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2019年7月25日木曜日

梅雨の合間に訓練登山

今年の梅雨は例年のカラ梅雨とは違い連日のようにじめじめしており梅雨将軍の面目躍如だ。あれ!梅雨将軍とは、ほかに誰かいた様な気がするが。そうだ、織田信長だ。

山爺が敬愛してやまない新田次郎先生が織田信長を描いた小説のタイトルだ。今川義元を奇襲で破った桶狭間の戦いは1560年6月12日(新暦)に起きている。梅雨そぼ降る中、義元軍に接近し奇襲をかけた時は梅雨の中休み、晴れ間が出たという。奇襲は忍び寄るまでは物音をかき消してくれたりするので雨の方が好都合だが突撃時はやはり晴れたほうが戦いやすいだろう。

また1575年6月28日(新暦)騎馬軍団を擁した武田勝頼を破った長篠の戦いでも決戦当日は雨は降りやんでいた。もし雨が降っていたら火縄の火が消えたりして銃の効果が数段落ちてしまい騎馬軍団に馬防柵を突破されて武田騎馬軍団が勝利していただろう。

まあ雨なら懸命な信長さん、当然決戦は避けたろうけれど、武田勝頼が滅びることはなくなり信長さんも呑気に京都本能寺で茶会なんか開く暇もなったろうから、結果的に長生きしたかもしれない。とまれ、その後の歴史が大きく変わったことは間違いないだろう。

そんなわけで梅雨の晴れ間を2度も上手く利用して勝利したので新田次郎さんが ”梅雨将軍織田信長” というタイトルで執筆してます。最近再版されたみたいだから興味ある人は読んでみてください。

7月末に八ヶ岳に行こうと考えている。5月の谷川岳でノックアウト寸前に追い込まれたというのに辛いことは忘れて良い印象だけが記憶に残っている。はてさて、人間の脳というものは誠によく出来ているものだ。嫌なこと、辛いことは忘れて良いことだけを覚えているように出来ているようだ。だから生き続けようという気力が沸くんだろうな。

八ヶ岳は2泊3日のヘビーな山旅である。大丈夫だろうか。今年は前述の梅雨将軍が強力でとうとう6月は山歩きをしないで終わってしまった。体がなまっているのが実感でわかる。訓練しなければならない。

山爺の実家はT市にあるが幼少期より慣れ親しんだ山に大平山(341m)がある。今頃は紫陽花が咲いているに違いない。お袋様の容態も気になるのでお見舞いがてら、そこに登ってから実家を訪ねることにしよう。

数日前の天気予報が7月10日(水)だけ天候が曇りという予報を報じていた。これを信じて10日の朝7時過ぎに最寄駅を出発した。

2回乗り換えると8時過ぎには登山口のあるJR大平下駅に着く。

小さな駅だが平日の朝にも関わらず異国風貌の人々が沢山下車した。その数およそ数10人、駅には不似合いな光景だ。

なんでこんな小さな駅に平日の朝から沢山人が降りるのだろうか?近くに大手家電メーカーがあるから、そこに通勤?いやいやそれでは時間が遅すぎる。電車は桐生・足利方面からやってきたので多分自動車関係の工場勤務で夜勤明けの人々なんでしょう。

こんな片田舎にも外国人が沢山住んでおり日本の産業を支えている。これって将来、良いことなのか悪いことなのか今の山爺には判断が出来ませんが、すでに彼らの力がなければ製造業、なかんずく中小企業の経営が立ち行かなくなりつつあることは確かなようだ。願わくば今のドイツやフランスのように移民とのトラブルに発展しなければよいと願う山爺であります。

駅を出たら左に折れて道なりに歩くと踏切が見えます。そこを渡り山沿いにのんびり歩く。

人家の横を通過する。お父さんが植木の手入れをしており、そばに猫が座っている。

お父さんが歩くたびにその飼い猫が後を付いて回る。こんな猫なら可愛くってしょうがないだろうなあ。のどかな風景だ。

そのうち不審者発見とばかり猫がこちらにやってきた。
『おい、おっはよう!』と声をかけると怪訝そうにこちらを凝視する。本当に猫って奴は面白い生き物である。

里道から一旦林道に入る。道端に怪しげなキノコが生えていた。今年は長雨でキノコが豊作だとか。こんな道端に生えているのだから毒キノコに違いない。ヒイロベニヒダダケかな?テングダケの仲間だろう。

先日TVでベニテングダケを試食した猛者というかアホというか、食体験レポートをやっていた。

なんでもベニテングダケの毒成分はイボテン酸・ムスカリンなんだそうですがイボテン酸は旨味成分でもあり味の素で有名なグルテン酸の10倍も旨味成分があるんだそうで、地方によっては毒成分を上手く抜いて食用にしているとか。

