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2021年5月12日水曜日

館林つつじが岡公園散策

 暇に任せて日中、TVを見るともなしに見ているが連日コロナ・コロナの報道ばかり。とうとうこのニュースで1年以上も過ぎてしまった。

政府の施策が後手後手に回り当初4月から予定されていた高齢者向けワクチン接種の予定もズルズル後退、いったい、いつになるのやら。ここのところ河野行革大臣もすっかりトーンダウン、やはり日本という国は決められたことを遵守することにかけてはピカイチの国だが、こと新しいことを始めようとするとからっきしの国であることが露呈した。なんとまあ情けない。

コロナが流行る以前は月いち位で都内の博物館に出かけもしていたがここ1年半も都内には近づいていない

今は亡きおふくろ様が存命の頃には絶対にコロナを実家に持ち込んではならじと居酒屋ほか密集地域に近づくのを極力避けていたのだが、その矢先の年末からの体調崩れ、お陰様でお酒もすっかり疎遠となり今や缶ビール1本も持て余す身体になってしまった。
お酒飲むのも体力がいる。どうやらかなり体力が落ちてしまっているようだ。連日家でごろごろしていることが更に体力喪失に拍車を掛けているようだ、どげんかせんといかんばい。

毎年GWの頃、行きたくなる場所に館林のつつじが岡公園がある。例年だと今頃はつつじ祭りが4月上旬~5月中旬ころまで開かれているはずだ。

5月4日の夕方にネットで開催状況を調べてみると今年は例年より開花が早く盛りは過ぎたので5月5日でつつじ祭りの開催打ち切りとある。

『え、え~そんなアホな』記事をよく見ると5日で有料期間(¥630)は終了で以後無料開放とある。翌日から一斉に枯れることはあるまいと無料に釣られたわけではないけれど6日に重い腰をあげた。

6日朝の9時に愛用のニコンデジタル一眼80mmと交換レンズ200mmズームをカバンに放り込み家を出た。お天気は昨日の雨も上がり絶好の散策日よりだ。

9時30分すぎに館林駅に到着、街並みを眺めながら20分も歩くとつつじが岡公園の入口に着いた。まずは館林城址の土塁を見てみよう。館林城の築城は15世紀ごろ、当時は山城が主流で平城の築城は珍しいが3方を大きな沼や川に囲まれているので堅城だったと思う。

家康の天下になってから家臣四天王の一人榊原康政が10万石を与えられ城主となってからこの城は栄えた。江戸時代を無事生き抜き、明治初めまで城は残ったが明治7年火災により焼失したとある。現在建っている土橋門は昭和58年に再建されたものだそうです。

榊原康政以降歴代藩主と石高を記した掲示板があった。読んでみると榊原家が当地を治めたのは3代まで。何があったか知らないが、40年にも満たずに白河に転封となっている。14万石に加増の上の転封だから栄転とは言え、あれだけ功績があったのに東北に追いやられた?若干の加増はあったものの関東と違い冷害の起きやすい土地柄だ。実石高は減少だろう。外様大名は辛いのう。

その後、館林には親藩の松平家が入るが石高を6万石に下げられている。

1万石は今の金額に直すと7億5千万位らしいので75億の年収企業が一挙に10分の一に減俸、差額はどうした?天領として幕府が巻き上げる。徳川政権やりたい放題。

この館林藩からその後5代将軍綱吉が出る訳だが、その時に家格を合わせるためか一挙に25万石に加増、187億円の大企業になった。・・・が、それも束の間、綱吉が没するとまたもや5万石にダウン、お~ぉ、ようやるわ。

これだけ収入が乱高下したのでは家臣たちは大リストラの憂き目に遭い大迷惑だったろうなあ。大名家業も楽ではありませんなあ。

以後明治期までこの石高が続く。


館林公園はとてつもなく広い。中心部へと急ごう。

館林藩最後の城主だった秋元氏の別邸というのが保存されているので立ち寄ってみよう。

別邸前は花菖蒲が植えられているが、まだ期間前で1本も咲いていなかった、残念。

あやめ?が1株だけ頑張って咲いていました。

反対側の木々を見ると、ん!ん!どこかで見たような巨木が立っているではないか。

♫この~木なんの木、気になる木、名前も知らない木ですからぁ~。そう山爺になじみの深い企業のCMソングですがな。
左図が秋元別邸の外観です。決して豪華ではありませんが品のある落ち着いた日本家屋です。それに比べたら欧州王族たちの住居のなんと品のないことか。これでもかと豪華絢爛さを誇示してやまない。成金趣味も甚だしい。

