまっせぇ』と言い返したい。

その点、この店はソースがボトルに入っているので2度付けでも3度付けでも出来るのが賢い。ハイボール1杯呑んで税込¥2300くらい?だったかな。庶民の味方の料金、まさにご馳走さんですねえ。

このお店(T串揚げ屋)は確か東京上野の御徒町でも見かけたような気がする。今度入ってみよう。さて、ほろ酔いし腹もくちたのでサウナホテルに宿泊しバス移動の疲れを癒そう。

午前9時37分の名古屋発快速みえ3号鳥羽行に乗車して一路伊勢市へ。伊勢市駅に11時7分に到着。

お伊勢参りは外宮→内宮の順にお参りするのが習わしなので、まずは外宮をお参りします。

お伊勢様は日本の神様の総元締めだから単に神宮で通じます。また、これが正式名称でもあります。ゴルフの祭典にジ・オープンというのがありますが全英オープンのことです。世界最古の歴史あるゴルフ競技なので地域名を載せなくても世界に通じる。なんか似てますね。

【山爺の一メモ】
伊勢神宮にまつわる伝承などを適当に書き散らかしております。ご一読くださいませ。

伊勢神宮は内宮(ないくう)と外宮(げくう)の二つに分かれ内宮は天皇家の祖先とされる天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀る。

内宮:皇大神宮(こうたいじんぐう)と呼び天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀る。社史伝説によれば11代垂仁天皇26年(西暦は紀元前4年?)のとき創建されたとしていますがこの年代を真摯に捉えると、このころは弥生時代、日本各地に小さなクニが勃興し始めた頃でヤマト王権の誕生はまだまだ先の話。

外宮:豊受大神宮(とようけだいじんぐう)と呼び豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)を祀る。もともと京都北部の丹波の神様でしたが内宮の天照大神が自分ひとりでは食事が摂れないと言われたので伊勢に呼びよされたされています。内宮創建から500年後の雄略天皇21年(西暦477年)創建とされています。・・食事の世話の依頼が500年後とは神話はまことに悠久な時の流れを設定しますねえ。

ちなみに現在の伊勢神宮の祭主(神官の長)は現天皇の妹にあたる黒田清子(くろださやこ)様で2017年から任官してます。

さて、ここからは山爺の裏付けのない私見というか学説無視のめちゃくちゃな想像が混じりますので座興として捉えてくださいませ。

なにせ卑弥呼時代からヤマト王権の成立までの史観は東大や京大の偉い学者様が今持って喧々諤々で、史跡の発掘などの実証が乏しく定説がありません。だから山爺でも勝手に想像が膨らみ与太話ができちゃうのです。・・(^^♪

ヤマト王権の成立を早くても4世紀初めとした場合、王権のよりどころとして神社を祀るのは当然だから内宮は実際そのころ建てられたのではと考える。建てる場所は当然霊験あらたかな場所が選ばれるから弥生時代から崇められていた地域を選んだのでは。

日本人は縄文時代の昔より大木や巨石など自然物に神が宿ると考え、その場所を神域として尊ぶ風習があった。

外宮の創建(西暦477)から500年前は紀元前4年ころからだから弥生時代だ。そのころから崇めていた地域にまず内宮を建立、ついで外宮を立てたに違いない。無論内宮の建立は500年前ではなくずっとのちの大和王権が始まった年代だろう。

では祀られた天照大御神とはいったい誰なのか。そして外宮の豊受大御神とは誰。

中国の書簡に始めて倭国(日本)の話が出てくるのがご存知の魏志倭人伝(西暦280~290年編纂)に出てくる卑弥呼である。

魏志倭人伝によれば3世紀末の倭国は男子を王としたがまとまらず大乱となり女王を立てると治まったとある。この女王が卑弥呼(姫巫女)である。卑弥呼は鬼道(占い)に従事し独身で人前には出ない、食事や身の回りの世話は弟が行ったと書いてある。

