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2023年7月2日日曜日

川崎・生田緑地あじさい山と日本民家園

 コロナによる自粛生活が長かったせいなのか、はたまた老いが進んで出かけるのが億劫になったのか判らないが、とんと出かける機会が少なくなった。たぶん後者の影響が大なのだろう。いかんなあ、じっとしているのは楽だけれど老化を促進してしまう。山でも行こうと思うのだが天候は連日雷予報が出ておりさっぱり良くならない。

ちまたでは紫陽花が咲いているだろうに・・・いつものようにGoogleマップで紫陽花の咲く名所と打ち込んで検索するとあじさい山という地域が数件ヒットした。秩父の美の山は有名だが山頂までの道中が長い。途中で雷に遭遇したら避難するのに難儀する。

向ヶ丘遊園のあじさい山、ここなら低山も低山、30分もあれば山頂だ。そばに川崎市立日本民家園もあるので紫陽花を撮り込んで古民家が撮れるかも知れない。


というわけで天気が回復した6月17日(土)いそいそと出かけてみた。日本民家園は6~7年前に一度訪れたことがある。

早朝に家を出でて北千住から千代田線で代々木上原へ、ここから小田急線に乗り換える。この手順は丹沢登山で何度か利用しているので勝手は分かっている。

丹沢登山は始発の新宿駅から小田急線に乗り換えるのが一般的だが新宿駅は何せ巨大な駅だ。乗り換えに時間がかかる。この駅なら電車を降りると反対側が小田急線下りホーム、乗り換えが徒歩ゼロ分という至便さだ。

ここから向ヶ丘遊園駅までは駅が沢山あり何となく遠そうに見えるが急行を利用すれば1~2駅停車するだけ、約15分で到着する。

向ヶ丘遊園駅の南口から15分も歩けば日本民家園に到着だ。今日の主役はあじさい山なので民家園は後回し。

民家園の正門から下に降りて菖蒲園沿いを歩く。あいにく菖蒲は時期を過ぎてしまっていた。

ぽつん、ぽつんと咲いている菖蒲を見ながら5分ほど歩くと科学館前の広場に出た。

広場には客車やSLのD51が展示してあり芝生には思い思いにシートを広げた家族連れがくつろいでいる。

山爺にもこんな至福の時期があった。人生過ぎてみるとあっという間だなあ。幼い子らの走る姿と小さいころの我が子らの思い出が重なる。

笑い声の絶えない芝生を横断してあじさい山の山道へ入る。

おお、今を盛りに紫陽花どもが・・どもって、偉そうに・・咲いてくれています。
白、ピンク、青、紫、ほどよく色が混じり合っています。

自然にはこうはならない。たぶん庭師やボランテァの皆様が日頃より丹精込めて手入れし、バランス良く配置しているのに違いない。


紫陽花が満開の中、山道というより散策路というほうが正しい道を撮影しながら歩く。実に楽しい。






紫陽花の別名を手毬花と言うんだそうで、なるほど言い得て妙ですなあ。

あじさい山は100mにも満たない丘のような山だ。山頂はすぐそこと登り続けていたら突然の通せんぼ。何?何?この先倒木により危険なので通行止めとある。

登山道なら倒木なんぞ当たり前でそれくらいのことで通行止めはありえないがここは幼い子供連れが多く訪れる公園だ。万一のことを考えての措置だろう。仕方がないので山頂を見極めることなく引き返す。

さて日本民家園の正門に戻ってまいりました。ここは有料で入場料は大人¥550ですが65歳以上は¥330の割引特典があります、ありがたや。特典に預り早速中に入りましょう。


当園は1967年開園というから相当古い。当時急速に消滅しつつある古民家を保存しようと全国から23の古民家を移築したものです。建築物の他、道祖神や野仏なども保存しています。園内に入ると正面に宿場町のような門が待ち構えてます。

正面に見えている建物は福島より移築した鈴木家(馬宿)で19世紀初期の建造。

井岡家、油屋の文字が見えます。奈良県柳生街道で油屋を営んでいた家です。18世紀初期の建築です。
井岡家の内部です。井岡の暖簾がいいですねえ。当時を忠実に再現しているので照明は少なめ。当時こんなに暗い中で商売をしていたんですね。




