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2019年6月5日水曜日

残雪期の谷川岳登頂、暴挙達成

山や行楽地専門の天気予報というものがある。それによれば谷川岳方面は5月23日~29日まで登山に適したAランクが続くようだ。稀有な気象条件と言って良い。



この地域は日本海と太平洋の気候がぶつかり合う地点、いわゆる分水嶺にあたる地域なので1日でさえ晴天が持たない日が多いのであるが登山適のAランクが一週間も続くなんて・・これは行かねばならない。

三波春夫の大利根無情ではないが、
『止めて下さるな、妙心殿。落ちぶれ果てても平手は武士じゃ、・・・中略・・行かねばならぬ、そこをどいて下され、行かねばならぬのだ~ぁ』・・て、か!・・古い例えだなあ、化石人間か山爺は( ^ω^)

敵を知りおのれを知れば百戦危うからず。まず谷川岳登山指導センターにアクセスし情報収集だ。

【谷川岳登山指導センター5/23 現在の現地情報】

しばらく好天が続きましたが相変わらず雪解けは遅く、各ルートの上部は雪に覆われている箇所が多いので引き続きアイゼン、ピッケルなどの滑り止めは必要です。・・・中略・・・
天神尾根は夏道が出てきた所はありますがまだ多くが雪に覆われています。特に熊穴沢避難小屋までのトラバースには十分注意してください。この付近では過去に滑落死亡事故も起きています。

やはりピッケル・本アイゼンがいるのかあ、ピッケルは元々持参する気満々だ。なにせ去年、おニューを入手したばかりで使いたくって仕方がない。

問題はアイゼンだなあ、チェーンスパイクじゃダメなんだろうか。全山雪道ならまだしも頻繁に脱いだり着けたりするのには断然チェーンスパイクの方が優位だ。本アイゼンは装着が面倒でつい億劫になり着けないでリスクを冒し、強引に通過してしまうことが多いので返って危ない。(山爺の私感)

山小屋に予約を入れるのでついでにアドバイスをもらおうか?


『もしもし・・今週の土曜日は空いてますか』・・木曜日の午後に電話を入れる。
『はい、空いてます』・・・なんと混んでいると思った土曜日が今のところ数人の予約状況だとか、そんな訳で5月25日(土)~26日(日)に登山日が決定しました。

山爺は平日の方がいいのじゃ?といぶかる諸兄姉も多いと思われます。

確かに平日の方が山は空いていて快適なのですが平日の早朝は通勤とかち合って具合が悪いのです。大きな荷物を持ち込んでの物見遊山者は仕事に向かう人々から侮蔑の目で見られるのは必定。だから現地移動は土日が良いのです。

『天神尾根の雪の状態は?、チェーンスパイクで大丈夫でしょうか』
『チェーンスパイクは滑り出したら止まらないからダメですね。本アイゼン準備したほうがいいです』

あらあ、山小屋の管理人からダメ出しを頂いてしまいました。しかしながら去年の4月に安達太良山で使ったチェーンスパイクの快適さも捨てられない。

う~ん、ここは重いけれど(本アイゼン800g)両方持っていくか。しかし、なんとか装備を10kg以内に抑えたい。今の山爺には12~13kgを背負って行動する体力は残っていないのです。

装備一つ一つを体重計で計測しながらザックに放り込む。お気に入りのウイスキースキットル(800g)はこの時点で落選、いいちこのワンカップ(300g)に代替えです。とほほ。

さて移動する公共機関ですが、伊勢崎沿線に住む山爺としては秩父線で熊谷に出て、そこから高崎線、上越線と乗り継ぎ水上駅に行くのが一般的ですが秩父線の始発が遅いので現地到着が遅くなります。

もうひとつのルートとして東武伊勢崎線で伊勢崎まで、そこから両毛線で新前橋へ出て上越線に乗り換え水上へ行くというルートがあります。これだと8時台に水上に着き9時発のロープウエイ行のバスに乗れます。しかもこの方が片道¥400近くも安い。いいこと尽くめです。往復このルートで移動することに決定。