西暦238年以降、この王権は魏に使者を出しているので史実だろう。没年は248年とされていますが247年248年と立て続け日本の西日本で皆既日食が起こっている。

卑弥呼はシャーマンだ。2度も皆既日食の予測を外したので霊力が薄れたとして部族長らにより殺されたか自死したのではと思う。

さて豊であるが魏志倭人伝に台与という記述もある。卑弥呼が死んで男王が立った治まらずふたたび大乱となった。卑弥呼の宗女(卑弥呼は独身だから血縁関係はない)である台与が13歳で女王になることにより治まった。宗女であるからには当然、幼少より卑弥呼の食事を含む身の回りの世話をしたに違いない。

ここまで書くと賢明なる読者諸君はお分かりでしょう。卑弥呼は天照大御神、豊受大御神は台与のことです。大和王権の始まりは卑弥呼の時代まで遡るのだと思います。従って内宮の創建もこのころだと思える。

卑弥呼が死んだ=神話では天照大御神が天の岩戸に隠れた(皆既日食現象)として伝承・・のちの古事記や日本書紀に記録したのでしょう。

では、卑弥呼が住んでいた邪馬台国はどこにあったのか。明治末期より京大の学者は大和説、東大は北九州説を唱えて以来、未だ決着を見ない。松本清張は北九州説を提唱している。

山爺は・・並み居る識者に混じってまことにおこがましいことですが大和説を取ります。なぜか、それは記紀に乗っている神話を史実と考えるからです。神武天皇の即位の頃は西暦紀元前660年ころだから年代や史実の是非はともかく卑弥呼の時代より先であることは間違いない。

神武天皇の東征神話とは、簡単に言うと九州の日向は住みにくいので(火山・台風など今も当時も災害が多いから?)兄弟や諸臣を率いてよい土地を求めて東征する。瀬戸内海を進んだが抵抗にあい挫折、紀伊半島を迂回して熊野から上陸し土地の豪族長髄彦(ながすねひこ)を滅ぼし大和を平定、橿原宮で即位した。

卑弥呼の話はこれよりずっと後だから卑弥呼が九州にいるはずがない。これが山爺の卑弥呼大和説の根拠です。神武天皇が実在したかどうかはともかく九州から大和族の祖先が移動して現地の豪族を制圧し住み着いたことは事実と思う。

お伽噺や神話をのんきに聞いていてはいけません。その裏には古代に起きた恐ろしい史実が隠されているのです。

例えば古事記・日本書紀に記録されている天照と大国主命の国譲りの神話にこうある。

大和族が先に繁栄していた出雲族の長の大国主命に対し使者を遣わし、私(天照)は天孫族で正統な国の統治者です。国を譲りなさい。あなたには立派な神殿を建ててあげるので常世の世界から幽世(かくりょ)の世界を治める神になりなさい。と迫る。幽世とは死後の世界のことだ。

まずアメノホヒという使者を送るが大国主に惚れ込んで出雲の娘と結婚して帰ってこない。次に送った使者も同様に取り込まれてしまう。ついに最強武神である武御雷(タケミカヅチ)

を送り譲渡を迫る。・・・話し合いとは言え武御雷が剣の上に座っての談判だからこれは恐喝だろう。

大国主命は息子の事代主神(コトシロヌシノカミ)と建御名方神(タケノミナカタノカミ)に相談する。事代主は国譲りに賛成・建御名方は力比べすると回答。建御名方神は力比べをして敗退し諏訪方面に逃亡(現諏訪大社の祭神)になる。

これを史実に引き直すと古代、出雲政権と大和政権の権力争いが勃発し大和政権が勝利し大国主命は殺された。殺しておいて立派な大社を建て大国主の怨霊を封じ込めたのだろう。戦功のあった武御雷は出世して鹿島の地方長官に収まる。・・・現、鹿島神宮の主祭神です。

最初は文官を派遣し政治交渉、ダメになると軍隊を派遣し戦争で解決しようとする。2000年前から今持って同じことの繰り返し、人間の何と愚かなことか。

古代から日本人は非のない相手を抹殺した場合に祟というものを信じ恐れた。ゆえに政敵を殺しておいて祟を恐れるあまり被害者の霊を鎮めるために立派な建造物を造る、これが出雲大社だ。

