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2016年12月18日日曜日

大阪・奈良・京都ぶらり旅・・前編

もっかのところ失職中で時間に自由が効くので・・所謂、暇なので12月8日~11日にかけて首題の旅に行って参りました。


慢性の金欠病を患っている山爺のこととて、お大尽が利用する新幹線や飛行機なぞは利用すべくもありません。東京駅から出ているJRの高速バスを利用しての旅です。往は3列独立シートながら¥4000と格安チケットをゲット!3列独立なので隣の御仁と干渉しなくて済み気楽です。


もちろんトイレはついているので安心。帰りは日曜となるので格安の3列バスは早めに売れ切れでゲット出来ず(もちろん高ければあるけれどそれは無視)4列シートです。しかし10時発のちょうど良い時間ながら¥4300と、これまた格安で手に入れました。・・新幹線だと早割で上手くチケット購入しても往復¥24000ほどなので¥15700も節約出来る勘定です。

古人曰く『時は金なり』とはよく言ったものです。まさに暇と引き換えに金を節約できることを実感する。・・あん!何だって、そういう意味と違うって。(^0^)

真珠湾攻撃ではありませんが『大本営陸海軍部午前6時発表!本8日未明、我が山爺は関西方面に出撃せんとす!』である。出で立ちは背中にバッグパック(というより小型登山リュック)にミニ肩掛けバッグ、これが山爺の放浪旅スタイルです。

12月8日(木)

東京駅八重洲口発8:40発の高速バスに乗るべく早朝に家を出ました。無事に8時ちょい過ぎに東京駅に到着・・まだ40分もあるなんて安心してはいられません。

なんせ東京駅は広い。お昼用の軽食や飲み物を購入したりして構内をうろうろしているとあっという間に30分ほど経過してしまいます。

運行掲示板を見ると山爺の乗るバスが表示してあります。そうこうしているうち山爺の乗るバスの受付開始アナウンスがあったので当該発車ホームへ。何人か既に並んでいましたが乗車客は少なそうです。バスは二階建てで山爺の座席は当然2階!、2階はさすがに高くて見晴らしもよろしい。座席は階段すぐ横の真ん中でした。

定刻通りバスが走り出しました。日比谷を抜け皇居の桜田門を右に見ながらまずは新宿の新しくできたバスターミナルへ向かいます。新宿でまた3~4人乗車してきました。

東名高速に乗りバスは好天の中、快適に走行します。やはり山も旅行も好天に限ります。2時間ほどで足柄SAに到着。15分のトイレ休憩です。富士山が雪を被りくっきりと見えました。


バス乗務員のアナウンスがあり、予定時刻になると積み残しはいちいち確認せず発車するので自己責任で乗り降りしてくれとのこと。

降車時に停車位置をよく確認しておかないと似たようなバスが沢山あるのでどれがどれだか分からなくなり大変なことになります。置いていかれてはえらいことになるのであらかじめ位置関係をよく確認してから離れなければなりません。

そうはいっても相手はお客様、出発の時間になると乗務員の方で一応車内をある程度見回してから出発するようです。

このバスは定期路線バスのようで御殿場・富士・静岡ICの各バスターミナルに寄りますが今回は
誰も乗車してきませんでした。

13:20 浜名湖SAに5分遅れで到着、バスの位置を十分確認しながらトイレに向かう。浜名湖はどこかとキョロキョロしたが視界に入りません。諦めてトイレに入ると、おお!トイレの向こうに浜名湖が見えるではありませんか!。・・・記念にパチリ、こんなことをやっているのは山爺だけで少し恥ずかしい。

大阪まで9時間の長旅ですが2時間おきに休憩が入るので退屈しません。座席にゆとりがあるのでビールでも持ち込めばよかったと後悔しました。・・・SAの売店内を一生懸命(こら!そんなことで一生懸命になるな!)探しましたが当然ながらお酒類は見当たりませんでした。

山歩きなら必ずザックのなかに酒は放り込むのに旅行ならどこでも買えると思い準備しませんでした。・・・後悔しきり。(´・ω・`)ショボーン

バスは快調に進み名古屋を通過、お伊勢様近くの甲南SAに15:40到着ここで20分休憩です。小腹がすいたので今川焼きを買いながら売り子の親爺に『赤福はどこで売ってるの』と聞くとレストラン入口で販売しているとの返事。『じゃあ、帰りもここ寄るからその時買うよ』と言ったら、くだんの親爺が『向こう側にはあるかどうか分からない』と苦笑した。あっそうか、ここは高速道路だ!馬鹿なことを言ってしまったと思ったが後の祭り。(笑)(^0^)Y

大阪に近づくと渋滞が始まりバスのスピードがこれまでと全然違い遅くなり出しました。

結局大阪駅のJRBTに定刻25分遅れの17:55到着、さほど遅れることなく着いたのでこのあとの道頓堀・難波界隈の散策には支障がありません。

御堂筋口より地下に降り御堂筋線で心斎橋まで移動すべく自販機で切符を買う。大阪の自販機はなんか関東のそれと違い操作手順が複雑、画面を見ながら色々選択しなければならない。モタモタしていたら後ろに列が出来てしまった。・・・大阪人は気短だからどやされたらどうしようと焦りながら操作しやっと切符を出すことが出来ました。(´ε`;)ふう~!

梅田から心斎橋はすぐだった。地上に出るとイルミネーションがすごい。たしかこの通り(御堂筋)を南方向に500mも行けば道頓堀だと思いポケットから磁石を取り出し確認する。・・・このへんは山爺も山男の端くれ準備に抜かりはありません。

御堂筋を左に向け歩き出す。♪ 小ぬか、雨降る 御堂筋~ あなた~ って連れは誰もいない中をミナミへ歩く。道頓堀へはあっという間に到着した。左を見るとあるある見慣れたグリコのネオン看板が、左折し大阪の阿呆兄ちゃんが飛び込むので有名なえびす橋に到着。記念撮影を撮る。ってまあここも中国人らしき団体さまでやかましい。


堀をよく見ると柵のあちこちに救命浮き輪がぶら下がっている。誠に用意のいいことでと感心しきりでした。

えびす橋を渡り、カニ道楽の看板がある交差点に移動する。平日なのに、ここも人々で誠に賑やかである。賑やかな通りをしばし散策し、次の目標、法善寺へと向かう。



法善寺横丁は直ぐに発見したが肝心のお寺が見つからない。飲み屋街を歩きながらそろそろ夕食兼一杯の居酒屋も物色しなが歩いていると細い路地の向こうにお寺らしきものが見えました。法善寺です。飲食店に囲まれた小さなお寺でした。♪ 包丁 一本 サラシに巻いてぇ~ か!藤島武雄の月の法善寺横丁・・って山爺も古いねぇ。

十分ご縁があるようにと10円と50円合計60円を奮発し家内安全・就職成就・宝くじ当選を祈願する。・・・ここの仏様は水かけ不動様なので水をかけて願掛けせなあかん、とこの後入った居酒屋のお兄ちゃんが教えてくれた。・・・しまった。水かけるの忘れたがよそ者の田舎もんが願掛けしたのだから多めに見てくれるだろう。・・・お不動さんよろしく頼むよ!。
そろそろ居酒屋へと法善寺の回りをぐるぐる探索するがなかなか手頃な店が見つからない。
混んでいる店は山爺を相手してくれそうもないし、混んでいる店が多い中、ガラガラの店はなんか訳ありだろうしで、なななかちょうどいい店が見つからない。

洋風の店でセットメニュー¥980の看板が目についたので見ていると若いお兄ちゃんが出てきて『いかがですか今すいてますよ』に釣られて入店する。入ると客は誰もいない。すいてますよもないもんだ。誰もいねえじゃねえかと思いながらカウンターに座る。座ってみると、何かおかしい正面に木の壁が出来てしまって若いマスターの顔が随分と上で見上げなければ見えない。

セットメニュー¥980を最初に注文する。グラスビールに串揚げ5本キャベツ付きだ。う~んグラスビールかあ、もっと大きなジョッキーを想像していたのでやや不満。串揚げはうまい!・・まあ串揚げは誰が料理しても不味いことにはならない。余程のことがなければねぇ。

