山爺もいつの間にやら加齢を重ね後期高齢者というありがたくもない区分域にいる。それにしても後期高齢者とはひどい言い方だ。未亡人に次ぐひどい言葉ではないか。起草した奴出てこい。小年配者とか中年配者とかいくらでも優しい日本語あるだろうに、なにを考えているのだ。この分だとそのうち90歳以上は前期短命者とか後期短命者なんて専門用語を作られそうだ。
とかく法律を起草する奴らは偉そうにやたら堅苦しい造語を作りたがる傾向にある。たとえば無限連鎖講って分かりますか。ねずみ講のことです。クイズに使えそうですね。
銀行券って知ってます?お札のことですよ。外患誘致罪(略して外患罪)とは?。刑法第81条 外国と通謀して武力を行使したものは死刑に処する。
と簡単に一行だけ書いてありますが、日本国で一番重い犯罪で刑罰が死刑しかありません。しかも、もしくわといった選択条文がないから情状酌量の余地なしの無罪か死刑。おお怖っ・・
大体になんだい外患って、医者がよその病院の外来患者を不法誘致したみたいじゃないか。最重要な犯罪なんだから他国軍誘導罪とか国家騒乱罪とかわかりやすくしたらいいだろうに。・・って、おい、騒乱の挿絵が違うぞ。こりゃソーラン節じゃよ。雑学はこれくらいにして。山爺も後期高齢者、あと何年山歩きが出来るかわからない。2~3年くらいかなあ。まだまだ行きたい山が沢山あるので1年でも長く元気でいたい。
ようやく暖かくなって陽気もよくなったので鍛錬を兼ねて近隣の山へハイキングに行ってみよう。幸い我が家から電車で30分もかからない足利には良い低山が沢山ある。冬季引きこもり明けだからまずは軽いところ。東武足利市駅のすぐ後ろ(前?)にある浅間山(せんげんやま)に行ってみよう。前日に急ぎGoogleビュウと国土地理院から地図をコピーしてルート確認する。浅間山から全行程3時間くらいだろう。
ザックに山道具を詰め込み準備を整える。
3月14日の朝に家を出た。明日は山爺の誕生日だ。また1個歳が増える、嫌だなあ。
家を出て一時間足らずの9時前に東武足利市駅に到着する。日本100名山を著した深田久弥の言葉を借りると『足利は近くてよい山なり』だ。
ちなみに深田久弥は谷川岳を評して『谷川岳は近くてよい山なり』と述べている。駅を出ると目の前にコンビニがあるのでいつものようにここで昼食や飲み物、若干の菓子を購入する。
駅を出て東武線高架を目印に10分も歩くと浅間山の表参道に到着。
繁華街の駅ちかでコンビニがあり徒歩10分で登山口に着く、こんな山は全国でも稀有なのでは。駅ちかに登山口のある山々は数多くあるけれどその多くは田んぼの中にぽつんと一軒駅で、しかも無人駅が多い。列車の来るのは1~2時間に一本なんてね。
ここが登山口でここからしばらくは舗装された道路を歩く。
案内板があります。なになに、この山の全域が足利の豪族長尾氏の出城だったようで富士山城址と呼ぶようです。
築城年は定かではないので記入されておりませんが天正年間(1573~1592)の間。廃城になったのは1590年、長尾氏が秀吉に敗れて滅亡したことによります。
富士山城址の名称と配置は図の通りですが素人目にも3つの出城がお互いを牽制し合えるので相当堅固だったのではと思えます。
今年最初の山道歩きなのに息が上がらないで順調に足が出る。今日は調子が良さそうだ。眼下に見える鉄橋は森高千里ちゃんのご当地ソング”渡良瀬橋”のモデルになった橋です。 ♫渡良瀬橋で見る夕日が~・・ってか。柄にもなく山爺この歌、お気に入りです。
駅の着メロとか河川に記念碑を作ったりして足利市としても応援していたようです。そうそう街中には歌詞通り”♫床屋の脇にぽつんとある公衆電話”が今も存在しています。
猪、出没注意の看板が・・ここも猪出るんかい。猪と熊とどちらが嫌かって、無論どちらもお会いしたくはないが本州の月輪熊に限れば熊より断然、猪の方が出くわしたくないですねえ。
熊の方は賢そうな動物なので人を避ける習性があるが猪はあまり利口そうに見えない。人を見ると文字通り猪突猛進しそうだ。あの牙で突っかかられたら命が危ない。
道端に水仙が綺麗に咲いてました。お行儀よく並んでいるので明らかに人の手により植えられたものでしょう。30分も歩くと山頂にある神社(祠)が見えてきました。
