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2020年12月12日土曜日

山爺闘病記

 12月3日にインフルエンザ予防接種に臨んだ。2日後に我が首都圏孔球親睦会の20年度最終戦があるので悪影響がないか心配だった。山爺はインフルエンザには耐性があるのか(当人が思い込んでいるだけ?)30年以上も前の独身時代に罹患して以来罹ってはいない。なので通年予防接種は敬遠している。

なんかワクチンを入れると余計な副反応が出やしないかと返って心配なくらいだ。そらそうでしょうああた、なにも起きていない健康体に異物(ワクチン)を注入するのだからして。

しかしながら今年は目下コロナの渦中にある。インフル+コロナに複合罹患などした場合重篤化する恐れもある・・なんて脅かしめいた家族の勧めもあったし、第一行政の政策(高齢者の無料受診)でもあるからして・・・お上の意向に逆らうのはやぶさかではない。・・・ということで接種を決めた。

12月5日(土)は週間予報では晴れだったのが当日は気温5℃の曇で時折小雨がぱらつく悪条件下でのラウンドだった。・・・ゴルフの結果発表はこのブログの後に掲載予定。・・

あれ?体調が少し変と思ったのはインフル予防接種の前の日から。なんか喉の右下奥がいがらっぽい。ゴルフから帰ってくると喉の右奥下がいよいよおかしい。病魔がついに牙を向いた。喉奥が猛烈に痛い。嚥下するのが躊躇するくらいの猛烈な痛さだ。いかんなあ、予防接種なんか余計なことしたから副反応かなあ?

ほとんど眠れずに朝を迎えた。さっそく体温をチェック・・・ピッピッピー(なんて音量だ)36.7℃ あれ?平熱じゃんこんなに喉が痛いのに・・これはおかしい・・ははあ・・インフルではないな。さては口内炎かなあ。洗面所で歯磨きしてからリステリン原液を下顎のオクに流すとヒリヒリ激痛が走る。ははあ、こりゃ喉の奥に口内炎が発生したようだ。喉の右下奥が痛いのが証拠だわい。・・・と、素人医療診断

まさかコロナウイルスではないだろうなあ。と一抹の不安もあったが自然治癒を期待して日曜・月曜と痛みに耐えた。体温は37℃を上回ることはない。うん、口内炎だな。それにしても痛くてしかたがない。食物が痛くて飲み込むのに億劫になる。

火曜日、痛みは一向に軽減しない。やむなくかかりつけの内科医に出向いた。

受付で

『あのお~口内炎と見えて喉の奥が痛くてしかたがないのですが』

『きゃあ~』・・・とはいわなかったがみるみる表情が曇る

『気の毒ですが表で待っていてくれますか』

『へ?平熱で喉というより右下顎奥が炎症してるんです』

『決まりなんですいません』・・玄関の自動扉越しの表に椅子と携帯ガスストーブを設置して臨時野外待合所があっという間に完成した。

『・・・・』・・待つこと小一時間。その間、来院者が沢山通過した。悪いことに玄関前にアルコール消毒薬が置いてあるのでシュシュしながら山爺を一瞥する時間がある。

いろいろな人が通り過ぎてゆく。

・犯罪者を見る目つき

・どうしましたと聞いてくる人

・そこに並ぶのですか?という人までいる

これはこれで暇つぶしになる。

『いやあ、コロナの疑いかけられちゃって・・わはは』

やがて、完全防具服に身を包んだ先生と看護師さん登場。うわあ、スターウォーズだなこれは。

『どこいったの・・なに、ゴルフぅ・・何人』

『9人で野田の方面』

『ありゃあ、沢山いたねえ。都内の人はいるの?』

『う~ん、1人いましたね』・・こちらの口内炎の話なぞ、はなから聞き入れない。

『都内の人がいたの、PCR検査しようか』・・やはりコロナ罹患を疑っている。こうも身構えられると事の重大さに山爺も不安になってきた。あとで調べたらコロナの初期症状に口内炎が起きることがあるとも・・・なるほどなあ。

