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2022年9月26日月曜日

谷川連峰、仙ノ倉山・平標山登山紀行

 

コロナの感染者数が少し減少傾向になったように思う。世界保健機構の某なんとか氏によれば来年にはパンデミック終息宣言が出せるのではとも言っていたそうな、本当にそうなって欲しいものだ。もう疲れたよ、こんな生活は。

谷川連峰の片隅にある仙ノ倉山2026m・平標山1983mに行きたくて7月末より連日のように2週間天気予報で越後湯沢地域の天気予報を見続けているがさっぱりお天気が安定しない。

晴れるのは1日だけ、あとは傘マークか曇りばかり、一体どうなってしまったのだ、わが国の気候は。中学生のころに学校で温帯気候と教わった。しかし今はどうだろう。猛暑有り・豪雨あり、線上降水帯なんて言葉は昔は聞いたことがなかった。明らかに亜熱帯気候の気候なのでは?

山爺の一言メモ】

日本の気候は、ほとんどの地域が 温帯 に属し、温帯のうちの温暖湿潤気候に属する。 だが北海道や東北地方は 亜寒帯(冷帯) に属する。 また、南西諸島の気候は、 亜熱帯 ( あねったい ) という、熱帯と温帯のあいだのような気候である。 日本は季節風(モンスーン)の影響で、四季がはっきりしている。

状況は9月に入っても変わらない。と、10日頃からようやく晴れマークが続く予報が出てきた。よ~し、決行だ。行動計画表の作成・食糧買い出し・装備の準備と山爺にわかに活気づく。こんな活動が古ぼけた脳の活性化に多いに役立つんだなあ。頭の切れが良くなってくるのを実感する。

大まかな計画はこうだ、初日は登山口から平標山の家まで歩く。コースタイムは休憩を含まず約2時間30分。

二日目は重い装備は山小屋に置いて軽ザックに必要最小限の荷物を詰めてまず平標山登頂。さらに仙ノ倉山を目指し再び平標山に戻り、山小屋へと下る、同じく往復4時間くらい。

三日目は小屋からどこも寄り道せず同じ道を辿って下山。

健脚登山者からみたら呆れた計画と軽蔑されること間違いなしの、のんびり登山だ。名づけて『亀さん登山』。もちろん寝具(寝袋)持参、食事は全て自炊で賄う自己完結体勢で望む。登山とはかくあるべき、若い頃からの山爺のこだわりだ。


ザックに寝袋・雨具・長袖シャツ・ダウンジャケット・着替え・食糧(2日分+非常食)・ランタンと懐中電灯・歯ブラシなど日用雑貨・ウイスキースキットル・ガスコンロ・コッヘル(なべ)・一眼レフカメラ・500mペットボトル2本、ざっとこんなものを積み上げた。

サイドにはカメラ3脚・折畳み傘・ペットボトル1本。計量すると総重量12kg越え。背負ってみたら背中にズシンとくる。危ない、これでは腰痛が心配だ・・・・装備見直し。

夏なので寝袋から寝袋カバーにチェンジ、ウイスキーは却下、これだけで1kg近く減量した。さらにコッヘル⇒ヤカンと小鍋だけを選抜、一眼レフカメラ⇒セミ一眼レフに交代、贅沢な食料も選別、さんまの蒲焼缶詰も泣く泣く引き出した。・・・トホホ。

その他もろもろ見直してようやく10kgに減量した。180ml入の”いいちこ”も当初は残留組としたが、寝酒がないのは情けない。で、考え直してザックの隅に戻した。(^ω^)

天候は9月10日からしばらく安定しそうだ。しかし10日は土曜日だ、山小屋、混むかなあ?。さりとて12日午後から天候は下り坂、この3日間しか登山日和がない。

宿泊予定の山小屋は母屋と別棟(避難小屋)とに分かれる。母屋は食事付き¥8000、寝具付き素泊まり¥5500だ。別棟は避難小屋扱いなので予約不要で¥2000、貸寝袋借りる場合は¥1000追加で借りられる。

予約する、といった融通性のないことを好まない山爺は当然、後者の避難小屋泊まりの予定で挑むつもりだが二日目はともかく初日の土曜日はどうなんだろう、混むかなあ・・予測は的中し大混雑の避難小屋に飛び込む結果となったが、それは後ほど・・・

10日の早朝に重い荷物を背負い駅に向かう。熊谷駅から7時14分発の上越新幹線、谷川401号に乗り換え一路越後湯沢へ、この列車の良いところは終点が湯沢駅なのだ。列車内で居眠りしていても乗り過ごすことがないので安心だ。

