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2025年3月31日月曜日

#足利浅間山に訓練ハイク

 山爺もいつの間にやら加齢を重ね後期高齢者というありがたくもない区分域にいる。それにしても後期高齢者とはひどい言い方だ。未亡人に次ぐひどい言葉ではないか。起草した奴出てこい。小年配者とか中年配者とかいくらでも優しい日本語あるだろうに、なにを考えているのだ。この分だとそのうち90歳以上は前期短命者とか後期短命者なんて専門用語を作られそうだ。


とかく法律を起草する奴らは偉そうにやたら堅苦しい造語を作りたがる傾向にある。たとえば無限連鎖講って分かりますか。ねずみ講のことです。クイズに使えそうですね。

銀行券って知ってます?お札のことですよ。外患誘致罪(略して外患罪)とは?。

刑法第81条 外国と通謀して武力を行使したものは死刑に処する。

と簡単に一行だけ書いてありますが、日本国で一番重い犯罪で刑罰が死刑しかありません。しかも、もしくわといった選択条文がないから情状酌量の余地なしの無罪か死刑。おお怖っ・・

大体になんだい外患って、医者がよその病院の外来患者を不法誘致したみたいじゃないか。最重要な犯罪なんだから他国軍誘導罪とか国家騒乱罪とかわかりやすくしたらいいだろうに。・・って、おい、騒乱の挿絵が違うぞ。こりゃソーラン節じゃよ。

雑学はこれくらいにして。山爺も後期高齢者、あと何年山歩きが出来るかわからない。2~3年くらいかなあ。まだまだ行きたい山が沢山あるので1年でも長く元気でいたい。

ようやく暖かくなって陽気もよくなったので鍛錬を兼ねて近隣の山へハイキングに行ってみよう。幸い我が家から電車で30分もかからない足利には良い低山が沢山ある。

冬季引きこもり明けだからまずは軽いところ。東武足利市駅のすぐ後ろ(前?)にある浅間山(せんげんやま)に行ってみよう。

前日に急ぎGoogleビュウと国土地理院から地図をコピーしてルート確認する。浅間山から全行程3時間くらいだろう。

ザックに山道具を詰め込み準備を整える。

3月14日の朝に家を出た。明日は山爺の誕生日だ。また1個歳が増える、嫌だなあ。

家を出て一時間足らずの9時前に東武足利市駅に到着する。日本100名山を著した深田久弥の言葉を借りると『足利は近くてよい山なり』だ。

ちなみに深田久弥は谷川岳を評して『谷川岳は近くてよい山なり』と述べている。駅を出ると目の前にコンビニがあるのでいつものようにここで昼食や飲み物、若干の菓子を購入する。

駅を出て東武線高架を目印に10分も歩くと浅間山の表参道に到着。

繁華街の駅ちかでコンビニがあり徒歩10分で登山口に着く、こんな山は全国でも稀有なのでは。駅ちかに登山口のある山々は数多くあるけれどその多くは田んぼの中にぽつんと一軒駅で、しかも無人駅が多い。列車の来るのは1~2時間に一本なんてね。

ここが登山口でここからしばらくは舗装された道路を歩く。
案内板があります。なになに、この山の全域が足利の豪族長尾氏の出城だったようで富士山城址と呼ぶようです。

築城年は定かではないので記入されておりませんが天正年間(1573~1592)の間。廃城になったのは1590年、長尾氏が秀吉に敗れて滅亡したことによります。



富士山城址の名称と配置は図の通りですが素人目にも3つの出城がお互いを牽制し合えるので相当堅固だったのではと思えます。

今年最初の山道歩きなのに息が上がらないで順調に足が出る。今日は調子が良さそうだ。
眼下に見える鉄橋は森高千里ちゃんのご当地ソング”渡良瀬橋”のモデルになった橋です。
♫渡良瀬橋で見る夕日が~・・ってか。柄にもなく山爺この歌、お気に入りです。

駅の着メロとか河川に記念碑を作ったりして足利市としても応援していたようです。そうそう街中には歌詞通り”♫床屋の脇にぽつんとある公衆電話”が今も存在しています。

猪、出没注意の看板が・・ここも猪出るんかい。猪と熊とどちらが嫌かって、無論どちらもお会いしたくはないが本州の月輪熊に限れば熊より断然、猪の方が出くわしたくないですねえ。