25日の早朝に家を出て順調に乗り換え予定通り7時24分に新前橋から上越線に乗り換えました。

上牧まで来たところで秀麗な双耳の谷川岳が車窓から見えてきました。雲一つない快晴です。よし、よし絶好の天気だわい。気持ちが高ぶります。

夏の谷川岳には20代半ばから3回来ています。天神尾根から1回、西黒尾根から1回、この2回までは、雨または霧中行軍で天候に恵まれなかった。

最後の1回は台風通過の翌日に出かけました。ずいぶんやんちゃをしたものです。いわゆる台風一過の晴天を狙ったわけですが、その甲斐があって、どんぴたと晴天に当たりすばらしい眺望を体験しています。ただし、この時はどこから登ったのか記憶にありません。多分西黒尾根から登り肩の小屋に1泊、翌朝一ノ倉岳へ抜けたものと思います。

40数年ぶりの谷川岳です。しかも残雪期の入山は初めてです。果たして無事に山頂までたどり着けるだろうか、一抹の不安がよぎります。土日に登山日を選んだのも万一の時は人の往来の多い日の方がなにかと都合が・・・なにぶん今日までに800人以上の犠牲者が出ている山でギネス記録に載る程ですから100%安全とは言い難い山なのです。

この山には悲しい思い出もあります。まだ山爺が20代の頃、会社の同僚に山爺より2っ3っ若かった(と記憶)Y君がおりました。乗り換え駅でいつも一緒になるので若い者同士すぐに打ち解け、仲良くなりました。

ある日、山爺が企画したハイキングにY君を誘うと参加することになりました。この時点でY君は山は初めてだったと記憶しています。よほど楽しかったのか、それ以降、彼は山にのめり込んで行くことになります。やがて山の会にも入会しロッククライミングや冬山へも行くように・・・真冬に駅で会うと周りの人々がコートを羽織っていても彼だけは背広の下に半袖のシャツだけという出立ちでした。

『寒くないのかい』
『冬山に行くための耐寒訓練です』

と、にっこり答えます。あの時の笑顔は今も鮮明に覚えています。いいかげんな山爺と違い彼は山というものに真摯に取り組んでしまったのです。

ある日、同じ山の会の女性パートナーとともに厳冬期の谷川岳のマチガ沢(だったかな)に入山し果敢に岩壁に挑んだのですが不運にも滑落、パートナーとともに遭難死を遂げてしまいました。まだ若い前途ある青年が山でなんか命を落としたことがショックだった。

あまりに理不尽でやるせなく、かなりの間、暗い気持ちでいたことを記憶しています。これがきっかけで山で遭難死なんか絶対にしてはいけないと考えるようになり、自分の行動がより慎重になったことは否めません。

しかし山爺が、あの時ハイキングに誘わなければ・・なんて呵責な気持ちは当時から全然持ち合わせていません。山のアクシデントの全ては自己責任です。

まあ、中には未熟なリーダーの判断ミスや強引な過信からパーティ全体を危機に巻き込んだケースも多々あるようですが、そんなリーダーに出会った人は不運としか言いようがありません。ですが、そんなインチキリーダーであっても遭難は自己責任でしょう。山爺なら危なかったらさっさと、リーダーに見切りをつけてパーティから離脱し単独で下山しますわ。

彼は山の怖さより魅力の方が勝ってしまったんでしょう。踏みとどまり考え直すチャンスはいくらでもあったはずです。

山爺は山を始めた20代から今に至るまで山の怖さの方が魅力より上なので慎重居士で有り続けています。


水上駅からはバスでロープウエイ駅に向かいます。

え!、ロープウエイ?そうですよ。
もう古希も過ぎた身なればローブウエイはどんどん使わせていただきます。
( ^ω^)

バスは奥多摩や丹沢とは違い乗客はあまり乗っていません。観光客と登山客が半々といったところか。


ロープウエイの山麓駅に到着です。駅名がロープウエーというのがなんかユーモラスだ。


これから登る前途を表している洒落か?。『また、ロープ?ウェーぇ』(急峻な崖をロープ付きで登らされる、ああうんざり)

