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2017年6月22日木曜日

栃木・岩船山探訪


月1回の登山をすることに決めたので6月もどこかに行かねばなりません。
『ええっ!聞いてないよそんな話』
と自分の頭の中に住むもう一人の自分、サボ郎君が騒ぎ立てます。サボ郎君にそそのかされいい気になって怠けていたら6月も、月の半ばを過ぎてしまいました。6月17日(土)は町内会の会合で夏祭りの打ち合わせがあります。欠席すると後々なにかと不具合です。・・・不都合ではなく不具合とした作者の深謀にご注目。  Y(^ω^)/

ここだけの話、お祭りなんか好きな人だけでやりゃあいいんだがネ。建前論としては地域活性のため云々とか言っちゃって秋の運動会とともに地域の2大行事として相変わらず代わり映えのないことを連綿と続けている。なにせ日本人は何か始めるのは得意だが止めることは大の苦手と来ているからこれからも止めようと言う人はいないんだろうね。

かの太平洋戦争だって、誰の命令で始めたのかも定かでないから明らかに負け戦と分かってからも誰も止めようと言えず、止めるのに往生したものね。それにより死ななくても良い人々が多勢亡くなった。

あの時は幸い昭和天皇が聡明なお方だったから戦争を止めることが出来たけれど、もし優柔不断な天皇だったとしたら、あるいは日本に天皇制がなかったとしたら、日本本土も沖縄みたく全滅状態まで戦って、あげく指導者達の多くが無責任にも勝手に自刃ししたりして大混乱となり収集がつかなくなったかもしれない。実際、先の大戦では多くの指揮官が戦闘末期に負け戦になると自刃した。

そのような行為は一見見事な最後のように見えるが山爺に言わせれば無責任な指揮放棄以外の何者でもない。本当に立派な指揮官というものは最後まで戦い降伏した後も捕虜の屈辱に耐え、捕虜としての待遇要求を先頭切って交渉し事の収集に当たる人だ。

そんな立派な人はそうそういないから今頃は北海道はロシア、本州はアメリカとイギリス、九州は中国、四国はフランスの物になっていたかもしれない。そうなっていたら山爺もこの世に生まれこなかったかもしれないな。本当に日本人は止めるのが下手な民族だからねえ。

こんな民族性だから相変わらず例年7月・8月は各地で祭りが行われる。これらの大半は昔からの仕来りに引きずられて山爺のように嫌々やってる人が多いんだろうねえ。

来週は楽しい高校の同窓会があるので山に行けるのは明日(18日)しかありません。目下浪人中の山爺なれば平日ならいくらでも空いているのですが山だけは、なんとなく出かけにくいのです。その理由は
①平日早朝は通勤や通学客で電車が混む。
②お仕事や勉学といった真摯な人々に紛れて物見遊山丸出しの格好でいるのがなんか後ろめたい。・・・心なしかそういった視線が時々感じられます。・・そんなデカイ荷物、混んでるのに持ち込みやがって!なんてね。

というわけで18日(日)に出かけることにしました。幸いお天気も曇りで暑くもなく丁度良さそうです。ただし次週に同窓会が控えているので軍資金を抑えなければなりません。交通費のかからない桐生・足利・佐野・栃木あたりの山に狙いを絞り検討していると佐野の飛駒町の山中で(奈良部山)で男性が熊に襲われ大怪我のニュースが飛び込んできた。

飛駒って前によく行っていたゴルフ場があるところじゃん。あそこも熊出るんかいな。もともと今月はサボ郎君の意思が強く働き本格登山する気がしない。即、企画変更で前から行きたかった栃木市の岩舟地区にある岩船山(178m)に決めました。

駅から30分もあれば登れるので手抜き登山です。おまけに麓には町運営の格安温泉まである。こんな場所はそうざらにあるもんじゃない。しかも山爺の家の近傍なので交通費もさほどかかりません。

岩船山は霊山として有名で元栃木市民としては一度は訪れて見たいと前々から思っていたのですが未だ果たせずにいました。

小学生の頃の曖昧な記憶なのですがお袋さまか誰かに岩船山は死者の集まる山だから子供達だけで近寄ってはいけない。と言われたこともトラウマとなっているようです。

【山爺の一口メモ】

・岩船山高勝寺

岩船山は死者の霊の集まるところ、霊魂の集まるところといわれる霊山である。春秋の彼岸には近隣の人々が父、母、きょうだい、吾が子、水子の供養に登山する。
全国的に詠われる「帰命頂礼岩船の…」に始まる岩船地蔵和讃の舞台は当山です。
 また、古来より子授・安産の地蔵といわれている。徳川三代将軍家光の側室、お楽の方は岩船地蔵を信仰した。 江戸城に入る時、岩船から地蔵様をむかえて場内に祀り、子孫繁栄と武運長久を祈った。その御利益を得て生まれたのが四代将軍家綱といわれている。
 日本三大地蔵 岩船山は足尾山系の最南東端にあります。岩石の山で、山麓をJR両毛線が走り岩舟駅から山頂まで20分程で登山できます。
1周約1キロの三角形の山で山全体が船の形をしている処から岩船山と言われています。

