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2023年8月26日土曜日

仙台の七夕まつりに行ってきた

 かねがね、仙台の豪華な七夕まつりというものを見たいものだなあと思っていた。23年度は8月6日から8日にかけて開催される。今年はコロナによる制限も解けたので一段と絢爛な飾りつけになるらしい。行ってみたいなあ。さりとて年金貧民たる山爺、新幹線なぞという高額な乗り物は恐れ多くておいそれとは利用がはばかれる。

金があるときゃ暇がない。暇があるときゃあ金がないとはよくぞ言ったもんである。

JRから売り出されている”青春18切符”というものがあることは以前から知っていた。発売価格は¥12050で各駅停車の列車限定ながら5回分の乗車が出来る。

1回あたり24時間の時間内なら¥2410で、どこまでも乗れるし5人でまとめて一気に使うことも出来る。ただし発売期間に制限がある。

もともとは18歳前後の金のない若者を支援する企画?だったのだろうが本音は旅行に不向きな季節に対する売上向上対策だったのだろう。ゆえに年齢制限はなく誰でも購入できる。

それにしては名称が洒落臭い。名称変えませんかJRさん、もっと庶民受けする名前、”漫遊旅切符”とかなんとかに・・・切符発売の詳細は以下の通り。

【山爺の一言メモ】

青春18切符の発売期間と利用期間は次のとおりで旅行に適さない期間限定で販売される。

春季用) 発売期間:2月20日~3月31日 利用期間:3月1日~4月10日 (夏季用) 発売期間:7月1日~8月31日 利用期間:7月20日~9月10日 (冬季用) 発売期間:12月1日~12月31日 利用期間:12月10日~1月10日  販売価格はいずれも¥12050

青春18きっぷ | JR線ご利用案内 (jr-group.jp)

仙台七夕まつりの催行期間中に夏季用切符が使える。ちなみに我が家から仙台まで各駅停車で行くとどんな具合か検索してみた。

我が家の最寄駅を6時半頃に乗車すると仙台には13時08分に着く。通常運賃はJR駅の最寄駅から¥5500だ。これが青春18切符使えば¥2410となり半額以下で乗ることが出来る。新幹線利用だと¥11200もかかる

ただし乗り換え7回、6時間半の長旅となるが、な~に、寅さんのセリフではないが ”皆さんになくて私にあるもの、それは暇” (^^♪

山爺も暇だけはたっぷりある。青春切符使えば往復で¥4820、懐の負担が限りなく軽くて済む。新幹線往復との差額はなんと¥17580 こんなに浮くなら長時間の長旅でも我慢、我慢、これで行ってみよう。

背負えるカジュアルバッグに着替えやらの日用品。カメラバックには愛用のニコン一眼と300mmのズームを放り込み8月6日の早朝に家を出た。最寄りのJR駅に乗り換える時に券売機で件の切符を購入する。

ちなみに青春18切符は普通の券売機ではなく緑の窓口用で購入します。”おとくきっぷと書かれたところをタップし案内通りに進めてゆくと簡単に目的の切符が見つかった。

でも紙幣を機械に入れても、機械がなにやらモゾモゾ、なかなか切符が出てこない。あれ、間違えたかな?乗り換え時間が10分しかないのでやきもきする。やあ出てきたゾ、出るは、出るは、7枚も出てきた。おいら7枚も切符買った覚えはないのだが?。

5回使える乗車券は1枚きりで残り6枚は案内書き4枚とアンケート2枚、ずいぶん無駄やってるなあJRさん、でも使える条件が複雑だから案内書きは必要か。

この切符は自動改札機は通せません。駅員さんに確認(押印)してもらい構内に入場します。やがて各駅停車宇都宮行がやってきた。今日は日曜日なので空いてます。

ここから⇒宇都宮⇒黒磯⇒新白河⇒郡山⇒福島⇒白石⇒仙台着(13:08)と乗り継ぎます。各乗り継車両とも乗車時間は1時間も満たないので、迂闊に寝てられません・・じゃなくて、時間は短くても爆睡可能です。なにせ各路線とも終点まで乗るわけですから。 (^^♪

