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2024年7月16日火曜日

日本三大羅漢を訪ねて(川越喜多院訪問記)

 柿生浄慶寺の五百羅漢達が実に面白かったので後日GoogleMapを開いて羅漢のある寺と打ち込んで検索してみた。

都内に数カ所、埼玉県寄居の少林寺、川越の喜多院、栗橋の定福院などがヒットした。寄居の少林寺?うん、ここはかつて寄居の鐘付堂山を歩いた時、下山途中で付近を通過中に案内板をみたことがある。

既知の場所だがもう夏至も過ぎたので低山歩きには不向きだ。またの機会にしよう。

川越の喜多院、ここもかつて蔵の街を撮影行した時、帰りに立ち寄ろうとしたが歩き過ぎで行動意欲が削がれ行かず終いになっていた寺院だ。

改めて川越の喜多院を調べると日本三大羅漢寺の一つに数えられているほか、徳川家光生誕の間や春日局化粧の間が見られるとある。家光って川越で生まれた?当然乳母の春日局も一緒だった?のかなあと疑問がわく。

また徳川家康の知恵袋で有名な天台宗の南光坊天海が55歳の頃から喜多院に師事しその後住職となったことで有名な寺院のようだ。

天海がこの寺に師事していたときに名も天海と名乗り始めた。そのころに初めて家康と対面、以後南禅寺の金地院崇伝とともに家康の下で暗躍するようになる。そのような経緯により二人共黒衣の宰相と呼ばれている。

暗躍で有名なものに諸説があり定かではないものの豊臣一族を滅亡に追い込んだ方広寺梵鐘事件に関わっていることが知られている。

【山爺の一言メモ】

方広寺梵鐘事件とは

1598年、豊臣秀吉の死後その遺族が秀吉の追善供養と世の安寧を願って戦乱で荒れ果てた延暦寺・東寺・熱田神宮・石清水八幡・北野天満宮らの京都周辺寺院に多額の寄進をして復興を手がけた。方広寺の大仏殿建立もそのなかの一つだ。

これらの復興は徳川家康が豊臣の財力を削ぐために企んだ陰謀説が有力だがこと方広寺の大仏殿建立に関しては徳川家も財力および労力をかなり注いでいたようで共同事業であった。

1614年には方広寺の梵鐘堂も完成し南禅寺の分英精韓により梵鐘に銘文が刻まれる。それが有名な『君臣豊楽(くんしんほうらく)国家安康(こっかあんこう)』である。

事件の始まりは梵鐘も完成したので豊臣家の武将片桐且元らにより方広寺の落慶供養を企画したがまず、天海僧正が供養の着座順が違うといちゃもんをつけて式をぶち壊し供養延期をさせる。

そして金地院崇伝と朱子学者の林羅山がこの国家安康と君臣豊楽の銘文を見とがめて豊臣はつながって書かれているが家康は切り離されて刻まれて書かれている。豊臣家の繁栄と家康を呪い殺す陰謀だと因縁を付ける。まるでヤクザのやり口そのものではないか。

家康は小躍りして(かどうかは山爺の想像)激怒したふりで豊臣家に因縁をつけ許して欲しければ、

①秀頼を江戸に参勤させろ②淀君は人質として江戸に住まわせろ③秀頼は大阪城を退去しろ、などむちゃくちゃな要求をする。そりゃあそうだろう。端から和議なんて望んじゃあいない、喧嘩をふっかけているのだ。太平洋戦争勃発の一因となったハルノートのやり口と似ている。

豊臣家にとっては到底受け入れがたい難題ばかりで結局大坂の陣が勃発し豊臣家は滅亡へと追い込まれてしまう。

梵鐘事件に関わった南光坊天海・金地院崇伝・林羅山らは当然ながら徳川家康から優遇される。

そして天海に至っては憎まれ子世に憚るを地で行き108歳で大往生したというから驚きだ。悪知恵の働く坊さんだからあるいは年齢ごまかしているかもね? (^^♪

さらに天海坊主の素性があの明智光秀だった説まであるが書き出すと長くなるのでここでは述べないが謎の人物であることは間違いない。

山爺の私見だが最初に梵鐘文字を見つけたのは家康の側近だろう。博識権威のない武将が騒ぎててても相手にされない。そこで家康は天海、崇伝、羅山ら当時の知識人に相談を持ちかけたに違いない。権力者に逆らえないのは古今東西同じで彼らは渋々肯定解説したのではと考える。否定したら良くて失脚、下手したら首が落ちるものねえ。

