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2019年11月24日日曜日

日だまりハイク(足利の遺跡探訪)

8月中旬に発症した腰痛が9月に和らいできたので低山歩きを再開したのも束の間、10月に関東地方を襲った19号台風により関東・東北の多くの河川が決壊や溢水するという大災害が発生してしまった。

これにより関東一円の山へ向かう交通機関はずたずたになり密かに計画していた山歩きを実行する気が失せた。・・・八ヶ岳・笠取山・八海山・木曽駒ケ岳・七ツ石山・会津駒ケ岳など、行きたい場所ならたくさんあり計画書も作成済みだ。

近年、真夏は命に関わる猛暑が襲うようになってきたのでこの季節での山歩きは自粛、そんなこんなで山爺にとっては9月末から10月は山歩きには絶好のシーズンなのであるが未曾有の大災害の影響で今年は行けそうもない。山爺は好齢の身の上、来年の体のコンデションが読めない。後がなくなってきた。・・・困った~ぁ、困った。(大滝秀治の声色で)

散歩はたまにするが平坦地の歩行ではぜんぜん筋力鍛錬には繋がらない。坂道を日頃から歩かなければ息が上がってしまうのである。最近体力がめっきり落ちてくるのを実感している。


はや、11月も半ば近く、さてどこに行こうか?。

以前から気になっていた山がある。東武足利市駅のそばに100mくらいの浅間山という小山があるのである。山頂には城址もあるようだ。この城址は以前登った足利の両崖山にあった長尾氏の足利城の出城のようである。

また付近には八幡山古墳群もあるようなので史跡満載、ここを散歩してみよう。
(下画像の山塊が浅間山で左端ビル群に東武足利市駅がある)

11月16日(土)好天に誘われて早朝最寄駅から足利市駅に向かう。30分足らずで駅に着いた。本当に足利は我が家から近くて良い地域だ。

市内にはリーズナブルなスパ銭湯もあるので山歩きには絶好の場所なのだ。当然、帰りはスパ銭湯に立ち寄るつもりだ。


駅の改札を出て驚いた。いつもは土日の早朝に降りる客はまばらで山爺だけなんて日もあるのだが、人がわんさか、居るではないか。『無料バスの乗車する方は列にお並びください』なんて殺気立ったアナウンスも・・・ん、ん何なんだこの賑わいは。


なんと今日・明日(11/16~17 )は足利の郊外にあるココファームワイナリーの収穫祭なんだそうです。

それにしてもすごい賑わいだなあ。一瞬、山歩きやめて列に並んで収穫祭に行ってみようかと思ったくらいです
( ^ω^) 毎年11月の第三曜日に開催するみたいですよ。

駅前の喧騒を抜けて渡良瀬川の土手に上がり信号を渡って森高千里さんのご当地ソングで有名な渡良瀬橋方面へと向かう。正面に小山が見えてきた。女浅間山だ。標高は30mくらいだろうか。信号を渡ると山道(石段)が見えたので登りだす。


傍らに高札があった。この神社は6月1日にぺたんこ祭りというものが催され賑わうらしい。赤ちゃんの初参りの時におでこにご朱印を押してもらい無病息災を願うとか。

10分くらいで神社のある山頂へ着いた。こんな山登りなら楽ちんだ。

この神社は富士浅間神社の系統なのでご祭神は木花開耶姫だ。お参りをすませてぐるり一回りして下山する。

次は男浅間山を目指す。男浅間山は標高106m、20分もすれば登頂出来る、楽勝だなあ。

広い道路を道なりに歩き東武線の陸橋をくぐるとすぐに表参道に到着した。傍らにこの山塊の概念図があるので今日のルートを再確認する。

 なだらかな道を息が上がらないようにゆっくりと歩く。

10分も歩くと眼下に
足利市駅や渡良瀬橋が見え、駅の方から列車の着メロに使われた森高千里さんの渡良瀬橋のメロディーが流れてくる。

良い眺めだ。なぜ人間は高いところからの眺望に感動するの
だろう。

以前なにかの山のエッセイで読んだが人類が類人猿から袂を分かちジャングルから平原に降りた。・・山爺の私見ですが人類は頭でっかちで運動神経が鈍い。したがってすばしっこくて腕力のある猿どもに縄張りを追い出され、仕方なく平原に降りたと思ってますが・・・(^。^)

平原はライオンやらの捕食動物がウヨウヨ、足の遅い人間は襲われたらひとたまりもない。用心だけが身を守る術だ。視界を確保するため、まずは2本足歩行へと進化した。

それでも十分に視界を得ることができなかったので事あるごとに高いところに登り周囲を見渡して安全を確保した。つまり高いところの眺めは人にとって本能的に安心するのだそうです。


