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2022年1月20日木曜日

ファンヒーターが壊れた (修理奮戦記)

 

毎日、寒い日が続いていますね。皆様には御健勝でお過ごしのことと存じます。

私といえば、こんな日は暖かい部屋で撮りだめのWOWOでも見るに限るとぐうたらを決め込んでおります。

そんなある日、ぐうたら生活の強い味方であるファンヒーターの調子が悪くなりスイッチを入れると着火後4~5分で消えるように・・・。
表示パネルにエラー内容が出ている。なになに換気不良だと・・・背後の送風ファンの網目を掃除機で清掃して再び運転するも換気不良のサインが出てまた消える。

何度か繰り返しているうち表示パネルにHHHの点滅が出て電源が入らなくなった。う~寒い。なにもこんな寒い日に壊れなくったって。えらい日にダメになったもんだ。

電子部品搭載の家電品が故障した時の初期対応、電源プラグを引き抜き再投入を試みる。

動いた。が、着火してしばらくすると同じ現象後また消える。何度か繰り返していたら電源が落ちて今度はプラグを抜こうが何をしようが電源が入らなくなった。

HHH点滅がせわしなくチカチカするだけ。ここにいたり、ようやく取扱い説明書を取り出しエラー原因をチェック・・って、見るのが遅い!!。


なになに、”さらに不完全燃焼防止装置が3回作動したので再点火防止機能が作動
処置方法:販売店にご相談” だってさ。

販売店に相談すれば修理に1万円くらいかかると言われるに決まっている。新しいものが買えてしまう。

おごれた今の我が国では、修理に出すより買い替えたほうが安い。なんとも理不尽な市場原理がまかり通る。動かなくなった家電品を見るや半可通の店員や店主の多くが2言目には『これは寿命です』と、したり顔で宣う。物に寿命なんてあるもんか。昔の親爺は壊れたらガムテープ貼ってでも何とかして治して使い続けたもんだ。

テレビ番組からして断捨離などと訳のわからん造語?で物をポンポン捨てることを美徳として報道するありさま。断捨離王!ただの浪費家じゃないのかね。

なんでも取っておく物持ちのよい親父は時代遅れの悪者扱いだ。いつから日本はこんな嫌な国になったのだろう。かくて、日本は粗大ゴミの宝庫になるのである。

あ~ぁ、言いたいこと言ったら少しスッキリした。話を元に戻そう。

ロック前の状態では送風ファンはきちんと回っているし燃焼炎は青色がかったピンク色、断じて不完全燃焼ではない。故障の原因は燃焼状態の監視機能であるフレームロッド(金属の感知棒)に異物が付着して誤作動したに違いない。

前の機種もこんな現象が起きて分解し燃焼部のロッドを磨いて復旧させた経験があるので、山爺は今回も同じ現象だと思ったのである。

前回の故障の原因は娘達がストーブの前でヘアースプレーを多用(そりゃあ寒い時は暖かいストーブの前でおしゃれもしたくなるから仕方がない)スプレー中に含まれるシリコンが送風ファンから侵入しロッドに付着したものだった。・・・取説をよく読むと本機の前でシリコン化粧品は使うなと書いてある、あはは。

これに懲りたのでストーブ前での化粧品の使用は我が家では厳禁とした。さて、今回は何が付着したのだろうか。空気中に漂うホコリの大半は繊維くずなどの可燃性物質だから付着するはずはない。ここは、ネットに頼ろう。検索した結果、洗濯物の室内干しが怪しいことが判明。

冬のベランダは寒いし、風も強いので洗濯物の乾燥は重労働だ。ゆえにファンヒーターの回っている暖かい居間は格好の乾燥場所と化す。時として洗濯するときに柔軟剤というものを入れるが柔軟剤にはシリコン成分が含まれているようだ。これが乾燥する時に空気中に漂いだすらしい。なるほど、これがフレームロッドに付着したのか。