法隆寺も聖徳太子の怨霊を慰めるために政敵が作ったという逸話がある。

これらの雑学を頭の隅に仕込んでから伊勢神宮を参拝すると興味が倍増すると思います

伊勢市駅から真直ぐに伸びている道路を歩いて進むと5分ほどで外宮に入口に着きます。
まずは手水舎(てみずや)で両手・口をすすいで身を清めてから参拝をしなければなりません。善男善女が真摯に身を清めてます。
鬱蒼とした森の中を進むと前方に鳥居が見えました。

いったいに神社へ向う参道を歩く場合は中央を歩いてはいけません。中央は正中といい神様の通り道です。

伊勢神宮の場合は外宮は左側通行と看板が出ているので皆さん真摯に左側を歩いてます。なぜ左側通行? 社殿に正対し右側上位、左側が下位になるのだそうです。下位から入って上位に抜けるの一般的に正しい参拝の仕方のようです。神社のしきたりが最優先になるようでが、要は真ん中さえ歩かなければ大丈夫です。

式年遷宮御敷地というところに着きました。ここ伊勢神宮では20年に1度ごとに神殿を新しく変えるという習わしがあります。ここが次回の建築予定地なのです。

出雲大社の遷宮は60年ごとでだいぶ年月が違います。また遷宮予定地という土地がありません。現状建家の改修に終止するのです。

遷宮年月の違いはなぜなのか。戦の勝利者である大和政権は20年ごとに新築し霊力を維持する仕組みを継続。滅亡させた出雲族は霊を封じ込めるために新築は認めず建物をそっとさせておく。そんな大和政権のもくろみが見えるのは山爺だけだろうか。

ちなみに伊勢神宮が前回行った遷宮にかかった費用は558億円で神宮が6割負担、残りの4割を全国の寄付で賄ったとか。神宮、お金持ちぃ!! 国を守る神宮なんだから国庫負担でもいいのでは、F35戦闘機数機と同じ値段で20年保つんだから安いもんですよ。

境内には神宮杉と呼ばれる大きな杉の木が此処彼処に存在します。樹齢1500年くらいかなあ。





豊受大御神を祀る正宮(しょうぐう)に着きました。ここから先は撮影禁止です。

皆さん、確かに左側から参拝し右側に抜けている、作法通りです。



続いて土宮(つちのみや)と呼ばれる別宮を参拝しました。大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)をお祀りしています。

この神様は外宮創建前の古くから山田原(外宮の地域)の鎮守神として祀られいた。外宮創建後は宮域の地主の神として祀られているとか・・・土着の豪族の守り神だった場所によそ者の大和族が押しかけて聖地を奪ってしまったと言うあらすじが見え隠れしていますねえ。

さて、次は内宮にお参りします。外宮前から内宮行のバスが出ています。臨時便が次々と出ているようなので待ち時間はありません。バス時刻の下調べが無駄になりました。
しかもバスは2台連結構造で詰めれば100人は乗れそうです。さすがはお伊勢様ですねえ。

移動時間は約20分、幸い座れたのでしばし微睡むことができました。

さて、内宮につきました。大勢の人々が集まってます。

何やら和装の衣装に身を包んだ団体がパフォーマンスまでしております。



外宮では左側通行でしたが内宮では右側通行となっています。なぜ違うのでしょう。

前述の通り、道の真ん中は正中と言い神様が通るので開けなければなりません。

五十鈴川にかかる宇治橋を渡り境内に入ります。皆さんお行儀よく右側通行してます。
橋を渡り右手に曲がると大きな鳥居が見えてきました。


図の赤線の通りに参拝してきました。

手水舎が右手にあるのでここは右側通行です。通例では左側通行なのになぜここは右なのか。
それは禊の行われる五十鈴川が正宮の右手を流れているからでしょう。

一般的な作法通り左側通行にすると途中にある禊場に行く場合に参道を横断しなければならなくなります。つまり神の通り道である正中を横切ることになるので不敬になってしまいます。なのでここは右側通行としているようです。