『検査お願いします』・・とほほ なんだか情けないことになってきたぞ。コロナ罹患していたらどうしよう。

先生自ら検査棒を山爺の右の鼻の奥を突っ込んでグリグリ(痛ったた)検査棒を看護師に渡すと先生はとっとと院内に戻った。

看護師さんが表の傍らで検査棒の変化をチェック、15分で結果がわかるという。

運命の15分・・・その長いこと・・途中で看護師さんに近づいて一緒にのぞき込む。

『大丈夫みたいですね・・判断するのは先生ですが』

やがて先生が戻ってきて検体を確認。

『良かったですねえ。陰性です。口内炎に効く抗生物質出しておきます』

だからぁ・・口内炎だって言ったのに・・ブツブツ

『喉頭がんではないですよね?』

『癌の初期は痛みがないです』・・・なるほど。納得です。

窓口で処方箋をいただいて近くの薬局で薬群を受け取って我が家に戻ってさっそく投薬開始。薬は4日分だ。

水曜・木曜、経っても症状はあまり変わらない。4日目の金曜になってようやく腫れが引いたとみえ食物嚥下に苦痛が伴うのが和らいできた。薬も無くなった。うまい薬の出し方をするもんだ。

【川柳】

・人は皆 コロナと思え 慣れこそ油断

・第三波 津波は弱し 疫病強し

このあと山爺は地獄の苦しみを味わうこととなる。

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2020年12月2日水曜日

武蔵嵐山、物見山・小倉城址散策

 政府の懸命な経済維持政策であるGOTOトラベルやイートキャンペーンの実施により人の動きにやや活気が回復してきたのも束の間、初冬に入り、恐れていたコロナウイルスが再び鎌首を持ち上げ始めた。


GOTOキャンペーン利用の温泉山行も当分御預けかなあ。
(ヽ´ω`)トホホ・・

家でぬくぬくし続けていたらとうとう体重が3Kも増えてしまった。これはいけない、生命の危機だ。すっかり出不精になった老体に言い聞かせ陽だまりハイクに出かける算段をした。

場所は前々から行こうと思っていた嵐山にある山城の小倉城址とその物見に使われた文字通り物見山(286m)だ。

小倉城址は槻川(つきかわ)の蛇行をたくみに利用した天然の要害たる山城で保存状態も比較的良さそうである。

赤字で示したところを実際歩いてみたが要所に空堀や虎口(城門など出入り口)土塁が認められた。


【山爺の一言メモ】

小倉城址

小倉城は、外秩父の山地帯と関東平野の境界にあり、大きく蛇行を繰り返す槻川と山地の自然地形を巧みに取り込んだ天然の要害にある。
 
城の位置取りは、槻川―都幾川―古荒川水系を基幹に陸路は鎌倉街道上道と山辺の道(八王子城―鉢形城を結び上州へ抜けるルート)の中間で双方へアクセス可能な位置にあり中世の水陸交通を強く意識したものとなっている。
小倉城跡にかかわる同時代の確実な文書は発見されていないが、後北条氏の重臣遠山氏を城主として伝えている。また、『武蔵志』では遠山氏、或いは上田氏とも・・って誰だかわからんのかい! 
小倉城は、攻守一体で様々な工夫が凝らされた削平地をつらねた戦国時代の山城である。

嵐山の西口からバスに乗り田黒バス停で下車、ここから徒歩20分もすると大福寺に到着する。大福寺の右側に回ると小倉城址の案内板がある。


それに沿って30分も登り出すと小倉城址の坂下に着く。

道なりに歩くと両側が迫ったところに出た。郭3と本郭の間の空堀で今でも5m位の高低差があり峻険な状態が保たれている。
戦時にここを突破するのは容易ではなさそうだなあ。

