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2017年9月8日金曜日

やっと青空が・・・と思ったら、またもやダメ天候


9月に入り、7月下旬からず~っと!!どんよりした空でしたが久しぶりに青空が現れました。実に50日以上振りのことです。本当に今年の夏はヘンテコな天候でした。作物の生育が心配されるところです。


毎日のように北アルプスや八ヶ岳のライブカメラをチェックしていたのですが連日お山は雲に隠れて見えず。

いったいどうなってしまったのだ今年の夏はと嘆いておりましたが、9月3日になってようやく赤岳・阿弥陀岳山頂を望むことが出来ました。

さ~て、と思ったら9月7日現在、あっという間にウジウジした天候に戻ってしまいました。こうなるともう笑うしかない。まさに女心と秋の空でげすなあ!(ヤケ笑)

こうなったら9月下旬~10月初旬を目標に再度登山計画の練り直しです。

暑い夏の間は眼中になかったのですが八ヶ岳には本沢温泉という秘湯があります。交通機関を調べると北陸新幹線を利用すれば羽生⇒熊谷⇒佐久平⇒小海(バス)⇒稲子湯という経路で午前中に登山口に着くことが分かりました。

ここから徒歩4~5時間で本沢温泉に入れます。

このルートなら平日早朝に出かけても通勤ラッシュに遭遇することなく快適に行動出来そうです。

ここは山小屋といっても限りなく旅館に近い施設でかけ流し内湯と野趣満点の露天風呂があるのも魅力です。特に宿自慢の露天風呂は標高が日本で一番高いところにあるとか。

料金も相部屋2食付¥8700素泊¥5800で利用できます。

ここならほかの山小屋と違い¥8700を出す価値はありそうです。


【山爺の一口メモ】

八ヶ岳の硫黄岳直下に湧く日本最高所野天風呂(2150m)「雲上の湯」と泉質の違う「苔桃の湯」、2つの天然温泉が楽しめます。通年営業の山小屋なので四季を通じて多くの山仲間や立ち寄り湯客に親しまれ、特に秋の本沢温泉周辺の紅葉は実に見事です。

ちなみに山のいで湯の標高ランキングは左画像の通りですが4位と5位は栃木県にあり山爺はいずれも何度も訪れ入湯体験済みです。












大まかな計画は2通り

第1プラン(限りなく希望に近い)

1日目:稲子湯⇒本沢温泉(泊)
2日目:本沢温泉⇒夏沢峠⇒硫黄岳⇒横岳⇒赤岳⇒キレット小屋(泊)
3日目:キレット小屋⇒権現岳⇒三ッ頭⇒天女山⇒甲斐大泉駅

ただしこの計画で2日目のキレット小屋までは、いささか欲張り過ぎかなあ。3日目のキレット小屋から甲斐大泉まで下山も踏破するのは大丈夫かなあと悩んでいます。

若い時ならなんの心配もしないのですが・・ほんと!これ以上歳はとりたくないもんだね。キレット小屋へは悪いけれど予約は入れずに我が体力がバッテリー切れになったら途中の山頂小屋泊まりで翌日権現岳は割愛して県境尾根または美濃戸口へ下山することも考慮にいれよう。

第2プラン・・(サボ郎君はこちらにせよと耳元で大騒ぎ)

1日目:稲子湯⇒本沢温泉(泊)
2日目:本沢温泉⇒夏沢峠⇒硫黄岳⇒天狗岳⇒黒百合ヒュッテ(泊)
3日目:黒百合ヒュッテ⇒渋の湯⇒(バス)茅野駅

第2プランは若い時この逆コースを歩こうと渋の湯から入山し黒百合ヒュッテに1泊、翌朝、本沢温泉を目指すも天狗山でアイゼン(靴に装着する鉄の爪)が壊れて黒百合ヒュッテに引き返した苦い体験があります。いつか再挑戦をしたいなあと思いながらとうとうこんな歳になってしまいました。来年こそ春山シーズンに踏破したい。その偵察も兼ねることができます。

また天候が思わしくない場合の選択肢でもあります。冷たい霧雨の中の長時間歩行は面白くもなんともない。いくら好天を狙っても山の天気は気まぐれだからねえ。なんせ八ヶ岳の神様も女神だからして・・・とかく女心と秋の空は・・・苦労するねえ、ご同輩、諸兄!。

【山爺の一口メモ】

八ヶ岳と富士山の女神様の背比べ騒動伝説

むかしむかし、おおむかし、八ケ岳がまだ活火山だった頃のお話にさかのぼります。
その頃は、富士山も活火山で煙をあげていました。富士山の神様は「木花柵耶姫(このはなさくやひめ)」、八ケ岳の神様は「磐長姫(いわながひめ)」、いつもこの神様は、お互いの自分が一番高いとお互いにいっていました。

ある日の事です。
富士山の神様が八ケ岳の神様に向かい、「わたしのほうがあなたより高いのよ」と言い八ケ岳の神様は「わたしのほうが高いわよ!」と、喧嘩になりはじめました。
その結果、見かねていた如来様が、この喧嘩をいいかげんやめさせようと思い、「水裁判をしてやろう」との事になり八ケ岳の峰から富士山の峰まで長い樋をかけ、そこに水を流したそうです。
すると、水は八ケ岳から富士山へと流れ、八ケ岳のほうが高いという事に決まったのです。
ところがプライドの高い富士山の神様はこの結果にはどうしても承知ができなく、怒ってしまって思わず八ケ岳を蹴飛ばしてしまいました。
すると、天地も揺らぐほどに大音響と共に、八ケ岳は8つに裂けてしまいました。それで、八ケ岳は現在の形となり、富士山よりも低くなってしまったのでした。

このお話は、八ケ岳の裾野に住む私達の間で古くから言い伝えられているお話として有名です。
実際の高さは、蓼科山2530m、天狗岳2645mとなっています
。

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8月27日(日)暇で暇で仕方がないので天気の良さに釣られて格安散髪目的で都内まで出かけました。