ね!すごい履歴のお寺が山頂にあるんですよ。やはりこれは一度は行ってみないと。

ちなみに、この山は『岩船』と書き、住所や駅名は『岩舟』と表示しているようです。どのような訳があるのかは分かりません。・・・まあ舟は小型船で船は大型船のことなので山は大きいから船を当てたのかなあとは思うけれど・・・(^m^)

山爺の家から近いので今日はゆっくりと8時半の電車で出かけました。館林⇒佐野と乗り替え、それでもJR岩舟駅に1時間もかからず到着してしまいます。岩舟駅は小さな無人駅ですがここから馬不入山(うまいらず)・晃石山(てるいし)・大平山(おおひら)への一般向けのハイキングルートがあります。

これらの山はこの先の大平下駅から登り岩舟駅は下山駅として利用したほうが歩くのは楽になります。
そのためか岩舟駅で降りたのは日曜日だというのに山爺と地元の人らしき人の2人だけという寂しさ。

先月の奥多摩御嶽駅のように何百人ものハイカーが一斉に下車するのとはまるで違う異次元の場所です。

駅は小さな無人駅です。駅構内にも人影は見当たりません。駅を出てすぐに左折6~7分も歩くと岩船山の登山口に着きます。この間数台の車とスレ違いましたが第1町人とは遭遇しませんでした。

ここから岩船山の登りになります。坂道を登ると草刈り機のエンジン音が聞こえてきました。
右手の家で覆面男(覆面で年齢不詳。多分爺さん)が草刈の真っ最中、ついに第一町人発見です。相手が会釈したのでこちらも返礼しました。

いよいよ階段が現れました。この山は600段の階段が延々山頂のお寺まで続くそうです。

さすが霊山です。ひんやりとした霊気が襲います。ゾゾッ!!って今日は昨日(17日)と違い曇りで気温も低め、ジャンバーを羽織ったまま階段を登り始めました。

100段も歩いたでしょうか、左に祠が見えました。これをよいことに早速休憩、暑くなったのでジャンパーを脱ぎます。

なんか霊気漂う雰囲気良さそうな祠です。

すぐ横に東屋があるので水を飲みながら横を見ると広場があります。

正面は崖で、ここはよく子供向け番組の〇〇戦隊何レンジャーの爆破シーンロケによく使われている場所だそうです。付近の左側も同ロケや音楽コンサートがよく開催される広場があります。・・・これが本当のロックコンサートなんちゃって。


 しばし休憩した後またも、とぼとぼ長い階段を登ります。

『♫長い階段をおらは登っただ~』

・・んん!どこかで聞いたセリフだがそれにしてもやけに古いぞその歌は!。

下の方から女の子の声が聞こえてきます。振り返ると女の子とお父さんが黒い犬を連れて登ってきます。

手ぶらだし犬連れているので地元民でしょう。どんどん近づいてきます。


道を譲り先に行ってもらうことにします。

お父さんと女の子は元気に歩いていますが肝心の犬はもう歳らしく、いやいや登ってるのが見え見えです。時々休んで動きません。山爺とおんなじだなあと妙に親近感がわく犬です。


犬の方も山爺の考えを察したのか恨めしげにこちらを見ています。

『いいなぁ、あんたは自由に休めて。おいらはご主人様が煽るから簡単に休めないよ』

と目で訴えて、トボトボ階段を登ってゆきました。

ワン公、お前も大変だな頑張れよと念力を送る。



階段の傍らにはホタルブクロや紫陽花が咲いており山爺の目を楽しませてくれます。

やっと長かった600の階段が終わり見晴らしのよい展望台に着きました。

さっき降りた岩舟駅が小さく見えます。

登り始めて30分でお寺に到着しました。楽勝です。

先ほどの親子も休んでいます。もちろんワン公は地べたにで~んと座り込んでます。やはりお疲れの様子。なんかかわいそう。
 親子を見送り先を急ぎます。聖徳太子と書いた碑が立っていました。なんでこんなところに聖徳太子の碑があるんだろう?。

【山爺の一口メモ】

「岩船」の名前の由来は、日本書紀で饒速日命にかかわる神話に出てくる「天磐船(天磐樟船)」からきているようです。
4~5世紀ごろ、物部氏たちが関東や越後の地を訪れ自分たちの故郷である大和を遠く離れた彼らは、この地にも土着して地方の有力部族となっていきました。そして、自分たち物部氏一族が神とする饒速日命をお祀りした神社を作ったそうです。そのような神社は全国にたくさんあり、物部神社や磐船神社と名付けられました。岩船では、その神社の名前が「岩船」という地名になり、現在まで残っていたのではないかと思われます。

