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2017年3月22日水曜日

上野根岸界隈散歩・福島第一原発について(NHKスペシャル)


3月も中旬になってくると日差しが強くなってくるのが直接肌で感じられるようになる。朝晩は冷え込みがまだ厳しいが、日中は日増しに暖かくなってきてアウトドア嗜好の山爺としては体がムズムズして仕方がない。

来週13日はいよいよ山爺が幹事長を努めている首都圏孔球親睦会の開幕戦が予定されている。こういったイベントが持てるということはありがたいことで開催が誠に楽しみである。・・・・て自分で企画しているくせに手前味噌もいいところで図々しい。

そのゴルフコンペの賞品として100均商品も買わなければならないし、髪の毛も伸びてきた。というわけで天気も良さそうだし。”そうだ東京に行こう!”・・・CMのノリで・・・以前から時々散歩していた谷中から根岸界隈を歩いてみようと思い立った

いつものように浅草の格安床屋で散髪を済ませ銀座線で末広町に出る。秋葉原のジャンク屋中心に散歩し8GBのUSBと4GBのマイクロメモリー各1個購入した。このメモリーはいずれもわが町で購入するより1/3の値段で手に入る。床屋代金(安すぎて恥ずかしくて言えない)といいメモリー価格といい、この二つで往復の電車賃が浮いてしまった。これだから東京での買い物はやめられない。

それにしても秋葉原は、しばらく鳴りを潜めていた中国人が戻ってきたのかそれらしき人々が随所で闊歩、意味不明な大声が聞こえる。

あとは100均屋での買い物を残すのみなので駅前ならどこにでもあるだろうと秋葉原を早々に退散しJRで日暮里へと移動する。

北口を出て(工事中で出口がわからん!)通りを左に進む。まもなく右側に由緒がありそうなお寺が見えてきた。掲示板があるので近づいてパチリ。


内容を読まなかったのが失敗で、写真を編集する時によく読んでみたら慶応4年の上野のお山の戦で敗走した彰義隊をかくまったので新政府軍の攻撃を受けた寺だそうで山門に銃弾の跡があるそうな。・・あちゃあ、よく見てくるんだった。


そういえばここは上野のすぐ裏だもんね、当時、負けた彰義隊の面々が一杯逃げ込んだんだろうなあ。お寺だって武器持ってやけになった敗残兵は断れないよなあ。怖いもん。お寺さん、いいとばっちりを受けたんだねえ。同情します。


もうひとつのお寺を過ぎると車道が途切れて下りの階段に出くわします。


 あ!見えてきましたよく旅番組で紹介される谷中銀座商店街です。

山爺一口メモ】


谷中銀座商店街

全長175m幅5~6m 約70店舗が両側にひしめき3丁目の夕日的な雰囲気を醸し出しておりメディアに何度も取り上げられたことにより有名となり国内はもとより諸外国よりからも観光者が訪れる。まさに戦略が成功した商店街の見本といえる。




雑貨屋や履物屋、魚屋、お惣菜屋とありきたりの生活店が軒をならべています。そしてその店の間に瀟洒な喫茶店やレストラン、お土産屋があり終始賑わいを見せています。

通りを抜け切った右角の土産屋に安くて面白そうなものが沢山あったのでなにか買おうと思って中を見渡したがなんと店主がいなくて留守である。

こんなのんきなところもこの商店街の魅力なのだろうか。

商店街の真ん中で100均のお店を見つけたので10点ほど購入した。

駅にもどり日暮里東口駅前を横切り根岸の住宅地を徘徊する。住人がうさんくさそうに山爺を見つめる中、散歩を継続する。それにしてもこの界隈はラブホが多い。

もともと、この界隈は江戸時代の頃から上野寛永寺参拝者(江戸時代のデートスポット)目当ての出会い茶屋(今のラブホ)や水茶屋(風俗店)が多く存在していたので、それが大きく影響し今日に至っているのだろうと思う。


若いカップルと数組すれ違う。真昼間から仲が良くていいね!と、こちらが恥ずかしくなる。

こんなラブホの隣りに風情のある茶室らしき門構えがあるから本当にここは変なところだね。⇒

ラブホが林立するところをぐるぐる周り、やっと目当ての(正岡)子規庵を見つけた。なにも知らない人が見たらラブホを徘徊する変態オヤジだよこれは、困ったもんだ。ここが正岡子規終焉の地だそうです。