まず登山届を出さなくては、届出ポストはどこだと探して見ると、それはすぐに見つかりました。ロープウエイ券売フロントのすぐそばに届出コーナーがあります。

さすがは谷川岳、立派なテーブルと筆記用具、まるで市役所の市民課の受付です。届出は事前に、ちゃんと書いてきたのに専用の用紙が置いてある。下段に切り取り部分があり半分は帰りに出す様式だ。これで入山、下山を照合し無事に下山したことを確認する仕組みなんだろうが、帰りに出し忘れたら大騒ぎになるのかな?

仕方ないからそちらの様式できちんと書いてポストに投函、これでよし。

フロントで往復乗車券(¥2060)を求めようとすると。
『どちらまで登られますか?』
『谷川岳の肩の小屋まで』
『荷物重そうなのでそこの秤で測ってください。10キロ越えると割増です』
はあ~聞いてないよ。計量すると10・7kg、あれえ、確か家で計量したら9kちょっとのはずだったが、超えている。 !Σ(゚д゚lll)、 ははあ、飲み水だ、ピッケルだ、飲み水は山頂駅で買えばよかった、ピッケルは手で持っていれば良かった、と思っても後の祭り。係員がしっかりこちらを見てる。

人間どこで損をするか分かりません。かくて、重量割増を¥510も払う羽目に。
(ヽ´ω`)トホホ・・

足取りも重くロープウエイ乗り場に。ここのロープウエイは停車することなくゆっくり動き続けている状態で乗り込まなければなりません。ちょっと目が回る。

10数人が乗り込み、いざ天神平へGo!、ゴンドラの前面に陣取り景色を眺める。ぐんぐん高度が上がっていく。

山麓駅の標高が746m、ここから一気に1320mまで引き上げてくれます。標高差574mを歩かないで済む。もし歩いたら健脚者でも3時間近くはかかるでしょう。まことにありがたい乗り物です。

あっというまに天神平に到着です。駅を出ると谷川岳が目の前にでーんとそびえています。やあ、ついにやってきたぞ。

ロープウエイで上がってきた方向を見ると形の整った山が見えます。朝日岳1945mです。この山は若い頃、白毛門から朝日岳へと縦走したことがあります。

土合駅から入山ししたのですが、行程見積もろくに考えずに山へ入ったものだから朝日岳山頂付近で夕暮れになってしまいました。宝川方面に下山途中で完全に暗闇となりサスペンデッド、ポンチョでにわか屋根を作ってのビバーク(野宿)を余儀なくされました。

幸い満月が煌々と輝いています。満月の下で寝ると気が狂うと言いますが別に異常は起きずに無事でした。夜中には小動物がすぐそばまでやって来て闇夜に目玉だけ光らせます。懐中電灯を当てるとあわてて逃げてゆく。なんか可愛いい。ビバークもそれなりに楽しいなあと思っていたが明け方に雨が降ってきてずぶぬれ、散々な野宿となりました。今思うと随分と無茶をしたものです。

さて、すばやくスパッツとチエーンスパイクで身支度を整え、いざ出発。と、書くと簡単そうだが今の山爺にはこの動作が大変なのです。

屈んだ姿勢での連続作業なので終わる頃には息があがり早くもぜいぜい、はあはあ、となってしまいました。休憩しなければ出発が出来ません。あ~ぁ本当に歳は取りたくないものです。

さて、地図を取り出し今日のルートを再確認と思いザックのポケットを開けてみるとガガーン!!なんと入れたはずの地図がありません。ザック内のめぼしいいところを捜索するも見当たりません。家に忘れてきたのかな?どのザックにするか何度か入れ替えたからなあ。

まあ、地形内容は頭に入っているし行程表に地図の写しもあるから何とかなるには、なるのですが。とまれ、こんなことは山爺の長い登山歴で初めての失策です。やはり歳なのかなあ?

