山爺は毎年元旦に郵便受けを覗き込み中に入っている年賀状を取り出すのを楽しみにしている。家に戻って親戚、元会社の先輩や同僚、学生時代の友人など、日常疎遠になっている方々からの賀状に目を通しその消息を1年ぶりに確認出来ることが何よりである。
去年(24年度)の正月に知人からいただいた年賀状の文面に”これで年賀状の交換を終了したいと思います”と書いてあり、いささか驚いた。それが今年は5件に増加した。やはり年賀状しまい流行りなんだなあ、昨今の年賀状しまいブーム、理屈ではわかっているつもりだがこの風潮に山爺は馴染めないでいる。
阿藤快の言葉を借りれば『何だかなあ』である。そのほか”虚礼廃止で今後はメールで挨拶を”という人も複数いたがその方々から爾後メールが来たことはない。
年賀状の歴史は古く、現存する文書の最古のものが平安時代の学者の藤原明衡とされています。飛脚便の整備にともない江戸時代には武家や商人の間で年賀挨拶状が普及し明治初年の郵便制度の開始にともない庶民にも拡大します。年末に投函すれば1月1日に届くという仕組みは1900年頃に始まりました。
現在のようなお年玉付き年賀はがきが発売されるのは1949年12月からです。
年賀状を交換していれば、普段疎遠でも年間わずか63円(24年10月から85円)で相手の近況や安否がわかる優れた手段だと山爺は常々思っている。
斯く言う山爺が年賀状に積極的になったのは所帯を持ち、式にご列席頂いた方々への礼状として出したのがきっかけだ。ワープロやPCの普及がその手助けをしたことは言うまでもない
それまでは文字書きが苦手で金釘流の山爺ゆえ元来が筆不精、こちらから年賀状を出したことは一切なく頂いたものだけ気が向いたとき返信していた。当然年々賀状は年々減り続け遂には数枚まで落ち込んだ。 (^^♪毎年、年賀状を出していれば、普段疎遠の人でも孫が生まれたとか旅行にに行ってきたとかお元気な様子がわかる。
事実、最近は山爺の知人や元職場の先輩・同輩の訃報をその案内状で知ることが多くなってきた。そんな優れた文化が今廃れようとしている。
年賀状しまいをしてしまうとその時点でその方との音信は全く途絶えてしまう。
万が一逝去された場合、陰でご冥福のお祈りどころか亡くなったことさえ露知らず・・・・のんきに暮らし続けてしまう。
一体に年賀状しまいとはいかなるもので知識人の誰が言い出したものか?言いだしっぺ出てこ~い。
年賀状しまいの理由はSNSによれば次の理由が主なんだそうです。改行以下の文章は山爺の私見です。
①郵便料金の値上がり
これが理由の人は何百枚も賀状を出している人なんだろうなあ。10人や20人なら数千円ですよ。これが理由とは思えない。
②SNSやメールに切り替える
普段からSNSやメールやり取りするほどの間柄なら初めから賀状交換はしていないだろう。
③引越しなど環境が変わったことを機会に止める
義理で出し続けていた場合、これはありうるなあ。ちょうど良い機会(作者注:ちょうど良い機会とは自分にとって好都合)だからと考える。
④終活の一部
加齢とともに賀状作りがしんどくなった。面倒くさくなった・・そんな時こそ賀状を出しておいたほうがよいのでは?。
⑤お付き合いの見直し
これが大半じゃあないのかなあ。近況を知る必要もない相手だし、この際、出すの止めよう。・・・国交断絶、最後通牒・・ってか。
年賀状は時代遅れでメールやSNSがそれに取って代わると口さがない人々は宣うがメールやSNS、LINEなどはもともと親しい者同士が使う手段であり普段疎遠の人とは無縁の代物だ。人情が薄れつつある日本、年賀状の廃止によりさらに拍車がかかることは否めないと思う。
私の年賀状しまいの方法は?そりゃあ嫌な相手から来ても返事出さないもん。・・そりゃあ1番ひでえやり方だなあ。
お後がよろしいようで。
【川柳】
・賀状みて 今年も安堵の 年初め
・先に書く 賀状しまいの 優越感
・これにてと 機先制さる 年賀状
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