新白河まではがらがら列車の旅、ペットボトルでお茶飲んだりお菓子食べたりラジオ聴いたり本読んだりと、気分は六角精児の呑み鉄本線日本旅だ。いいねえ、こういうのんびり旅は。

9時32分新白河駅到着、普通なら同じ会社路線の場合、乗り換えは乗客の利便性を考慮して反対側のホームから乗ることが多いがここ新白河駅の乗り換えは違った。同じホームから連絡列車は出るのだがホーム上を延々歩かねばならない。

なんと、かつては東北方面へ継っていた線路がご丁寧に砂利に埋まり終点マークと隔壁(赤マーク)までこしらえている。

そこには ”絶対に各駅停車の長距離路線には戻さないぞ、乗客の不便なんぞ知ったことではない。” といったJRの並々ならぬ決意が込められている。・・ってどんな決意じゃぁ・・お客様は神様じゃあないのかい?。

どうやらJRには三波春夫様の名セリフは通用しないらしい。なになに ”お客様は新幹線乗車の皆様だけ” だってぇ。・・(´ω`) 

しぶしぶ、ホームを歩いて(100mも歩いたろうか?)乗り換え場所まで移動し連絡列車を待つ。この辺からなんか様子が変わってきた。やたら人が多くなって来たのである。

郡山で乗り換えた時にはホームは人で溢れており旅情もへちまもなくなり、のんびり鈍行一人旅の思惑は霧消した。

福島に着いた頃には車内は都内の通勤時並みの超満員、一体これはどうしたことだ。

福島駅からは浴衣姿のお嬢様やお兄様方まで乗り込んできた。ここに至って山爺ようやく気がついた。ははあ、仙台の七夕見物で電車混んでるんだ。ああ、宿予約しておいて良かったわい。宿といってもカプセルなんとかですけどねえ。 (^_^;)

定刻通り13:08に仙台駅に着いた。楽天イーグルの面々がお出迎え??なんで?、そうか楽天イーグルは仙台が本拠地なんだ。

早く七夕を見たい気持ちもあるが七夕見物は明日1日たっぷり取ってある。今日は観光優先としよう。

仙石線に乗り換えひと駅先の榴ヶ岡(つつじがおかと読む、いやあこの字読めないで困った、困った)に向かう。

ここの駅前公園内に旧歩兵第四連隊の兵舎が保存されている。今は仙台歴史民俗資料館として転用されているが中に小規模ながら内務班の復元コーナーもあるようなのでそれを見にゆく。

地下駅を降りて地上に出ると日差しが暑い。なんなんだ今日日のこの暑さは、ぶつぶつとひとりごちながら公園内を横切る。
おっ、いかにも兵舎らしい建物が見えて来ました。

入場料¥240を支払い館内へ・・クーラーが効いている。いやあ涼しいわ、生き返るぅ。
旧兵舎といえども民俗資料館として使われているので展示品の大半は仙台周辺から集めた過去のがらくた日用品がずらりと展示されています。面白くもなんともない。

田舎のこぎりなんか見たくねえ、つうの!!

2階に上がると目的のそれは(内務班の復元)ありました。



三八式歩兵銃がかけられています。本物ではなくレプリカ銃です。

明治38年に考案されたのでそのような呼称で呼ばれており以後太平洋戦争まで使い続けられた名銃です。

よく日本軍は明治時代の単発銃を終始使い続けたので負けたと言う人がいますがそれは誤解です。三八式は単発銃ではなく連発式で5発装填できます。



一発打つごとに手操作によるボルトアクションが必要なので映画等でその動作を見て誤解した人が多いのではと思います。

欧米では戦争映画などでよく見るように自動小銃が主流でそれと比較すると地味な銃ですが自動小銃は構造が複雑になり異物混入(砂・小石)で故障が起き易い。兵にとって戦場で銃の故障ほど情けないものはないだろうねえ。第一に使用者の命に関わる銃口内暴発がいちばん怖い。