件の命知らずの猛者はなんと、毒抜きもせず炒めてそのまま食べてみたんだそうです。食べた感想は、すごく旨かったらしい。だが、やはりと言うか当然、中毒し冷や汗だらだら、心臓バクバク、脳みそを棒でぐるぐる掻き回されたような気持ち悪さが数日続いたと言う。ちなみにベニテングダケの毒性はそれほど強くなく死亡例は希だそうです。勇気ある人は一度お試しあれ。ただし、いかなる事態になろうとも当局は一切、関知しませんのであしからず。

はい、山歩きの話に戻りました。林道を10分も歩くと再び車道に出て大きな池の前に着いた。池を見ながら10分も歩くとお寺が見えて来ます。禅寺で有名な大中寺だ。山門前の石段の左右に紫陽花が咲き誇っている。

このお寺は由緒正しいお寺であるが、大中寺の七不思議としても有名な禅寺である。

【山爺の一言メモ】

初めは真言宗の寺として1154年に建立された。雨月物語にもその様子が登場します。たが、のち衰退、1489年に曹洞宗の寺として再興した。以後、上杉謙信が関東進出の際、この寺を厚く庇護し焼失した伽藍などを再建した。徳川家の信任も厚く曹洞宗の修行の場として賑わい大正期まで続いたという。

大中寺の七不思議とは以下の7つです。

①不断のかまど
修行僧がサボって大釜の中に入って寝ていたところトボけた奴が中も確認しないで火をつけた。修行僧は焼け死んだが、死ぬ間際『かまどに火さえついていれば』と遺言、以来このかまどの火は絶やすことがないという。・・今は消えてます。

②油坂(現在通行禁止)
勉強熱心な修行僧(かまどの修行僧とはえらい違い)が夜間勉強用に本堂の灯油(今の灯油にあらず)を盗んで帰ろうとしたところ見つかり逃げる途中でこの石段から転げ落ちて死んだ。以後この階段を利用すると災いが起きるので通行禁止とし現在にいたる。


中学生時代に訪れたとき坊さんの説法で聞いた話・・お坊さんから油坂の説明を受けたあるおっさんがそんなの迷信だといい、止めるのも聞かず柵越してこの坂を往復した。ほらあ、何でもないじゃないかと自慢したと言う・・・そのおっさん、その晩、高熱が出て鼻血が止まらなくなったそうな。・・おお、怖っ!

③枕返しの間
旅の坊さんが泊まって本堂の仏様に足を向けて寝たそうな・・朝になると180°回転して居たとさ。・・多分寝相の悪い坊さんだったんじゃないのかなあ?

④馬首の井戸
この地の豪族、晃石(テルイシ)太郎という武将が戦いに敗れてこの寺に逃げ込んだ。匿って欲しいと懇願したが断られた。やけになり?自分の馬の首を切り井戸に投げ込んで自らは腹切って死んだ。以後、井戸を覗くと馬の首が見えたり嘶きが聞こえると言う。・・う~ん、太郎さん気持ちは分かるが八つ当たりだなあ。

⑤不開(あかず)の雪隠

太郎の奥方もこの寺へ逃げ込んだが旦那の死を知ると雪隠(便所)に入って自害した。以後、夜な夜な奥方の生首が・・で、この雪隠は現在まで封印中、この旦那にしてこのかみさんあり、でお寺は大迷惑。

⑥東山の一口拍子木
お寺の東側の山林から拍子木が1回だけ鳴ると寺に災いが起きるという。その音は住職以外は聞こえない。・・多分お寺の規律を高めるため住職が考えた作り話でしょう。坊主どもめ!最近弛んでいるなあ、一丁活を入れて脅かしてやるか!ってね。

⑦根無し藤
今持って山爺はそれが、どのへんにあるかわかりません。山の裏手の竹やぶ内にあるのかな?が坊さんが杖を刺したら根がついたという弘法大師的な単純な話ではなく、稚児さんを食べてしまう恐ろしい伝説があるみたいです。興味のある人は、ネットで大中寺の7不思議と打ち込んでググってみてね。

中学時代以来の7不思議史跡を再確認し終えたので、お寺の左側から山道に入りぐみの木峠を目指します。峠までは傍らの小さなせせらぎ沿いを歩きます。せせらぎの音が心地よく第一涼しい。山爺はこんな山道が大好きだ。


やがて、徐々にせせらぎの音も小さくなりそして止んだ。小一時間も登ると前の木々が明るくなってきた。まもなく峠に出るのだろう。


11時30分頃、ぐみの木峠着、大平山頂上はまだ先だ。幸い、ベンチもあり休憩には持って来いだ。ちょいと早いが昼食を採ろう。いつものサンドイッチ、おにぎりを取り出し、コーヒーを入れよう。



