山爺はこう見えて数々の国家資格を持っています。その大半は以前在職していた家電メーカーで上司の命令により嫌々取ったものですが、この家電メーカーの存続が危うくなってきた50代半ば以降には将来を見越し(退職)ボイラー技士2級・防火対象物点検資格者といった資格を自主的に(自腹)取得しました。
防火対象物点検資格者は歌舞伎町火災で大量焼死者災害が発生したことに伴い特定の建物の防火査察を民間が行えるようにした新たな制度で専用測定器具など必要がないので開業資金がなくても個人開業できるかなあと甘い動機で取得したのですが・・・結局、履歴書のお飾りとして役に立つことになりました。 (´+ω+`)
取得した国家資格のうち消防に関する資格が4点ほどあります。1点を除いては当時(平成15年頃)の役員の思いつきで消防関係の新事業開設を企画したことに伴い、これまた嫌々取らされた資格です。社内どこを見渡しても誰も実務経験者がいないなか、新たに人材を引き抜くわけでもなく適当に人選をして新商売を始めてしまうところがなんともいい加減ですごい会社でした。殿様商売丸出しです。
この会社は大企業にありがちな組織上の欠陥がありました。ISO管理の取得などにより国家資格者の必要性が生じると管理職、自らは絶対に取得に動きません。もっぱら気の利いた平社員に命令し取り繕います。その結果、平社員は知識や技術が向上し上司はその業務にまったく理解不足のままといった、ちぐはぐな組織が出来上がることになります。野球経験の全くない者が監督をやるようなもので勝てる訳がありません。
昔々の昭和40年代の頃、水質汚濁防止法という法律が施行され山爺の工場でも有資格者が必要となりました。その当時はまだ管理職も率先して受験する気風がありました。山爺の直属課長も張り切って勉強会など開催してくれて他工場の関係者も集まり皆で受験に挑みました。お陰で山爺は見事1発合格です。その時の合格免状はいまでも大切に保管してあります。なんせ発行人が通産大臣田中角榮だからして、希少価値です。(^0^)
早速課長に報告しました。『課長おかげさまで受かりました、課長は?』 『うん!僕かね、まだ来ないね』 いやあ、私も当時20歳そこそこでウブだったんだねえ。状況確認もせず迂闊に報告に行ってしまい課長に恥をかかせることに。今でいう空気読めない男でした。私は合格、課長は不合格だったのです。当人の名誉のために言うと他工場の人も最初は確か全員落ちたと思います。
私の心証がこれ以降、悪くなったことは間違いありません。あの当時はそれ以外でもまったく空気読めない不器用な男だったので随分損ばかりしてきました。
それらが原因でその後、管理職の資格受験は制限されたのではと思ったりも・・・・ってそんな訳ないか。・・・でも人を指導する立場の人が受験に失敗して平社員が受かったのでは組織管理上極めて具合が悪いものねえ。誰でも出来れば受験は回避して不合格のリスクは避けたいよねえ。 (´▽`*)アハハ
会社役員の全くの思いつきで始めた消防点検事業ですが当然国家資格者以外は点検業務をする権限がありません。そこで防災面に少し知識のあった山爺に白羽の矢が・・・断ることを知らない山爺は引き受けざるを得ませんでしたが受験手続き自体からして誰も分からず全部自分で調べて対応しなければなりませんでした。
事業開業日程はまさに絵に書いた餅のような中身のない日程をいとも安易に決められてしまったので受験まであまり日にちがありません。勉強は通常の業務終了後、会議室におこもりし連日受験勉強しました。さらに土日返上で家でも勉強です。『なんで俺が!』と、ぶつぶつ言いながら・・・努力の甲斐がありなんとか受験に合格しました。
無事合格するとそれまで防空壕に入っていた人々(知らん顔をしていた方々)が壕から出てきて、すぐにでも開業できると思い、さあやれ、始めろ、金は出すぞ、何が必要だ、と矢継ぎ早に催促です。これでは会社の組織が弱体するのも頷けます。まさに旧日本軍の組織そのものです。