その点構造がシンプルな三八式はほとんど故障がなかったといいます。しかも長尺でありながら軽いので命中精度も優れていたそうです。

欠点は世界の銃の弾丸が7.7mm口径だったのに対し6.5mmと小さいので殺傷能力が弱いことです。
しかしながら、そうしたのは欧米人より体格の劣る日本人向けに、より軽く反動の少ない銃の設計をするためにあえて小口径の弾丸を選んだようです。銃の反動が少ないから命中精度が良かったともいえるのです。

日本兵は無理矢理に古い銃を使わされたのではなく、すでに明治時代に最新式を作り出したのでほとんど改良する必要もなく太平洋戦争まで使い続けられたのだと解釈したい。事実、終戦によりアジア各地で日本軍の武装解除があったがこの時この銃が拡散、中国内戦、インドネシアやベトナムの独立戦争等で使い続けられたことがその証です。役立たずな銃なら誰も欲しがらない。

内務班の兵卒が寝起きするベッドです。幅、狭っ!山爺なんか寝相が悪いので落っこちちゃうわ。(;゚д゚) 

こんな狭いベッドで人格を否定され訓練に明け暮れる日々、いやだ、いやだ・・平和な時代に生まれた我々はなんと幸せなことか。

見学も終わり再び表に出る。うわぁ、あっちっちぃ。現実に引き戻される。仙台にもどり街の中を歩く。

仙台に降り立つのはいつ以来だろう。家族では来たことがない。ということは昭和時代だ。20代の終わり頃、仙台から平泉、山寺と旅したことがある。あれ以来だから40年はゆうに過ぎている。何だかなあ。

大きい街だなあ。大通りを横切るといきなり七夕の吹流しが飛び込んできた。

人、人、人、ほとんどの人がマスクをつけていない。大丈夫なんだろうか。





この吹流しは1基、数十万円から、なかには数百万する物もあるそうな。よく見て回らなくちゃ。

それにしても小腹が空いたし歩き回ったのでずいぶんと疲れた。どこかで飯でも食って今日は早めに宿に入ろう。



2日目の今日は七夕はさておき市内観光が先だ。

青葉城は何もなさそうなので却下、初代正宗公から3代までを祀ってある瑞鳳寺を参拝しょう。
地下鉄大町西公園を下車して15分も歩くと目指す寺院が見えてきた。ここからが急坂で乗用車で訪れた連中も分け隔てなく歩かされる。見ての通りかなりの急坂だ。お年寄りには堪えるだろうなあ。・・って俺もかい。

この石段は70歳で亡くなった初代正宗公にちなんで70段あるそうです(瑞鳳殿でもらった資料より)

息が上がるほどの急坂を10分も歩いたろうか、鬱蒼とした杉木立に囲まれた瑞鳳寺(正宗山瑞鳳寺)に到着です。

寛永14年(1637)二代藩主忠宗公により建立されました。地味~なお寺です。無料で参観できます。


きらびやかな涅槃門(左図)
ここも七夕飾りかい。仙台の七夕祭りは徹底しているなあ。

ここから先は有料です。拝観料¥570
 70歳以上の割引はなしです。
 (^_^;)

境内に伊達正宗・忠宗・綱宗の3代を祀ってある瑞鳳殿・感仙殿・善応殿の霊廟がありますが残念ながら創建当時のものは昭和20年の戦災ですべて焼失、今あるのは昭和54年(1979)に再建されたものです。だから彫刻や色彩が実に鮮やかです。

初代正宗公の霊廟、瑞鳳殿はここ涅槃門のすぐそばにあります。2代・3代藩主の霊廟は山の上にありさらに登山を強いられます。疲れると登るの嫌になっちゃうから先に坂上にある3代藩主伊達綱宗公の霊廟から見てゆこう。

途中になにやら曰くありそうな記念碑がありました。戊辰戦争弔魂碑と案内板に説明書きが・・・

2代藩主忠宗公の霊廟、感仙殿です。なんと煌びやかなことです。

忠宗公は方治元年(1658)没ですがこのとき家臣15名が殉死したそうです。ひえぇ~(もらった瑞鳳寺の資料に書いてある)

よく見ると感仙殿を囲むように左右(左赤丸)に怪しげな石塔群がたくさん並んでいる。これってもしかしたら殉死した家臣の供養塔? (゚д゚lll)

