アクセスカウンター

アクセスカウンター

2019年10月3日木曜日

リハビリハイキング(仙元山と立ち寄り温泉)

腰痛を押して9月14日にゴルフに出かけた。なんとか無事に18h回ることができて慶賀に耐えない。しかしその日の夕方より腰痛が再発して杖を頼りの生活に逆もどりと相成
ってしまった。

ただし今度の痛みは腰痛というより筋肉痛と織り交ざった妙な痛みに変わった。4日目より杖がいらなくなるくらいに回復したのでリハビリを兼ねて軽くハイキングに行こうと思い立つ。

天気予報を見ると週末の土日は雨模様。金曜日がお日様マークだ。というわけで20日(金)小川町にある仙元山に行ってみた。

山爺の頭の中には山歩きのプランがいつも5~6件しまってあるのでその気になれば1~2日の準備期間があれば出かける事ができるのだ。

3時間程度の軽めの山歩きに好都合なのは寄居近くに有る仙元山(299m)だ。小川町駅から徒歩で登山口に入れるのが嬉しい。おまけに近くに日帰り温泉もあるので下山後は温泉治療もできる。リハビリにはもってこいの地域だ。

秩父線の始発H駅を6時40分の電車に乗ると小川町には8時9分に着く。東秩父は近くてよい山がたくさんある。

駅前の左側の大きな道をどんどん進む。今のところ腰は順調だ。
信号のある大きな通りを横切り突き当たりのT字路を左折、すると小さな、小さな八百屋さんがあった。こんな静かなところで商売が成り立つんだろうか?と余計な心配をしてしまう。

 八百屋さんを通り過ぎた辺りから道がややこしくなってわからなくなってきた。取り敢えず八高線の踏切は越し、川沿いを歩いているので概ね合ってはいるのだが・・・とかく山屋というものは山の中に入れば地図を頼りに歩けるのだが町中となると、からっきし、だらしなくなるもんである。地図を頼りによろよろ歩く。

庭で畑の手入れをしているお父さんがいたので道順を教わる。登山口は100mほど先にあった。山爺は計画した通り歩いていたわけで、あと5分も我慢して歩けば人に道を教わることもなかったわけだ。なんか損してしまった気持ちだ。
指導標にしたがって細い道を進むと、やや!人の家に入ってしまう気配、誰もいないことを幸いにずんずん進む。

 こういうところが都民の庭である奥多摩と違うところだ。指導標が少ないので山に入るまで一苦労も二苦労もしてしまう。

やっと山道に入ることが出来た。こうなりゃ山爺のもんである。山道は左右に木々が立ち並び強い日差しが入ってこない。冷んやりしていて気持ちが良い。やっぱり散歩は山道に限るなあ。

歩き続けていると痛みは和らぐが、ちょっと休んで再び立ち上がると腰にズキンとくる。まだまだ回復には程遠いみたいだなあ。

痛みが去ると今度は両方の足の外側がくるぶしから腰のあたりまで痛いような痺れるような疲れたような妙な感覚が起きてくる。弱ったなあどうなっちまったんだろう。我が下半身は?

30分ほどで尾根道らしきところに出た。すぐ横には車が通れる遊歩道が見える。もちろん仙元山めがけて山道をGo!

問題の腰痛も幸い引っ込んで、40分ほどで仙元山の山頂へ着いた。山頂には誰もいない。

途中2人ほど山爺と同じ目的の筋トレ親爺に出会ったが幸いトレランとかいう山走りをする酔狂人はいなかった。トレラン族でもあまり低い山は自慢のタネにならないから人気がないのだろうか?