つつじに囲まれて落ち着いたたたずまい、こんな家に住めたらいいなあ。

つつじに負けず野辺にはカタバミの野草が可憐な花を咲かせている。『あたいも見て見て』と自己主張しているようだ。


尾曳橋を渡ってつつじの群落があるつつじが岡公園へと急ぐ。

橋の前方に小学校低学年と覚しき一団が楽しそうに歩いていた。
橋の上から城沼(じょうぬま)を望む。結構大きな沼だなあ。

ここで、ふと、どうでも良い疑問が湧いた。池と沼と湖の違いってなんだろう?

山爺はこうなると知りたくて仕方がなくなる。で、家に帰ってネットで調べた。

【山爺の一言メモ】
沼と湖の違いについて環境省が定義していました。
(湖)
四面を陸地で囲まれて中に水をたたえたもの。池や沼より大きく中央に沿岸植物の侵入を許さない深度(5~10m以上)を持つもの。なるほど、でかい、小さいで区分けするんじゃあないんだ。
(沼)
一般に深さ5m以下で底が泥深くクロモ・フサモなどの沈水沿岸植物が生えている湖沼をいう。湖と厳密には区別されていない。だからダムは全て湖区分なんだな。納得・納得
(池)
池の定義は国(環境省)にはないが、国土地理院が定義付け
地面にできたくぼみに水が溜まったもの。普通湖沼より小さいもの。人工的に作られたもの。

う~ん。ずいぶん大雑把な解釈だなあ。つまり大きめで水面に植物が生えていない綺麗な水たまりが湖、水生植物がごちゃごちゃ生えているのが沼で人が掘って作った水たまりが池って訳だな。まてよ、するとダム作ると出来るのは池なんじゃあないのかな?。あ、途中を堰止めるだけで掘り下げてはいないか、納得だ。

城沼の対岸を見るとなんかタイ国郊外でチャオプラヤ川から見た景色を思い出した。なんか似ている。懐かしいなあ。もう一度タイの田舎でのんびり数ヶ月過ごしてみたいな。




先ほどの小学校の遠足の軍団が池を囲んでなにやら学習の真っ最中。実に楽しそうだ。あんな時代に戻れたらいいなあ。叶わぬ願いが湧き上がる。
北帰行にはぐれた?のか白鳥が一羽、湖岸でのんびりしていました。まあ、苦労して北に帰らずともこのような選択肢も良いのでは・・・
ここから先は昨日まで有料で¥630也を払わなければならなかったようだがHPで検索した通り無料開放されてました。へへっ儲けたわい。(^O^)

さて、ここからはつつじの共演です。とくとご覧あれ。




百花繚乱各種つつじの乱れ打ち。


ばらに似た八重咲のつつじがありました。

千重大紫という品種だそうでバラやボタンにさも似たりですがこの花びらはおしべやめしべが変化したものだそうな。千重(せんえ)咲きと呼ぶそうです。八重よりも豪華な名前を付けるところがなんとも欲張り。







白いツツジの中に紅一点、偶然の交配の結果でしょうか。
いやあ、よくもまあこれだけのつつじを揃えたもんだ。これ、皆、先人が品種改良して作ったものなんだろうなあ。










小腹が空いたので東屋に入って昼食休憩。定番の梅握りとサンドイッチを頬張る。・・え、なんだって。そんな画像載せるなって。これは失礼おばいたしました。




ボタンに似た品種です。これもつつじです。
それにしてもつつじが岡の管理者の方々は良心的だなあ。

まだまだ有料でも価値のある開花状態だというのに。
分福茶釜の茂林寺から抜け出したのか、たぬきさんもつつじでお化粧中。笑える。
派手に咲き誇るつつじのなかにあって地味な花を見つけました。その名も西行って西行法師のことかな?