熊の方は賢そうな動物なので人を避ける習性があるが猪はあまり利口そうに見えない。人を見ると文字通り猪突猛進しそうだ。あの牙で突っかかられたら命が危ない。
道端に水仙が綺麗に咲いてました。お行儀よく並んでいるので明らかに人の手により植えられたものでしょう。
30分も歩くと山頂にある神社(祠)が見えてきました。

浅間山は一番高い富士山城址でも108m(駅からの標高差約60m)だからちょろいもんです。今の山爺はこんな山でも楽しい。


柵柱の根元が焼けて浮いているのを見つけました。また周囲が焼け焦げています。

たまたま山道を補修していた神社の寄合員の爺様が頼みもしないのに近づいてきて状況を説明してくれました。

それによれば最近、山頂一帯の草むらが焦げてたとか・・原因は不明だがタバコの不始末だろうとか。数年前も足利両崖山一帯が大火事になったばかり、足利市ツイてないねえ。

件の爺様がこんなこともぼやいてました。

『ボランティアが後始末を手伝ってくれたのは良いが燃えた木々の処理で鎌使わせたら若いもんは鎌の使い方を知らん。斜め切りしてしまい危なくて踏み込めない、困ったもんだ』『あとで直さんといかん』・・と。

なるほど、切り口が竹槍状に切ってある。子供が踏み込んで転倒でもしたら大ごとになりそうだなあ。

赤城山がよく見えます。数日前の冷え込みと雨で山頂付近に白いものがあります。






左に目を振るとくっきり雪をかぶった浅間山(あさまやま)が見えます。そそっかしい奴は富士山と間違える。

爺様に対し、お愛想に『山道の整備ご苦労様ですねえ』と言うと『なあにいろいろな人に会えて話が出来るから楽しいよ』・・なるほど、だから山爺に人懐っこく近づいてきたんだ。

・・このあと、『どこから来た』に始まって延々20分近く世間話。・・・いやあ参ったなあ。お愛想するんじゃあなかったと大後悔。

『じゃあ』と言って次の場所に移動しようとするとノコノコついて来て、ここ曲がると胎内洞窟とかそこ登れば富士山城址だとかこの先の坊主山にも城跡があるよとか囂しい。

そんなことは当方出かける前に調査済みだよ、爺様ぁ。

えらい爺様に遭遇してしまったなあ。ここは人助けと思って我慢して話にお付き合い。胎内洞窟への下り道で別れた。

下ること数分で胎内洞窟に到着。説明文によれば自然に出来たのではなく掘削して文殊菩薩を祀ってあるそうです。岩の上部が黒くなっているのは加持祈祷時の炎が当たった跡です。

再び元の山道に戻る。『どうか、先ほどの爺様がいませんように』山道を左に曲がると・・うわぁ居た!。道端の石ころをほじくり出している。『見てきたかね』『はい・・・』 (´д`)

富士山城址に登る急な坂道でようやく付いてくるのを諦めるようだ。
坂道を5~6分も登ると以前にも登ったことがある富士山城址だ。

祠がぽつんとあるだけの地味な山城跡だ。ここが標高108.7mなのかな。

反対側から下山しもとの主山道に出て坊主山へ・・うわあ、爺様が道端の整備をしている。

『こんちは』通り過ぎるとまたトコトコ付いてくる。

坊主山の分岐点までついてきた。『前回ここからの登り口が分からなかったんだよねえ』と山爺。


『そっちだよ』と鎌で道のある藪を示してくれた。

なんと立派な道がありました。爺様ありがとう。
登り始めこそ明瞭な道でしたが徐々に狭まり険しくなりました。そりゃあ元砦だもの、簡単に登れたのでは戦の役に立たんわ。

でも10分もすると広い所へ出ました。坊主山城址です。石垣も何もないただの広場、祠さえ見当たりませんでした。





木々の間から浅間山の祠が見えました。
先ほど3つの砦が連携するから堅固そうと言いましたが前言撤回、掘割もろくに無いようだし山爺でも一息で登れてしまう、こりゃあ攻められたらイチコロ落城だなあ。

