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2025年11月26日水曜日

#秋の神宮外苑と六義園(紅葉撮影記)

 11月に入って良い天気が続いている。いつもなら紅葉の撮影に秩父・寄居・足利などの近隣の低山を散策するのだが今年の里山は熊公が大暴れしていて剣呑この上ない。

せっかくこの歳まで登山で遭難を免れ無事故で済ませてきたのに熊ごときのため厄災に会うのは御免被りたい。熊公が里山は恐ろしいところと学習して山奥に引っ込むまで低山歩きは遠慮しておこう。

かねてから都内の神宮外苑にある銀杏並木の黄葉を見てみたいと思っていた。頃合も良さそうという訳で11月の15日(土)ニコンD3100をカバンに放り込み、お出かけ。

【神宮外苑】

神宮外苑の銀杏並木の最寄駅は地下鉄半蔵門線の青山一丁目が最短だ。山爺の在所からは北千住で半蔵門線直通電車に乗り換えるのが便利のようだ。

10時ちょいとすぎに青山一丁目到着。5分も歩くと銀杏並木の末端に到着した。

やあ、人手が多いなあ。黄葉にはちょいと早かったかな?でも綺麗に色付いている。

これだけの人手だと地方の名所なら屋台が一杯に並んで景観を台無しにするのだろうがさすがは東京都、露天営業の許可を出さないんですね。露天商の方々が気の毒ですなあ。


おやあ、パトカーまで出張っている。
市民の安全を見守るためかなあ。

この考えが甘いことが並木道を歩き始めて、すぐに理解した。

そぞろあるきしている人々は無論日本人が多いけれど外国人も多い。白人さん達は比較的マナーがよく歩道を歩いているのだが・・・。

東南アジア系はいけません。車道の真ん中に繰り出して記念撮影。それも通行車両に遠慮して素早くではなくVサインやら両手を高々と上げてモデル気取りで悠々ポーズを取りながらの撮影だ。

しかも今度は私ね、といった具合に交代で行うから時間がかかる。後ろで車がクラクションを鳴らそうがとんとお構いなし。乱暴狼藉ここに極めりだ。

そこで件のパトカーの出動と相成る。『車道に出てはいけません。すぐに歩道に移動しなさい』日本語でガナリ飛ばす。これを幾度も繰り返す。話し声からC国の系統が多そう?ほかにT国の声も聞こえてくる。

山爺も含めて日本人も車道にはみ出て撮影するが路側帯を少しはみ出るだけで中央までは出て行かない。しかも素早く行って車両の妨げにならないように配慮する。

外国の方々は遠路はるばる大金はたいて来たんだから記念撮影したい気持ちわからんでもないがねえ。・・でもなんだかなあ。・・・日本人も外国に行くと同じことするのかなあ。日本には素晴らしくも恐ろしいことわざがある『旅の恥はかきすて』

なになに、あんだって(志村けんの声色で)お前だって(注:山爺)車道に出たことに変わらんじゃないか、50歩・100歩だってぇ。へい、すんまへんなあ。 m(_ _)m

"50歩・100歩" 無論、聡明な皆さんはご存知でしょうね。

中国の故事成語で、戦で50歩逃げたものが100歩逃げたものを卑怯者よと非難するがどちらも逃げたことに大差はない(孟子が魏の恵王に諭した話)の例えです。

ですが山爺はそうは思わない。

負け戦になり逃げ出すことは兵士にとって恐怖この上ない事態だ。1歩でも前で踏みとどまる者の方が偉いと思う。

(^^♪


大半の人々は大人しく歩道をあるいて銀杏並木の黄葉を楽しんでいました。









でも、人々が多すぎて良い構図がなかなか撮れません。・・・(ヽ´ω`)トホホ・・

さて次はいったん青山一丁目駅までもどり永田町から南北線に乗り換えて駒込にある六義園を訪ねよう。もう紅葉が始まっているはずだ。




【六義園(りくぎえん)】

【山爺の一言メモ】

六義園は徳川綱吉のお気に入り川越藩主柳沢吉保が元禄15年(1702年)に造営した大庭園だ。

造営後4代当主の文化6年(1809年)ころまでは管理が行き届いていたがその後荒廃した。

明治期になり三菱の創始者岩崎弥太郎(出ました~弥太郎さん)が新政府から譲り受け荒廃していた庭園を修復し弥太郎の別邸とします。昭和13年に岩崎家より東京市に寄付されて昭和28年に国の特別名勝に指定されました。

