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2020年12月1日火曜日

那須岳登山敗退記


コロナのおかげで今年は目立った山に登れないでいる。なんたってあなた、北アルプスや八ヶ岳などのメジャーの山小屋は軒並みコロナウイルス対策と称して宿泊費をべらぼうに値上げしている。

一時は食事の提供がないせんべい布団支給の素泊まりでありながら¥9000の値が付いた山小屋が散見されて山爺を呆れさせた。

さすがに価格を釣り上げ過ぎたと反省したのか今は¥7000~¥7500位に落ち着いたようだが、今持って素泊まり¥8000と強気の値をつけている小屋もある。

値上げの理由はコロナの感染リスクを避けるためタコ部屋営業が出来ないからだろう。だからといって簡単に値上げしてよいものか。旅館や飲食店がコロナ対策でソーシャルディスタンス対策を施しても値上げには踏み切れないでいる。値上げしたら客足は確実に遠のくからだ。

一方の山小屋はどうだろう。コロナ流行にも関わらず相変わらず登山愛好者はメジャーな山岳へせっせと足を運ぶので一部の山小屋経営者は売り手市場をいいことに平然と値上げをしている。なかには料金据え置き、今までの料金で経営を続けている良心的な山小屋もあることを付け加えておきますが・・・

物の価格を決める場合、バブルの頃は材料費+人件費+諸経費+利益の合計、いわゆるかかっただけを請求する商売をしていたのだが、デフレ基調の今の世の中はそれが通らない。消費者も賢くなった。初めに販売価格ありきなのである。いわゆる値頃感というやつだ。世間が求める値段に原価が追従できない業者はやがて経営破綻する。ゴルフ場の経営が良い例だ。経営が破綻して続々とソーラー発電所に様変わりしている。

山小屋の経営も我々団塊世代が山へ入れるうちはなんとか持ちこたえるだろうが、あと7~8年も経過したら足腰が弱りどうなるかわからない。多くの山小屋が経営破綻し無人化、テント持参の山登りスタイルに様変わり・・・わはは、偉そうなことを述べてしまった。爺の戯言と思って聞き流してくれたまい。

¥8000の予算があれば、I社やO社が経営する格安温泉でお酒付きのバイキング料理に舌鼓を打ち、温泉入り放題、広い部屋を1人で占有しふかふか布団に就寝できる。どちらが有効なお金の使い方かは皆さんの判断にお任せします。

山爺は今の異常な価格設定の状態が続く限り、そういった山岳地域には足を向けられそうにありません。しかしながらこのままでは例年、友人に送る年賀状の挿絵(山爺の自慢しいの登山勇姿画)が今年は撮れないでいます。

で、10月末日にGOTOキャンペーンを利用して那須岳に登り記念写真を撮ってからふもとの温泉に宿泊する計画を立てた。

久方ぶりにザックを荷造りし早朝に家を出て10時に那須のロープウェイに到着した。紅葉はもう終了で枯葉状態、ありゃあちょいと遅かったか。

ロープウェイは動いているようだが猛烈な風が吹き、流れ雪が吹き飛んでいる。迂闊にロープウエイに乗ると山頂駅で運行停止し動きが取れなくなる恐れがある。

仕方がないから登山口から徒歩で茶臼岳山頂を目指す。強風が吹き荒れるので体感温度がぐんぐん下がり、とにかく寒い。
もともと峰の茶屋(峠)を吹き抜ける風の強さは天下一品
冬期は風で吹き飛ばされて多数遭難者がでているくらいだ。

潅木帯を抜けると更に風が強くて恐怖心さえ起きる。いよいよ進退が極まった。上から続々と登山者が引き返してくる。傍らには飛雪が積もり始めた。だめだこりゃ、ここで山爺も撤退を決意する。温泉じゃあ、温泉じゃあ。とつぶやきながら下山。