3代綱宗公のときはすでに幕府から殉死禁止令が出ていたので殉死はご法度、14名の家臣が剃髪して亡君の菩提を弔いその代わりとしたと記念碑に書いてあります。

一口に切腹といっても置かれた事情により種類が別れる。
(1)追腹:殉死のことだが喜んで死んだ奴なんて皆無だろうなあ。追腹にも2通りの思惑が
①義理腹・・お殿様と親しかったものが周囲から説得され泣く泣く殉じた?
②商い腹・・いま殉死すれば藩から評価されてご加増が見込め、お家は繁栄。
特に②が危ない、本人は嫌だといっても親戚縁者らから寄ってたかって詰め寄られ、挙句に羽交い締めにされ腹を刺されて切腹の体裁を取り繕う事例も数多くあったとか。家督を継いだものはお殿様が死んだらおちおち寝てもいられないね、いつ寝首掻かれるかわかったもんじゃない。

(2)詰め腹
職務上の失敗の責任を取ったり義理を通すもの。これが一番多かったのかな。今でもよく使う言葉です。”あいつ、詰め腹切らされた”とか。
(3)無念腹
悔しくってヤケのやんぱち、あてつけに腹切る。

いまでもこんな理由で事件起こす馬鹿が後を絶たない。”世の中が嫌になった、死刑になりたい、誰でもよかった。” 我がままこの上ない。死にたきゃあ、ヤクザの事務所にナイフかざして飛び込めば望み通りボコボコにされるつうの。もともと弱虫で意思が軟弱な奴にはそんなこと絶対に出きっこない。・・だからって弱そうな人々を巻き添えにするんじゃないよ。

(4)指し腹
武士の世界は喧嘩両成敗が基本、かなわぬ相手に対し当てつけに先に腹を切って相手にも腹を切らせる究極の負けるが勝ち戦法

3代藩主綱宗公の霊廟、善応殿です。煌びやかさでは負けていません。ここにも傍らに怪しげな石塔群が映ってます。剃髪組の供養塔かな。






もとの瑞鳳殿まで戻ってきました。

初代だけあって瑞鳳殿は一段と鮮やかですしこちらは大仰に囲いに覆われています。




中に入ってお参り。彫刻などの飾りつけも一段と綺羅やかです。さすがは正宗公です。
そして殉死した家臣団の供養塔も数が一段と多いような気がします。なんだかなあ。

正宗公に殉じた家臣は19名・・(瑞鳳殿の資料より・HPで調べると20名とある)鬼気迫るものがありますなあ。

伊達家でさえ2代で24名が殉死している、当時日本全国でどれだけの武士が殉死した(させられた)のだろうか。

近年でも昭和天皇が崩御したとき4~5人が殉死したことを覚えている。律儀な日本人と言ってしまえばそれまでですが。
ちなみにHPで検索してみると戦で倒れた主人の後追い殉死は数多くありますが病没者に対する殉死者は希だそうです。

あの豊臣秀吉や徳川家康でさえ公式な殉死者はなし、まあ、あの2人は世渡り上手でずいぶんあくどい事もやってるから、人から好かれることはなかったろうなあ。

♫秀吉(家康)死んでも泣く奴ぁ~いない、鳴くはお山のカラスだけ。・・なんてね。

伊達家のお殿様達はよほど慕われていたのかなあ、それとも風土のせい?。死してなお家臣団に守られ続ける伊達3代は幸せものです。

思わぬ知識を習得させていただいた瑞鳳殿参拝でした。

さて仙台市内にもどり七夕見物じゃ。

市内に戻り七夕見物、相変わらず暑くて仕方がないが七夕飾りがある通りは道路上にアーケード(屋根)があるので日差しを遮ってくれるのがありがたい。加えて左右のお店から冷房の涼しい空気が流れてくるので吹流し見るふりして時々涼んだりも・・ 