結構蒸し暑い中、上野公園を散歩し不忍池でドリンク休憩。もう盛りは過ぎていましたが。蓮の花が綺麗に咲いていました。


不忍池の辺に下町風俗資料館なるものがあるので入ってみました。

ここはずいぶん若い時に入ったことがあるのですが(2人で!)40年以上も前の話です。≧(´▽`)≦アハハハ

入場料は¥300と安いので涼み目的に入るのには格好の場所です。受付で入場料を払い入館。『写真撮影は?』『フラッシュをかけなければOKです』のお答えを頂いたので自由に写真を撮ることが出来ました。

中に入ると昭和30年代の趣の長屋が再現されたセットがあります。

おお懐かしいガッチャンポンプです。小さい頃これで風呂汲みをよくやらされた。風呂桶にいっぱいにするのに大変だったなあ。1時間も2時間もかけて水汲みするアフリカの子供に比べりゃどうってことはないけれど。









駄菓子屋さんです。思い出しますなあ。10円玉を握り締め駄菓子を買いに行った日々を・・あの頃10円でも結構使いでがありました。










当時の生活が滲んでいる居間です。

漫画巨人の星、星一徹の秘技、ちゃぶ台返しもこんな部屋で行われた。


























♫二人で行った横丁の風呂や~の歌はもうちょっとモダンな風呂屋かなあ?。

ありましたよ。山爺の小さい頃、近くにこんな銭湯が・・・浴槽ではしゃいでいて見ず知らず(近所?)のじいさんに頭ごっつんされたりした。



そうそう当時は殺虫剤もポンプ式、エアーゾルなんて気の利いたものはない。で準備しているうちに蚊のほうが逃げてしまう。










中央のナイフは肥後守といって鉛筆削りや工作になくてはならないもので当時の鼻垂れ小僧や鼻垂れお嬢も全員筆箱に入れていた。

ただし不器用な奴はよくこれで手を切った。これを使用した傷害事件でもあったのか、ほどなくプラスチックのカバーのついた安全ナイフにとって変わってしまい肥後守は学校内持ち込み禁止になったっけ。

当時はこれで動物を虐待、ましてや人を刺そうなんて、これっぽっちも思いつかなかったけどねえ。

学校の机も低学年のうちはこんなものだったなあ。二人で仲良く座るタイプだった。

ただし当時は”男女7歳にして席を同じゅうすべからず”の質実剛健の気風がまだ強く男同士で座らされた。∧(_ _)∧ ゲロゲロ~














大正時代?の浅草ロックの通りみたいです。左右に芝居小屋や映画館が30軒以上も軒を並べて大層賑わっていたみたいです。栄枯盛衰、今は演芸館・木馬座ほか数軒残すのみです。

この資料館は1階と2階の狭いエリアしかないので大雑把に見るなら30分もすれば見学は終了します。山爺は1時間位いたかな?

すっかり昭和30年代、西岸良平の3丁目の夕日の世界にタイムスリップすることができました。

根岸方面に下町風俗資料館の分室?で旧吉田屋酒店が屋外にそのまんま保存されているらしいので足を伸ばすことにしました。


上野公園をまっすぐ北上し国立博物館前の通りを左折し東京芸大を右に見ながら通り過ぎて、どんどん行くと下町風俗資料館付属展示場である旧吉田酒店があります。

あいにくとこの日は地元桜木町の夏祭りの最中で展示場前広場はお祭り本部が置かれてしまい情緒もヘチマもありません。









中はこんなふうになっておりレトロ感満載です。表のお祭りのかまびすしさ、さえなかったらより雰囲気を味わえたのにとちょっぴり残念です。

まあ、地域の方々が日頃ボランティア管理しているのだろうから仕方がありません。










やっと青空が・・・と思ったら、またもやダメ天候の項・・・完

2017年8月23日水曜日

八ヶ岳登山は秋まで延期? どうなってんだ今年の夏は!

八ヶ岳に行きたくて7月中旬から好天の機会を覗っているがさっぱり天候が安定しない。都内では8月1日から21日まで連続降雨があり史上2番目の長雨記録なんてことになってしまった。どうなってんだ、いったい。

26日(土)の予想天気図です。このおふざけ天気はどうだ。何なんだよ、この長々と横たわる前線は・・・♫ 前線に!雀が3羽とまってる!・・(≧∇≦)ブヒャヒャヒャ・・あまりのダメ天気に気も触れようと言うものです。



今年もお盆の中日(15日)にT市にある実家に行きご先祖様に線香を上げてきたが天候は雨だった。

終戦記念日はいつも晴天で暑い印象しかないのだが今日は肌寒く感じさえする。


観光名所である蔵の街が並んでいる川沿いも連日の長雨で増水し泥水の急流と化し川舟も運休してた。普段なら観光客で賑わっているのだが人影は全くない。ありえない光景だ。

8月も20日を過ぎてから、やっと天候回復の兆しが見えたが平地では日中は晴れ間が出ているが大陸から冷たい気流が流れ込んでいるので雲量が多く夕方からはゲリラ豪雨が連日発生する。

時々八ヶ岳や南北アルプスのライブ映像をチェックしているが、いずれも雲だらけで山の麓が見えているだけ。中腹より上は連日雲に覆われている。山頂付近の山小屋の天候記録は連日霧雨だ。

先送りばかりして本当に行く気があるのか?と本ブログを閲覧していただいている皆様から疑問視されそうなので証拠写真を掲載します。
今週末から出かけようと一応荷造りは済ませ3日分の食料さえ積み込めばいつでも出られる状態にしてあります。が!なんと、今週末も今のところ状況は絶望的です。金曜から月曜まで雨で登山には適していませんのコメントが!!なんだかなあ!(阿藤節)


ホント!テンション下がりっぱなしで嫌になります。こうなりゃ八ヶ岳は9月末まで延期して別の山に目標を変えようかな?