とっととバスで湯本温泉まで引き返して徒歩で目的のO温泉に向かう。

ここまで下りてくると風雪がぴたりと収まった。癪にさわるがしかたがない。枯れ残った紅葉がせめてものなぐさめだ。

30分も歩いたら温泉宿が見えてきた。さっそく露天風呂に入り(かけ流しなので微温っ)冷えた体を温める。夕食はうなぎとすき焼きが主食でお刺身が少々、副食をバイキングで自由にチョイス。おまけにお酒が1杯ついている。2杯目からは¥100だって。安くて涙が出るわ。(^ω^)

GOTOキャンペーンの恩恵に預かったのでこれで¥5000なにがしの料金だ。帰りには地域クーポン¥1000までいただいた。これじゃあ、浴衣も歯ブラシも出ないせんべい布団の素泊まり山小屋へは当分行く気がしないあ。


【川柳】

・山小屋よ さらば当分 温泉へ

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2020年11月12日木曜日

ヤフオクでゴルフクラブ落札

 10月に栃木のゴルフ場でゴルフクラブのPWをコースに置き忘れた。荒天化であたふたしていたとは言え、情けない。ゴルフ場よりクラブが見つかった旨の連絡があったのが2日後だったのでその間、何とはなく、中古PWクラブのネット検索をしていた。

山爺のゴルフ歴は年月だけは長く、かれこれ40年になる。腕前?!、これは寄る年波により・・飛ばない・寄らない・入らない・・で下がる一方、今や成績より完走が目標ですわ、あはは。(笑)

道具も最初は安物のシントミゴルフのオリジナルを購入し使っていた。安いから鋳物抜きっぱなしで磨き省略だから真っ黒けのけのクラブだった。しかもハーフセットという代物で、Dr・3W・3I・5I・7I・9I・と、飛び飛びセット、そんな商品でも売れる時代だった。しかし今にして思うと低重心の初心者向けで設計だったから高い弾道が出やすく使いやすかった記憶がある。

当時はゴルフブーム、河川敷以外のゴルフ場は売り手市場、キャデイ付きが主流で中には生意気なキャディが多々、ビジターの山爺が安物クラブを使ってプレーするのを小馬鹿にする。・・・ような態度を複数回受けた。

『シントミぃ~そんな安物クラブを使うような人はうちのゴルフ場にいないわよぉ~』的な扱いだ。

そんな悪印象に耐えられず馴染みのスポーツ店へ駆け込んだ。そして店の親父の口車に乗せられて高額なミズノのアイアンセットを買わされた。ソールが薄い中級向きのクラブで当たると飛ぶがコントロールが難しかった。買っちゃったから仕方がない。なんとか騙し騙し長年使った。

10数年前に中古クラブではあったが値段の張るマックフライ・ハイブリッドという中級者向けのクラブに切り替えた。ブランド性は申し分なく使い勝手もまずまずだった。

ところが齢を重ねるうちにこいつらが反乱を起こし出す。山爺の言うことを聞かなくなった。8番より上のクラブが打てなくなってしまったのだ。無理に使うとチーピン(左にひん曲がる打球)連発で大怪我をする。

そんな矢先のPW紛失騒ぎだ。願いは一つだ。飛ばなくても良い、真っ直ぐ飛べば・・やはり初心に帰り低重心が良いのでは。・・・

ネット検索しているとヤフオクでアイアン7本セット(6・7・8・9・PW・AW・SW)がなんと、¥100で出品されていた。低重心設計かな?ソールが厚いのが気に入った。状態も使用感が少なくて良さそうだ。

なんでこんなに安いのか?まあいいや。軽い気持ちで上限¥2000までの自動入札で参入。(自動入札とは自分の許容金額まで入力しておけば後は自動でセリに参加してくれるシステム)

翌日、結果を見てみると、なんとまあ、¥1000で山爺が落札しているではありませんか。

めでたし・めでたし。


改めてクラブの素性を調べてみるとFIT WAYという名前でアンダーカットデザイン(初心者向けの低重心設計)と書いてある。

どうやらスポーツメーカーのアルペングループ傘下のGOLF5がオリジナルで販売している安物と評判の初心者向けクラブのようです。だから入札者が少ないのか。納得。(買う前に調べろや・・・ってか)

