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2018年5月31日木曜日

梅雨が来る前に・・・佐野諏訪岳登山



秋の紅葉も素晴らしいのですが5月は湿度もなくさほど暑くない。ハイカーにとって一番よい季節です。体力維持も兼ねて佐野にある諏訪岳を訪ねてみました。

低山(342m)ながら形状の整ったなかなかの風貌の山です。



佐野の中町地域から見ると裾野が富士山に似ており(似てない!)この地区では中村富士とも呼ばれております。

東武佐野線多田駅から歩いて20分ほどで入山出来るので交通至便なことも魅力です。

朝7時前半の電車に乗ると多田駅には8時30分頃には着いてしまいます。



本当に佐野・足利方面は近くて良い山が沢山あります。

佐野を通過するまで大勢の乗客がいましたが多田駅まで来ると誰もいなくなりました。




多田駅は無人駅で駅前にはなんにも有りませんから買い物はよそで済ませておく必要があります。




駅前から正面に縦に延びている道路が登山口である京路戸公園に行く道です。

しかしこんな田舎に京都に関連しそうな洒落た名前がなぜ付いたのだろう。歴史を調べると面白いかもです。

【山爺の一言メモ】
さっそく家に帰ってからネットで検索するとこんな内容がヒットしました。

① 「経論堂=きょうろんどう」が訛ったものだと、岩船町小野寺にある天台宗の古刹 「大慈寺」のご住職の「住職日記」で紹介。
② 『小野寺には小野小町の「お墓」現存しており、大慈寺ともかかわる伝説があります。それで、小町が峠に登り京への思いを募らせたことから命名された。 

確かに諏訪岳から栃木市側に山道を下ると大慈寺があります。またこの地域は小野寺と呼ばれていますがやはり小野小町ゆかりの歴史があるのでしょう。





小野小町終焉の場所は日本全国に分布していますが、ここもその一つで一節には京都からここに移り住んだものの、年々年老いて醜くなる自分を嘆いて諏訪岳の崖から身を投げて自害したとも。判るなあ、美人は辛いよね。そこいくと元々醜女の人はしぶとく生き抜くことが出来ます。

大慈寺も由緒あるお寺です。西暦737年あの有名な行基さんか開基したとされた寺院です。更に2祖は道忠(鑑真和上の高弟)3祖は公智(円仁・安慧等がここで修行)
なんとまあ、そんな恐れ多いお寺が山爺の故郷にあったなんてちいとも知らなんだ。

737年ったらあなた、奈良時代で長屋王を死に追いやった長屋王の変(729年)をやらかした藤原4兄弟が祟り?で病没した年代だよ(737年)これって凄くないですか。

そういうことなら栃木市側に下山してお寺参拝するんだったなあ・・後の祭りです。

変わった地名の由来を調べる場合、以前なら地域の図書館やら古老やら古文書あさりをしなければならないが今はネットという便利なものがあるのでその信ぴょう性はともかくすぐに情報が手に入るので面白い。



話を山歩きに戻します。

多田駅前から見た諏訪岳です。(画像、正面のピーク)そういえば諏訪岳という名前も只者ではないような気がします。

普通なら平らだから大平とか岩があるから岩船とか見たそのまんまの形状を表現するのが多いのだが・・・諏訪大社と関連があるのかなあ?。

駅前から道なりにまっすぐ歩いて小さな橋を渡る(乗用車通行可)と田中工業団地にぶつかります。そこを通り抜けるとまもなく京路戸公園でテニスコートが数面あり簡易トイレもあります。工業団地共用のコートなのかな?