客は山爺一人だから会話は当然弾む。『このカウンターやけに高いね、意識して作ったの、壁に向かって飲むようだ』と揶揄すると。なんでもスタンドバー風にしたかったので座席を高めに設定するつもりだったと言いながらカウンターの椅子を操作してくれた。スルスルと確かに伸びる。カウンター内側の床面も客側フロアよりかさ上げして高くしてあるそうな。

ところが請け負った大工さん、上のカウンターは上の床面に合わせ客側のカウンターは客の床面に合わせた作ったので間延びした変なカウンターが完成したという訳だそうな。

当然打ち合わせた内容と違うのでクレームを付けやり直しをお願いしたらしいが、『いやぁそれは堪忍してや』『おもろいカウンター出来たやないか』とも言ったとか言わないとか。ということで今に至っているそうです。いかにも関西人らしい面白い話が聞けました。関東ではこうはいかんでしょうなぁ、何がなんでも工事やり直し大工との関係はギスギスして終わりだろうね。

この日は更にお銚子2本とつまみにおでんを追加して多いに会話を楽しんだ。この間日本人の女の子とアメリカ人のカップルが入店しただけ。大阪の居酒屋にしては少し割高だったがおしゃべり代と割り切れる夜だった。

今日の宿泊先は心斎橋に予約してあるカプセルホテル〇&×である。ここはシャワー設備しかないが格安(¥2000前半)なので良しとした。ほろ酔い機嫌で難波~御堂筋と、もと来た道を戻ってホテル到着、爆睡となった。

12月9日(金)

心斎橋から天王寺まで地下鉄で移動し、ここからJR関西本線に乗り換え快速列車で一路奈良に向かう。9:28 JR奈良駅に到着、駅前のコンビニでお握りとサンドイッチ、お茶を購入し東大寺まで歩きながら遅い朝食を取る。一人旅だからこそ可能な山爺特有の時間と金銭節約術である。連れがいたらこうは行かない。

15分も歩くと興福寺の猿沢池に着いたがそこはスルーし公園の中を東大寺へと向かう。あちらこちらに鹿がうろうろしている。神の使いらしいから仕方がないけどそれにしても多すぎる。鹿刺しにして名物とし茶店で出したらよかろうに。\(^0^)/

おお!東大寺の南大門が見えてきました。門をくぐると中門がありその先に大仏殿が見えました。


お久しぶりなんてもんじゃない。高3の修学旅行以来だから実に
半世紀ぶりである。


中門をくぐると大仏殿がでーんと建っております。拝観料を収め大仏様とご対面。やはりなかなかの迫力でおわします。それにしても中学、高校生の多くて賑やかなこと、これに中国人やらアジア人が加わり大騒音がお堂内に響く。

名物の柱くぐりでも中国人らしき団体が大はしゃぎ。仏様も毎日こうだと耳栓でも欲しところだろうねえ。そこへ行くと欧米人と日本人のなんとお淑やかなこと。

間違って東大寺ミューシアムへも入れる共通券を購入してしまったので仕方なくミューシアム向かう。あまり期待はしていなかったがやはり展示品は期待はずれで創建当時の屋根瓦と仏様を見て御終い!大仏見たあとでは仏様も迫力に欠ける。

次の見学目標、興福寺へと徒歩で向かう。大きな通り出たので向こうに渡りたいが歩行者用信号も横断歩道もない。歩行者は地下道をくぐって向こう側に渡るようである。渡り切って案内板を見ていると中国人らしき親子が山爺に話しかけてきた。

中国語なのでなにを言っているのかさっぱり分からない。Where would you like to go と聞いてみるが・・・山爺でもこの程度の会話は出来ますゾ。・・・反応なしで一方的に中国語でまくし立ててくる。バカめ、外国に来るなら英語くらい覚えろ!・・・なんか東大寺の方を指差している。Great buddha?と聞いても反応なし・・いやぁ困ったぞ、私は早く興福寺に行きたいし。・・・ん!先ほど私が道路を横断するのに最初戸惑ったのと同じで渡り方がわからないのかな。地下道を指差し身振りを加えながらdwon and through a tonnel と言ったら。 おお!と言って地下道の方へ歩いて行った。どうやら向こう側に行きたかったようだ。・・やれやれである。

えーい、つまらん時間を食ってしまった。急いで興福寺へ、五重塔が見えてきました。ここは見るべき目玉はただ一つ国宝のアシュラ像を拝観することである。急ぎ興福寺国宝館へ回り入館する。いました、いましたアシュラ像が、やはり近寄りがたい神々しさがあります。迫力抜群です。1000年以上も前にこれを作り上げた作者に脱帽です。他はあまり期待していなかったけれど国宝館の名にふさわしく美術の教科書に載っていたような彫刻が数点展示してあった

外に出て改めて五重塔と三重塔を見学して猿沢池に降りる。ここでしばし休息してから奈良駅に戻る。

駅の近くまで戻ると途中に開化天皇の御陵があったので写真撮影。

家に帰ってから開化天皇について調べたら第9代の神代時代の天皇で生まれ年は西暦換算で紀元前208年で111歳で崩御と相成る。どうも実在性に欠け怪しいが宮内庁管轄で御陵が実在することがなんとも不思議だ。

12:33 再びJR線でお昼も食わず法隆寺駅へ向かう。法隆寺駅12:43着 12:58 のバスまで時間があるのでコンビニに立ち寄り¥100アンパン購入し腹ごしらえ。バスが来たので乗車 法隆寺まで¥190、なんと半端な料金設定だ。おまけにつり銭の無いようにご用意くださいときました。

今日日スイカ(果物ではないよ熟年読者諸君!念のため)が普及し¥10両替機もないバスが増えた。このバスにも付いていないようだ。下車時結局¥200を放り込むハメに。往復¥20余分に取られた。乗客が多いから随分儲かるんだろうなあ・・・いやいや今時カード持たない奴なんかいないようだ。(´・_・`)ショボン

13:15頃法隆寺門前に到着、いよいよ前々から訪れて見たかった法隆寺のミステリー探索が叶った。

ここで法隆寺の歴史についておさらいしてみよう。歴史の成績が赤点で興味ない読者諸君は読み飛ばしてください。

①法隆寺の建立は7世紀初頭(607年)。聖徳太子が父・用明天皇のために創建した。斑鳩寺という別名もある。

②『日本書紀』では670年(天智9年)に落雷がもとで起きた火災で焼失した。

③再建時期についてははっきりした記録はないが建築様式などから、金堂が最も古く、ついで五重塔、仁王像のある中門、回廊が造られたとされている。

④夢殿を中心とする東院伽藍は、738年(天平10年)ごろに法隆寺の高僧行信がかつて斑鳩宮があった土地に聖徳太子を偲んで建てたもの。

次に聖徳太子を取り巻く歴史に触れてみると

①574年ころ生まれた。
②593年推古天皇の摂政となった。
③蘇我馬子と協力して、天皇中心の政治を目 指した。
④603年、冠位十二階を定め、604年には十七条の憲法を制定した。
⑤仏教をあつく信仰しており、607年に法隆寺建立
⑥同年(607年)小野妹子らを遣隋使として中国の隋に送り、対等の外交を行おうと努力した。

⑦623年に聖徳太子が亡くなる。次の日に妃も亡くなる。更に母上も2ヶ月後に死んじゃう。

*葬儀を執り行った記録が全くないそうです。!おかしくない?