このクラブ、世間様の書き込みが辛辣です。

FIT WAYというクラブはどうですかとの質問に

・ありゃあ~残念無念、初心者用の安物クラブというのが定説です。そうですね~F1ドライバーがスズキのアルトにのっているようなものです。

・アルペングループGOLF5のオリジナルですよね。完全に入門用、初心者用に分類されると思います。 長く真剣にゴルフに取り組むつもりならばお勧めできません。


・自分のパートナーが、このクラブを使っていたら、ひきます。

なんとまあ、皆さん偉そうにうんちくをたれています。釣り・ゴルフ・登山など、これらの趣味人に、この手合いの御仁が多くいる。自分の腕前を棚に上げ高額な道具ばかり信奉して悦に入ってる。

趣味の世界で高額なほど良い商品はカメラしかないと山爺は思ってます。あとの道具は自分に合うかどうかで弘法筆を選ばずなのでは?

¥1000の釣り道具セットと30万円の道具で釣りの成績にどう差が出るのか山爺は理解できない。

山の道具でもモンベルの靴がとか、コロンビアのジャケットが、と惜しげもなく大金をはたいて購入している人が数多くおりブランド以外を使用すると今にでも遭難しそうな言い方を平気でする輩もいる。

論語読みの論語知らずが世間には数多くいる、困ったものだ。もっとも、そういう人たちのお陰でブランドメーカーが成り立っているのだけれどね。

落札価格¥1000+送料¥1700=¥2700でアイアン7本が我が家に届きました。
早速開封、ほぼ新品、なかなか良いではありませんか。

11月3日、いきなりゴルフ場で使ってみました。場所は距離の長いタフなコースで有名な古河ゴルフリンクス。OUTの7Hなんか435YもありながらPar4、勘弁してよぉ~てなもんだ。
スタート前にスイングチェックし、ボールを使ってピッチショットも試みる。おっ?なかなか良い感じでボールが上がります。

さて、スタートです。いきなり394y Par4と負荷の多いホールです。3打でグリーンに近づくのがやっと、残りは50yも残ってます。山爺はこの中途半端な距離が苦手です。恐る恐る打った打球は高々と舞い上がりピンに真っ直ぐに向かいました。
ピンそばにドスン。これを1打で放り込みボギーでホールアウト、こりゃあ幸先が良いぞ。

ショートホールでもテイショットをミスし大きく外しましたが、ナイスリカバリーで2オン、4で切り抜りぬけました。終わってみれば3295yのタフなコースを53で回れました。トリプル叩いたのは1回だけ、私にとっては上出来です。午後も54で回れました。


世間様でボロクソに言われている FIT WAY クラブですが今の私にピッタリ合うようです。こりゃあいいものをタダ同然で手に入れたもんだ。ヤフオク万歳!、次回のラウンドが楽しみになってきました。

【川柳】
・只同様 買ったクラブが 活躍し
・酷評の クラブが馴染み 良い心地
・口コミで ボロいクラブが 神の手に

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2020年11月9日月曜日

足利の廃道と温泉

 10月中旬が過ぎても長雨が終わらない。従前10月10日は晴れの特異日とされて体育の日として祝日にもなっているがこの神話も崩れつつある。温暖化により明らかに我が国の気候は変わってしまった。

コロナ渦と相まって連日の雨模様で外出する気も起こらず連日WOWOWの映画を見てお茶をすすってばかりでいる。植木等ではないが

『♫これじゃ、体にいい訳ないよ。わかっちゃいるけど止められない。』

てなわけで2kg体重が増えたままである。その影響なのだろうか首が痛い・めまいがする・右肘が痛い・腰痛だって疼いて油断がならない。

そんな体調でありながら、晴れの特異日を当てにして10月9日(金)に栃木のゴルフ場(オリムピック都賀)に出かけた。

天候はあいにくの雨模様、これに体調不良が重なったので結果は散々で、60以上の大叩きをしてしまった。(´ω`) 