今日はコンロは重いので持参せず代わりにサーモス(魔法瓶)を持ってきた。持っては来たが、ああ~!サーモスにお湯を入れてくるのを忘れたぁ。



かくてお茶も飲めずお冷での侘しい昼食となりサーモスはただの邪魔な空瓶と化したのであります。


おいおい大丈夫かねボケの前兆か?少々不安がよぎる山爺なのであります。

気を取り直して山頂を目指します。やがて林道へ出ました。真っ直ぐ横切ると大平山頂への道、左に折れて林道に向かうと電波塔があります。この電波塔は山麓や東北自動車道から日頃よく目にします。ちょっと寄り道して覗いてこよう。電波塔は予想と違い狭い木々の中に窮屈そうに建っていました。

山道に戻り黙々と歩きます。この頃より大平山方面からの登山者と数組スレ違いました。
幼少の頃から慣れ親しんだ大平山です。登山を始めたばかりの若い頃は『大平山?あれは丘だよ』と小馬鹿にしていましたが、今となっては、どうして、どうして、よい山ではありませんか。

こんな素晴らしい自然がある我が故郷って、やはり素晴らしい街です。分岐点があり左が山頂へ向かう道、右は巻道ですが、直接山頂へ向かう道は先の台風で倒木だらけで通行止め。巻道を回って大平神社側から山頂へ向かう道にたどり着く。霊山の証で結界を示すしめ縄をくぐって山頂へ。12時30分、山頂にたどり着きました。小学校5~6年の頃学友と登って以来実に60年ぶりの再訪です。

足利の山でも賽銭泥の事件がありましたがこの神社も荒らされたらしく、お賽銭はあげないようにとの注意書きがありました。この辺一円を荒らし回るせこいコソ泥がいるようです。なんとも嘆かわしい世の中になったもんです。そんな奴は今に天罰が下るだろう。

小さい賽銭箱があったので2円奉納しました。大平山の山頂は神社のすぐ裏の小高い場所にあります。60年ぶりで山頂を極めました。

奥多摩や丹沢の山なら12時はゴールデンタイムで山頂付近は人でウヨウヨですが、ここ大平山は誰もいません。聞こえるのは小鳥のさえずりだけです。こんなにも静かな地方低山の山の良さがようやく分かった山爺でありました。

今日は実家も訪問しなければならないので早々に山頂を辞して下山開始。15分も下ると大平神社奥の院につきました。ここが大平神社の神様の頂点です。ここのご祭神は天目一大神(アメノマヒトツノオオカミ)で垂仁天皇云々の説明版があるので古代の頃よりこの山は信仰の対象で崇められたんですねえ。
大平山頂に祀られているのは浅間神社でご祭神は木花開耶姫です。この姫様は天照大神の孫の瓊瓊杵尊(読めないだろうなあ・・ニニギノミコトと読みます)の奥様です。

神様の世界も格差社会です。浅間神社の方が格上だから山頂を占拠、大平神社は文字通りひとつへりくだった場所に祀られています。こんなところでも古代の権力争いを垣間見ることが出来ます。

さらに5分も下ると山道は終わりで広い場所に出ました。大平山神社です。山頂では遠慮したお賽銭をここで奉納¥100也、

ん、ん!霊験が授かる御神石、そんなもん幼少の頃あったかなあ?取り敢えずなでてみる。

お参りも済ませたので参道である石段を下る。

ここの石段の両側に大平山の観光名物となっている紫陽花が咲き誇っているのだ。

が、山爺の幼少~高校のころまではそんなものはなかったと記憶している。後から観光の目玉として植えられたものに違いない。

ここ大平山は麓から神社まで石段が続いている。その段数およそ千段。その両側に紫陽花を植えたのである。

訪れたのは7月10日だった。例年だとちょっと時期が遅いのだが今年は気候が悪いためか開花が遅れ丁度見頃であった。赤・青・ピンク・白、各色の競演で実に美しい。どこぞの寺と違いこれが無料で見られるとは、大平神社の神様、太っ腹ぁ。

1723年、徳川吉宗によって建造された随神門を過ぎて降りてゆくと木々が鬱蒼と茂る場所の一角に平らな空き地があり、なにやら説明書きの杭が建っている。水戸天狗党大平山本陣跡と書いてある。

ええっ~あの有名な水戸天狗党の立てこもった本陣跡だってえ?。随分と狭い場所に家が建っていたんだなあ。


幕末の早期に尊皇攘夷を唱え武装蜂起した水戸藩を中心とした武士集団がいた。その名を水戸天狗党と言うがその数およそ1000人。

そのうち800人が栃木宿に押しかけて宿を占拠した。栃木宿の民衆の恐怖は如何ばかりか。

大体に風雲急を告げる時代にはいろいろな集団が蜂起するが、真摯に世直しを考える御仁ばかりが集まるわけではない。必ず付和雷同で集まる食い詰め者が交じるのが歴史の常だ。