前の機種なら電源ロック機能がなかったので分解して何度も磨いて使い続けることが出来たのだが、今度の機種は素人がむやみに分解し手直し出来ないように電源そのものを落としてロックしてしまう。こうなると正しい知識を持っている器用な人でも修理できなくなる。

こうなると素人はお手上げだ。かくて、廃棄処分を決断、いたずらに粗大ゴミを増やすことになるのだ。

故障じゃなく検知機能が稚拙でそれによる誤作動により捨てられる家電品、メーカーさん何とか見直し出来ないものかね。シリコン成分を使うなと取説に書きゃいいと言うもんでもなかろう。ちまたにはシリコンが含まれた市販品がごまんとあるのだから。

工業用燃焼機器や火災報知設備に光学的に燃焼状態を監視するウルトラビジョン(フレームアイ)なるものもあるがそれ採用したら製品単価が跳ね上がるしねえ。

通勤等で寒い朝に起きるときなど即暖性に優れたファンヒーターは重宝だ。これがエアコンだと朝起きてスイッチを入れても、部屋が暖まる頃には家を出る時間になってしまう。第一エアコンは頭の上ばかり暖かくなり山爺のように寝転がり体勢では暖気が降りてこず暖を取れない。(起きりゃあいいだろうってか、それができないから往生してます)

仕方ないから新しくファンヒーターを買いに行こうと家族で相談する。・・・しかし製品自体はなんともないのになあ、と未練も残る。

まてよ?メーカーで修理するにしても解析に際しまず電源ロックを解除するだろうに?、絶対に製品に隠し解除機能を持たせているはずだ。と山爺が思いついた。

【山爺の一言メモ】

家電品などに使われる電子機器はその性能をチェックするため製品操作とは関係のない機能検査回路が組み込んであります。また昨今の家電品は製品異常が起きたとき保護のためいち早く電子回路で運転ロックする機能を有したものが多いです。その場合、消費者には簡単に解除できないように秘密の解除回路が組んであることが多いのです。製品操作に影響のないボタン同士を長押しさせてエラーを解除させるようになってます。たとえば運転ボタンと停止ボタンを同時に長押しするとか。

パソコンを立ち上げ『〇〇のファンヒーターHHHロックの解除方法』と打ち込んで検索してみた。驚いた。出るは、出るは、何10件もヒットした。ご丁寧にYouTubeに動画まで沢山投稿している。それだけこの製品はトラブルが多いということか。

長々と前置きを書きました。では、復旧の手順をご紹介します。

分解前に燃料タンクは外しておきます。

また電源プラグも抜きましょう。






本体下部にあるネジ2箇所を緩めます。ネジは無くさないように皿状の入れ物に入れておく。



下部を手前に引きながら上に持ち上げると上部の爪が外れてパネルを外すことができます。




燃焼部のカバーを外します。
鋭利な金属部が出てくるので薄い綿手袋など着用したほうが良いでしょう。(親指と人差し指先端は切っておく)

軍手はケバが立って内部に引っ掛けケバを起こしやすいので使わないこと。(ケバが燃えると思わぬ事態になりまっせい)
爪2箇所、ネジ2箇所を緩めます。
爪部はマイナスドライバー、カッターナイフの刃先などで爪をゆっくり起こしてから指でさらに曲げるとよい。
カバー下部を手前に引きながら上に押し上げてゆっくり外します。外しにくいですが落ち着いて丁寧に扱ってください。

外すとき鋭利部分で配線や燃焼部品に当てないように・・ましてや指など切らないように慎重に。
左図が製品の心臓部、燃焼室です。

右にあるのが燃焼状態を監視するフレームロッド。

左にあるのは着火装置です。ガスコンロなどの着火時にパチパチ放電させるあれです。
内部清掃・電極磨きを行いますが、その前に燃焼バーナー内部に異物が入らないようにテープ等で塞いでおきましょう。