七夕の飾りつけは豪華絢爛だがこうも同じものがずらりと並んでいるとだんだん感激が薄れてきた。

だって同じようなものばかりだから。例えばLEDを組み込んだ吹流しや、ねぶた風吹流しなんか作って盛り上げないのかねえ。


山爺が生まれ育ったT市でも山爺が小学生の頃までは七夕祭りが盛んで仙台の吹流しみたいなものがたくさんぶら下がっていたのを覚えている。

同じも道理で仙台で使った奴を買い取って飾っていたんだとか・・・ (^^♪

ただT市の七夕は吹流しだけでなく財力のある商店が競って仕掛け飾りを設けて祭りを盛り上げてくれた。昭和30年代前期のT市の七夕まつり風景です(右白黒画像)
 
かちかち山のうさぎとたぬきの手足がモーターで動くたわいのない仕掛けだったりしたが当時はTVなぞの普及前だったので皆娯楽に飢えていた時代。ゆえに山爺のような幼い者はもちろん大人たちまでがこの祭りが楽しみで製作途中の七夕飾りを見ては、今年の〇〇屋は凝った仕掛けのようだと下馬評したもんです。

と、たわいのないことを思いながらアーケードを歩いていたら地元の歌い手さんでしょうか、見知らぬ歌手?が路上パフォーマンスしてました。

皆さんあまり関心ないようで人々は後ろ向きに座ったまま・・頑張れ新人?山爺これにあり・・なんちゃって。

こう見えて山爺は若い頃、新人歌手に頑張れと声をかけたことがある。

当時の勤務先から販売応援で群馬県のM市のデパートに派遣されていたときのことだ。デパート内のレコード店で当時新人だったS・I恵が一生懸命に歌ってレコードの即販をしていた。

たまたま休憩中だった山爺、店のハッピ着たままその様子を見ていたら関係者と錯覚したのかI恵ちゃんがつかつかと駆け寄り、深々と頭下げて可愛い笑顔で『よろしくお願いしま~す』と・・山爺思わず『頑張んなさい』と返答しちゃった。大丈夫、礼儀わきまえてその上その笑顔だ、売れるよと思った。その後の彼女は言わずもがな大者へと成長、山爺の目に狂いはなかった。


夕方になって吹流しが照明に映えて奇麗に浮き上がって見えてきた。








祭りはこれからが本番のようで、人ごみが一段と増えたような気がする。

3日目、今日は再び長時間鈍行に揺られての帰宅旅だ。早めに仙台駅に向かう。

七夕まつりは今日までだが、構内は七夕の飾りつけで祭り一色のまま。

早く駅に着いたが土産物を物色していたらあっという間に時間が経過。急ぎ我が家にお土産を買って予定より1本早い各駅停車白石行に乗り込む。

白石駅について乗継便をみたら40分も間がある。次の便でよかったんだと思っても後の祭り。所在無さに改札を出て駅のベンチで仙台で買った軽食(サンドイッチ)で腹ごしらえしてから駅前をぐるりと散策する。

ここ白石は伊達政宗の重臣、片倉小十郎が収めた地域で復元ながらお城もあります。

片倉家の武家屋敷や霊廟もありミニ観光出来そうだなあ。名物白石うーめんも食してみたい。
今冬か来春に青春18切符利用してまた来てみたいなあ。
さて、乗り継ぎ列車がそろそろ来る頃だろう。再び駅構内へ。

帰りは平日でもあり各乗り継ぎ列車ともがらがら、乗り鉄本線日本旅を満喫しながら帰宅の途へ。





【川柳】
・青春は とうに過ぎたが 切符買い
・在来の 線路埋たり ああ無情 
・死してなお 政宗家臣に かしずかれ
・振り仰ぐ 杜の都の 星祭

さて、まだ切符の残りが3回ある。使用期限は9月10日まで、早々に旅に出ないといけないなあ。

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②作者以外の方による無断転載は禁止で、行った場合、著作権法の違反となります。

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2023年8月16日水曜日

愉快な仲間達・・23年度高校クラス会開催記

 山爺が幹事となって定期開催している催事が二つある。ひとつは定例ゴルフだがもう一つが高校時代のクラス会幹事だ。幹事長、幹事長と持ち上げられて幹事役を引き受けてから随分と時が過ぎた。コロナにより開催が中断して4年のブランクがあるが12年にもなろうか。

5月半ばのとある夕方、携帯電話のベルが鳴った。送信主を見ると高校時代の友人Oからである。久しぶりだなあ、用件はおおよそ判っている。ちょうどコロナが収まってきた時期でもあり、クラス会参加常連の誰かからいずれ開催の督促が来るかなあとは思っていたが・・・やはり我がクラス会の創建者たるOから来たか。(あるいは誰かがOに相談したのか?)