そんなゴロツキも含めた輩どもが市内の定願寺や近龍寺にも押しかけて無理やり定宿にした。豪商たちから軍資金の談判をして断られると街に火を付けたので宿場は焦土と化した。その後尊皇攘夷の主意を天子様に言上すべく京都に向け進軍するがこんな過激集団が世間から受け入れられるはずもなく各地でつまはじき、末路は哀れな結果を招く。

【山爺の一言メモ】

水戸天狗党

元治元年(1864)年3月27日、筑波山にて田丸稲之衛門を大将に天狗党が『攘夷』を掲げて挙兵した。
 天狗党は4月8日に筑波山を降りて、徳川の本山、日光を占拠し、全国の尊王攘夷の志士、大名、藩に参加の呼びかけをするため日光を目指した。
 しかし、宇都宮藩と折衝している間に日光奉行は3千名の諸藩の藩兵で防御した。そのため急遽、栃木町にある太平山に800名にて陣を敷き、宇都宮藩、壬生藩など協調を呼びかけると共に軍用金の調達を図った。
この時栃木宿の豪商にも金銭談判したが断られたので腹いせに町に火をつけたので宿場は焦土と化す。これに懲りた栃木宿の豪商たちは蔵を建てて火災からの防御を図ったがこれが現在の蔵の街の元になっている。
天狗党を詳しく知りたい人はHPを見てください。
また、吉村昭の天狗争乱を読むと面白いです。この作家は入念に史実を調査した結果を淡々と描き作者の想像がほとんど入らない。まるで報告書を読んでいるような作風が好きでしたがすでに他界(2006年没)してます。
思わぬところで歴史遺物を見学することが出来た。

さらに下るとあじさい坂に着く。

山爺は下りながらの見学だから楽であったが大方の参拝者は皆、麓から息を切らせながら登ってくる。ある夫婦の会話

『お父さんまだ行くのぉ!』

『もう少しだから、もいちょっと行ってみよう』

いや、いやまだまだ先は長いですよと教えてあげたかった。



神奈川から来たというご夫婦に話を聞いた。
『どんなものかと想い神奈川から来ました。見事ですね』
『鎌倉に紫陽花寺があるでしょう』
『いやいや、こちらのほうが断然見事です。』
ほほう、有名な鎌倉よりこちらが良いですか。思わに評価をいただきました。

麓まで降りてきました。麓には通称6角堂と呼ばれる由緒正しいお寺があります。屋根が6角形をした珍しいお寺です




【山爺の一言メモ】


6角堂のある連祥院は栃木県栃木市平井町643の天台宗寺院。
天長4年(827)慈覚大師円仁により開かれたことに始まるという。

当初は太平山神社と神仏混合し別当寺院として祭祀を司っていた。第53代淳和天皇の勅願寺になり、最盛期には摂末社及び支院、末寺を合わせると80余を数えたとされる。

天正年間(1573~1593)の兵火により多くの堂宇、連祥院六角堂社殿が焼失し一時衰退したが、江戸時代に入り再興され、特に3代将軍徳川家光の側室で、4代将軍徳川家綱の生母となったお楽の方(高島御前・宝樹院)が当地の出身で篤く帰依していた事から社領50石が安堵され、延享3年(1747)には大寺格に列しています。 

明治時代初頭に発令された神仏分離令により連祥院は廃され、山頂付近にある堂宇は破却(中腹の仁王門は太平山神社の随神門として現存)されましたが、それを惜しんだ信者や市内有志者が浄財を募り明治38年(1905)に現在の本堂、六角堂が建立された。 




さて、ここから実家までは約4km、山歩きを考えれば山爺にとっては何んてことのない距離だが、5時間も行動しているのでいささかくたびれた。5分も下るとかの有名な國學院短大・付属高校があり駅まで通学バスが出ている。

バスの時刻表を見ると10分後の13時30分のバスがあるようだ。遠慮なく利用させていただくことにする。バスに揺られること6~7分、実家近くにある小学校前でバスを降りた。土産に買った名物の大平団子を携えて実家に急いだ。


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①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転、は禁止で行った場合、著作権法の違反となります。
読後の感想をコメントまたはメールしていただけると幸いです




































2019年7月17日水曜日

梅雨特別、首都圏孔球親睦会ゴルフコンペ開催


連日うっとおしい日々が続いています。日照時間が異常に少ないので農作物に多大な悪影響が及ぼさなければいいがと憂慮している山爺であります。

さて主題の件、梅雨の間隙を突いて7月6日(土)第33回の首都圏孔球親睦会ゴルフコンペを開催いたしました。


会場は栃木県の八洲CCだ。このゴルフ場、以前は狭いゴルフ場で山爺は何度も泣かされたゴルフ場だった。

しかしながら経営者が造園関係の業者に変わってからは、その機動力に物を言わせ、狭かったコースを連日連夜、広げまくり見違えるような良いコースに変貌させた。造園会社の機動部隊恐るべしである。