なんとまあ神代の昔から著名なところだったんですねえ。びっくりです


 さらに進むと左に三重塔と書いた標識があったので標識に従ってまたまた階段を登ります。やがて今日の第一目的である三重塔が目に入りました。1751年建立の高さ19mの宝塔です。緑の中にひっそりとそれは建っていました。周りには誰もいません。

静かな山中にあるので京都・奈良の宝塔よりはるかに威厳が漂います。いやあ来て良かった。左右の壁の彫刻もなかなかの物です。これで拝観料無料とはありがたや、ありがたやです。ハイ!
m(_ _)m





孫太郎(本殿)という案内板に従って本殿を目指します。坂道をちょっと登ると本殿に到着しました。んん!これが本殿?小さな祠と常夜灯があるだけですが場所はかなり広い。ここに昔は本殿があったのかなあ。どうやらここが岩船山頂のようです。・・・実際はもう少し高い所があるのですが危険なのか柵があり入れませんでした。きっと山頂の向こうは崖なんでしょう。・・・

テーブルが2組みあるのでここで少し早いが腹ごしらえ。梅にぎり1個とミニアンパン2個をいただく。

アルコールバーナーもザックの中にあるので珈琲でも入れたいところですが境内なので遠慮しました。・・・山火事注意の看板もあることだし。(~ω~;)))


本宮に下る途中に不気味なモニュメントが並んでいました。石仏にシャツや帽子が被せてあり妙に現世っぽい格好の石仏です。傍らに今脱いだばかりのような靴まで並べてあります。

若くして最近亡くなった人の供養に違いありません。周りは木々に覆われて薄暗く人っ子1人居ない。ちょっと不気味な雰囲気が漂います。


こりゃあ、確かに子供達だけで訪れる場所ではないわいと改めて実感した山爺でありました。





本宮に降りてから今度は奥の院という所を目指します。









ここも薄暗い道沿いに石仏群が並んでおり、あまり愉快なところではありません。








薄暗い山道をしばらく登ると奥の院に着きました。祠は建っておらずお地蔵さまが2体あるだけです。




お地蔵さまの左横をすり抜けて進むと崖に出ます。












ここが今日もうひとつの訪問目的であるビューポイントです。このV字型に崩れた崖はこの前の東日本大地震の時に崩壊したものです。

それまではこちら側と継っていたみたいです。よく見るとV字の左先端に白い手すりが見えます。遊歩道でもあったのかなあ?ギョギョギョ~!です。















侵入防止冊にもたれて夢中で撮影していましたが、ふと足元を見ると今自分の立っている位置の真下は崖が迫っておりいつ柵もろとも崩落してもおかしくない状態です。クワバラ、クワバラ、早々に現場を立ち去りました。














本宮に戻る途中に綺麗なツツジが咲いていました。地獄で仏とはこの事です。薄気味悪さを少し和らげてくれます。
















紫陽花も道端いたるところの咲いており和ませてくれます。






本宮に戻ると卒塔婆の大群が!またも霊の世界に戻りました。


血の池という表示のある場所があり白く濁った水が溜まっています。

















立派な山門です。寛畝保2年、1742年の建立です。両側の仁王様もなかなかの力作です。


岩船山は子授・安産の地蔵さまでも有名だそうです。

6地蔵がお行儀よく並んでいます。















ここは賽の河原、幼くしてこの世を去った子供達への供養なのでしょう。風車やおもちゃ、ぬいぐるみ、果てはベビーカーなどが供えられています。合掌!


高勝寺境内を十分堪能したので下山することにします。








下山は元来た道を戻るのではなく反対側に降りて関東ふれあい道を経由、今回のもうひとつの楽しみ岩舟の温泉、遊楽々館(ゆらら)に向かいます。


下山途中に眺めた先ほどの崩落現場です。先程は左側のてっぺんから右の崖を見たわけですね。剣呑剣呑だねえ。

下山は楽です。あっという間に里まで降りてきました。先ほどの崩落現場も小さくなりました。














里山の関東ふれあい道をのんびり歩き鷲神社を過ぎると再び山道に入ります。馬不入山の分岐までは人通りも多いのでよく整備されていました。











そこを過ぎると歩く人もあまりいないと見え道も笹薮が覆いかぶさっていたりクモの巣が張っていたりで荒れています。 ⇒






おまけに山菜採りの人や釣り人が頻繁に車道脇から入り込むようで枝道も多い。・・・なんと山中に農業用ため池があり、魚がいるようで釣り人が数人いた。・・・暗いのでブレた画像です。m(_ _)m