おまけに大叩きで気が動転したのかコース内に道具(PW)を忘れてくるという失態までやらかした。幸い後日PWは見つかりゴルフ場から郵送されてきてはいるのだが当然ながら料金着払い・・・気分はうつ状態だ。

10月下旬になってようやく天候がよくなる兆しが見えたが同時に気温が急降下、夏から一気に初冬へ、せっかく揃えたキャンプ道具だがキャンプには不向きな陽気になってしまった。
酔狂な人は冬こそキャンプにふさわしいと出かけるようだが山爺はそんな根性は持ち合わせていない。

さて、どこへ行こうかなあ。

足利の山に大坊山という標高285mの低山があり以前登ったことがある。この付近に越床峠(こしどことうげ)というところがあり、この峠から少し下ったところに廃道になった旧国道がある。国道名は293号線。

佐野と足利の境に位置する重要な峠越えのルートだったが平成8年(1996年)にトンネルが出来て峠越えが不要になり廃道となった。

ちなみにGoogleでググってみると心霊スポットやら事故やら怪しげな情報がヒットする。これは行かねばなるまいて。

10月24日晴天に誘われて早朝に家を出た。足利市駅で電車を降りて7時50分発の富田駅行の市営バスに乗車し足利病院前で下車する。

病院前を抜けて山道に入ると40分位で越床峠に着いた。ここから反対側へ下ること20分で木々の間から黄色いセンターラインが見える。旧国道293号線だ。

まもなく落ち葉に覆われた国道に降りることが出来た。

おお、周りは鬱蒼としており熊やら猪やらがいつ出てくるかもわからない雰囲気が漂う。もちろん人っ子1人としていない。なるほど心霊スポットと言われるのもうなずける。

平成8年といえばついこの間のような気がするが24年の時が流れている。

24年も経つとこうも荒れるもんですかねえ。
そのうち飛んできた土埃が堆積して土となり草が生え木々が生い茂り道路が見えなくなるのだろう。

どれくらいの時間が過ぎればもとの自然に帰るのかなあ。50年?100年?。

確かに現地を訪れたという動かぬ証拠写真を載せます。



さて、元来た道を戻り峠へ。峠から登ること15分?で休憩ポイントに到着。ここにどういう言われか知らないが、かえる神社という祠があり周りには茶店やら展望デッキもある。

かえる→無事帰るの洒落のようだがなぜこのようなものを建てたんだろう。

通称番屋と呼ばれるところらしい。夏期には茶店がオープンし飲料水やご当地グッズなども販売しているらしい。不思議なスポットです。

ここで休憩し甘味を食べエネルギー補給を試みる。

さて次なるポイントは番屋から続くピーク、つまり山頂へと向かう。山頂だが国土地理院の地図には名前が無い。

このピークは通称展望所と呼ばれている所だが、展望所とは何とも安易な命名だこと。鉱山とも呼ばれているみたいですが・・・なぜ鉱山なのかなあ?

歩き出して息が上がる頃、展望所へ着いた。名前のとおり展望が良いが南側だけ木々が生い茂り展望はよくない。

木々の間からわずかに眺望が望め遠くに高層ビル群が認められた。山頂に居合わせた数人の人々とその所在について話し合った。
某ご仁:『あれは大宮のビルでは』
山爺:(磁石を取り出し方向を見て)『真南になるので都内のビルでは』・・・この時点では結論は出なかった。

西側にはゴルフ場が見える。オリムピックスタッフ足利コースだ。あの狭い芝生の中で大金を払ってチマチマと『ナイスショット』なんてやっているんだなあ。ここから見るとそんな行動が虚しく見える。