⑧蘇我蝦夷の血縁、古人大兄皇子と聖徳太子の子である山背大兄王で皇位継承権争い勃発

⑨643年に蘇我一族に斑鳩の里を襲撃され山背大兄王子が一族もろとも自殺。

*戦うと多くの犠牲が出るからと一切抵抗せず一族総自決・・何かおかしい。そんなお人好し入鹿(いるか)・・親爺ダジャレ

⑩これにより蘇我蝦夷・入鹿親子の専横ぶりが激しくなってきた。

*つまり蘇我氏が聖人である次期天皇候補の聖徳太子やその一族を抹殺し天皇家の権力を奪おうとした大悪人だとされているが聖徳太子と蘇我氏とはかなりの血縁関係にありなんで抹殺されるのか理由付けに乏しい。


⑪645年蘇我氏の専横を憂い中大兄皇子と中臣鎌足が図り蘇我入鹿を殿中(て言わないか?)で暗殺。
⑫続いて蝦夷にも軍勢を差し向けたので蝦夷は戦わず自殺し蘇我氏中枢勢力滅亡・・いわゆる乙巳(おっし・いっし)の変。

*どうもこのあたりの事件が山背大兄王子一族自決とダブって見えるのは山爺の考え過ぎか。

⑬乙巳の変により中大兄皇子は後に天皇に即位(天智天皇)鎌足は功績により藤原の姓をもらいこののち藤原一族が専横を極め現在に至る・・中臣では中くらいの家来という意味だもんね。(嘘だよ~ん 笑   中臣とは神と人の間と言う意味合いで・・つまり神官職のことみたいです)

*この藤原嫡流から鎌倉時代以降に5摂家(近衛・鷹司・九条・二条・一条)という超名門の家柄が輩出され現代に至っている。

*これらのことは鎌足の息子藤原不比等さんが『日本書紀』を編纂した内容がもとになっている。勝者の立場で都合良く書かれていると多くの歴史家は言っている。

*山爺が中学時代に習った頃は、この一連の事件を大化の改新と教わったが今では天下のNHKさんも乙巳の変と言い換えている。上記名門家のいずれかが入鹿さんの祟を今でも恐れ各方面に働きかけ訂正させたのかな?・・だってそうだろう単なる政権争いだったとしたら、いつのまにか大悪人に仕立て上げられて誅殺されたあげく、世直し大化の改新だと嘘を言いふらされてはどんなお人好しでも怒る(祟る)でえ。

山爺も古代歴史は好きで色々読んでいるが真面目な歴史学者さえも『日本書紀』は歴史を捏造し捻じ曲げたた節が多々あり信用できないという説が多い。

急先鋒の著書に梅原猛(隠された十字架)関裕二(聖徳太子は蘇我入鹿だった)井沢元彦(逆説日本史・学校では教えてくれない日本史の授業)などがあるので暇な人は読むと面白いよ。

これらの著書によれば737年に『日本書紀』を自分に都合よく編纂した藤原不比等の息子4人が相次いで急死した。・・・いずれも天然痘らしいが彼ら四兄弟は生前に政敵長屋王に濡れ衣を着せて自殺に追い込むという悪どいことをやっている。

不比等はこれは長屋王の祟と恐れ彼を手厚く祀ったがなお異変は続くので、もっと悪どいことをやったご先祖様は誰だと追求し、ああこれはおれの親爺(鎌足)が入鹿をだまし討ちしたんで祟っているんだなあと思い蘇我入鹿の怨霊を鎮めるため架空の聖人、聖徳太子をでっち上げ褒め称えることにより怨霊を慰めようとしたと述べている。つまり聖徳太子=蘇我入鹿説である。

確かにこれまでのことを入鹿=聖徳太子とするとこれまでの事件のつじつまが合いスッキリする。

*聖徳太子と称号は太子の死後送られた忌名で生前は厩戸王子と呼ばれていたことは皆さんご存知と思うが徳の付いた皇族はろくな最後を迎えていない。つまりこれらの忌名は死に追いやった当時の権力者が祟を恐れて送った称号だ。孝徳、称徳、文徳、崇徳、安徳、順徳、いずれもその最後は不遇な扱いを受けている。

*蘇我氏は渡来系の人で律令制度の導入や地元斑鳩で善政を収めていたらしく今でも地元の人々は蘇我神社として手厚く祀っているそうです。・・・明治になってから入鹿は天皇家に盾突いた大悪人だから神社の名前を変えろと言われれも応じなかったとか。悪人だったら一番に地元民から見放されるもんね。

*歴史家達は乙巳の変は世直しでも何でもなく時の権力者と落ちぶれた皇族の単なる政権争いだと言う。
*悪者を追い詰め死に追いやっても殺された方にも非があるので納得?するので祟られないといいます。なにも悪いことをしていないのに欺かれ殺された場合に祟るとされています。・・加害者側に後ろめたさがあり良心が咎めるからだろうね。

法隆寺建立は蘇我氏ゆかりの斑鳩寺を廃寺とし付近に移築したものとか、この斑鳩寺こそあの聖徳太子の子、山背大兄王子一族が自殺した場所である。・・聖徳太子と山背大兄王子は架空の人物で蘇我氏一族が滅亡した場所と思えば合点が行く。加害者(中大兄皇子・鎌足)としてはそんな気味の悪い場所はさっさと解体したいものねえ。

移築、建立に際しては色々な怨霊封じが施されているというのだ。誰が誰に対し行ったのか。藤原氏が蘇我氏対して怨霊封じの仕掛けを施したと考えると真にスッキリとするのである。

聖徳太子がでてくると話がややこしくなり訳がわからなくなる。それもこれも藤原不比等めが自分達に都合の良いように(蘇我氏悪い人・藤原いい人)デタラメを書くから後の学者さんを悩ませることになるのである。・・・学者って頑固で頭が硬いから自説曲げないし・・なんでも東大と京大の歴史学者って今でも仲が悪いとか?・・


法隆寺に仕掛けられた怨霊封じとは

①中門の真ん中に柱が来るように建立・・・怨霊が出て行かないように通せんぼ。こんな建て方はあまりない。  ⇒

今回の拝観でよく見てこようと思ったが改修中でシートがかぶせてあり見えん!!いやぁ参ったねぇ。


*東大寺の南大門は2本の柱で出入りしやすくしてある。これが普通の建て方。   

*山門は俗世界との縁を断ち切る結界の役割を果たすため建立される。3間4柱(両側は仕切り板で塞ぐ)とか5間6柱とかが普通の建て方で法隆寺のような4間5柱構造は異例。

HP検索するとほかの建立例は出雲大社(大国主命)山田寺(蘇我石川麻呂)元興寺(蘇我氏)があるとされているがいずれも不遇な最後を迎えた方々ばかりである。・・・実物画像は確認できなかった。

石川麻呂は蘇我一族でありながら乙巳の変に中大兄皇子側に加担し、後に中大兄皇子・鎌足に惨殺された哀れな人物。




②五重塔の宝輪に鎌が刺さっている。二つも!・・・刃が下向きになっており五重塔から怨霊が出てゆくのを防いでいる。・・・落雷よけとされているらしいが落雷よけなら雷神様は上からやってくるので刃を上に向けなくては・・祟りじゃぁ!









③夢殿に安置してある救世観音が異常。

・仏様の光背の固定方法が異常・・大きな釘で仏様の後頭部にグサリ・・罰当たりも甚だしい。

たぶん呪い封じで夢殿建立した行信という坊主が誰かに命じられてやったんだろう。       ⇒

蘇我入鹿よ!迷わず成仏せい!グサッてなもんで・・おお怖わ!

この行信、没年不明というのも怪しい。利用されるだけ利用され消されたのでは?一説には下野の国(栃木県)薬師寺に流されたとも。

*行信:生没年不詳、奈良時代の僧、法隆寺、元興寺で活躍した、天平10年(738年)閏7月律師となり僧綱の一員として仏教行政に関わった。同11年に法隆寺東院伽藍(夢殿)を創建。

明治初年までこの状態でミイラのように包帯でぐるぐる巻きにし箱に収納、さらに鎖でぐるぐる巻きにして厳重に施錠、一切の開放を禁じて1000年以上も安置していた。・・余程祟が怖かったんだねぇ・・今日も黒い箱に入り公開していなかった。

とまあ長々とくだらないことを書きましたが少しは興味持ちましたか。あ!あんだって。くだらん。そう!法隆寺には百済ん観音もいるよ。・・親爺ダジャレ(^0^)

拝観料¥1500!(おお!高!お銚子4本だがね)を支払い寺院の中に、ここも半世紀ぶりである。中に入ると静けさが漂う。静けさというより不気味さと行ったほうがいいかな。あれだけ晴天だったのがここに来てにわかに黒雲が湧いてきたのも拍車を掛けたようだ。・・・実際大阪に戻る途中の車中で夕立のような大雨に見舞われた。・・・蘇我氏が怒っている。祟りじゃぁ!

