コロナ自粛で外出もままならない。終日(ひねもす)のたりの徒然にAmazonや楽天のネットサイトで買うともなく出品を眺めるのが楽しみの一つとなっている。時折テントの好いも
のがないかと眺めていた。
山歩きに使うテントの絶対条件は背負って歩く都合上、軽量であることだ。テントは大別するとシングルウォール(覆いが1枚構造)とダブルウォール(覆いが2重)に分かれる。
当然シングルの方が軽量であるが欠点は雨に弱いことと、気密による内部結露が起きやすい。ゆえにテントの主流はダブルウォールだ。去年ソロテントを買ってみたがダブルでも軽量(1・5k)で前室もあり使い勝手は良いのだが居住スペース(寝床)の横幅が100cmとちょいとせまい。更に耐水性がフライ(覆い部)で1000mmと少々劣るのが気になる。1000mmでは小雨程度なら凌げるが大雨は心もとない。床部も薄く下からの浸透も気になる。
素材の進化でダブルでも総重量が1kg以下の超軽量テントは金さえ積めば沢山あるが、登山ブームの今日日、目の玉が飛び出るほど高い。2万円~6万円もする。(右画像nimo製1人用760g価格4万6千円)びえぇ~高嶺の花じゃわい。
それでも山爺が20~30代であれば躊躇なく購入するのだが、残り少ない人生であと何年元気に動けるか読めない奴がれにとっては論外の投資だ。
ある日格好な物件が目にとまった。居住スペースが210cm×150cmあり、ダブルウォールでも重量は1.7k。少々重いが耐水もフライで2000mm(大雨でもOK)シートも5000mmの耐水仕様であり下からの浸透も防げて問題なさそう。
これだけの仕様ながら価格は楽天が6千5百円、ヤフーで5千8百円、と値頃だ。これに決めようかなあと更にAmazonサイトを検索してみると同じものが見つかった。
残り在庫が2個で売り終いと見えて4千円の値が付いているではありませんか。
お店を歩き回らずともちょちょいとネット検索するだけで2千5百円の値段差を探せる。だからネット購買はやめられない。
さっそく衝動買いしました。(^ω^)
さあ、新しいテントが手に入ったのでどこに行こうか。以前から目をつけている秩父の武甲キャンプ場はどうだ。西武横瀬駅から徒歩15分程度、地理的条件は申し分なくキャンプ場内に武甲温泉もある。
近くに彼岸花の群落で有名な寺坂棚田もある。棚田越しの武甲山の眺めは実に素晴らしい。ほかには秩父札所もあり撮影ポイントに事欠かない。彼岸花の咲く時期は例年9月末~10月上旬らしい。
画像左の眺望を期待し9月下旬に出かけようと荷造りを済ませて日和見する。と、好事魔多し、台風16号めがやって来た。キャンプの天敵は台風だ、あんなヤワな構造物では台風に遭遇したらひとたまりもない。
来週末は月例ゴルフがある、その後だと確実に彼岸花は咲き終わってしまう。大事をとって9月末のキャンプは中止、台風が去った10月4日(月)天気が良さそうなので愛用のニコンと交換レンズをザックに放り込み日帰りで横瀬に向かう。
今日の行動は武甲キャンプ場の現場を確認してから
寺坂の棚田で武甲山を背景に棚田撮影⇒7番寺の法長寺⇒8番西善寺⇒西善寺そばにある根古屋城址⇒9番寺の明智寺⇒横瀬駅にもどるコースだ。
早朝に家を出て9時30分ころ西武横瀬駅に到着、瀟洒な駅で食堂も隣接している。さすが大企業の西武さん、秩父線の駅舎とは大違いだ。良い天気だなあ、暑くならなければよいのだが。
駅前から北に延びる道を歩くとほどなく国道にぶつかる。正面は小学校、そこを右折すると武甲温泉の案内表示看板がある。
看板に従って歩くこと5分もすると橋が見えて左に武甲温泉、キャンプ場の看板が見える。普通に歩いて駅から15分、徒歩キャンパーにとって貴重な存在だ。
橋の上からキャンプサイトを覗く。サイト横を浅い小川が流れており幼い子供でも安心して川遊びが出来る。家族向けに良さそうなサイトのようだ。
そういえば山爺の子供たちが幼い頃このようなキャンプ場で川遊びしたなあ。あのころは本当に毎日が楽しかった。いつの間にか歳取ってしまった。諸行無常だなあ。
さて、本命の寺坂棚田はこの川の向こう側にある。車の通れない山道を選べば10分もかからないだろう。えっちら、山道を歩いていると人家の門前に猫ちゃんがくつろいでいる。近づいても逃げる気配がない。ここは俺の家だ、お前何者?と言いたげな顔つき、なんか和むなあ。
左の人家の横にある山道を抜けると寺坂棚田への近道です。
少々心もとない道ですが標識があるので大丈夫だろう。
細い山道を抜けると舗装道路に出ました。