式年遷宮の由緒が書かれた看板があります。それによれば式年遷宮は天武・持統天皇の御代から(西暦690年)とあります。

でも、これは制度化した年月でありそれ以前から霊力維持のために不定期で造り変え(遷宮)は行なっていたものと山爺は思います。



禊の行われる場所です。

体全体を水没させる必要上、結構深いです。当然安全柵なんかありません。子供が落ちたら大変だなあ。

僕、落ちるなよ。・・”五十鈴川で子供が川に落ち、助けようとしたお爺さんが溺れて亡くなりました。なお、子供は別の人に救助され無事”・・なんて話がよくあるからなあ。
 (´Д`;)
綺麗な水流で禊に適していますが冷たそう。小さな魚が群れて泳いでいました。








外宮にも増して大きな杉の木があちこちにあります。

やはりこちらの地域の方が歴史が先なのかな樹齢2000年近くありそうでこの木は卑弥呼も見ていたかも。
欝蒼とした森の中を進んで行きます。

なんか真ん中通っている人が多くなってきたなあ。 神様のバチが当たるゾぉ。
内宮の正宮に到着しました。もう歩き方、めちゃくちゃ。 

無作法でも暖かく迎えてくれる天照大御神さまは、おおらかで寛大だねえ。





正中も上下(かみしも)もありません。皆さんゾロゾロと正宮のなかに吸い込まれて行きます。
内宮は右側通行なので一応、右から進んで参拝し左に抜けるような流れになっています。



正宮を左に抜けて下って行くと途中に何やら倉庫みたいな建物が・・まさに弥生時代の穀物倉庫、校倉作(あぜくらつくり)じゃありませんか。

外弊殿(げへいでん)と言うそうで古神宝類(日用品や馬具等)が収められているそうです。



登った先に荒祭宮(あらまつりのみや)があります。
荒祭宮とは天照大御神の荒御霊を祀る別宮です。
荒御霊とは神が特別な働きをする状態なんだそうです。神が働く場所?・・なら天照(卑弥呼)が加持祈祷をした場所なのかな。








参拝を終えたので神楽殿というところで皇太神宮様の御札をいただくことにします。

大勢の人々がご利益にあやかろうと列を作っています。

初穂料、¥1500也、これで我が家の神棚にもようやく天照大御神のご神体を祀りすることが出来ます。今年は運気が開けるかなあ。


参拝を無事に終えて一安心。
宇治橋を渡ってお伊勢様に別れを告げておはらい町からおかげ横丁を散策します。

おはらい町・おかげ横丁って何?
なんとなく意味はわかりますがねえ。

お伊勢参りのこと別名おかげ参りともよびます。これまで無事にすごせたのも天照大御神のお力の賜物としてお礼参りに行く。江戸のの昔より日本人に根付く習わしです。

お陰さまと謝礼するのが目的だから参拝時に頼みごとをしてはいけません。皆さん分かっていて参拝しているのかなあ。 おはらい町・おかげ横丁はそんな意味が含まれているのかなあ・・と思ったらさにあらず。

おはらい町:江戸の昔から参拝客の宿舎が軒を御師が参拝客に神楽お祓いで接待したことからおはらい町として栄えたが近年になり一時廃れた。

おかげ横丁:高度成長期以降になると参拝客は大型バスなどの交通機関を利用して神宮に参拝し、おはらい町に立ち寄ることなく鳥羽や 志摩の観光地に行ってしまうので寂れた。当然伊勢名物の赤福の売上も大打撃。

これを打開すべく赤福の社長が立ち上がり140億円を投資して江戸時代を模した町並み再現させ土産店・飲食店を整備した。おかげ横丁は1993年より開業。名前の由来は伊勢神宮のおかげ様で生計が成り立つという感謝の意味合いとか。

驚きました、つい最近の出来事だったんですねえ。それにしても打開策とはいえ140億円もの私財を投じるとは・・・大成功は、やはり天照大御神のおかげなのかなあ。

お伊勢様をぶらり旅しましたがいつもと違う手応えをしっかりと掴んできました。いやあ旅っていいなあ。

追伸:お伊勢様から帰ってからしばらく後、数年ぶりに風邪を引きました。旅先で質の悪いウイルスを仕込んだようで熱こそないもの2週間以上も咳き込んでひどい目に
・・・バチあたりなことなにかしたかなあ?。・・旅のブログもようやく書き上げました。

【川柳】
・おかげさま 真摯に祈る 伊勢神宮
・おかげさま つぶやき赤福 口にいれ
・赤福を こねて横丁 作りあげ

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