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2016年9月23日金曜日

ゴルフにいって参りました。

山爺は世間並みにゴルフもやりゴルフの会も作っております。昔の会社の仲間やそのまた知人を中心に総勢は10人前後、会の名前は『首都圏孔球親睦会』で、その名のとおりメンバーは南は東京から北は群馬、東は千葉と、関東一円にグループ員(と当人は勝手に思っている)がおりゴルフを楽しんでいます。

月一と言っても1月~2月及び8月は老齢からくる不測の事態を避けるため休会にしています。会には一丁前に会則もあり休会の取り決めもきちんと明記されています。

会則は暇に任せて面白おかしく山爺が作ったもので、たとえばこんな内容があります。

(目的)
第1条 常にゴルフを楽しく行うことを念頭におき、これにより会員相互の親睦を深めるほか日常の出来事等の情報を交換することを目的とする。スコアー向上には特にこだわらないものとする。
(月例会)
第9条
  (5)冬季の1~2月、夏季の8月は老齢会員の健康を気遣う目的で月例会を休止する。
(使用クラブの制限)
第18条 競技者はラウンドにおける第1打はドライバーを使用しなければならない。なおショートホールにあってはこの限りではない。

といった具合で会則に則り、9月は2か月ぶりのゴルフなのである。・・・この2か月ぶりはこれからの記事の伏線であることをあらかじめお断りしておく。・・・ってえらい長い伏線だなぁ。

9月6日(土)栃木にある栃木ノースヒルGCに行ってきました。このゴルフ場は1989年10月バブル真っ只中にオープンしたゴルフ場で当時は太郎門CCといってました。


名前の通りゴルフ場の入り口に立派な門(太郎門)が構えております。なんでもこの門だけで億近くしたとかしないとか?クラブハウスもたいそう立派な作りで世が世なら我々庶民は、とてもとてもお目通りかなわないゴルフ場でした。

バブル崩壊とともに経営不振となり平成18年別会社に譲渡、名前も東京ノースヒルGCとして再生、プレー価格が見直され我々庶民にもお目通りがかなったわけです。

ところが今回予約をしたところ、名前がいつの間にか栃木ノースヒルGCに替わっているではありませんか。平成27年同系列子会社に譲渡したことによる改名のようです。

まあ山爺としてはゴルフ場の来歴はともかく安くゴルフが出来れば名前なんぞどうでもよいのですが太郎門の響きが好きでしたがねぇ。

OUT9:31スタート、一番ホール!右は傾斜でOBとなっているので、クロスに構え対角方面の左傾斜側を狙い第一打!あらら~ぁ!ボールは予定より左にすっ飛び斜面のラフへ、

ここのゴルフ場は名門のなごりなのか、ほかのゴルフ場と違いラフが深く伸びています。・・・最近だいぶ浅くなってきてはいるがそれでもボールはすっぽりと芝の中!5Wで思い切りひっぱたくとスイング方向より左に飛び出ていった。ボールの間に草が挟まり、初めから変な方向に飛び出した。深いラフではよくあることです。
(´;ω;`)ウゥゥ

打球の落下地点はカート道方向の再び深いラフへ・・・見つからない・・・どこだ・・・ラフが深くて見つからん。ロスト扱いとし4打目(1打おまけ)
を打つもラフに食われ届かない。5打めでやっとオン。2パットでトリプルスタートです。『なあにスタートでトリぐらいなら上出来』と、まだ強気でいました。なんせ2か月振りだからなぁと自分で納得・・と冒頭の前振り話がここに来るわけです。       m(_ _)m

2番ホールは301ヤードのサービスホールだったのでボギーで上がり、うんこれでよしよしとなったのもここまで、後がいけません。次のホールからトリ・トリ・トリ↑・トリ・トリと、まあ、出るわ出るは、お酉さまの行列が!

  3の酉があるときは大火事が起きるどころではない、スコアーは真っ赤々!写真を撮ろうとカメラを持っていきましたが体勢立て直しで写真どころではありません。いかん久々の60台突入か!目の前真っ暗、ショートでパーを拾いなんとか50台後半で収まった。とほほ・・なんせ2か月ぶりだからなぁ。。・・なんだかなぁ(阿藤節)  

こうなりゃ、やけです。昼食でビールを補給し酔いにまかせてINへ、これが功を奏してか午後は50台前半で回ることが出来ました。やはり太郎門恐るべし・・また次回リベンジです。

ちなみに仲間の一人東京のKさんはしっかり40台キープ、もう一人の埼玉南部のSさんもほぼキープ、気の毒はもう一人のご仁のHさんで午前中は50台前半だったが後半はスタートからトリ・トリ・トリ・トリ・トリ↑と、出るは出るは、お酉さまのご降臨!、完全に疫病神があちらに乗り移った模様となり大たたきをしております。

引き換えに山爺は憑き物が落ちたようにスコアーが回復、いやぁ、ゴルフって、なんとも不思議なスポーツです。                                     

ゴルフの項・・完








2016年9月21日水曜日

笠取山に行こうと思います

9月30日~10月1日にかけて笠取山に行こうと思っています。30日早朝に埼玉の我が家を出て山梨県の塩山からバスで西沢渓谷手前の新地平で下車、一路笠取小屋を目指します。

この小屋は金曜には番人は不在だが小屋は開放してくれており布団・毛布も使用可能なのだそうです。もちろん有料ですが、料金箱へ寸志を入れればよいことになっております。東北の朝日連峰や飯豊連峰の無人小屋に泊り、料金箱に寸志を入れた体験をしましたが、人の善意を信じて疑わない日本人ならではの仕組みがここにもまだ存在しているようです。

30日は今務めている職場の契約が切れて失職する日でもあります。

職場は自宅の近傍にある公共施設で、施設管理と営繕が主な仕事で1年半前から勤めております。自宅から徒歩7分と究極の通勤状況が気に入っておりましたが先月いきなりここでの契約延長はなしと告げられ、欠員が出た(本当かどうか)ほかの市にある施設に転勤するよう告げられました。

転勤場所は自宅から30~40分ほどの場所ですが駅から離れており車通勤でないと無理な場所です。しかも広大なスポーツ施設で業務負担もこれまでの職場とは大違い、天国と地獄位の差がありそうです。行くか、いやなら解雇でほかの選択肢はありません。