そのまま進むと行き止まり、崖だ。戦国時代ならここで進退極まってウロウロした山爺は城兵に打ち取られて一巻の終わりだなあ。

一旦引き返し郭3から郭5に降りてみる。縦に伸びる空堀がよく残っていました。
郭5からは上の郭2の土塁がよく見える。急峻で今でも直接とても登れそうにない。当時は木々もないので登れば城兵から丸見えだし転げ落ちそうなので攻め登るのはまず無理だろう。

土塁沿いに郭4に向かう。上部にある郭2から丸見えなので戦の当時だったらチンタラな歩き方していたら上から狙い撃ちで1分と持たずに戦死するわ。


再び郭2に戻り、反対側に行ってみる。本郭を上に見ながら坂道を登る。右図の道を回り込むと当時は堅固な城門が構築されていた北虎口の直下に出られる。

再び引き返し本郭に登れる狭い道を利用して本郭に登る。もちろんこの道は築城時には存在しない道である。本郭は思ったより広い。7~8百人は常駐できるだろう。

北に歩いてみると北虎口の遺構が残っていた。ここに当時は城門が設けられていたようだ。虎口の下は急峻な坂となっている。


遺構の要所要所には説明版が設置されているのがありがたい。おかげで大した予備知識がなくとも当時を偲ぶことができる。


本郭の東側が開いており嵐山方面が遠望できる。

右手の山(正山という呼称)からこの城をめがけて寄せ手が火矢を射ったとの記録があるそうな・・あそこからここまで弓矢が届くものか?さても強力な弓だったに違いない。

さて、物見山へ登るとしよう。城址から物見山までは小一時間の距離だ。道はなだらかでよく整備されており歩きやすい。
1時間足らずで仙元大日山という石碑がある広い場所に到着した。ここが小倉城の物見に使われた場所だったと思われる。

当時はここに番小屋があり、いつ来るともわからない敵兵を毎日監視していたに違いない。戦さえなければ実にのんびりした仕事だったろうなあ。朝起きて~、飯食って~、物見して~お茶飲んで~、昼寝して~、はは、まるで今の山爺じゃん。

地理的な物見山の山頂はここではなく10分ほど先にある。

全くの平坦地に山頂があり、うっかりすると通り過ぎる。
片手間に作ったような物見山山頂(286m)の標識があるだ
けの地味な山頂だ。

この周辺は戦略上は重要な拠点だったと見えてここから大日山を経て1時間も歩くと西側の守りとしての青山城址がある。(19年9月に訪問・・ブログ記事掲載済み)

ここから青山城址を経て仙元山→小川町駅まで快適そうなハイキングコースがあるが、もう一度丹念に小倉城址を見たいこともあり今回は無理せずここで引き返すことにした。

山爺は今までリアルな城しか眼を向けてこなかったが、こうした朽ち果てた城址も当時の強者どもの生活を思い起こし面白いものだと思えるようになってきた。

齢を重ねて高山を歩くのがしんどくなってきた昨今、幸い武藏丘陵や秩父には城址が沢山ある。良いテーマを見つけたのかも知れない。

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2020年12月1日火曜日

那須岳登山敗退記


コロナのおかげで今年は目立った山に登れないでいる。なんたってあなた、北アルプスや八ヶ岳などのメジャーの山小屋は軒並みコロナウイルス対策と称して宿泊費をべらぼうに値上げしている。

一時は食事の提供がないせんべい布団支給の素泊まりでありながら¥9000の値が付いた山小屋が散見されて山爺を呆れさせた。

さすがに価格を釣り上げ過ぎたと反省したのか今は¥7000~¥7500位に落ち着いたようだが、今持って素泊まり¥8000と強気の値をつけている小屋もある。

値上げの理由はコロナの感染リスクを避けるためタコ部屋営業が出来ないからだろう。だからといって簡単に値上げしてよいものか。旅館や飲食店がコロナ対策でソーシャルディスタンス対策を施しても値上げには踏み切れないでいる。値上げしたら客足は確実に遠のくからだ。