『もしもし元気!』『元気だよ、そちらも元気そうでなにより』形通りの挨拶を交わして話題はクラス会開催の話へ。7月下旬を目安に開催する旨、快く約束して会話を終えた。

さて、4年のブランクだ。友人達も随分くたびれたんだろうなあ、とひとりごちながらPCに向かい開催の計画を練る。

幹事を任された当初は皆さん『幹事長が決めたならどこでも良いよ』と殊勝な風だったが、だんだんと、”鬼怒川は飽きた県外にも行きたいとか、料理がイマイチ、カラオケは?、はては女っけがない”・・・と不満がちらほら。

よって会場は

①エレベータのある大規模旅館

②1次会は宴会場でカラオケつきのちょい豪華食事

③館内のクラブや館外スナックでの2次会

と言うこだわりを盛り込むよう努力した。ただし地域だけは皆さん自家用車相乗りが常なので遠出は避けて地元の温泉を選び続けている。

そうそう、山爺の金科玉条として”金かける行事なら誰でも出来る、同じ遊ぶなら安くあげてなんぼ”がある。だから旅行専業者には絶対に頼らないで自分でHPを検索しまくり経済的な企画を考え続けている。

今回もそれに沿って会場を探したがコロナの4年間で温泉街も随分変わってしまった。これまで低価格を売りにしていた大手の大江戸・伊藤園などが客足が遠のき、経営が苦しくなったのか値上げラッシュ、そして人件費のかかる宴会付きプランが霧消した。(今日日大勢人を集めて宴会なんかやるおめでたい奴はいないのだろう、群れるのは団塊世代の我々ぐらいか?)

2次会場の確保だが館内にあるクラブは無論、館外にあるスナックも次々と閉店している。かつて楽しく利用させてもらった川治・鬼怒川温泉のスナックも軒並み閉店だ。新規にHPで探して何件か電話するも受話器さえ持ち上がらず虚しく呼び出し音が鳴るばかり、だ~めだ、こりゃ。

ようやく、かつて開催した湯西川温泉にあるスナックが営業を続けているようなので予約を入れた。次にすぐそばにある小さな温泉旅館を確保する。なにせ我が同窓生はたった10分でも歩くのが嫌、送迎車を欲しがる。2次会場へ歩いての移動は5分が限度という我がまま揃い。・・・困った連中だ。

今回予約した旅館にエレベータがなさそうだがそこまでは面倒見きれん。少しは歩かんと長生き出来ねえぞ。

6月はじめに開催案内をまとめて往復はがきでめぼしいメンバー宛送付して一段落、返信が来るのを待つ。4~5日すると返信がチラホラと返ってくる。毎日郵便受けを覗いてそれを見るのも楽しみの一つだ。

参加者は山爺含め12名となった。欠席者の中に記憶力の病が1名、病気療養2名、1名が本人は健康でも奥様看病で外出能わずであった。やはり4年のブランクにより状況は大きく変わってきているようだ。

ほかに、山爺が幹事任されてから一度も参加はしなかったがきちんと近況は報告していたT宛のはがきが住所不明で戻ってきた。あれ??・・やがて地元の朋友から彼が数年前に逝去していたことを聞いた、合掌。

今後こんな事態が増えていくのだろうなあ。なんだかなあ、老いてゆくとはなんとも辛く寂しいものだなあ。

宿の様子やら部屋割りを決めて案内書を作成、開催通知を郵送する手はずは整った。旅館とスナックに最終人員の連絡を試みるもスナックのほうが日を分けて何回電話しても応答なし、地元の観光案内に電話して事情を伺いようやくスナックのママさんと連絡が取れた。なんと、スナックのママさん病気を患いお店を3~4ヶ月休むとの回答。うえ~っ、そんな阿呆な。