関東ふれあいどころではない。山慣れた人じゃないと遭難するぞ、ここは。山爺もすでに道探しで苦労し笹薮を潜るので顔面クモの巣だらけ。なんじゃあこれは!!関東クモの巣ふれあい道だぞここは!。

辛抱たまらず途中で車道に出て遊楽々館を目指すことにした。

やっと遊楽々館が視界に入りました。





岩舟総合運動公園の一角に遊楽々館はあります。広々とした運動公園です。やるじゃん岩舟も、大したものだ。

入湯券は自動券売機で購入だ。一般¥300のところ65歳以上は¥200のはずだが・・・っと!ありました。ちゃんと65歳以上の金額枠があり¥200です。自販機なので身分証明も不要です。こりゃいいや。


但し貸タオルが¥200と入湯料金と同じだから持参したほうがいいよ。



館内はすでに爺さんたちがカラオケの真っ最中でボリュームを最大限に上げてダミ声で歌っている。そりゃ¥200で1日遊べるんなら最高だがね。

脱衣所も貸ロッカーがあり山爺のザックでもすっぽり収納できる大きさだ。¥100投入してロックするが開けると¥100が戻る。いたれりつくせりだね。こりゃ。なんか妙に楽しくなってきた。

湯船も立派でなかなかのもんですよ。館内はお風呂の他、大広間(カラオケ舞台あり)休憩所や会議室や多目的部屋もあるようです。

岩舟町民は幸せだねぇ。まったく。

それにしても爺さん婆さんのカラオケのやかましいことと言ったらない。

入浴を済ませてカラオケ部屋を覗くと椅子に座った婆さんが一生懸命に歌ってた。


観客も知り合いが多いのか声援や笑顔満面で皆んな楽しそうにしている。こんな光景を目の当たりにしたらやかましいといった不満は消え、むしろ微笑ましいと思えるようになって来た。

結構、結構、お金もさほどかからなく毎日遊べる所があるお年寄りはこんなにも幸せなんだなあと思いました。

休憩所で休んでいると山歩きスタイルで場違いな格好の山爺を怪訝そうに婆さん達がじっと見ている。別に怪しいもんじゃありませんよ。単なるハイカーですと心で念じながらザックからサンドイッチやアンパンお菓子を取り出し昼食とする。ついで眠くなったのでちょいと昼寝!。軽く寝たつもりが前回の三ッドッケ山同様30分以上も寝てしまった。

そろそそ帰るとするか。岩舟駅まで30分もあれば歩けるだろう。

また周囲の景色をのんびりと眺めながら里山を歩き出す。折しも田植えのシーズンで田んぼは水が張ってある。逆さ富士ならぬ逆さ岩船を見ることができた。














こうして見ると説明の必要もないほど岩船の地名の由来がよくわかるね。確かに大きい船に見える。

ちなみに東日本の大地震で崩壊する前の岩船山をご紹介します。こちらのほうがより岩船らしいね。古代人が目をつけたのも納得です。

【川柳】

・岩船の 長い階段 犬もバテ
・名ばかりの ふれあい道で 遭難す
栃木・岩船山探訪の項・・・完


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天候が安定する7月下旬に南八ヶ岳縦走を企んでいます。茅野駅から美濃戸口まで路線バスで入山。日程と予定コースは次のように考えてます。


1日目:美濃戸口⇒行者小屋(泊)
2日目:行者小屋⇒地蔵尾根か中岳コル経由⇒赤岳⇒キレット⇒権現岳⇒権現小屋(泊)
3日目:権現小屋⇒三ッ頭⇒天女山⇒甲斐大泉駅

地蔵尾根経由か中岳コル経由か悩んでいます。一応、好天なら地蔵尾根経由、ガスってたら中岳コル経由にしようかなあと思ってはいるのですが、いずれにせよ文三郎道は避けようと考えてます。

このブログを読んだ経験者の方々からアドバイスをいただけると良いのですが。・・・・(´・ω・`)

行くとすれば30数年ぶりの高山での本格登山となります。普通の人は1泊2日、健脚者なら夜行日帰りでこなす山ですが、いささかガタの来ている山爺のことゆえ、大事を取って2泊3日で踏破しようと考えてます。