10時30分、昼食にはちょいと早いし足腰も持ちそうなのでここから20分位のところにある青山城址まで足を伸ばしてみよう。

11時ちょいと前に青山城址に到着。城といっても砦のような物、当然ながら説明看板があるきりで城らしきものは微塵もない。まさに強者どもが夢の跡である。

青山城址は平安末期の藤原氏末裔青木氏末が築城したらしいと伝えられているのですが詳細は不明のようです。戦国時代に入って腰越城址とともに杉山城の支城としての役割となっていたようです。後北条氏の傘下であったため1590年の豊臣秀吉の小田原攻めで廃城となりました。

僅かに空堀(左画像)が原型をとどめているだけだった。しかし、こんな山の中に砦を築いてまで争いをする人間の性(さが)と言ったらない。なんと醜いことか。

醜い性は現代にも受け継がれている。世界中がいがみ合い、軍事力を強化し続けている。皆んなが譲り合って謙虚になれば戦車も軍艦もミサイルもいらなくなるだろうに。

先進国の莫大な軍事費が別な用途に振り向けられたら世界中の貧困・飢餓がなくなるのになあ。
この間も1機150億円もするF35戦闘機が海に落ちたが150億円あれば2千万円の家が750軒立つ勘定だぞ。ちょっとした街ができるってもんである。150億円を国民年金に回したら一人あたりいくらの増額になるのかなあ。

元来た道をもどり再び仙元山へ。ここで昼食を採る。昼食は定番のおにぎり1個・サンドイッチ・そしてドリップ珈琲。山での喫食のなんと旨いことか。


さっぱり人が来ないので荷造りを済ませてとっとと下山することにした。

下山は元来た道をたどるが途中、百庚申なる遺跡に立ち寄った。

庚申とは中国の道教が発祥元のようで今でも日本各地に残る庚申さまといわれる土着信仰だ。その石碑が100基あるから100庚申なんだろうなあ。江戸時代後期(1860年)の建立みたいです。

下りは楽?でもなく腰に響くので要注意、健常のころとは大違いで恐る恐るの下山です。

入山時に山道に入ってすぐに神社への道を見つけたが、行きは見送った。下山時は立ち寄ってみることにした。神社についてみると町民に見放さた?のか草ぼうぼうの神社にだどりつきました。地図に天神様と書いてあるから菅原道真の系統かな?
ここの神様はきっとこんなお方かも。
( ^ω^)
お賽銭もあげずに早々に神社を辞して下山するとすぐに朝来た道に合流することが出来た。

13時30分、さて、登山終了です。ここから2kmくらいのところに日帰り温泉、花和楽の湯があります。PH10のアルカリ温泉で美肌の湯として有名です。(入館料:バスタオル・浴衣込¥1080)

事前に調べたところによれば館内施設の中には炭酸温泉もあるとか。炭酸はたぶん人工的に供給していると思うが炭酸は血流向上効果があるので腰痛に効きそうだ。

足取りは重いが急げ、急げ、温泉目指して。リハビリ後半戦じゃあ。喉も乾いたし館内でビールでも飲んで旨いものでも食おうとしよう。






***************************************
①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転、は禁止で行った場合、著作権法の違反となります。
読後の感想をコメントまたはメールしていただけると幸いです


2019年9月19日木曜日

19年度後期首都圏孔球親睦会のコンペ開催

8月のはじめに考えた。そろそろ我が首都圏孔球親睦会の後期大会の会場を押さえなければならない。

開催予定は9月中旬の土曜日、予算は1万円前後、さてどこにしようかといつもの通りPCでデーターを入力し希望のゴルフ場を検索する。①場所②日にち③昼食付き④予算上限、これだけの条件を入力すれば希望のゴルフ場を選別してくれる。まったく便利な世の中になったものである。

いつも利用しているお馴染みの格安ゴルフ場に混じって山爺の故郷、T市にあるTカントリーがヒットした。Tカントリー倶楽部はT県でも早期に開場した老舗ゴルフ場であり人気もあり土日のプレー費用は1万5千円はくだらないはずだ。

何かの間違いではと再確認するが間違いない。1万円をはるかに割り込んでいる。何でも早割サービスだとか、幸い2組連続枠がいっぱい空いている。これは予約しない手はないだろう。早速予約した。

いつも2組連続の会場選びは苦労するが今回はすんなり押さえることができた。しかも老舗で安い、言うことなしである。

Tカントリー倶楽部は昭和34年の開場でT県でも1・2番目に開場したゴルフ場である。山爺が小学校4~5年の時であろう。当時クラスメートとこんな会話をしていたことを覚えている。
『今度T市にゴルフ場というものが出来るそうだ』・・友人
『へ~どこに』・・山爺
『〇平山の遊覧道路沿いに出来る』
『ゴルフは金持ちのスポーツで家来に荷物持たせて威張ってプレーするんだぞ』
『だからお金が掛かる。俺たちみたいな者には絶対に出きっこない』