そうだったのか。だから山爺は山に登るんだ。本能じゃあ、しようがない。納得、納得。

20分ほどで山頂に着きました。祠があります。先程登った女浅間山の神社の方がはるかに立派です。やはり浅間様は女上位のようだ。



06mの低山なれど周りに遮るものがないので眺めは抜群です。

朝、コンビニで買い求めた大福をほおばりながら休憩をする。うまいなあ、どおしてお日様の下で食うと何でもうまいんだろう。山爺至福の時です。


と、高齢とおぼしきお二人が登って来ました。二人共、空身である。地元の人だろう。『こんにちはどちらから?』と聞かれたので『〇〇からです』と答えた。
『私の家はあの川の向こうのあの屋根の先です』そして年齢が80歳だとも教えてくれた。さらに相方を指して、この人は90歳だとも紹介。相手が年齢を明かしたので山爺も70歳になりました。もう身体がしんどいですねと答えると
『なにを言いますか、70歳なんて私からみればひよっこの若造ですよ』・・ありがたいお言葉をいただきました。

80歳と90歳でシャキっとして毎日のように100mの山を登り降りしている。山爺もかく有りたいと胆に銘じた。

爺様たちに別れを告げて富士山城址と胎内洞窟へ向かう。後で調べて知ったのだが今いる山頂も含めこの浅間山全体が足利長尾氏の出城なんだそうです。本城は去年登った両崖山がそうです。

【山爺の一言メモ】

両崖山城と足利長尾氏

両崖山(251m)は織姫神社の奥にある山で佐野の藤原秀衡の子孫の成行が築城して130年間治めた。その後一旦廃城となり1466年山内上杉氏の代官長尾景人が入部して築城した。4~5代は上杉謙信側についたが1585年の顕長の代に北条氏に下った。そのため1590年の豊臣秀吉による北条攻めのおりは北条側に与し敗北、長尾氏は滅亡、両崖山城は廃城となった。


まずは、富士山城址へ登ってみよう。浅間山頂から5分も下ると右は南参道、左は富士山城と胎内洞窟と標識が出ているので富士山城跡へと向かう。

5分も登ると富士城址に到達。出城だけに防御は甘い。

空堀も障子堀の痕跡もない。これでは大群に囲まれたらあっという間に落城だなあ。

こういう出城に派遣された兵隊は気の毒というほかはない。一旦事が起きればあっという間に全滅だろう。


障子堀とは右画像のような作りの畝で北条氏が考案したそうで小田原城の支城のあちこちにその遺構が見られるそうです。いずれ見学に行こうと思ってます。
実際、兵隊がここを歩かされたらたまりませんなあ。同一方向へしか動けないから鉄砲や弓矢の格好の餌食になってしまいます。

底には念入りにトゲトゲの杭が打ってあったりしたそうで落ちたら串刺し。

人間はよくもまあ、こういった殺人の知恵を思いつくものである。業の深さに呆れかえる。





城址山頂は小さな祠があるだけ、強者どもが夢の跡である。


 ついで胎内洞窟へ、この山のご祭神、木花開耶姫が修行をした場所とされているようだが怪しい伝承だ。

洞内には学問の仏様である文殊菩薩が祀られています。

さて時間がなくなるので先を急ごう。南参道という標識にしたがって下山すると5分くらいで車道に出る。

反対側は坊主山と呼ばれた砦
の一つだ。登ってみたいが笹薮で道が見つからない。

一箇所それらしき踏み跡があったが相当の藪こぎを強いられそうなので諦めた。
車道を右にとってどんどん降りてゆくと5分くらいで家並みが出てくる。

山裾沿いを左に曲がると車道に出る。正面の小山が八幡山のようだ。車道を横切り再び山道へ。寒椿がきれいに咲いている中をゆっくりと登りだす。


10分もすると山頂らしきものに着いた。小さな祠があるだけでさっぱり古墳跡らしきものが見当たらない。反対側に下山しウロウロするも古墳痕跡はない。

だだっ広い八幡山の山内を彷徨していると空身のおじさんが歩いていた。

『すいません、古墳の遺跡はどの辺に?』
『この辺一体が古墳らしいですよ』
よく目をこらして周囲を見渡すと要所要所がこんもりと不自然に盛り上がっている。なるほど、あれが古墳なのか。