北側は崖が迫っており危険注意の看板があった。実際過去に何人も落ているそうです。ここから落ちたら無事では済まないだろうなあ。

大体人間の重心は6kg近くある重い頭が上の方にあるので常にアンバランス状態にあると言って良い。故にこういった絶壁に不用意に立って覗き込んではいけないのだ。特にファインダーを覗いての写真撮影は絶対やってはいけない。この行為により多くの方々がバランスを崩して転落等の災難にあっている。山爺は撮影するときは崖に座るか、腹ばいになって撮影をしてます。

足利一帯の低山は岩峰がいたるところに有りそれが魅力でもあるのだが魅力と危険は表裏一体、このあと立ち寄った天然温泉の鹿島園で耳にしたのだが、最近でも人が落ちてヘリで運ばれたそうだ。

山での遭難は高山ばかりとは限らない。100mの低山でも険しい山は沢山あるので注意して歩かないと災難に合う。


北側に目をやると崖の下でなにやら採掘をしているようだ。あれが鉱山なのかなあ?砂利も鉱山のうちなのかなあ?・・・建築用の砂利でも採掘しているのだろう、とそのときは単純に思った。

家に帰りHPで検索してみたところ何とマンガン鉱床で二酸化マンガンを採掘しているそうな・・驚いたなあ。

【山爺の一言メモ】
HPで検索するとなんと矢筈鉱山(やはずこうざん)という名称がヒットした。層状マンガンの鉱床があり、二酸化マンガンが産出するらしい。この付近の両崖山(りょうがいさん)でも同様の鉱山があるようです。この近辺は鉱山地帯なんですねえ。そういえば近隣の葛生地区では石灰鉱山もある。


下山途中で展望の開けた場所に出た。南側の地平線にビル群が沢山見える。こんなに多いんでは大宮ではないなあ。よく見ると左端にタワーらしきものも・・。おお、あれはスカイツリーに違いない。都心のビル群が見えた~!!。霞がかかった状態でもこれだけ見えるのだから真冬の視界が良い状態の時にはさぞやよく見えるのだろう。また来なくっちゃ。


ツツジ山分岐点で長林寺方面に降りてまもなく温泉のある鹿島園への下る分岐に着いた。ここから温泉へと下るとほどなく鹿島園の建物が見えてきた。ここで一風呂浴びるのも今回の山歩きの楽しみの一つだ。

温泉到着~って、土曜だというのに人気がないなあ。店構えも寂れているし・・やっているのかなあ。まあ、営業中の旗が立っているし・・恐る恐る入ってみると営業してました。

係かりのおばちゃんとしばし歓談(ここで最近この山での遭難によるヘリ出動の話を聞いた)入湯料¥600を支払い温泉へ。温泉は成分表が掲げてあり本物です。なかなかいい湯でした。

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2020年10月8日木曜日

旧谷中村を散策(渡良瀬遊水地ハイク)

 9月のはじめに首が少し痛くなり始め徐々に痛みがひどくなってきた。痛みが増すと同時にめまいもする様になった。どうしたんだろう、これで手足がしびれて呂律が回らなくなったら一大事なので毎日様子を見ていた。

そのうち治るだろうと楽観していたが一向に良くならない。

コンデション最悪のうちに9月のゴルフコンペを迎えてしまい成績が散々だっとことは前回述べた。

借金で首が回らないとはどういう意味かとこれまでは漠然と考えていたが本当に首が回らなくなってみるとその状況がよくわかった。

首が痛いと周りの状況判断に支障を来すのである。道路を横断するときの左右確認なんか簡単に出来ないので剣呑この上ない。新聞なんか5分も読めやしない。お茶飲むのも一苦労だ。にっちもさっちも行かないとはまさにこのこと。借金に例えるのはまさに言い得て妙だ。

今年は台風の発生も少なく9月は絶好の登山時期だったが首痛・めまいが治らないのでは危険すぎて歩けそうもない。せっかく揃えたキャンプ道具も泣いている。

9月のゴルフコンペもようやく乗り切って家で安静にしていたらようやく首の痛みも和らぎ、めまいも収まった。体力維持のためどこかへ出かけよう。

とは言え、山歩きにはまだ不安が有る。坂道で転倒したら低山といえど大事故につながってしまう。さて、平らなところで行きたいところは・・・そうだ以前から行ってみようと思っていた渡良瀬遊水地の旧谷中村跡にでも行ってみよう。旧谷中村とは?