なぜかほかの寺と雰囲気が違うなあ、と拝観しながら一生懸命思案して、はたと思いついた。そうだ、ほかの寺院より狭いのだ。しかも回廊でぐるりと取り囲んでいるから余計にそう感じる。
これも(回廊)怨霊封じの策に違いない。

前述した五重塔の宝輪の部分を凝視するとあるある鎌が2丁しっかりと刺さっている。風雨にさらされるので定期的に取り替えているに違いない。鎌の向きも偶然ではなく意識的に向きを決めているに違いない。

そばを偉そうな坊さん(白装で袈裟かけていた)が横を通り抜けたので余程『あの鎌は何のまじないですか?』と聞こうかと思ったが、聞けずに終わってしまった。

間違いなく怨霊封じだと一人ごちていると突然賑やかな人声集団が近づいてきて白昼夢が破られ気分がぶち壊しになる。中学生と思しき団体が旗持ったガイド嬢を先頭にどやどや進んでくる。

いやあ喧しいことこの上ない。仕方がないからゆっくり見学してご一行様をやりすごす。やれやれと思ったら次の中坊団体がまたやって来た。



阿鼻叫喚の中、法隆寺を拝観するはめになってしまった。これも蘇我氏の祟りか!。



寺院見学を終えたので夢殿に向かう。中坊共は時間がないのか夢殿には立ち寄らないようである。静寂の戻った参道を夢殿に向け歩く。

夢殿は前述したとおり聖徳太子を偲んだ行信が天平11年(734年)東院伽藍とともに創建したと伝えられているようだが100年も前に死んだ太子に大金をかけて誰が偲んで寺など立てるものか、時の為政者(藤原氏)に頼まれて怨霊封じのために建てたに相違あるまい。

ここに安置してある救世観音はほかの仏像と違い何故かお顔が人間っぽい作りとなっている。・・普段は非公開で山爺も今回の旅では見られませんでした。念のため。

聖徳太子(蘇我入鹿)に似せて作ったとされているが、なるほど最初は聖人・仏様と祭り上げて霊魂を鎮めようとしたのだろう。だがそれでも祟が止まないので業を煮やし、『え~い入鹿め!いい加減にせい』と頭に釘を打ち付け、包帯でぐるぐる巻きにし鎖でがんじがらめにして箱に封印、1000年以上もほったらかしにしたのに相違ない。・・恐ろしや恐ろしや。

*明治17年米国学者フェノロサと岡倉天心が夢殿を調査し布で幾重にも覆われれた状態でがんじがらめに施錠されていた救世観音を調査した。
当時この秘仏を白日に晒すと聖徳太子の怒りに触れ大地震が起こると言い伝えられていたので、いざ蓋を開けて布を剥ぐ段階になると僧たちは皆恐れて蜘蛛の子を散らすように逃げていったとか

ミステリー拝観を終えたので大阪に戻る事にする。法隆寺あたりから今回の旅のため新調した靴が合わず猛烈に足が痛くてたまらない。これも入鹿さんの祟りか?イ~さん頼むから八つ当たりは止めてネ。

4時頃大阪に戻れたので当初の予定では大阪城の周りを散歩する予定でいたが足が痛くてそれは叶いそうもないので、去年立ち寄った天満商店街の鉄板焼き居酒屋に直行することにした。


JR天満駅で下車、ここは降りると直ぐにゴチャゴチャしたお店が
並ぶ。東京の私鉄駅前のような雰囲気が味わえる。居酒屋さんのプライスを見てもリーズナブルな店が多い。生ビール中ジョッキ¥180とかチューハイ3杯飲めば1杯只とか。

覚えていたつもりでも同じような店が続いているので今ひとつ目的の場所が思い出せない。痛い足を引きずりながら20~30分も歩いただろうか。おお!ありました。いきなりその店の前に出ました。よかった。まだやっていたんだ。

ん!のれんが扉の向こう側にかかっている。まだ準備中かな。でも営業中の札は出ている、どうなってんだと、のれん越しに中の様子を伺う。お!居ました。マスターが1人で所在無い様子でテレビを見ています。

『こんちわ』と言いながら中に入る。『毎度、いらっしゃい』と親爺。


毎度はないだろう、1年ぶりである。忘れているようだ。ビールを注文しながらカウンターに座る。

ほどなく女将が買い物からか帰ってきた。『あら、あんさんは、たしか半年前に』私の干支より一回り上の女将は覚えていてくれたようだ。『いやぁちょうど1年ぶりですよ』『1年でっか、年取ると1年過ぎるのが早いでんなぁ』『お互い様で』と会話が弾む。いやぁ、立ち寄った甲斐があったというもんです。

こうなるとお酒も進む。日本酒に切り替えたので酔いも回り山爺も饒舌になる。・・・あんだって、もともと饒舌だと!・・そのうち常連さんが一人隣に座り会話に加わる。吉田類の酒場放浪記もかくやとばかり、おしゃべりが弾む。

楽しい時間はあっという間に過ぎる。深酒すると今夜の宿にたどり着けなくなるのでお開きにしお愛想とする。別れ際に女将が『お互い長生きして、また来年お越しやす』と言う。『はい来年また伺います』と約束し店をでた。

大阪・奈良・京都ぶらり旅・・前編 完



































2016年12月6日火曜日

16年度納会ゴルフ

16年度の納会ゴルフを12月3日(土)に実施しました。当初計画では3パーティで計画したのですが忘年会やら仕事やらで都合の付かないメンバーが続出し1パーティ4人になってしまいました。なんか寂しい納会です。

我が首都圏孔球親睦会の会則では会員の健康維持のため12月中旬から3月中旬は活動休止の取り決めがあるので今日が本年度の最終戦です。

納会の場所は茨城県猿島郡境町にある31CCクラブで開催しました。ここは料金も土曜日で¥9800とリーズナブルなので我が孔球親睦会が開幕戦と納会戦によく利用させてもらっています。

メンバーは東京のKさん埼玉北東部のHさんと山爺そしてゴルフ場近隣在住、千葉県北部のUさんの4人です。Uさんは数ヶ月ぶりの参加です。

http://www.31cc.com/




このゴルフ場は9Hしかなく(同じ所を2回ラウンド)距離も2612Yと短いのですが9H中7Hに池が絡んできます。ショートは全て池超え(6Hは浮島)でミドルやロングもグリーン直前に池が頑張っており、やっかいなコース設定となっております。


過去に、ここで1日に7回も池に放り込んだ気の毒なメンバーもおり、あなどれません。

コースレイアウトは大きな木に囲まれた林間コースで曲げると確実に1~2打はロスします。曲げないこと・池に入れないことがこのコース攻略の鍵です。・・って、♪ わかっちゃいるけど止められない。あっそ~れ!です。











スタートホールは370Y Parといっちょ前に距離があります。更にご覧のとおり左右が狭く左OBと右ワンペナが待ち構えております。

くじ引きでオナーを決めたところ山爺は4番手となりました。

まあいいさ!皆さんの出方をトクと拝見しようではないか。

一番手のKさんは力んだのか左に引っ掛けチョロ!

二番手はHさんはやや左への元気のない当たりでした。

3番手のUさんも左に大きくそれてすっ飛んだ。

皆さんスタートは調子が悪い。

山爺の番です。ここはシャフトを短く握りセンター前ヒットを狙うしかありません。ゆっくり振り上げ振り下ろす。打球はやや右ながらフェアウエイ方向へ。まずまずです。

2打地点で3Wか5Wか選択に迷ったがここのゴルフ場は全般に狭いので今日は3Wは封印と決めていたので5Wをチョイス。

打った打球はグリーン左方向へ。ここまでは計画通りでよしよしでした。

3打目はグリーンまで残り80Y。PWを選んでショット!打球は右にそれてグリーン手前のバンカーへ!