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2017年8月11日金曜日

宝クジ購入・水道歴史館探訪


ご長寿台風5号めのおかげでここ10日間の天候がめちゃくちゃになり八ヶ岳登山の延期を余儀なくされました。

普通は台風が過ぎたあとはしばらく好天が続くものなのですが、何なんだよこのふざけた天気図は!前線が延びてきて梅雨に逆戻りじゃないか。小笠原君(夏の小笠原高気圧)はどこに行ったのだ!・・これでは当分登山は見合わせです。

毎日無聊を託っているのでサマージャンボ宝くじでも購入しようと思い立ち先週5日に都内まで出かけました。

宝くじは随分若い頃から購入していますが、いつも銀座のチャンスセンター2番窓口で購入することにしています。

当たりっこないのだけれど購入しなければ100%当たらないとはよく言われることですが、もしかするとこの言葉!宝クジ関係者が購買意欲を上げるために意図的に流したキャッチコピーなのではないかと最近思うようになりました。

山爺の宝クジ購入歴はかなり長いのですがさっぱり当たりません。まあ年末と5月・8月の年間3回だけしか購入しませんけどね。


地下鉄銀座駅下車、地上に出てみると、意外にも広場は空いており2番以下の窓口には購入者の列はありません。いつも混雑する1番窓口も待ち時間は15分位です。いつもなら有楽町マリオン前(ピンとこない熟年世代の方々へ・・旧日劇前)まで金の亡者どもがずらりと並んで(って俺もかい!)いるのだが今日は僅かです。猛暑続きだからねえ。出足も鈍ると言うものです。この調子だと随分と売れ残るのだろうね。

【山爺のうんちく】

ご存知のように宝くじのルーツは江戸時代に遡ります。いわゆる富くじというのがそれで
江戸時代初期、寛永元年(1624年)大阪の箕面山龍安寺で行われたのが始まりと言われています。いや、天正3年(1575年)だと言う説もあります。その後、各地の寺社を中心に活発に行われて始めたようです。

当選金は1等100両(1千万円位)が相場だったようですが最後のころは1000両(1億円)というジャンボ並みのものも発売されたようです。

くじは1枚500文(1万円位)と随分高額だったみたいですが発売数が少ないので当たる確率も今と違い高かったのではと思います。そこで庶民は購入に際し講(グループ)を作り共同購入していたみたいです。落語の”富くじ”なんかで、その辺がよく表現されて語られています。・・・こう見えて山爺は古典落語通です。オッホン!(^O^)

せっかく盛り上がった富くじも水野忠邦さんが行っためちゃくちゃ改悪の天保の改革(1830~1843年)で富くじの禁止令を出してしまいました。この人、経済を立て直そうとして贅沢禁止・芝居・祭り禁止と金のかかることは何でも禁止、若者は田舎に行き農業に励め、とまるで毛沢東のようなことを実施し、はては貨幣改鋳(鋳潰して混ぜもの加え水増し)までやっちゃった。経済学なんてない時代だから銭増やしたらインフレ増長に繋がるなんてわかっちゃいない。贅沢があるから金が回ることもご存じないから何でも禁止すれば良いと思っちゃってますます不景気になり結局失敗し失脚するんだけれどね。

その後富くじの復活は昭和20年、敗色濃厚の中、軍部が戦費調達を目的に始めた”勝札”まで待たなくてはなりませんでした。当時1枚10円で1等10万円でした。今の金額で2~3億円くらいでしょうか。しかし当選日を待つことなく終戦となり中断、”負札”と揶揄されておしまい。

その後地方自治体により戦後の庶民の夢として宝くじが発行されて現在に至っています。

チャンスセンターで30枚購入(ジャンボミニとプチ)した後は本来の目的である都内散策へ向かう。

いつものように秋葉原電気街を散策する。路地沿いに軒を並べている小さな電子機器雑貨店(昔のジャンク屋風の店)がこの街の魅力なのだが何分今日は暑い。路地を歩くだけで汗が噴き出すので時々量販店に飛び込み何も買わず涼を得なければならない。

【川柳】
・涼求め かわず飛び込む 量販店 ・・やや盗作 (^┰^;)ゞ

早々に秋葉原散策を切り上げて今日のもうひとつの目的である水道歴史館へと移動する。



水道歴史館はお茶の水の順天堂大学のそばにある。少し暑い
が我慢して健康のため歩くことにする。秋葉原からお茶の水へは迷うことなく歩く方法がある。黄色い電車が走る総武線の高架沿いに歩くのが一番近道なのだ。

昌平橋を過ぎて坂道(昌平坂)を登るようになると、ほどなく湯島聖堂に到着。いつもは素通りするのだがこんもりとした森が見えなんか涼しそうである。

フラフラと聖堂の中へはいる。ここは寛政2年(1770年)江戸幕府が幕府教学所としての昌平坂学問所としても有名なところである。

森のなかに孔子さまの像がにゅっと立っておりました。続いて湯島聖堂のご本尊孔子様を祭っている大成殿へ、中に入ろうとすると拝観料¥200と書いた看板が・・まあ外からでも見えるので中に入るのは取りやめた。

宝クジ当選祈願をしようと小銭入れの¥50硬貨を探していると隣の親子連れが¥100を賽銭箱に放り込むのが見えた。


山爺も見栄を張り仕方なく賽銭箱に¥100投入し宝クジ当選祈願!・・あれえ!孔子って学問の神様で勝負の神様じゃないっけ!・・賽銭返せぇ~とわめいても後の祭り。

聖堂の横から通りに出て、東京都水道歴史館へ急ぐ。東京医科歯科大学の裏の道を通り順天堂大学の坂を下り、しばらくすると立派な構えの建物に着きました。

  中に入るとひんやりして誠に涼しい。受付のお姉さん2人に会釈をし案内パンフレットをもらい展示場へ・・入場料はどうしたって!。そう、ここは入場無料なんだよ~ん!