長野県伊那部地区で薬屋を営んでいた三沢家です。19世紀中期の建造。
屋根に石を乗せて風対策をしている時代劇でお馴染みの作りです。

代々組頭を努めた家柄なので門構え・前庭付きを許されたとか。

道祖神が道端に佇んで時代を演出してます。
これも全国各地から移設したものです。
長野県長野市から移設された水車小屋
19世紀中期のものですが動態保存、ちゃんと水車が回ってます。

今の時期なら紫陽花と古民家が重なるはずとの山爺の読みはドンピタリ。紫陽花と水車小屋、絵になるねえ。と、ひとりごち。
長野県千曲川沿いの名主の家、佐々木家です。18世紀中期の建造。

奥には合掌作り家も見えます。
佐々木家の内部です。磨きぬかれた床板と囲炉裏が素晴らしいです。

『庄屋さまぁ、今年の年貢はどんな塩梅かね』
なんて村人の声が聞こえてきそうです。
富山県南砺市、越中五箇山の合掌作りの家。
江向家、18世紀初期の建造。
中を覗いてみると囲炉裏に火を焼べている人が見学者と語らっています。

合掌造りの家はこうして定期的に火を入れてすすで全体を燻しておかないと家がもたないんだそうです。

以前何かの報道番組を見て山爺が覚えたエピソードですが、合掌作りの村落で当時流行りだした石油ファンヒーターを便利とて相次いで使いだしたところ、どの家も家のいたるところに虫が湧き出し大騒ぎになったとか・・・現代の科学に勝る先人の知恵もあるんですねえ。

岐阜県大野郡、いわゆる飛騨白川郷の合掌作り。19世紀前期。ここはお蕎麦屋さんとして実際に営業してます。

先ほど見た水車小屋は水車が回っていた。扉が厳重に施錠されていたので、もしかしたら中でそば粉を引いていたのかもしれないな。







値段も街中と変わらずお手頃なのでお蕎麦でもたぐろうと中を覗いたら折しもお昼どき、お客で一杯でした、残念。


作田家は修繕の真っ最中でした。
千葉県九十九里網元の家だそうな。17世紀後期の建造

こうして定期的に手入れして保存しているのですねえ。
ご苦労様です m(_ _)m
山梨県甲州市、広瀬家 17世紀末期の建造

ニューギニアや縄文時代の三内丸山遺跡の家屋に似てませんか。

日本の家屋は古代より暑さ対策を主体に作られた。だから高い天井と藁屋根が採用され続けたと山爺は思います。


シベリヤの極寒と違い日本の冬は着込みさえすれば凍死することはない。しかし暑いのだけは対処のしようがない。人間、裸以上にはなれないもんねえ。(^^♪

藁屋根なんか時代遅れと思うなかれ、藁は格好の断熱材であり湿度保全の効果も持ち合わせている。使い続けたのには科学的根拠があるのだ。

実際、今日は屋外は30度に届こうという陽気で歩いていると汗をかくが藁屋根の古民家に入るといずこの家屋もひんやりとしている。まるでクーラーの効いた部屋に入ったようだ。

火守りの係員に聞いても風が吹き抜けるからクーラーなくても凌げるよと答えてくれた。

何でもかんでも電気と文明の利器に頼るだけの現代人、そろそろ古人の知恵に学ばなければならないのでは?。

上の画像は鹿児島県沖永良部から移築された穀物収納小屋 19世紀後期。いやあ、まさに日本全国から移築してますなあ、恐れ入りました。ねずみの侵入を防ぐための4本の柱、その上部に穀物を収納する空間がある。

木枯らし紋次郎が出てきそうな雰囲気ですねえ。
『おめえ様はどちらに行くだかねえ』

ひょいと百姓姿の村人が出てきそうです。


こんなものまで移築してました。屋外の便所です。山爺の幼い頃はこんな農家がたくさんありました。

我が家は幸い街中だったのでこういう便所体験はないですが、こんな便所があったら夜中に一人でいくの怖かったろうなあ。
だから我慢する⇒寝小便、ってか。(^^♪
神奈川県多摩地区の船頭小屋 昭和4年
簡易な小さな小屋で寝泊りは出来そうもありません。

昼食や休憩に使用したのでしょう。
船便の都合とかで小屋の両方に担ぎ棒を差し込んで都度、ひょいと移動させて使っていたようです。そんな挿絵がありました。
古民家と紫陽花、似合いますねえ。