2次会が開催不可ではこの案件はご破産だ。一から企画の練り直しを強いられる。もう開催まで1ヶ月を切ってしまった、山爺ピ~ンチ。

まずはせっかく受け入れてくれた旅館にコレコレの訳でキャンセル、必ず来年利用させてもらうと謝罪の電話を入れる。

さて、まいったなあ、まいった、”どうする山爺” 家族や友人と言った数人の集まりなら直前でも宿は容易に取れるが10人以上の団体だと平日といえど直前予約は難しいのが常だ。

こうなったら、頼れるところはひとつ、5~6年前に開催した栃木の山奥、K温泉にあるカラオケルーム完備の民宿にするしかないか。電話を入れると幸い希望日から1日ズレたが何とか12人の宿が確保できた。やれやれである。

と、まあ今回のクラス会の開催は人知れない苦労があったのです。幹事はつらいよ。

7月下旬の平日のある日、いつものように茨城の海辺から車ではるばるやって来るOに下今市で便乗させてもらい一路クラス会の会場へ。

細い道をうねうねと走っていると前方に2台の車が走っている。今頃こんな間道を走っているのはわが友らの車と思いきや別の道に去っていった。おや?違う、赤の他人か。

民宿の広い駐車場へ2時40分頃到着。まだほかの連中は来ていない・・と思ったら先ほど別れた車が乗り込んできた。やはり我が友らであった。道間違えたらしい、案内書に地図載せておいたのに見てねえな、間抜け~。

宿のチェックインは3時から、宿の女将との電話予約時に早く着いたら館内ロビーで待たせてと頼んだが『3時過ぎに来てください』と手厳しい返答を頂いている手前まだ館内に入るわけにはいかない。

と、手持ち無沙汰の面々、やおら庭先で立ち飲みを始めた。この宿は飲み物の持ち込み公認なので朋友に途中で飲み物や乾き物でも買ってくるよう頼んでおいたがそれにしてもでっかいクーラーボックスだなあ。

ボックスの中を覗いてみると、あるわ、あるわ、ビールやら酒瓶、氷もたっぷり、売るほどあるぞ。誰だこんなに買い込んだのは・・・って頼んだのは俺かい。

それにしてもよその庭先で酒盛り始めるとは、ハレンチ極まりない、ようやるわ。ん!ハレンチって死語か。 (^^♪

ここで山爺、いたずらを思いついた。『全員集合、玄関前から一列に並べ~』と指示。

で、撮ったのがこの一枚だ。名づけて”行列のできる民宿” しかし真剣味が足りないなあ、笑っちゃダメだろう。まあいいか。面白い絵が撮れた。

ようやく3時になったので館内へゾロゾロと入り込む。『こんにちは~』誰も応答がない。そういえば前回来た時もしばらく誰も来なかったなあ。『こんにちはぁ~』連呼すること数回、ようやく宿の人が出てきて受付完了。

宿の人から今日の宿泊は我々だけと告げられる。(後で宿から聞いたが団体を入れたらほかの客は断るとか)これはありがたい、お風呂も女湯・男湯自由にどうぞと言われた。

今回は4部屋に3人づつの分宿だ。(2階2部屋・1階2部屋)メンバーの組み合わせはあらかじめ決めてあるので、すんなり各部屋に分かれ取り敢えず解散。

と思うまもなく部屋に集まり積もる話に花が咲く。話といっても、『誰それはどこが悪い』の『あいつは死んだ』の湿っぽい話が多い。まあ歳も歳だからそんな話題が多くなるのも仕方がないか。

退屈しのぎに部屋でカラオケでも、と気を利かせて山爺が持参した携帯カラオケなんか誰も見向きもしない。試運転に山爺が4~5曲歌っただけでマイクは虚しく部屋に転がったままだ。

山爺、所在なく風呂へ入る事にする。男風呂にはスリッパが2個、朋友達が入浴中と見える。朋友のしわくちゃ裸なんか見たくないなあ。

女風呂をの覗いてみる。女湯と書いた赤い暖簾をくぐるのがなんかこそばゆい。中は誰もいない。女湯に入浴なんて滅多にないチャンスだ、入って見るべい。

大きな湯船を独り占めで庭先の草花眺めながらのんびりと湯に浸かる。『ああ~極楽・極楽』

さて、お待ちかねの夕食だ。大広間の食堂に全員集合。食事前に全員参加の記念撮影。

リモコンモードで何枚も撮ったが1人だけ1度もレンズに顔を向けない奴がいた。Nだ、この男はどうも人の話をよく聴かない?