傍らはコスモスの群落です。はて?コスモスが盛り?コスモスと彼岸花って共存したかなあ、秋が思ったより進んでいるようだ。
いやな予感がする。
それにしてもコスモスは何のためにこのように艶やかな色を付けるのだろうか。
よく、昆虫をおびき寄せるためと言われているがそれは俗信です。虫は複眼、しかも花びらは虫たちにとっては巨大です。人間の視覚とは見えかたが全然違うのだそうです。
花々が美しい色をしているのは偶然という乱暴な説を唱える学者もいます。
さて寺坂棚田に着きました。おお、突然、標高1304mの武甲山が目に飛び込んできました。
いつだったか、1978年ころかなあ、山爺はこの山に登りました。遠路栃木からやってきたので登り始めたのが遅かったことと今と違い採掘の発破が遠方飛び散るためか発破の都度(サイレンが鳴る)山道各所にある避難所(粗末な小屋)で待機しなければなりませんでした。
そんなこんなで山頂到達が15時ころになってしまい11月半ばだったので秋の夕べは釣瓶落ち、下山途中で日が暮れて山道は真っ暗、懐中電灯を持たずに入山したので立ち往生、暗中模索を地でいく失態をやらかしひどい目に遭ってしまいました。それ以来日帰りのどんな小さな山でも懐中電灯はザックに忍ばせるようにしている。
どっしりした山ですが山頂付近から中腹にかけて石灰岩の採掘により無残にえぐられています。中央にあるプラント的な建物は三菱マテリアルのセメント工場?です。
あれが山を崩している元凶かな?でもそのセメントの恩恵に浴しているのは我々だから非難ばかりするのはどうかと思うね。
山爺が登った頃はもっと緑の多い山だったような気がします。このまま掘り続けたら秩父のシンボル武甲山はいずれ低山になるのではと危惧する向きもいますが、ある資料によれば石灰岩があるのは山の北斜面(画像の正面側)だけで南側の多くは輝緑凝灰岩、採掘に値しないそうです。そのうち北斜面だけがアイガー北壁のように切り立った崖になり採掘を終える?そうなれば、それはそれで新名所が誕生だ。ロッククライミングで賑わうかもね。(^ω^)
さて、棚田に咲く彼岸花はどこにと田んぼに目をやれば・・・咲き終わりで残骸だけが目に付きます。あちゃ~遅かったか。
所々晩熟の彼岸花が咲いているだけです。がっかりです。がっくりしたら疲れがどっと出てきた。
田んぼの中に屋根付き切り株椅子の休憩所があった。ザックを広げお茶タイム。ポットからお湯を注いでミルクセーキを作りアンパンを頬張っていると野良仕事をしている方々も休憩にやって来た。しばし歓談。
『彼岸花咲き終わっちゃいましたねえ、今頃では遅いのですか?』
『いつもは今頃なんだけれど、今年は9月半ばに寒い時がしばらく続いたので早咲きになっちゃった』
はあ、デリケートなんだなあ彼岸花は、咲き頃情報を掴んでから出かけなくちゃいあかんなあと学習した山爺でした。
(;ω;)
代わりと言ってはなんだけれどコスモスの花が棚田のいたるところに咲いておりそれはそれで絵になる。
保育園児が作った?かかしの軍団が稲刈りを終わった田んぼに所在なく立っておりました。
さて、小腹も膨らんだし次の目的地の札所に行こう。
棚田からは下り坂なので足取りも軽くずんずん下って行きます。途中にそば畑が・・今まさに咲盛り。ああ、新そばが食いたい。
棚田から20分も歩くと秩父札所7番寺の法長寺につきます。
法長寺は小さな門構えのお寺でした。お堂(観音堂?)と武甲山のコラボが絵になる高台にあるお寺です。
本堂に牛の置物が寝そべってました。
それにしても本堂があの平賀源内の設計とは恐れ入りました。
源内さん、キャッチコピー(土用のうなぎの日発案)やら怪しげな紛い品(エレキテル)作ってみたりお寺のデザインまでやっていたとは驚きです。日本のダビンチ?いや、詐欺師まがいの香具師といったところかなあ。確か平賀源内は殺人事件を起こして捕らえられ獄中死していたよなあ。
【山爺の一言メモ】
7番寺:青苔山法長寺(せいたいさんほうちょうじ)
法長寺の本堂は、江戸時代に、エレキテルを発明したことで有名な平賀源内が設計したと伝えられています。観音堂は「牛伏堂(うしぶしどう)」とも呼ばれ、その由来の一説には、伏して動かなくなった牛のいた場所から、十一面観音像が現れたと伝えられています。境内には、その由来となった牛の石像も安置されています。観音堂は1782年に焼失とあるので創建は古い。