結局4オン2パットのダボ上がりでした。

その後もなんだか冴えず、ダボダボの連続。まったく我が人生に似たりで、よくも悪くもない平凡な結果が続きます。・・・なんだかなぁ(でたぁ阿藤節)


圧巻は6Hの135Y Par3です。ここは浮島グリーンなので乗るか落ちるかしかないやっかいな所です。

山爺の番がきました。落ちてもいいようにボロボールにボールを替えて、山爺として信頼性の高い9Wをチョイスして確実にONを狙います。

打ちました!。いかん右だ!打球はグリーン右の池に向かって一直線。これはいかんお陀仏だ!と誰しも思いましたが奇跡が起きました。それた打球が池の前の木に接触、ぽとりと池の手前のラフで止まったではありませんか。

ゴルフ神様のご降臨ですが、まだ油断は出来ません。深いラフなのでしっかり握って第2打!グリーンは捉えられませんでしたが池はクリアー!結局3オン2パットのこれまたダボで切り抜けました。

その後もダボダボの繰り返しで結局午前のラウンドは53であがりましたがなんともすっきりしない結果です。原因は池が邪魔し、思うように3オンを狙えなく4オン2パットの繰り返しが多かったことにあります。・・言い訳!午後も似たような状況でダボダボだぁの連続でなんとも不甲斐ない結果を残してしまいました。

ほかのメンバーの成績はKさんがこのやっかいなコースを93でラウンド、Uさんも97で100切り達成。Hさんは又もや池に捕まり109、山爺は池には1回しか落としませんでしたが後半のパット数が20と不調で108という結果となりました。

31CCさん。グリーン周りの池なんとかならんかねえ・・・真田丸のように戦い済んで和睦に持ち込み・・堀を埋めてしまえ!てな具合にならんかね。(^0^)Y

ヘボ川柳

★申告はいつも日本語トリばかり・・・たまにはバーディとかイーグルとか言いてぇ!
★人生もゴルフも同じ、いつもラフ・・なんで俺だけこうもついてないのか!
★戦略は3ホールまでが限度なり・・思うようにいかず後はめちゃくちゃ。


16年度納会ゴルフの項・・・・完













2016年11月29日火曜日

愛猫のこと・一人旅計画のこと

夢で見たつまらない話を今から書きます。m(_ _)m・・・11/28

昨日(11/27)去年亡くなった愛猫の夢を見た。場面は我が家らしいのだが雰囲気は少し違う。周りはどうも洪水らしく水で囲まれて水没している家も見える。私の夢は大抵総天然色(古っ!)なのであるが今回もカラフルな家々が水没している様子が見えた。猫は私の背中にまとわりついたあと飛び降りてどこかにいってしまった。

行方が心配になり、どこに行ったと聞いた相手が実の兄で、猫のいる方向を指さした。夢とは不思議なもので、そのときはなぜ洪水が起き、なぜ遠く離れて住んでいる実の兄がそこのいるのか疑問にも思わない。

見ると普段使っている厚みのある見慣れた座布団(背もたれ)の上で寝ているのだが中央が膨らんだ形状で収まりが悪い上に乗って寝ているものだからそこからずり落ちているところであった。相変わらずドジなことをやるなあこの猫は、と思ったあたりで目が覚めた。心理学のフロイトならこんな心情をどう分析してくれるのだろうか。

雄であった愛猫は下の娘が随分と幼い頃、家内と散歩中に近所の公園に捨てられていたのを拾って来たのが縁で飼い始めた。娘達が『たまら』と命名し、以来16年の長きに渡り我が家で愛嬌を振りまいてきた。生まれたばかりで、まだ目が開いていない時から育てたので自分のことを人間と思っている節が多々あり、猫らしからぬ変なところが随所に見られたおかしな猫に成長した。

たとえば不意に背中を触ったりすると『ううん!』といった人間と同じ音声で声を出すのでそのたびに家族は大受けであった。言葉も『ごはん』と言えばすっ飛んで来るし、『ないない』というと目を瞬き寂しそうな顔をした。『待て待て』といえば餌を見ないでそっぽを向くといった具合でかなりの言葉を理解した。

 また、いたずら等した時に叱りつけると毛造くろいして誤魔化したり、終いには専用のハウス(手作りダンボール製)の方にトボトボ歩いて行き、ふて寝する愛嬌者でした。

かなり賢い奴でガラス戸の鍵は小さな2重ロックまで外して開けたり、玄関のロックレバーをひねれば開くことをいつの間にか学習し開けようとする知能がありました。

掃除機が大嫌いで(大抵の猫は騒音の大きな掃除機は苦手のようです)いつも逃げ回っていたが、ある日、私がこたつでうたた寝をしているとカツン!カツン!と不思議な音に気づき目が覚めました。なんだろうと目をやると猫が、こいつめ、こいつめと一生懸命に携帯用の小型掃除機に猫パンチを食らわせている最中であった。大きな奴は怖いけど小さいこいつなら大丈夫と思ったのだろう。愉快なことをする奴である。

それだけの個性を持ち合わせただけに、私の夢枕に立ったと言うことは、『俺のことを忘れないようにブログで紹介しろ』とでも言われているよう気がしたのでブログで紹介することにした。

この猫が我が家に来るまでは、幼い娘二人はいつも口癖のように『なんかつまんない』を連発していましたが、それからはその声を一度も聞くことがなくなりました。よい遊び相手になったようです。二人が素直に成長したのもこの猫に負うことが大だったのでは、と本当に感謝しています。

娘達が成人してからは、ともすると家族の会話が途絶えがちになってきましたが、その時に救ってくれたのもこの猫でした。

猫を介して間接的に会話をするのです。お互い直接には言いづらいことを『そんなこと言っても無理だよねぇ、たまちゃん!』といった具合に・・猫は10年過ぎると人間の会話を理解するとよく言うので猫としてはえらい迷惑だったろうねえ。

いつの間にか家族の中心的存在となってしまった猫であったが去年の10月31日の早朝に突然亡くなってしまいました。

16年といえば人間では80歳近くの老人に該当していたようですが食欲も旺盛、洗濯機位の高さには軽く飛び乗れるくらい元気だったので我々にも油断がありました。死因はどうも毛玉が吐き出しきれずに喉に詰まったようです。日頃の状態をよく観察しケアして病院で見てもらえばまだまだ長生き出来たのではと今でも悔やんでいます。

亡くなったペットは市で焼却してくれるということを普段から知っていたのでそうしようとしたが、一度に数体くらい焼くようで娘たちから『それではかわいそう、お金出すから別のところで』と健気なことを言う。そんな訳でペット専用の葬儀社に持ち込み我が愛猫だけで火葬、骨壷に収め、と人間並みの葬儀をしました。

当日は土曜日だったので家族4人とも立ち会うことができました。娘達から『亡くなる時も休みの時を選んで本当に迷惑の掛からないお利口さんだ』のつぶやきが・・・本当に利口な奴でした。今、我が家の居間で供養しています。

ペットロス症候群という症状を知識としては知ってはいましたが、いざ体験してみると本当に辛いもので半年位は本当に寂しく家族の会話も沈みがちになります。猫を飼っているという存在ではなく完全に家族の一員あるいはそれ以上の貴重な存在だったのだなあと今もつくづく思っています。

愛猫が亡くなってから1週間後丹沢の塔ノ岳という山に1泊で出かけましたが山頂で猫に遭遇しました。思わず『おまえ、たまか?』と声をかけると『にゃ~』と返事をしてくれました。やはり私の後をついてきたのかと感傷的になり話しかけ続けました。

人馴れした猫のようで、しばらく私のそばにいましたが私には生憎と猫に与える餌らしき持ち合わせがありません。そのうち猫の方も諦めて別の登山者の方へ餌をねだりに行ってしまいました。