広くなったとは言え、基本の地形はトリッキーなコースだ、油断していると罠にはまり、たちまち大叩きする。用心してかかるに越したことはない。

本日の参加者は7名、当初8名だったが埼玉中央地区のTAさんが急な仕事が入り欠場となったのは残念である。

今日はインからのスタートである。

先発は東京地区から参加のKAさんI さん、さいたま地区からYAさん、そして山爺

後発はさいたま地区のKOさん、埼玉中央地区のSEさん、関東東北地区のHAさんである。



五月大会で優勝して連続優勝を狙うSEさん、(左画像の右)前回最下位の屈辱に耐えてハンデが軽くなり野心を燃やす東京のKAさん(画像右)。それぞれの心中や如何に。



片隅でスイングチェックに余念のない埼玉東北のHAさん。(下画像)・・・ん!ん!横の看板に不可の不吉な文字が・・駄目だこりゃ。

はたして、栄冠は誰の手に。

前が空きました。いよいよコンペの開始です。くじ引きで山爺は4番手、一番嫌いな打順です。嫌な予感がしてまいりました。

なにせここのコースは相性が悪いって、ほかのコースもそうなんですが。

振りかぶって打った打球はやや右よりながらまずまずの飛行を描いて飛んでゆきました。

やれやれです。2打目もまあまあ、ここまではよかったのですが。3打目がいけません。大ダフリでグリーン手前にポトリ、4打目もショートでなんと5オンです。

スタート早々、トリプルです。東京のKAさんは見事2オンでしかもベタピン。難なくカップインでバーディスタート、やる気に火がついてしまいました。

しかし次の11H、Par147Yが圧巻でした。なんと3人がグリーンを捉えて、のこり一人もグリーンエッジ、山爺含めて3人がパー。YAさんが惜しくもボギーとプロ並みの上がりでした。

ところが、ここのグリーンには終始泣かされました。きちんと前方に転がさないとカップ寸前で微妙に左右に逃げるのです。山爺の得意なパッティングが沈黙です。竿1はおろか3パットの連続で20パットも叩いてしまいました。上がってみれば57の大叩き。終わってしまいました。ほかの方々の成績はKAさん41(素晴らしい)YAさん48(Good Job) Iさん54で大健闘 まずい、山爺は段凸ビリです。

第33回首都圏孔球親睦会の成績は次のとおりです。なんと87で回った埼玉中央地区のSEさんが前回の栃木ノースヒルズゴルフコースに続き連続優勝の快挙達成です。

東京地区のKAさんも同スコアーながらハンディの差で2着に・・山爺は段凹で最下位、これで分不相応なハンディ王から退くことが出来ました。御慶・御慶。



【川柳】


・今日もまた 飛ばない 寄らない 入らない・・・3拍子そろうとは、なんと悲惨なことか

・プロでさえ 悩む パットの難しさ・・・ましてや、ど素人の山爺ですから

・ここ一番 狙ったつもりが レイアップ・・・第二打、第三打と慎重に刻みました。とほほ

・第一打 足りない距離は 飛衛門・・・ありがたいボールを見つけました。よく飛ぶボールです。


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2019年7月14日日曜日

愉快な仲間・・・実録19年度高校クラス会

月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。ご存知、松尾芭蕉の奥の細道の書き出し文だ。意味は言わずもがなである。

早いもので高校の同窓会の幹事長を仰せつかってから今年で8年目となる。まさに月日は百代の過客である。この間、参加の常連だった友が3人も鬼籍に入ってしまった。残念というほかはない。

幹事業(と言うかどうか?)を来年は譲ろう、今度こそはと思いつつも別れ際に来年も頼むよと言われるとつい言いそびれてしまい、あっという間に7年が経過した。

例年、3月末から会場選び、4月中旬には会場決定、同月末には案内状を送付しなければならない。毎度ながら会場が決まるまでは気が気ではない。決まってからも案内状の送付、開催後も写真編集作成・印刷、会計報告などの仕事が残り正直言って面倒だ。

さて、今年はどこにしようか。どこといっても山爺の行動理念として、遊びは常に格安予算がモットー、予算は二次会付きで1万5千円以下のこだわりがある。

このこだわりに叶う旅館は今のところ飲み放題プランが売りの伊藤園グループか、オオルリグループしかない。あとはわずかに民宿の利用もあるにはあるが、規模が小さく団体向きではない。

その庶民の味方であった伊藤園グループ傘下の多くの施設から宴会プランが姿を消した。宴会というアナクロ的な催しが若者から受け入れられなくなってから久しい。この事と伊藤園での宴会プランが消えた事と無縁ではあるまい。