出家した西行法師はもと北面の武士、その名を佐藤憲清(義清とも)出家した動機は上臈女房に恋した挙句失恋、世をはかなんでのことだそうで。

女房ったってあなた、そのへんのおかみさんに惚れたんと違いまっせ、やんごとなき高貴なお方(上皇)に仕える上級女官ですがな。佐藤さん(西行)は北面の武士、つまりそこの警備員です。身分が違います。振られるに決まっとりますがな。

この話は今は亡き三遊亭円歌師匠が落語で面白おかしく演じてました。落語の西行では最初はうまくしけこんだが上臈女房からの歌詠みの意味がわからず不覚をとって破談という話になってます。

せっかく20歳で出世コースの北面の武士に任じられたのに恋にトチ狂い、たった3年で職場にいられなくなり出家してしまう。ちなみにその時の同僚が平清盛です。この人はご存知大出世を遂げます。

それにしてもこんな話は現代でもよく耳にしますなあ。会社同僚と恋愛競争に敗れ職場に居た堪れなくなり会社辞めて田舎に帰る若者が・・・

なるほど、この花を作った人は西行さんが華やかな俗世を離れ得度して仏門に帰依した心境をこの花に見出したのかなあ。なんとなく、うら寂しい雰囲気を醸し出すつつじでありますなあ。


つつじのトンネルです。なんとまあ、豪華絢爛。
この発色、さすがは日本工学のカメラです。
おまけ画像です。

帰りの水面に睡蓮の花が咲いておりました。


やはり出かけてみるもんですなあ。今日は本当に目の保養になり充実した1日を過ごせました。掛かった費用は電車賃含め¥1000未満。大満足の行楽でした。



【川柳】
・只よりも 安いものなし つつじ岡
・だんごより 花を愛でらる 歳になり
・先人の 努力を見たり つつじ岡

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2021年5月8日土曜日

どうして悪天候の中、山へ向かうのか?

 今年のGWは29日(木)の祝日に始まり30日(金)に休暇を取れば7連休となり多くの方々が長期連休を取りやすい配列となった。連休中の各地のお天気だが関東地方を見てみると下図の通り一見よさそうに見える。行楽ならまずまずの天気と言って良いだろう。

だがこと山、特に2000m級以上の山登りとなると待てよ?となる。

29日が晴れ一時雨、まず晴れ一時雨の予報自体が変だ。普通なら曇り時々雨だろう。晴れと雨、これは大気の状態が不安定な時によく出る予報だ。連休後半の5日も同様に晴れ一時雨の予報だ。そして秋田・新潟地方は連休中ほとんど雨模様、これが意味することは?。

日本海上空に大陸からの冷たい気団が入り込み太平洋からの暖気とぶつかり合い2000m以上の山々は相当荒れるということが読み取れるのだ。山爺のような半可通の山男でもこれぐらいは容易に分かる。



ある程度、山に精通した者ならこの全国各地の天気予報を見比べれば今年のGWは登山には向かない天候だと分かるだろう。加えて新コロナの再流行で各所に緊急事態宣言や蔓延防止の警告が出ていることも少なからず影響し今年の入山者は少ないだろうと思っていた。

しかし残念なことに悪天候によりまたも多くの遭難事故が起きてしまった。NHKや民放が流す一般の天気予報で目的の地域だけを見て良い天気だから北アルプスや八ヶ岳へ行ってみようと判断したのならなんともはやである。起きてしまった遭難を時系列に列記してみよう。

5月1日、午前7時45分に八ヶ岳赤岳山頂付近より2人パーティの1人から相方が行動不能と連絡、同9時前に救助隊により心肺停止になっていた岩手県盛岡市の男性(55)発見。

当時の天気図によれば北海道に発達した低気圧が居座り動かない西高東低の冬型になっていた。

山頂付近は吹雪で20m以上の強風が吹き荒れていた。1日は平地でも18℃(新潟)気温は100m高度が上昇すると0.6℃下がる。赤岳山頂は2899mだから2900m×0.6=17℃ も下がることになり氷点下に近い。加えて風速1mにつき体感温度は1℃下がります。

本格登山を目指す人は山の気温についてこれくらいの知識を持ちたいものです。気象の基本を知らずしてがむしゃらに山に挑戦するのは”盲蛇に怖じず”、怖さがわからず行動するほど危なっかしいことはありません。遭遇してから怖さに気づいた時はもう遅いのです。