そこを更に進むと左側に小さな駐車場があります。9時ちょっと前に到着。

ここから山道になります。登山姿の爺さんとおばちゃんの二人が先にいた。挨拶をしてみたがおばちゃんからは返答があったが爺さんからは返答なしで無視された。(後で知ったのだが高齢で耳が遠かったみたいです)

ここからのルートは京路戸峠経由の右回りと西尾根経由の左回りの2コースが選べます。

情報では西尾根は痩せ尾根で急峻、荒れており下りには向かない。京路戸峠経由往復が一般的とか。



そう言われるとへそ曲がりのB型気質の山爺です。降りるなの言われると、降りてみようじゃないの。とこうなる。

右回りの道を歩き出す。あとから婆さんと爺さんがついて来た。どうせ山菜採りだろうと軽く思っていると婆さんはすぐにいなくなった。山菜採りだったのだろう。

ウエストポーチを付けただけの空身の爺さんがゆっくりとした足取りながら一定のリズムでついてくる。歳はゆうに80歳は越していそうだ。



思い出した!!。ネットで諏訪岳の情報を収集していたときあるブログを読んだが、それによれば諏訪岳に毎日のように登る高齢の爺さんがいるとか。この話題は半ば伝説化されいるようで複数の書き込みがあった。30分ほどで京路戸峠に到着。



おあつらえ向きにベンチもあります。急ぐ旅ではなし。ここで休憩を取ろう。伝説?の爺さんもきっと休むだろうから色々話をしてみよう。

ペットボトルの飲み物を飲みながらアンパンを囓り休憩。峠なので心地よい風が吹き抜ける。こんな雰囲気が山爺至福の時である。

きたきた、件の爺さんがゆっくりとではあるがしっかりとした足取りで坂道を登ってくるのが見えました。・・・と、あれれ、休むことなく指導標の横をすり抜けてそのまま登っていってしまいました。

しかも指導標に一瞥もくれません。手馴れた風です。間違いない!あれが噂に聞く諏訪岳の主と言われる伝説爺だ。

あとから追い抜くのも何だから峠で15分ほど休憩を続ける。『もう、いいだろう』と腰を上げて諏訪岳山頂を目指す。



峠からは諏訪岳の三角部分に取り付くのだろう。これまでの登りと違い徐々に急勾配になってきた。へえ~あの爺さんこんな急な登りを物ともぜずに登れるのか、しかも毎日?

そのうち追いつくのかなあ。追い抜くのは嫌だなあ。と思いながらゆっくりと登り続けましたが何時になっても姿を捉えることが出来ません。栃木市方面に下る分岐までやってきました。




さっぱり爺様に追いつきません。途中に崖が何箇所かあったのでもしやと不安がよぎったりもします。

山の上の方が明るくなってきました。山頂が間近なのでしょう。山道の左側(田沼方面)の視界が開けてきました。

と、上から誰かが降りてきます。伝説爺さんです。なんと山頂をきわめて降りてきたようです。歳は85前後?いやいやもっと高齢かも、スーパー爺さんであることには違いありません。道を譲るため山道の傍らに寄って。
『お元気ですね。山頂からの戻りですか』
と声を掛けたが足元ばかりを注意しているためか山爺が視界に入らないようで返事なし。

すれ違うところまで近づいたとき、ようやく気がついたようで、



『あ、おはようございます』

と声をかけてきた。やはり耳が遠いのは伝説通りでした。しかしそれにしても毎日342mの山(実質標高差260m)を登り続けるパワーは相当なもんである。世の中には驚いた人もいるものだ。願わくば山爺もかくありたい。





10時10分山頂到着、山頂には誰もいませんでした。

山頂はあまり展望は良くなく西側の田沼方面しか望めません。山頂には大きな桜の木が2本あり、サクランボが育っていました。桜のシーズンにきたら最高の花見ができそうだ。



ベンチが3箇所あるのでそこに座りコンロ、やかんを出して湯を沸かしコーヒーブレイク。さほど歩いていないので腹も減っていない。昼食には少し早いかな?