帰宅後その話を家族に話すと『好奇心旺盛なたまちゃんだから追いかけて行ったんだね、きっと』と喜んでくれました。

てっきり近くの尊仏山荘の飼い猫かと思っていましたが、後でHPで調べるとどうも麓から上がってきた野良猫で尊仏山荘の飼い猫とは相性が悪く追い出されてしまい、登山者から餌をもらいながら山頂付近のどこかで暮らしているらしいとか。・・・今年でもう3年くらい越冬し住み着いているスーパー猫らしい。

寒いのが最も苦手の猫がなぜ厳しい雪山の中で生き延びることが出来るのだろうか、頑張れよと応援せざるを得ません。今年は雪も多く厳冬の予報です。この猫が無事越冬できるか心配です。

1人旅のこと

今のところ失職中で日程に自由が利く・・・所謂暇なので、こんな時こそと思い立ち、格安高速バスを利用した大阪・京都・奈良へ放浪の旅に出かけようと考えています。・・・旅行業者のキャッチコピーではありませんが『そうだ!関西へ行こう』です。

高速バスは早割特別料金制というサービスがあり早めに切符を購入すると格安で手に入ります。出発の2~3週間前なら往きは(木)朝発で¥4000、復は(日)朝発で¥4300とメチャ安で購入できます。これが1週間前くらいになると¥6000~¥7000位に跳ね上がります。

そんな訳で、なにはともあれ大阪までの往復切符をNet予約で入手済みです。これで関西ぶらり旅実施はほぼ確定です。バスは往復ともトイレ付きなのでおションの近い山爺でも安心です。

去年もこれを利用して、犬山城・彦根城・姫路城と建造時から現存する古城巡りをしてきました。
夜は大阪のこれまた格安のカプセルHを利用し夜の居酒屋を訪問、人気番組、BSのTBS吉田類の酒場放浪記の真似を実践しました。
 
 今回は奈良の東大寺・興福寺・法隆寺、京都の八木邸(元新選組屯所)・御所を巡ります。奈良のお寺は高校の修学旅行以来の訪問で一際楽しみです。

法隆寺は一般的には聖徳太子が建立したとされているが哲学者の梅原猛ほかの学者によれば、ここは聖徳太子の怨霊の祟り封じのために藤原一族が建立したとの説もあり興味深い。

徳のついた人物の大半は諡号(死後の忌名)で大方は無実のものを陥れた側が祟りを恐れ神社を建立、偉大な名前とともに供養したものが多いという。崇徳・安徳・孝徳・称徳・順徳・聖徳いずれも不遇な死に方をしている場合が多いとか。

最近では聖徳太子そのものが実在したかどうかも疑わしいとの学説もある。あの乙巳の変(いっしのへん)で非業の死を遂げた蘇我入鹿の祟を恐れて、聖徳太子という架空の太子をでっち上げ祀ったのではという。そのために、あんな立派なお寺寄進したのだとしたら藤原一族よほど後ろめたいことをしたのかなぁ。。

そういえば私が若い頃に習った日本史では大化の改新と言っていたはずだが最近はNHKでも乙巳の変と言い換えている。そりゃあそうだろう。改新でもなんでもなく、なにも悪いことをしていないのに、ただの権力争いで殺されたのだとしたら、蘇我入鹿としてみればいつのまにか大悪人とされてしまい、『ふざけるな何が改新だ!よ~し祟ってやる』と、こうなるだろう。・・現代の祟られる側の誰かがこれを意識し言い方を変え始めたのだとしたら?。(笑)・・いや笑い事ではなく恐ろしいことです。

この辺の知識をもう一度おさらいしてから法隆寺を訪問するのも面白いと思います。

夜は大阪の道頓堀・難波で山爺版酒場放浪記をやりたいと思ってます。

去年立ち寄った天満商店街の鉄板焼屋さんを今回再訪しようとも考えてます。山爺よりひと回り干支が上の女将に再会するのが目的です。・・覚えていてくれるかなぁ、無視されるとガッカリですが・・・。

愛猫のこと・一人旅計画のこと・・完



2016年11月23日水曜日

中学時代の同窓会に参加

中学時代の同窓会が開催されるという往復はがきが舞い込んできたのは10月半ばであった。5年ぶりの開催なので是非参加を、と書かれている。日にちは11月20日(日)17時からのようであるが、この時間からでは遠方からやってくる者は2次会への参加はまず無理だろう。何と言ってもこういった催しはお酒の入った2次会からが盛り上がるのでそれに参加できないのは誠に残念である。

そんな訳で参加するのを躊躇していたが、あれからもう5年も立っている。女子も男子も大分変貌(老けた)を遂げているだろうし次回開催がいつになるかも分からない。そうこうしているうちに幼馴染のYちゃん(女子)から電話で催促が来た。この後押しにより参加することにした。

ただ今回の会場となる居酒屋は駅から離れているのも問題だ。我がふるさと北関東T市は最寄り駅が2つあるが今回の会場までは、いずれの駅からも離れている。地元優先での会場選びで県外者への配慮なぞお構いなしのようだ。・・・おお~い、幹事さん。今後は県外者のことも配慮してくれぇ。 (;`Д´)<お゙お゙!お゙お゙!

幸い開けたほうの駅前からちょうど良い時間帯のバスが出ていることが分かったのでそれに乗車し会場まで行くことにした。

私の住む埼玉のH駅を15時頃に出発、予定通り16時過ぎT市に到着した。バス停にて10分ほど待つと中型バスが定刻通りやってきたので運転手に行先を確認し乗車する。ほどなく発車、見慣れた市街をバスから眺めるのは初めてである。

T市も近年開発が進み駅周辺も随分と都市化してきている。それに引き換え私が住む埼玉の北の外れH市はどうだろう。住みついて28年が過ぎようとしているが都市化とは無縁、駅舎が少し変わっただけで街並みはまったく変わらないでいる。もしも毎年同じ場所から街を撮影し10年経って見比べてもまったく変わらないだろう。そんなところに私は住んでいるのだが、まあそれはそれで、のんびりしていて住みやすい街だけどね。・・・負け惜し。(^0^)/

しかし、ふるさとのT市も5分も走ると元の古臭い町並みへと変わった。うん!こんなもんだよ、と納得していると、またまた賑やかな国道沿いの郊外へ出た。開催時間まで少し時間があるので会場のちょっと先にある公園まで足を延ばすことにした。

T市駅の駅舎も今でこそ近代的な建物に変貌を遂げているが昔は古色蒼然とした佇まいで明治村に移築してもおかしくない価値のある建物だった。私はそのレトロな旧駅舎のほうが好きだったのであるが、とうの昔に取り壊されていたものと思っていた。バスの時間をPCでを検索中にそれが公園付近に移築保存されていることをHPで偶然見つけたので、それを見学するのが目的である。

公園口に到着したので下車すべく料金の¥200を払おうとすると料金投入口がふさがっている。んん!どこに入れるのだと目が泳ぐ。すると運転手から『今日は県知事選挙なので無料です』と告げられました。ええっ!選挙とバスの運行とどう関わりがあるんかいな、一瞬固まったが、ともあれ無料とはラッキーである。只より安いものはないと気分良く下車し、薄暗くなってきた道を急ぐ。

おおっ!ありました夕闇のなかにそれは突然現れました。周囲が田んぼなので違和感はあるものの懐かしい佇まいです。なんせ独身時代に20年近くも通い続けた駅舎なので懐かしさでいっぱいです。新駅舎を作る際てっきり取り壊されていたものと思っていただけに、よくもまあ無事に残してくれたものです。T市の皆さん!なかなか味な真似をしてくれますなあ。ありがとうございます。深く謝意を表します。

腕時計を見ると宴会開始5分前である。急いで会場へ向かう。会場の居酒屋へ着くと入口に4~5人中年親父がたむろしている。何人かこちらを見ているが、声が掛からないので同胞ではないのかな?。そのうち彼らは居酒屋内に消えました。たしか彼奴はと思うがこちらも自信がない。彼らのあとを、トコトコついて行く。