10時少し前に、ようやく出発です。夏山での標準コースタイムは2時間30分、これに休憩1時間30分を加えて4時間、肩の小屋到着は2時ちょい過ぎが今日の見積です。

この見積がまるで甘かったことが後々思い知ることになります。



スキーリフトの右側を横切ると山道に入ります。すぐに雪道が現れました。左から右への急傾斜でいきなり緊張を強いられます。
過去に転落死亡事故があったそうだが、さもありなん、ここから滑落したら簡単には止まらない。すぐ下には木々が待ち受けています。当たり所が悪ければ一巻の終わりは間違いない。


谷川岳がよく望めます。この斜面を横切り(山用語でトラバース)左から尾根にあがり左尾根をひたすら登って山小屋まで。これが今日の仕事です。

♪ 今日の~ぉ 仕事は辛かったぁ~。頑張りましょう。

最後の大雪田(赤丸)に小さく人の行列が歩いているのが見えます。ロープウエイ運転は8時からだから朝一番にそれを利用した人たちかな?もうあそこまで行っちゃったんだ、山頂が間近じゃないか。元気だなあ。山爺だって若い頃は、・・・愚痴っても仕方がないか。

あの雪田を登り切れば肩の小屋だ、それにしても遠いなあ。先の見えない山歩きもしんどいが、こうして目標が見えるのも辛いもんです。

傍らには日陰を好む花なのか木々の下の日陰に花が咲いていました。左画像がイワウチワ、右がショウジョウバカマでしょうか。



 7~8箇所もあった雪の急斜面を無事に横切り、第一休憩ポイントの熊穴沢避難小屋に到着です。ここで昼食。

潅木帯を抜けたので日差しが強くなり非常に暑い。5月だと言うのに何んなんだこの陽気は。大晴天と引換とは言えこの暑さは異常です。まるで真夏だ。たまらず小屋の中に入り込む。中にひと組の男女がいた。(後に山小屋で再会)

あまりの暑さにコーヒを沸かして飲む気が起きません。かき氷が食いてえ!。ジャムパンと水だけの質素な昼食です。

簡単に昼食を済ませて12時30分出発。

残雪を一つ乗り越えるとロープ付きの急登が現れます。急登というより崖に近い。

多くの登山者が山爺を追い抜いて一気に崖上まで上がって行きますが山爺はそうは行かない。息が上がってしまい一気には登りきれません。

途中、何度も休みながらでないと足が前に出ないのです。

そんな箇所が4~5箇所もあり中には鎖で安全を確保してある場所もあります。

その鎖が半端じゃなく太いのなんのって、持つだけでくたびれてしまいます。観光協会さん、この鎖、いささか太すぎるんじゃないの?。


登りはほとんど鎖のお世話になることはなく、3点支持を守って自力登攀で登りきりましたが翌日の下山時は鎖に頼らないと不安なのでこの重い鎖を何度も持つことになりました。
 何度も崖を登らされたので完全に息が上がってしまいまいした。5~6m登っては息を整え、また5~6m登る。ザックの重さがずっしりと肩にのしかかり、ついには傍らの熊笹に背中を預けて休憩しながらの登攀と相成りました。

傍目にはバテてノビた状態に見えるでしょう。熊笹で休んでいると
『大丈夫ですか』
と見ず知らずの若者に声をかけられる。
『ダメです』
と冗談を交わすのがやっとでした。

唯一の慰めは傍らに咲いている高山植物とアズマシャクナゲ越しに見られる雄大な眺望です。左上の画像はナエバキスミレ・右画像はエチゴキジムシロでしょうか。

はて、このコースは若い時に1度通ったはずだが?こんなに険しい道だったかなあ。全然記憶にありません。それだけ当時は気力・体力が十分だったということでしょう。まったく老いるとは寂しいことです。

天狗の溜場へようやく到着です。もう2時を回っています。3時前には山小屋に入ると予約時に告げていますがその約束は守れそうにありません。

休んでばかりでは先に進みませんが相変わらずの急傾斜の連続で完全にバテバテです。それにしても暑い。持ってきたペットボトルが次々にカラになります。調理用の水まで手を付けはじめました。まあ、小屋につけば水はあるだろう。