しかも山爺の意思なぞ、お構いなく後任者の募集広告をさっさと載せて採用するという手際の良さには呆れてしまいました。本来なら欠員がでた職場で募集すべきなのに。

しかも転勤先の勤務内容の説明は『あんたが行く意思があれば説明する』ということで全然ありません。どうもおかしな成り行きです。山爺を今の職場から追い出そうとすることが本当の目的で後はどうでもよいといった雰囲気がむんむんしています。なぜ追い出そうとするのか明確な理由が思い当たりません。

思い当たることは入社時、古株のご仁(職場は私含め3人しかいない・・そのうちの一人)からこんなことを言われたことを思い出しました。『少ない人数でローテーションを組んでいるので意思疎通がうまくできない人は雇止め(解雇)することもあります。』と、つまり、この人と仲良くできない人は駄目ということです。

また日頃こんなことも言われ続けました。『市の課員から言われたこと以外は絶対するな・余計なことに手を出してはいけない・課員とあまり仲良くするな、距離を置け』・・・と!また山爺に対して『どうもあなたは設備管理というものがまだ理解できてないようだ』・・だって。偉そうに!・・・あんたには言われたくないなぁ。

人に言われる前に自主的に動く、また人との和を大切にする考えが普通だった、かつての職場とはまるで正反対な考え方です。また、毎日屋上の施設点検に垂直はしごを5m登る業務がありますが・・・業務自体が毎日やる必要性のないどうでもいいないよう無駄な内容で仕事のための仕事。・・・命綱も着けずに登るので、『結構危ないですね』と言うと『大丈夫、今まで落ちた人はいません』との返答!これには目が点になり笑えませんでした。安全に関するそのほかの考え方もピントがずれまくっています。考え方が山爺とはまるで合いません。違和感だらけです。

そんなこんなで1年半一緒に仕事したけれど、未だこの古株のご仁とは親近感がわかないでいました。山爺は大抵の人と仲良くなる自信があるのですが、この人だけはどうもさっぱり馴染めません。・・・まあこの辺が雇止めの理由なのではと勝手に思ってます。・・・しかし、それにしてもこの人と気の合う人なんて世の中にいるんだろうか?

山爺が入社する前の人も1年くらいで辞めているが、この人もそんな理由で辞めさせられたのかなぁ。・・と妄想が湧いてきます。もし山爺の誤解ならごめんなさいだが、本当にそれが理由なら横暴極まりない話です。・・詳しい説明がないからこんな妄想が起きるのであって、まったく。なんだかなぁ(阿藤節)

これまで大手家電会社、大手自動車部品会社に在職していましたがいずれの会社も人の移動などの人事管理はそれなりの手順をきちんと踏んで行われていたのでそれが当たり前と思っていました。今回のようないい加減なひどい扱いは受けたことがありません。派遣会社の労務管理のでたらめぶりは噂ではよく耳にしていましたが、いざ自分の身にふりかかると腹立たしいことと言ったらありません。ヽ(`Д´)ノプンプン

山爺のような団塊世代は掃いて捨てるほどいるので派遣会社としては買い手市場で人を使い放題なんだろうなぁ。まさに資本主義の犠牲者だね・・・安倍総理!なんとかせいや、一般労働の派遣制度は絶対やめるべきだよ。誰が悪いんだ?。たしか小泉純一郎の親爺が聖域なき構造改革とかなんとか言って規制緩和に踏み切ったのではないかと思うが?まあ当時は円高の真っ最中で労働条件を緩和しないと不況を理由に企業が慎重でなかなか雇用に踏み切れないでいた状況下にあったことも事実ですがねぇ・・・

低賃金で働かされ身分保証があやふやな何100万?という若者や中高年が、いい加減な経営者に振り回されどれだけ犠牲となり泣いていることか。3年勤務で正社員登用?するわけがない。別の人を募集して、おしまいだよ。

んな訳で気晴らしに山でも行こうと思い立ちました。笠取山は以前から計画している山でした。その理由は、①山の形が面白い。②分水嶺という場所がある③水場のある山小屋が近くにある、ことによります。分水嶺とはつまり、ここに降った雨は山梨(笛吹川)・秩父(荒川)・東京(多摩川)の3方向へ分かれるんだとか。ここで立小便すると山爺のナニは3方向に流れてゆくんですなぁ。(高笑)(^0^)

平日(金)泊りなので小屋番はいないようですが、小屋開放というのも魅力ではあります。
布団もいっぱいあります。
 
 笠取小屋情報

自宅電話 0533-33-9888
携帯 々  090-8581-9119

2食付き:¥7000(団体6人以上のみ)素泊まり寝具付き¥4000
http://kasatorikoya.com/

数年前に秩父の両神山へ行ったときに利用した清滝小屋も無人でした。その時の宿泊者はなんと山爺1人っきりでした。最初のうちは気楽でいいやと思っていましたが夜が更けてくると気味が悪いったらありゃしない。ラジオを鳴らし、お酒をガンガンやりその力を借りても真っ暗闇のなかでの一人はあまり気持ちのいいものではありません。

長時間点灯可能なように電池ボックスとLEDランプを組み合わせた手作り照明を予め用意し夜通し点けていましたが薄暗くて視界が隅まで届きません。

ぶら下がっていた箒を人の顔と見間違えてドキッとさせられたり、窓に自分の影が映っているのを誰か居る!と思ったりで、くつろぐどころではありません。暗闇はあかんて!・・・江戸時代はろくな照明がなかったから妖怪体験もさも有りなん!と妙に納得しました。

深夜になると女の悲鳴のような獣の鳴き声も聞こえたりして20mほど離れたトイレに行くのもかなりの覚悟が必要です。・・後日、大菩薩嶺の丸川荘に宿泊したときに山小屋の親爺にその話をしたら『ああそれは多分雄鹿が雌鹿を誘惑するときの鳴き声だ』と教えてくれました。

お酒の後遺症で何度もトイレ往復!終いには雨が降っているのをいいことに山荘の裏で小用を失敬してしまいました。・・・笠取小屋のトイレもきれいなようだが離れていそうです。・・・先行き不安!
  