粘着力の弱いマスキングテープがよいです。

ガムテープ・セロテープなど接着力の強力な物は粘着物が残る恐れがあるので使わない。

どうしても使いたい人は紙などでバーナー穴を覆い周辺をテープで止めるようにする。

#800~#1200くらいの細かいサンドペーパーで電極を軽く丁寧に磨きます。

白い異物がなくなり金属部が出てるまで磨いてください。

この時、力を入れて電極を変形させないように注意をする。電極が変形して位置が変わると性能に影響が出てしまいます。


磨き終わったら濡れティッシュなどで燃焼室内を綺麗に拭き取ります。

磨きクズなどを絶対に残さないように。

清掃が終わったらマスキングテープを取り外します。
剥がしたテープの糊部分で燃焼バーナーをちょんちょん叩いて清掃。
燃焼室内に異物がないことを確認してから燃焼カバーを取り付ける。

燃焼カバーを取り付けたら、ネジで固定する前に上部まで手を入れて確実に取り付いていることを確認する。軽く叩いて音を聴いたりするのも確認の一つの手段です。

正しく取り付いていなく隙間があると燃焼空気が製品内に漏れて大変なことになると思うよ。(^ω^)

きちんと取り付いていることを確認したらネジ締め、爪を指で押し曲げる。

  HHH表示の解除
・電源プラグをコンセントにつなぐ
・基盤右上にある白いボタン①と操作パネルの温度調節+-ボタンのマイナス(-)②を同時に長押し3~4秒?する。
・ピッと鳴り、--- 表示に変わる。

こうなれば解除成功です。

燃料タンクを元に戻して外カバーを外したまま燃焼試験をします。



電源スイッチON

・着火したら炎の色を確認
青く赤みのある短い炎なら正常燃焼
・フレームロッドが赤熱していることを確認
(真っ赤になっていることを確認)

左画像のような状態なら復旧成功です。




外カバーを取り付けて完了です。

我が家に暖かい空間が戻りました。
ぐうたら生活続行です。目出度し・目出度し。

分解・手入れは自己責任でお願いします。

本ブログを参考にして実践して結果がどうなろうと当方には何の責任もございません。

全てはあなたの腕次第です。

【山爺の一言メモ】

不完全燃焼の検知装置が意外と簡単なものであることに驚かれたのではないでしょうか。
なぜ針金1本で検知できるのか。

フレームロッド
炎の電気抵抗値の変化を利用した方法であり、炎の中に存在するイオンの作用により一方にしか電流を流さない性質を利用した検出器。

室内の酸素が少なくなって不完全燃焼になると炎は長く伸びるのだそうです。したがって炎が検知棒の中心から外れ燃焼温度が微妙に変わる。その変化を捉えて燃料を遮断させるのです。ためになりましたねえ。

【川柳】
・いたずらに 電子ロックで 粗大ゴミ
・杵柄で ヒータ直し 悦に入り
・断捨離の 陰で泣かさる 焼却場
・番組の 断捨離トレーナー 断捨離に

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①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転載は禁止で、行った場合、著作権法の違反となります。

読後の感想をコメントまたはメールしていただけると幸いです。








2021年12月12日日曜日

21年度首都圏孔球親睦会最終戦

 12月5日(日)に、わが首都圏孔球親睦会が催行の運びとなった。21年度の〆の最終戦だ。本会の開催も42回の長期に渡っている。ひとえに会員各位様の尽力の賜物と感謝、感謝の一語に尽きます。

会場は野田市パブリックG場ひばりコースだ。フルメンバー参加を期待して3組を予約したが所用その他でキャンセルもあり


9名がエントリーとギリギリ3組を維持する結果となった。


当日の天気は小春日和で無風快晴、絶好の大会日和となった。
寒さを想定して準備した山爺の自慢の電気ベストも電源オフに終始、嬉しい誤算となった。

選手諸兄、我こそは優勝とパター・素振りの練習に余念がない。

今日のスタートはOUT9:22からだ。

先発組は東京地区のKAさん、埼玉県南地区Iさん、埼玉中央地区SEさんだ。

次発がさいたま地区のKOさん、埼玉東北地区のHAさん。埼玉中央東部のSUさん、SUさんは初参加なのでハンデなし、今大会の目玉的存在だ。

最終組が埼玉中央地区のTAさん、さいたま地区YAさん、そして山爺。

今日はOUTスタート №1h 170yPar3 長い距離のショートからだ。体のほぐれる前でもあり1オンが至難の技?