天神ザンゲ岩というポイントに着きました。なんでザンゲ岩というのかなあ?あまりの辛さに
『なんでこんな山に来たんだろう、こんなところ、もう2度と来るもんか』
と懺悔をしたくなるからかなあ。実感、実感ですわ。
(ヽ´ω`)トホホ・・

 ようやく大雪田が視界に入りました。雪田を乗り切れば山小屋です。もう時刻は3時を回りました。困ったなあ、後どれくらいかかるかなあ。4時前には到着しないと山小屋の親爺に叱られちまう。

雪田に着いて見上げるとかなりの急傾斜です。50度はありそう。ノーアイゼンでは登攀は無理です。チェーンスパイクを装着し慎重に登る。横にザイルが張ってあるのが心強い。これに掴まりながら一歩一歩慎重に上がってゆく。高度が上げるにつれて雄大な景色が目に入るが見とれている余裕はありません。

すぐに息が上がり立ち止まりながらの登攀だ。振り返り下を見ると登ってきた急な斜面が飛び込んでくる。

落ちたら熊笹の中まで一気に転がり込んで死なないまでも、ひどい目に遭うのは見え見えだ。

時々チェーンスパイクがズルっと滑り、冷や汗をかく。なるほど予約時、小屋の親爺さんがチェーンスパイクはダメと言われたことがよ~く分かりました。専門家の意見は素直に聞くもんですなあ。

200mくらいの急な雪面を乗り切るとなだらかになってきました。危険箇所は無事乗り切り、やっと周りの景色を見る余裕が出てきました。

と前方に山小屋が見えます。やったあ!なんとか4時前に山小屋に着きました。予定ではこのあと山頂に行くわけでしたが(上画像小屋の壁横の突起がトマの耳1963m)当然取りやめです。

すでに数人が小屋の前のベンチテーブルでくつろいでいます。
『お疲れ様』
『いやあしんどかったです。ばてばて』
皆んなが見ているのでさりげなく小屋前でチェーンスパイクとスパッツを脱いで傍らに干し、手馴れたベテラン風を装いますが、風体がバテバテ模様だからダメさ加減は見破られているか?。


小屋に入って親爺さんといっても山爺よりうんと若いのですが、挨拶して受付を済ませる。今日の泊り客は15人だとか。自分のスペースに案内されたが壁の角地で十分なスペースがある。ラッキー!取り敢えず一安心だ。

荷物を整理して暗くなる前に共用の談話兼調理テーブルに夕食の準備品だけ出してから再び受付に戻る。

暑さのせいで調理用水を全部飲んでしまったので水と缶ビールを購入する。

水は500mlのペットボトルが¥400、缶ビールが350mlで¥500、高いけれど人力での荷揚げを考えたら仕方がない値段なのです。

水2本とビールを2本購入しようとすると親爺さんから、
『右にあるビールは¥500だが左に寄せてあるのは12月で賞味期限切れなので¥100です』

なんと、早い者勝ちで特価販売してくれました。感激、感激。缶ビールなら味なんて半年そこいらで、そう変わるもんではありません。

表に出て雄大な景色を見ながらビールをグビリとやる。旨い、旨すぎる。山歩きは半分以上このためにやっているといっても過言ではありません。

日中あれだけ暑かったのに夕暮れが迫ると寒くなってきました。誰かが8℃と言っています。部屋に戻ってザックからダウンを引っ張り出して着込み、再び皆んなに混じって酒盛りしながら山談義。しかし残雪期の谷川岳に来るような人は山の猛者が多いのでなかなか話題についていけません。奥多摩・丹沢・大菩薩の山なんかは話題に上らないのです。


