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2019年10月16日水曜日

悪夢の台風19号

だいぶ腰の加減も良くなってきたのでどこか近隣の山でも歩こうと思っていた矢先、週末は台風19号がやってくるという。かなりの大型でしかも関東直撃模様だ。

これは大人しくしていなければならないなあと思っていたら、この19号、日本沿岸の海水温が高いことにより急速に発達した。風速60m!冗談ではない我が家が倒壊してしまうではないか。

報道では厳重な注意が必要と繰り返し述べている。これは山どころではない、我が家に対し台風の備えをしなければならない。

11日金曜日の昼より以下の準備をした。
①窓ガラスがむき出し箇所へ養生テープで✖印を貼る。
②同じくスポンジクッションを貼り窓ガラスを守る
③ゴミ箱・縁台・自転車等飛びそうなものを紐で固定
④工事用ビニールシート1枚購入・・万が一の屋根その他、補修用
ここまで準備をして付近を散歩してみたが窓に✖点を貼ったりゴミ箱固定なんかしている家はどこもない。僅かに1件だけ物置の窓に✖点を貼っている家を見かけただけだった。

皆さん意外と太っ腹というか呑気というか、風速50mでスリッパが飛んだら窓ガラスを簡単に突き破ることをご存知ないのだろうか。

翌12日は昼頃より
①ペットボトルに水を貯蔵
②風呂桶に水を溜め込む
③懐中電灯、ラジオ、携帯コンロ、ボンベ準備
ここまで準備をした。さあ、台風め、来るなら来い!てなもんである。

12日夜半雨風ともいよいよ強くなってきた。まんじりともしないで河川の増水具合をHPで暫時確認する。(右画像)もちろん着替えは枕元に置いてある。

皆さん国土交通省が出しているこんなサイトをご存知だろうか、私は以前よりこのサイトで河川水を観測しています。目的は大雨が降ったあと河川敷ゴルフ場がどうなったか判断するために主に使ってます。使う動機がまったく不純でごめんなさい。

www.river.go.jp/kawabou/ipRadar.do?areaCd=83&prefCd=&townCd=&gamenId=01-0706&fldCtlParty=no

幸い、我が家の近くの利根川は奇跡的に水位上昇が緩やかだ。(後にこの原因があの与野党で散々作る止めるですったもんだした群馬県にあるヤッ場ダムのおかげだとは知る由もない。もし工事中止のままだったらと思うと改めてゾッとした)

熊谷の荒川が危険水域を超えて一部溢れ出しているとのニュースが入ってきた。ここが決壊すると我が家周辺にも被害が及びそうで、いささか不安になる。

こうして未明まで観測を続けて3時ころ眠りに就いた。


翌朝は台風一過の良い天気、家の周囲を確認するも異常なし、もちろん冠水被害もない。自作アンテナもピンピンしている。心配された荒川もなんとか持ちこたえたようだ。やれやれ無事でなによりだわい。

テレビを付けてニュースを見て驚いた。関東一円いたるところで堤防が決壊、大被害が出ているではないか。栃木県S市の秋山川が決壊?あんな小さな川が?なぜ?。

やがて耳慣れた河川の氾濫が報じられた。わが故郷T市の永野川・巴波川が氾濫しただとう!。思わず目を剥いた。我が実家の近くで避難途中で行方不明になった年配女性までいるようだ。次々と市内の冠水の様子が報じられてくる。
山爺は呆然とそれを見続ける。なんだこれは!山爺が生まれてこのかたT市のこんな光景は見たことがない。

巴波川は普段はのどかな川(左画像)で山爺が幼少の頃より現在に至るまで常に心の拠り所としている川だ。

今まで水害といえば九州や関西方面といつも他人事だった。それが今、我が故郷がめちゃくちゃになっているではないか。悔しさというか、悲しさというか、やるせない気持ちがこみ上げてきた。



