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2025年12月25日木曜日

#近江長浜に行って記た。(高速バスぶらり旅)

 山爺のぶらり旅の時期は例年12月と3月が多い。理由は概ね次による。

①12月・3月は雨が少なく天候も安定しており、暑くならないので散策に適している。一昔前(今も?)なら5月・10月が過ごしやすく行楽に適していたのだが近年になってから季節外れの暑さが多くなり長時間の散策には適さなくなった。

②格安でJR路線が利用できる青春18切符の発売時期が8月・12月・3月である。8月の利用は猛暑の中、命懸けの旅になる恐れがあるので論外。

③春~秋は登山やゴルフのイベントと重なるので軍資金が枯渇、ぶらり旅まで予算が回らない。

などなどである。12月も暮れ近くなると本格的な寒波が来るので早めの時期に行動するようにしている。

さて、今年はどこに行こうか、前々から訪ねたいところがある。近江の長浜だ。ご存知、羽柴秀吉が信長から築城を許され、初めて城持ち大名になった地域で来年の大河ドラマ”豊臣兄弟”でもロケ地となるに違いない?。

ほかに映画”男はつらいよ第47作・拝啓車寅次郎様”のロケ地となった地域でもある。

山爺は”男はつらいよ”の映画は大好きでTV番組に載るたび楽しみに見ている。元グループサウンズあがりのタレントが出演した1作を除いては・・・

山爺は全身に横柄感漂うこのタレントが若い頃より嫌いである。だからこのシリーズだけは観ていない。 (^^♪ 同じグループサウンズからの出身で役者さんになった人(兄弟)には好感を持っていることも伝えておく。

1994年の12月に公開された第47作目は渥美清晩年の出演で当人は既に癌を煩い相当無理を押して演技した様子が伺える。顔色自体がよくなく人相まで変わってしまっていた。そして48作目を撮り終えてまもなく亡くなった。(1996年8月没)

そんな理由からか山田洋次監督は47作目は渥美清に気遣い寅さんの出番を少なくし満男(吉岡秀隆)と菜穂(牧瀬里穂)の演技が光る作品となった。その場面の多くに長浜の街並みが出てくるのである。

秀吉ゆかりの地域で長浜城もあり映画”男はつらいよ”のロケ地でもある長浜。

ほかにも長浜は毎年4月に豪華絢爛な舞台を設えた曳山が繰り出し曳山舞台で子供歌舞伎を演じることでも有名だ。

見所は沢山あるに違いない。今回の高速バス旅は長浜で決まり。


青春18切符は11月28日が発売開始だが使用期間は12月12日~1月12日なので利用は諦めよう。

ここは毎度ながら東京~名古屋間の高速バスに頼ろう。検索すると出発予定の12月6日は手頃な9時の時間帯は¥5000以上で高額なので敬遠、10時30分発に¥4000と値頃な空きがあったので予約。帰りは名古屋発13時の便を¥3000と格安で手に入れた。


相変わらず往復¥7000と貧民たる山爺にやさしい料金だ。鉄道利用の場合、各駅停車で節約して乗り継いでも片道¥6380、しかも到着がバスより1時間も遅い。

バス旅の唯一の欠点は途中下車して寄り道観光が出来ないことだけです。第一いったん乗車すれば爆睡していても置き引きに会うこともなく安全に現地まで運んでくれる、こんな便利で楽ちんな移動手段はありません。 

10時30分のバスに乗車すべく9時30分に東京駅に到着した。ずいぶん早めだね?ですって。早く来たのには理由があるのです。

①八重洲口にある駅弁屋”祭り”で昼食を購入する

②念のため用便を済ませる。バスの中にもトイレがあるが衆人監視の中での使用になるので・・何だかなあ・・  (^^;

③飲み物・茶菓子購入 

などなどを済ませているとあっというまに30~40分は過ぎてしまうからである。

駅構内にある駅弁屋”祭り”で弁当を購入、乗車15分前にバスターミナルに行きバス便の確認。今回も東京~名古屋の直行便を選んだので八重洲口9番乗り場から発車である。

さて、検札を受けてバスに乗りこもう。近年は乗車券という紙切れは存在しない。大方の人はスマホ内に記憶してある乗車用QRコードを係員に掲示してチェックを受ける。

山爺はいまだ携帯の情報というものに自信というか信用ができないでいる。だいたいに携帯も含め機械というものは常にトラブルが付き物で使えなくなるというリスクを持っているが紙にはそれがない。

PCからプリントアウトした乗車用QRコードを透明カードケースに大切に挟んでおいてバッグから取り出しチェックを受ける。断っておきますが山爺意外にもそういう人が何人かいましたからね。