神奈川県川崎市登戸から移築の清宮家
17世紀後期の建造
神奈川県愛甲郡清川村から移築の岩澤家
17世紀末期の建造
中は広い板の間で機織り機が置いてあるので養蚕農家を営んでいたのかな。

それにしても藁葺き屋根と板の間家屋がこんなに涼しいとは、・・・勉強になりました。

ひょっとすると床が土間なのも貧しいのではなく暑気対策の一つなのかもしれませんね。

縄文から古墳時代まで庶民の家は竪穴住居でした。

竪穴式住居は見かけによらず冬は暖かく夏は涼しいんだそうです。藁と土間が湿度を一定に保ってくれるので居住性は抜群。

故に水害のリスクを冒しても使い続けた。
見かけだけで原始的な貧しい生活だなあと思うのは認識不足というものです。
三重県志摩市船越にあった舞台です。
安政4年(1857)だから幕末のころですね。内部に回り舞台の仕掛けがありました。

さて、ここが民家園の最頂部です。知らず知らずのうちに随分高いところまで登ってきました。

ここから西門出口がすぐそばにあり遊歩道沿いに正門まで戻れます。

多くの観光客はそうしてますが山爺は撮り残した被写体がありそうなので元来た道を戻ることにしよう。

【川柳】
・藁葺きを 粗末とみるか 訳知らず
・藁と土間 見かけによらず 科学かな
・まさるのは いずれや 縄紋と今 

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②作者以外の方による無断転載は禁止で、行った場合、著作権法の違反となります。

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2023年6月9日金曜日

歴史探訪・東京博物館(上野)に行ってきた

 毎日、毎晩あれだけ報道されていたコロナ感染者の実態がいきなり報道されなくなった。

感染症のランクが2類から5類に格下げ?になったからだそうです。感染症ごとの区分は次のHPにまとまっているので暇な人は見てちょうだい。

感染症発生情報 [1類・2類・3類・4類・5類・指定(全数把握分)感染症発生情報] 堺市 (sakai.lg.jp)

1類にはエボラ出血・ペスト・ラッサ熱など恐ろしい感染症が・・2類は結核・鳥インフル3類はコレラ・赤痢・チフスなどお馴染みの伝染病がランク入り。

5類は肝炎(A型だけ4類・・てことはA型の方が感染力は強いのか?(´ºωº`) )梅毒・破傷風など・・おいおい、いきなり2類から3階級も下げていいのかね。本音は国費で医療費負担するのが嫌になったからじゃあないのかな?

何にしても平和な世の中が戻りつつあることは良いことだ。思えばコロナめのために大切な3年間を無駄に過ごさせられた。残念というほかはない。

下表が健康寿命と平均寿命を表したものですが健康寿命を見ると山爺の年齢はとうに過ぎているではありませんか。平均寿命の到達だって俺はあと何年?、改めて考えると憂鬱になってしまいます。いつの間にかこんな年になっちゃったなあ。阿藤快のセリフを借りるまでもなく『何だかなあ』と言いたくなるわ。♫思えば遠くへ来たもんだ~・・ってか!


ぼやきはともかく、残り少ない人生だ。有意義に使おう。・・退屈だなあ、さりとてお天気は大陸の気団と小笠原気団が相変わらず押合いへし合いしており雷注意報まで出る始末で山歩きに不向き、とても出かける気がしない。どこに行こうか。今現在、手元不如意(いっぺんこの四文字熟語使ってみたかった(^^♪))。70歳以上は無料で入れる上野の東京博物館に行き前回見残した展示物でも見てこよう。

上野の東京博物館は広い敷地内に本館・平成館・法隆寺宝物館・表慶館・東洋館と展示館がズラリ、とても一日では見切れない。

前回訪れた時も本館の半分も見たろうか、途中で疲れてしまうのである。結局『無料だからまた来よう』となる。

今回は手付かずの東洋館に入ってみよう。厳密に言うと東洋館は随分昔、20代の頃に友と連れ立って一度入っている・・・友とは誰だ、男・女?それは内緒です♫。ちなみに常設展示館への入場料は大人¥1000です。