鉄道も両毛線がT市付近で鉄橋が流出、東武線でさえT市手前で線路が崩壊しT市が陸の孤島と化しているではないか。未曾有の大災害と言って良い。


そうだ、実家に電話しよう。しばらく呼び出し音が鳴ったあと兄貴が出た。
『どうだった台風は大丈夫?』
『だめだ、床上階段1段まで水が入った』

市から避難勧告が出されたらしいが病身のお袋がいるので避難も叶わなく2階に緊急避難したという。
『お袋は?』
『大丈夫だよ2階で寝ている。大分びっくりしていたが』

とりあえず安心したが、この先、環境が激変したので体に障らなければいいのだが・・・感染症が心配である。

足利・佐野の山はもちろん奥多摩や山
梨の山々も道路が寸断、当分山歩きも出来そうにない。

11月に上武G場・12月に野田パブリックのゴルフ場を押さえておいたがこれもおじゃんだ。河川敷ゴルフ場は全滅状態。

会場探しも困難だ。どうしたらよいものやら。当面、何を励みに生きていけばよいものやら、困った。

これから温暖化でこんなことが頻繁に起こってしまい、いずれ我が家にも被害が及ぶのだろうか。困った時代がやってきたものだ。


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2019年10月3日木曜日

リハビリハイキング(仙元山と立ち寄り温泉)

腰痛を押して9月14日にゴルフに出かけた。なんとか無事に18h回ることができて慶賀に耐えない。しかしその日の夕方より腰痛が再発して杖を頼りの生活に逆もどりと相成
ってしまった。

ただし今度の痛みは腰痛というより筋肉痛と織り交ざった妙な痛みに変わった。4日目より杖がいらなくなるくらいに回復したのでリハビリを兼ねて軽くハイキングに行こうと思い立つ。

天気予報を見ると週末の土日は雨模様。金曜日がお日様マークだ。というわけで20日(金)小川町にある仙元山に行ってみた。

山爺の頭の中には山歩きのプランがいつも5~6件しまってあるのでその気になれば1~2日の準備期間があれば出かける事ができるのだ。

3時間程度の軽めの山歩きに好都合なのは寄居近くに有る仙元山(299m)だ。小川町駅から徒歩で登山口に入れるのが嬉しい。おまけに近くに日帰り温泉もあるので下山後は温泉治療もできる。リハビリにはもってこいの地域だ。

秩父線の始発H駅を6時40分の電車に乗ると小川町には8時9分に着く。東秩父は近くてよい山がたくさんある。

駅前の左側の大きな道をどんどん進む。今のところ腰は順調だ。
信号のある大きな通りを横切り突き当たりのT字路を左折、すると小さな、小さな八百屋さんがあった。こんな静かなところで商売が成り立つんだろうか?と余計な心配をしてしまう。

 八百屋さんを通り過ぎた辺りから道がややこしくなってわからなくなってきた。取り敢えず八高線の踏切は越し、川沿いを歩いているので概ね合ってはいるのだが・・・とかく山屋というものは山の中に入れば地図を頼りに歩けるのだが町中となると、からっきし、だらしなくなるもんである。地図を頼りによろよろ歩く。

庭で畑の手入れをしているお父さんがいたので道順を教わる。登山口は100mほど先にあった。山爺は計画した通り歩いていたわけで、あと5分も我慢して歩けば人に道を教わることもなかったわけだ。なんか損してしまった気持ちだ。
指導標にしたがって細い道を進むと、やや!人の家に入ってしまう気配、誰もいないことを幸いにずんずん進む。

 こういうところが都民の庭である奥多摩と違うところだ。指導標が少ないので山に入るまで一苦労も二苦労もしてしまう。

やっと山道に入ることが出来た。こうなりゃ山爺のもんである。山道は左右に木々が立ち並び強い日差しが入ってこない。冷んやりしていて気持ちが良い。やっぱり散歩は山道に限るなあ。

歩き続けていると痛みは和らぐが、ちょっと休んで再び立ち上がると腰にズキンとくる。まだまだ回復には程遠いみたいだなあ。

痛みが去ると今度は両方の足の外側がくるぶしから腰のあたりまで痛いような痺れるような疲れたような妙な感覚が起きてくる。弱ったなあどうなっちまったんだろう。我が下半身は?