一方の山小屋はどうだろう。コロナ流行にも関わらず相変わらず登山愛好者はメジャーな山岳へせっせと足を運ぶので一部の山小屋経営者は売り手市場をいいことに平然と値上げをしている。なかには料金据え置き、今までの料金で経営を続けている良心的な山小屋もあることを付け加えておきますが・・・

物の価格を決める場合、バブルの頃は材料費+人件費+諸経費+利益の合計、いわゆるかかっただけを請求する商売をしていたのだが、デフレ基調の今の世の中はそれが通らない。消費者も賢くなった。初めに販売価格ありきなのである。いわゆる値頃感というやつだ。世間が求める値段に原価が追従できない業者はやがて経営破綻する。ゴルフ場の経営が良い例だ。経営が破綻して続々とソーラー発電所に様変わりしている。

山小屋の経営も我々団塊世代が山へ入れるうちはなんとか持ちこたえるだろうが、あと7~8年も経過したら足腰が弱りどうなるかわからない。多くの山小屋が経営破綻し無人化、テント持参の山登りスタイルに様変わり・・・わはは、偉そうなことを述べてしまった。爺の戯言と思って聞き流してくれたまい。

¥8000の予算があれば、I社やO社が経営する格安温泉でお酒付きのバイキング料理に舌鼓を打ち、温泉入り放題、広い部屋を1人で占有しふかふか布団に就寝できる。どちらが有効なお金の使い方かは皆さんの判断にお任せします。

山爺は今の異常な価格設定の状態が続く限り、そういった山岳地域には足を向けられそうにありません。しかしながらこのままでは例年、友人に送る年賀状の挿絵(山爺の自慢しいの登山勇姿画)が今年は撮れないでいます。

で、10月末日にGOTOキャンペーンを利用して那須岳に登り記念写真を撮ってからふもとの温泉に宿泊する計画を立てた。

久方ぶりにザックを荷造りし早朝に家を出て10時に那須のロープウェイに到着した。紅葉はもう終了で枯葉状態、ありゃあちょいと遅かったか。

ロープウェイは動いているようだが猛烈な風が吹き、流れ雪が吹き飛んでいる。迂闊にロープウエイに乗ると山頂駅で運行停止し動きが取れなくなる恐れがある。

仕方がないから登山口から徒歩で茶臼岳山頂を目指す。強風が吹き荒れるので体感温度がぐんぐん下がり、とにかく寒い。
もともと峰の茶屋(峠)を吹き抜ける風の強さは天下一品
冬期は風で吹き飛ばされて多数遭難者がでているくらいだ。

潅木帯を抜けると更に風が強くて恐怖心さえ起きる。いよいよ進退が極まった。上から続々と登山者が引き返してくる。傍らには飛雪が積もり始めた。だめだこりゃ、ここで山爺も撤退を決意する。温泉じゃあ、温泉じゃあ。とつぶやきながら下山。

とっととバスで湯本温泉まで引き返して徒歩で目的のO温泉に向かう。

ここまで下りてくると風雪がぴたりと収まった。癪にさわるがしかたがない。枯れ残った紅葉がせめてものなぐさめだ。

30分も歩いたら温泉宿が見えてきた。さっそく露天風呂に入り(かけ流しなので微温っ)冷えた体を温める。夕食はうなぎとすき焼きが主食でお刺身が少々、副食をバイキングで自由にチョイス。おまけにお酒が1杯ついている。2杯目からは¥100だって。安くて涙が出るわ。(^ω^)

GOTOキャンペーンの恩恵に預かったのでこれで¥5000なにがしの料金だ。帰りには地域クーポン¥1000までいただいた。これじゃあ、浴衣も歯ブラシも出ないせんべい布団の素泊まり山小屋へは当分行く気がしないあ。


【川柳】

・山小屋よ さらば当分 温泉へ

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