日本軍の場合は幹部将校はいつも安全な後方陣地で指揮を執り被害甚大なのは下士官・兵のみ。日本の軍隊を評してあるアメリカ軍人が『下士官・兵は強かった・愚かなのは高級将校』とも言っています。また、こんなジョークもあります。アメリカ人の将軍にドイツ人の参謀が付き日本人の下士官と兵士で構成された軍隊が最強だとも。
今の日本の会社組織も相変わらず旧日本軍と似たそんな感じがします。N自動車が調子がいいのは?社長が外国人だからかなあ。しかも会長兼社長兼CEOだもんね。権限独り占めでなんでも即決かなあ。T芝みたく副社長以下役員を何十人も作って美味しいところを分かち合うムラ社会構造では平常時はうまく機能しても経営危機に陥ると身動きが取れずどうしようもなくなる。とうとう空中分解寸前まで追い込まれてしまったものねえ、この先どうなるんだろう。地下で創業者のカラクリ義衛門(田中久重)さんきっと泣いてるよ。
資格を取得したとは言え、車で言えば学科に合格しただけで運転そのもの、つまり点検の仕方、報告書の書式やまとめ方なんかさっぱりわかりません。社内の人間はおろか他工場にもそんな知識人はいないので誰にも相談できません。第一もっと有資格者を増やさなければ商売として成り立ちません。これらも全部私一人でやらなければなりませんでした。
それでも起業当初は私の懇意にしている人が課長に就任し何かと相談しながらやって行けたのですが・・・なんとこの人は中途で業務を放棄、会社を退職し海外の別会社にとっとと赴任してしまいました。
途方にくれた時に山爺を助けてくれたのが当時我が会社の消防設備点検を委託していた東京にあるS社のT社長(のち会長に退き、残念ながらすでに他界)と現社長のK氏でした。このお二方には受験の段階から新事業立ち上げ~営業活動まで大変お世話になった、いわば我が師匠にあたります。このお二人がいなかったなら私もその事業は投げ出していたと思います。今も足を向けては寝られません。・・・ん!東京はどっちだ?こんだけ持ち上げればいいかな。(^0^)
K社長とはそれがご縁となり今でも良き友人としてゴルフ付き合いなどをさせていただいております。
そんな訳で嫌々始めた仕事でしたが、こんなまとまりのない組織では会社の景気が回復するはずもなく、まもなく閉鎖となり北茨城の工場に吸収合併となってしまいました。やっとお付き合いを始めたお客さんに今度は点検業の廃業の連絡をしなければなりません。ひどい話もあったもんです。
お客といってもお相手は100%、大企業の威を借りて押し売り的に獲得した協力企業ばかりです。開業当初は協力企業の現場担当者に随分イヤミを言われ辛い思いもしました。・・・・曰く①社長命令で何の落ち度もない長年付き合っていた業者を切った②前のところより対応が遅い③寄せ集め会社じゃないか等々。・・・それが数年もしないうちに今度は廃業連絡のため頭を下げなければなりません。全く理不尽そのものでしたが、嫌な業務から解放されることについてはありがたかったです。私は北茨城までついてゆく気力は到底なく、それを期に優遇制度に手をあげて退職し新規の会社を探すことにしました。
正直の頭(こうべ)に神宿る!の例え通り、神様は正直者をちゃんと見ていてくれたようで、あれほど嫌々取った資格や知識でしたが再就職に際してはこれが大いに役立つことになりました。応募した大手自動車部品メーカーが山爺の防災知識を高く評価し即採用することになります。
当時面接していただいた役員の方のお一人が特に私を高く評価してくれ、募集時の年俸よりかなり上乗せして採用していただきました。
この方がなんと私が家電時代に同じ職場にいた腐れ縁的友人の奥様の叔父様であることが後ほど分かりました。いやあ世の中狭いもんです。この友人とは海外出張で一緒に仕事をしたりして楽しく仕事をした仲でしたが残念ながら去年の暮れ病で急逝してしまいました。本当に残念でなりません。合掌!