【山爺の一言メモ】

栃木市の広報より抜粋

旧谷中村の歴史

渡良瀬遊水地は、旧谷中村や周辺地域の人々の犠牲と協力のもとにつくられました。

常に洪水の被害に見舞われていた谷中村周辺地域では、明治20年(1887)代の足尾鉱毒問題をきっかけとして遊水地化の意見が出され、河川の氾濫被害を無くすため、渡良瀬川下流部に遊水地を造る計画が打ち出されました。

遊水地化の計画は谷中村を中心とした地域で、明治38年(1905)から栃木県が買収を進め、明治39年(1906)に谷中村は藤岡町(現・栃木市)に合併され廃村となりました。旧谷中村(下宮、内野)の一部には現在も旧村民の子孫の方が住んでいます。

さすがは市の広報ですなあ。当たり障りのない書き方でさらりと紹介しています。渡良瀬遊水地建設にまつわる歴史はそんなものではなく根は深いのです。別の解説記事を紹介します。長文なので興味ある人は読んでみてね。

http://www8.plala.or.jp/kawakiyo/kiyo40_35.html

谷中村は毎年のように起こる洪水のおかげでナイル川のように上流から肥沃な土が流れて堆積する。これにより農産物のめぐみが豊かな土地柄で水害を差し引いても裕福な村だった。

明治期に国策で足尾銅山の採掘が活発になると渡良瀬川一体の農地が洪水が起きるたびに鉱毒により農作物に被害を被る。谷中村も例外ではなかった。栃木県出身の衆議院議員、田中正造を筆頭に村人は立ち上がり国に提訴したがこじれて川俣事件へと発展する。

農民の必死の請願にも関わらず国は鉱毒被害の根源は洪水にありと論点を巧みにかわして鉱毒水を沈殿させるために谷中村の湿地帯に目をつけて巨大な沈殿池の構想をぶち上げる。当然村民は反対するが国と栃木県は堤防改修の名目で土手をかさ上げ村を水責めにした。豊臣秀吉でもあるまいに、ひどい話があったもんです。

鉱毒で肥沃な土地を壊された挙句に強制立ち退きを迫られた谷中村の住人2500名の心中はいかばかりか。

そんな旧谷中村住民の怨念がこもった跡地、とりわけ雷電神社・常念寺の共同墓地跡の周りには今頃は彼岸花が開花しているに違いない。

という訳でザックに雨具・コンロ・一眼レフカメラを放り込み9月30日(水)出かけてみた。

東武日光線の板倉東洋大前駅で下車、なかなか瀟洒な駅ですが周りは何もありません。東口に出て左折し、しばらく行くと右に上がる小道があります。

そこを抜けるとT字路にぶつかる。正面の建物がわたらせ自然館です。ここに立ち寄り渡良瀬遊水地の歴史について再確認。資料やら地図やら頂いてから遊水地に向かった。(入場無料が嬉しい)

資料館を出て左に10mも行くと土手へ向かう小道があるので左折します。どんどん進むとそば畑がありそばの花が咲いていました。ほう、こんなところでそばを栽培しているのか。

公衆トイレの前を抜けると信号のある車道に出ます。そこを横切って土手を上がると渡良瀬遊水地が見えます。


土手を降りてまっすぐ進むと右手に駐車場、正面に柵があり車やバイクはここまでで遊水地内には入れません。歩行者のみ入れます。



いきなりでかい遊水地が正面に広がっていました。いやあ思ったより大きいです。ヨットが1艘気持ちよさそうに湖面をすべっています。
まてよ?これだけ大きなものをどこから運ぶんだろう。よく見るとカヤックも動いてます。どこかから車で進入できるところがあるのかな?それとも担いで入るのかなあ。