八幡山全体に小さな古墳が点在する。ここは古墳の集合住宅のようです。

おそらく調査したあとは悪ガキどもの安全を確保するため埋め戻しをするみたいです。

古墳群に納得したので下山して再び浅間山へと山道を戻る。

坊主山を右に見送りながら車道を真っ直ぐに進むと八雲神社に降りられます。このあとは今日のもうひとつの山塊であるJR足利駅の先にある助戸地区にある東山ハイキングコースを訪ねます。

ここから東山までは小一時間かかりそうなのでここ八雲神社の境内をお借りして早めの昼食を摂ります。

定番のサンドイッチ・おにぎりをほおばりながらカフエオーレを喉に流す。

人っ子一人もいなくて聞こえるのは風の音だけ。このまま昼寝をしたいくらいにのんびりした里山風景を満喫します。

腹ごしらえも完了したので一旦足利市駅に戻り中橋を渡って右に折れ土手沿いを田中橋方面へと歩く。先ほど登った浅間山の山塊がよく見える。


田中橋の先を左に取ると足利駅の南口に着きます。その先のトンネルをくぐって足利市のど真ん中をしばし歩いていたら向こうから猫ちゃんが歩いてくる。

声をかけると山爺の方へトコトコ歩いてきて股の間に入りスリスリ。人なれた猫だなあ、飼い猫かな、それにしては毛並みが悪い。野良のようだ。餌のおねだりかなあ?。あいにく猫の餌の持ち合わせがない。離れようとするとついてくる。

困ったなあ。早足で離れると恨めしそうにトコトコ去っていった。
ごめんな猫ちゃん。里山や観光地を歩いているとよく猫たち
に遭遇する。

今度から猫餌持参で歩かなければいかんのかなあ。

街中を歩いているとこんなレトロな自動販売機を見つけた。コイン投入すると動き出しヒットの種類で本数が決まるのかな?ホームランなら4本出るとか?まさかねえ。値段は¥100、当然、壊れています。


東小学校を右に見ながらさらに進むと登山口があります。

案内板でルートを確かめて登り出します。

竹林があり小山とは思えない静けさのなかゆっくりと登り出します。傍らになにやら”あいだみつお”みたいな文字の掲示物が並んでいます。

どれどれ、
『戻ることのない時間。今をもっと大切に』・『この世の中で無駄な人など誰もいないあなたの命がその証』・・楽山、楽山って誰だ?。


含蓄のある言葉がずらりとならんでいます。

山爺にとって『戻ることのない時間、今をもっと大切に』は心にしみるお言葉です。


含蓄のあるお言葉を読みながらあるいていたらあっという間に尾根道に出ました。立派な神社が建っています。


東側に展望が開けており、低山と言えどなかなかの眺望が得られます。



 傍らには猪注意の看板も、足利地区はクマ注意よりも猪注意の看板の方が断然多い。それだけ切実な現実があるというこ
とか。・・気をつけたいが気をつけたからどうせいというんじゃ!。


これより北側に歩くとほどなく東山ハイキングコースの最高峰115mに到達しました。

一応休憩テーブルなども整備されてはいますがこんな低山では誰もいません。

西の方が開けており午前中に散策した浅間山の山塊が挑めました。
こんは低山が我が家の近くにあったら良い鍛錬場所にな
るのだがなあ。

山頂の祠は山道の岩陰に隠れるように鎮座しております。いたずら防止のためかな?随分と奥ゆかしい祠です。
下山途中で重装備の人とスレ違いました。東山で唯一の登山者との遭遇です。重装備なのは訓練登山に違いありません。

さて、これで今日の予定の山歩きは終了です。

とっとと下山して今日のもうひとつの楽しみの幸の湯に急ごう。

 下山後20分くらいで幸の湯到着。このスパは休日でも¥700(タオル別料金)とリーズナブルだ。

のんびりとお湯に浸かって心身ともにお洗濯だ。


【ことわざ】

・山高きが故に貴からず、樹あるを以て貴しと為す。
好齢の身上と致しましては心にしみる戒めのお言葉でございます。はい。

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2019年10月16日水曜日

悪夢の台風19号

だいぶ腰の加減も良くなってきたのでどこか近隣の山でも歩こうと思っていた矢先、週末は台風19号がやってくるという。かなりの大型でしかも関東直撃模様だ。

これは大人しくしていなければならないなあと思っていたら、この19号、日本沿岸の海水温が高いことにより急速に発達した。風速60m!冗談ではない我が家が倒壊してしまうではないか。