車内はほぼ満席である。定刻の10時30分に発車したが出たとたん早くも道路が混んでいて渋滞模様だ。車内は小テーブル付きで足元も広くて快適。お茶飲みながら読書・睡眠・読書を繰り返す。しばし山爺至福の時を過す。

第1休憩ポイントの足柄SAに40分遅れで到着。ここで15分の休憩。

足柄SAでの楽しみは富士山が間近に見えることである。いそいそと下車して富士山方面に目をやる。

雪をまとった富士山がどっしりと鎮座しておりました。いいねえ、これを見ただけでも旅に出た甲斐があったというものです。


12時もとうに過ぎたので昼食タイム。八重洲口で購入した駅弁を車内で広げる。

例年は柿の葉寿司を選んでいるのだが今回はカニが入っていて美味そうな”日本海味自慢”を買ってみた。

ひと口、パクリ、うん、これはこれで旨いなあ。またひと口。饅頭のコマーシャルではないが『うまい、うますぎる』だ。お銚子が1本欲しいなあ。

第2の休憩地点遠州森町に到着。高速バスは2時間以内に必ずSAに立ち寄るので気分転換になり助かる。エコノミー症候群の予防を兼ねているのかな?。せっかくの休憩時間でも車内で動かない人も沢山いる。そういう人々はエコノミー症候群に無関心なのかなあ。

ここまでくれば名古屋まで1時間30分足らずだ。

到着予定より30分遅れの16時15分に名古屋駅西口のバスターミナルに無事到着。30分程度の遅れは想定内である。

さて、今夜の宿の栄町の近傍にある有名な大須商店街を散策しながら名物の味噌カツで一杯やろうか

目指すお店はGoogleMapで既に調べてある。

大須商店街をしばし散策したあと頃合もよし、目指す居酒屋に入る。

まずは、ちょい呑みセットを注文、つまみ3点に好きな飲み物1点で¥1100だったかな?・・おつまみの一つがお刺身なのが嬉しいねえ。ついで本命の味噌カツ3本¥600也を追加注文。

うん、旨いなあ。味噌だれが甘い。この甘さならご飯のおかずにもちょうど良いかも知れない。

つまみがあるのでもう一杯追加したいところだが最近山爺はとんとお酒が弱くなり、このあとの行動を考えると(サウナで入浴など)自信がないので、これでお勘定。

このあとは栄町に移動しサウナホテル宿泊だ。

翌朝、名古屋発9時30分の電車で一路長浜へ、米原で乗り換え11時30分長浜駅に降り立った。

電車の本数が少ないので(1時間に各駅1~2本・特急1本)小さな駅を想像していたが長浜駅は大きな駅だった。まずは西口に出て長浜城から散策しよう。
駅から北の方角に見える雪をまとった大きな山が見える。なんという山かなあ。
(伊吹山1377m)









【山爺の一言メモ】

長浜城

1573年、姉川合戦により浅井長政を打ち破った織田信長は功績のあった羽柴秀吉に浅井の所領であった長浜を与え築城を許した。これにより秀吉は初めて城持ち大名となる。

1574年に長浜城の築城を開始、翌年に完成した。信長没後は清洲会議で一旦柴田勝家に譲られたが信長の跡目争いで合戦(賤ヶ岳の合戦)、その際に秀吉が長浜城を奪還、戦の拠点にしている。

秀吉が天下人になってからは山内一豊の居城となった(1585~1590)が一豊が移封されると次第に荒廃した。徳川家康の天下になると家康の異母弟内藤信成が入城、大改築を行う。その後内藤家が1615年摂津高槻城に転封されるとまたも廃城となり石垣・櫓材は彦根城に持ち出され長浜城は完全に消失した。現在の城は昭和58年再興されたものであり市立長浜市歴史博物館となっている。

駅の西口を出るとすぐに長浜城が目に入るので道迷いはない。





お城の園内に近づくと猫ちゃん達がお出迎え。

ぶらり旅を始めてから感じたのだが、およそ城には猫が居ることが多い。

寝処には困らないし大勢の人から餌をもらえるので住みやすいのかな?
茶虎くんがじーっと山爺を見ている。

『おまえ、何者だ』と明らかに歓迎モードとは異なる表情。しっぽも丸めて警戒感丸出し。

あ、怪しいものではありません。ただの旅人でして・・と心で話しかける山爺であります。

お城見学は後回しにしてまずは琵琶湖湖畔にでてみよう。うわあ、綺麗だなあ。こうして見ると長浜城(画像右の木々の間に小さく見える)築城の目的が琵琶湖の航路を監視とういことがよくわかります。