最近は外人さんでも日本通が多く刀剣家だの盆栽師匠だの日本人顔負けの人がいるご時世だからきっと外人さんで俳句の達人もここを訪れているだろうに。

文化人の記念館の周りがラブホだらけでなんか恥ずかしいなあ。こんな国、他にもあるのかな。文化財保護法とかなんとかで、どうにかならんのかね。

でも江戸時代から連綿と続く文化だと考えればむしろ誇っていい文化なのかもしれないね。当時、どこの世界を見渡しても、こんな平和で楽しい文化はなかったろうからねえ。    Y(^0^)

この家で子規は我が身の不遇を嘆き、この世に未練を残しながら俳句をひねったんだろうね。


・痰一斗ヘチマの水も間に合わず。
・糸瓜咲いて痰のつまりし佛かな。

とか、つぶやいていたかと思うと感慨も新ただね。

見学はできるらしいのですが、なんか入りにくい雰囲気で二の足を踏んでしまった。もっと事前準備(理論武装)しないと中にいる係員にいろいろ説明を受けても遅れを取ってしまうのではないかと、つまらない見栄を張ってしまいました。    (´▽`*)アハハ

【川柳】

・ラブホ建ち 息のつまりし 佛かな ・・・ なあに子規さんだって元気だったら弟子同伴で!
・煩悩の  渦巻く里に ほととぎす ・・・ 昼間から いちゃいちゃされたんでは発句の邪魔だ。
・垢落とし すまして出てくる 二人連れ・・・解説無用
 
【福島第一原発考】

12日の夜9時からNHKスペシャル『原子炉冷却12日間の深層』を視聴したが改めて福島第一原発の事故が人災以外の何者でもないことを改めて実感した。

 福島第一原発に関する報道はもう嫌というほど見聞きしてきたが、さすがはNHK、切り口が違う。福島第一原発でのY所長の電話会話記録を全部解析し、どこにどう指示や連絡をしていたのかを公開していた。

これまで体験したことがない非常事態が次々と発生しその対応を待ったなしで迫られる中、それらの情報がすべて一人の所長に集中し、そのアクション指示をいちいち仰いでいたのには驚いた。

当然福島第一原発でも消防法等で定められた緊急時に行動する自衛防災組織のようなものが決められ、届出がなされていたと思うが指揮系統がそのようになっていたとしたらあまりにもお粗末だなあと呆れもした。

あれでは早晩Y所長は疲労困憊し指揮能力が失せるなあと思って見ていると、案の定Y所長、初めのうちは元気にテキパキと指示を出していたが何日目からか、元気がなくなり、やがて訳の分からない言動が目立ち始め、ついには疲労で倒れてしまった。

一定規模以上の事業所等は自衛消防組織を編成し消防機関にその書類を提出する義務があるが適当に形だけ整えて届けている事業所が多い。

規模の小さな事業所の組織図は右図のように構成が多い。

社長が消防隊長として頂点に立ち、職場の部長や課長と言った上位役職者が消火隊や救護隊、通信隊の長となりその任に当たる。

その組織構成は1ブロックのピラミッド体系になっているものが多い。

小さな会社や団体ならそんな組織体系でも上手く機能するが大規模事業所の場合は1ピラミッド体系組織では円滑に機能しない。

しかしながら中には大規模な事業所でありながら同じような1ユニットの簡単な構成で届出を出しているケースもあるようだ。それでも書類の体裁さえ整っていれば消防署は届出を受理する。

大きな工場やビル等は把握すべき範囲が広大で一人の指揮者では、とてもではないが的確な指示を出せるものではない。広大な工場や複雑なビル群で火災が発生した場合に隊長(社長)を探して指示を仰いでから行動していのではあっという間に大火災になってしまう。

ひとつのピラミッド構造組織だと災害発生時にたまたま社長が不在だったり、現場指揮中に爆発火災に巻き込まれて早々に死んだらその組織は壊滅だ。

福島第一原発も把握すべき範囲は広大だったに違いない。一人の指揮者で全ての緊急事態に対応出来たとはとても思えない。

ではどうするか、右図のように組織を分割し軍隊方式にするのである。自衛消防組織でいえば第一分団・第二分団という風に組織を分割し各分団長にはある程度の処置権限を与える。

軍隊は常に指揮官の戦死という非常事態がついてまわるので指揮官が死んでも指揮系統が乱れないような決め事がある。残った者の中の最上位の者が新たに指揮を執るのである。だから組織が維持できる。