 ⇒
両神山にある清滝山荘です。こんな立派な山荘が無料(料金箱なし)で解放です。中もきれいに整理され屋根付き自炊場も完備、なんとトイレには紙もある・・小鹿野町観光課エライ!一度行かれるといいですよ・・ただしここは寝具はないから必携。

   小鹿野町産業観光課 
 電話 0494-79-1100

両神山での体験があるので、また一人切だったらどうしようかな・・・ここ笠取山も健脚者は日帰り可能だからなあ・・・でも奥秩父縦走路の途上にあり水場もあるから誰かいるよ絶対に・・・不安と期待(また不思議体験が出来る)が入り混じった心境でいます。

笠取山に行こうと思います・・・完

2016年8月31日水曜日

東京散歩・浅草サンバカーニバル



騒々しいオリンピックがようやく終わり清々している。史上最高のメダル獲得とかでマスコミも舞い上がってしまい、期間中どこのTVチャンネルを回しても、取った取ったと大騒ぎ、所詮は世界規模の運動会で入賞しただけではないか、そんなに報道価値があるのかいな?とあきれてしまう。

期間中MLBでイチローが3000本安打の偉業を達成したのに、このバカ騒ぎに巻き込まれ、かすれてしまったのは残念であった。オリンピック以外に報道することがないのかいなと疑問に思ったのは山爺だけではないと思う。

オリンピックの報道に限らず、最近の民放は番組制作予算が少ないせいなのか安易な番組編成に走る傾向が多々あると日頃から思っている。クイズ番組は雑学が学べるので勉強になり好きであったが最近はクイズ番組とは名ばかりで、漢字の読み書きや、くだらないアンケート調査結果を出題するなど安易な内容でお茶を濁している。視聴者を小ばかにするのもいい加減にせい!と言いたい。

8月27日(土)に都内へ出かけた。たいした用事はないのであるが、時代遅れの山爺にならないように月に一度くらいは都内の空気に触れ見分を広めるようにしている。出かけるきっかけは博物館での興味ある催しがある時などが多いが、今回のおもな目的は格安散髪屋に立ち寄り散髪をすることにある。

この日はほかにも隠れた目的がある。浅草でサンバカーニバルが午後1時から開催予定なので目の保養のため行ってみることにする。・・敵は本能寺にあり!本当の目的はそちらである。\(^0^)/

出かけるとまず、神田神保町を訪れ文庫本の古本漁りを楽しむ、今日日、文庫本は若者の本離れが進んで発行部数が減ったせいか新文庫本の価格が上がったことと言ったらない。

もともと本を読むことは好きではあったが、数多く本を読み始めたきっかけは、社会人となり遠距離通勤が始まったことによる。

往復の時間つぶしに車内で本を読む習慣が付いて今に至っている。今でもカバンの中には常に文庫本入れて持ち歩くのが習慣となっている。こうしないと落ち着かず、ちょっと暇が出来ると引っ張り出して読んだりしている。多いときは月に3~4冊は読み終えてしまう。

そんなわけで、いちいち新文庫本を買っていたのでは懐具合の寂しい山爺としては新書は不経済なのである。神保町界隈で古文庫本を購入すれば7~8冊まとめ買いしても¥1000でお釣りがくる。まことにありがたい存在であるが、最近では、その古本屋も古文書専門店以外は閉店してゆくお店がチラホラで寂しい限りである。

神保町界隈はスポーツ店が多いのも特徴の一つで、お店を覗いて最新の山用品やゴルフ用品を観察して情報を得るようにしている。お店には悪いが情報を収集するだけで(見るだけ)小物以外ほとんど購入することはない。のちほどネット通販でまったく同じ用品か似たようなものを探して格安で購入してしまうのである。山ブームのあおりで山用品が高騰している?(山爺の偏見かな)昨今、慢性金欠病を患っている山爺のささやかな知恵です。・・・・悪知恵ですなぁ。(高笑)

今回は携帯コンロのガスボンベを1個購入した。こういうものは逆に大量買いしないと送料がかかり通販の方が割高になってしまいます。かと言ってそんなに大量のボンベは必要ないしね。

神保町を散歩しながら、いつものようにそのまま秋葉原方面に向かう。

秋葉原も好きな街のひとつであり都内に来る度に頻繁に訪れ、PC関連用品を探したり、ディスカウント掘り出し品などを見つけては懲りずに買い求めたりしている。ここにいると2~3時間はあっと言う間に過ぎてしまう。

昔はここを訪れる人は家電品購入目的の家族連れ以外は電子機器組み立てマニアなどが寄り付く場所で、いかにもお利口そうな人相の人しかいなかったが、今はどうだろう。オタクぽいのがウロウロ、外国人多数、メイド風な女子がチラシをくばったりと、まことに風変りな嘆かわしい街に変貌してしまった。・・・どこからともなく、♪ おいしくな~れ、おいしくな~れ、萌え~。という声が聞こえてくることがある。そんな声を聴くと魂を吸い取られたように全身の力が抜けてゆく。・・なんのこっちゃ?山爺にはわからん。こんなことでいいのか日本!


そろそろサンバ開始の時間なので浅草に銀座線で移動する。

13時ちょうどに浅草に戻った。右の写真は10時に浅草に着いたときに先に撮っておいた画像だが開始3時間前なのにすでに数多くの人が場所取りで歩道に座り込んでいる。・・・皆さま大変ご苦労様です。

カーニバルは今年で第35回目だそうです。ずいぶん昔からやっているんですね。山爺が最初に見たのは5~6年位前かな、今年は3回目の見学となります。

浅草サンバにもやはり決り事があり、チームは
S1リーグとS2リーグの二つに分類されているんだそうです。

ちなみにS1チームは編成人員150~300名 S2は30~150名が基準だそうな。演技成績次第でS1からの降格やS2からの昇格もあるんだとか!

いやぁ、Jリーグ並みなんですなぁ。出場枠は総勢20チームまでだそうで、狭き門なんですなぁここも。・・・と妙に感心する山爺であった。

今年はS1が9チームS2が8チーム参加します。去年S2の下位順、S1の下位順でパレードが繰り広げられるのだそうです。

馬道通りがスタートなのでそこに向かおうとしますが、すでに人また人で動きが取れない。ようやく隙間を見つけてパレードを待つ。

ドンチャカ、ドンチャカ音楽が鳴り響いてきた。パレードの先頭はここしか出番がない実行委員陣、次が地元消防署のパレードだ。

立派なズームカメラを携えているおっさんが山爺の周辺に数多くいるが、撮影する物好きは、ほとんどおらずカメラは動かない。勿論、山爺も動かない。

いつもはこの時期、猛暑の中でパレードをすることが多いので背中にタンクを背負った消防隊員が噴霧器で水をまきながらパレードし群衆から感謝されるのであるが、今日は曇りで、肌寒いくらいの陽気なので噴霧隊の出番はない。