最近、夏山だけでなく雪山の美しさを仕切りにTVで放映している。本当に雪をまとった山は美しくもあり実にかっこいい。だから雪山に入る人が多くなったのかなあ。でも、良さばかりを流さないで怖さや基礎知識も教えてくださいな・・・敵を知り(山の怖さ)己を知れば(自分の技量)百戦危うからず。NHKさんたのんますよ。

この日、八ヶ岳で遭難した人はー20℃の環境に長時間晒されたことになる。真冬と違い5月の雪は湿り気が多いので衣服にまとわりつき始末が悪い。こうなるといかな防寒具でもたまらない。一刻も早く行動を止めて山小屋・雪洞・ツェルト(非常用テント)などに避難すべきであった。死因は低体温症による疲労凍死だと思う(山爺私見)風雪さえ避けて緊急避難さえすれば気温は氷点下前後なので容易にやり過ごせたはずなのに・・・

赤岳山頂には立派な山小屋が建っているが生憎コロナの影響で閉鎖中。本来山小屋は閉鎖中でも一部を開放して登山者の緊急事態に備えておくものだが、赤岳付近で去年コロナ閉鎖中の山小屋が何者かに荒らされる事件が起きた。山男に悪人はいないとされた信頼がぶち壊された。山の世界も地に落ちたものである。その影響からか山頂小屋は厳重に施錠されてしまっていたのだろうか。いつもの通り一部が解放されており吹雪を避けることができたなら・・・遭難した人は隠れたコロナの被害者だ。不運としか言いようがない。

5月2日、谷川岳へ日帰り登山中だった東京都板橋区男性(43)警視庁勤務と同庁女性(52)の2人パーテイの女性から8時40分ころ西黒尾根ざんげ岩付近で男性が滑落したと連絡が入った。遭難当日の天候は不安定で吹雪にもなったとある。

救助隊が現地に向かい男性の死亡を確認した。遭難連絡後単独下山途中だった女性は4日現在も行方不明。雪山は登りよりも下りのほうがはるかに難しく道を見失いやすい。山に精通した男性が滑落し同行の女性がパニックとなり下山途中で方向を見失い尾根道を外れマチガ沢に転落した恐れが大である。

なぜ悪天候の中、難易度の高い西黒尾根から進入したのだろう。2日の天気図を見てみよう。(上図)日本海に1つ、太平洋に1つそれぞれ低気圧がある。このような場合、真ん中の長野(槍ヶ岳)や上越付近(谷川岳)上空は気圧の狭間となり悪天候から一転、曇りや晴れになる場合がある。

しかしその好天はほんの数時間で太平洋側の低気圧の移動とともに再び天候が大荒れとなるので安易に『やあ、晴れたから大丈夫』と観天のみの判断で行動するとひどい目に遭う。

山岳作家で気象庁技師だった新田次郎はこの気象現象を題材として、この気象に騙されて判断を誤り遭難したパーテイの顛末を短編小説『偽りの快晴』と題して著している。

当日の谷川岳も入山当初は薄曇りか晴れていたのかもしれない。天気図さえしっかり頭に入れておけば朝晴れていてもすぐに天候が崩れることが分かるので登山は中止としたのではと思う。

5月3日に中央アルプスの宝剣岳に入山した千葉県流山市の男性(70)が行方不明に、6日に県警ヘリが宝剣岳尾根から300m下の西側斜面で男性が滑落死しているのを発見、収容した。当日登った登山者によれば3日は雪がぱらつく程度で行動に支障はなかったと証言している。

5月3日、北アルプス槍ヶ岳登山中の愛知・岐阜から来た3人パーテイが飛騨乗越付近で14時30分ころ1人(49)が滑落、他の二人(28)(37)が救助を要請してきた。

当時現場の天候は猛吹雪でホワイトアウト状態、危険な状況下にあったが救助隊が出動、救助に向かい3日夜に2人、4日朝に1人を発見したがいずれも死亡確認。悪天候の中、夜間まで捜索を続けた救助隊には頭が下がる。

山爺は冬期の那須岳で三斗小屋温泉に宿泊した翌日、たまには回り道をして朝日岳経由で帰ろうとした時に樹林帯を抜けたとたん猛烈な風と飛雪のホワイトアウト現象に遭遇したことがある。