早々に下山し元の分岐点に戻ってきました。
爺様いるかなあとキョロキョロしましたが居ませんでした。もとの浅間山で別の話し相手見つけに行ったのかなあ。 
(^^♪

下山は別の道を選択、日溜まりの中をのんびりと歩きます。

と、前方に桜の木が見えてきました。
早咲きの桜が満開です。これだから春先の里山は楽しい。
傍らの石垣には黄色い花が。
さらに下ると神社に到達しました。田中地区の八雲神社です。

足利市には五つの八雲神社があります”渡良瀬橋”で歌われた神社はここではありません。

歌に登場したのは緑地区の規模の大きな八雲神社ですが2012年の12月に不審火により焼失したとか。・・あれまあ。

階段を登って神社参拝、家内安全を祈願し、無事下山のお礼を言う。

境内にベンチがあり、トイレもあったのでここで早い昼食を採らせていただいた。

【川柳】
・猪も 饒舌もでる 足利山
・足利の 山路で 出会う 饒舌爺
・足利の 山ガイドもする 神社守
・渡良瀬の 歌に出てこぬ 地味八雲

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2025年3月21日金曜日

#梅が咲いた・・向島百花園へ

 山爺は悠々でも気ままでもないがいわゆる年金暮らしである。ゆえに慢性の金欠病により軍資金は乏しいが暇だけはたんとある。

それにしても連日寒い日が続くので気が滅入るし散歩も億劫だ。以前なら寒くても体が疼くのでノコノコと外出したものだが最近はさっぱり、こたつにデ~ンと入ったきりでWOWOWの洋画ばかり見ている。加齢病の副作用ということか。『いかん~いかん、これでは、いかん』・・笠智衆の声色で・・ (^^♪

TVの天気予報を見ていると3月1日(土)は気温も上がり陽気が良いとのこと。また梅も各所で咲き出していると報道している。梅の撮影にでも行こうか。

重い腰を上げたのには他に理由がある。

ヤフオクでまたもやNikon1眼レフ、D3100という機種を¥4500(送料込)の格安で手に入れた。

このカメラの特徴は従来のDシリーズより一回り小さく、より軽量設計なので里山歩きや旅行用に重宝することだ。かねてから欲しい機種のひとつであったが、新品はボディのみでも6万5千円以上、年金爺にはとても手が出ない。

いったいにカメラが高額なのはその驚くべき部品点数によることだ。以前半蔵門にあるカメラ博物館を訪ねて展示してあった一眼レフカメラの構造と分解部品を見て魂消た。たしか1000点以上の部品で成り立っているようだ。

改めて高級カメラというものが相当の部品製作費用と組立工数で成り立っていることを認識した。

なるほどなあ、高額なのも納得だ。『これに比べたら家電品の製作なんぞはへのカッパだなあ』・・・・もと家電メーカー勤務者の独り言。

またこれだけ細かい精密部品の集合体である。これをなし得る技術を持った国は当然限られるなあと感心したもんです。隣国のC国やK国はまだ無理だろうなあ。

山爺が落札したヤフオク出品の状態は”動作確認済み”との説明であったが、そこはオークション、実際に手に取って確認するまでは不安だ。

なにせヤフオクに掲載している品物は”動作保証せず”などはまだ良い方で、シャッター降りません・電源スイッチはいりません・電池蓋欠損・はてはレンズ割れてます、などのガラクタが堂々と出品されている。そんなもの誰が買うかって?・・・それが買うんですよ。部品取りして自分のカメラの修理に使うんです。メーカーから純正修理部品購入すると目ん玉飛び出るほど高額だからねえ。また本体は不要で付属しているストラップ・充電器・レンズが目当ての人もいます。

猛者になるとガラクタばかり数台落札して寄せあつめ、再組立して1台の動作品に仕上げ再びオークションに出品するか、中古ショップに持ち込んで利ざや稼ぐ。この世界は奥が深いのです。

D3000シリーズが出品されるたびに動作品で値頃な物を選んで入札していたがオークション締切(20時~22時が多い)間際の数分間に¥100程度ちょい上乗せされてオークションに手馴れた者にさらわれる。山爺はそこまでのセリ根性は持ち合わせていないのでなかなか落とせない。そんな事の繰り返しだったがついに安価ながら状態の良さそうな物を落札した。