女性陣はカップル数組に混じり単独行動の女性もいました。この女性は山爺より数年歳下のようですが50歳を過ぎてから山に目覚めてテントを買ったとか。



明日は早朝4時出発して万太郎山から仙ノ倉山そして平標山を抜けて下山する予定だそうです。

まもなく古希を迎えようとしている人とは思えない超人ぶりです。

このルートは山爺も何度も検討しましたが有人小屋がある平標山の小屋まででさえ12時間近く行動しなければならず無理で諦めています。

ましてや下山して帰宅するとは。呆れたおばはんです。世の中にはすごい人がいるもんだ。まあ、山歩きは持久力の世界、生物学的にも優れた女性の方が強いのかもしれません。

日も、とっぷりくれたので小屋の中に戻って夕食作りです。

夕食はドライフードの牛飯とにゅう麺です。いずれもお湯をかけるだけで簡単に出来ますが味は美味しいです。昔食べたアルファー米とは大違いです。

夕食採りながら山談義の続きをします。山爺至福の時がどんどん過ぎてゆきます。

山小屋の夜は短い。8時で食堂談話室がクローズ、8時半には自家発電を停めて停電となります。

残雪期に谷川岳にくる人々はある程度山に精通した人ばかり、明日が早いので8時半には全員寝床入り。山爺だけ取り残されました。

持ってきた ” いいちこ ” を1人でぐびり、ぐびり・・・表に出てみると満天の星空です。

もう山々は暗くて見えませんが一方向だけ明かりが見えます。水上の街の夜景でしょう。寒さも忘れしばし見とれてしまいました。

小屋に戻ると消灯時間も過ぎて室内は真っ暗、談話テーブルに誰もいなくなりました。仕方がないので山爺も9時前には就寝。
しかし普段12時過ぎまで起きているふしだら生活者にはすぐに寝ろといっても無理。体は疲れきっているのですが、なかなか寝つかれません。10時、11時と時間だけが過ぎて行きます。

さっき呑んだ ” いいちこ ” 半分だけ残っているな。ごそごそ起き出しテーブルで1人で寝酒と洒落込みました。きっと、誰かが迷惑な奴だと思っていたことでしょう。年寄りに免じて許してくらはい。m(_ _)m

翌朝と言ってもまだ真夜中の午前3時には多くの人びとが起き出し荷造りを始めました。山爺はうつらうつらの夢のなかです。5時に起きた時には食事付き宿泊の数組のお客以外はほとんど出発してしまった後でした。

そうです。山の朝は早いのです。遅いのは山爺だけ。この、のんびりな性分は昔から。

若い時、南アルプスで朝6時ころ荷造りしていたら小屋の親爺に『いつまでもたもたしてるんだ』と、どやされたことがあります。高山の午後は雷などの発生があるので早立ち早着きが原則なのです。

表に出てみると今日も快晴で山々がよく見えます。本当に来てよかったです。

お湯を沸かしてドライフードの白米と牛すじ丼の元で牛すじ丼を作る。これがなかなか旨いのです。急ぎ、朝食・用便を済ませて荷物をまとめて小屋に預かってもらう。

『山頂まで行ってきます』小屋の親爺さんに声をかけて午前6時に山頂目指していざ出発。6時発だから許される行動開始時間でしょう。空身だと体が軽い。

あっと言う間に山小屋が小さくなった。山爺のこれからの山のスタイルは山小屋から空身で往復。縦走はハードで無理なのかなあ。

山頂は双頭峰です。手前がトマの耳(1963m)奥がオキの耳(1977m)です。言葉の意味はトマが手前、オキが奥(向こう側)の意味です。おそらくテマエ→テマ→トマ オク→オキとなったのでは、あるいは沖と同義語かなあ。



