昨夜は心斎橋のサウナホテルに宿泊した。サウナは宿泊代がリーズナブルで大きな風呂が利用出来てサウナもある。(サウナだもんそりゃ当たり前)しかも中に居酒屋風なスペースもあり一杯やることもできる。予約不要で門限なし、山爺のような、いい加減な人間にとっては重宝な宿泊施設なのである。

早朝、心斎橋より大阪駅に向かいJR東海道本線に乗り換え一路京都へ、10:17京都着、ここで山陰線に乗り換え1駅先の丹波口で下車、新選組ゆかりの壬生寺と八木邸見学へと京都の細い道を北上する。

京都は道が縦横に走っており分かりやすい。しばらく行くと壬生寺の道しるべが目に付いた。右折するとほどなく壬生寺の北門に到着する。江戸時代そのままの風情ある門構えである。


←画像、左の墓は近藤一派に寝込みを襲われ惨殺された芹沢鴨と平山五郎の墓、右隣の墓は土方歳三が決めためちゃくちゃな御法度、局中法度に触れて命を落とした方々の墓である。平社員(隊士)は死んでも1把ひとからげで侘しい。
局中法度・・原案作成(土方歳三)照査・承認(近藤勇)
・士道に背くまじきこと・・・会社の恥になることをするな。
・局を脱するを許さず・・・会社の無断欠勤厳禁。
・勝手に金策致すこと許さず・・会社の金、横領厳禁。
・勝手に訴訟取り扱う事許さず・・上司に相談のない取引厳禁。
・私闘を許さず・・・仲間内とか、よそで喧嘩するな。

違反したら切腹だよ~ん!ってどうにでも罪を擦り付けられるじゃん。こんな曖昧な規則では
うわ~山爺なんか直ぐにアウトだねこりゃ。
右の画像、縦長の墓は河合耆三郎という人の墓です。名前のとおり河合(可愛)そうで不運な人でした。⇒

播磨国高砂(明石)の豪商の息子で武士に憧れ?新選組に入隊、もともと商人の倅ですから、そろばんが得意、勘定方(経理)として腕を振るいました。ある日帳尻が50両(今の金で500万円位)合わないことが発覚し公金横領の科で斬首と相成った不運な男です。
なんでもその金は近藤勇が島原の芸者を身受けするのに用意した金だとか。隊長の遊興のための金紛失くらいで殺されてはたまりませんなあ。
豪商の息子だから金に困ったわけではない。誰かが盗んだに決まっている。河合は自分の親爺に金策(穴埋め)を頼んだが金の到着が間に合わず命を落としてしまった。
新選組ではこういった法度に触れて40人以上が命を落としている。人数が半端ないので、しょっちゅう、『切腹じゃあ、切腹じゃあ』と騒ぎまくっていたんだろうに、隊士は堪んなかったろうね。
まあゴロツキ集団みたいな組織を纏めるには厳しい規則が必要なのは分かるけどねえ。

続いて寺から歩いて5分ほどの新選組発祥時の屯所となった八木邸を訪問する。
新選組屯所と言ってもさほど広い屋敷ではなく、近藤一派による芹沢鴨一派の暗殺現場を見学すると言い換えたほうが合ってるかも。
入場料¥1000とちいと高いが見学後大福と抹茶のおもてなしがあるので仕方がないか。
土曜日なのに空いており説明員のおばさん(と言っても山爺よりうんと若い)とマンツーマンで施設を案内してもらう。芹沢鴨一派が寝起きしていたとされる部屋で座りながら説明を伺う。
一通り新選組の歴史の説明を聞いていたが山爺はこれでも新選組通である。普通の話はほぼ知っているので突っ込んだ質問すると『あら良くご存知で』と言い途中で一般的な説明を止めてエピソード的なことを話してくれた。
芹沢が寝込みを襲われ隣の部屋に逃げ込んで絶命したことやその時、隣の部屋で寝ていた八木家の子供が巻き添えを食い、その時の怪我が元で破傷風となり数ヵ月後亡くなったことなどを話してくれた。・・・八木邸の子供が巻き添えで怪我をしたことは知っていたがその後亡くなったことは初めて知った。・・合掌!