1階フロアーは近代~現代の東京の水道建設の歴史が展示してあります。圧巻は水道管の大きさです。(左画像)
いやあデカイ!山爺が立ったまま中に入れる大きさだ。


現在の水道管の継手部分の模型が展示してあったが引っ張りやひねりなどの外力に対し継手が伸縮し破壊しにくい構造になっているのには感心した。ハンドルを操作すると実際の動きが見られるのが面白い。

続いて今日の訪問目的である江戸時代の水道に関する遺跡が展示してある2階に移動する。






2階に上がるといきなり江戸時代の木製水道管がデーンと横たわっている。
右図の赤線が当時の神田上水の水道網であるが大名屋敷や町家にくまなく供給されていることに驚く。

なんてったってあなた!電動ポンプなんか全くないのだからして、すべて自然落差を利用して導かなければなりません。当時の土木技術水準の高さが図り知れようというものです。

これほどまでに水道網が発達した理由はただ一つ。当時も今も東京は平坦地がほとんどで良い地下水脈がない。

井戸を掘っても綺麗な飲み水の得られる地域か少なく塩水の混じった水が湧き出るだけであったことによります。これでは飲料や農業用にはまったく使えません。

豊臣秀吉はこのことを知っていて北条攻めの後、徳川家康に駿府から江戸への転封を命じたに違いない。

『徳川殿、駿府は私めにお譲りあれ、代わりに江戸を進ぜようぞ、あそこは平坦で広大な好い土地ですぞ』・・・ふふふ!塩水しか出ない葦の生い茂る荒地だがのお!、塩水たらふく飲んで早くくたばれ家康!・・とねずみ親爺は企んだに相違ありません。


その与えられた荒地に窮することなく開発に精出し当時としては世界最大級の都市へと発展させる礎を築いた徳川家康も只者ではありません。

伊達家の屋敷を発掘した時の記録画像です。丸い桶が水を汲み上げる井戸です。短い間隔で屋敷内の随所に井戸が配置されているのがよくわかります。随分便利だったんでしょうね。家康さんすごい!!





当時の長屋を再現したセットがあります。町人の住む場所まで水道網を張り巡らせた都市計画に改めて脱帽です。

当時のヨーロッパで水道網と呼ばれたものがあるのはロンドンだけでした。しかも給水は週3日8時間と桁違いにみすぼらしいものだったみたいです。

ちなみに江戸は24時間連続給水ですから比較になりません。



幕末~明治初期に欧米人が江戸の水道網の緻密さに驚愕したと文献に記されている。明治維新により近代化がすんなり移行できたのもこんなところからも伺い知れるというものです。


右の模型はお茶の水付近の神田川の上をまたいで給水している施設を表しています。きちんと汚泥や落ち葉の沈殿升が具備されており細かい配慮がなされていることが分かります。

都内にはまだまだこんな楽しい博物館が沢山あります。訪問したらまた報告いたします。



宝クジ購入・水道歴史館探訪の項・・・完









2017年7月23日日曜日

17年度、暑中お見舞い



私めのブログご訪問の皆様に謹んで暑中お見舞い申し上げます。

いやあそれにしても連日暑いですねえ。目下失職中で夏眠中ながら、たまに近所に買い物などの往復をするだけで頭がくらくらします。

計画では7月20日から八ヶ岳に入る予定でいましたが。連日の猛暑と梅雨明け遅れの影響からくる連日のゲリラ豪雨と雷雨を憂慮して家でサボ郎君と安寧に仲良くしています。

あんなゲリラ豪雨が八ヶ岳山中に降り続いたら木々のない山塊です。鉄砲水でも起きたらひとたまりもありません。

少し気圧配置が安定するまで待機することにしました。慌てなくても山は逃げないしね。
旅行にしろ山にしろ単独だとこういう時に簡単に計画が変更できるのが何よりです。

昨日、NHKBS3で北アルプスの山小屋からライブ中継番組があり我が敬愛する高知県が生んだ偉大なる酔っ払い。吉田類氏が船窪小屋から元気な酔っ払い姿で挨拶していたりしましたが(TBSでもないのに何故あの酔っぱらいが船窪小屋にいるのだ!)番組が期待していた大展望は雲また雲に邪魔されて残念ながらいずれの山小屋もおじゃんで録画で代行、山はまだ天候イマイチのようです。

7月30日(日)の早朝からなら通勤客もいないので大きな荷物で車内に乗り込んでも迷惑がかからないだろうと、その辺あたりの日にとりあえず企画変更です。

計画は1日目、長野県茅野駅から美濃戸口まで電車・バスを乗り継ぎ入山。4時間ほど、なだらかな樹林帯を歩き、その日は行者小屋に宿泊予定です。
2日目は早朝より地蔵尾根から赤岳を目指し登頂後、キレットを通過し権現岳へ・・一般的にはこのまま下山ですが、もう年なので無理せず権現岳直下の山小屋に宿泊します。最終日は三ッ頭を経由し天女山へ下り甲斐大泉駅へ抜ける2泊3日の山旅です。

【山爺の一口メモ】

キレットとは 日本語の”切戸”に由来する言葉で主に長野県の山にそう呼ばれる地域が多い。山と山とをつなぐ尾根が深く切れ落ちた場所。山と山のつなぐ低い場所は、コル(鞍部)とも言われるが、キレットはその切れ落ちが更に深いもの指し、難所であることが多い。




八ヶ岳は岩ばかりの山塊で鎖やはしごで随所がよく整備されているとは言え、右の画像のような、やばいところを何箇所も通過しなければなりません。楽しいなあ!・・というのは、やせ我慢で、ちょっと恐怖ではありますが山の魅力のほうが優ってしまいます。