8時5分、湯沢駅着。改札を出て東口の①番バス停に急ぐ。

8時20分発の浅貝・苗場方面に乗り継ぐのだ。無事に乗車し8時54分、平標山登山口着に到着した。6時に家を出てから3時間で登山口に着いた。

日本100名山を著した深田久弥の言葉を借りれば『谷川連峰は近くて良い山なり』まったく同感だ。

身支度やら体操(若い頃は着いたら直ぐに歩き出したが好齢の今は入念なストレッチしてます)やらで準備を整え9時30分いざ平標山へ。

まずは谷川沿いの山道をしばらく歩く。小人さんが住んでいそうな木の穴を見つけた。小人はともかく小動物には格好な雨宿りの住みかになりそうだ。

すぐに林道に出る。1時間ほど緩い林道を歩く。背中の荷が重いこと。神様お願い、腰痛だけはご勘弁と、不安な面持ちでトボトボ歩く。

林道の真ん中を通せんぼしているバリケードを超える。まもなく休憩ポイントの(水場)のはずだ。

11時30分(水場)到着。ここから本格登山道に入る。

傍らに可愛いペアーの道祖神が登山者を見守る。お賽銭が沢山上がっている。

ここで、早い昼食を取るが、数日来の雨模様のため周囲が濡れており座るところがない。立ったままの慌ただしい食事となる。
9年前にこの地を訪れた記憶が蘇る。たしかあの時は小雨交じりの天候で、ここのちょいと上にある水場で、やはり立ったままの昼食だったなあ。

5人組のパーテイと8人くらいのパーテイが休んでいる。嫌な予感がする。『どちらまで?』と聞くと一応に山の家までとの返事。まずいなあ。この人たちが皆んな避難小屋泊まりだったらパンクだ。荷姿からして食事付きのパーテイではなさそうだ。

ここからは延々と木道が混じった登りにくい本格山道となる。

山登りは体力消耗を避けて自分のペース配分を守り、細かい歩幅で歩くのが基本だが、この木道というやつほど歩きにくい代物はない。

木道は道が崩れるのを防ぐのが目的だから人間工学無視、高さが不揃いで歩幅もマチマチ、大股で歩かせられたり太もも持ち上げさせられれたりと、疲れるったらありゃあしない。

時折望める景色と色付き始めたナナカマドが慰めだ。

急な木道と蒸し暑さで息が上がってしまい山爺バテバテモード。歩いては休み、歩いては休みの繰り返しで時間だけがどんどん過ぎてゆく。

水場で会ったパーテイはとっくの昔に視界から消えている。つぼみのオヤマリンドウが傍らにあった。咲くのはもうちょい先かな。

山の家まで20分の標識が立っていた。やっとここまで来たか。でもここからが長いんだよなあ。20分?無理無理とつぶやきながら重い足を前に出す。登ること40分、霧の中に家らしきものが見えてきた。3時30分山小屋到着。コースタイムの倍の時間を費やした。

件の8人パーテイがテラスベンチで酒盛りしている。『お疲れしゃ~ん』とリーダーらしき年配者、少し酔っている?『もう山、引退』と私。『そんな寂しいこと言わんと歳いくつ?』『もう73ですよ』『俺、78』くそぉ~負けた。

避難小屋(画像右手)に入ってみると板の間は超満員(小屋内部は左画像、3日目の下山時撮影なのでガラガラ)先客に譲ってもらわないと自分のスペースが確保できない。最悪コンクリートのたたきに寝る羽目になりそうだ。

急遽、小屋の管理人に母屋での素泊まりを交渉、聞いてみると、なんとそちらはガラガラであった。今日はそちらに泊まることに決定。

避難小屋はラッシュアワー、母屋は食事付きが3~4名、素泊まり2名とガラガラ状態で暖房も入ってます。夜間は12℃まで冷え込んだので暖房付きは有難かった。おまけに上下布団付きだ。¥3500の出費増だが、地獄の沙汰も金次第とはまさにこの事か。今日はゆっくり眠れそうだ。

明るいうちに夕食を済ませよう。表のテラスベンチを確保し。ビールを1本購入し夕食準備。ビールは水場にぷかぷか売るほど浮かんでる。旨そうだ。1本¥600也は仕方がないか。

今日の献立はドライフードの炊き込みご飯(お湯かけると15分で出来上がる)・ドライキャベツとソーセージのソース和え・ドライフードのミックス野菜の胡麻和え。

視界は生憎ガスってしまい霧中での食事となった。喉が渇いたいるせいかビールが旨い。あっという間に飲み干したのでもう一本追加購入。ソーセージソース和え旨っ!