少々レベルが落ちるが、オオルリグループを調べてみる。塩原には3軒の宿がある。山爺は3軒中2軒を宿泊した経験があるが湯量豊富で設備もそれなりに整っている。ところが本来湯治場的要素の強い塩原温泉街にはカラオケスナックほとんどない。数軒あるにはあるのだが電話を掛けてもうんともすんともで誰も受話器に出ない。

オオルリ館内にもセルフ・カラオケ施設はあるのだが、人件費のかかるクラブ的な施設は以前にはあったのだが、いずれも姿を消した。これでは2次会の開催ができない。

仕方がないので鬼怒川方面に目を向ける。鬼怒川のオオルリ施設は2軒、1軒は小規模で家族向き、開催に不安がある。もう一方のニューオオルリには以前宿泊したことがあり館内にクラブがあることも知っていた。

館外のカラオケスナックは出かけるのが面倒という会員の声も以前あったので、え~い!今回はここにしよう。

昔は会員の多くが勤め人で当然ながら土日開催が当たり前であった。

ところが一昨年あたりから仕事をリタイアした代わりに地域のボランテァ役員などに就任した人がちらほら、その関係で逆に土日は都合が悪い会員が出てきた。

このことについて去年の会合で話し合った結果、次年度より平日開催でも良いとの快諾を得たので今年は木~金の開催で企画しよう。

今時アナクロな往復はがきで開催案内を例年通りに4月末に送付し一段落。5月末にまとめると山爺含めて14名の参加を見た。

オオルリグループに電話予約(今時予約は電話だけとういのもアナクロだが)し4人部屋を4部屋確保で交渉する。帰ってきた回答が、部屋は3人部屋なので6部屋確保します。ということだった。

このホテルも以前ゴルフ仲間で1度泊まったことがあったがその時は広い部屋で快適だった。このことにより別に気にもとめず電話を切ったが、これが後で思わぬ悲劇に見舞われる。

さて、令和元年の記念すべき機友会が平日開催となった。これにより3名の参加増を見込んでいたが1人は不都合があり不参加となるも、これまでボランテァで来られなかった2名が参加してくれることとなった。慶賀である。

参加不都合の1人はさいたま西部?で飲食店を経営している。したがってこれまでの土日の開催日では繁忙と重なり参加が難しかった。

今回、平日に変更したので参加を期待していたのだが、私用と重なり駄目との返事。当人も自分のために平日に変えてもらったのにと思い込んだかどうか、詫び状とともに多額の寄付を添えて不参加の表明と相成った。去年に引き続きまたものご厚情、悪いなあ。と、思いつつもありがたく収めさせていただきました。

そのほか、これまで参加していた自称さいたまの五木ひろしことK氏が仕事で来られないという。いやはや、事は思惑通りになかなかいかないものだ。

そのほか、常連参加の2名が体調を崩して不参加、ゆっくり養生して快癒してくれることを祈りたい。

参加者の多くがT市周辺なので会場へは会員同士話し合って車相乗りで来るのが常套だ。ほかに他県から単身、車で来るものが2名。高齢者の自動車事故が多発している昨今、幹事としては気が気でない。近い将来なにか考えなければなるまいて。

伊藤園グループにしろオオルリグループにしろ客集めの目玉で首都圏周辺から激安送迎バスが出ている。

オオルリグループの場合は、さいたま新都心から鬼怒川まで往復¥500の激安送迎バスがある。山爺はさいたま地区の友人と2人でこのバスを利用することにした。

8時30分に新都心改札口で1年ぶりに友と再会、合流した。彼は一昨年・去年と2つの大病を患いながら治癒しての参加である。

9時に予定通り送迎バスが到着、お客の大半はかなりの高齢だ、我々が一番若そうだなあ。( ^ω^)

バスは混雑した大宮地区を通り抜け岩槻から自動車道に上がり佐野PAで各地から来る送迎バスに乗り換える。我々も鬼怒川方面のバスに乗り換えた。新都心から2時間30分かかり11時30分、会場に無事ついた。

受付開始は2時30分なので友と2人で昼食を兼ねて鬼怒川温泉方面を散策し2時にホテルに戻った。

ロビーの一角を借りて受付準備を済ませて会員の到着を待つ。2時30分になるとぞろぞろと懐かしい顔がやってきた。

購入を頼んでおいた缶ビールを1箱、受け取る・・って箱むき出しかい!。いくら持ち込み黙認旅館といってもこう露骨では困るなあ。

皆んなに頼んでそれぞれのバックに小分けしてもらった。いつもは遅く現れるG県からくるA氏も今年は早めに現れた。山爺と同室のKU氏を除いては全員が部屋に移動した。

と、O氏から携帯に連絡が入る。

『俺んとこ2人部屋で狭い、3人は無理』
『そんなはずは?』

部屋に急行、O氏以外の部屋でもワイワイ・ガヤガヤ、
『幹事長、こんな狭い部屋では3人は無理だ、踏んづけちまう』
『独房の方がマシだ』

クレームが、かまびすしい。

確かに狭い、8畳間?にベッドが2個、で~んと置いてありもう一つ布団を敷くと部屋いっぱいになり、くつろぐどころではない。寝るだけの部屋に変貌してしまう。置きっぱなしのベッドが悪いんだな。人員削減対策だろうけれど置きっぱなしはよくないなあ。