過去の記録を見ても皆んながレンズに集中していても1人よそ見で写っていることが多い。それともリモコンの仕組みが理解出来なかったのかなあ?(山爺がこちらにいるうちは撮れないだろうと勝手に思う)

囲炉裏には数々の珍味が刺さり竹筒に入った日本酒、はては自家製?どぶろくまで宿の心のこもったもてなしがずらりと並ぶ。しかしながらすでに道中呑んだり食ったりしている連中なのでなかなか食が進まない。だからぁ~食前の喫食はほどほどにといつも言ってるだろうが・・・

過去に開催した夕食時飲み放題プランの宿でもいざ飲み放題の時間になるころにはほとんど飲めなくなり宿の大儲けといった事態が何回もあった。本当に懲りない愉快な仲間だ。

まあ、今日は家族が運営する宿なのでのんびりやるさ。それにしても随分と出来上がってきたぞ。このあとのカラオケは大丈夫だろうか。

食事も終えてカラオケルームに移動する。

さすがは我が朋友達だ。1人の落伍者もなく全員2次会に集合。団塊世代恐るべし。部屋の真ん中に大きなクーラーボックスをで~んと据えて2次会の始まり、始まりぃ~。っていくら持ち込み自由といって少しは遠慮せんかい。何なんだこのBoxは。幹事としてちょい恥ずいわ。

携帯カラオケでは誰も歌わなかったが本格設備だと歌うわ、歌うわ。我が友たちの芸達者振りは健在だった。

しかしながらいつもと違う現象が・・始まって1時間も過ぎた頃、1人抜け、2人抜け、空席が目立つようになってきた。歌もまばらになり沈黙が訪れはじめた。とうとう1時間30分を待たずして2次会の終焉となってしまった。これまでは時間が足らず選曲待ちの状態で終わることが多々だったのが一体どうしたことだ。

これが加齢によるものか、女っけゼロに起因するものか山爺にはとんと分からないが、たぶん後者が原因だと山爺は思っている。なにせ現金な面々だから聞き手、特に女子がいないと張り合いをなくすのだろう。我が朋友達は色即是空の境地に未だ到達していないようだ。喝ぁ~っ!!

9時過ぎにはめいめいが部屋に戻りあっという間にご就寝。う~ん、わがクラス会も変わったなあ。歳のせいか、宿のせいかどちらなんだろう。

早寝したせいか翌朝は全員元気に朝食を食べている。これまではビール飲みながら朝食を摂る猛者がいたが今日は皆さん品行よろしく良い子の食事を実践している。

最後にいつもの通り宿を背景に記念撮影し来年も元気で会おうと約束して解散・・・となるわけであるが今年は違った。

今回の会合はコロナがらみの栃木県旅行支援キャンペーン(県民割り)の期間中だったのでその恩恵にあずかった。支援内容は宿代の2割り負担(20%引き)+地域振興クーポン券¥2000支給だ。

おかげで宿の支払いに余裕が出たので皆さんに¥2000返金することが出来た。

そして地域振興クーポンの¥2000、これは今日中に使わなければならない決めがある。

これを使うべく大笹牧場へ全員でGo。牧場で各自お土産を真摯に物色、クーポン券の範囲内で買い物を済ませる賢い人、倍以上も購入し大散在する人、和気藹々のうちに23年度のクラス会は過ぎてゆく。

【川柳】

・持ち込みの 加減が分からぬ 団塊人

・加齢なる 同窓 病気が自慢なり 

・只クーポン 持て余してや 大散財

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