報道では厳重な注意が必要と繰り返し述べている。これは山どころではない、我が家に対し台風の備えをしなければならない。

11日金曜日の昼より以下の準備をした。
①窓ガラスがむき出し箇所へ養生テープで✖印を貼る。
②同じくスポンジクッションを貼り窓ガラスを守る
③ゴミ箱・縁台・自転車等飛びそうなものを紐で固定
④工事用ビニールシート1枚購入・・万が一の屋根その他、補修用
ここまで準備をして付近を散歩してみたが窓に✖点を貼ったりゴミ箱固定なんかしている家はどこもない。僅かに1件だけ物置の窓に✖点を貼っている家を見かけただけだった。

皆さん意外と太っ腹というか呑気というか、風速50mでスリッパが飛んだら窓ガラスを簡単に突き破ることをご存知ないのだろうか。

翌12日は昼頃より
①ペットボトルに水を貯蔵
②風呂桶に水を溜め込む
③懐中電灯、ラジオ、携帯コンロ、ボンベ準備
ここまで準備をした。さあ、台風め、来るなら来い!てなもんである。

12日夜半雨風ともいよいよ強くなってきた。まんじりともしないで河川の増水具合をHPで暫時確認する。(右画像)もちろん着替えは枕元に置いてある。

皆さん国土交通省が出しているこんなサイトをご存知だろうか、私は以前よりこのサイトで河川水を観測しています。目的は大雨が降ったあと河川敷ゴルフ場がどうなったか判断するために主に使ってます。使う動機がまったく不純でごめんなさい。

www.river.go.jp/kawabou/ipRadar.do?areaCd=83&prefCd=&townCd=&gamenId=01-0706&fldCtlParty=no

幸い、我が家の近くの利根川は奇跡的に水位上昇が緩やかだ。(後にこの原因があの与野党で散々作る止めるですったもんだした群馬県にあるヤッ場ダムのおかげだとは知る由もない。もし工事中止のままだったらと思うと改めてゾッとした)

熊谷の荒川が危険水域を超えて一部溢れ出しているとのニュースが入ってきた。ここが決壊すると我が家周辺にも被害が及びそうで、いささか不安になる。

こうして未明まで観測を続けて3時ころ眠りに就いた。


翌朝は台風一過の良い天気、家の周囲を確認するも異常なし、もちろん冠水被害もない。自作アンテナもピンピンしている。心配された荒川もなんとか持ちこたえたようだ。やれやれ無事でなによりだわい。

テレビを付けてニュースを見て驚いた。関東一円いたるところで堤防が決壊、大被害が出ているではないか。栃木県S市の秋山川が決壊?あんな小さな川が?なぜ?。

やがて耳慣れた河川の氾濫が報じられた。わが故郷T市の永野川・巴波川が氾濫しただとう!。思わず目を剥いた。我が実家の近くで避難途中で行方不明になった年配女性までいるようだ。次々と市内の冠水の様子が報じられてくる。
山爺は呆然とそれを見続ける。なんだこれは!山爺が生まれてこのかたT市のこんな光景は見たことがない。

巴波川は普段はのどかな川(左画像)で山爺が幼少の頃より現在に至るまで常に心の拠り所としている川だ。

今まで水害といえば九州や関西方面といつも他人事だった。それが今、我が故郷がめちゃくちゃになっているではないか。悔しさというか、悲しさというか、やるせない気持ちがこみ上げてきた。



鉄道も両毛線がT市付近で鉄橋が流出、東武線でさえT市手前で線路が崩壊しT市が陸の孤島と化しているではないか。未曾有の大災害と言って良い。


そうだ、実家に電話しよう。しばらく呼び出し音が鳴ったあと兄貴が出た。
『どうだった台風は大丈夫?』
『だめだ、床上階段1段まで水が入った』

市から避難勧告が出されたらしいが病身のお袋がいるので避難も叶わなく2階に緊急避難したという。
『お袋は?』
『大丈夫だよ2階で寝ている。大分びっくりしていたが』

とりあえず安心したが、この先、環境が激変したので体に障らなければいいのだが・・・感染症が心配である。

足利・佐野の山はもちろん奥多摩や山
梨の山々も道路が寸断、当分山歩きも出来そうにない。

11月に上武G場・12月に野田パブリックのゴルフ場を押さえておいたがこれもおじゃんだ。河川敷ゴルフ場は全滅状態。

会場探しも困難だ。どうしたらよいものやら。当面、何を励みに生きていけばよいものやら、困った。

これから温暖化でこんなことが頻繁に起こってしまい、いずれ我が家にも被害が及ぶのだろうか。困った時代がやってきたものだ。


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