急ぎフロントに走り交渉、

『あの狭い部屋で3人寝るのは無理、あと二つ部屋を増やして2人で使いたい』
『十分布団は敷けるはず、皆さんそれでお過ごしになっているんですが』
『あれじゃ寝るだけでメンバーがくつろげない、久しぶりの会話が楽しめない』
『帰るという者も出ている』『幹事として収集がつかない』
と矢継ぎ早に交渉する。

交渉の結果ようやく二部屋増加となり、急遽、部屋割りを変える。

山爺は、これまで何度もオオルリ系統の旅館に泊まったがあんな狭い部屋を割り当てられたのは初めてである。料理はともかく部屋だけは立派だったのだが、これはどうしたことだ。出だしからつまずいてしまった。予約時3人部屋と言われたときよく確認しなかった山爺の落ち度である。反省、反省。

部屋騒動も一段落して各部屋を訪問して今日の予定やら連絡を兼ねて懐かしい顔ぶれと歓談、しかしながら全部で7部屋である。顔出しだけでも大変だ。


一次宴会は5時30分からである。1時間あるので一風呂浴びよう。大浴場に行くと我がメンバーが多勢入っている。皆んな腹が出たなあ。メタボの見本ここにあり、って人のことは言えない。山爺も一向に体重が減らないでいる。高値安定で困ったものだ。

時間になったので会場へ移動する。会場は広く舞台付きで中央にカラオケ機器も既に設置してある。料理もそれなりのグレードだ。ここまではまずまず。

そりゃそうだ、数年前、やはりオオルリ系統の湯西川温泉の旅館で開催した時、会員から料理がしょぼいとクレームがあった。その轍は踏まじと1ランク・グレードアップ(¥1100増)で申し込んでおいたのだ。

山爺は幼少より男は食物でガタガタ言うもんじゃないと躾けられ育ったので粗食でもなんら問題はないのだが、世間はそうは行かない。なんて言ったって食物の恨みは恐ろしいと言うからねえ。

料理もまずまずで、取り敢えず安心、記録用の写真を撮り始める。うん?なんか変だなあ、なんだろう。
ああ、分かった。会場の照明がなんか暗いのである。舞台映えさせるための演出か、節電か、恐らく両方だろう。

『幹事長、暗い!』

なんてお小言が出ないだろうなあ。なにせ古希も過ぎた面々だ、歯、目、マ〇、の例え通り、肉体が随分とくたびれているに違いないのだから。

なにはともあれ全員集合の記念撮影を実施する。O次会で既に酔いが回っている者も多々、いつものことだが、よく言えば和やかな笑顔、悪く言えばなんとも締まらない画像が撮れた。

1年ぶりの再会だ、それぞれ積もる話で笑顔がこぼれている。山爺はいつものことながら写真撮影と宴会進行で忙しく会話に参加出来ないでいる。

来年は会場選定と会計に専念し司会進行は誰かにお願いしようかなあと思ってしまう。

それでも酔うに連れて ♫:酔いが回われば~それぞれに歌の一つも飛び出して・・・高倉健:時代遅れの酒場より・・・めいめいがカラオケに歌を予約して歌いだした。山爺も宴会ソング日本全国酒飲み音頭を歌って盛り上げる。

あっと言う間にカラオケは6曲もリクエストが溜まって大盛況だ。皆さん飲兵衛で芸達者、この点で幹事は楽である。静かでお通夜状態なんて状態には絶対にならない、愉快な面々なのだ。

一次会も恒例のじゃんけん大会で幕、優勝はなんと同室で新都心から山爺と一緒に来たKU氏が勝ち抜けた。御慶だ。

この間に呑んだお酒はビールが16本、焼酎2本、日本酒4本だけだ。皆んな弱くなったなあ、それとも部屋呑みでやりすぎたのかな?とまれ、これなら今後飲み放題プランでなくともやっていけるかなあ?