30分ほどで尾根道らしきところに出た。すぐ横には車が通れる遊歩道が見える。もちろん仙元山めがけて山道をGo!

問題の腰痛も幸い引っ込んで、40分ほどで仙元山の山頂へ着いた。山頂には誰もいない。

途中2人ほど山爺と同じ目的の筋トレ親爺に出会ったが幸いトレランとかいう山走りをする酔狂人はいなかった。トレラン族でもあまり低い山は自慢のタネにならないから人気がないのだろうか?

10時30分、昼食にはちょいと早いし足腰も持ちそうなのでここから20分位のところにある青山城址まで足を伸ばしてみよう。

11時ちょいと前に青山城址に到着。城といっても砦のような物、当然ながら説明看板があるきりで城らしきものは微塵もない。まさに強者どもが夢の跡である。

青山城址は平安末期の藤原氏末裔青木氏末が築城したらしいと伝えられているのですが詳細は不明のようです。戦国時代に入って腰越城址とともに杉山城の支城としての役割となっていたようです。後北条氏の傘下であったため1590年の豊臣秀吉の小田原攻めで廃城となりました。

僅かに空堀(左画像)が原型をとどめているだけだった。しかし、こんな山の中に砦を築いてまで争いをする人間の性(さが)と言ったらない。なんと醜いことか。

醜い性は現代にも受け継がれている。世界中がいがみ合い、軍事力を強化し続けている。皆んなが譲り合って謙虚になれば戦車も軍艦もミサイルもいらなくなるだろうに。

先進国の莫大な軍事費が別な用途に振り向けられたら世界中の貧困・飢餓がなくなるのになあ。
この間も1機150億円もするF35戦闘機が海に落ちたが150億円あれば2千万円の家が750軒立つ勘定だぞ。ちょっとした街ができるってもんである。150億円を国民年金に回したら一人あたりいくらの増額になるのかなあ。

元来た道をもどり再び仙元山へ。ここで昼食を採る。昼食は定番のおにぎり1個・サンドイッチ・そしてドリップ珈琲。山での喫食のなんと旨いことか。


さっぱり人が来ないので荷造りを済ませてとっとと下山することにした。

下山は元来た道をたどるが途中、百庚申なる遺跡に立ち寄った。

庚申とは中国の道教が発祥元のようで今でも日本各地に残る庚申さまといわれる土着信仰だ。その石碑が100基あるから100庚申なんだろうなあ。江戸時代後期(1860年)の建立みたいです。

下りは楽?でもなく腰に響くので要注意、健常のころとは大違いで恐る恐るの下山です。

入山時に山道に入ってすぐに神社への道を見つけたが、行きは見送った。下山時は立ち寄ってみることにした。神社についてみると町民に見放さた?のか草ぼうぼうの神社にだどりつきました。地図に天神様と書いてあるから菅原道真の系統かな?
ここの神様はきっとこんなお方かも。
( ^ω^)
お賽銭もあげずに早々に神社を辞して下山するとすぐに朝来た道に合流することが出来た。

13時30分、さて、登山終了です。ここから2kmくらいのところに日帰り温泉、花和楽の湯があります。PH10のアルカリ温泉で美肌の湯として有名です。(入館料:バスタオル・浴衣込¥1080)

事前に調べたところによれば館内施設の中には炭酸温泉もあるとか。炭酸はたぶん人工的に供給していると思うが炭酸は血流向上効果があるので腰痛に効きそうだ。

足取りは重いが急げ、急げ、温泉目指して。リハビリ後半戦じゃあ。喉も乾いたし館内でビールでも飲んで旨いものでも食おうとしよう。






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