登山経験不足な山ババア・山ジジイやトレイルランニングと言った訳の分からない連中が跋扈する昨今、いつ上の方から石を蹴飛ばされ落石があるかも知れません。ヘルメットが欲しいところです。


ただし、ロッククライミングをする訳でもないのに山用ヘルメットを装着するのは大げさでちょいと恥ずかしい。何かいい物がないかなあとネットサーフィンをしていると・・・有りました。いい物が!。今回の山旅にぴったりの帽子内に装着できる簡易ヘルメットです。

メーカーもあのミドリ安全社です。ブランドは申し分ありません。早速手配したところ数日で手に入れることが出来ました。送料込で¥1000以下!これで命が守れるなら安過ぎです。

早速愛用の野球帽に装着したところぴったりです。これはいいや、これならゴルフにも使えそうです。世の中、探せばいいもんが色々あるもんですなあ。

17年度、暑中お見舞の項・・・完

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なんか天候が不順だなあ。前線がまた南下してきてしまっている。なんだ、あの大陸の高気圧は、チベット高気圧が張り出した?梅雨に逆戻りじゃん。この気圧配置は。

昨日(7/23)御嶽山慰霊登山のニュースを見ていたがお山は雨天だった。

この状態が続くようだったら来週始めの八ヶ岳登山は延期かなあ。



ゴルフは悪天候だと楽しくありませんが、山はそれ以上に楽しくありません。雨中の山もそれなりに風情があって楽しいとか言っている御仁もいるようですが、あれは負け惜しみ、山は断然晴天に限ります。前線が消えない限り、のこのこ山に出かける気がしません。赤岳キレットを霧雨の中、通過することを考えるとゾッとします。

サボ郎くんのようにお昼寝するに限ります。

今日(7/24)11時現在の長野地方は曇り明日は雨 28~30日は曇りと晴れだが降水確率40%と高い。そして31日からまた曇り・・・だめだこりゃ見通し暗いねえ。



今日(8/1) 11時現在の長野地方は雨また雨、前線はようやく消えたけれど今度は台風が居座って山は大荒れ模様、いつもだと7月末から8月初めは一番天候が安定していて高山の登山日よりなのですが、なんの因果なのか長期に渡って天候不順。サボ郎くんが部屋中はしゃぎまわっています。



2017年6月27日火曜日

愉快な仲間達・・・17年度高校のクラス会開催記(6/24 ~25)

皆んなにおだて上げられ高校のクラス会の幹事長を仰せつかって今年で6年目となる。今では終身名誉幹事長になりつつある。企画から実施まで一人でこなすので面倒であるが毎年皆んなの喜ぶ顔をみると苦労も癒される。母校の所在地がT市にあるため、これまでの5回は全て日光・鬼怒川方面の温泉地を選び宿泊宴会プラン(飲み放題・カラオケ付き)のある格安旅館を見つけては実施してきた。

開催時期は6月の最終の土日と決めてある。この日に決めた理由は、この時期はほぼ梅雨期間であり誰も予定をあまり立てないだろうと、我がクラスの策士が考えた深謀遠慮からである。確かに納得の考えだ。

皆さん最初のうちは、『幹事長が計画したのならどこでも良いよ』 などと殊勝なことを言っていたが一昨年辺りから県内は飽きた。ぼちぼち県外にも行きたいなどと少しわがままを言い出す者もちらほら出てきた。

じゃ伊香保でもと思い2軒ある伊藤園Gの旅館を検索してみたが生憎と宴会プランがなく諦めた。
草津や伊豆は遠いし、さてどうしよう!。

例年14~5名の参加があるので早めに宿は決めなければならない。いつも3月末頃から会場選びを始め、4月中旬には場所を決めて仮予約、月末には参加募集の往復はがきを出して出欠を募る。

往復はがきとは今時アナクロであるが我々は工業高校出身で皆、技術屋の端くれながらPC操作が、からっきしという面々が多い。機械科卒だからかなあ。あの当時(50年も前の話)の機械科の授業(実習)と言ったら、あなた!。

 ①1貫目(約4kg)ハンマーを振り上げ振り下ろし訓練や鍛造実習(鍛冶屋さん)
    *刀鍛冶になるわけでもないのに連続50回(だったかな)も振り上げ振り下ろしでヘトヘト。
 ②旋盤はじめ色々な工作機械をすべて手動操作で行う加工実習
 ③電気・ガス溶接実習・・・学校祭ではブランコ作って保護者に販売したりした。
 ④溶鉱炉で鉄を溶かして鋳物作り。・・・危険と隣り合わせで命懸け・・今でもやってるのかなあ?

ね!どう見たって電気に関係のある実習内容がないでしょ。特に①のハンマー連続50回振り下ろし実習はいったいなんだったんだろうと今でも不思議に思ってます。今の工作機械はCNCが主流だからいやでもPC技術をマスターしなければならないがその当時は仕上がりの優劣は本人の腕次第でまさに職人養成学校であった。

技術屋なら計算が付き物だが当時電卓なぞはもちろん存在しない。複雑な計算をどうしていたか。ジャーン!!計算尺という便利なツールがあったのである。これがあれば乗除や平方根、三角関数、対数計算といった値をスケールを動かすだけで求めることが出来たすぐれ物で理工系学生は必携品であった。

皆んな一生懸命に操作法を学習し資格まで取ったのであるが電卓の普及とともに姿を消した。今では履歴書の資格欄に載せるのがはばかれるくらいである。・・あれもいったい何だったんだろうと懐かしく思ってます。

ここで問題です。計算尺とは下図のどれを指すのでしょうか。  (^0^)
正解は C です。

母校には当時ほかに電子科・電気科があったが機械科が世間では一番もてはやされていた時代で受験競争率も高かった。まさかITがここまで発展するとは誰が予想し得たであろうか。