暖かい部屋に戻り寝支度だ。


山小屋の夜は早い。8時には全員、就寝。山爺の寝床は2階のロフトなので上がり降りが大変で夜中、小用を足すのに往生した。(3回も往復)かくて山小屋の夜は深けてゆく。

夜中に小用に立つため表に出るとガスも晴れて所々晴れ間がのぞき満月も出ている。明日も好天が期待できそうだ。

山の朝は早い、気の早いやつは3時ころから行動を開始する。3時ころ小用に立ったとき女性の単独者がバーナーに火をつけて朝食準備をしていた。すれ違うとき『おはようございます』と声をかけられた。『早いねえ、お休みなさい』と返礼。女性苦笑。

山爺も5時に起床し朝食の準備、2食付きの連中はまだ寝ているのでそおっと横をすり抜けテラスへ。朝食はドライ白米に御茶漬あとは味噌汁だけの一汁ゼロ菜の簡素なものだ。




先方の山々が白白と明け始め、やがてご来光が望めた。山でご来光を見たのはいつ以来だろうか。20代後半の南アルプス北岳以来かなあ。やはり神々しいなあ。晴天にしてくれた神様に感謝

今日の登山も良い天気に恵まれそうだ。

恵まれるどころか紫外線が強すぎて強烈な日焼けに見舞われることをこの時の山爺は知らない。


ここの山小屋のトイレは5個もあるので混雑しないで助かる。しかも洋式が1箇所ある。腰痛持ちの山爺にとって洋式は有難い。

それにしても山小屋のトイレは綺麗になったものだ。山爺が若い頃の山小屋トイレったら、あなた、板を二枚渡しただけで深か~い穴が開いているだけ、間仕切りは腰の位置までしか無いのだからノック不要、近寄ると中に人がいるかどうか分かる。左画像のような感じです。(^ω^) 今日のトイレ、バイオテクニックとソーラー発電の発達の賜物ですなあ。

さて、荷物を軽ザックに詰め替える(アタックザックという俗語は嫌い、ほかにも、〇〇山をやるだとか挑戦・退却なども・・戦争じゃあるまいし、もっと山の神様を敬いなさい)

雨具、長袖シャツ、ペットボトル3本、カメラ、タオル、コンロ、やかん、昼食、こんなところです。  わあ、軽い。午前6時30分いざ、出発。

朝のうちは涼しい(寒い)ので快調だ。もう山小屋がずっと下の方に見える。

それもつかの間、太陽が上がってくると運動熱との相乗作用で体が熱くなり、あっという間に体が重くなった。平標山ってこんなに急峻だったかなあ。

景色が良いのをいいことにしょっちゅう休んではパチリ、パチリ。雲海が綺麗だこと。



何度も偽ピークに騙され、意気消沈、足が前に出ない。
後方からじゃんじゃん人が上がってきて山爺を追い越してゆく。
♫人が私を追い越してぇ行くう~。(シクラメンのかほり)



ゴゼンタチバナ?が結実してました。



コースタイム1時間のところ2時間30分かかってようやく平標山頂1983mに到着です。ダ~メだ、こりゃ。

9年前に登頂したときは霧雨でガスつており何も見えなかったが今日は360度の大展望です。苦労が報われました。



中央にでーんと構えているのが、これから尋ねる仙ノ倉山です。遠いなあ、行けるかなあ?

これだけの大展望満喫したんだからもういいだろう。ここで引き返しても良いのでは?という山爺の心に潜む獅子身中の虫”サボロー君”が囁きかけます。

山爺にはもう後がない。これが最後かも知れないという思いがサボロー君を蹴落とします。前進あるのみ。

降りは早い、あっという間に鞍部(山と山との低部)に降り立った。目の前に仙ノ倉山が近い、


後方にさっき居た平標山があんなに遠くに。やるじゃん、山爺、頑張れ。

この辺一帯は高山植物の群落地帯です。7月・8月に訪れていれば被写体に事欠かなかったのですが天候が思わしくズルズルと日延べしたことが悔やまれます。

それでも、咲き残り?がチラホラ。ピンクの花はハクサンフウロの仲間でしょうか。



白い花をつけているのはヤマハハコかな?。

昨日も見かけましたがオヤマノリンドウを沢山見かけましたが秋の花ゆえ咲くのはもう少し後、なんとも中途半端な時期に来てしまったものです、残念。
さあ、仙ノ倉山への上りです。日差しが高くなってきたので暑いこと。電解保水剤を溶かし込んだ水がどんどんなくなっていきます。(この薬品が効いたのか炎天下でも熱中症などの大事に至らなかった)