家電時代に散々苦労したことで、いつのまにか消防に関する専門知識が身につき新会社でISO監査員やTPS(トヨタ生産方式)コンサルタント員との交渉時に相手側の指摘内容の不具合を逆にやんわり訂正させたりもして、さすがは大手家電出身と評価されたりしました。
そんな訳で新たな職場でも、なんとか役員の方々の期待に答えることが出来、防災アドバイサーとして私の居場所を確保することが出来ました。この会社の皆さんにはよそ者にも関わらず本当に良くしていただき、今でも感謝しております。退職後も所属していた部署からは飲み会に誘われたりもして現在に至っております。
9年間そこでお世話になりましたが皆さん紳士な方ばかりで会議で怒鳴り声などの下品な言動は一切ありません。前勤務先で存在した肩書きを威にしての威高丈な者など一人も見かけません。それまで部下や弱い立場の下請けさんへの罵声などしょっちゅう聞いていたので、会社組織とはそんなもんだとばかり思っていた私は目からウロコでした。
前勤務先ではこんなことがありました。ISOを取得しようと準備していた頃ですから平成の初めの頃です。社内で進捗状況確認のための社内監査が行われることになり、他工場の役員(工場長)の監査を受けることになりました。
我々の係長が神妙に書類の説明をこの監査長にしていましたが、ある書類の綴られたファイルを一べつするや、なにが気に入らなかったのか、なんとそのファイルを床面にポイっと投げ捨て『鼻くそにもならん』と侮蔑の言葉を吐き捨てたのです。横で見ていた私は、なんと下品な奴だ、こんな程度の低いのが我が社の役員なのか情けないなあ、と嘆きました。今でも時々その事を思い出しては不愉快な思いに駆られます。いやはやです。役員からしてこうですから他は押して知るべしです。・・・中には尊敬に値する役員や上司が希には、いましたけどね。
自動車部品会社を定年退職した後も新たな職場の応募に際してはビル管理会社がそれらの経歴や資格を評価してくれて即採用となったりもしました。人間何が幸いするかわからないものだと、この歳になって改めて実感しています。
長々と山爺の愚痴混じりの話をお読みいただき恐縮です。話を再講習受講に戻します。
そんな大切な消防に関する資格ですが、これらは5年ごとに再講習を受けないと資格が失効するという厄介な決め事があります。おまけに講習の最後にちゃんと聞いていたかどうかを判断するために効果測定、つまり簡単な試験があるので受講中おちおち寝てもいられません。
この協会いわく、人命に関わる大切な業務をするのであるから常に最新の情報を身につけていなければならないと。まあ建前はそうだけれどねえ。人命に関わる資格なんか他にいくらでもあるではないか、なんでこの資格だけといつも思ってしまう。車なんかも書き換え講習の最後に再試験したら大混乱になるだろうなあ・・(笑) (^0^)
今回は『消防設備士・警報設備』、いわゆる火災報知設備に関する再講習の受講です。2月には消火器に関する受講もあります。受講料が¥7000と高いのが悩みの種で5年後は返納かなあ、なんて考えたりもします。公的資格にしては少し高すぎませんか関連協会さん。危険物は確か¥4700ですよ。(`ヘ´) プンプン
再講習受講の会場は東京の秋葉原駅北口近傍に有る神田消防署と併設された『消防技術試験講習場』で行われます。
朝8時半に到着、もうエレベーター前には沢山の人々が並んでいます。エレベーターで7階の講習会場へ、時間前に無事到着し取り合えずやれやれです。
掲示板で自分の名前を確認し受講番号の座席を探す。あったあったは良かったが前から三番目と講師に近いゾ。うふぇ~だが話がよく聞けるからいいか、考え方を改める。前向きだねぇ山爺は!。
講習会場は右の画像のような雰囲気で各机にモニター画面が付いており、いちいち正面を向かなくても楽に説明図を見ることができるようになっていました。5年前に同じ場所で受講したときは講師の頭上の大きな画面を見なければならなかったのでこれはありがたい。消防関連協会は講習会で儲かってるのかな?
