11月に入って良い天気が続いている。いつもなら紅葉の撮影に秩父・寄居・足利などの近隣の低山を散策するのだが今年の里山は熊公が大暴れしていて剣呑この上ない。せっかくこの歳まで登山で遭難を免れ無事故で済ませてきたのに熊ごときのため厄災に会うのは御免被りたい。熊公が里山は恐ろしいところと学習して山奥に引っ込むまで低山歩きは遠慮しておこう。
かねてから都内の神宮外苑にある銀杏並木の黄葉を見てみたいと思っていた。頃合も良さそうという訳で11月の15日(土)ニコンD3100をカバンに放り込み、お出かけ。
【神宮外苑】
神宮外苑の銀杏並木の最寄駅は地下鉄半蔵門線の青山一丁目が最短だ。山爺の在所からは北千住で半蔵門線直通電車に乗り換えるのが便利のようだ。10時ちょいとすぎに青山一丁目到着。5分も歩くと銀杏並木の末端に到着した。
やあ、人手が多いなあ。黄葉にはちょいと早かったかな?でも綺麗に色付いている。
これだけの人手だと地方の名所なら屋台が一杯に並んで景観を台無しにするのだろうがさすがは東京都、露天営業の許可を出さないんですね。露天商の方々が気の毒ですなあ。
おやあ、パトカーまで出張っている。市民の安全を見守るためかなあ。
この考えが甘いことが並木道を歩き始めて、すぐに理解した。
そぞろあるきしている人々は無論日本人が多いけれど外国人も多い。白人さん達は比較的マナーがよく歩道を歩いているのだが・・・。
東南アジア系はいけません。車道の真ん中に繰り出して記念撮影。それも通行車両に遠慮して素早くではなくVサインやら両手を高々と上げてモデル気取りで悠々ポーズを取りながらの撮影だ。
しかも今度は私ね、といった具合に交代で行うから時間がかかる。後ろで車がクラクションを鳴らそうがとんとお構いなし。乱暴狼藉ここに極めりだ。そこで件のパトカーの出動と相成る。『車道に出てはいけません。すぐに歩道に移動しなさい』日本語でガナリ飛ばす。これを幾度も繰り返す。話し声からC国の系統が多そう?ほかにT国の声も聞こえてくる。
山爺も含めて日本人も車道にはみ出て撮影するが路側帯を少しはみ出るだけで中央までは出て行かない。しかも素早く行って車両の妨げにならないように配慮する。
外国の方々は遠路はるばる大金はたいて来たんだから記念撮影したい気持ちわからんでもないがねえ。・・でもなんだかなあ。・・・日本人も外国に行くと同じことするのかなあ。日本には素晴らしくも恐ろしいことわざがある『旅の恥はかきすて』
なになに、あんだって(志村けんの声色で)お前だって(注:山爺)車道に出たことに変わらんじゃないか、50歩・100歩だってぇ。へい、すんまへんなあ。 m(_ _)m"50歩・100歩" 無論、聡明な皆さんはご存知でしょうね。
中国の故事成語で、戦で50歩逃げたものが100歩逃げたものを卑怯者よと非難するがどちらも逃げたことに大差はない(孟子が魏の恵王に諭した話)の例えです。
ですが山爺はそうは思わない。
負け戦になり逃げ出すことは兵士にとって恐怖この上ない事態だ。1歩でも前で踏みとどまる者の方が偉いと思う。(^^♪
大半の人々は大人しく歩道をあるいて銀杏並木の黄葉を楽しんでいました。
でも、人々が多すぎて良い構図がなかなか撮れません。・・・(ヽ´ω`)トホホ・・
さて次はいったん青山一丁目駅までもどり永田町から南北線に乗り換えて駒込にある六義園を訪ねよう。もう紅葉が始まっているはずだ。
【六義園(りくぎえん)】
【山爺の一言メモ】
六義園は徳川綱吉のお気に入り川越藩主柳沢吉保が元禄15年(1702年)に造営した大庭園だ。
造営後4代当主の文化6年(1809年)ころまでは管理が行き届いていたがその後荒廃した。
明治期になり三菱の創始者岩崎弥太郎(出ました~弥太郎さん)が新政府から譲り受け荒廃していた庭園を修復し弥太郎の別邸とします。昭和13年に岩崎家より東京市に寄付されて昭和28年に国の特別名勝に指定されました。