入園パンフレットには、”もとは岩崎弥太郎の別邸になり”とさらりと書いてあるが弥太郎さんはどうやって広大な土地を分捕ったのかなぁ。 (^^♪ 

東京はもともと徳川家の管理下にあったものが明治維新で新政府の管理下に置かれた。駒込付近は藤堂家・前田家の藩邸があったが明治維新前は土地の所有権自体が誰のものか曖昧だ。

歴史学者の磯田道史さんによれば江戸期までの土地の所有権はまことに曖昧で4人の所有者がいたとか。権利者の上位順に①天皇②徳川家③各藩主④居住者となるのだそうです。所有権が曖昧だったことも明治維新のとき土地の移譲がすんなり済んだ理由の一つだったんでしょうね。

岩崎弥太郎は西南戦争において物資輸送で新政府に大きな貸しを作った。利に悟い弥太郎さんのことだから新政府に六義園一帯および清澄庭園一帯の土地をくれと交渉し、たただ同然で六義園を含む12万坪もの広大な土地を手に入れた。弥太郎さんの側近が『どうするつもり』と尋ねると『国家に役立つことをやってみるつもり』と言ったとか、言わないとか。・・結局六義園はお国のためではなく自分の別邸にしてしまいました。・・弥太さぁん、言っていることとやっている事が違いまっせ。

もらえるものは何でももらわなきゃ損々、取り敢えず・・なのが弥太郎さんの本音だろう。これはあくまで山爺の想像上の私見ですから聞き流してくらはい。  m(_ _)m

土地の登記制度が始まるのは明治20年から。維新のドサクサでタダ同然に土地を手に入れた維新の立役者、とりわけ元下級武士どもは我先に登記を急いだに違いない。草葉の陰で西郷隆盛翁、多いに嘆いたに相違ない。

駒込駅で下車し5~6分も歩くと入園口に到着です。入園料は大人¥300ですが例によって65歳以上は半額の¥150です。

受付のおじさん(お嬢様ではなく珍しくおじさんが座ってた)に『歳取ると良いこともあるねえ』と言いながら料金差し出すと相手は苦笑い・・受けた。
園内、ちょいと紅葉には早いけれど色付き始めてます。
まだ紅葉にはイマイチなので入園者もそれほどでもありません。最盛期の土日は駒込駅まで行列が出来るとか。

ラーメン屋じゃあ、あるまいに行列のできる庭園では洒落にもなりません。




それにしても広大で見事な造りです。造営にはさぞやお金が・・さすがは権勢を極めた柳沢吉保さんですなあ。

これに目をつけて横取りする弥太郎さんも大したもんです。さすがは元土佐の下級武士(郷士)です。


この辺は江戸期の頃から湧水でも出ていたのかな?ちょろちょろとした流れのあるお池があります。

残念ながら周りはまだ紅葉前でした。




紅葉の中に佇む藁葺き屋根の東屋。風情がありますね。中に白人女性数人が休憩し周りに見とれていました。






見事な池と樹木の配置です。

紅葉を撮るにはちょいと早すぎたようですが邪魔が入らないという意味では早めに訪れて正解だったかなあと思う山爺でした。

都内の庭園なら熊公の無礼講もないから安心です。 熊公が大人しくなるまでしばらくは都内周辺の庭園・史跡巡りでもしようか。

それにしても狼藉熊を駆除するたび、熊は悪くない、人間の身勝手で駆除するのでは熊が可哀想と叫ぶエセ自然保護主義者がいるがああいう輩は熊と対面したらこんにちわと挨拶して握手求めるのかなあ。

なにせ相手は両手・両足に10本のナイフ(大きな爪)を持っている。そして何かと言うと問答無用でこちらの頭めがけて左右パンチ繰り出してくるわからず屋だぜ。駆除のどこがいけないのか山爺には、理解の外だ。