ホワイトアウトとは耳障りは良い響きだが現実は深刻だ。とにかく寒いし息継ぎも出来ない。防寒具のフードをしっかり締めていても強風が顔とフードの隙間から入ってきて背中が膨らみ後ろに引っ張られる。あまりの寒さで何も考えが浮かばず気持ちが虚ろになる(あ~寒い位しか頭に浮かばない)。

視界は悪く(目が開けられない)積雪と飛雪で踏み跡が消えてしまい進路が分からなくなる。恐怖を感じたので、せっかく1時間も登った道を三斗小屋まで引き返し安全な樹林帯のルートから行動し直したことがある。いやあ、あの時は死ぬかと思ったわ。

左図は槍ヶ岳での救助中の画像だが、ご覧のように里では初夏の陽気でも3000mの高山では一度天候が荒れると真冬に逆戻りだ。

最初に滑落した人には気の毒だが、残り2人は吹きさらしの中、無防備状態で滑落者に付き添うなどして長時間その場に留まるべきではなかった。

留まっていても素人2人では遭難者を尾根まで引き上げる技量は持ち合わせていないのだから人情を振り切り山小屋へ向かうべきだった。・・そうはいうものの中々それが出来ないのが人間だけれどねえ。

5月3日、バックカントリースキー目的で尾瀬至仏山を目指して鳩待峠から山の鼻へ向かった横浜市男性(82)が4日7時、山の鼻付近で倒れているのを発見、死亡確認。それにしても82歳でスキー担いで山岳スキーとは・・・山爺もかく有りたい。

鳩待峠から山小屋のある山の鼻までは夏なら緩い傾斜を鼻歌交じり歩いても危ないところはなく小1時間で着くことが出来る。なんでこんなところで遭難?と思うだろう。

しかしホワイトアウトの吹雪となると樹林帯から広い尾瀬ヶ原に出たとたん方向が分からなくなるので地図と磁石を見比べながらの行動技量が必要になろう。目見当で闇雲に歩くとリングワンデリング(円を描いて同じ所をぐるぐる歩き回る死の彷徨現象)に陥り命を落とすことになる。遭難した方も吹雪の中、方向が分からなくなり雪原をいたづらに歩き回り低体温症で動けなくなったに違いない。

そのほかの地域でも多くの山で遭難が相次いでしまった。登山は、素晴らしい景色が得られて体力、精神力が鍛えられる素晴らしいスポーツだが危険が伴うのは否めない。だからといって悪天候による遭難まで仕方が無かったと肯定する気には山爺はとても思えないのである。

今年のGW中の遭難の原因はすべて悪天候にもかかわらず入山したことに尽きる。中央アルプスの宝剣岳での滑落遭難にしてから当時雪はぱらつき程度で登山に支障はなかったとの証言もあるが前日に雪が降り積もり登りにくいコンデションだったことは容易に想像できる。

この時期に難しい山に入る人はベテラン達に違いないので、ピッケルと本アイゼンは当然装備の上、入山していると思うが、今回の遭難者の中にストックと軽アイゼン(チェーンスパイク)のみで入山した人がもしもいたとしたら、それは無謀極まる。

【山爺の一言メモ】

右図のようにチエーンにスパイク(爪)がついており着脱が容易で使いやすい。なんといっても数千円で購入できるのが魅力だ。しかしチェーンスパイクは緩傾斜での残雪には有効だが急傾斜や降雪直後は雪を捉えきれずスリップしやすいので過信は禁物。

アプローチはチェーンスパイク、山頂への急斜面は本アイゼンと使い分ける必要があるだろう。

それにしても悪天候と分かっていてもなぜ登ろうとするのだろう。山爺の嫌いな言葉に次の言い回しがある。

『せっかく来たんだから行けるところまで行こうよ』

旅行なら行けるところまで行って失敗しても疲れるだけだからそれも良いでしょう。だが、こと山に関しては行けるところまで行って進退極まった時は手遅れです。嫌な予感がしたら”三十六計逃げるに如かず”、さっさと下山し麓の温泉に浸かり酒でも呑んで寝てしまうのが一番です。

こんな山爺を人は山歩きに真摯に向き合わない怠け者で山にゆく資格なしと呼ぶのかもしれませんが・・・

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