当然福島第一はそのような組織になっていたのだろうと思う。もしも民間事業者が消防機関へ届出する程度の1ピラミッド防災組織だったとしたら何をか言わんやである。

NHKさん今後はその辺を是非掘り下げて報道してもらいたいものです。

後日ネットで検索したところ右図のような福島第二原発の防災組織図を見つけました。
福島第一も大方こんな組織だったのでしょう。
山爺が危惧したとおり実戦に役立ちそうもない1ピラミッド組織でした。これで日頃防災訓練して問題はなかったのだろうか。本当に真摯に日頃訓練をしていたのだろうか。なんとなく心もとない組織である

原発事故はそこいらの火災とは違い一旦事故が発生すれば地域住民を巻き込んで取り返しがつかない大災害に発展する恐れがあるというのに、そこいらの自衛消防組織と似たような構成だったとは。

そして人災は実際に起こってしまった。あ~あ、である。

これまで何度も福島第一原発が崩壊した経緯をこと細かに報道してる番組を見てきたが根本原因についての報道が少ないように思う。大方の報道番組は次のような内容にまとめ上げたものが多かったように思う。

①想定外の大津波が防潮堤を乗り越えて原発地下に流入した。
②地下にあった受電設備や発電機、バッテリーの機能が崩壊しSBO(全電源喪失)が起きた
③緊急対応のIC(イソコン、非常復水器)の操作のミスにより冷却に失敗、炉心露出が始まった。
④水位計の指示を過信したことにより炉心溶融に気が付くのが遅れた。
⑤炉心圧力が低下せず消防自動車からの海水の注入の失敗等々
⑥これによりメルトダウンに至った。
⑦核燃料露出により核燃料被覆管のジルコニウムから水素ガスが発生し引火爆発し建家が崩壊した。

数々のヒューマンエラーや避けられない現象が重なり原発崩壊につながったと編集されている。

事故再現ドラマも何点かあったが、いずれも放射能の恐怖を意識しながらも淡々と業務を遂行する人々の行動を格好よく描写しており見方によっては彼らの英雄的行動を礼賛したプロパガンダ映画かなとも思える出来栄えだ。

山爺としてはそんな報道番組を見るたびに論点はそこではないだろうと思い歯痒く思っていた。

同じ場所にあった5~6号機や他の福島第二原発、東海第二原発、女川原発等は冷温停止し無事だった。女川原発はより震源地に近かったのに問題は起こらなかった。なぜこれらの原発が無事だったのか。電源が辛うじて生きていたから冷温停止に持ち込めたのである。

但しこれらの原発も、のちほど述べるが対策がしっかりしていたのではなく偶然と幸運に恵まれたに過ぎないようだが。

全電源とは以下の電源を言い、これら全ての電源が得られなくなる現象をSBO(全電源喪失)と言う。
①通常運転の交流電源
②予備(非常用)の交流電源回路
③蓄電池(バッテリー)
④発電機

①②は地震直後に遮断され電力供給が出来なくなった。

予備交流電源の高圧鉄塔が倒壊して使い物にならなくなったが電源確保は原発にとって最重要なのになぜ免震構造になっていなかったのか。

③④および受電設備がすべて地下にあり津波により水没して機能停止。

これらは異常事態となった原発を冷温停止させる最後の重要設備である。でありながら、なぜ水没の恐れのある地下に設置したのか。そんな大事な設備なら屋上や高台に設置すべきであろうことは中学生でも理解出来よう。

なぜそうしたか、関係者曰く。

①当初の設計基準(実は米国のコピー)がそうだった

米国は竜巻多発国だから地下に設置する。ここは日本だ。水害多発国だろうになぜ何十年も見直さなかったのか怠慢以外の何者でもない。

②発電機やポンプが水冷仕様なので高所に設置は出来ない。

付帯設備を設ければ高所でも設置は出来ると思う。高所は費用が割高になる。たったそれだけの理由だ。非常用設備としての設置目的を最初から見失っている。考え方がお粗末でどうしようもない人達である。異常事態の対処に電源確保が絶対条件なら水没リスクのある地下は避けて高台・屋上に設置するのが本筋であろう。誰かさんが金をケチったのだ。そのツケはあまりにも大き過ぎた。

あれだけ大きな地震を受けながら受電用の高圧鉄塔以外の設備はいずれも地震直後は崩壊を免れ機能していた。発電機とバッテリー、冷却ポンプさえ水没しなければ冷却機能は確保出来たのであり放射能汚染には至らなかったのである。