トマの耳に到着しました。尾根には残雪がなく快適に歩けましたが群馬県側はまだびっしりと残雪がありす。雪庇の残骸も観察できました


トマの耳から覗いたマチガ沢です。まだ残雪が多く残っています。昔の同僚が亡くなったのはこの沢でした。合掌。

さて次はオキの耳です(右下画像)。コースタイムでは
15分とありますが、一度かなり降りなければなりません。

なんか遠いなあ。一応、山頂の片方登った事だし、もういいのではと言うサボろうくんの囁きが耳元で聞こえます。


後押ししたのは、もうこれが最後かも知れないと思う心境です。老骨に鞭打ってオキの耳に向けて下降開始。降りてみるとすぐに底まで到達しましたが登りがまたまたしんどい。

途中で単独者に追いつかれます。聞けば昨日は万太郎山方面の無人小屋に泊まったとか。ここにも猛者がいました。

山頂に着いたら写真撮りあいましょうと提案して同行することに。

オキの耳に到着しました。天気は好天気のままなので360度の大展望です。

振り返るとさっき登ったトマの耳が見えます。
眼下の山合に面白いものが見えます。関越トンネルの排気口です。万太郎山(左画像)の下をトンネルが通っているわけで考えてみると人間はすごいことをするものだと改めて思いました。


一ノ倉岳方面の眺望です。あの方面に2回ほど縦走した経験があります。また、縦走してみたいなあ。

今のところ山頂には誰もいません。山爺が独り占めです。コーヒーが飲みたいなあ。空身では叶わぬ願いです。

名残惜しいけれどそろそろ小屋に戻らなければなりません。

写真を撮ってくれた単独者はとうに下山してしまいました。

慎重に、もと来た道を引き返します。7時半過ぎに山小屋に戻ってきました。親爺さんに帰途報告をして500mlの水を1本購入、荷造りを行う。

再び来られないかも知れない肩の小屋ともお別れ、なんか感傷的になり寂しさが込み上げてきます。

サックをぶら下げて表に出て下山の準備、スパッツ・アイゼンを装着します。

帰途は元来た道を戻ります。まず最大の難関、あの急な雪田を突破しなければなりません。いい加減の権化の山爺も下りはチエーンスパイクで突破する気にはなりません。


1本締めバンドでの装着の仕方は4年経っても覚えていますが屈んでの作業のしんどいこと、しんどいこと。最後のバンド止めに通す作業がなかなか出来ません。

『駄目だぁ、こりゃ』紐が捻れていますが直す気力も起きない。実用に支障なし、これでいいや。8時半いざ下山開始。

どうです、ピッケル・アイゼン姿の山爺の勇姿、やればできる!!でもしんどいなあ。それにしても急傾斜だこと。ああ、怖っ!!

一歩、一歩慎重に足を出して雪面とのグリップ感を確かめる。さすがは鍛造の10本爪しっかりと雪面を捉えます。40年ぶりにアイゼンの利きを味わいました。

しばらくは前を向いて下降しましたが最後の急傾斜(50度以上)は前向きは怖い。転倒スリップしたらピッケル制動で停止させる自信がありません。


幸い誰もいないので後ろ向きになって後ずさりで、ずりずりと降りました。これならスリップしてもすぐ雪面にピッケルを打ち込めます。安全第一、カッコなんかつけている場合ではないのです。

無事に熊笹帯横の夏道まで降りてきました。ここで本アイゼンの役目は終わりました。取外してザックに収納。

昨日の上りもキツかったけれど下りのなんと急で疲れることか。足が届かない岩場が何箇所もあります。ロープ・鎖場は逆らうことなく使わせていただきました。

相変わらず晴天続きで絶好の眺望の中、そろり、そろりと下降を続けます。

熊穴沢避難小屋が小さく見えますが、まだまだ遠い。ふええ~昨日こんなところを上がってきたのか。どおりであごが出たわけだ。こういった急傾斜の山はもう山爺には無理なのかなあ。それとも鍛え直せば大丈夫なのだろうか。

昨日泣きが入ったザンゲ岩に着きました。

さすが下りは早いが峻険な岩場が続くので慎重の上にも慎重にそろり、そろりと下山して行きます。
幸い下山者は山爺だけ、誰に遠慮をすることもありません。


ようやく難所も超えて山道がなだらかになってきました。ここまでくれば一安心です。この辺から今日の登山者が三々五々登ってくるようになりました。多くはピッケルをザックにくくりつけて装備十分、足腰も達者でスイスイ登ってきます。大したもんだ、山爺も若い時はきっとあんな感じで登ったんだろうなあ。グスン(´⌒`。)