今回のスケジュールはこんな感じです。
9:00~ 9;10 講習案内
9:10~10:50 設備関係法令・設置基準等
11:00~12:00 行政事例等
12:00~13:00 休憩(昼食)
13:00~15:00 整備・点検要領
15:10~16:10 整備・点検要領
16:10~16:35 効果測定(出題10問解答時間20分)
16:35~16:50 採点及び免状返還
びっしりと講習科目が並びます。問題なのは16:10からの効果測定です。テキストを自由に見て解答してもいいとは言うものの、なにせ1問あたり2分で解答しなければならずじっくり探していては時間がなくなります。事実上はほとんど見る時間はありません。
講師によっては今説明したところは大変重要だからよく理解するようにと2~3回同じ項目を念入りに説明してくれることがあります。この場合はこれが出題されるので助かりますがそういう講師ばかりではありません。誰が最初に思いついたのか知れませんが実に狡猾な手段を考えたものです。これでは講習中におちおち寝てもいられないわけです。
Y(^0^)/
すぐに開けるようにテキスト下部に付箋を貼り付けます。いつの間にやら10枚以上貼ってしまいました。余計に混乱してしまうぞこれでは。・・・(╯•﹏•╰)コマッタ
講習会も終わりいよいよ効果測定となり前のほうから順送りで解答用紙と問題用紙が配られてきました。まだ見てはいけないのですが裏返すと3問見えます。ささっと目を通すと先ほど大切だよと言っていた問題ばかりで正解もすぐに分かりました。これで30点は取れそうです。30点以下(だったと思う)の人は居残りで補修講習を受けなければなりません。それだけは御勘弁願いたいです。第一そうなると皆が帰る中ぽつんと残るので目立って恥ずかしい。よし!取り合えず30点はクリアーしそうです。
それでは問題用紙を見て落丁印刷不良がないか見てくださいの合図があったので問題の中を開く。急いで問題に目を通すと2問ほど確実に正解が分かる問題が見つかった。これで50点は確保だ。
それでは今からテスト開始です。制限時間は20分です。始め!の掛け声で問題解答に挑みます。
第一問からつまずいて簡単に解けません。第1問は飛ばし第2問に、あれえこれも簡単ではありません。5年前は簡単に解答したと思いましたが、今回が難しいのか、山爺の頭脳が衰えたのかどちらだろう。時間だけが刻々と過ぎて不安がよぎります。(´^ω^`;)
テキストを見返しますが該当する項目がなかなか見つからず、いらいらします。テキストを見返すより聞いたことをよく思い出し、その時メモった内容を読んだほうが早そうです。こうすることにより分からなかった2問をクリアーしました。どうしても自信のないものが1問残りました。これだけは時間をじっくりかけてテキストを調べますが該当解説が見つかりません。ついに時間アップで試験終了。・・今回は残余時間がゼロでした。・・・いやあ確実に我が頭脳は衰えていると実感した次第です。
効果測定も終わり免状返還が始まりました。まさかと思いますが係員が渡しに来るまで落ち着きません。私の前に係員が立ち、お疲れ様という挨拶とともに免状を返還してしてくれました。やれやれです。
今回の効果測定で不成績となり居残りとなった人は数人だけのようです。5年前は数十人いたと思いましたが・・・帰宅準備を整え離席して講習会場を振り返ると無愛想な表情の人が3人ほど残っていました。お気の毒です。来月13日(月)は消火器部門の再講習を受けねばなりません。老骨に鞭打ちもうひと頑張りです。
退屈な講習会を終えて1句。
【狂歌】
・この後に 絶えて試験のなかりせば 講師の解説 子守唄らん。
・講習後 うるさき試験のなかりせば うたた寝よきて のどけからまし。
【川柳】
・不眠症 講師の解説 聞き治り
・解説は 右から左の 講習会
消防設備士再講習 Part1の項・・完
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