その替わり、シャボン玉みたいな物体を道路いっぱいにまき散らしながら行進している。山爺のカメラは安物だから平気だけれど高級カメラを構えている人々はレンズやボディにシャボン玉がくっつき被災したのでは?シャボン玉はいかんなぁ!ご愁傷さまです。

続いて田原小学校のブラスバンドと旗振り隊のパレード、これもカメラ放列はほとんど動ず。さらに浅草小学校の鼓笛隊、群衆の中から〇〇ちゃ~んの声援は飛ぶが、カメラ群の動きは鈍い。

そして、来ました来ました、お待ちかね。すさまじい大音響とともにS2チームがやってきました。一斉にカメラ群に動きが起きます。いやぁ、現金なものだね。この親爺ども!目的は同じかいな、しかし200mm以上のズームで何を狙っているんだろう、このスケベ親爺ども!なんてね。・・山爺もその中の一人ではあるけれど。・・・いかん・いかん(笠智衆の口調で)やましい気持ちでいては、衣装やパレード車の飾りつけも見なくては、なんてことは思いません。やはりダンサーの動きが気になります。

後ろのおっさんが撮影に夢中になり山爺の頭越しにズームレンズを動かすので山爺の頭に何度もゴツンゴツンとぶつかります。にらみつけると小さな声で『すいません』 しかし新しいチームが来る度に夢中になり、また、ゴツン、反省の色が全くない。思い切り背伸びし撮影の邪魔してやろうか!・・と思ったけれど、このおっさんだって久方ぶりで出てきたのかもしれないと思い直し、我慢することにした。心が広いねぇ山爺は!

しかし6~7年前に見た頃は助っ人外人ダンサーが多くこちらは露出度抜群で動きもさすがでした。一方の日本人ダンサーは衣装が地味で(露出度が少ない)動きもおとなしいと記憶していたけれど今年のダンサーは衣装も派手(露出度)になり、動きも自信に満ちています。群衆のそばまでわざわざ近づき大サービス、明らかに見せることを意識している感じがしました。

う~んいいねぇ。 \(^0^)/  次から次へとダンサーが通過してゆきます。大いに目の保養が出来ました。これで見学料無料とは堪りませんなあ!主催者は要所要所に大会支援の料金箱を設けたらどうですか。ご協力いたしますよ。(笑)

 ちなみにS1優勝チームは第1回大会から出場している仲見世バルバロスというチームが優勝したようです。・・左画像参照


団塊世代のご同輩諸兄も家で縮込まっていないで来年は目の保養に是非見学に訪れてみてはいかがでしょうか。若返りますよ。

ピン芸人のセリフをではありませんが。・・・『連れ込むには遅すぎる。だが老け込むには早すぎます』 ってか。     ヽ(^ε^)Y

東京散歩・浅草サンバカーニバル・・完

    



2016年8月25日木曜日

お盆のこと・友人のこと

8月13日にお盆の風習にしたがって実家へ線香あげに行ってきた。90歳半ばになる、おふくろ様も幸い元気で過ごしており(ずいぶん耳が遠くなっていた)再会することができた

実家といっても電車で1時間半ほどの近傍にあるのだが普段はなかなか行く機会がない。盆と正月はありがたい風習で、この日は無精者でもやはり故郷に足を運びたくなる

ちなみにお盆とは、賢明なる諸兄に向かって改めていうのもなんですが旧暦7月15日を中心に先祖供養をする風習で13日が迎え盆でお墓に行き先祖の墓参りをし、その魂を家に連れて帰る日、15日が中日、16日が送り盆となり、もとのお墓に帰っていただくといった、一連のセレモニーである。

なぜ15日~16日に実施するか言うと、初春と初秋の満月の日に死者の魂が彼岸(あの世)から帰ってくるとされているからだそうである。

昔は太陰暦という暦を使っていたがこれは、お月様の満ち欠け周期を利用したものである。すなわち月の満ち欠けが29.5日で1周期となる(公転周期は27.5日)のでこれを1ヵ月としたものである。したがって太陰暦では14~16日近辺が必ず満月日に当たるので、お盆の期間は必ず満月に近い月が出ていることになる。昔は照明がほとんど用をなさないから満月の下でないと暗くて、いろいろ行事を行うにも不便だもんね。

今の暦(新暦)では満月の日は毎月ずれてゆくので15日でも満月とは限らないから言い伝えの趣旨に合わないね。

余談だがあの有名な『頃は元禄14年12月14日』の赤穂浪士の討ち入りは何故14日に討ち入ったか?一説には14日が満月で行動しやすいからそう決めたのではという歴史学者もいる。

暗視スコープなぞない時代、真っ暗闇では誰が誰だかわからん!同士打ちをしてしまう恐れがあるものね。まあ実際のところは雪が降ってきて月は出なかった。その代わりに雪明りが役に立ったようだけど、そのほか歴史上の重要な合戦などでも15日近辺の日にちが多いそうである。

試しに調べてみると、上杉謙信が武田信玄の夜襲を見破り妻如山を密かに抜け出した第四次川中島の合戦が8月14日~16日、関ケ原の合戦が9月15日といずれも満月の日を選んでいる。当時の暗黙のルールかな?そういう目で歴史をみるのも面白い。

若いころはお盆なぞという風習にほとんど興味を示さなかったが、年を取ってくると死というものが身近に感じられるようになってくるので、先祖の霊を毎年供養する風習はやはり必要だなぁと、つくづく思うようになってきた。

私は4年ほど前から高校の同級会の万年幹事を仰せつかっている。幹事長々と皆におだて上げられてその気になり、毎年6月末、栃木の温泉地を中心に1泊旅行を兼ねて企画しているが、宿泊プランにも関わらず毎年15~16人が参加してくれて旧交を温めている。

普通これだけ参加すると一人や二人嫌な奴も交じるもんだが、現在参加してくれている連中は誠に気の置けない面々で愉快な奴ばかりなのである。

毎年企画し実行するのは手間と気苦労ばかりで何の得にもならないのであるが、皆さんの笑顔を見たり『幹事長ごくろうさん』と一言声をかけられたりすると幹事冥利に尽き、ついつい毎年引き受けてしまう。

今年は趣向を凝らして日光の隠れ里、家康の里にある評判の民宿でクラス会を実施、珍味に舌鼓をうちカラオケで大騒ぎ、盛会のうち終了しました。                  

高校生の時にわずか2年間だけ同じクラスで学んだという間柄でしかないのに、何十年と付き合い続けている同窓生とはいったいなんなんだろうと最近つくづく思ったりもします。