この友人はこんなことも予想した。
『このクラスの中で高校まで行けるのは1/3以下、大学にはそのまた10%』
当時1クラスは50人くらいだから高校へは15人くらいが進学、大学へは1~2人といった勘定だ。うん、確か、当時の世情はそんな雰囲気だったかも知れない。

この友人の予想は二つとも外れた。大学への進学率は言わずもがな、ゴルフは庶民でも楽しめるスポーツになった。しかしながら当時の考え方が今でも残っている事案もある。あのゴルフ利用税という嫌な税金だ。未だに為政者どもはゴルフを贅沢な遊びと決めつけて¥600も県税を取り続けている。

時代錯誤もはなはだしい。いい加減にしろ言いたい。・・・でも、山爺はこの度、年齢がアラ7を超えたので目出度くゴルフ税が免除になった。長生きをしていると良いこともあるようだ。御慶!

Tカントリー倶楽部は30数年前に1~2回プレーしたきりである。プレー日が待ち遠しい。・・・と、好事魔多し!、災難は8月12日突然やってきた。連日35℃超の猛暑が続いて散歩すら危険?で出来ないでいた。所在なく毎日ゴロゴロ寝転んでWOWOWで撮りだめした映画ばかり見ていたので筋肉が脆弱に成り下がったようだ。

固定電話が鳴ったのでそれを取ろうと寝っ転がった態勢から不用意起き上がったら古傷の右大殿筋がピリリときました。あ!やったかな?次の日から徐々に腰痛が発症しだした。

重いものを持って発症した訳ではないので最初は軽かった。安静にしていれば良いものをお盆の帰省やら都内に買い物やらで出かけ続けていたら、いよいよ悪化してとうとう杖がないと移動もままならない情けない体になってしまった。

9月を過ぎても一向に症状は良くならない。いつもは1~2週間で回復するのにどうなってしまったのだろうか?。30年来の行きつけの居酒屋も不義理しっぱなしだ。このまま、治らないのでは?大いなる不安がよぎる。まさか、ゴルフコンペの14日までには完治するんだろうなあ。

杖がなくても歩行に支障がなくなったのはゴルフコンペ4日前あたりであったが、無論クラブを持って素振りをすると腰がピリリとする。まいったなあ。山爺の体調が絶不調のままコンペ当日を迎えてしまった。

予定通り9月14日(土)第34回首都圏孔球親睦会ゴルフコンペの開催となった。場所はT市にあるTカントリー倶楽部 東コース9:13 9:20のスタートだ。

山爺はコンペ当日は全身補助具を装着して望んだ。

①両足にサポーター(左足打撲の古傷で踏ん張れない)②左肘にコルセット(去年7月からゴルフ肘で痛みが消えない)③腰周りに腰痛のコルセット

わしゃ、ロボコップか!!満身創痍で補助具だらけの出で立ちとなった。本当に老いるとは情けない。

昔のお笑い芸人のセリフではないが
『♫ 金も要らなきゃ  名誉もいらぬ  わたしゃ もう少し筋肉を!』
を切実に感じる。

参加者は8名、フルエントリーだ。第一組は関東東北部のHAさん、さいたま地区のYAさん、埼玉中央のTAさん、東京地区のIさんである。
第二組は埼玉中央地区のSEさん、ARさん、東京地区のKAさん、そして山爺だ。


今大会の特徴は会の親睦を深めようと個人的な知人同士を敢えて別々にしたことだ。

スタート時間が来たので東コースへ移動する。2ヶ月ぶりの会合で皆さん調整に余念がない。

東コース№1Hは452yPar5、いきなりのロングホールである。距離はあまりないが狭まそうで侮れない。

先発のオナーは最近めきめきと腕を上げてきたTAさん。振りかぶって打った打球は・・あららぁ!・・画像で見た感じはいいのだがねえ、チョロで飛距離50yくらいである。ご愁傷様。