【川柳】

・黄葉の 外苑はばかる 黄色人
・六義園 お国のためと 弥太ねだる
・財閥が 復して返す 六義園

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①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転載は禁止で、行った場合、著作権法の違反となります。

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2025年11月6日木曜日

#第58回首都圏孔球親睦会開催記(大平台CC西コース・中コース)

 10月19日(日)我が首都圏孔球親睦会主催により第58回ゴルフコンペ紅葉オープンが開催された。会場は栃木市にある大平台CCの西コース→中コースである。

大平台CCは栃木市の大平山自然公園の西方に位置し27ホールを有する丘陵?山岳?コース、1974年の開場だから老舗と言って良い。
70年代に設計されたコースゆえゴルファーに媚を売らないコース作りとなっている。

グリーンはほとんどが砲台で待ち構えておりミスショットをすると結果オーライでonするとうことはまずありえない。谷超え・打ち上げ・起伏も随所にありアベレージゴルファーを悩ませる。

最近はさすがにゴルフ場もこれではイカンと思っているのかコースの一部に手を加え山爺のようなヘボゴルファーを喜ばせる意図が見えますが・・・これは山爺の主観ですからご批判はご容赦。 m(_ _)m

今回は6名(山爺含む)とちょいと寂しいエントリーとなりましたが会の規約によりコンペ成立です(会則:幹事長は6名以上が参加したならコンペ開催に努力しなければならない)

先発組は東京地区KAさん・千葉北西区Aさん・山爺。後発組は埼玉東北地区HAさん・埼玉中央区KOさん・埼玉中央区TAさん。の組み合わせでスタート。

西コースのスタートホールは364Yの豪快な打ち下ろし・・と言えるのは自信のあるゴルファーで山爺のようなへぼゴルファーはチョロを出さないよう祈るだけだ。

2番手をくじで引いた山爺、ドライバーを短めに持って狙うはセンター前ヒット。


おお!!狙い通り?今日1の良い当たりで球が真っ直ぐ飛んでゆくではありませんか。これだからゴルフはやめられまへん。・・今日1って・・今始まったばかりやねん。 ひとり突っ込み  (^^♪

中国の古人(孔子)曰く。
1日幸せになりたかったら酒を飲みなさい。
3日幸せになりたかったら結婚しなさい。
一生幸せになりたかったら〇〇を覚えなさい。
〇〇には皆さん好きな言葉を・・孔子さんは釣りを勧めてますが山爺はゴルフを入れます。 (^^♪

またこんな格言も
100を切ると友人を失う90を切ると仕事を失う80を切ると家庭を失う、しかし70を切ると全てを取り戻す。

だから山爺は100を切らないようにしています。 ・・ほんの冗談ですがな (^O^)
110切ればお誘いが増えて120を超えるとお誘いが少なくなる。・・ってか。

第2打目は頭叩いて×、3打目トップで距離が出ず、4打目グリーンを捕らえることが出来ずにやっとこ5on。そして最悪の3パット・・せっかく1打目が良い当たりだったのですが上がってみたらダブルパー(8)という悲惨な結果に・・早くも終わった。・・・(;_;)

次のホールもドライバーはまずまずだが2打目・3打目がいけません。それでも5打目をピンそばに着けて1パットで沈めてなんとかダボで収めました。その後も調子は出ず終わってみたら得意のパットで21も叩く体たらくで61と最悪の結果になりました。大平台恐るべし。中コースでもパットを20も
叩き58でホールアウト。・・・朝一番の期待は何処へやら沈没です。

イギリスの著名政治家曰く
ゴルフは3回も楽しめるゲームだ、コースに行くまで・プレー中・プレー後。ただし内容は期待→絶望→後悔の順に変化する。
まさにその通りの結果になってしまいました。しょぼん (´ω`)

大会の成績です。


埼玉中央区から久々にエントリーしたKOさんが53・54と手堅くまとめてハンデにも恵まれ(5)優勝をかっさらっていきました。同伴のKAさんは午後のラウンドの終盤に突如体調を崩し、たまたま通りかかったマーシャルカートに乗って棄権してしまいました。