つらいこともありました。私が幹事になってからの4年間で3人の方々が相次いで鬼籍に入られてしまいました。12年に仕事中に不慮の事故で亡くなられたO氏、去年10月には親から家業を引き継ぎ頑張っていた人なつこいH氏が、そして今年の7月にOK氏が、早足で、煩悩渦巻く此岸(しがん)から彼岸側へ川を渡ってしまいました。

不慮の事故のO君は風貌が親分的でちょっと見は強面だが実際は気さくな性格で、私が得意とするエロコミックソングを誰よりも大笑いしてウケてくれた奴だった。

社長業で頑張っていたH君は私の幹事を一緒に手伝ってもらったことがありました。その時にわざわざ1時間半かけて我が家まで訪問してくれて打ち合わせをし、その後居酒屋で酒を酌み交わしたことがあったっけ。

OK君は大柄な体形に似ずユーモラスな性格で高校時代はいつも昼食時『当番!お湯』と叫ぶのが口癖で、皆んなを良く笑わせていたっけ。生涯現役をモットーとし人一倍元気印でクラス会盛上げのキーマン的存在だったのに・・・。

幹事の役目上、各人と電話で問い合わせることが間々あるが3人とも亡くなる1ヵ月~半年前に電話でやり取りしており、今もその時の声が脳裏に残り続けている。多分、この先も消えることはないだろう。なんともつらい記憶である。

H氏、OK氏にとっては今年が新盆である。改めて合掌!。それにしても3人とも少々早すぎる旅立ちだぞ、このせっかち共め!(涙)・・・ 残念の一語に尽きる。



2016年8月20日土曜日

雲取山縦走 後編

昨日の寝不足でぼ~うっとしながらも、6時15分、それなりに楽しかった七ツ石小屋を後にする。小屋の人によれば昨日の混み様は本当に珍しいとのこと、であれば秋に再度、訪れてみたいと思う。
早朝の山道を再び一人とぼとぼと歩き始めました。早朝の山道は森の木々の香りや木漏れ日の当たり具合と言った独特の雰囲気が気分を和らげてくれる。心なしか元気も回復したようだ。20分ほど歩くと七ツ石神社に到着。荒れ果てた神社である。

ここの神様の風体は髭や髪ぼさぼさの御仁に相違ないと一人ごちた。

神社を過ぎるとすぐに大石が二つころがっているところが現れた。

これが七ツ石の片割れかなと思いながら通過、6時45分、七ツ石山の山頂に到着。




山頂には昨日の山小屋の若者たち数人がすでにいた。聞けばヘリを待っているとのことである。着陸は出来ないがここでホバリングしロープで荷降しをするのだそうである。

なるほど爆音が聞こえる。ほかに頂上にいるのは、さっき私を追い越していった親子連れが一組だけである。
この親子とお互いに登頂記念の写真を撮りあった。

先を急ぐので早々に別れを告げて一路雲取山方面に下る。石尾根は眺めもそこそこあり快適である。

山道を一気に下ると再び登りとなる。頭上をロープを垂らしたヘリが一機通り過ぎてゆく。石尾根はなだらかな広い道との情報だったが、なるほど広い道である。

んん!広すぎるなこれは!ヘリポートに到着だ。やけに広いはずである。先ほどの小屋の人によれば、このヘリポートは人の昇降専用だそうな。ええ~いくらで乗せてくれるのかな?ここからなら雲取山も楽だなぁ。と思いつつ、ここを過ぎると、まもなく奥多摩小屋に到着した。

当初はここに宿泊する予定でいた。口コミがいまいちだったので今回は遠慮したが泊まってみたい雰囲気ではある。










ここからはいよいよ雲取山への登りである。天候もまずまずで左側の視界が開けている。位置的には飛龍山だろうか?その奥の小さな三角山は次の登山予定の笠取山かな?。
寝不足のわりに今のところ快調である。
小雲取山を越えると目指す雲取山がついに視界に入りました。



もう少しです。頑張んべぇ!。

見えているのになかなか近づきません。山ではよくあることですが、これが何とも辛い。

避難小屋へやっと到着。山頂はこのすぐ上です。


小屋の中をチェック、なかなかきれいである。トイレも完備されており、いいじゃん。しかし今の私の体力ではここまで1日で到着するのは無理だろうなぁ。         ショボン!(´・ω・`)

9:20ついに頂上へ到達!実に47年ぶりである。山頂の記憶もほとんどない。ない、ない、あれぇ!雲取山の看板がないぞ。

見ると山頂でおじさんたち・・・
ってワシも同類のおじさんだけど、工事の真っ最中である。・・・『すいませ~ん。雲取の看板は?』・・『ああ、腐って落っこちたので今、交換中だよ、』・・『ええ~!そんなあ!証拠写真が撮れない!』!

仕方がないので、付近の方位盤の横で居合わせた登山者とお互いの不幸を愚痴りながら交互に記念撮影。プンプンヽ( `Д´)ノ 

昨日、小屋のお兄さんが『雲取山頂には落とし穴があるから気を付けて』と言っていたが、なるほど大穴が3個ほど掘ってある。

これだったのか。今その謎が解けた。えらいときに登ってしまった。まあこれも貴重な体験か!と納得する。

山頂で持ってきたフルーツ缶詰を開けて食べようとしたがスプーンがどこかに潜ってしまって見つからない。え~い!フタを丸めて代用。いやぁ、食いずらいこと。

景色を眺めようとしたがさっきまで晴れていたのが嘘のように周囲が雲だらけで視界ゼロ、さすがは雲取山だ!と妙に感心する。

ここから、いよいよ反対側の秩父方面への下りに入る。引き返すなら今だが予定通りGO!時間は9:40、ほぼ計画通りだったが、昨夜の寝不足が災いし、ここからペースが徐々にダウン、悲惨なことになる。

急な道をひたすら下山する。いやぁ、登りに使用しなくてよかったわい。まもなく雲取山荘に到着。47年前は素朴な感じの山荘だったと記憶しているが、皇太子殿下御用達になってから立派な山荘に変貌、個室、水洗トイレ(上履きに履き替えるので通過登山者の評判は悪い)だそうな。

この山荘を利用するには三峰口方面からが最短となるが延々ときつい登りが続くので大変だ。にも関わらず、山ガール・山姥に大人気だとか。こういう山荘は、おいらの趣味ではないなぁ!。