いつものように入場口に立っている係員に免許証を見せて通過。なんか優越感で気持ちが良い。まずは東洋館の脇をすり抜けて本館の裏にある日本庭園を散歩しよう。

大きな池の周りに茶室が点在、周りは鬱蒼とした木々で覆われており都会の喧騒から隔絶した世界が広がっている。

木々の合間に茶室が点在している。これは各地より移設されたもので古いものは慶安年間(17世紀)とあるから相当古い。






ガラス窓のはめられた茶室もあるのでこれは近代の建築だろう。明治初年のころ建てられたようですが落ち着いた佇まいがいいねえ。

庭園の出入り口付近に”茶会参加の方はこれより入場(山爺注・博物館への)ご遠慮ください”の注意書きがある。実際に茶会が催されているみたいですねえ。

さて、本題の東洋館へ入ってみよう。館内はB1から5階に分かれておりアジア・中近東の美術・工芸・考古物が展示されている。

受付のお嬢様に写真撮影の可否を聞いてみる。撮影不可のマークがある展示物以外はノーフラッシュなら撮影OKとのこと。カメラの感度をISO100から1600・フラシュ禁止モードに切り替えて展示場へ・・・

東京国立博物館 - 来館案内 構内マップ 東洋館フロアマップ (tnm.jp)

まずはB1(古代インド・アジア・クメール)から見学じゃ。クメール(カンボジア)と国名で区分するだけあり12世紀のアンコール時代に作られた寺院のレリーフが沢山展示してあった。見事な彫刻だ。失礼ながら現在のカンボジアの文化レベルを考えると隔世の感があります。

右はヒンドゥー教の神の像でやはり12世紀の創作です。

右下は仏陀三尊像とあるので仏教所以の像だと思います。アンコール時代の12世紀から13世紀とあるので100年の間にこの地域で宗教の入れ替わりがあったのかなあと想像を掻き立てられる。

今の時代だって宗教に関した争いは悲惨なものである。当時どんな争いがあったのかなあ。

山爺がタイ国に仕事で長期滞在していたときアユタヤの遺跡見学に行く機会を得た。アユタヤの遺跡群のなかで目を引いたのか首の落ちた石仏群である。ガイドさんに聞くとビルマ軍が攻めてきてアユタヤ王朝は滅亡した。

朽ち果てた寺院が立ち並んでおり単に風雨による崩壊じゃあないことは素人目にも判る。なかでも凄まじいのが頭の取れた石仏群がずらりと並んでいることだ。侵攻したビルマ軍の狼藉だったとか。
当時ビルマも同じ仏教国のはずですが、神罰恐れぬ狼藉だ。たぶんか同じ仏教がルーツでもおらが国さの神様と違うわいとして平気で破壊するんだろうなあ。
アンコール王朝の宗教変遷時にどれだけの争いがあつたのだろうか。

【山爺の一言メモ】

アンコール王朝は9世紀初頭に勃興、アンコールワットの建造など栄華を極めます。

アンコール王朝の宗教はヒンドゥー教です。一方のタイ・アユタヤ王朝は仏教、仏教はバラモン教(ヒンドゥー教のルーツ)の分派だったようです。だから両方とも輪廻転生の考えがある。大きな違いはヒンドゥー教には身分制度(カースト)があるが仏教にはそれがない。インドにカーストが今持って根強く残っているのは皆様ご存知のとおり。

そのアンコール王朝は1431年にアユタヤ王朝の侵攻により滅亡します。東洋館で見た彫刻は13世紀の作とあるのでその頃はアンコール王朝は栄華の最中、山爺の思惑(宗教戦争)はな外れたようです。両派とも教義は同一だから共存しやすいのかな?それともアンコール王朝の住民をまず宗教改革(洗脳)させてからのち占領する策をとったのかな?。

そのアユタヤ王朝も隣国ビルマ(現ミャンマー)の侵攻により1767年に滅びてしまいます。
隣国同士攻めたり攻められたり、陸続きは怖いですねえ。


さて、長々とつまらない山爺の歴史観を述べました。m(_ _)m

こんなものも展示してあります。南インドより出土した楔形石器(打製石器)なんと年代は60万年前、ほんまかいな、ジャワ原人の親戚筋が作ったのだろうか。









パキスタン・ガンダーラの菩薩像です。13世紀?3体あったが顔の作りが似ています。写真なんかない時代です。モデルがいたのかなあ。(^^♪

殷時代(紀元前18~16)の青銅の武器類がありました。
中央のT字の武器は戟(げき)といいます。槍の穂先の下につけて攻撃と防御の両方の役目をします。中国の三国志や項羽と劉邦の時代劇によく出てくるので知ってはいましたが、実物を目の当たりにすると改めてこんなもん振り回されたらたまらないなあと思うわ。