またその時の刀傷が鴨居に残っているのも見学した。暗闇で間合いが取れず余程焦っていたんだろうね。
*この事件は日頃より素行の悪かった元水戸藩士芹沢鴨一派に対し、京都守護職、会津中将松平容保公が近藤・土方を呼び寄せ苦言を呈したことにより、粛清を決意したとされているが真相は闇である。襲撃当日は事前に近藤一派が島原で偽祝宴を画策し芹沢達に深酒をさせ泥酔させてから襲うという周到ぶり。武士らしくないとの批判もあるが暗殺に卑怯もハチの頭もないもんだ。
近藤一派による襲撃班は土方歳三、沖田総司、原田左之助、山南敬助とされているのでこのうちの誰かが誤って鴨居に刀を打ち付けたんだろう。襲撃メンバーはいずれも剣の手練、それでもミスをするんですなあ。・・状況からして脇差で切りつけようとしたみたいですが。ガツン『う、やべえ』と冷や汗ものだったろうね。
この事件は表向きは長州藩のテロということで片付いたようだが殺害直後に異変に気づいて起きてきた八木邸の住人に対し現場にいた土方歳三は『誰か怪しい奴を見なかったか』と何食わぬ顔で聞いたとか。・・土方はん!あんたも役者やのう。
見学後和菓子屋(八木家経営?)の一角で毛氈の上に座り、柄にもなく、お抹茶と和菓子をご馳走になる。・・仕方ないではないか見学料に含まれてんだからして。
八木邸の次はお向かいにあるやはり新選組屯所が置かれていた前川邸に行く。ここは非公開だが中に入ることは出来る。建物の一角で新選組グッズを販売していた。
この繁盛ぶりを地下の新選組の面々はどう思っているのかな。土方・沖田はシャイだから苦笑いだろうな。真面目くさった顔で『俺らぁ、そんなつもりで戦ったんじゃないよ』とか言って。\(^0^)/
次の観光は京都御所である。11:30 四条通を一本外れた小道を散策しながら地下鉄四条駅を目指す。途中小さなお寺を数軒見ることが出来た。やはり京都はお寺が多い。足が痛くて叶わんが入鹿さんまだ怒ってるのかな、と思いつつ歩く。


ここを左折し500mほど進むとと倒幕のきっかけとなったあの有名な蛤御門の変の舞台となった蛤御門があります。小さな門です。
ここが1864年7月薩摩・会津連合軍と長州軍が通せ、通さないで激突し多数の死傷者を出した所です。門の柱に数多くの鉄砲傷が今も生々しく残っています。


外国人もたまには役に立つと言うものです。(^0^)Y

セカンドバッグの中は文庫本とお菓子類である。『飴あげるよ遠慮するな』、と寅さん流にからかいたい衝動にかられたが係員の怒りを買い入場拒否をされてはかなわんから我慢した。

検問も終わり許可証(右画像)を首にぶら下げ中に入る。順路にしたがい見学を開始する。御車寄→承明門と進み御所で重要な儀式を行う紫宸殿の前に出る。
大正天皇・昭和天皇もここで即位礼を行ったそうである。たしか現在のお住まい皇居は仮の住まいでここ御所が今でも本当の住居なんだとかを本で読んだことがある。



依然として京都御所の方が格式が高いのです。従って正式には未だ京都が我が国の首都なんです。だから本来なら勅令を出し京都は西京てな具合に改名せなあかん。・・て、びっくりしたなぁ、もう!。
さすが大久保どん。人をだまくらかすのは超一流だね。まあ、ほとぼりが冷めたらそのうち法令を整備しようと思っていたんだろうけど、その矢先に暗殺されてしまったからねえ。そのまんまで御終い。ことは重大なんですがこんな嫌な仕事は誰もこれに手をだそうとせずに、その後ず~と、放ったらかしで現在に至るです。
続いて清涼殿→ご学問所→御常御殿と生活空間が漂う所を見学する。


右画像はご学問所で手前の広場は蹴鞠をした場所だとか。いやあ真に雅なことですなあ。内部の優雅な襖絵も公開しております。
ここで和歌や読書をたしなみ、臣下との対面行事を行ったとか、紫式部や清少納言もここにいたんでしょうなあ。『春はあけぼの』かなんか言っちゃって。(^0^)

左の画像は御常御殿で天皇の日常生活空間で16世紀末の建造とか。
御所巡りは1000年の歴史を感じさせるなかなか見ごたえのある場所でした。入るとき少し面倒だけど入場料がタダだから我慢しなくっちゃね。
地下鉄で京都駅に15:30ころ戻った。時間がまだあったので駅前にある東寺を見ることにした。東寺は京都駅南口から10分もあればいけるはずと駅を出て入鹿の祟で足が痛い中、右側に向け歩き出す。ところが行けども行けどもお寺に遭遇しない。