宅配便の包装を開けるのも、もどかしく・・出てきた商品の外観をチェック。『おお、綺麗ではないか』新品同様で傷が見当たらない・・第一関門クリアーだ。

レンズを装着し電源を入れ適当な被写体にカメラを向けてピント合わせ。オートフォーカスもピシャリと動くし試し撮りも大丈夫だ。『よし、こりゃあ良さそうだわい』・・と、心うちでガッツポース。落札商品の”無事確認”、この瞬間がたまらないんだよなあ。

これで山爺の所持するニコン一眼レフカメラはベースのD50、モニターが可変するD5000、小ぶりのD3100と3機種そろい踏みとなった。ちなみに若い頃大枚をはたいて購入した光学フィルム式のニコン一眼レフカメラも大事に持ってますよ。

ご存知のとおりニコンは世界に名立たる名器で報道カメラマンほかプロのほとんどがこのカメラを使っている。現在国内生産はしていなくタイ国・中国に全てシフトし終えたことにより若干安価になったとは言え小型カメラに至るまで今持って高額商品だ。

一昔前ならニコン一眼レフを3台も揃えるのはよほどの趣味人かプロのカメラマンでないと叶わなかったが時代が変わったんだねえ。皆んな裕福になり手に入れたものを簡単に手放して次々新製品に買い換える。山爺の嫌いな言葉『断捨離』がここにもある。・・・ってか。

3機種の違いをまとめたのが下表であるがD50と比較するとD3100は115gも軽い、この差は大きいねえ。


D50とD5000・D3100、構造上大きく違うのがD50は自動ピント合わせの駆動モーターがボデイに内蔵されているのに対してD5000・D3100は原価低減・小型化を目的?とし交換レンズ側に駆動モータを組み入れたことだ。それらのレンズは駆動モーターのないものをAF、駆動モータ内蔵のものをAF-Sとして区別している。

D50シリーズはAF・AF-Sともに自動でピント合わせが可能だがD5000・D3100にAFレンズを装着すると駆動モータが存在しなくなるのでピント合わせは手動(M)モードのみとなる。

まあ、専門的なことはこれぐらいにして。新しいカメラが手に入ったので試し撮りがしたくてウズウズ。そんなときにTVニュースで気温が3月下旬並みで陽気も良く梅が各所で満開とのこと、これは行かねばなるまい。

さて、どこに行こうか。

去年10月に訪れた向島百花園はもともと梅の名所だ。入場料も65歳以上は70円とタダ同然。そこに行ってみよう。

百花園を見終えたら駅に戻らず隅田川に出て桜橋を越え右岸へ渡り猫神社で有名な今戸神社をお参りして浅草に抜けてみよう。

ちなみに右岸とは川の上流を背にして右手を指します。勉強になりましたねえ。

『馬鹿にするな、それくらい知ってるわ』ですって。・・登山の専門家でも右岸と左岸の定義を間違えて道に迷い、遭難死した事例があるので念のため申し上げました。

・・ (・∀・)

午前10時に百花園到着。マイナンバーカードを提示して70円を支払い入場する。

入園すると、いきなり赤や白の梅が目の前に飛び込んでくる。


おお、いいねえ。文字通り、ちょうど良い”塩梅”ではないか。急ぎカメラを構えてぱちり。背景に偶然スカイツリーが入った。都内には著名な被写体が、ここ、かしこにあるのでカメラの趣味人にはたまらない地域のひとつなんだなあ。

園内には自慢のカメラをブラ上げた中年男のカメラ小僧ならぬカメラ爺いがちらほら見受けられます。・・・って、わしもそのひとりかい。
傍らには春の七草があしらってありました。憎い演出ですなあ。