それでも昔から鎖場ありのハシゴありの険しい危険な山であることには変わりありません。一度天候が荒れれば遮る木々もないので強風がもろに襲います。

その分天候に恵まれれば大展望が望める素晴らしい山塊です。その上にアプローチが短かいときているので申し分ありません。

そんな山なので天候が思わしくなければさっさと中止や延期をするので単独の方が好都合です。

パートナーがいると遠慮やお互いの強がりが邪魔をして判断が鈍り、かえってリスクを背負い込んでしまう。だから昔から山爺は単独行が多いのです。

誰か書いたエッセイか忘れましたが(多分深田久弥)こんなことを書いていました。

『山を好きになるのは性悪女に惚れるようなもので何度もひどい目に遭うので止めよう止めようと思っても止められない。』

同感です。!! (´^ω^`)・・赤岳もかつて3回は登っているので昔の女に会いに行く心境です。えへへ!!。












2017年6月1日木曜日

三ッドッケ山から蕎麦粒山・川苔山縦走 (5月20日(土)~21日(日))・・・後編




夜中に何度も表で鹿がザワザワしたりでなかなか熟睡できません。どうも鹿は山小屋周辺の木の新芽を食べに来るようです。その度に山爺がちょっかいを出すので逃げてゆきます。

深夜0時を回っても疲れすぎのせいか、なかなか寝付かれません。1時すぎころようやく眠りに就いたようです。真夜中に目が覚め自分の置かれている状況がよく分からずきょとんとする。こんな瞬間が山爺は好きです。

時計を見るとまもなく5時で周りも薄明るくなってきました。え~い起床だ!早朝4時45分に起きてしまいました。

古い方の残置ペットボトルからアルミ食器に水を入れて表に出、洗面をします。気温は12℃を指しています。5月にしては暖かい。今日も暑くなるのかな。と嫌な予感がよぎります。

昨日予想以上に体力を使ったのでイマイチ疲労が抜けていないようだ。どうしよう、このまま下山するか思案するが、せっかくここまで上がってきたんだ、ダメなら途中エスケープルートもあるさと、登山続行することに決めた。

昨日の残りのご飯に水を入れて即席味噌汁2袋を投入し煮込みます。粗末な朝食ですが山爺は粗食に慣れているので食べ物に贅沢には出来ていません。お袋さまから幼少の頃より『男が食べ物のことでガタガタ言うな、みっともない』としつけられてきたのでそれが大いに影響しているのでしょう。

大体に我々団塊世代は幼少期から粗食に慣らされていました。あの悪名高き給食!カチカチバサバサ、コッペパンに脱脂粉乳ミルク。勿論砂糖なんぞ入っていない。油でギトギトのアルミ食器に大ぶり野菜てんこ盛りの煮物。ろくに出汁なんか効いちゃいない。それでも食べないと教師が食えと強要、そんなことが当たり前として育った世代です。授業中にふざけるとビンタを食らわす教師もいました。今なら暴力教師で懲戒免職だろうね。

だからいまでも美食家と称し、うんちくを垂れる人々を見ると軽蔑します。北大路魯山人は豚の化身にしか見えません。・・・似てませんか豚に!・・・当然漫画の美味しんぼも大げさな表現が滑稽だからと見るだけです。味に命をかけると称して格好つけて食材の良いところだけ使いあとは捨てて無駄に浪費する調理人も私は軽蔑の対象です。もともと食物は人間の生きる大切な糧のはず、それをいたずらに無駄にして、何が料理家だ!と。

少ない予算で制作できるためかテレビ番組に食べ歩き番組が多いが、以前あるラーメン屋探訪番組でのこと。その店は醤油や胡椒といった調味料をまったくテーブルに置かないのが自慢の店で店主曰く。『俺の味をいじられてはこまるからね』だって。

何を偉そうに、たかがラーメンだろうが、大きなお世話だ。俺の味なんか勝手に決めるなと言いたい。人の味覚は千差万別であることがまるで分かっていない。ここにも自分が客商売をしていることを忘れている人がいる。困ったもんだ。また、そういう店にありがたがって行列を作る人々の神経も疑いたい。

そこへ行くとタイのラーメン屋は偉い。ラーメンは茹でた麺に出汁つゆをかけただけの物をお客に提供する。テーブルに醤油・砂糖・酢・唐辛子その他の調味料が沢山置いてあり客が自分の好みに合わせて味付けをして食する。これが最も理想の料理ではないか。

タイに仕事で長期滞在したとき、現地にも少し慣れてきたので生意気になり日本レストランでの食事から現地の食堂に勇気を出して入りラーメンを注文したらそれが出てきた。事情をしらない山爺は出汁つゆだけで懸命に食べていた。妙にまずいので変だなあと思っていると店の人が手振りで教えてくれて大笑いしたことがありました。

あはは!また話が横道にそれました。話を本筋に戻します。

朝食も終えたので残置ペットボトルを鍋にあけて煮沸してからしばらく放置、水筒へ入れ今日の水を確保しました。さてあとは荷造りです。一人をいいことに床面いっぱいに散らかし放題に散らかしたので回収が大変です。ようやくパッキング終了。