紀元前18世紀といったらあなた、日本では縄文時代の末期ですよ。こんな物騒なもの携えて攻め込まれたら平和で武器もよう持たない縄文人はあっという間に滅亡じゃあ。ほんとに日本は海で囲まれていて良かったねえ。

左のへんてこな容器は爵(しゃく)といいます。お酒を温めて注ぐものとあるのでお銚子の類でしょう。中国の三国志なんかでこれで乾杯するシーンをよく見ますが、相当重たそうです。

玉斧(ぎょくふ)紀元前5千~4千、磨製石器の斧です。
よく磨かれてますねえ。どうやって穴開けたのかなあ。

5銖銭石范(ごしゅせんせきはん)紀元前2~1、石で出来た5銖銭を作る鋳型です。前漢の武帝時代紀元前119年に初鋳造されたそうです。この時代にすでに貨幣が流通したいたとは驚きです。戦乱の多さと無縁ではないと思う。なぜ、そりゃあ貨幣は持ち運びに便利だもん。

日本の貨幣の始まりは中国を見習って作った和同開珎708年
だが(その前に富本銭683年というのも作っている)まったく流通せずポシャってしまった。その後貨幣は作られず永いこと布やコメなどの物品貨幣が主流でした。

銭の流通が本格的になってきたのは12世紀末ごろから、それも自国では鋳造せずに他国の銭(宗・中国)を流用したというから呆れる。銭の数が増えればインフレ、減ればデフレなど不具合が起きちゃうはずだが、経済統制どうやっていたのかな?

当時経済学者なんかいなかったはず?なんとなく直感で輸入調整してたのかなあ。絶対影で大儲けした奴がいるはずだ。宗との貿易権を握っていた平清盛あたりが怪しいゾ、なんったっ銭そのものの輸入だもん。絶対に儲かるわ、マージン載せ放題だ。 (^^♪

左画像、韓国より出土の石剣。紀元前6~5世紀の作、良い出来栄えですが1本作り上げるのにどんだけ時間がかかるのかなあ、
韓国も古代では素晴らしい技術を持っていた証です。
今は?・・・・
6世紀に中国で作られた釈迦三尊像。この頃は日本にも仏教が伝来しており飛鳥寺や法隆寺の建立時期と重なる?。失礼ながら我が国の仏様の方がご立派に見えるw。(^ω^)



樽形水かめ・水差しなど日用品が展示してありました。キプロスで紀元前8~6に作られシリアやパレスチナに輸出していたと説明書き。

キプロスって地中海じゃん。出土場所がシリアだから、ぎり東洋圏ということで展示してあるのかな。


2800年前の作とは思えない斬新な形状ですねえ。今、お店に並べても売れそうです。いい仕事してます。

あれこれ、想像しながら歩いていたらいつの間にやら最上階の5階へ。

やあ、だいぶ疲れたなあ。エレベーターで1階のロビーに戻り、休憩所で持参の飲み物をゴクリ。表慶館か平成館にアイヌ関係の展示コーナーあったように記憶しているがもう疲れたわい。このあとの予定もあるし(といっても秋葉原散策)アイヌの展示コーナーは、また今度、なにせ入場料無料だから。
・・o(^▽^)o

【川柳】
・東博で 古代の意気に 触れてみる 
・出土品 時代見比べ ひとりごち

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2023年5月24日水曜日

23年度首都圏孔球親睦会ゴルフコンペ開催(開幕戦)

あの憎たらしいコロナがここに来て大人しくなってきた。先月に都内の秋葉原や浅草、上野界隈を彷徨ってみたがマスクをしない外国人がうようよ、ほぼ、コロナ前の賑わいに戻っていた。しかし油断は禁物だ。5月の連休で国外からの観光客を含め人の大移動があった。2週間後の発症状況を注意深く見守らなければなるまい。・・と、2週間たっても増加傾向とはならない。