【山爺の一口メモ】

CNCとはcomputerized numerical control machining の略でコンピュータ制御で機械が自動加工をしてくれるシステム、本人の手先の器用さは不要で誰でも精密な加工が出来る。要求される技術はコンピューターへのデーター入力や異常時の処理、制御盤内の電子回路の修理など電子技術力が必要となる。

そんなわけで我がクラスの面々は今でもPCに精通している方が少ないようです。本当は出来るけれど幹事仰せつかるのが嫌だから内緒にしているのかなあ・いやあそんな策士はいない!。したがって今でも通信は往復はがきのご厄介になっているのです。クラス会終了後の会計報告や記念写真の配布も全て郵便です。

問題なのは印刷代も含めこれらの費用が結構かかることである。もし皆さん全員がPCに精通していればこれらの資料を全て電子メールで配布できるので幹事長もずいぶん楽になるのですがねえ。ここまで来たら(作者注・・年齢)もう、かなわぬ願いか!。ええい!こうなりゃあヤケだ、アナクロ万歳・・・Y(^ω^)

冗談はさておき、クラス会に話を戻します。クラス会は毎年1泊で行っていますが、山爺含め他県からくる数人が電車利用で来るほかはT市周辺在住のものが多く彼らはお互いで調整を取り車数台を連ねてやってくるのが常です。

山爺は前々から運転者は負担が大変だなあ。(特に宴会疲れの帰路運転)事故でも起こさなければいいがなあと思っていました。もし事故でも起こされてしまったら一番嫌な思いをするのは会を企画した者、つまり山爺です。

ここ数年クラス会の参加常連3人が相次いで病気その他で鬼籍に入ってしまったこともあり(ブログ16/8/25 お盆のこと・友人のことの項参照)余計に弱気になります。諸君!もう皆んな若くはなく体力、集中力ともに落ちているのだから無理は出来ないよ。遠距離ドライブは気をつけてね。

そこで、よし今回はT市駅前から送迎バスを出そうと考えました。しかしまともにバスをチャーターしたのでは費用がかさんでしまいます。おおるりGの温泉旅館なら15名以上集まれば指定場所まで無料送迎、10人でも¥10000で送迎をしてくれることを以前より知っていたのでそれを利用することにしました。

開催場所は1昨年に川治温泉の一柳閣で開催した帰りに幹事長の考えを無視、どういうわけかT市に向かわず反対方向の湯西川に全員向かった経緯があったので、そんなにご執心なら湯西川もいいかなと思い湯西川の平家本陣に宿を予約、バス利用の有無を選択する項目も入れて開催案内を作成し配布しました。

配布後すぐに参加する旨の返事が4~5人来ました。いずれもバス利用賛同者からです。ところがいつもすぐに参加表明するT市の常連達から誰も返事が来ません。

変だなあと思っていると茨城在住のO氏から山爺に電話が入りました。ちなみにO氏は若い頃より我がクラス会をリードしてくれていたキーマン的存在の男です。

『T市の連中の一部は今まで通り車で途中色々立ち寄りながら出かけたいが、せっかくバスを企画してくれた〇〇(作者注山爺のこと)に悪くて言いづらい。Oから言ってくれないか』
との申し入れです。なんだそんなことなら遠慮しないで直接山爺に申し入れすればいいではないかと思ったが直接言えないところがなかなか奥ゆかしい。ちょっと嬉しい山爺ではありました。

確かに車で行く人の中にはT市に戻るような地域に住んでいる人もおり一旦走り出したら湯西川に行くのもT市に行くのもたいして変わらんと言う気持ち、分からんでもないけれどねえ。

ここ1~2年は参加員数は13~14人くらいです。6人もバス利用がペケでは送迎バスチャーターは難しい。そんな訳で当初はバス送迎を諦めていましたがその後、参加者が増えて17名になりましたが、それらは全員がバス利用者です。O氏も茨城からT市まで車で来てバスを利用してくれることになりバス利用者総勢11名となり、めでたくバスをチャーターすることが出来ました。

それにしても17名も参加とは、幹事を任されてから一番大人数の参加者で幹事冥利に尽きます。これで鬼籍に行ってしまった常連3人がもしも元気だったら、さぞや賑やかになっただろうと叶わぬ想いがわいてきました。改めて3人のご冥福を祈るばかりです。

6月24日(土)山爺は電車で12時12分早めにT市に到着。構内を見渡したが誰もいません。集合は12時40分で出発は13時の予定ですがバスが到着し全員が揃ったらすぐに出発する旨あらかじめバスドライバーと打ち合わせ済みです。

構内から外に出ると、いたいた、埼玉南部在住のKが『おおい〇〇、昼飯どうする』と近づいてきた。この男は、何かというと『お昼どうする』が口癖で電話でも必ず飯どうするを相談してくる面白い奴である。

ほかに2人も待っていた。OH氏は今日5時起きで一仕事?してきたがまだ飯食ってないとのこと。だが集合時間まであと20分しかない。駅そばなら早く食べられるけれどそんな気の利いた店はなさそうだ。構内に居酒屋魚民でランチメニューやっているから行こうという。おいおい今から食堂かいな!。一抹の不安はあったがほかに集まっている者がいないので4人で駅構内にある魚民へ入った。

なかは結構混んでいる。ランチメニューは焼き魚定食やらヘビーで調理時間の掛かりそうな物ばかりです。加えて山爺は9時過ぎに朝食を食べたばかりで食欲もない。サブメニューのミニうどん¥150が目に付いたのでそれを注文した。ほかの3人はメインランチを注文しているが大丈夫かな。10分、20分・・・経ってもなにも運ばれない。あっという間に集合時間の12時40分になってしまった。

もう皆んな集まっているだろうなあと焦る。山爺だけなにも食べずに出ようとした時にようやくミニうどんが!そしてほかの注文品も運ばれてきた。猫舌の山爺であるが無理やり(さほど熱くないが)流し込んで山爺だけ急ぎ店を出た。集合時間を10分オーバーである。

