アクセスカウンター

アクセスカウンター

2017年12月28日木曜日

17年度関西ぶらり旅(後編)

12月10日(日)今日は奈良の飛鳥路を散策しようと思います。朝起きて靴を履くと再び両足の小指の部位に激痛が走ります。

参ったなあ、駅までの道を歩いているうちに痛みが麻痺して薄れてきました。これって脳内麻薬が出て痛みを抑えるのかなあなんて、たわいもないことを考えながら駅に向かいます。


9:00天王寺駅で一旦下車、近鉄吉野線で橿原神宮前に向かうため駅ビルから駅ビルへ移動します。

ここには平成26年に開業した日本一高いビル阿倍野ハルカスがあります。高さは300mとか。

一昨年、通天閣からこのビルを見たとき、大阪人はさすが洒落が分かる、”はるか見下ろす”の洒落で命名したのかいなと感心していたが、ハルカスとは平安時代の伊勢物語の一節”晴るかす”から流用したみたいです。意味は”晴らす・晴れ晴れとさせる”だそうな。なんだパクリかいな、2年間も感心し続けて損した。

駅にはいると、『うわあ!なんだこの改札の多さは』あまりの数の多さに田舎者の山爺は気遅れてしまう。大阪は江戸時代から商人主導の街の影響なのか民鉄のほうが規模が大きいようです。

始発駅なので上野駅みたいに車両がズラッと並んでいる。橿原神宮行の番線に止まっていた電車に乗り込もうとしたが行先不安、ちょうど車掌が暇そうに窓から首を出しているのを見つけた。すかざず、
『この電車橿原神宮に行きますか』
『はい停車します』
不思議なもんで普段、東京都内を歩いていると道不案内に陥ってもほとんど人に物を尋ねることはない。だが、旅行に出るといとも簡単に平然と人に物を尋ねることが出来る。この心変わりようはどうだ。”旅の恥はかき捨て?”なんかなあ。

9:20急行吉野行に乗り一路奈良へ。お行儀悪いが足が痛いので靴を脱ぎ、靴下状態で床に足を付けながら例によってサンドイッチをぱくつく。10時に橿原神宮駅に到着した。思ったより近い。途中2駅くらいしか停車しなかった。さすが急行!でも急行料金は取らない。近鉄さん偉い!

ここで下車したのですが、出やすい西口に出てしまう失策をやらかした。飛鳥方面のバスは東口から出ているようだ。痛い足を引きずりながら地下道をくぐり反対側に移動する。

駅東口に戻り、切符売り場で1日何度でも自由に乗れる飛鳥周遊バス『赤カメ周遊券』を購入する。¥650也。

②番バス乗り場に行ってみると先ほど乗ってきた急行に合わせた10時6分は出たあとで次のバスの時間まで30分以上もある。

お天気は幸い晴れで暖かい。ベンチに座りながらラジオを聴き、しばしの休息。六角精児の”飲み鉄本線日本旅”よろしくウイスキースキットルに手を延ばそうとしたがそれは自粛しました。あのおっさんのような酒飲み体力は山爺にはありませんから。(^0^)

山爺の一言メモ】

六角精児(55) 俳優 O型
NHKBSで忘れた頃放送される”飲み鉄本線日本旅”に出演している六角精児が面白い。各地を鉄道で旅行するのだが朝から晩まで何かと言うと飲んでばかりいる。

それでいて酔うこともなく途中下車して現地をしっかりとレポートする。サイドバック一つで旅を続けるのだがバックの中は常に缶ビールかワンカップお酒が常駐している。

最近NHK大河ドラマ、井伊直虎に本多正信役で出演していたので記憶に新しいのでは?
偉大な飲兵衛、吉田類のほかにもう1人、山爺の尊敬に値する飲兵衛タレントが増えました。