休憩も取らずに通過、更に下ってゆく。10:40、大ダワというところに到着。雲取山は人気の山だけに登山道はよく整備されており歩きやすい、確かに本格登山の入門に適しているようです。



さらに下降し芋の木ドッケに12;10に到着、このあたりから休憩する度に眠気が襲ってきて体がだるくなってくる。

人のせいにはしたくないが本当に昨夜はアンラッキーであった。睡魔に襲われ、歩きながらウトウトしバランスを崩し転倒、転落でもしたら大変なことになる。・・・私は過去に夜行列車で南アの広河原に明け方到着、そのままスーパー林道を歩き出し寝ぼけて転倒した経験があるので二度とそんな目には遭いたくない。

 そんな体の状態のときに白岩山のきつい登りに出くわす。

47年前の記憶だと下りばかりの楽な道と記憶していたのだが、それは若くて体力が有り余っていたからだったと今更、気が付いた。

改めて地図で確認すると、雲取山の標高が2017m、白岩山の標高が1921mで96mの差でしかない。『ええぇ~あんなに歩いたのにたった96mかいな』 三峰神社まであと921m降りにゃあ、あかん。とガックリする。

登ったり降りたり、を繰り返しながら先へ進む。『結局、登っているではないか!俺は下山したいんだぞう!なんなんだこの山は!』 腹立ちながら歩いていると、すぐそばの茂みでガサッと音がした。
『えっ熊!』一瞬そう思い体が凍り付く、明らか茂みからじっとこちらを見ている二つの目。茶色い模様の動物だ!なんだ鹿か、脅かしやがる。カメラを向けると逃げ出し一定の距離を空けてから悠々と葉っぱを食べ始めた。結局白岩山に着くまでに都合3頭の鹿に遭遇した。

白岩山の頂上はベンチもあり登山者の休憩ポイントである。ここに来れば食べ物の残りをもらえることを覚えたのであろう。人なれした鹿達と見受けた。
 
白岩山12:25分到着、疲れに暑さも加わりいよいよ予定より遅れだしてきた。昔勤めていた会社経営者の春闘回答時のセリフではないが、先行き不安!。

白岩山で記念写真を撮ってもらいました。また自撮りも!

旧日本兵のような帽子後部のひらひらは熱中症予防のアルミ布性のカバーで、これを付けていると後頭部が熱くなりません。優れものです。ワークマンで見つけて購入、山にゴルフに重宝しています。

ほかにも、ワークマンでは山で使えそうなものが廉価で沢山あります。ワークマンが我が家の近所にあることも手伝ってよく買い物しています。なにも高級スポーツ店に行かなくても仕事も山歩きも便利性と安全確保という共通の目的があります。ベストなんか、いいのが揃ってますよ。皆さん一度訪れてみてください。・・ワークマンから宣伝料振り込まれないかな。(^0^)/


白岩小屋の廃屋に12:50到着、計画より相当遅れている。15:30分のバスに乗るつもりだったが、ここからあと3時間はかかりそうである。絶望感が漂ってきた。これというのも昨夜の酔っ払いのせいである。ヽ(`Д´)ノプンプン
昼食もまだで腹が減っているので、ここで大休止を取る。ザック内にはカップ麺があるがこれを作るまでの時間はない。非常食のレーズンクッキーで間に合わせる。

休憩していると下から大荷物を背負ったボッカさんが上がってきて、ここで小休止を取った。『三峰根神社まであと3時間くらいで着きますか?』・『ああ3時間あれば十分だね』・・この時点で15:30のバス乗車は不可能に近くなった。

まあいいか、次のバス17:30があるさ。時間が余るから三峰神社に参拝も出来るしと、気を取り直し出発する。

またまた霧藻が峰へのいやな登りが始まった。『何でこのコースはアップダウンが多いんだ、巻き道、作れや、』と独り言!・・・東京都を越えてここは埼玉県、財源がないから整備も無理か?と妙に納得しながら歩き続ける。

実際、東京側は来客者が多いせいか道もよく整備されている印象を受けた。やはり財源が豊富なせいかなぁ。舛添さんも予算が豊富なので調子に乗っちゃったんかなぁ。(笑) (^0^)/

なんて馬鹿なことを考えながら歩いていると13:15、ようやく霧藻ケ峰に到着しました。

売店が営業していて人の声がする。サイダーのおいしそうな看板が目に入るが先を急ぐ身、のんびり立ち寄ることが出来ない、トホホ。

ここを断腸の思いでスルーし、階段を下りるとすぐに昭和天皇の弟君であられた有名な秩父宮様ご夫妻のレリーフが目に入りました。秩父の山をこよなく愛した人だそうで、だから秩父宮と言う・・って嘘だよ!

宮号創設の由来は秩父嶺が帝都所在の武蔵国の名山であり、雍仁親王邸の西北に位置したことにちなみ選定されたそうである。・・これ本当の話、登山が好きでマッターホルンに登ったりもしているようである。



現皇太子様もこの人に刺激を受けて山好きになったのかなぁ、と考えながら写真をパチリ!。








三峰神社まであと2kmの標識を確認した。山道なのであと1時間くらいか?。

ここまで来たらあと少しなので、気がせいて自然と早足になる。

いかん、いかん、ここで無理をして足・膝・腰を痛めたら大変と大事を取って、休憩を取る。・・・勝って兜の緒を締めよである。
・・あれぇ!勝ってないか、今回、負け戦。



小さなお地蔵さんが鎮座まします祠があったので残り道中の安全祈願をし、お賽銭を奉納する。さあ、ゴールは真近である。

三峰神社の奥之院のある妙法寺分岐を通過する。余裕があれば参拝したいところだが時間が押しているので諦めることにした。


妙法寺の方から手ぶら姿の若い女性二人が降りてきた。山ガールではない。観光スタイルだ。





やった、ついに三峰神社のエリアに到達した。見事に整備された杉の参道を下ってゆく。気分は凱旋ロードを行進しているつもりになる。

下の方が明るくなり車のエンジン音や騒音が聞こえてくる。今回の山旅もゴールは真近だ。

腕時計は17時ちょうどを指している。三峰神社参拝の夢はこの時点でぱあ~になる。

駐車場が眼下に見える。ほどなくバス停に到着した。ついにゴール!、時に17時10分、昨日6時間、今日は11時間、実によく歩いた。・・山爺もやれば出来るもんだ。・・なんだって!年寄りの冷や水!だとう。

下山後は立ち寄り湯に入るのも楽しみの一つだが今日は時間的に無理なのでザックから着替えのTシャツを取りだしトイレの洗面台で汗を拭きとり着替える。・・・公共機関には汗臭いまま乗りたくない。こういうところは昔から気を使ってます。エライでしょう。


最終バスであるが乗客は10人以上も待っている。定刻通りバスが到着し、ほどなく出発、一路三峰口駅へ!