そんな徳川政権創設の影役者だった大僧正がいた喜多院だけに徳川の庇護も厚く大繁栄した寺院なので規模も大きそうだ、これは行かねばなるまいて。

ちなみに日本三大羅漢寺について調べると、あるSNSによれば

①栃木県足利市の徳蔵寺②埼玉県川越市喜多院③神奈川県鎌倉市の建長寺そして④大分県中津市の羅漢寺となっています・・って4つあるじゃん。別のSNSでは川越の喜多院が外れて大分の羅漢寺が入っていたり別のSNSでは創建年代順で大分の羅漢寺は除外とされています。

とまれ三大羅漢が関東に集中しているのは喜ばしいことだ。大分の羅漢寺以外はおいおい全部訪ねてみよう。

川越駅に10時ころ到着、バス便を探したがバス停が多過ぎややこしくて分からない。健康のため歩くことにする。地図を片手に20分も歩くと掘割があり”どろぼう橋”という曰く有りげな橋に到着した。

傍らに説明板がある。・・なに、なに・・ある日、町奉行の捕り方に追われた泥棒がこの橋を渡って寺院内に逃げ込んだ。寺院内は徳川の直轄なので川越藩の町奉行は踏み込めない。泥棒はこのことをよく知っていて逃げ込んだのだが寺院内の男達に捉えられ、こんこんとお説教され真人間になった。・・・なんだ寺の広報かいな・・・(笑)

さすが徳川様の庇護厚い寺院だねえ。お寺にしては不似合いな堀構えで幅もあり深い。まるでお城のようです。

寺院内は木々が鬱蒼として誠に涼しい。


森を抜けるといきなり喜多院の本院である慈恵堂に出てしまいました。

すぐ横には立派な多宝塔(県指定重文)もあります。

さすがは徳川幕府の庇護が厚かった寺院です。立派な佇まいですなあ。

【山爺に一言メモ】

喜多院は慈覚大師が830年(天長7)に創建した天台宗の名刹で、正式には星野山無量寿寺喜多院という。戦国時代に寺勢は一時衰退したが、徳川家康の信任を得ていた天海僧正が第27世住職になると、幕府からの厚い庇護を受けることになり、川越藩主となった酒井忠利らにより寺は再建され隆盛を極めることになる。

1638年に川越に大火があり山門と経蔵以外の建物が消失するが、翌年徳川家光の命により江戸城紅葉山御殿の一部を移築し復旧した。豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や家光の乳母として知られる春日局が使用していた「書院」と呼ばれる春日局化粧の間などがそれである。ほかに境内には山門・鐘楼門・慈眼堂などの国指定の重要文化財も見ることができる。

境内の五百羅漢は1782年~1825年にわたり建立されたもので538体の羅漢達が鎮座している。

また、境内には日本三大(またまた出ました三大なんとか)東照宮のひとつである仙波東照宮が祀ってあります。後の二つは分かりますね。言わずもがな日光東照宮・久能山東照宮です。


五百羅漢の見学は有料ですが羅漢のところでは入場券は買えません。寺院の内部見学と共有で庫裏の入口で買えます。¥400也・・70歳以上の割引はありません。天海和尚ケチだなあ。
庫裏で入場料を支払い寺院内見学、残念ながら館内は撮影禁止なので映像はありません。僅かに庭園を映すことができました。

絵がなくちゃあ話にならないので参考のためSNSから画像を拝借して貼り付けました。

こんな部屋や(上:家光生誕の間、横:春日局化粧の間4部屋もあるゾ)厠と風呂も見られます。
さて、本命の五百羅漢に急ぎましょう。入場場所には誰もいません。半券を自分でちぎって箱の中に入れて勝手に入れます。

やあ、いました、いました。羅漢さんたちがずらりと勢ぞろい。全部で538体あるそうです。前回の浄慶寺の羅漢さん達は500あったかなあ。・・多分ないなあ。


それぞれ良い表情してますが浄慶寺のようにおどけている者やシュールな所作をしている者はおりません。

さすが喜多院の羅漢は悟りの境地に達した者たちばかりで表情にぬかりがありませんなあ。






と思ったら・・ややお疲れ気味な羅漢さんもいました。
おおっ、と、いましたねえ。酒を酌み交わしている羅漢さんが・・・厳しい修行ばかりじゃあ身が持たん・・・ってか。
(^^♪

天台宗は禅宗と違い不許葷酒入山門じゃあないのかね。
これは?何をしているのかなあ。

教典読むの嫌になってブン投げちゃうつもりか・・??

よく見ると後ろにもひとり・・手だけ出ている・・心霊写真か!