なぜ、どの報道機関もこのことに触れないのだと山爺はいつも不思議に思いヤキモキしていた。

ネットで調べてみたところ、この点を指摘している人を見つけた。起業家で経済学者、ノンフィクション作家でもある大前研一氏である。氏は日立に入社し原子力開発技師としての職歴もあり原発の専門知識を有する人物だ。氏は事故や災害分析力には定評があるところであるが今回も鋭い分析をしている。ちょっと長いが引用する。・・特に赤字(山爺注)に注目して欲しい。

大前研一氏の報告


しかし、事故を起こした福島第一原発1~4号機と同じ大津波に襲われながら、福島第一原発5、6号機、福島第二原発、女川原発、東海第二原発は事故にならなかった。ということは、大津波は事故のきっかけにすぎず、メルトダウンに至った直接の原因は他にあることになる

そこで我々は、福島第一原発1~4号機と他の原子炉ではどのような違いがあったのかという視点から調査・分析を行なった。すると両者の間には、全電源を喪失したか否かすなわち原子炉に冷却用の水を送り込むポンプを動かすための非常用発電機が1台でも生き残ったか否かの違いしかなかったのである。
たとえば福島第一原発5・6号機の場合、1~4号機と同様に地震で変電所が壊れて外部交流電源を喪失したが、幸運にも6号機の非常用ディーゼル発電機が1台だけ動いたおかげで5号機にも電力を融通して冷却を行ない、2機とも冷温停止まで持っていくことができた。

その発電機だけが生き残った理由は「空冷式」で、しかも水没しない高所に置いてあったからだ設計当初はなかったものだが、数年前に保安院から非常用発電機の増設を命じられ、たまたま水冷式よりコストが安い空冷式を選択した。空冷式は冷却水を取り入れる必要がないから高所に置いた。そんな偶然が重なって5、6号機が命拾いをしたのである


一方、1~4号機は非常用ディーゼル発電機がすべてタービン建屋の地下1階に設置されていたため水没し、冷却用の海水を汲み上げるポンプも常用電源のポンプと同じく海側に並んでいたため津波によって壊滅した。外部電源を取り込むための電源盤も水没し、電源車を接続することができなかった

直流電源(バッテリー)も1、2、4号機は地下にあったので水没した。3号機はたまたまスペースがなくて中2階に置いてあったことが幸いして生き残ったが、充電を取り込む所が水没したため8時間しかもたなかった。

ちなみに、福島第二原発と女川原発は外部交流電源が1回線のみ健全で、東海第二原発は外部交流電源をすべて喪失したものの非常用ディーゼル発電機が健全だったため、いずれも“首の皮1枚”で事故を免れた。

ということは、非常用電源の冷却用ポンプが常用電源の冷却ポンプの隣に並んでいる「設計思想」そのものがおかしいのではないか、という疑問が出てきた。“たまたま設計時になかった設備”が、生き残った原子炉ではカギとなっていたからだ。そこで原子力安全委員会の「設計指針」を読み直してみたら、なんと、こんなことが書いてあった。

長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧または非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない・・・本当になにを考えているのか呆れる(作者注) 「非常用交流電源設備の信頼度が、系統構成または運用(常に稼働状態にしておくことなど)により、十分に高い場合においては、設計上、全交流動力電源喪失を想定しなくてもよい

私は、開いた口がふさがらなかった。これが、実は直接の事故原因だったのである。つまり、交流電源が全部喪失する事態は想定しなくてよいと設計指針に書いてあるから、東電も日立も東芝も、そのとおりに原発を造ったのだ。
ところが今回は、すべての交流電源が長期間にわたって喪失した。このためECCS(緊急炉心冷却装置)やホウ酸水注入系など原子炉で想定される最悪事故に備えた安全装置が1つも機能しなかった。だから原子炉や使用済み燃料プールを冷却することができなくなってメルトダウンと水素爆発が起き、放射性物質が飛び散ってしまったのである。

つまり、福島第一原発事故は大地震・大津波による「天災」ではなく、誤った設計思想による「人災」だったのだ。なぜ原子力安全委員会がこんなバカげた文章を入れたのかわからないが、その担当者を明確にして、きちんと責任を取ってもらわねばならない。


私がいつも思っていたことを大前氏がすべて述べているので少し溜飲が下がった。

なぜこのことをマスコミは真摯に報道しないのだろう。なにか報道姿勢に偏りがあり意識して操作されているような気がしてならない。

国の指導でNHKも他のマスコミも内々に報道規制を受けグルになって、国民を欺きマインドコントロールしているような気がしてならない。

あの原発事故は想定外の大津波により電源機能が崩壊し、数々の不幸なヒューマンエラーが重なって防ぎ切れずに発生した。しかし関係者による必死の努力で最小限の被害に留めることができた。そして今も頑張っているので安心してください。という筋書きだ。