やがて赤カメバスがやってきた。それに乗りまずは飛鳥資料館へ。
車窓から長年来てみたいと思っていた飛鳥の里が見えます。

古墳らしき所でバスが止まりました。明日香小山というところです。

飛鳥の里は古墳だらけ、散策場所には事欠かないんだろうなあ。

資料館に10時50分到着。まず外庭にある石造物を見学する。飛鳥の代表的な石造物のレプリカが資料館の庭に散在しています。これを見たあとに資料館へ、入館料¥270を払おうとしたら係員の女性より
『お若そうに見えますがお幾つですか?』と聞かれた。
『いやいや還暦もとうに過ぎて70歳も間近ですよ』
『証明書ありますか』
『あ~っと、免許証置いてきた』
『生年月日は』
『昭和2×年×月×日』
『あら、お若いですね、どうぞ』と言って入場券とパンフレットを頂いた。
え~只なの?・・ここは65歳以上は無料だそうな。皆さんここに来るときは証明書お忘れなく。但し熟年に敬意を払うのは飛鳥路ではここだけだそうな。


こじんまりとした資料館ですが館内撮影はストロボモードでなければOKとのこと。

京都とは違い太っ腹、そうだよね、ストロボさえ使わなければ展示物は傷まないよねえ。

まあ、京都は外人さん、特に中国人がたくさん来る。撮影許可したらストロボ制限なんか守らないでめちゃくちゃになっちゃうから仕方のない措置だと思う。

飛鳥路観光は歴史好きで古代の歴史をある程度理解した人じゃないと現地を訪れてもただの原っぱでしかなく面白くもなんともないだろうなあ。ここを理解できる外人さんは今のところあまりいないようでほとんど見かけません。たいへん好いことです。

右のガラリは641年ころ建てられた山田寺より発掘されたお寺のガラリです。山田寺といえば蘇我一族でありながら乙巳の変で中大兄皇子に加担した蘇我石川麻呂ゆかりのお寺です。

石川麻呂ちゃんクーデター一派にさんざん利用された挙句、用済みになると謀反の疑い有りと難癖を付けられて、この寺で一族もろとも自害に追い込まれたという凄まじい歴史があります。”狡兎死して走狗烹らる”の例え通りそれを実践した中大兄皇子と中臣鎌足(後の藤原一族の始祖)お主ら悪よのう!。


赤かめバス に対する画像結果この資料館で予備知識を蓄えて11時53分のバスの乗り飛鳥寺に移動します。

飛鳥寺11時57分着、飛鳥寺は田んぼの中にポツンと建っています。その辺の田舎の小さなお寺のようですが、それがまた旅情をそそります。

このお寺は588年蘇我馬子が発願、596年に創建された日本最初の大規模寺院だったとか。ここに
は606年に創建された日本最古と言われる仏像が安置奉られております。

係員の説明によれば、この寺もほかのお寺と同様に887年と1196年、落雷により本堂が焼失したとか。

それでもこの仏像だけは溶け落ちることもなく無事だったそうで。うへえ!ありがたやもったいなやです。仏像のお顔も右と左から見たのでは違うんだそうです。ふむ!そういえば左側の方がややお健やかかなあ。

【山爺の一言メモ】

飛鳥寺の大仏
年代のわかるものでは日本最古の仏像(釈迦如来像)605年製作開始606年に完成した。887年と1196年の2度に渡り落雷で本堂は焼失したが江戸時代に再建した。仏像もその時に焼損、顔の一部や左耳右手中央指3本が創建当時のまま奇跡的に残った。・・・あれ!係員さんの説明と大分違うが?・・ま!いいか!奈良の大仏よりマシだよ。奈良の大仏は創建当時のものは蓮の台座だけで残りは江戸時代に作られた物だものねえ。

お寺の裏側?に出て数10mも行くと蘇我入鹿の首塚があります。

なんでも飛鳥の板蓋宮(いたぶきのみや)での乙巳の変で首を打たれた時その首がここまで自力で飛んできたとか。板蓋宮から飛鳥寺まで直線距離で約600mほどあります。超能力者か?入鹿さんは。

昨年の法隆寺から続く入鹿様の祟り(足の痛み)を和らげてもらおうとお浄財を奉納しよう・・・と思い小銭入れを覗くと100円玉と10円玉しかない。仕方ないから¥20奉納しました。これがいけなかった。お賽銭けちったので、このあと益々痛みが激しくなってしまった。入鹿様恐るべし、死してのち1300有余年、未だ鬼となり霊力を振りまいておじゃる。