写真では解像イマイチですが肉眼では水平線まで綺麗に見えています。

明治以前、京都への生活物資の大半は波の穏やかな日本海を北前船が運んで敦賀の港から琵琶湖を経て運び込まれた。

交通の要所たる琵琶湖。ここを制する者、天下を制す。ゆえに古来より覇権者は琵琶湖周辺に居を構えた。

信長が安土に城を構えたのもこの周辺が北国街道・中山道・東海道と言った街道の合流点であり琵琶湖の航路とともに交通の要害だったからだ。

長浜城は小ぶりながら均整のとれたお城です。

小さいのは信長に遠慮したからだろう。

当時信長は岐阜城に居を構えていたが岐阜城より立派なもの作ったら信長大魔王から『おぬしも偉くなった者よのう』と罵倒され謀反の疑い有りと烙印押されて秀吉の首が即飛ぶかも知れないからなあ。・・・(^^♪

正面に回ってみます。石垣は当然野面積み?のようですが・・・ふええ、階段がきつい。


近づいてみると・・やはり小さい。
秀吉さん、信長さんにだいぶ遠慮しているのが見え見え。

入館料は大人¥410、高齢者割引はありません。 (;ω;)

受付嬢に聞いたところ写真撮影は展示物については禁止・最上階の展望エリアはOKとのことでした。

展示品に大したものはなく写真に撮りたいものはほとんどありませんでした。

興味を引いたのは姉川合戦(浅井長政と織田信長の戦い)のときの長政の直筆書状くらいかなあ。

お城のてっぺんから琵琶湖を臨む。

琵琶湖がよく見えます。

信長さんから貰った長浜の町を統治するのが目的ならお城を町の真ん中に造るはずだ。この城を建てた主目的は、やはり琵琶湖の監視だわ。

信長さんに『よいか、はげねずみ、湖畔に城を築いて船の出入りをしっかり見張るんじゃぞ』とか言いくるめられ秀吉さん泣く泣く長浜の地の端っこに築城したに違いない。
・・あくまで山爺の私見です、はい (^^♪ 。・・でも古文書によれば最初は長浜の中央に築城したという記録もあるらしいです。

さて、次は東口に回って長浜の街中を散策しよう。

映画男はつらいよ47作目で満男(吉岡秀隆)が大学先輩の川井信夫(山田雅人)から長浜の祭りに誘われ川井家の旧家を訪ねるシーンがある。

映画では長浜駅からタクシーで乗り付けることになっているがロケに使われた旧家は駅から歩いて5分も掛からないのでタクシーに乗る必要はない。山田監督の意図はどこにあるのかな? まずはそこを訪ねよう。

ロケで使われたのは鍋商という老舗の醤油店さんです、いい店構えですねえ。
映画では、川井家(鍋商)のお向かいが川井家が委託経営している郵便局という設定ですが本当は中日新聞の営業所でした。よく化かすもんです。




鍋商さんから100mほど駅の方に戻って右折、北に進むと北国街道です。左右に古い町並みが続きます。撮影ポイント満載・・山爺、たまらんのう。









街の要所に澄んだ小川が流れています。水運に利用されたのかな? 。
山田監督好みの構図の小川が至るところにあり47作目の映画にもよく使われています。右端の赤い服の女性は川井先輩の妹の川井菜穂(牧瀬里穂)です。





川井先輩が満男にタクシーで実家に直接行けと電話するシーン・・後方に古びた豆腐屋さん。





当時の古びたまま、否さらに古びて大貫禄の姿で豆腐店が営業していました。

映画のロケで有名になり千客万来が続いてしまい建て直せないでいるのかな?。

それにしてもあれから30年以上経っているというのに、そのまんま・・凄いです。お店の中をそっと覗くと忙しそうにお仕事をしていました。図々しい観光客はアポなしで突然お店に飛び込むんだろうあ。・・お豆腐くださいとか何とか理屈をつけて。


兄に頼まれて嫌々長浜の街を案内する菜穂(昼寝中の寝姿を満男に見られたのでご立腹、なのでさっさと歩く)と門前町に見とれる満男。

長浜別院大通寺の門前通りを通過中


風情のある門前通りです。黄色いのぼり旗が散見されます。












”ありがとう秀吉さん”の文字が読めます。

来年から始まる大河ドラマ”豊臣兄弟”への感謝の旗印です。

きっと来年以降しばらくの間この門前商店街はこのドラマのお蔭で大儲けするに違いない。そりゃあ旗を掲げるのはお安い御用だわなあ。


真言宗大谷派の別院として江戸時代初期に建立された大通寺、安土桃山文化を伝承しているとか。

江戸時代以降は彦根藩井伊家から手厚い保護を受け今に至ります。



この山門で見事な彫刻を見ることができました。

境内には女流俳人の加賀の千代女の句碑があります。
映画では山門をくぐって菜穂が満男に質問します。
『加賀の千代女の句碑がありますが見ますか?』
『加賀千代女ってなに?』
『知らないんだ』・・と軽蔑した菜穂のつぶやき。