朝のお勤めのためトイレに向かう。用便の後、例のミニスプレーでシュッシュッシュ!いやあこれはいい!予想以上の効果です。

携帯ウオッシュレットも世の中にあることはあるのですが概して高額なものが多いし大きくてトイレに持ち込むのもなんか恥ずかしい。そこへ行くとこれは¥100だしポケットに入る。こういう悪知恵を思いつく山爺は我ながら天才です。自分自身に尊敬するね。

山に限らず今後、常々持ち歩こうと思う次第であります。以上、新技術の試行結果報告でした。

昨日登れなかった三ッドッケ山まで地図によれば登り20分とある。ザックを山小屋に置いて空身で往復することにした。往復1時間もあれば十分だろう。午前6時15分出発、空身なので順調に高度を稼ぐ。10分、20分経ってもまだまだ登りが続く。おかしいなあ、もう頂上へ出ても良さそうだ。出発してから30分が経過してようやく山頂らしきピークに着いたがどこにも標識がない。何だ、ここが頂上じゃないのか。


そこを通過し先を見ると一旦大きく落ち込んでそれから先にもう一つのピークがある。どうもあれが山頂らしいが、あそこまでは有にあと20分は掛かりそうである。

そこまで往復すると今日のこれからの行程に差し障りが起きる。一瞬、今回はこの山だけで下山しようかとも思ったが思い直し引き返すことにした。・・・ここが三ッドッケ山の最初のピークだったことが蕎麦粒山方面からの眺めで分かった。

それにつけてもおかしいのは地図に表記されている標準コースタイムである。20分だと走らない限り無理だ。昭文社さん!奥多摩地図に記載されているタイムは全般的にハードじゃないの?奥多摩はファミリーが多く訪れるので見直しを要望します。山屋の生意気な連中の言うことを鵜呑みにしてはいけませんよ。彼らは何かと自分を鼻にかける傾向にあるのだからして。

【山爺の一口メモ】

ドッケとは山の地域を表す言葉で山の尖ったところの意。
芋ノ木ドッケ 三ッドッケ 高ドッケ などが有名

7時15分に山小屋に戻りザックを背負い一路仙元峠を経て蕎麦粒山へ向け出発する。仙元峠までは標高差がないのでほぼ平坦な山道だ。歩き出して30分もすると猛烈に眠気が襲ってきた。足元がふらつき、なんとも辛い。若い時に南アのスーパー林道をその状態で無理して半分寝ながら歩いていたら側溝にハマりひどい目にあったことがあるので少し睡眠をとることにした。

木陰を探してしばし昼寝をすることにする。時折りそよ風が吹いてくるので絶好の昼寝日和だ。こんなことが出来るのも単独行のなせる技であろう。ほんの10分寝たかと思ったが覚めて見ると30分が過ぎていた。でもこれで頭はすっきりした。この昼寝により爾後眠くなることはなくなった。


御神木のようなブナの木?を見つけた。大きな木であり枝ぶりも良い。しばし見とれてそれを口実に休憩をする。傍らに可憐な黄色い花が咲き誇っている。(後ほど調べるとミヤマキンバイと思える)


















午前8時50分仙元峠に到着。昔は奥多摩から秩父に抜ける唯一の間道だったそうだが今は落ち葉に埋もれて道らしきものが確認できない。地図には秩父方面についてはしっかり道が記載されれいるので少し降りれば道があるのかな?。

ここからは蕎麦粒山の険しい登りとなる。蕎麦粒山を迂回する道もありましたが、ここを省略するわけにはいきません。休み休み高度を上げてゆきます。




9時20分ついに今回の主目標である蕎麦粒山山頂にたどり着きました。

山頂は静かで誰もいません。展望はあまり望めませんでしたが狭く、いかにも山頂といった感じの場所でした。

さて次は日向沢の峰~踊平を目指します。地図上には水のマークもあるので少し回り道をたどれば水も手に入るかもしれません。

蕎麦麦山からの下山を開始しましたが、道そのものは岩場もなく歩きやすいのですがすごい急坂がまっすぐ延びています。まさにスキーの直滑降です。傾斜30°くらいかな?下手すると転げ落ちてしまいそうです。

反対側のピークへの登り途中から撮影した蕎麦粒山です。いやあ下りでよかったわ。ここ登るの容易ではありません。なんか見た目が笠取山に似ている。

いよいよ山道は最後の目標である川苔山へと大きく回り込むように続いています。

高度を上げながら後ろを振り返ると大眺望が望めました。画像中央のピークは多分去年の夏に登った雲取山でしょう。

右に視線をずらすと芋ノ木ドッケ~長沢背稜を伝って酉谷山、三ッドッケへと続く縦走路が確認できました。今度歩いてみたいなあ。と羨望です。いけるかなあ。行程ずいぶんありそうだなあと一人ごちました。