案の定、先行の2組はいずれも1オンした者はいないようだ。ははは、下手くそどもめ。

さて、山爺達のスタート時間がやって来た。山爺はくじで三番手、選択クラブに迷う。3Wか、いやいや引っ掛けるとOBゾーンが待っている。無難に5Wか・・・え~い男だ!3Wをチョイス。打った打球は、あちゃあ、ダフリ気味でぜんぜん届かず。2打目はグリーン左隅ラフに着地。パターで寄せてチップインを狙うもまたもやダフリ、・・・って、おいおいパターでダフるかね?

結果は3オン3パットのトリプルスタートだ。早くも暗雲が・・・・

続く№2h316yPar 4 距離は短いが左右に林が待ち受ける。左に落とすのは2打目、林がブラインドになるので避けたい。右目に狙いを決めて打ちました。右に打ちすぎました。1ペナルティーゾーンまで飛んでいってしまいました。

4オン+ペナルティーで5オン、オンしてもピンは遠い、3パットしたらダブルパーになってしまう。いやな予感の中、それでもグリーンを読んでパッティング。すると、どうでしょう、するするとラインに乗ったボールがカップイン、竿1(1ピンパット)で賞品ゲット、ダブルボギーで切り抜けた。

次はPar5 493y、やっと5オン、またまたカップは遠い。3パットするとお鳥さま(トリプルボギー)が待っている。しかし、またもや奇跡が起きました。しっかりグリーンを読んで打った打球はラインに乗ってカップに吸い込まれました。連続竿1で早くも賞品2個獲得です。ロングをボギーでホールアウト。ははは、絶好調だわい。

その後もボギー・ダボと無難に周り、52でホールアウト。天気が良いと気分も好調だ。

名物のB級グルメを食すべくコンテナ売店へ、お目当ての焼きそばが見当たらないのは残念だがお稲荷さんと梅握りを購入し素早く腹に流し込んでINコースへと向かう。(当野田パブリックひばりコースはスルー(連続18hを回る)なのです。)

第42回大会の成績は以下のとおりですが、下馬評通り初参加のSUさんが後半49をマークし優勝しました。


山爺は後半も竿1パット(1ピンパット)を2回達成、53で回り4位に食い込み賞品も4個ゲットました。目出度し目出度し。

さて、これまでハンディは1位と最下位のみ見直してまいりましたが、より公平を期する意味で次回からは2位・BBについてもこれを見直し、より楽しいコンペを目指します。ご期待下さい。

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2021年11月5日金曜日

キャンプ登山に挑戦するも・・・

価格が四千円と廉価だからとは言え性懲りもなくソロテントを衝動買いしてしまった。さてどこに行こうかなあと山地図を引っ張り出して候補地をさがしている。

条件としては公共の交通機関を利用して登山口から徒歩で2時間圏内、それ以上だと重い荷物を背負っての行動は古希もとうに過ぎた身の上とて体が悲鳴を上げる。

大菩薩嶺登山はどうだろうか。最も近い登山口である上日川峠からテントサイトがある福ちゃん荘まで1時間未満で歩けそうだ。上日川峠までのバス便は普段は土日のみだが紅葉時期は平日も臨時バス便が出ているようだ、結構、結構。

アウトドアーレジャーの中でもゴルフとキャンプに関しては、コロナの密に当たらないと勝手に思っている諸兄が大勢いるせいか、いずれも盛況だ。

ヒロシのボッチキャンプというBSの番組が隠れた人気でキャンプ人気をさらに煽っているようだ。

そのお陰なのかキャンプ場も強気の値段設定で値上がりムード、幕営料¥2000~¥3000なんて所もザラ、なんと高いことか。地べた借りるだけですよ、トイレなんて汚くてひどいもんです。あと¥1000も追加すれば素泊まり民宿や温泉宿に泊まれてしまう価格設定だ。確かに運営費÷顧客数で割るとそんな数字になるのだろうけれど、値頃感ゼロ、なんか理解に苦しむ価格設定である。