満男の無学ぶりが暴露されてしまいます。

山爺はこのカットが大好きです。

『満男、遊んでばかりいないで少し勉強せんかい』





本堂の左端にあるのが加賀の千代女の句碑です。

【山爺の一言メモ】

加賀の千代または千代女 1703~1775

加賀の国松任(白山市)表具師福増屋六兵衛の娘として生まれた。庶民の出にも関わらず幼い頃から俳諧を嗜んでいた。12歳の時に奉公先の主人から本格的に俳諧を学び16歳で女流俳人として頭角を表した。

長浜大通寺と千代の関わりは大通寺5代目住職の横超院と交流があったためです。有名な句に『朝顔につるべ取られてもらい水』というのがあります。

ちなみに『起きてみつ 寝てみつ蚊帳の 広さかな』という有名な句は千代女の作ではないそうで、この句は千代女以前の元禄年間に浮橋という遊女が詠んだ歌だそうです

山爺はこの句には思い入れがあります。高校時代に実に朴とつな国語教師がいた。

何かと言うと『でれでれしている奴はでれ助だから』というのが口癖で誠に手厳しい人で当初山爺はあまり馴染めないでいました。

件の教師がこの、起きてみつ・・の句を紹介し続けてこんな返歌もあるゾとさらに紹介。『お千代さん、蚊帳が広けりゃ 入ろうか』・・が~ん。クソ真面目な教師が面白いことを言うものだ。その日からこの教師との距離が縮まり読書感想を話し合ったりしたもんです。

こんなふうに菜穂はしぶしぶ長浜を案内していたが話がかみ合わなくて、とうとうお互いブチ切れ、山門の白壁前で一旦別れてしまう。


その白壁がこちらです。ちょいと薄汚れていますが、それが歴史といえば歴史。


その後、満男が犬に吠えられ無様な姿を晒している様を目撃し菜穂は苦笑。仲直りします。





ここ長浜は前述したとおり子供歌舞伎の曳山でも有名です。祇園・高山・長浜が三大山車として数えられているようです。

ことの始まりは秀吉に男子が得られたのでその祝いとして町家に砂金を振舞った。

それを原資に町家側は豪華絢爛な山車を造営、八幡神社の祭礼に引いたのが祭りの始まりと言われています。(毎年4月に祭礼)山車の飾りは飛騨の匠が手がけたに違いない。

大通寺の近傍に長浜市曳山博物館があり曳山を展示保存しているので見に行きました。
入館料¥600といささか高い。好齢割引は?、無いんかい。  ヽ(`Д´)ノ

長浜には曳山が12基あるそうで、この博物館に2基づつ3ヶ月交代で展示しているそうです。
展示のほか博物館内には曳山を解体、修理するドッグが設けてあり専門の職人達により漆や金細工の補修を行っているんだそうです。

なるほど、だから400年も経っているのに山車が金ピカなんだ。納得です。


実に見事な拵えで長浜の人々の自慢に値しますねえ。

こんな見事な舞台で歌舞伎を演じることを体験出来た子供達は一生の宝になるに違いない。

山爺も幼少の頃、関東ではそれなりに有名な生まれ在所の山車祭りで町内の山車を引いたことがある。

就学前の体験だから4~5歳の頃だったろうか。

お揃いの羽織・たっつけ袴を着せてもらい鼻にお粉を塗り参加、日中は休憩時にお菓子が出たりで元気一杯山車を引いていたが夜になっても引き続けているので家に帰りたいと不安になった。

山車が自分の家の前の路地を通過してふたたび離れて行く時が不安のピークでなぜ帰れないんだろうと、心細くなったことを今でも鮮明に覚えている。(涙ぐんでいたかも)

秀吉と長浜の歴史についてまとめた掲示板です。







長浜は、予想通り見所十分の街でした。さて、そろそろ名古屋に戻ろう。

ぶらり旅は本当に楽しい。次は何処へ行こうか、願わくば今しばし体力が続かんことを祈るのみ。

【川柳】
・金はない 暇体力で ぶらり旅
・諫められ 湖畔へ築く 長浜城
・寅も見た 長浜豆腐 錆びた家

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