山爺はドラコンはもちろんのことニアピン・1ピンパットといった全ての受賞から見放されお情けの参加賞を恵んでいただくという最悪の結果となりました。チャンチャン。

【川柳
・今日イチが 出てもあがれば エイトマン
・ゴルフナビ 見ても詮無い 大叩き
・戦略も 3ホールまで あと忘我

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2025年10月24日金曜日

#小石川後楽園に行って記た。

 10月に入ってようやくうんざりする酷暑が一段落した。いつもなら運動不足を解消すべ近隣の足利・佐野へ秋の低山歩きを楽しむところなのだが両地区とも市街地まで熊が出没し警戒を呼びかけている。これではうかうか里山歩きも出来ない。この歳まで無事に生きてきたのに今更熊に襲われたのでは洒落にもならない。

里山歩きで熊出没の看板をよく見かけるがどう注意せいっちゅうんじゃ。交通標識のカーブ注意といった内容と訳が違うがな。

看板のイラストだって可愛すぎるゾ!もっと怖い絵にしろよ。  (^^♪ 大体に熊という生き物は元来恐ろしいものなのにどういうわけかイラストなどで可愛い表現で扱われる。これでは幼少期に熊の印象が間違って刷り込まれてしまう。ご当地キャラのクマモン今すぐ廃止じゃあ。現地(九州)熊生息していないくせにおかしいではないか。

これまでは山中でおとなしく暮らしていた熊だが近年堂々と里山に出没するようになった。さらに今年は熊による人的被害が多いように感じる。

熊出没の理由は多岐にわたるようで一言では言い切れない。

その大きな原因のひとつに温暖化によるどんぐりの凶作があげられているがそれだけではあるまい。山爺は近年、山に入って仕事をする人が激減していることが主な理由なのではないかと思う。

①3Kである林業に従事する人が激減、・・・その結果里山が荒れて熊の生息域と人の生活域の境目がはっきりしなくなった。・・・熊が隠れやすいヤブが多くなった。

②狩猟者の激減・・1980年代には狩猟免許所持者が50万人いたが2020年には12万人と激減している。これにより熊の駆除が減ったことはもちろん山中の鹿・猪が増加し熊の餌場を脅かしている。

③山裾を丸坊主にしてソーラー発電を開発。雑木林を刈り取り動物の餌場を破壊している。

熊もこれらによる餌不足で最初は恐る恐る市街地に降りてきた。降りてきてみると市街地には果物や野菜など美味しいものがずらり、恐れていた人間もまるで弱くて恐ろしくない。母熊から子熊へこれが学習され今日の熊出没になったのではないかと思う。

山歩きは剣呑だから都内でも散策しようと思い、10月の初旬にカメラぶら下げ前々から行きたかった水道橋にある小石川後楽園を訪ねてみた。

小石川後楽園の履歴は寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が上屋敷に造った。そして2代目光圀により完成した庭園です。

総武線の水道橋駅で下車し西口改札を出て歩くこと5~6分もすると小石川後楽園の東門に到着する。都内の公園は交通至便なのが何よりだ。

入園料は一般¥300だが例によって山爺は65歳以上だから半額の¥150で入園できた。入るといきなり池があり池の向こうに立派な門が見えます。
唐門と呼ばれており当時の正式な入口だったものです。残念ながら当時のものは戦災で焼失し今あるののは2020年に再建されてものです。