あのピークが山頂か?と思い黙々と足を運ぶも、着いてみると、そこは前仙ノ倉山、山頂はもう一つ先、一旦下って登り返しの道がよく見えます。途端に気力が潰れてどっと疲労が・・・・




ふああ、あれが山頂か、山爺ダウン寸前、よろよれのボロボロ。

11時30分、コースタイム1時間のところを2時間かけて、ようやく仙ノ倉山2026mの頂上に到達しました。やったね、山爺、おめでとう、万~歳ぃ。
北方に目を向けると、前方には19年の5月に登った谷川岳が望めます。若い頃、平標山から谷川岳まで縦走しようと何度も思いました。しかし果たせず終い。
今となっては叶わぬ夢です。その奥に見えるのは尾瀬の燧岳?です。方位盤に書いてありました。

振り返ると平標山が雲の切れ目に確認できます。あ~ぁ。今からあそこまで戻るのか、えらいことだなあ。山頂では多くの人が思い思いに昼食を取っていますが、今から戻らなければならない山爺は先行き不安、行動食を軽く取って引き返しです。
太陽は中天に輝きとにかく暑い。雲海も消え去り山が雲に覆われ始めてきた。天候が崩れなければ良いがと考えながら平標山へと急ぐ。鞍部まで戻ってきました。ここにはテーブル付きのベンチがあるのでここで昼食を取るため大休止。
食事をとっている間、ぼんやりと風景を眺めていると、群馬県側から吹き上げる湿った空気が新潟県側の冷たい空気に触れて雲が次々発生する様子がよくわかります。冬季はこの逆で新潟方面からくる湿った空気が山にぶつかり上昇、大雪を降らせて、乾いた状態の空気が関東平野に吹き付けます。これが、からっ風と言われるものです。
上信越国境沿いの山々が天候急変しやすいのはその理由による。そのための遭難も多い。用心用心。

さあ、平標山への最後の登り、山爺!頑張れ。傍らの黄色い花がエールを送る。14:00、平標山に満身創痍でようやく戻ってきました。あとは山小屋まで下るのみ・・ってずいぶん急なの下りだなあ。それにまだ遠い。頑張れ、山爺、コケるな・コケるな、山爺!
山頂でたっぷり充電(休憩)してから慎重に山の家へと下る。15時30分やっとの思いで山の家に帰ってきた。
コースタイムは置いといて、朝から9時間行動し続けている。やるじゃん山爺と自分自身を褒めてあげたい。
避難小屋に入ると朝置いてあった10数個のザック(山爺と同じ考え・軽装で登頂)は綺麗になくなっていた。今日は避難小屋、貸切だ。よかった、よかった。山小屋のお兄さんに仙ノ倉、往復報告してからビールくらって取り敢えず昼寝じゃあ。
話は替わるが、この山の家には風呂桶が有り(赤丸枠)たまに沸かすらしい。登山客用というより管理人さん達用(男2名・女1名)なのかな?沸かした日は宿泊者も入れるらしい。今日沸かさないのかな。入りてえ。風呂からの眺め、最高だろうなあ。

3日目の朝です。今日は朝からガスっており、ご来光もこんな具合、昨日とは大違いです。
山の家の上にある山の神様に今日一日の無事を祈願していよいよ帰路に着きます。
昨日、登頂した平標山がまた顔を出してくれました。来年、残雪期にまた来ようかなあ。無理かなあ。これで見納めかなあ。複雑な心境の山爺、しばし平標山を見続けながらこんな風に物思い。今日もいい天気のようだ。あとひと頑張り、慎重に下山しよう。
あるアルピニスト曰く”登山とは家に無事帰るまでが登山”と。
 
他のスポーツなら倒れるまで頑張れば褒められることもあるでしょうがこと山だけはいけません。ぜったいに倒れてはいけないのです。 平和の鐘を心で鳴らす。

無事家に帰りついて両の腕を見てびっくり。真っ赤に焼けておりヒリヒリ痛い。9月26日現在、まだ皮がボロボロ剥けてひどいことになってます。

【川柳】
・コースタイム ただの数字と 負け惜しみ
・山小屋も 多勢が幅利く 寝床取り
・山でバテ 冷えたビールの 甘露かな
・山ならば 高値ビールも ありがたき
・山小屋の 水浮くビールに 手を合わせ

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①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
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