三峰口駅へは18時15分に到着の予定で、秩父線は18時15分発があるが、これには乗り継ぎ無理だろうなあと思いながらウトウトする。もういくら寝てもよいぞ、よく頑張ったと自分に言い聞かせるが気持ちが高ぶっているせいか寝られない。

定刻通り18時15分に三峰口駅到着、小さな駅だからホームが見える。あらら、15分発の電車がまだ停車している。どうも連絡待ちしてくれている様だ。

いそいで券売機に適当な小銭を放り込み乗車券を購入、あたふたと乗り込む。ローカル線は親切だねぇ。乗客の皆さんもそのへん分かっているのか悠々と乗り込む人もいる。

定刻5分過ぎに電車は出発、一路熊谷方面へ。

無事に最寄りの駅にたどり着いたが、まっすぐ家には向かわない。山の帰りは行きつけの居酒屋に凱旋するのを常としており、今回も店の親爺に事前に山行を告げているのでなんぼ疲れていようとも寄らないわけにはいかない。家路までは日暮れてなお道遠しなのである。

雲取山縦走・・完



































2016年8月10日水曜日

雲取山縦走 前編


かねてのたくらみ通り8月5日(金)~6日(土)にかけて雲取山に登ってきました。


5日の早朝に家を出て5時の始発に乗り一路奥多摩へ、しかし早朝5時だと言うのに、もうかなりの通勤者が駅のホームに!。物見遊山姿は私以外、皆無。・・・なんだかなぁ・・思わず阿藤節!

南浦和で武蔵野線に乗り換え西国分寺駅に6:49到着、このころには車内は通勤客でいっぱいに、山爺としては肩身が狭くなる。なんの!ワシだってこれまで皆さんと同じに、いっぱい働いていたんだゾ、と自らに言い聞かせる。
ここからは7:09発の青梅行きに乗り換え青梅へ、下りなのでさすがに通勤客姿は激減、ちらほらと山姿のご同輩も乗っている。やっと安堵・・(^ε^;)

青梅から反対側に待機している電車に乗り換え8:38やっと奥多摩駅に到着!って、のんびりしていられない、バスが8:42発なのである。しかも手持ち切符は途中まで。精算所の駅員は、と見ると反対側を向いて客と商談中・・冗談じゃない。おーい!失敗したなぁ、西国分寺でいったん下車し清算しておくんだった。この後のバスは1時間後だ!思わず『すいませ~ん!』と声をかける。しめた話が終わり振り向いた。清算もそこそこに改札を出たが、もう42分過ぎである。あちゃ~!あかん!

バス停に行くと人が何人か整列しているバスがあった。西鴨沢行だ。なんだ待っててくれるのか、やれやれである。乗車後しばらくしてから出発した。・・そうなら時刻表の時間変えてくれ!焦るじゃないかいな。まてよ!急いで乗せるためのバス会社の作戦かな?(のんびりと用便済ませてから出てくる輩、防止作戦)

バスは山また山の中をグングン高度を上げてゆく。天候もまずまずで気分が高まる、いいねえ。出かけるまではおっくうだが山に入ってみると『ああ!やはり来てよかった』となる。

車窓の眺めも飽きて少しうとうとし始めたころ目的地の鴨沢に9:16到着。ここで下車し、いよいよ登山開始だが最近はいきなり登ることはせず真摯にストレッチをしてから行動するように心がけてます。エライ!って、な~に、アキレス腱その他の損壊を恐れているだけですよ。

今回の山旅用にAmazonでザックを新調しました。おまけのストックまでついて¥5000は、まことにお買い得でありました。おまけ付きってのが笑える!・・・角のデパート・スポーツ店なら1万とはくだらない代物!今日はそれだけ頂きたいとは申しません。7千・6千・5千、えーいもってけ泥棒!
(寅次郎口上)ってなものです。ネット通販最高!。


格安物件でしたが商品は安かろう悪かろうではなく、しっかりした作りでした。背中とザックの間に芯およびメッシュがあり体に密着しない構造となっているので背中が汗で濡れることがなく、まことに快適!。また、この芯のおかげで適当に品物を放り込んでも型崩れせず背中にきちっとフィットします。

昔のザックは、上手にパッキングするのに年季が必要で、初心者とベテランの区別がパッキングで判別できましたが、今は昨日から始めた人でも体にきちっとフィットして歩いているので身分けがつかない。困ったもんだ!。

おまけに入っていたストックは中にバネが仕組まれており地面を突くと10mmほど沈みます。いわゆるショックアブソーバー機能を備えており肩にかかる負担を軽減してくれる優れものでした。

話を山歩きに戻します。9:30いよいよ登山開始、バス停の横の階段を上り車道をしばらく行くと左側に山道が見えてきました。

熊注意の標識が!・・・ここも熊出るんかい!。今日日、どこにいっても熊注意の看板が・・看板出せば責任は回避出来るとでも思っとるのかいね・・どう注意したらいいのか具体的に注意

方法を書かんかい!もしも熊さんにお会いしたら、どうせいっちゅうんだ。
『こんにちは今日はいい天気ですね。お手柔らかに』 ニコリ!てかぁ。

看板の下の方に『当地域で熊に襲われても当観光協会は一切責任は負いません』とも書く必要があるのでは?。熊注意だけでは記載不十分だゾ!。

またまた横道にそれるけど、あの熊さんの歌は発禁にした方がいいのでは?。・・♪ ある日、森の中、熊さんに出会った・・熊さんが言うのには・・お逃げなさい・・すたこらさっさ、・・そんなのんきな状況には、ならん!熊は原則凶暴だぞ!くまモンのような可愛いのはおらんて。子供が間違って覚える恐れがあるので教育上よろしくないと常々思ってま~す。(^0^)/