途中で店のお姉さんに『H中の同窓会は』と聞くと先ほどの中年男達が歩いて行った方角を指さした。おお!いるいる皆さん既にほとんどお集まりである。先ほどの中年はやはり、わが同胞であった。『おおい、しばらく』と声を掛けるがこの時点では相手は誰だか分からない。向こうもしばらくキョトンとしていたが。『おお、Kか!』とこちらに気がついた。

幼馴染のYちゃんとも再会、相変わらず元気印の女で息災の様子、いやあ結構、結構。今となっては貴重な女友人である。お互いいつまでも長生きでいよう。

参加者は16人くらいだろうか。女子は少なめのようだ(5人)。座敷に上がり、『いやあ、しばらく』と声を掛けながら男子群の中へ分け入り座り込む。正面に座っている3人のうち2人は直ぐに思い出したが残り1人が分からない。私の両隣の男も誰だかさっぱり思い出せない。

正面の男、誰だっけ、う~ん!ニックネームは直ぐに出てきたが本名が思い出せない。『〇でもなし×でもない』しばらく思案の後、我がくたびれた脳が前頭葉からデーターを引き出した。『おおAか、そちらはWだよな!』・・相次いで思い出す。

あちこちで、お前誰だっけ、と誠に失礼な会話が飛び交うのも同窓会ならではの醍醐味である。そんな中にあっても中学時代とまったく顔の造作が変わらない学術的に貴重な奴もいた。

良く人の顔は20代までは親からもらった顔、それ以降は自分の顔とか言うけれど親からもらったまんま、中学時代とまったく変わらないあきれた奴が我が同胞にも複数いた

お互い相手を思い出し識別が出来たので会話も弾んできた。もう還暦もとうに過ぎた面々である。話題はなんたって体の具合の話を外す訳にはいかない。誰かが『薬飲んでる人手を挙げて!』というと大半が手を挙げる。中には『毎朝腹いっぱい飲んでるよ!』といったすごい奴もいる。全然飲んでない人は?と質問すると、なんと私の向かいの席のA君が手を上げた。『お前その年で薬いらずとはおかしいぞ!病気だよそれは!一度医者に見てもらえ』、てな会話が飛び交う。(笑)

宴もたけなわ、自分のカメラを取り出しあちこち記念撮影を撮る。ブログ掲載用だと告げるとメールで送ってくれと注文がきた。『あいよ』と軽く返答、箸のケースにアドレスを書いてもらう。すると隣に座っていたI君がやおら¥1000札取りだし俺に郵送してくれと懇願してきた。金は不要と固辞したがどうしてもと言うのでありがたく頂戴し、金額分印刷して郵送するので皆んなにも配ってくれと約束した。

俺の遺影に使うからいい男に撮ってくれという奴も複数現れた。カメラがいいから良くは撮れるがいい男は無理だと言い返す。まさに無礼講、これだから同窓会は楽しい。あっという間に中学時代に逆戻り、だんだん皆んなの顔が当時の顔立ち戻って来るから不思議なものである。

カメラは旧駅舎の撮影用に持ってきたのだが思わぬところで宴会盛り上げに役に立った。持ってきてつくづくよかったと思う。

女子群にカメラを向けると慌てて顔を隠す者もいる。今更隠したってしゃーないではないか。老いるのは私も嫌だけれども現実として受け止めないとねぇ。

『人間50年(もう皆んなとっくに通り過ぎた!)下天のうちにくらぶれば夢、幻の如くなり』とはよく言ったもんだ。金持ちも貧乏人も年齢だけは平等に過ぎてゆく。平等でないのは途中で人生のリタイアが起きることである。

皆んないつの間にか齢を重ね無事ここまで来たことに改めて感謝しなくっちゃ。・・・不幸にして途中でリタイアした者もいるのだからして・・・ここまで来たんだ、これからもコケないよう用心して頑張らなくっちゃ、ねえ、ご同輩!。(´^ω^`)

宴が進むにつれ皆んな打ち解けたのであちこちで遺影や見合い?用の単独撮影やツーショットシーン等が沢山撮れました。墓も生前に作ると長生きすると言われているので遺影も生前に準備する奴は長生きするよ、きっと、うん。

次々と料理が運ばれてくる中、きしめんの様なメニューが出てきた。そろそろ宴会お開きかな?と思っていると代行車の予約会話が交わされ始まった。楽しかった宴もどうやら終盤に近づいたようである。

次回は来年ね、とか2年後では、とかの会話を皆んなで交わす。そうだよ、これからは5年後では遅すぎるゾ、・・・理由は言わずもがな。(^ω^;

是非とも早めに開催して欲しい。『鬼怒川で泊まりでどうだ格安で企画するゾ』との声もあがる。・・・だれだそんな提案した奴は・・・って俺かい(1人ツッコミ)。結構賛同者もいるようなので本気で計画しようかな。大盛り上がりのうちに1次会は幕とあいなりました。

地元の方々はこれから二次会へ行くようです。いいなあ、前回も参加出来なかった。次回は早い時間での開催か温泉でゆっくりしようではないか。おいらのコミックソングたっぷり聞かせてやるぜ・・何!それだけは勘弁してくれだと! (`ヘ´) プンプン

帰りは、自分の車で駆けつけたA君が駅まで親切に送ってくれた。いささか酔っている中で20分の徒歩行軍は辛いところだったので多いに助かった。

このA君、お酒は呑めるのに埼玉S市からわざわざ車で駆けつけたそうだ。地理的条件からそうしたのかな?。我々は中学時代に、たった1年だけ一緒に過ごした、それだけの間柄なのに、やはり同窓会というものは飲む事を犠牲にしても参加したくなる何かがあるようだ。


中学時代の同窓会に参加の項・・・完






2016年11月16日水曜日

月例ゴルフ行ってきました。



月例ゴルフに行ってまいりました。今回の場所は群馬県倉賀野にある高崎市民ゴルフ場です。
新職場が馴染めず、むしゃくしゃしていたので絶好のストレス解消の機会となりました。

このゴルフ場は西と東に別れ各々6ホールの変則設計です。何かで聞いたことがありますが、河川は国の管理下にあるので9ホール未満のゴルフ場は公園扱いとなり賃貸料が大幅に低減されるのだとか、料金をリーズナブルにするためあえて6ホールで抑えているのかな?・・本コースにするつもりなら6ホールくらい増設する広さは十分ありそうです。

3コース回れば18Hとなるので、まあその辺は割り切って考えてます。河川ながらコースコンデションはよく手入れされており、広くて距離も長く、東→西→東と回ると全長5845Yあります。601Y Par6 などの名物ホールもあり侮れません。

なんといっても安いのが魅力です。土曜日でありながら¥6150(食事無)例によって山爺はシニア扱いなので更に特典があります。なんと¥4720!¥1430も割り引いてくれるのです。高崎市偉いゾぉ~正義の味方!今後共アベノミクスに負けず頑張ってください

高崎市民は当然これより安く土日でありながら¥4610、シニアはなんと¥3490、(平日¥2050)だそうです。これなら毎週行ける、高崎市民になりてぇ。  ・・右画像は河川らしからぬロケーションのゴルフ場風景です。

メンバーは前回の上武G場と同じで都内のKさん、埼玉中部のSさん埼玉東北部のHさんと山爺です。

スタート時間は手頃な9:03を取りました。我々2人は予定通り30分前の8:30にゴルフ場に到着です。おやぁ!いつも早く到着し練習に余念のないKさんがいません。またSさんもおりません。

すると山爺の携帯に入電!Sさんからです。『関越で渋滞に巻き込まれてのろのろ運転中、到着大幅に遅れそう』、『今どこですか』『川越と鶴ヶ島の間』。!?工エエェ(゚〇゚ ;)ェエエ工!?だからKさんも居ないのか!弱ったなぁ・・・とそこへKさんが到着しました。

聞けば鶴ヶ島で事故渋滞との情報がはいったので、一旦関越降りて鶴ヶ島を迂回、再度関越に入り無事到着、全てナビの指示通りに来ましたとのことでした。そのお利口さんなナビはスマホだとか。さすがスマホは優秀な案内をするようです。普通のナビの売れ行きが落ちているのも分かるような気がしました。