(家に帰つて地図で確認しましたが小説の舞台となったあの高瀬川で正解でした。偶然遭遇しました)
♪ 高瀬川~流れる岸辺~・・それは広瀬川! ♪ 野崎参りは~・・それは屋形船!Y(^ω^)/

更に進むと鴨川の7条大橋に出てしまいました。そうです。山爺ともあろう者が遭難してしまいました。
南口に出たものと思っていたのは北口で東寺とは全く反対方向に歩いてしまったのです。出たときに磁石で方向を確認しなかった山爺の失策です。
そういえば駅を出たときに京都タワーが見えたっけ、ガッカリしながら駅に戻ります。足は痛いしもう東寺に行く気もすっかり失せました。これも入鹿様の祟りじゃぁ~!・・最前から入鹿を引き合いに出しているので様を入れないと本当に祟られたら怖い!。
16:30 再び東海道本線で大阪に戻りました。ここから去年訪れた天王寺の新世界を再訪し串揚げ屋で吉田類の酒場放浪記を実践したく、梅田から地下鉄で動物園前まで移動し下車しました。



今日はどの店に入ろうかなあ、もちろん狙い目は串揚げ屋さんです。短い通りなので直ぐに通り抜けてしまいます。一旦通天閣界隈まで足を延ばします。


あの番組の場合1位は普通当たり障りのない地域を選ぶものです。たとえば通天閣とかネ。

のれんをかき分け中を覗くと店主らしき男が一人カウンターの椅子に座りこちらを睨んでいます。山爺と目が当然合ってしまいました。するどい眼力に負けて入店です。
テレビ出演したのだから色々楽しい話が聞けると思ったが、これが見込み違い。誠に無愛想で必要以外のことは全く喋りません。しかも命令調で上から目線です。

そのうち女将が奥から顔を出しましたがこちらもあまり愛想よくない。
『串揚げは大阪のどこが最初ですかねえ』と山爺、女将が一言『ここです』これで御終い。会話が途切れまた沈黙。えらい店に入ってしまった。
きっとテレビ出演したので一時期、客がわんさか押しかけ客応対を忘れてしまったのかもしれません。
ただしここのソースはほかの店よりうまい。串揚げの具も画像でご覧のとおり大振りである。野菜類は2個もついているので実質よその店の半値といって良い。お陰さまで10本も食べたら腹一杯になってしまった。具沢山で串揚げ奉行の頑固親父が居る店として評判になるのでは?(もうなってるのかな?)そういう意味では2重〇の店でした。
ほろ酔い機嫌で新世界界隈をしばらく散策してから心斎橋のサウナホテルに戻りました。
12月11日(日)

♪ 青春時代が夢なんて~・・全くそうだったなぁ!。♪ 青春時代の真ん中は道に迷っているばかり~・・いい歌詞です。40有余年過ぎた今も当時を思い出し悔むことしきりです。(涙)゚(゚´Д`゚)゚

山爺の隣の若者は風邪引きらしく時折ズズ~と猛烈な音をたてて空気を吸い込む。しかも鼻が詰まっているので苦しそうな響きが伝わり、こちらの方も息苦しくなってくる。・・これが東京駅に着くまで延々10時間も続いた。
もし混んでいたらと10時間も隣同士だったのかと思うとゾッとした。・・席が自由に移動できて多いに助かった。関西地区を離れるので入鹿様の呪縛も解けたようです。

16:50 予定より10分早く足柄SAに到着、赤富士が夕日に映えて綺麗である。本当に富士山は絵になるねぇ。
やはり登る山ではなく見る山だよこれは。(山爺は頑なにそれを信じて疑わない。そんな訳でいまだ登ったこともないし今後も登るつもりもない。)

家路を急ぎ最寄駅に22:00少し前に着いた。いつもはこのあと行きつけの居酒屋に立ち寄って土産話をするのだが時間も遅く日曜日でもあったので嫌な予感がする。
電話してみると、今日は早仕舞いで店は閉めたとの返事が帰ってきた。むむう~入鹿様の祟り、ここまで及んでおじゃるかあ~!。
大阪・奈良・京都ぶらり旅・・後編 完
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