ちなみに春の七草とはせり、なずな、ごぎょう、はこべ、ほとけのざ、すずな、すずしろを言いますが、山爺はいつになっても覚えきれません。

レンズを200mmズームに取り替えて撮影続行。


まずはスカツリーと白梅のコラボ。
紅梅は艶やかですなあ。










白梅も満開です。









でも、梅と言ったら白梅(しらうめ)に軍配が挙がるのですかねえ。山爺は白梅の方が好きです。

紅梅もそれなりに綺麗ではあるが何かケバくて厚化粧の軽い女を連想してしまう。
水仙もまだ負けずに頑張ってます。












あたしも見て、見て、と福寿草。








動物も負けずにポーズ・・

あれぇ、ファインダー越しに覗いてよく見ると陽気に誘われ昼寝してる?みたいだ。

のどかだねえ。





こちらは番(つがい)かな?仲良さそうです。

鳥の番のおおくは一旦連れ添うと死ぬまで一緒と聞きますが素晴らしい習性ですねえ。

それに比べて人間と言ったらあなた・・何十人と取っ替え引っ替え、ひどいもんですなあ。

百花園のそばで見つけたおしゃれな喫茶店。

入口にサイフォンが飾ってありましたが、今時珍しくサイフォンで入れてくれるのかなあ。・・・まだ散策の半ばなので我慢、我慢。
隅田川に出ると土手に一本の河津桜が・・・満開で綺麗に咲いてました。

隅田川の下流に向かってのんびり歩く。山爺は野山の景色を眺めながらの里山散策が好みだけれどぶらり散歩していると期せずして名物被写体に出くわす都内の散歩も好きである。

また都内はいたるところに路線バスが走っているので疲れたらぽんと飛び乗れば必ずどこかの駅に連れて行ってくれる。どこまで乗っても定額なのが何よりだ。

隅田川の正面にア〇ヒビールの本社社屋が見えてきました。有名な黄金ウ〇コオブジェの先っぽだけが見えてます。

食品を扱う会社にとって最大不名誉なあだ名がついてしまっているオブジェだが山爺も設置当初にこれを見た瞬間にウ〇コだ、と直感した。


果たしてこのオブジェの正体とは何なんだ?

【山爺の一言メモ】

ア〇ヒビールの広報を検索してみると、質問に対し(そりゃあ毎日かなりの質問が来るだろうなあ)以下の回答が記されていた。

・聖火台の炎をイメージ
・金色の炎は「新世紀に向かって飛躍するア○ヒビールの燃える心」を表している。
・設計者は有名なデザイナーであるフランス人のフィリップス・スタルク氏。
・ア〇ヒビール100周年の記念事業の一環として1989年に竣工
とありました。

うーん、どう見ても聖火台の炎には見えないなあ。どこから、どう見ても黄金色のウ〇コだよ。

山爺はこう考える。・・・これはあくまで山爺の私見で洒落ですから苦情やお叱り等のご意見は無用に願います。  m(_ _)m

フランスの著名なデザイナーフィリップス某にオブジェの制作を依頼した1980年頃の日本はバブルの絶頂期だ。もともと欧米人の多くは有色人種を蔑視する傾向にある。

フランス人であるフィリップス某もバブルで大儲けをしている有色人種たる日本のことを愉快に思うはずがない。

アジアの猿共にはこんなもので十分だ。と、ふざけ半分に創作したのが件のオブジェに違いない。聖火の炎なら縄文土器のようにばらけて赤色に作るのが普通だろう。

提案されたア〇ヒビール側は西洋人の著名なデザイナーに対し反論することができない。外国人コンプレックスも相まってとうとう竣工に踏み切らざるを得なかった。日本人が設計したらこうはならなかったろうねえ。日本人同士なら遠慮なくクレームをつけるのが常だから。・・・ (^^♪ 

しかもこのオブジェは10数年に一度大々的に塗り直しをしているとか。・・ウ〇コオブジェと言えども維持管理し綺麗にしなければならないとは、大変だなあ。・・ウ○コは汚れたままで良いのでは?ア〇ヒさんには悪いが何か笑える。

まあ、今持って質問が相次いでいるほど有名になり浅草の名物になってしまったのだから広報的にはある意味大成功だったのではと思う。以て瞑すべし、なんちゃって。

ちなみに隣の金色の四角いビルはビールのジョッキーを模しているとか・・皆さん知ってましたぁ。山爺はちいとも存じ上げませんでした。こちらは日本の会社が設計したので十分議論した?からまともな形に出来上がっている。で、逆に全然有名にならないとは皮肉なもんだねえ。

そうこうとゲスの想像をしているうちに今戸神社に到着しました。
大鳥居の脇に沖田総司終焉の地との看板が掲げてある。

はて?司馬遼太郎の新選組血風録によれば沖田総司は千駄ヶ谷の植木屋宅で亡くなったとあったはずだが・・・
調べてみるとこう言いうことらしい。

京都より戻った総司は新選組の産業医(作者注:当時そんな職業あるか馬鹿者)だった松本良順の家が今戸神社近くにあり当初そこで療養していた。のちに千駄ヶ谷の植木職人平五郎宅に療養先を変えたという記録が残っている。