鴨沢~七ツ石の山道は・・はい!山の話に戻りましたよ。緩い傾斜が続くので登りやすいとの評判通りでアップダウンも少なく、ひたすら樹木の中の緩い登りが続きます。

樹木が夏日をさえぎってくれるので夏山登山としては老齢の身には、ありがたくもあります。

楽は楽ですが、だんだん飽きてきます。さらにだんだん腹が立ってきます。『なんだ、どこまで続くんだよ、この登りは、いい加減にせい!』。
途中に、こんな木がありました。七ツ石のご神木か?うへぇ~!。ぼやいても仕方ないので、さらにとぼとぼ高みへ。途中で花なぞ愛でながら水場へ到着。


水を補給しながら、ごちそうになります。『ごっくん』 いや~冷たくて、うまいのなんのって。これで焼酎の水割りにしたら・・・いかん・いかん、七つ石まで、まだまだ道のりがある。我慢々・・気を取り直し、またとぼとぼ歩きます。

途中で私と同じくらいのペースで歩く年配者と何度か遭遇し2~3言葉を交わす。

聞けば、七ツ石の先の奥多摩小屋まで行きテント泊だそうな。
ここではそれで別れ、気にも留めなかったが事件はこの後、起きることになる。

堂所(どうどころ)のポイントで休んでいると下から巨大な荷物を背負ったお兄さんが上がってくる。『こんにちは、小屋の方ですか』・『そうです』・『小屋まではあとどれくらい』・・たわいもない会話をかわす。・・あと1時間ちょいだそうだ。・・『今夜お世話になります』と声を掛けておく。お兄さんはあっと言う間に私の横をすり抜け登っていってしまった。

さあ大変だ、小屋の関係者に声を掛けてしまったぞ。1時間ちょいと言われて2時間も3時間もかかったら恥ずかしい。頑張らねば!。老骨にむち打ち、ひいひい言いながら登りだす。いつの間にか傾斜も急になってきた。

『話ちがうやん。なだらかな道が続くって言ったじゃん』と泣き言も出てくるころ標識が現れた!左雲取山の巻道、右、七ツ石小屋経由七ツ石山とある。やれやれもう少しの辛抱か!たしか小屋の人が標識を右に折れ20m進み左に200mくらいと言っていたな。もう少しだ、頑張ろうと、歩き出したがなかなか着きません。

息が上がったころようやく山小屋が見えてきました。いつになっても山小屋が視界に入ったときのうれしさは格別と、確か日本100名山の著者、深田久弥がエッセイで述べていましたが本当に 同感で、この感激は今も昔も変わりません。

上から小屋の若い人が『どうもお疲れさま』声をかけてくれる。いやあ、まったく、お疲れ様である。

小屋に入ると結構人が居る。聞けば今日は、ほぼ満席だそうである。傍らにさっきの年配者もいる。『あれ、どうも』・『疲れちゃったのでここまで』・・なんでもテントを張ろうとしたらフライシートを忘れたので断念。小屋宿泊にしたとか。

混雑でなかなか受付(支払い)が出来ず落ち着かない。周りを見ると皆さんビールをうまそうにゴクゴクやっている。あっ!おいらも飲みてぇ。・・・『すいませ~んビール』と注文すると『表に冷えてるので勝手にどうぞ』と来ました。では!と表に出ると、あるある!うまそうに冷えているのがごろごろと。横に料金箱がぶら下がっており、1個¥500也、おつりは出ない構造なので¥1000投入し、あとでもう1本飲むことにした。
皆さん受付待ちでロビー?(小屋のストーブ周り)で、たむろ。いつの間にか山の雑談会と化してしまいました。

受付も無事済みましたが、雑談会は、それぞれが持ち寄った焼酎やらお酒やらで徐々に宴会ムードへ、ランプも点灯し演出も最高潮!

いいね、いいね。これだから山はやめられまへん。

くだんの年配者(と言っても私と同年代)も自分で持ち込んだ焼酎のいいちこ、1Lを皆んなにふるまってご機嫌に動き回っている。

私はまだ夕飯も食べていない。あわててバーナーでお湯を沸かし夕食の準備、今日はレトルトカレーとイワシの味噌煮。んん!どこを探してもそれらがない。酔っていることも手伝って、見つからない。なにせ似たような買い物袋がごろごろしているので誰かの荷物に紛れたようである。あきらめて、ご飯に醤油を掛けただけの悲惨な夕食となってしまいました。

夜も更けてきたので(と言ってもまだ9時)、お開きとし寝床に移動する時間となりました。ここで事件発生、あの年配者が酔っ払って表で腰が抜けて動けなくなり小屋の若い人に背負われて戻ってきました。

今日はやや混んでいるので寝床は布団2枚で3人、私の隣が、あの酔っ払いである。いやぁな予感がしてきた。

くだんの男、寝ぼけながら『すいません・すいません』『はい・はい』とブツブツ小1時間連呼している。うるさくて寝られない。・・・あげくに突如、うわぁと叫び出した。・・・もう我慢の限界!『うるせい!いい加減にしろ!』と怒鳴り飛ばしてやった。・・『すいません』と小さな声がしてその後やっと静かになった。

やれやれこれで寝られると思ったのもつかの間、今度は大いびきと寝返りの波状攻撃!・・・なんなんだ此奴は・・・そうでなくとも年寄りは寝つきが悪いのに、おかげで夜通し寝ることが出来ませんでした。

明け方4時頃ようやく、うとうとしたがそれもつかの間、5時には起床!最悪の一夜となってしまいました。



5時に起床、ほとんどの人が行動を開始しています。気温は表で18度もあり、さほど低くない。下界はさぞや気温が朝から高いんだろうなぁと思う。

トイレは小屋から数m高いところにある。夜間にも2度ほど小用に来たが疲れた足には堪える。ドアーのところにアイゼンを脱いで入ってくださいとある。・・なるほどこの傾斜では冬季アイゼンも有か!・・トイレに行くのも命がけだね、こりゃ。

寝不足で頭がぼ~うっ、としている。あの男のせいである。今日の行動に一抹の不安がよぎる。

朝食の準備をしていると、くだんの男があちこち謝罪して回っている。私のところにも来た!。『昨日はご迷惑をお掛けました』 『ああ、お酒はほどほどにね』ニコリともせず不機嫌そうに低い声で答える。・・謝るくらいならそんなに飲まなければいいのに。

今日は三峰口まで長丁場、支障なく踏破出来るか心配だ。・・と内心思っているので笑顔で許すことが出来ない。

朝食も済み、水をペットボトル3本補給し、朝6時15分いざ出発。

目指すは七ツ石山経由で雲取山、白岩山、霧藻ケ峰を経て秩父の三峰口へと抜ける長丁場のコースである。


後編に続く。