12時23分のバスがあるはずなのでバス停で待つ。待てども待てどもバスは来ない。バス停の時刻表をよく見ると、その時刻には※が・・・9/16~11/19 運行と小さく書いてある。駅でもらった時刻表もよく見ると隅っこに小さく同じことが書いてある。

今日は12/10、ははは、来るわけないか。旅行計画をしていた時は30分ごとにバスが運行されているので便利と思ったが、あちゃ~今はシーズンオフなので1時間に1本の運行状況のようだ。30分間隔だとあまり待つ感覚はないが1時間おきだと、どうしても無駄な待ち時間が発生する。これにより山爺の旅行計画が狂いだしてきました。

仕方がないので飛鳥寺から亀形石造遺跡まで900mの道を痛い足を引きずりながら歩くことにする。歩き出すとじきに痛みは和らぐので普通に歩ける。10分ほどで亀形石造物に到着。

ここでも文化財保存協力金なる観覧料金¥300を徴収されました。料金を支払い遺跡内へ、この亀形石造物は斉明天皇が創建したとされているが真相は定かでない。

平成12年にこの遺跡が発掘されたとき、山爺はそのニュースを関心深く見ていた。その時以来ここは単なる天皇の庭園の噴水くらいにしか思っていなかったが、今回訪れてみてそれが誤りであることに気づかされました。山あいのうす暗いところに構築されています。普通こんな谷間の見通しの悪い場所に庭園は作らない。付近に酒船石なる謎の石造物もあることから特別な祭祀用施設だろうと思いました。


解説の係員さん曰く、ここは湧水が出ていたらしく神宿る神聖な場所と崇められて祭祀用として整備されたらしい。施設中、丸い遺跡は禊ぎ用で湧水を禊水として雨乞い等の祭祀を行ったのではないかとのことでした。

なるほど中央の丸い遺跡はバスタブのように見えなくもない。ここで斉明天皇(女性:右画像)が一糸まとわぬスッポンポンになり湧水で身を清め吉兆を占ったのかなあ。


祭祀に立ち会い周りで見ていた人々は、たまらんのう。Y(^O^)・・・(^q^)コラー なんと不謹慎な事を考える親爺だ!!この罰当たりめ!

なにせ卑弥呼以来、天皇の最大の仕事は祭祀の主催者で天変地異が起き続けると民衆から駄目出しを受けてしまう。

卑弥呼は晩年、運悪く日食に2度も遭遇してしまいます。これにより霊力がなくなったと民衆から駄目出しを喰らい殺されたとされる説があります。古代中国の思想でこういう改革を”易姓革命”といいます。『試験にでるから、ハイ!ノート!』って昔、高校の先生がよく言ってたなあ。

特に日照り続きの時は雨乞いなんか必死に行ったはずだ。この付近にある酒船石もどう考えても酒を作る設備ではない。水を流してみて流れの方向で吉兆を占ったと考えると合点がいく。
斉明天皇は乙巳の変で蘇我入鹿が惨殺された当時、現場にいた皇極天皇その人で、変後色々なことがあったので(これを書くと長くなるので割愛)再び天皇に即位した人です。再び天皇に即位することを重祚(ちょうそ)と言います。よろしかったら覚えてね。

その酒船石は亀形遺跡から徒歩5分の竹林生い茂る山の上にひっそりと置かれていました。手塚治虫の漫画でこの遺跡の存在を知って以来、何十年。実物を一度見てみたいなあと思い続けていましたが、やっと念願が叶いました。

この遺跡は平安時代までの250年間存続(使われた?)していたことがわかっていますが、その後谷間にあった亀形遺跡は土砂崩れにでも遭ったのか埋もれてしまい人々に忘れ去られたようです。

12時58分のバスで石舞台に移動します。13時04分石舞台近くのバス停に到着です。相変わらず観光客の姿は少なく数人しか見かけません。

坂道登ること5分で石舞台が見えてきました。ここでも入場料¥250徴収されました。この古墳の被葬者は蘇我入鹿ののお祖父さん蘇我馬子とされていますが定かではありません。