さて福ちゃん荘の幕営料はとみると¥400!安っ、ここに決めた。

10月中旬以降、日夜天気予報とにらめっこしているが台風が来たりして、さっぱり天気がよくない。かつて晴れの特異日とされた10月10日も今は通用しなくなった。これも温暖化による影響なのだろうか。

様子見していたら10月も中旬になってしまった。もたもたしていると寒くなってしまう。10月21日が晴れ、翌日は曇りの予報を得た。もう待てない。出かけよう。出発4~5日前より荷造りを始めた。

山小屋泊まりの登山と違いテント泊は自己完結装備が必要だ。テントやら照明、寝袋、マットなど余計なものが増えてしまう。あれやこれや放り込みザック重量を測ってみると9kgだ。これに食料を加えると2k増量で間違いなく10k超えになる。食料は手持ちで行くとしてザック重量を8k以下にしたい。


これいらない、あれもやめたと、減量に苦慮しているとまたまた天気予報が・・なになに、
気圧配置が冬型になるだとう。

当日の甲府の最低気温8℃の予報だ。福ちゃん荘の幕営地は標高1700mのところにある。

1700mー300m(甲府標高)×ー0.6℃=ー8.4℃ 幕営地は氷点下になっちまう。ひええ。装備見直し!、セーター、下着、カイロ、エアーマット、もろもろ追加してパッキングしたら総重量が11kになってしまった。これにカメラ2台を乗せると11.5kgだ、ふええ。

時間切れ、これで行くしかなくなった。重い荷物を背負い早朝に家を出る。武蔵野線で西国分寺に出て豊田駅で一旦下車、この駅から甲府行の始発電車が出る。それに乗り換えて一路登山バスの出ている甲斐大和駅へ・・・

順調に乗り継いで定刻通り甲斐大和駅9時27到着し9時50分の臨時バスに無事乗ることが出来た。10時30分プラン通りに上日川峠に降り立った。同乗の皆さんは日帰りなので軽装だ。重いのを背負っているのは山爺だけ。

ベンチに座り水分補給しながらしばし休憩。さて幕営地まで出発。重いなあ、荷物がズシッと腰にくる。この重さのためこの後に起きる悲劇に山爺はこの時点では気がつかない。

ハイカーの皆さんはここから山道を福ちゃん荘へ向かうが、山爺は歩きやすい林道(車通行可)を選んでのしのしと歩き始める。周りの木々はまだ緑色で紅葉には少し早かったかなあ。

順調に歩を進め12時前には福ちゃん荘に着いた。早速受付に向かう。ぶっきらぼうな親父が応対。小紙片に住所・電話・目的地・下山日を書かされる。なるほど登山届を兼ねているんだな、と納得。

横で受付表に諸事を記入をしているとカップルのハイカーと店の親父の面白い会話が耳に入った。ハイカーが、なにやら3個入り¥600のおにぎり弁当について件のぶっきら親父に質問している。

ハイカー『あのぉ このお弁当4個入りに出来ませんか』・・・二人で分けるつもりだろか?。
・・・そりゃ無理だろう、もう作り貯めしているだろうし・・(山爺)

親父『出来ません、3個入り買って!』・・・と手短か、かつ横柄な返答、へえ~よく商売になるなあ、ここだから通用する言い草で普通の商店街では即廃業だな・・・(山爺)

¥600のおにぎり弁当は梅干が入った3個入り沢庵付きだ。山中でこの値段は仕方がないだろう。聞く方も聞くほうだなあ。弁当2つ買ってあんたが2個食って旦那?に4個喰わせりゃいいだろうに、あるいは一つの弁当で仲良く1個半づつで我慢せいや・・・(山爺)