わしは旅に出るぞよっ・・て寅さんみたいな奴もいる。

ここには浄慶寺のような和楽な姿の羅漢さんはほとんどいませんでした。

全般的に真摯な表情の羅漢ばかりですが良く探すと変な奴もチラホラいます。


喜多院の山門です、国重要指定。(1632年建立)
同じく国指定重文の鐘楼で1703年建立
仙波東照宮です。1633年建立、これも国指定重文

駿府で没した家康公の遺骸を日光山に運ぶ途中、ここ喜多院で法要を営んだことにちなんで建立されたお宮なんだそうです。

¥400の入館料にしては見ごたえのある寺院でございました。・・合掌

【川柳】
・家光は 御殿を川越 火事見舞い
・欲張りな お局4つも 化粧の間
・罪人(とがにん)か 川越羅漢 檻の中 ・・拝観有料につき囲われています。
・喜多院も いた浄慶の 酒羅漢

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2024年6月21日金曜日

紫陽花とシュールな羅漢さん(柿生の浄慶寺を訪ねてみた)

 去年の秋にPCでSNSを読みあさっていた時に右画像のような面白い五百羅漢の画像を見つけた。



なんなんだ、この坊さん達は・・PCを操作している者や腕相撲している者、果ては酒徳利ぶら下げて酒飲んでいる奴、およそ修行僧には似つかわしくないシュールな所作の羅漢さん達が所狭しと鎮座している。



その表情がまたユーモラスなので思わず見入ってしまった。

どこにあるのだろう、この寺は・・と調べてみたら東京の南西域、百合ケ丘の先にある柿生(かきお)というところにあるようだ。

正式名称は浄土宗のお寺で麻生山寿光院浄慶寺と呼びます。
創建は安土桃山時代の1584年とも江戸時代の1621年とも言われているようです。

神仏混合の名残か境内には秋葉大権現も併設されているようです。

百合ケ丘なら近いなあ。すぐに行ってみようと思ったが、ここ浄慶寺は紫陽花の名所としても知られているようだ。ならば撮影の好機は梅雨時の6月か。

とうわけで出かけるのを半年間我慢、紫陽花の咲く今( 6/15)ようやく訪問することとした。

北千住で千代田線に乗り換え、代々木上原駅で小田急線の急行に乗り換える。このルートは登山で丹沢に行くときによく利用するので勝手は先刻承知之介。

急行で新百合ケ丘駅まで進出、ここで下車し各駅停車に乗り換えると1駅目が柿生駅だ。

お寺までの道順はGooglemapで検索済み・・10分も歩けば行けるようだ。




柿生駅は私鉄沿線を絵に書いたような小さな駅だ。駅前を出てすぐに右折して道なりに進むとやがて下り坂に・・

左手にこんもりした茂みが見えれば浄慶寺はまもなくだ。ここまで普通に歩いて約10分。Googlemapの指示通りだった。




坂を上がるとすぐに紫陽花に囲まれた浄慶寺の案内板がありました。

何やらウンチクのあることが書いてあります。
浄土宗 浄慶寺 
花あるくらし 家庭に敬愛と和楽の花を咲かせよう と説法が書いてあります。

敬愛は分かるが和楽とはなんだろう。和楽って何となく分かるが説明せいと言われると自信がない。・・日光和楽踊り・・そうじゃあないだろう。

改めて辞書引くと和楽とは互いに打ち解け楽しむこととありました、なるほど、家族とはかくあるべきなんでしょうなあ。

さらに坂道を登って行くとやがて山門にたどり着きました。傍らに石仏が、やあ羅漢さんだ。ん!!何しているのだ、この羅漢さんは?。ミシン掛けだ・・笑える。
しかも丁寧にマスクまでしている。コロナが流行りだした以降に設置された羅漢さんに違いない。笑えるなあ。





さて、羅漢とは一体に何者なのか皆さんご存知か?

【山爺の一言メモ】

羅漢・・阿羅漢の略 

簡単にいうとお釈迦様の弟子で悟りという最高の境地に達した者達の名称で上位の順に
・十大弟子・・最も優れた10人の弟子で釈迦の身の回りの世話を任された
・十六羅漢・・釈迦から仏教を守り伝えるよう頼まれた16人
・五百羅漢・・その他大勢の弟子達
の三通りある。

つまり羅漢さんは大日如来や菩薩・観音といった仏様ではなくお釈迦さまの弟子のことで人間です。数ある中(500人もいた)には落ちこぼれも居たに違いない。ここ浄慶寺はそんな落ちこぼれの羅漢さんが沢山いるので見ものです。