浅間山は一番高い富士山城址でも108m(駅からの標高差約60m)だからちょろいもんです。今の山爺はこんな山でも楽しい。
柵柱の根元が焼けて浮いているのを見つけました。また周囲が焼け焦げています。
たまたま山道を補修していた神社の寄合員の爺様が頼みもしないのに近づいてきて状況を説明してくれました。
それによれば最近、山頂一帯の草むらが焦げてたとか・・原因は不明だがタバコの不始末だろうとか。数年前も足利両崖山一帯が大火事になったばかり、足利市ツイてないねえ。
『ボランティアが後始末を手伝ってくれたのは良いが燃えた木々の処理で鎌使わせたら若いもんは鎌の使い方を知らん。斜め切りしてしまい危なくて踏み込めない、困ったもんだ』『あとで直さんといかん』・・と。
なるほど、切り口が竹槍状に切ってある。子供が踏み込んで転倒でもしたら大ごとになりそうだなあ。
赤城山がよく見えます。数日前の冷え込みと雨で山頂付近に白いものがあります。
左に目を振るとくっきり雪をかぶった浅間山(あさまやま)が見えます。そそっかしい奴は富士山と間違える。
爺様に対し、お愛想に『山道の整備ご苦労様ですねえ』と言うと『なあにいろいろな人に会えて話が出来るから楽しいよ』・・なるほど、だから山爺に人懐っこく近づいてきたんだ。
・・このあと、『どこから来た』に始まって延々20分近く世間話。・・・いやあ参ったなあ。お愛想するんじゃあなかったと大後悔。
『じゃあ』と言って次の場所に移動しようとするとノコノコついて来て、ここ曲がると胎内洞窟とかそこ登れば富士山城址だとかこの先の坊主山にも城跡があるよとか囂しい。
そんなことは当方出かける前に調査済みだよ、爺様ぁ。
えらい爺様に遭遇してしまったなあ。ここは人助けと思って我慢して話にお付き合い。胎内洞窟への下り道で別れた。
下ること数分で胎内洞窟に到着。説明文によれば自然に出来たのではなく掘削して文殊菩薩を祀ってあるそうです。岩の上部が黒くなっているのは加持祈祷時の炎が当たった跡です。
再び元の山道に戻る。『どうか、先ほどの爺様がいませんように』山道を左に曲がると・・うわぁ居た!。道端の石ころをほじくり出している。『見てきたかね』『はい・・・』 (´д`)
富士山城址に登る急な坂道でようやく付いてくるのを諦めるようだ。
坂道を5~6分も登ると以前にも登ったことがある富士山城址だ。
祠がぽつんとあるだけの地味な山城跡だ。ここが標高108.7mなのかな。
反対側から下山しもとの主山道に出て坊主山へ・・うわあ、爺様が道端の整備をしている。
『こんちは』通り過ぎるとまたトコトコ付いてくる。
坊主山の分岐点までついてきた。『前回ここからの登り口が分からなかったんだよねえ』と山爺。
なんと立派な道がありました。爺様ありがとう。登り始めこそ明瞭な道でしたが徐々に狭まり険しくなりました。そりゃあ元砦だもの、簡単に登れたのでは戦の役に立たんわ。
でも10分もすると広い所へ出ました。坊主山城址です。石垣も何もないただの広場、祠さえ見当たりませんでした。
先ほど3つの砦が連携するから堅固そうと言いましたが前言撤回、掘割もろくに無いようだし山爺でも一息で登れてしまう、こりゃあ攻められたらイチコロ落城だなあ。
早々に下山し元の分岐点に戻ってきました。
爺様いるかなあとキョロキョロしましたが居ませんでした。もとの浅間山で別の話し相手見つけに行ったのかなあ。
(^^♪
下山は別の道を選択、日溜まりの中をのんびりと歩きます。
と、前方に桜の木が見えてきました。
早咲きの桜が満開です。これだから春先の里山は楽しい。
さらに下ると神社に到達しました。田中地区の八雲神社です。
足利市には五つの八雲神社があります”渡良瀬橋”で歌われた神社はここではありません。
歌に登場したのは緑地区の規模の大きな八雲神社ですが2012年の12月に不審火により焼失したとか。・・あれまあ。
階段を登って神社参拝、家内安全を祈願し、無事下山のお礼を言う。
境内にベンチがあり、トイレもあったのでここで早い昼食を採らせていただいた。
【川柳】
・猪も 饒舌もでる 足利山
・足利の 山路で 出会う 饒舌爺
・足利の 山ガイドもする 神社守
・渡良瀬の 歌に出てこぬ 地味八雲
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