さて、受付も済んだのでテントを張って昼飯だ。テントサイトに行くとテントが2張りだけだ。おお、空いてるなあ。アウトドアーは、やはり平日に限ります。

大きな木の下が雨もしのげて幕営には好条件の場所です。すでに1張りテントがあるが、そこにテントを張ることにする。


テントを張っていると近くの茂みでガサゴソ音がする。ん、熊か?なんと親子連れの鹿が現れました。全然人を恐れない様子で悠々と草を食ってます。

設営も済んだので水を手に入れよう。1.5Lの容器を携え水場へ、水場はテント場のすぐ上にあり遠くまで汲みに行く必要がない。楽ちんだ。(山岳テント場の場合水場まで往復30分なんてところも多々ある)

昼食はバターロールと、ミルクセーキ、余興にガスコンロに網をのせ焼き餅に初トライしてみたが全然焼けず焦げるだけ、少しづつ、かじって食う羽目に・・バターロールも焼いてみたが、網にパンが食っ付いて持ち上がってしまい、それが剥がれた拍子に網が山爺の右手の上へ、アチチ・・指先が網目状のやけど模様になってしまいました。

腹も膨れ、人心地ついたら眠くなってきた。ちょっと昼寝しよう。実は夕べほとんど寝てないのです。(興奮して寝られなかった。いい歳をして子供の遠足じゃあるまいし)

しかしよく見ると山爺のテント小っさ。軽量設計でポールが1本タイプなので貧弱なのは仕方がないのです。(一般の自立型テントは十文字に2本ポールが入ります・・丈夫だがその分重量が増す)

夕方近くに夫婦らしきカップルがやって来て手馴れた様子であっという間にテント1張り設営。今日は都合4張りだけという贅沢な幕営状況です。

さて明るいうちに夕食の準備だ。福ちゃん荘が閉まる前にビールも買っておこう。¥450、1本購入、山小屋より少し安いが車で運べるにしては高いか。

夕食はドライフードのピラフと茄子の煮浸し、ソーセージのソース炒めを作る。作るったってソーセージ輪切りにして鍋に入れソースをぶっかけ火を通すだけ、ピラフはお湯を入れて15分待つだけですが、これが結構うまい。

夜も更けてきたので、といってもまだ夜7時30分、山小屋閉まっちゃったのでビールも買えないし、めちゃ寒いので寝るとするか。気温は3℃です。

右画像は我がテント内です。去年買ったテントより居住スペースは広いです。広いをいいことに中は散らかし放題。

ちらかしたまま寝たので夜間トイレに起きるたびライトが見つからず往生しましした。どこでも整理整頓は必要ですなあ。

夜10時、11時が過ぎても寒くてなかなか寝付かれません。外気温は1℃、テント内は7.5℃とやや暖かい?のですが地べたから冷気が上がってきます。

最初は下着姿で寝袋に潜り込みましたが結局、寒さに耐えられず寝られません。ダウンまで着込んでカイロ2枚も体に巻きつけようやくウトウト・・時折女の悲鳴・・じゃなくて牡鹿の嘶きでウトウトと、眠たところを邪魔されます。寒さと鹿の悲鳴で今夜もほとんど寝られませんでした。夜中にトイレに行こうと起き上がったとたん腰にズキンと激痛が・・あちゃあ持病の腰痛が襲います。

朝5時にトイレ起床しするとまたまた腰に激痛が、激痛に耐えながら外を見ると夫婦キャンパーは既に起きておりテント撤収中、あっという間に撤収完了していなくなりました。へえ、手馴れたもんだ。山爺は撤収にゆうに小一時間かかりますわ。それにしてもこんなに早く何処に向かうのかなあ。

さて6時に改めて起きてみるとあたり一面ガス(霧)で雨もぱらついている。腰痛がひどくて行動する気が起きません。そんな訳でテントに再び潜り込み1寝入り。

7時に改めて起きて猛烈な腰の痛みに耐えながら朝食準備、朝食はドライ白米でお茶漬け、ミニラーメンを作る。福ちゃん荘は静まり返っております。

8時、テントはそのままで(ここのテント場のチェックアウトは曖昧で決まっていないようです・・12時過ぎにテント撤収でもOKでした)痛い腰を気遣いながらサブザックに雨具、軽食、を放り込み首にカメラぶら下げ大菩薩峠に向かう。天候は濃霧で時折小雨がぱらつく最悪の状況です。