そばによると迫力です。大きな石だなあ。石の重さは北側で64トン、南側で77トンあるそうです。

どうやって載せたんかなあ?。

斜面を作って人間が引っ張ったんだろうと簡単に言いますが、あなた!人間の引き力はせいぜい20~30kg 77トン÷0.03トン=2570人 必要だよ。坂道なら、さらに大人数が必要だ。3000人規模の綱引き、どうやって引き綱さばくのよ?やはり謎だよね。

中に入ってみるとその巨大さがよくわかります。ときにこの古墳はなんで盛土がなくなってしまったのか?。数ある古墳の中でもこの古墳は特異です。普通古墳は製作時に突き固めるので雨くらいでは流れ出しません。解説係員が面白いことを話してくれました。
①乙巳の変で蘇我氏が滅亡したので中大兄皇子らクーデター一派が見せしめに土を剥ぎ取った説。
②付近の住民が蘇我氏が滅亡したので古墳の土を勝手に持ち出して自分の畑の盛土にした説の2つがあるそうで今も学者の間でもめているとか。

山爺は①の説には賛同しない。貴族どもはシャイだから入鹿を誅したものの祟りを恐れて恐々としていたはずです。そんな臆病な連中が怨霊になった入鹿の逆鱗に触れるようなことをするはずがない。神社を建てて怨霊封じをするくらいだから。
②の説に賛同しま~す。

入鹿さんは生前この地方で善政をしていた節があります。民衆にしたわれていたらしいのです。親しみのある為政者だったから民衆は当然祟りなんか恐れません。『蘇我の王様、おいらの土地が痩せたのでお山の土、少し頂戴ね』で、我も我もと古墳の土を運び出しとうとう丸裸にしてしまったのでは。・・・山爺の私見ですが案外ピンポンだったりして。(^O^)

さて次の石造物は”マラ石”です。石舞台近傍にそれはあるはずなのですが。物が物だけに詳しい案内板がありません。大雑把な地図だけを頼りに歩き出しました。

地図上で5分も歩けばあるはずなのですが・・・10分経っても見つけられません。付近の人に聞こうにも村は閑散としており誰にも出くわしません。と、郵便配達の人がバイクでやってきて山爺のそばで偶然停車、すかさず『すいません、この辺にマラ石が・・』質問しながら、ちと恥ずかしい。
『ああ、それならこの道を上がって右に曲がり・・』ええ!そこ、さっき戻った道じゃないかいな。お礼を言って黙々と進みますが枝道が多くまたまたわからなくなりました。

第2村人発見!。『あのお、マラ石は・・・』マラ、マラと誠に恥ずかしい。畑仕事していたお婆ちゃんに詳しく教わり、ようやく念願のマラ石遺跡に到着しました。

畑の中の一角に広場があり、なんの囲いもなくそれはポツンとありました。おお!なかなかご立派なマラ石ではありませんか。でも、こんな遺跡にのめり込む学者なんて誰もいないのでしょう。

制作年代も作者も不明ですが発見当時は垂直に立っていたとか、随分とお元気だったようです。まあ五穀豊穣を願う男性器土着宗教のシンボルでしょう。こういった物は日本全国いたるところにあります。
なにはともあれ撮影に成功しました。めでたし、めでたし。

石舞台の公園?に戻り、岩に腰掛けてサンドイッチとお握りで遅い昼食を採りました。このあとは亀石なる石造物の見学のため、またバスで移動です。

15時10分亀石があるバス停”中央公民館前”に着きました。亀石はここから歩いて5~6分のところにあるはずなのですが大雑把な地図なのでまたまた道を間違え20分ほど余計に歩かされました。