居た居た、残り全員すでに集合済でバスも到着している。『幹事長遅い!』の非難の声が挙がる。食事組を急がせるために再び店に戻ってみると3人は席を立ち支払いを始めている様子。と、ここでK氏がやおらトイレに向かい始めた、もう1時を回ったと言うのにのに悠然としている。やきもきしているのは幹事長の山爺だけのようだ。トイレは事前に済ませろよと心で叫ぶ。結局出発は定刻5分過ぎとなってしまった。・・・運転手さんとの事前打ち合わせはもろくもパアになりました。

バスは20人乗りの中型バスが来てくれました。11人の乗車だから社内はがらがら、おおるりGのサービスのなんと素晴らしいことか。

途中大谷PAで休憩し宇都宮日光有料道路経由で大沢ICで一般道に出てひたすら湯西川に向かって順調にバスは走り続けます。いやあ、この面々とのバス旅行は50年前の修学旅行以来です。話も弾むってもんです。残り6人も乗ればもっと楽しいのになあ。・・・

15時30分湯西川平家本陣に無事・・・でもなく予定より30分遅れで到着、ロビーに入ると車組はすでに到着しておりビールを飲んでいる奴もいる。フロントで受付を済ませ4部屋分の鍵を受け取り再びロビーに戻り幹事長の一番重要な仕事を行う。参加費の集金である。

合計金額が予算通り集まった。¥1000のプラスもない。( ´•ω•` )  集めた軍資金は用途別に封筒に小分けし再びフロントに行き預けておく。こうしておけば盗難の恐れもなく幹事長としての勤めから一旦解放される。

皆んなはめいめい鍵を持ってすでに各部屋に散っていった。もう16時を回っている。宴会開始は17時30分であまり自由時間がない。まあ、このくらいの時間の方がちょうど良いのかもしれない。なまじ自由時間があると我が面々は何をするでもなく、ひたすら飲み続ける連中だからして。

鬼怒川での開催時は14時に受付けたら、それから飲み通し飲んで肝心の飲み放題宴会プランが始まった時にはだいぶ出来上がってしまい、ほとんど飲まなかったことがあった。喜んだのは旅館だけである。


急ぎ着替えて宿自慢の温泉に向かう。ここは湯量が豊富で源泉かけ流しなのも魅力の一つだが我がご同輩は気づいているのだろうか。・・・170L/分 PH8.3 弱アルカリ単純泉

裸で洗い場を歩いていると『〇〇も腹が出たなあ』と湯船から声が掛かる。お互い様だろうそれは!この歳で腹も出ていないのは病気だぞ。

ゆっくり内湯、露天湯の湯船につかり、しばしまったりとする。外にある園内庭園風呂は時間がないので明朝入ることにして部屋にもどる。

17時30分いよいよ1次会の始まりである。カラオケやゲーム用景品をザックから取り出し会場へと向かう。この時一緒に持ってきた宴会盛り上げグッズ(タンバリンやら拍子木、メガネなど)を忘れる。やれやれ、決めた行事もなかなか計画通りにいかないものである。

幹事長(山爺)の開会宣言の後、去年亡くなったOK氏を忍び全員黙祷を捧げる。昨年のクラス会でも亡くなったH氏の黙祷を捧げたが願わくば今後しばらくはこのようなセレモニーはしたくないものだ。

N氏による乾杯の音頭で元気よく宴会が始まった。N氏の近況連絡によれば痴呆症が進行中とあったがそんな素振りはない。まあ、痴呆症は自覚症状があるうちは大丈夫だよ、うん。記憶をなくし夜な夜な徘徊しなければ・・ってそれじゃ手遅れか。アボーン(´・ェ・`)

宴会場は畳ではなく囲炉裏と椅子の組み合わせで楽に座ることができた。このような席は体がややくたびれて故障の多い我々熟年世代にはありがたい。

しかし相手の前に廻ることが出来ないのでお酒のお酌などがやり難く、何となくしっくりこない。やはり宴会は和室に限るのだろうか。

今回は部屋に入ってから宴会までの待時間が少なかったこともあり飲み物がどんどんはけてゆく。『幹事!ビールがない』とやや酒の飲み方に難のあるT氏から声がかかる。幹事だとお!幹事長と呼べ!幹事長と!と言いたかったがまあ我慢した。下戸のために瓶コーラも若干準備したが誰も飲まない。わいわいがやがやと誠に盛況である。

5回開催のうち最初と2回目、2回分のクラス会の様子を編集した画像をカラオケモニターで流す。これには鬼籍に入ってしまった3人も数多く写っている。モニターが小さくて今ひとつであったが皆んな懐かしく見てくれた。

♫『酔が回れば~それぞぉ~れに、歌の一つも飛び出して』・・・居酒屋兆治の主題歌より。

セルフセットによりカラオケが始まった。口開けはやはりカラオケ大好き、自称、埼玉の五木ひろし・・と勝手に自分で決めている埼玉南部から参加のK氏である。

これが呼び水になり次々と歌が飛び出す。なにせ芸達者な面々である。宴会盛り上げに不自由はしないのでこの点、幹事は楽である。

幹事長の発案で100均一商品を沢山用意しカラオケを歌った人に差し上げるようにしている。これも少しは盛り上げの後押しをしているのだろうと自画自賛。

予定の2時間もあっという間に過ぎてお開きに近くなって来たので恒例のじゃんけん大会を行う。

【山爺の一言メモ】

じゃんけん大会:全員参加!隣同士がじゃんけんをして勝ち上がった同士が更にじゃんけんして勝ち残るゲームで優勝者に商品授与。

原案は参加者全員が100円を握り締めて隣同士でじゃんけんし負けたほうが勝ち残ったものに100円を渡す。これを繰り返し優勝者が総取りするゲーム。人数が多ければ多いほど盛り上がるが、お金を直接やり取りするのは少々えげつないので前述内容に替えて楽しんでます。