あれだけ暴れまわったコロナがどうしたことだ?あたかもウィルスには頭脳がありこのままではワクチンで押さえ込まれコロナウイルスが滅んでしまう。ここは考えを改め人にやさしいコロナ君として人類と共存することにしようと感染力を弱める方向に舵を切ったように見える。

そんな環境のなか、5月13日(土)我が首都圏孔球親睦会が23年度の開幕戦となるコンペを開催した。・・って、何のこっちゃ。

今年は遅いではないか?といぶかる向きもお有りでしょう。そうです。例年3月が開幕戦(古河ゴルフリンクスで開催予定だった)なのですが今年は菜種梅雨に祟られ中止の憂き目に遭っていたのです。  (ヽ´ω`)トホホ・・

会場は老舗の栃木カントリー倶楽部。エントリー数は都合が悪い人や怪我などが重なり6名と、ちょっと寂しい大会となった。しかしながら参加者が少ないということは山爺にも優勝のチャンスが増えるというものだ、頑張んべぇ。優勝候補のKA,TAの両氏が仲良くツーショット。



今日は東コースからのスタートだ。№1hはロングホール、いきなりのドラコンである。ロケーションは右は土手、左に駐車場や工場があるのでネットが高く張ってあり打ち込み防止を図っている。

先発は東京地区のKAさん、埼玉中央区のIさん、さいたま区のYAさんである。皆さんそつなく第一打を打ち終えスタートです。んん!Iさん右の土手をエッチらと登り始めました。早くもピンチの様です。人数少ないんだから初優勝目指して頑張れ~。

さて、山爺のチームです。打順はHAさん、TAさん、私は3番手です。HAさんナイスショット。さて、TAさん、ドラコン意識したのか欲をかいて?大きく振りかぶって目いっぱい引っ張った打球は左のネット方向へ・・な~に、ネットに引っかり跳ね返るだろうと思っていたらこれが大谷翔平もびっくりの大ファ
ウルだ。


ネット最上段を軽々超えて場外へ・・やがてゴツンという鈍い音。工場の屋上へ着地したようですなあ。驚いたのなんのって、いきなりのOBで前進4打。TAさんも早ピンチ。

よおし二人脱落だ、山爺慎重に右方向へボールを運んだ。行ってみるとこれが深いラフだ。なんだってこんなに深く芝を生やすんだよお。(画像はイメージでHPより拝借)


ここはじっと我慢でアイアンを使いフェアウエイに戻す。4Wをチョイスして打った第3打はダフり気味で距離が稼げず。4Wでもう一度打つはめに、第5打で乗せればなんとかなると打ったボールが今度はトップでグリーン上をころがり向こう側に消えた。ああ無情。気落ちしながラフからの第6打・・・これがピンそばにピタリ。ワンパットで切り抜けた。先に珍プレーをやらかしたTAさん、上がってみると山爺とおんなじのダボで上がっている。何だかなあ・・・(´・_・`)

昼食時にハンディ含めて中間集計してみると第一位は東京地区のKAさん53.5(46)2位さいたま地区のYAさん54(47)3位山爺55.5(54)・・・注)()内がリアルスコアー

なんと山爺が2打差で優勝争いに食い込んでいるではありませんか。頑張るゾ~。

午後は西コース、スタートホールでトリプルといきなり躓いたがショートをParで上がるなど奮戦、№8のロングまではダボペースでやってきたが・・・№8のロングでティーショットを引っ掛け、打球は左の土手に消えた。2打めも引っ掛け再び土手へ。3打めもラフが深くて脱出できません。

『なんだってこんなに芝伸ばしやがるんだ』『こんなんじゃお客逃がすぞ』山爺、ご立腹。4打めでやっとこ平らなところに出てきましたがグリーンはまだまだ遠いです。やっとこグリーンに7オン。かくして山爺の優勝への挑戦はもろくも崩れ去りました。≧(´▽`)≦アハハハ

第48回栃木カントリー大会の順位です。優勝は東京地区のKAさん、トップとの2打差は縮まらないまま、№8での大叩きが悔やまれてなりません。

第2位はさいたま地区のYAさん、山爺は2位と同スコアーながらハンディ差で3位となり賞品を逃しました。(3位には賞品はありません(´⌒`。))



【ゴルフ川柳】

・ここ一番 多く叩くが ご愛嬌

・千載を またも逃すや ヘボゴルフ 

・ここイチが 飛ばない 寄らない 入らない

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