ほかの方々も調子イマイチのショットでスタートして行きました。このロケーションではプレッシャーがかかるというもので、さもありなんです。

さて我々の番が回ってきました。くじ引きオナーで山爺の嫌いな一番くじを引いてしまいました。恐る恐る素振りをする。お?痛くないぞ。よしよし、軽めにスイングして打った打球は右方向に出て行ったが、まともに飛んだ。

2打地点に行ってみるとボールは右側斜面上のラフにあった。なんだこのラフの深さは!15cmはあろうか?半端じゃありません。

普通、ビジターを入れるゴルフ倶楽部や河川敷ゴルフ場ではボール探しなどでコース渋滞を避けるためラフといえども刈り込んでいる場合が多いのですが、ここTカントリー倶楽部は違いました。ラフの深さと言ったら尋常ではありません。まあ、山爺が若い頃は河川敷以外のゴルフ場はみんなこんなもんでしたがね。

9Wをチョイスして確実に前に運ぼうと打った打球はスイング方向とは違う左側に飛び出しました。草が間に入って打球の方向が狂うのです。

あららぁ、左側は防護ネットがあるものの、その上を超えそうな勢いでボールは飛んで行きました。南無三!OBか?ボールはスレスレでネットに当たってコース側にポトリ。やれやれ助かった。

またもや深いラフから打った打球は目標より右に飛び出して距離も稼げません。4打目で残り100y以上もある。ここは乗せなくちゃ、やや低めに出た打球ですが、一応グリーンを捉えて4オン・・・と思いきや無情にもボールはグリーンの奥へと消えてしまいました。

結局№1Hは6オン1パットのダブルボギー、まあ、スタート直後でロングホールだしダボなら上出来ですよ。

同伴者のKAさん、ARさんはトリプルボギーで大苦戦。SEさん一人が涼しい顔でボギーであがりました。

次のホールもダブルボギーでしたが、悲劇は3H目で早くもやって来ました。1打目を左の山の上に上げてしまいました。OBなら前進4打という救済措置がありますが、なまじセーフなだけに始末が悪い。不調の腰をかばいながらエッチらオッチら山登りを強いられます。

大股開きで打とうとするとその姿勢を保つだけで腰にびりびり来ました。2打目もチョロって深いラフ、3打目もラフから脱出出来ません。ラフ地獄に捕まってしまいました。上がってみれば6オン2パットの8打と大叩きです。

東コースは結局トリプルボギー以上を4つも叩いてしまいスコアーは57の体たらく。でも仕方がないや、無事回れただけでもありがたいことですよ。ショボ~ン ( ´•ω•` )

得意のパットも今日は屈んで構えると腰に来てしまうので、どうしても早打ちマックになってしまいます。19パットは山爺としては不本意です。(いつもは15~17パット)

前の組と昼食時に成績データー交換、皆さん深いラフに苦しめられているようでイマイチの成績でした。

成績は下表の通りで、さいたま地区のYAさんが優勝、スタートでチョロを演じた埼玉中央区のTAさんがしぶとく2位に食い込みました。

埼玉東北部のHAさんと山爺は114打と同数ながらハンディの差で山爺が最下位となってしまいHAさんにBB賞をさらわれてしまいました。山爺は前回大会に引き続き連続最下位です。(ヽ´ω`)トホホ・・ 仕方がないもんね。腰が痛いんだからして・・・ラウンド出来ただけでもゴルフの神様に感謝しなくっちゃ。


次回大会は12月7日(土)C県N市営G場ひばりコースです。ハンディも軽くなったし腰痛もそれまでには回復しているだろうから汚名返上じゃあ!!

【川柳】

・腰痛が ゴルフ不調の 言い訳に・・・・今日はどんなに悪い成績でもOK
・たかが草 一打ごとに いじめられ・・・ラフからラフへで抜け出せません
・スイングも はばかるほどに ギブスはめ・・膝・肘は許せるが腰はいけません

***************************************
①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転、は禁止で行った場合、著作権法の違反となります。
読後の感想をコメントまたはメールしていただけると幸いです