優勝者はなんと乾杯音頭を仕切ったN氏が勝ち残りました。自称痴呆症進行中なれば無心の勝利だろうか。(^0^)

一次会の締めの音頭は自称埼玉の五木ひろしことK氏により行われ無事閉幕です。

さて、次は二次会です。

二次会は旅館の近傍にあるスナック『浮路梨多』で行われます。店から送迎があるので15分後に玄関前集合です。服装は自由でなんと浴衣のままでもOKです。さすがは温泉街のスナックです。

ホテルから歩いても行けるのですがそこは横着な面々、送迎がないとブーたれる奴が続出するので今回も送迎をお願いしてあります。
スナックのママさんがワゴンで何往復もして送迎してくれました。
感謝、感謝です。


さてお店の中に入ります。もう先発組はめいめい席を確保してわいわいがやがや、やっている。部屋も広く雰囲気は申し分ありません。

毎回2次会の場所選びは事前に下調べで訪れることをする訳でもないので気苦労が耐えません。狭かったりボロかったりしたらどうしよう、ガラの悪い客がいたら嫌だなあと思ってしまいます。

幹事として安堵の瞬間です。幸いこれまで期待はずれ(あくまで幹事長の主観)の2次会場に遭遇したことはありません。まあネットで十分に下調べはしておきますがね。(^ω^)

服装はなんと山爺だけカジュアル服装。あとは全員浴衣姿で入店です。幹事は色々動き回らなければならないのでカジュアル服に着替えたのです。決して洒落っ気が出たわけではありませんよ。念のため。

皆んな乗りに乗っているのでここで幹事長から一言注意。『カラオケは1人3曲までを目安にお願いします。』我がご同輩はカラオケ好きな面々が多い。放っておくと歌い終わったら即、次曲をリクエストする人も出てくる。2次会は2時間である。全員が3曲歌うと仮定すると 17人×5分×3曲=255分 (4時間超)となってしまう。カラオケに夢中になるとこれに気がつかず次から次へと自分の好きな歌をリクエストしてしまう人が多い。

大体に多少上手いといってもそこは素人、カラオケは歌う当人が楽しいのであって周りはろくに聞いちゃいない。〇〇ショーではないのだから特定の人に次から次へと歌われたのではかなわない。

山爺の一言が聞いたのか今回は皆んな注意を守ってくれたようだ。そのせいかどうか普段歌わない人もマイクを握って歌ってくれた。宴会はこうでなくてはいけません。

楽しいひと時はあっという間に過ぎてゆく。この辺まで来ると山爺(幹事長)も酔が回って誰がどうしたか記憶があやふやとなってくる。

帰りもママさんが皆んなを赤いワゴンで送ってくれた。何人かは歩いて帰ったようだが途中で追いついて回収して帰った。

もう10時も回って年寄りは普段なら就寝のお時間だが我が同輩はこのままでは終わらない。ちょい悪親爺集団である。有志により3次会の開催です。遅くまで世間話や思い出話に花が咲きました。

山爺は途中で抜け出し部屋に戻り爆睡。だが床が変わると寝られない性分なので2時・3時と目が覚める。6時になったので床を抜け出し地下一階の大風呂と昨日行けなかった1階の庭園露天風呂へ。・・・・


庭園露天風呂は文字通り庭園内に露天風呂が散在している誠に風情のある所である。低料金ながらこれだけ施設が充実しているとは、この旅館の人気ぶりが分かると言うものだ。


朝食はバイキングだ。バイキング、バイキングというがバイキングとは北欧の海賊集団のことで料理名ではない。食べ放題方式をバイキング料理と命名したのは日本の誰かさんが勝手につけた和製英語です。ルーツは北欧の人々が個々に得意料理を持ち寄り分け合って食べる形式のことだ。

まだ夕食料理ならバイキングと呼べるかもしれないが質素な朝食をバイキングと呼ぶのは片腹痛しである。セルフ配膳朝食と名を改めるべきだろう。

こんなのがバイキングでは日本のバイキングは粗末料理だなあと北欧人が誤解して蔑視されてしまうだろう。

朝食を終えても山爺には最後の大仕事が残っている。宿代の精算である。フロントに行き預けた軍資金を戻してもらい精算!。おお!予定より若干安く上がった。(高速料金を多めに設定)
企画通りの費用で精算を終了した。

これで幹事長としての仕事はすべて終わった。やれやれである。あとは玄関前に全員集合して記念撮影し解散宣言すれば御終いである。

集合時間の9時になっても玄関前に全員集まらない。昨日1次会で説明したのに誰も聞いていないのか。(`ヘ´) プンプン・・・ようやく全員が集まり記念写真をパチリ。

これで17年度のクラス会も一応終了。バス組と自家用車組に分かれてそれぞれ帰途に着くだけだが、バス組は10時発なのでまだ時間がある。自家用車組はもう帰れるのだがバスの後を付いて帰ると言う。まったく仲間思いの連中だ。ん!それともなにか幹事長に内緒の陰謀でもあるのかな。

バスは予定通り10時に出発したが川治ダムで時間調整のためまず休憩。(おおるり直営の食堂へ入るための時間調整)更に鬼怒川湯けむり会館で土産購入ため立ち寄り、その後おおるり直営店”田吾作”で昼食をとった。

宿の送迎バスを利用するとおおるりGの直営店である土産物屋と食堂『田吾作』へ必ず立ち寄るようになっている。ここでお客から少しでも財布の紐を緩めてもらうための経営戦略である。おおるりG 恐るべし。

山爺は自家用車組にもテーブルを確保していたのだが誰もやってこない。どうしたんだろう。・・・なんと誰かの発案で昨日そばを食べたので今日はラーメンが食いたいと急遽近くのラーメン屋に変更してしまったようだ。まあ旅館を出た時点で幹事長の役目は終わっているので勝手にするさ。


愉快な仲間達・・・17年度高校のクラス会開催記・・完