手製の粗末な標識に誘導されてやっと亀石に到達です。これも田んぼの真ん中にポツンとあり付近は隣の雑貨屋さんだけしかありません。



亀というより顔はガマガエルみたいな顔です。この雑貨屋さん、亀石のお陰で大分儲かっているのかなあ、なんて思いながら写真撮影しました。

制作年代・作者とも不明ですがお寺の土地の境界線のための目印に置いたとの説があります。

バス停に戻り飛鳥駅までのバスに乗ろうと思いましたが17時10分発であと30分以上もあります。所在なく待っていると16時51分の橿原神宮駅行きがやって来ました。

飛鳥駅に行きたかったのですがもう日も傾いてきたので、そのバスに乗り橿原神宮駅へ、結局、今日の出発駅に戻りました。

予定ではこのあと西ノ京にある薬師寺まで回る予定でしたが時間切れです。橿原神宮駅より元来た吉野線で大阪に戻ることにしました。大阪阿倍野橋駅まで戻りJR天王寺駅から環状線で天満駅へ、約束した鉄板焼屋”たか”さんに急ぎます。

18時30分、お店の前に到着。『うん?』お店のシャッターが下りてます。
『ええ!そんな馬鹿な、今日来るっていったのに』、時間が早いのかなあ、と周囲を散歩、19時に戻ってきましたがやはりシャッターは降りたまま。

まさか定休日?それとも何かあって休業かなあ。お客に相槌を打っていてもお店の人は”耳が日曜”になっており聞き流すことが多いので多分それでしょう。『あ~あ、それなら黒門市場に行けばよかった』と思ったが後の祭り。

と、隣の中華屋”大来軒”を見ると看板に餃子5色盛(11個)+中生ビールで¥1080の文字が!安う!これに釣られて店内に入り夕食です。看板に偽りなしで5種類の餃子と生中ジョッキーが運ばれてきました。うん!うまい、これはいいや。飲むと少食になる山爺はこれだけで満腹です。

飲み足りないのでメニュー表をみると中生2杯とおつまみ付きで¥1000と書いてある。それを追加注文、すっかりいい気持ちになりました。本当に大阪は安いや!食い倒れの街、大阪万歳!。

楽しかった4日間はあっという間に過ぎて今日、12月11日は移動日です。9時10分発の”青春昼特急8号”に乗るべくJR大阪駅にあるJR高速バスターミナル駅に急ぎます。

8時20分頃ターミナルに到着。この先何があるかわからないのでとりあえずターミナルビル内の土産店(コンビニ)で生八ツ橋2箱購入。我が家用と平成元年来の付き合いである地元中華居酒屋のマスターへのお土産用です。これで一安心。

定刻通りバスが1番ターミナル入り定刻通りに大阪を離れました。月曜なので乗客は6~7人でガラガラ、『こりゃいいや、ウイスキースキットルで車窓眺めながらちびりちびり』出来るわいと思ったが考えが甘かった。京都駅から28人も乗り込んで来ました。これで、ちびりちびりはご破算となりました。

甲南PAに11時25分到着、ここで30分の昼食休憩を摂ります。時間が十分あるので我が家、全員が大好物の”赤福”を購入、さらにうまそうな甲賀忍者餅なるものまで購入してしまいました。土産屋に寄るとつい買ってしまう山爺の悪い癖が出ました。はい! (^-^)/

浜名湖SA⇒足柄SAと順調にバスは走ります。足柄SAでは赤富士がお帰りなさいと出迎えしてくれました。

東名江田あたりからやや渋滞するも定刻20分過ぎの18時30分無事に東京駅日本橋口に到着しました。はやく家に帰り、件の居酒屋で1杯やりながら旅の話でも・・・お土産も渡さなくっちゃ。

このまま、すんなり山手線で移動すればいいものを”地下鉄半蔵門”の案内板を見てしまい。『ああ、あれなら直通で地元までいける』とフラフラと地下へ・・これがいけなかった。

地下道を散々30分も歩かされ、足は痛いわ、疲れるは、帰りは遅れるは、完全に裏目に。・・・地下鉄大手町駅まで歩かねばならないことは普段から知っていたのですがその時は悪魔に魅せられたのか失念。・・・ひどい目にあってしまいました。

入鹿様の祟り、ここまでまとわりついておじゃるか。お賽銭ケチってごめんなさい。

17年関西ぶらり旅(後編)・・・完

****************************************
①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転載は禁止で行った場合、著作権法の違反となります。

読後の感想をコメントまたはメールしていただけると幸いです。