今戸終焉説は同じ新選組隊士で大正の世まで生き延びた永倉新八(1915年75歳で没)の証言が元になっているようだが永倉は沖田が今戸神社で療養中に江戸を離れて東北へ転戦している。

ゆえにその後、沖田が今戸から移動したことを知らないはずで誤った情報を仲間に伝えたのだろう。昨今の新選組ブームで婦女子には土方歳三と双璧の人気者だ。終焉の地として神社が利用するのも頷ける。

当時は官軍の連中が新選組の残党を血まなこで探している時だ。総司も例外ではなく、否、かつて薩長始め勤皇の志士の多くを倒した総司こそ相当憎まれたいたはずだ。ゆえに松本良順の傍に置いていたのでは危ういと考えて往診しにくくなるが良順の住居から離れた千駄ヶ谷に避難させたのかも知れない。

今戸神社の創建は1063年、主祭神は応神天皇・伊邪那美命・伊邪那岐命。

当初は京都の石清水八幡宮として勧進したが1937年近隣にあった白山神社を合祀し今戸八幡から今戸神社と呼ばれるようになったそうです。

そんな今戸神社も今は縁結びの神社として、近々では猫神社として若者たちの人気神社だ。

今戸神社が猫神社になった理由は江戸時代にさかのぼります。




【山爺の一言メモ】

江戸時代、あるお婆さんが猫を飼っていたが貧乏で買い続けることができず泣く泣く手放した。するとその猫が夢枕に立ち、我が姿を人形にして商いせば福徳がとのお告げ。早速今戸焼の猫人形を作って売ったところ大評判でお婆さんは幸せに暮らしたとか。

この招き猫の姿をした今戸焼はその後、今戸神社の名物として人気商品となり今日に至っています。職人による手作りなので一体ずつ顔立ちが違うので今も大人気だとか。

でも、この神社が猫神社として近年大賑わいになっているのは他にも理由がありました。

いつの頃からか神社境内に白猫がぶらりと現れるようになったんだとか。名前はナミちゃん(今戸神社の祭神イザナミから取ったようです)

いつも神社にいるわけではないのでいつしかこの猫を目撃した人には幸運が訪れるとの噂が流れます。

やれ彼氏が出来たとか、良縁に恵まれたとか、商売が繁盛、果ては宝くじ高額当選まで。やがてこの噂を聞いた人がわんさか押しかけるようになって神社自身も御朱印ほか縁起物が飛ぶように売れて大繁盛?。ナミちゃん様々、まさに招き猫そのものだったとか。

残念ながら今年一月に亡くなったようですが年齢不明ながら相当長寿だったようで人間で言うと100歳近くの大往生だったとか。

神社の本殿をよく覗いてみると確かに白猫の遺影が祀られてます。ナミちゃん神様になっちゃったんですねえ。大した猫ちゃんです。

昨今の海外からの観光ブームで外国の方々がこの神社にも数多く訪問しているようで、境内に奉納された絵馬に英語の書き込みがありました。
すっかり楽しい雰囲気でいたのですが不愉快なことも耳にしました。

山爺が縁起物の猫マスコット付きのおみくじを購入したとき、社務所の人と交わした会話。

『大繁盛ですね』『おかげさまで』・・ここまではよかったが、社務所の人から『でもC国の人は境内に飾ってある招き猫を断りなく持って行ってしまうので困っています』『え、そりゃあひどいなあ』

それも1人や2人ではないようです。何だかなあ、縁起物として失敬するのか、警備薄だから儲け、儲けと思い盗むのか・・山爺としては前者の理由だと思いたいが、相変わらず民度が低いねえこの国の人々は。このようなことを平然としているうちはC国、恐るるに足らんと山爺は考えている。

さて、このあとは浅草界隈の散策に出かけよう。

【川柳】

・言問に 聖火に見えぬ 大オブジェ 
・炎には 見えぬ隅田の 黄オブジェ
・今戸では ニイハオと言う 猫さらい
・今戸には 猫も招かぬ 人も来る

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