さて、次は8番寺を参拝しよう。一旦、国道299に出て大型トラックがびゅんびゅん走るなかを歩かねばならない。怖いこと怖いこと、20分も怖い思いをし8番寺の道案内に添って右折。ようやくもとの里道散歩にもどりました。ここに根古屋城址があり遺構もよく残されているようなので当初立ち寄る予定だったが、本日は季節はずれの夏日(30℃越え)でいささかバテ気味だ。
城址の西入口(左画像)まで来たが、なにせ山城だ。150mを登らなければならないのでこれ以上体力使うと後が続かないような気がする。また別の日に来よう。
8番寺の西善寺が見えてきました。ここのお寺も高台にあります。まいっちゃうなあ、ここでも坂をえっちら登りを強いられました。
坂道途中で堪らず足が止まってしまいました。給水兼ねて一休み。今も昔もお遍路は大変だわ。
法長寺よりも小さな山門をくぐって境内に入るとなにやら貼り紙が・・『境内写真撮影禁止、御朱印購入者は除外』
なんとまあ商売っけたっぷりなお寺だこと。寺の関係者が居なそうなので構わず撮影だ。お地蔵さまがお出迎え。
【山爺の一言メモ】
8番寺:清泰山西善寺(せいたいさんさいぜんじ)
開祖は文暦元年(1234年)と古い。
雄大にそびえ立つ武甲山の麓に建つ西善寺。境内付近から見えるその眺めは、特に素晴らしいものです。西善寺のシンボルにもなっているコミネカエデは、樹齢約600年の巨木。埼玉県の天然記念物にもなっているため、紅葉の時期には、観光客も多く訪れます。 やあ、大きな楓だわ。こりゃあ紅葉時期には木々と地面が真っ赤になり絵になるんだろうなあ。本堂に撮影代を兼ねてお布施¥100投入し家内安全祈願。
お昼が過ぎたのでここで昼食をと思ったが、見咎められて注意されるのも不愉快だ。うるさそうなお寺はとっとと退散しよう。今度は下りなので楽ちんだ。西武線沿いの里道をのんびりと歩く。
こんな道なら歩くのも楽しい。振り返ると西善寺が山裾にぽつんと建っているのが見える。一旦線路の下をくぐりしばらく行くとT字路にぶつかる。左は三菱マテリアルと書いた大きな看板がある。はて?このまま真っ直ぐ行くと、再び喧騒な国道299に出ちゃう。おかしいなあ、え~い、ママよ工場方面に行ってみよう。曲がって正解。正門前で再び線路越えの道がありました。紛らわしいなあ。看板に横瀬駅と併記してもらいたいなあ、三菱さんお願いしますよ。
この工場が寺坂棚田から見えた武甲山の麓にあったプラント建造物です。線路を越すと傍らに祠がありました。延命地蔵さまだそうです。早速お賽銭を奉納し『今少しこの世に居させてください』祈願をしました。
再び線路沿いを横瀬駅に向かって歩き出す。道の反対側も三菱さんのおおきな工場があるので里道ではありません
道路は工事の真っ最中でホコリ舞っている。その中を我慢してしばし行軍すると再び線路をくぐって反対側に。9番明智寺の標識に従って歩みを進める。・・・また坂道かい!・・なんか知らんがなんで札所は丘の上にあるんだ?、自問自答していると小さなお堂に着きました。
え、これがお寺?でも9番明智寺と明記してある。
9番寺:明星山明智寺(みょうじょうざんあけちじ)
明智寺は建久二年(1191年)西善寺よりも古い。明智禅師の開創と伝えられる。
観音堂は札所五番語歌堂と同時代同形式で建立されたが、
明治16年に落雷で焼失して以来仮堂のままだったが、近年再建された。このお寺は安産子育ての観音菩薩として有名で、
毎年1月16日の縁日には各地より女性参拝者でにぎわう。
お地蔵さまが交通整理。朝晩子供たちを見守っているのかな?遠方の二股の山は二子山です。武甲山同様秩父のいたるところから見える有名な山です。
山爺の登りたい候補の一つです。なんかクレヨンしんちゃんのお尻に似ていると思うのは山爺だけでしょうか。
小さなお寺ですが参拝客がひっきりなしに訪れ次々とご朱印を求めて行きます。
中にはお遍路姿(菅笠・白装束)の御夫婦らしき人が般若心教を唱えて行きました。物見遊山は山爺のみ・・なんだかなあ。
もう2時を回った。一応今日の予定は消化したので横瀬駅に戻ろう。傍らの花々を愛でつつ駅へと急ぐ。
それにしても良い天気は結構だが季節はずれの30℃超えの、この暑さにはいささかへこたれました。
時間はまだ午後2時台、西武秩父駅に併設の祭りの湯にでも立ち寄りたいが暑さでバテバテ、このまま帰宅しよう。
【狂歌】
・秩父路に 凛と聳えし武甲山 我が身削りて 世に尽くしなん
ずいぶんと兜のてっぺんを削られてしまっています。お労しや。
【川柳】
・信心も お布施幅効く 秩父寺
皆さん熱心にご朱印をお買い求めのようです。お賽銭だけでは肩身が狭い
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