これまでの報道内容が国民に受け入れられれば、あれは自然災害により防ぎきれなかった事故だから今更責任の所在を追求しても仕方がないで収束するだろうとでも思っているのだろうか。

大前研一氏の報告のような考えが国民全体に浸透してしまうと『誰があんないい加減な設備を作ったのだ、許可したのは誰だ、責任者出てこい』と責任追求が起こることは必至だ。

そうなっては国や東電の幹部に責任追及がおよび一大政治スキャンダルに発展するに相違ないと思い、情報操作をしたのではないかと思う。

日本人は古来より”和を持って貴しとなす”の思想があり特に負の責任者を出したがらない国民性があるので原発問題も真の原因はあまり掘り下げないように報道管制を敷いているのではと勘ぐっているのは山爺だけであろうか。

現に国会議員や東電のお偉方にこんな発言をした人がいた。

『今更過去の責任を追求をしても始まらない、今後をどうするかを考えなければならない』
『東電を今解体してはならない、余計混乱をまねく』
と、したり顔でしゃべったとんでもない奴がいた。責任逃れの言い訳セリフで、あきれて物もいえない。

皆さんは稟議書というシステム知ってますか。物事を決定するとき決済文書を偉い人にぐるぐる回し何10個も判子をベタベタ押して決済するあのシステムです。あの稟議書というのは要は責任の所在を皆んなに分散し誰が決定して指示したかわからないようにするシステムで、日本ならではの実に優れた仕組みです。戦争さえ(太平洋戦争)それで始めちゃうもんだから戦後GHQが責任所在の追求で困ったことと言ったらない。

多分今回の原発を作るときも稟議書を回しお偉方の判子を所狭しと押しまくり誰が決定したかわからないようにしていると思います。(´▽`*)アハハ

繰り返すが受電設備、非常電源、冷却ポンプさえ高所に初めから設置しておけば20m程度の津波では日本の原発はびくともしなかったのである。現に5~6号機はそのお陰(発電機を高所に設置)で無事だった。

重ねて言うが福島第一原発事故は想定外の天災ではなく各方面の職務怠慢による人災だ。

しかし想定外とはうまい言い訳の文言を思いついたものだねえ。最近、不祥事が起きるたびにやたらこの言葉を利用する輩が多くなってきた。想定の外、つまり考えもしなかった事態が起きたので私の責任ではありません。と言いたいらしいが福島第一原発事故に限ってこの言葉は通用しない。

地質学者や有識者が1000年前の貞観地震を例にとり大津波が起こる可能性について何度も警告し防潮堤の高さ不足を指摘している。関係者は想定はしていたが『まさかそんな巨大津波がそうそう来るわけがあるまい。費用も掛かるしバカも休み休み言え』と握りつぶしたのである。であれば、想定外ではなく見込み違いでしたと発言するのが正しい言い訳だろう。


そして我々が忘れてならないのは福島第一原発の確か2号機だったと記憶しているが格納容器の内部圧力が上昇を続けて設計上の許容値0.38Mpをはるかに超えて0.94Mpまで上昇し、いつ爆発してもおかしくない状況に追い込まれていた事実があるということである。この異常事態に直面したY所長以下現地スタッフはその時、全員死を覚悟したという。

爆発が起きなかったのは現地スタッフの努力でもなんでもなくもなく単なる偶然だったと聞いたときは改めて驚いた。

設計上の圧力をはるかに超えても爆発しなかったのは容器を作った技術者、特に容器の溶接を担当した技能職人の腕に負うことが大であったろうと山爺は思う。日本人の物作り水準の高さに改めて感謝をしたいものだ。

溶接技術の稚拙により、もしも爆発していたらチェルノブイリ事故と同規模の汚染物質が拡散し北は青森、南は神奈川あたりまで避難命令が出てたという。

避難命令が出たとしても3000万人もの人間を短時間に移動させることは事実上不可能で日本中が大パニックになったであろうことは想像に難くない。

爆発していたら山爺たちも関西方面に避難し仮設住居生活を余儀なくされ、平和な生活が突然崩壊したかもしれない。

そうなると今頃、関西人に『あんさんは放射能で体が光るんでっか』とからかわれながら卑屈に場末の居酒屋で酒をすすっているかもしれないのだ。本当に怒りがこみ上げてくる。


上野根岸界隈散歩・福島第一原発について(NHKスペシャル)の項・・完













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