Sさんは通常ナビなのでこの情報が入らず、いきなり渋滞の最後尾まで走ってしまったのだと思います。

仕方ないのでフロントに連絡し時間変更を依頼しました。9時半ころになるとカートは殆ど出払ってバックが積んであるのは我々だけです。フロントからも到着次第いつでも出られますとの暖かい声援が・・・・といっても4人揃わないことにはどうにもなりません。麻雀ならそこにいるカート係員に代打ちを頼む場面です。・・・右画像は所在なく、ただ待つだけのメンバー。

9時40分・・50分・・まだ来ません。そのうちレストランがオープンしました。じゃあ一杯やるか!と3人で相談していると、来ました。来ました。ようやく4人揃いました。バック搭載もそこそこに出かけようとすると今から12ホール回ると(変則なので6H・6H回って昼食さらに6Hが通常のラウンド)昼食が遅くなるので6Hで昼食にしますか?とのこと。早く回るには先に12H回ったほうが食堂もすいているので良いのでは、とのアドバイスも受けたので12H強行軍で行くことにしました。

するとフロント嬢が駆け寄ってきて、お腹すくでしょうからと一人2個づつ飴玉非常食の差し入れがありました!。おおぉ!なんて親切なんだろう。嫁にもらうなら気の利く群馬嬢ですよ皆さん! (´;ω;`) 感激です。


せわしなくクラブハウスをあとにしゴルフ場へ。

いやあ広々としていていいですなぁ。河川とは思えないロケーションが目の前に広がります。

東西のスタート地点に行くと係員がおりました。

西はコンペが入っているので間に割り込めない。東から出たほうが空いているとの指示なので東→西のコースを回ってそのあとは状況次第ということなりました。


スタート前のKさんパットのチェックに余念がありません。・・・(右画像)

ドタバタににも動ぜず落ち着いています。さすがです。

確かにゴルフはアマチュアでもパット次第でスコアーが5~6は変わるほど重要な技です。なにせ全ホール使う道具ですから。

私もパットチェックしなければと思いパターを取りにカートに戻りました。パターを引き抜き再び練習グリーンへ戻ったのですが、『そうだ!ブログに載せる画像を撮らなくては』と思いパターを生垣に立てかけてカメラを取りにまたカートへ・・・このあと悲劇が訪れるとも知らずに・・


スタートは東7H283Yサービスホールです。ここは距離が短いのでドライバー禁止のホールです。Sさん、やはり心にゆとりがなかったのか打った打球は大きく左に曲がりラフを転がり藪の中へ。いきなりOBです。いやぁなものを見たなあ。次は山爺の番です。朝一は体が硬いので3Wにするか5Wにするか迷ったのですがここは一つサービスホールなのだからと3Wをチョイス。これが裏目に・・打った打球はSさんと同じ弧を描き、ラフを転がりOBの待つ藪の中に消えました。

スタート早々二人共前進4打の救済マーカーから第4打のハメに!。
な~に!救済マーカーからは残り100Yもありません。4オンさせればまだ望みはあります。先に打ったSさん上手く4オンしました。次は山爺の番です。残りのメンバー2人はもうグリーン周りにいます。なんとしても乗せなければとプレッシャーがかかります。結果はダフリでグリーン手前のラフへ!ああぁ~です。第5打はややトップながらグリーンを捉えました。よし!と思ったがボールがなかなか止まりません。とうとうグリーンオーバーし向こうへ消えました。どうなってんだあのグリーンはと腹が立ちました。・・・この後分かることになるのですが今日はベントグリーンで河川には珍しく高速っぽいグリーン仕上がりとなっており、パターで苦しむことになります。

まあいいさ、あの位置ならカップも近いし2打で上がることも・・・うまくすればチップインも可能とグリーンに上がりいつも携帯のサブバックの中のを見ると、ガガーン!パターが入ってないではありませんか。

急いでカートに戻り探してもありません。『おーい、俺のパター誰か持っている?』と聞いても全員左右に手を振るだけで返事はNoです。いやな予感がしてきました。賢明なる読者諸君はもうお解りのことと思う。そうです、スタートホールの生垣に立て掛けたままなのです。ほかのクラブなら無くとも何とかなりますがパターだけは無いとゴルフが出来ません。えらいことになってしまいました。前の組が気づいて持ってきてくれないかなぁと淡い期待をしつつ、取りに戻ることにしました。

急いで小走りに元来た道を戻ります。もう次の組はセカンドを打つ用意をしています。恥ずかしいったらありません。前の組が私を怪訝そうに見ていますが『パターですか』の声は掛かりませんでした。ガッカリ!。

スタートホールまで戻ると次の次の組みがティーショット打つ体制です。そこも通りすぎ、練習グリーンのそばの生垣を見ると、おお!ありました。立て掛けたままです。

急いで戻りたいのですが、もう息が上がっていけません。とぼとぼ皆のところへ戻ります。グリーン上ではもう次の組がパタープレーに入ってます。山爺のボールはメンバーが既に回収したようです。前進4+3ということで交渉成立。いきなりトリプルスタートとなってしまいました。

8Hは360YPar4です。左OBですが右は広く、なんの問題もなしです。と思ったが山爺の打球はいきなり左にすっ飛んで行き、あわれOBゾーンの露と消えました。またもや、おトリ様です。アクシデントの後で精神動揺しっぱなし、意気消沈です。

9Hは486Y Par5のロングホールです。ここでもおトリ様がご降臨遊ばしました。3連続おトリ様です。もうあきまへん。その後ボギー・ダボ・パーとやや立ち直ったところで6ホール終了、西コースに移動です。

西コースに着くと3台カートが止まってます。

スタートホールは134YPar3からです。なんでこんなに広いショートなのにこんなに詰まってるんだと、それぞれの組のプレー振りを見学するとメンバーの中にチョロ連続や真っ直ぐに飛ばせない者が混じっています。これは時間がかかりそうです。

東の最終Hでパーで上がりやっと掴んだオナーの座ですがこうも待たされたのでは、昔の会社の経営陣の決まり文句ではありませんが、先行き不安!

散々待たされやっと私の順番が回って来ました。こういう状況ではあまりいいことは起こりません。案の定、第1打はダフリでグリーンとティグリーンの間くらいのラフに落ちました。2打も乗らずグリーン手前のラフです。隣にSさんのボールがありました。Sさんが打ちます。ボールは上手くあがりピン方向へ。手前で1バウンド・2バウンド!おおっ!そのまま入ってしまいました。チップインバーディです。
それに引き換え山爺はやっとこ3オン。なんとかねじ込んでやろうと無理をしたのがいけません。ボールはカップをかすめ打った距離より遠くで止まりました。やな予感!返しも入らず3パット、またもおトリ様スタートです。

結局9Hまでの暫定集計は56となりました。10Hめからは別カウントです。よ~し頑張らねばです。ショートが2つ続きましたが4・6とこれまた不調、名物ホールの6H Par6をなんとかダボであがったものの憂鬱な結果となりました。やっと昼食です。時間は2時を回っていたと思います。

次のスタート時間は、なんと昼食終えたらいつでも出られるそうです。何のこっちゃ!。またまた慌ただしいことになりました。

昼食はざる蕎麦にかき揚げ丼+グラスビールをチョイス。これで¥950とは高崎市民ゴルフ場、やはり庶民価格でした。かき揚げ丼なかなかのお味です。

慌ただしく、残り6ホールを回りましたが、またまたスロープレーに巻き込まれ最後のホール当たりで日没となってしまい薄暗い中でのプレーとなってしまいました。

今回の月例会は結局、スタートから昼食含め御終いまでドタバタとスロープレーに悩まされ、なんかスッキリしない結果となってしまいました。

そんな状況下でも1人気を吐いたのが都内のKさん。あれだけの不安定な環境ながら47・44と好成績でした。

月例ゴルフに行ってきましたの項・・・完