境内の案内図です。境内は寺の本堂と小高いところに火伏せの神様の秋葉大権現、この2つの建物しかありません。寺院の規模としては小さいですね。





案内板の下に道祖神のような石仏と注射をする者とされる者の模様を描いた羅漢像があります。




注射の様子からこれもコロナが流行っていた頃に造られた石像でしょうか。




案内板の反対側には可愛らしいお地蔵さん達が合唱しています。



その先をみると、いるいる羅漢さん達がずらりとお出迎え。これは楽しみだ。


紫陽花の下で酒盛りしている羅漢さん・・実に楽しそうに酒酌み交わしている。落ちこぼれ弟子に違いない。
頭に両手を載せて悩み事でもあるのか冴えない表情の羅漢さん。

顔つきからすると小坊主さんかな?幼い頃より悩み事を抱えるとは偉いですね。






こちらはすでに出来上がっているお二人のようでおどけて踊っているしょうもない人達です。

小坊主を見習いなさい。
紫陽花の下で泰然自若、ぐびり・ぐびりと独りで酒を飲んでいるマイペースな羅漢さん、なかなかです。








これは将棋の最中、『待った』 『待ったなしだよ』という声が聞こえそう。

よく出来てますねえ。石工さんの腕前、かなりのものです。

真ん中で見学している人?? よく見ると居眠りしています。
こちらは腕相撲の最中です。

そんなに力持て余しているのなら修行でもせい、と言いたくなるくらい雰囲気が出ています。






中には真面目に経典を読んでいる者も、横の者に経典を持たせている所を見ると先輩羅漢でしょうか。

後輩どもの生臭ぶりに活を入れるべく先輩は範をたれねばならない。先輩は辛いねえ。
遊びたいのに付き合わされた後輩羅漢の渋い顔がまたいいですなあ。
こちらはぷかりぷかりと煙草をくゆらせています。
何の悩みもなし・・平和そのものです。
茂みでは何やらひそひそ話の最中。
『・・・という訳だよ』
『うん、うん、そうだったのか』







いました、いました、木陰の下でパソコンを操作する羅漢さん。山爺が一番見たかった石像です。

パソコン勉強中なら偉いが怪しいサイトを見ているのかもしれないなあ。

表情が考え中だからやはりパソコンの勉強中と思いたい。


これはまた、何という羅漢さんだろう。王貞治を模したもの?

苔が付いていないので最近の創作かなあ。もしかして大谷翔平を模したものかも??












スポーツマンの次は芸術です。絵の修行に励んでいる羅漢さんがいました。

筆で輪郭の確認中・・笑えるなあ。







食道楽の3人衆です。

蕎麦をたぐり
団子を頬張り
仕上げはコーヒー

何とも下世話な生活ぶりですねえ。

お釈迦様のため息が聞こえそうだわ。







メガネをかけインテリ然とした羅漢さんがレコード鑑賞してます。

知的な風貌からするとクラシックファンかな?

ところが抱えているジャケットをよく見ると名曲あじさいと書いてあります。

まさか、アリスの紫陽花の歌じゃあないだろうねえ。

読書にいそしむ羅漢さん・・って寝てるじゃあないですか。こら~寝るな!!












教典読むのをすっぽかして電話中・・・









紫陽花に見惚れる羅漢さん。修行はそっちのけ・・酒呑んでないだけましですなあ。








何処も同じで懸命に働いているのは立場の弱い者ばかり。

小坊主さんが一生懸命に雑巾がけしてます。

ここ浄慶寺の石像群で前向きに生活していたのはこの小坊主さんと経典を読み上げていた先輩?羅漢の2人のみでした。


あとは俗世間にまみれた俗人そのものを表した石像ばかりで説法的な石像はひとつもありません。

仏様が静かに見守っているにはいますがこのお寺では一体何を主張しようとしているのでしょうか。人生は一度きりクソ真面目に生きるも、楽しく生きるも・・どちらを選ぶかはあなた次第ですとでも言っているようです。

浄慶寺の全景です。

今日現在(6/15)境内一面に紫陽花が咲き誇っています。よく見ると少し枯れ始めている花もありました。先週が見頃だったのかも。





お寺に紫陽花は良く似合います。なぜなんだろう。








奥に見えるのは火伏せの神を祀る秋葉大権現です。



ここ浄慶寺は神仏混淆が残っています。小さなお寺だったゆえ明治初期の神仏分離令を免れたのでしょうか。



境内所狭しとよく手入れされた色々な紫陽花が何気なく咲いています。

何処ぞの観光寺のように順路の囲いがあるわけでもなし、入場料を取るわけでもない、自由に観覧ができました。




あなたの裁量で自由にご覧になってください。といった住職達の心意気が伝わります。

こりゃあ、お賽銭を弾まないわけには行きません。





羅漢さん達のユーモラスなお姿やよく手入れされた紫陽花の花。久しぶりに良い気分にさせていただいたお寺さんでした。

それにしてもあの石像の所作は誰が考えて誰が造っているのだろうか。気になるなあ。




【川柳】
・肩張らず 和楽に生きよと 浄慶寺
・浄慶の 羅漢が悟す 和楽ぶり
・つまらない 世も面白くと 羅漢たち

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