その右側に今日歩いた山々が姿を見せています。中央のとんがりが三つある山が三ッドッケ山です。

漢字の山はああいった山の形をヒントに考案したんだろうねえ。山の字そっくりの形です。その右にポコンと飛び出ているのが蕎麦粒山です。いやあ歩いたもんだ。山爺もやればできるではないか。










傍らには紫色の花も咲いております。後ほど図鑑で調べたらミヤマスミレのようでした。










さらに進むとシロヤシオやヤマツツジが咲き誇り山爺をお出迎えです。三ッドッケ山頂付近では咲いていませんでした。三ッドッケ山は標高1576m、ここいら辺は1200mだから気温の差でこうなるのかねえ。

大眺望といい草花の咲き誇りといいここの登りが結果的には今回の山登りのハイライトとなりました。

周囲の環境は申し分ないのですが、今日はそれにしても暑い。水分補給により水の在庫がどんどん失くなってゆきます。

ペットボトル500mL、2本のうち1本は既に空となりポーチ内のペットボトルも空になりました。

残りは900mL+500mL=1400mLです。

一般的に運動中での水の補給必要量は次の計算式で求めることが出来ます。

行動中の脱水量(㎖)=体重(kg)×行動時間(h)×5(㎖)

山爺は既に朝から4時間行動してます。1500mlの補給が必要となります。既に500ml+280mlは体に補給しました。あと720mlの追加補給が必要です。

少なく見積もってもこの先3時間は行動しなければなりません。残り1400mlでは足りないのは目に見えています。絶対に水場に立ち寄り補給しなければなりません。

さて11時50分ようやく踊平の分岐までやってきました。予定のスケジュールより1時間50分も遅れています。さらにちょいと進み大丹波への分岐地点に到着です。ここを下ると水場があるはずですがなんと踊平~獅子子口間は土砂崩落により通行禁止と立札が!!ガガ~ン!水補給の道はこれで絶たれてしまいました。

仕方なく川苔山への登りへと足を向けます。地図のコースタイムでは1時間で山頂とあります。気を取り直し一歩また一歩と歩を進めます。それにしても暑い、なんてえ暑さだ。・・・この頃下界では30℃をゆうに超えた真夏日であったことを帰宅後知る事になる。


水を飲まないわけには行かないが、がぶ飲みは出来ない。節約しながらちびりちびり飲む。酒じゃあるまいに、ちびりちびりとは情けない。

それにしても山頂が遠い、やっと頂上直下の広場に到着しました。多くの人びとが思い思いに木陰で弁当を広げています。

これまでの静寂な山歩きから現実の世界に戻りました。頂上はここからさらに10分登らねばなりません。ようやく山頂に到着しました。時に13時20分。いやはや奥多摩恐るべし、舐めては、掛かれないことを改めて痛感しました。

川苔山は眺望はあまり良くありません。南側が僅かに広がっています。富士山もこの方向に見えるはずですが、確認できませんでした。

ドライフーズのピラフも持っているのですが水がないので諦めてアンパン4個に行動食を加えて急ぎ遅い昼食をとる。コーヒーも飲みたいが我慢するしかない。15分ほど頂上に滞在し早々に下山することにした。先はまだまだ長いのです。

鳩の巣駅方面の下山口を確認し下山を開始する。コースタイムは2時間なので3時間あれば下山できるだろう。問題は水だ。折りからの暑さで体が水を欲しがる。残りは500mlペットボトル1本しかない。

下山の初めは結構急な道である。だいたい山での事故の大半は下りで起きる。急がず慎重に一歩一歩足を出す。昨日の登り始めの道迷い事変でストック先端のゴムキャップをなくしてしまいました。したがって先端が金属むき出し状態のストックなので先が地べたに潜り込み誠に具合悪い。やはり予備は持たなければあかんとを痛感した山爺でありました。

舟井戸の分岐まで降りてきました。

体力と水があれば本仁田山経由で奥多摩駅に降りるのですが、もう体力も水も残り僅かでまったく余裕がありません。最短ルートの巻道を選択し、ひたすら下降します。だらだらした長い道が延々と続きます。・・・続いたように感じましたが正確なところかな。

途中、分岐でもない場所でも頻繁に標識が出てきますが残りの距離や時間がまったく記入されておりません。標識が出てくるたびに『あと何時間だ!あと何キロだ!』とストックで標識を突っつきながら文句をたれます。ホント!東京都観光協会さん?いくら立派な標識でも”仏作って魂入れず”ですよ、これでは。このブログ読んでいたら改善してね。って読むわけないか。(´・_・`)