入園パンフレットには、”もとは岩崎弥太郎の別邸になり”とさらりと書いてあるが弥太郎さんはどうやって広大な土地を分捕ったのかなぁ。 (^^♪
東京はもともと徳川家の管理下にあったものが明治維新で新政府の管理下に置かれた。駒込付近は藤堂家・前田家の藩邸があったが明治維新前は土地の所有権自体が誰のものか曖昧だ。
歴史学者の磯田道史さんによれば江戸期までの土地の所有権はまことに曖昧で4人の所有者がいたとか。権利者の上位順に①天皇②徳川家③各藩主④居住者となるのだそうです。所有権が曖昧だったことも明治維新のとき土地の移譲がすんなり済んだ理由の一つだったんでしょうね。
岩崎弥太郎は西南戦争において物資輸送で新政府に大きな貸しを作った。利に悟い弥太郎さんのことだから新政府に六義園一帯および清澄庭園一帯の土地をくれと交渉し、たただ同然で六義園を含む12万坪もの広大な土地を手に入れた。弥太郎さんの側近が『どうするつもり』と尋ねると『国家に役立つことをやってみるつもり』と言ったとか、言わないとか。・・結局六義園はお国のためではなく自分の別邸にしてしまいました。・・弥太さぁん、言っていることとやっている事が違いまっせ。
もらえるものは何でももらわなきゃ損々、取り敢えず・・なのが弥太郎さんの本音だろう。これはあくまで山爺の想像上の私見ですから聞き流してくらはい。 m(_ _)m
土地の登記制度が始まるのは明治20年から。維新のドサクサでタダ同然に土地を手に入れた維新の立役者、とりわけ元下級武士どもは我先に登記を急いだに違いない。草葉の陰で西郷隆盛翁、多いに嘆いたに相違ない。
駒込駅で下車し5~6分も歩くと入園口に到着です。入園料は大人¥300ですが例によって65歳以上は半額の¥150です。
受付のおじさん(お嬢様ではなく珍しくおじさんが座ってた)に『歳取ると良いこともあるねえ』と言いながら料金差し出すと相手は苦笑い・・受けた。園内、ちょいと紅葉には早いけれど色付き始めてます。 まだ紅葉にはイマイチなので入園者もそれほどでもありません。最盛期の土日は駒込駅まで行列が出来るとか。
ラーメン屋じゃあ、あるまいに行列のできる庭園では洒落にもなりません。
それにしても広大で見事な造りです。造営にはさぞやお金が・・さすがは権勢を極めた柳沢吉保さんですなあ。
これに目をつけて横取りする弥太郎さんも大したもんです。さすがは元土佐の下級武士(郷士)です。
この辺は江戸期の頃から湧水でも出ていたのかな?ちょろちょろとした流れのあるお池があります。
残念ながら周りはまだ紅葉前でした。
紅葉の中に佇む藁葺き屋根の東屋。風情がありますね。中に白人女性数人が休憩し周りに見とれていました。
見事な池と樹木の配置です。
紅葉を撮るにはちょいと早すぎたようですが邪魔が入らないという意味では早めに訪れて正解だったかなあと思う山爺でした。
都内の庭園なら熊公の無礼講もないから安心です。 熊公が大人しくなるまでしばらくは都内周辺の庭園・史跡巡りでもしようか。
それにしても狼藉熊を駆除するたび、熊は悪くない、人間の身勝手で駆除するのでは熊が可哀想と叫ぶエセ自然保護主義者がいるがああいう輩は熊と対面したらこんにちわと挨拶して握手求めるのかなあ。
なにせ相手は両手・両足に10本のナイフ(大きな爪)を持っている。そして何かと言うと問答無用でこちらの頭めがけて左右パンチ繰り出してくるわからず屋だぜ。駆除のどこがいけないのか山爺には、理解の外だ。
【川柳】
・黄葉の 外苑はばかる 黄色人
・六義園 お国のためと 弥太ねだる
・財閥が 復して返す 六義園
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