遊水地の淵沿いを左回りに歩き出す。景色を眺めながらのんびりと歩く。湖水の巡視だろうか船外機付きのボートが慌ただしく通り過ぎて行きます。20分も歩くと北の水門に着く。金網柵で通せんぼ、これ以上進めない。
左の藪混じりの小道に沿って土手の上にあがり無粋な舗装道沿いを歩く。ヘルメットに派手なシャツを着た競輪選手のような出で立ちの自転車族が走り回っており、おちおち真ん中を歩いていられない。『爺婆め そこのけそこのけ 自転車通る』とった具合でのんびりしていられない。

ようやく前方にこんもりした木々のあるところが見えてきた。目指す旧谷中村の史跡があるところのようだ。道を左に折れて旧谷中村史跡へ。旧村役場跡の看板を見つけたのでその方へ歩を進める。

説明杭に谷中村役場跡とあります。周りは整地されており東屋がぽつんと建っていました。

さすがに役場が建っていた場所、ここは小高い丘の上です。

毎年のように起きる洪水を避けるために村では貴重な小高い地形を選んで建てたのでしょう。



役場のそばに大野音次郎屋敷跡と説明杭がある広場があります。人工的に土盛りしたのか自然なのかここも高台の1等地です。土地の有力者だったに違いありません。庄屋さまかなあ。

あとで調べたら村長さんの親御さんの屋敷でした。さもありなん。

丘を降りて次の目的地、雷電神跡地に向かいます。途中の竹やぶのなかに説明杭がありました。

〇〇正作屋敷跡と読めます。藪を少し分け行って入ってみると竹やぶのなかは洪水に対処するためか高台になってます。まさに夏草や強者どもが夢の跡です。


雷電神社跡に向かう途中に紫色の花の群落を見ました。なんの花だろう?

傍らの説明書きを読むとワタラセツリフネソウと書いてあります。説明が雑駁なのでこの時はふう~ん、くらいにしか思わなかったのですが後で調べてびっくり仰天。

2005年にここ渡良瀬で新種として発見された草花で絶滅危惧種なんだそうです。

おーい、看板書いた人!もっとしっかり説明しなきゃダメじゃないか。
それと柵で囲うなりして保護しないと・・道端に生えている雑草扱いです。このままじゃ踏んづけて絶滅しちゃうぞ。魂消たもんです。


渡良瀬遊水地ではこの花しか這えていないんだそうですが・・嘘つけ、彼岸花が咲いてるぞ~。って野草限定ということかな。

彼岸花は土手の保護や野ねずみ・モグラ退治、そして飢饉の非常食として人が大切に植えた草花だからね。

雷電橋という場所に到達、下を流れるのは谷田川でしょうか。

雷電神社はもうすぐに違いありません。




雷電神社跡には説明杭があるだけで何も残っていません。
まさかあのベンチは当時のものではないだろうなあ。
かつての雷電神社の画像です。洪水の時の写真でしょうか周囲を水に覆われて悲惨な状態です。
なんかご利益薄そうな神様です。(失礼)

こんな神社でも秋祭りなどが盛んに行われて村人の大切な拠り所だったんでしょうなあ。
付近に彼岸花の群落がありました。遠くに延命寺の釣鐘も見えます。











延命寺跡です。当時を偲ぶものは釣鐘のみ。

ここに村人たちのご先祖様達が眠っています。

あたり一面彼岸花が今を盛りに咲き誇っていました。やはり彼岸花はお寺や墓地が似合います。
本来なれば子々孫々まで祀られ続けてもらえるはずだったが明治期の富国強兵の犠牲となり村は離散、墓地は放ったらかしになってしまった。眠れる村人の怨念が聞こえるようです。