さて、2次会だ。以前より会員から館外のスナックは出かけるのが面倒だ、館内にある宿がいいとの要望もあった。幸いここの宿は館内にクラブがある。2次会場を館内のカラオケクラブで行うこととした。

2次会場にワイワイ、ガヤガヤ言いながら浴衣姿の初老爺どもがぞろぞろと移動するさまは、いやはやなんとも凄まじい。


取り敢えず全員集合で2次会がスタートした。と、席を温める暇もなく、ちょいワル親爺のY氏から声がかかる。

『幹事長ここではなく、外の〇〇太郎の店に行こう』
『え~なんで、すでに始めたから無理だよ。テーブルチャージもとられる』
『だから、それは精算すれば良い、そして次、行こう』
なんか、ここが不満らしい、むちゃくちゃなことを言う。

そんな不満を漏らされても今日の今ではそれは無理というもの、要望として受け入れ聞き流し2次会続行。

それにしてもスタート直後にあんなことを言われたのでは幹事として気分がよかろうはずがない。苦労して企画したのにこれではお世話のしがいがない。良い機会だからもう幹事職は下りよう、こう周りに告げると、当然ながらそう言わず来年もと引き止められる。山爺のテンションは下がりっぱなしだ。

宴会を続けながら考えた。

カラオケ施設は勿体無いくらい立派である。広い会場で今日は我々で貸切、誰にはばかることなく宴会を楽しめる。カラオケ受付けや飲み物補充掛かりの女性(年増)もスタンバイしているし・・始める前から何が気に入らないのだろう?あの男は、と気になってしかたがない。

ほかの会員は次々とカラオケをリクエストし、それなりに楽しんではいるのだが、確かになんかいつもと違いイマイチ盛り上がらない。寝てしまう奴まで現れた。

どうしてだろう、分かった女だ!女がいない。これまでは2次会場は館外のスナックが主で若くはないが必ずママさんやチーママがいて我々に混じってデュエットしてくれたりで、それなりに盛り上げてくれた。

それが今日は居ないのである。係りの女性はあくまで飲み物その他のサービス係、我々の外で待機しているだけだ。ママさんと言う者は盛り上げ上手、それなりのプロなのだ。カラオケだって仲間内ではなく第三者が聞いていたほうが歌い甲斐があるのだろう。

それに加えて広すぎる会場(右画像)で舞台と客席?が離れ過ぎている。これでは、誰かが歌ってるなあ、で関心が薄れる。これらが宴会の盛り下がりに拍車をかけるのだろう。

ママさん恐るべし、また入場したとたんそれを見抜いたY氏も恐るべし。

そうこうしているうち、件のY氏は眠いと言って部屋に引き上げてしまった。いつもは時間が足りなくて歌い損ねる面々が多い2次会だったが、ここなら11時まで滞在可能で存分に歌えるはずだった。


しかし、中盛り上がりのまま、早、9時30分でお開きとなってしまった。

続いて恒例の部屋に戻って部屋呑み歓談の3次会が開始されたが部屋が細かく別れたこともあり例年通りには集まらない。ここでもシュリンク会合と相成った。


翌日はバイキングでの朝食、山爺が朝食をチョイスして席に戻ると、おやあ、2次会場に不満を言っていたY氏が山爺の席のお向かいに座っている。

彼は本来いつものグループの席に着くのが常だ。珍しいこともあるものだ。どうしたんだろう、また何か不満でもあるのかなあ。

いささか疑問に思いながらも朝の挨拶を交わして、お互い黙々と食べる。会話はたわいのない日常会話が二言、三言のみ。

それにしてもわざわざなんで俺の前なんかに?・・朝食を食べながら考える。・・ははぁ、わかったぞ、昨夜の詫びを言いたいんだな。だが彼の性格や置かれた環境からして簡単に頭を下げることができない。彼なりの精一杯の詫びなんだろうと解釈した。そう考えたら山爺のもやもや感が少しはすっきりした。

今日は予定では昨年実施して好評?だったパークゴルフを行う予定だったが、これまたY氏の反対に合い没となっている。会員の中にはパークゴルフをやりたい人もいるのである。今後の企画を立てる上で一工夫しなければならないなあ、と感じた山爺であった。・・・ってまだ、幹事やるんかい。

昨夜の2次会は小盛り上がりだったが良いこともあった。飲まない・歌わないだったので予算枠に対し実算が大幅に少なくてすんだのである。パークゴルフ代一人あたり¥500も浮いたので全員に¥1000の返金を決断した。

いつもの通り玄関前で記念撮影。このあとパークゴルフが没になったのでホテルから徒歩5分のところにある湯煙会館に向かい人情夢芝居を観劇することになった。

旅館宿泊者は無料で観劇出来る。幹事にとっては懐が傷まないので好都合だ。

なかば、冗談で提案した観劇だったが、そこはドサ回りとは言え、プロの役者により演じる人情劇だ。皆さんそれなりに興味を持って?観劇している。なかには名場面で拍手する者までいた。ふうん、皆んなこういった催しに馴染む年になったんだなあ。まさに光陰矢のごとしである。




【狂歌】
・古希も過ぎ 女不要と言いけるも いざその時は 不満出にけり・・・日頃、俺はもう枯れたから女に興味がないとは言うが・・・

【川柳】
・古希過ぎて なおも女気 欲しいとは・・・所詮、煩悩は死ぬまで消えないものか



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