と、前方から中型の黒いブルドックを伴ったカップルが登ってきました。
『ええ~!犬同伴?無茶な』
犬は肉球保護のため前後の足に靴下みたいなものを履いて歩いています。これが妙に笑える。
『ここから上は鎖場の連続でワンちゃんには無理ですよ』・・山爺
『ほらぁ、だから戻ろうといったんだよ』・・女性
『大丈夫、行けるところまで行こう』・・男性
『いやあ、下手に鎖場通過してしまうと降りられなくなりますよ』・・山爺
『一応ザックの中にこいつ(犬)入れられるようになってます』・・男性
ワン公はいつの間にか引っくり返って横倒しになりぜいぜいはあはあ息しています。ずいぶんお疲れのようだ。男性が傍らの雪を首筋に当てると気持ち良さそうにして、なすがまま。ははあ、犬でもバテるんだ。

行けるところまで行く。この考えが山では大変危険な考えなんだけどなあ。
と、やおら犬が立ち上がり先頭を切って登りだした。元気を回復したようだ。はあ、犬も人間も同じなんだなあと、つくづく思う山爺なのでありました。

『お気をつけて』と言うしかなく見送った。

あのカップルは無事山頂まで行ったのだろうか。どうやってあの急峻な大雪田をクリアーするのだろうか。疑問は尽きません。

熊穴沢避難小屋に10時15分到着、山小屋から2時間かからないで着いた。やはり下りは早い。ここで、軽く早めの昼食を採る。ここまでくれば天神平はもうすぐだが、あの雪渓を横切らなければならないので油断は禁物だ。山は家に無事帰ってなんぼの世界なのです。

再び急な雪渓を何度も渡り返すが帰りは利き足の右側が山側になるので歩きにくい。



行きにはほとんど埋もれていた指導標(昨日が上画像)がひょっこり顔を出している。1日で30cm近く雪面が下がったようです。


振り返ると特徴ある秀麗な双耳が今日もよく見える。もうこれで見納めかなあ。しばし見とれてしまいました。

危険な雪渓は無事通過した。もう天神平まであとわずかだろう。

下の方から空身の老夫婦が上がってきた。観光者らしい。

足元を見るとスニーカーだ。この足ごしらえであの雪渓に入ったら転落間違いなしだ。
『この先は急な雪の斜面が何箇所もありその靴では危ないですよ』
『こういった鉄の爪履いていないと』・・とチェーンスパイクを見せる。
『ありがとうございます。行けるところまで行ってみます』
でたあ~。伝家の宝刀、行けるところまで・・・その考えが危ないっちゅうの。

ロープウエイのお陰で誰でも簡単に残雪の世界に足を踏み入れることが出来るようになった。そのこと自体は良いことだ。

観光客を残雪域に入れること、そのことに対し云々する気は毛頭ないが、登山道の入口に
『この先、急斜面あり危険。観光客は立ち入らないで』
と注意書きを書くべきではないかね、ロープウエイ経営の皆さん。『熊出没、注意』の看板ばかり立てないでさあ。

登山届の下山確認用半券に気づいた点を書いてくれとあったのでおせっかいながら、
『登山道に観光客が革靴で紛れ込んで危険です。注意喚起の看板、設置要す』とメモしました。

11時頃、天神平ロープウエイ駅に無事到着です。苦しくって、楽しくって、絶景を堪能した山旅はこうして終了と相成りました。

【川柳】

・猫ならば きっと行けます トマの耳・・・猫の身軽さなら崖なんかひとっ飛び
・行けるまで 行きます 地獄の果てまでも・・地獄にいったら引き返せないよ。
                      この考えで過去にどれだけ犠牲者が
                      出ているのやら

6月初め現在、谷川岳の地図は行方不明のままです。どこかに落としたのかなあ。家の中にあるとは思うのだが、困った、困った。

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