いい加減、嫌になってきた頃ようやく木々の間から林道のガードレールが見えてきました。やれやれ、  やっと山ノ神に着いたぞ。あと30分で鳩の巣駅だ。んん!どうせこのコースタイムはおかしい。30分に騙されないぞ、と自分自身に言い聞かせる。

なんだか知らないが猛烈に腹が立っている。水はウエストポーチ内の小瓶にあと一口しかない。ここで飲んだらあと小一時間水無で行動しなければならない。窮地に追い込まれた山爺でありました。♫ ダーンダダダ~ン!ダダダ~ン!(スターウォーズのBGMより)

前方を見ると女性2人が立っていた。たしか川苔山山頂と舟井戸の分岐で見たことがある2人である。女性たちが声をかけてきた。

『あのぉ~すいません、どこから降りてきたんですか』
『舟井戸分岐から巻道を』
『私たち尾根道を降りてきました。すごい道でした。怖かった』
『地図に危険の表示があったでしょう』
『見落としました。でもそれはそれで貴重な体験をしました』
といった会話を交わす。

『私もそちらを通りたかったのだが水が乏しいので迂回しました。これ飲むともう終わり』
『あら!お水分けてあげますよ』

ジャジャーン!地獄で仏、いや女子だから観音様です。きっとこの2人は観音様の化身に違いありません。日頃から神仏を敬う山爺なので観音様か菩薩様が姿を変えて助けに現れたに違いありません。

今回の山旅は水にピンチの連続でした。

①道間違え水浪費・・・人気のない人家に水道と水小屋現る
②避難小屋水場枯渇・・・残置ペットボトルに助けられる
③炎天下で水大量消費・・・親切な山ガールから水おめぐみ

と、その都度、不思議と幸運に恵まれた。これって観音様のお力に違いない。ありがたや、もったいなや、うへぇ~。m(_ _)m

見栄もへちまもありません。この先水なしで無理な行動したらどんなことが起こるかわかりません。ありがたくいただき、早速水分の補給です。これで少し生き返りました。

残り30分だが、どうせいい加減なコースタイムに決まっていると、心に言い聞かせ女子二人と一緒に鳩の巣駅へと降り出す。途中山爺がブログをやっているこのなどのおしゃべりしながら下降を続ける。やがて里の景色が目に飛び込んできた。

やれやれとうとう着いたか。安堵、安堵である。
ところが里に降りてからが一試練、なんと急な坂道であること、足が踏ん張れない。ひいひい言いながら・・勿論女子の前でのこと平静を装いながら駅へと最後のムチを入れる。

17時15分やっと鳩の巣駅に到着しました。

トイレに行き頭から水を被り首筋やら脇の下やら冷却をする。ああ、生き返ったぁ~。

次は自販機に向かいポカリスエットを購入する。山中と違いなんと便利な世界だろうか。金さえ出せばなんでもすぐに手に入る。

駅舎でゆっくり飲もうと思い駅舎に入り電車の時刻を確認すると17時26分の青梅行がある。件の女子2人はお先と言いながら先にホームに入ってしまいました。おやおや時間がない。急いでザックを背負い切符を買おうとするが窓口はシャッターが降りている。

そうです。鳩の巣駅は無人駅なのです。
『ええ~!切符はぁ~どうすんだ』
皆さんはスイカで自動チェックを受け入場している。山爺はそんな便利なもの持ち合わせていない。やはり時代に逆らえないなあ、今度から用意しなければあかんかなあぁと思案はするが、発車まであと数分しかない。ふと傍らをみると入場証明発券機を見つけた。急いで券を入手し入場する。上りホームは反対側だ。エッチラと陸橋を渡る。ホームで女子たちと再会した。

やがて電車がやってきたので一緒に乗り込み座席を確保する。山爺のブログのハンドルネームを教えると早速スマホで検索し読み始めた。ウケている。結構・結構、青梅で立川行きに乗り換えて立川で女子たちと別れた。

西国分寺で下車し、武蔵野線に乗り換え南越谷へ、この間ペットボトルを2本飲み干した。完全に水分不足で半脱水状態に陥ってしまったようだ。20時頃駅に着いたが、もう行きつけの居酒屋に立ち寄り勇姿を見せるエネルギーは残っていない。とぼとぼ家路に着く。

今回の山旅は道迷い・水枯れの無人避難小屋に一人宿泊・山ガール遭遇と多岐に渡る体験があり面白い山旅となりました。特に山ガール、もとい!観音様達に出会えたことは誠にありがたい体験でした。観音様ぁ~ブログ見ていたらメールくださいな。

【狂歌】

・川苔の 山より下り 水も枯れ 困りしときに 観音現る。
・駅までは まだ遠かりし 山道で 観音現れ 水恵まれり。

【川柳】

・菩薩様 山で出会いて 水もらい 

三ッドッケ山から蕎麦粒山・川苔山縦走 後編の項・・完