歩き始めは猛烈に腰が痛いが歩き続けると麻痺してくるのか、あるいは脳内麻薬が出るのか痛みが消える。

登山者の多くは林道を毛嫌いし山道を歩くのが常なのですが今日は山小屋が荷揚げに利用する林道を歩く。軽トラが通れる林道は起伏が少ないので歩きやすいのです。

立ち止まって息を整えるため小休止すると、歩き始めがズキンと腰にくる。まいったなあ、コロナ渦ですっかり腰が弱ってザックの重量に負けたようです。無事に家に帰れるだろうか、先行き不安。

それでも1時間も歩き続けたら霧の中に介山荘が見えてきました。大菩薩峠に到着です。介山荘には誰もいません。

店も開いてはいるようですが節電のためか中は消灯。昨日のハイカーたちの混雑が嘘のようです。

さて、現地到達の証拠写真を撮影しよう。

霧で視界は10mもないようです。あたりは真っ白で何も見えません。


五里霧中を地で行く世界に入り込んでしまいました。

おまけに寒いのなんのって。こんな天候の時、軽装備で道に迷い進退極まったら一巻の終わりだろうなあ・・が実感で伝わります。

軽装で行けるところまで行こう的な考えがいかに危険かよくわかります。

私のミニザック内には本格雨具上下と万が一のためアルミシートで出来たレスキュー袋、携帯ライトが入ってます。

それにしても天候が回復する兆しはありません。

とりあえず賽の河原にある避難小屋まで行ってみようと思いましたが腰は痛いは、霧は深いは、寒いは、コンデション最悪です。

だめだこりゃ、去年の那須登山に続いて悪天候のため引き返しです。

晴れたらこんな眺望が得られるというのに、最近木花開耶姫に嫌われ通しです。わし、最近なんか嫌われるようなことしたかなあ。(上のガスっているところが晴れると左画像のような景色が見えます)

下り道は普段は楽ですが、今日は違います。腰に体重が掛かるためちょいと重心が外れると痛みが起きます。

そろり、そろりとすり足忍者のような格好で下山して行きます。誰もいなくてよかった。こんな格好の登山者は本来いません。小雨降る中、11時ころ福ちゃん荘のテント場に戻ってきました。登山靴のままテント内に倒れこみました。

いつの間にか寝てしまったようです。気が付くと12時近く、上日川峠のバスの時間は2時です。うわあ、のんびり昼食を食べてる暇がなくなりました。外は雨、雨の中のテント撤収など初めてです。どうやってテント撤収しようかなあ。結局、テント内で装備や残りの食料をザックに全て詰め込み、最後にテントを畳んで手持ちの手提げ袋に押し込んだ。

痛みを堪えて、えいやあ、と重いザックを担ぐ。山爺が陣取った幕営地は木の下の一等地。山爺が撤収完了したとたん側に設営していたカップル達が自分のテントをひょいとつまんで移動して私の跡地に収まった。あらら、山爺が寝ている間、近くで待っていたんだなあ。この爺いめ早く起きろと心で叫んでいたにちがいない。悪いことしたなあ。

重いザックを担いでとぼとぼ霧の林道をひたすら歩き続け、なんとか2時のバスに間に合うことができました。


無事に家にたどり着けますようにと神仏に祈願しつつ、電車乗り継いでなんとか家までたどり着きました。

さて、翌朝から数日間は猛烈な腰の痛みで寝返りも打てません。咽頭炎を患って以来突然でる咳が大敵で咳込たびに猛烈な激痛が腰に・・・その時は誇張ではなく目がくらみます。

なんとか腰痛が和らいで普通の生活が戻ってきたのは11月に入ってからでした。もう、山は引退かなあ、

しょぼん (´д`)

【川柳】

・年寄りの 冷や水たたる ソロキャンプ

・年を知れ 重荷たたるや ソロキャンプ

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