江戸の初期に町民を狭い領域に押し込めておいて支配者階級はこんな広大な庭園を築造してはばからない。身分制度時代は嫌だねえ。

でもそれにより今日庶民が楽しむことが出来ているので身分制度もありか。 (^^♪

奥に見えるのは東京ドームの屋根。江戸期の粋人に比べ現代人はなんと無粋なものを作るんだろうねえせっかくの庭園景観が台無しですわ。

唐門に近づくと極彩色の彫刻が施されています。





園内は鬱蒼とした木々で覆われ巨木も沢山あります。




綺麗な小川が流れています。まるで深山幽谷のなかにいるようで都会のど真ん中にいることを忘れそうだ。

木々の合間から先程よりさらに大きな池が見えます。素晴らしい眺めです。
これが人工的に作られたなんて・・造園職人の技の妙ですなあ。






小川沿いを歩きます。ここなら熊も出ないから安心です。














得仁堂と呼ばれる建物。
光圀公18歳の時に中国の史記、伯夷列伝に感銘を受け、伯夷・叔斉の木造を安置したと解説板。




円月橋、名前のとおり水面に映る像と合わせると満月のように見えるので名付けられました。明の儒学者朱舜水の設計。









桔梗の花が一輪、秋ですねえ。







今回ここを訪れた目的のひとつ、彼岸花の群落の開花に間に合いました。













いつ見ても毒々しい花です。どうしてあのような不思議な花の形をしているのだろう。

この花はほかの花と違い茎と花だけが先に咲いて花が枯れたあとに葉が出てきます。なんで?・・誰か教えて~。

幼少の頃、大人達よりあの花は毒だから抜いたり触ったりしては駄目と言われました。

確かに根や球根にアルカロイド系の毒があり誤って食すると死ぬこともあるようです。なのになぜこの花は里山近辺に多く自生するのか。

そのままでは食べられないが手順を踏んで水にさらして毒気を抜けば食べられるのだそうです。(専門知識必要)画像は彼岸花の球根だ。おお、大きいねえ。これなら十分に食用になるねえ。

ゆえに里山の土手や墓地に対飢饉用に人為的に植えて子供らにいたずらされないように『毒だから触るな』と脅かしたと言われてます。その証に深い山中にはこの花は絶対に咲いていません。

そのままでは食べられないという物を飢饉用としたところが先人達の知恵ですね。
そのまま食べられるのなら、あっという間に引っこ抜かれて無くなっちまう。

土手に植え付けるのはモグラ避けのためです。

園内を流れているこの小川の説明書きに神田上水跡とありました。
江戸時代に神田上水をこの庭園内に引き込んだ名残りなのかな?







樹木の奥の方に朱塗りの橋が見えます。よく見たら絵に描いた餅ならぬ絵に描いた橋でした。再建途中の説明用?それとも昔こんな橋が掛かってましたという洒落なのかな。
分かりません。





光圀公が嗣子(しし)の嫁子に農民の苦労を教えようとして庭園内にわざわざ造った稲田だそうです。今も現役で作付けしている田んぼなのかな?






池の中央にあるのが蓬莱島、中央に赤い祠が設けられています。後方のビルがなんとも邪魔ですねえ。





ここ小石川後楽園は広くて見ごたえのある庭園でした。都内には江戸時代に作られた大名たちの庭園が数多く残されています。なんといっても庭は家屋と違い爆撃にも負けないからねえ。次はどこのお屋敷の庭園を訪ねようか。

【川柳】

・町人よ そこのけ殿様 大庭園

・熊も出ず 安らぎ歩く 後楽園

あとがき

アルピニストの野口健氏が自身のX(旧ツイッター)で低山歩きは控えたほうが良いかもと以下のように述べている。

アルピニストの野口健氏が20日、X(旧ツイッター)を更新。頻発するクマ被害に言及した。

野口氏は岩手県北上市でクマに襲われたとみられる男性の遺体が見つかったことなどを伝える記事を引用。「ヒグマ化していると。余程、お腹を減らしているのかもしれませんが、これまでの常識からしたら異常事態。『大人数で山に入ればまず大丈夫』とは言い切れないのでしょう…」と異変を指摘した。

クマの出没により中止となったイベントもある。野口氏は「私が参加する予定だった山でのイベントも中止となりました。主催者からしたら当然の判断だったと思います」と理解を示した。

アルピニストとは登山家のことだが、「私自身、特に低山への登山は控えたいと感じる程に今までとの違いを感じています」と専門家でもためらうほどだと明かした。「熊スプレーは絶対に持って行った方がいいですが、しかし、絶対ではない。なんせ背後から突然襲ってくることもあるでしょうし。いずれにせよ単独登山はやめた方がいいと思います」と注意を呼び掛けた。


やはり低山歩きは当面控えなければいけないのかなあ。それとも、もう歳だし良い機会なので山男は引退しようかなあ。



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