もっとも遊水地を開発したおかげで下流の住民、とりわけ都市部の人々の治水に大いに貢献しているのだからそれらの人々は感謝しなければいけないですね。

旧谷中村跡の名残はこの共同墓地しかないようです。そして訪れる季節は彼岸花の咲き誇る今が一番のような気がします。

若い頃に田中正造や足尾鉱毒問題について漠然と教育を受けたが、足尾鉱毒・田中正造・谷中村、これらのつながりが今ひとつ理解できなかった。今回訪れてこの村の歴史を掘り下げて調べてみたので、この村の受けた理不尽な仕打ちがよくわかった。

明治維新以降、時の政府の富国強兵政策で足尾銅山を掘りまくり鉱毒を垂れ流し。農民に甚大な被害を与えておきながら、ろくな補償もせず『原因は洪水にあり』と論点をすり替え、谷中村の人々の傷口に塩を塗りこむような施策を打ち出した国と県、そして足尾の山々を毒ガスで丸坊主にした古河鉱業、古河グループといえば渋沢栄一の息のかかった企業だろうに、来年の大河ドラマも霞むってもんですよ。

このように甚大な人災?を引き起こしながらも加害者の特定はされずに今日に至っている。貧乏くじを引いたのは旧谷中村の人々だけ、こんな理不尽なことはないだろう。

さて、目的の彼岸花の撮影も終わったので遊水地の真ん中に移動しよう。

左手に筑波山を眺めながら中の島をめがけて歩く。天気はすこぶる良い。こんな日のそぞろ歩きは実に楽しい。
振り返ると我が故郷の栃木の山々がはっきりと見える。こんなに素晴らしい眺めが得られる場所なのだからお土産屋やレストランを作ったら大儲けだろうに、ここも河川内に該当するから人工構造物の造営はできないんだろうなあ。もったいない話です。

素晴らしい景色を眺めながらなので疲れない。30分も歩いたろうか、中の島が見えてきました。12時もすでに回ったのでここで昼食としよう。

当初、谷中村史跡横の公園で食べようと思ったのだが巡視員がうろうろしていたので敬遠した。

なにせガスコンロでお湯を沸かしコーヒブレイクもするつもりだった。コンロ使うのを見たらた何かクレーム言われそう気がして・・・そういえば葦の生い茂る史跡内の道でも巡視員と思しき爺さん達にあった。巡視のボートといい、やたら巡視員が多いなあ。葦の生い茂る場所だけに火災を恐れてのことだろうか。それにしては山火事注意などの看板が皆無なのも不思議だ。とまれ、この地域が観光地ではなく水防施設だということを改めて知らされた山爺でありました。なんでも世界遺産に登録しようと動いているとか・・世界遺産ねえ。

(o´Д`)

中の島は刈り込んであるので火災が起きる心配もないから文句あるまいと、勝手な理屈でベンチを見つけてお店を広げコンロを取り出し点火、コーヒーを入れる。

素晴らしい景色を眺めながらのコーヒーは、『うまい、うますぎる。』の一言に尽きます。コンビニのおにぎりだってうまいのなんのって・・・・

それにしても大きな池だなあ。どこかに似ている。どこだろう。ああ、毎年、関西バス旅行の途中で立ち寄る浜名湖SAからみる眺めだ。浜名湖そっくりではないか。違うところは前述した通り、ここは河川内なので建造物が作れない。したがって土産物屋や食堂といったお店が皆無であること。コンビニすらない。

だからこそ静けさが保てていいのかもしれないなあ。こんなところがこれからの日本には、もっと必要なのではと納得した山爺なのであります。

さて、昼食も済んだことだし帰るとするか。ここまで来たら中央エントランスから出て柳生駅に回ったほうが近い。30分も歩けば着くだろう。頑張んべえ!

家にたどり着いて携帯の万歩計を確認したら2万3千歩でした。やったね。

【川柳】
・渡良瀬に 幽水もある 遊水地
・鉱毒に 呑まれし村に 彼岸花
・渡良瀬で 見つけた秋の 珍花草

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