珈琲をすすりながらアンパンかじり30分近くのんびりとする。あたりは静寂そのもの。短時間で山頂に着くこんな山歩きもいいなあとしみじみ思う山爺でありました。



ようやく反対側からおばちゃん2人と山爺と同年代?位の男の3人組が上がってきました。
『京路戸公園から上がってきたのですか?』
『はい、きつくて大変でした』

山爺が事前に得た情報でも西尾根は荒れていて急なので下りは危ないから止めたほうがよいとのことだった。



もと来た道を戻ろうかとも考えていたのだが、この人たちが登れたんだから下りも大したことはないのだろうと簡単に考えて西尾根を使って下山することに決めた。

山頂を辞してすぐに不明瞭ながら左に降りる道があったのでその道を降り始めた。

この決定が大間違い。降り始めこそなだらかでしたがその先は急坂の連続が待っていました。両側は痩せ尾根で崖、ストックを前についてバランスを取りながら慎重に降りてゆきます。

だんだん道は不明瞭になってきて笹薮やらクモの巣やらの大悪路。ときどき立ち止まってルート確認しないと下山道を見失います。本当にあの3人ここを上がって来たのかな?と疑問が沸いてきた。



こんなに急な上、荒れていたんでは、かなり登山経験を積んだ者でないと危険な尾根だ。幸い要所、要所には枝にピンクのテープを結んだ目印があるので経験者なら迷うことはないと思うが、焦って降りると転落もありえる危険なルートだ。

ある程度山の経験を積んだ者以外の下山はお勧め出来ません。ご注意ください。観光協会さんには下山注意の看板を掲示することを提案いたします。

小1時間も下り続け、ようやく道がなだらかになってきたが今度は落ち葉で道が不明瞭だ。ピンクのテープだけが頼りでそれを確認しながら樹林帯の中を彷徨する。

悪戦苦闘の末、ようやく京路戸公園に通じる山道に合流した。やれやれ一安心。
下りきってみるとこの西尾根、スリルがあって中々だし、良い訓練にはなりました。

【川柳】

・山中で 翁に抜かれ 消沈す
・諏訪岳で 伝説翁に 追い抜かれ
・始め余裕 下山は必死の 諏訪の山

梅雨が来る前に・・佐野諏訪岳登山の項・・完

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①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転載は禁止で行った場合、著作権法の違反となります。

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2018年5月25日金曜日

富士山を見てきました

5月に入ってからまだ、どこの山も歩いていません。身体がなまってしまいます。しかし天気予報を見ても毎週天候が崩れてなかなか安定しません。





19日は雨模様ですが20日(日)はどうやら回復の兆し、残雪の富士山を間近で見たくなったので大月にある九鬼山にいってみようか。

最寄駅→新越谷→西国分寺→立川と乗り継いで大月に10時1分についた。




ここでJRから富士急に乗り換えるのですが乗り換え乗客は、皆んなぞろぞろとカードを使って改札を通過してゆきます。

山爺はそんな便利な通行手形(スイカ・パスモ)は持ち合わせていません。係員に聞けば現金精算は出来ないとのこと。




どうすんだよ!係員によれば、なんでも現金精算の場合は一旦、JRの改札まで戻り、そこから駅の外に出て、ぐるっと大回りをして富士急駅前から切符購入して入れとのお達しです。

言われた通りぐるっと大回りをしてみましたが駅らしきものが見えません。あれれ!どこだ駅は?よく見るとなにやら通用門のような小さな入口が見えました。確かに富士急大月駅と書いてある。(右画像の改札くぐるまでの遠かったこと・・ぐすん (´⌒`。))




ようやっと、富士急駅構内に入ることが出来ました。どんどん世の中キャッシュレスになっていくのかなあ。特に奥多摩や甲府、丹沢方面に来るときはカードがないと田舎者丸出しで惨めな思いをするなあ。今度来るときはカード購入しようと多いに反省した山爺でありました。・・しかし、なんだかなあ。俺がなにか悪いことでもしたんか!ええ!!なぜ通過出来ないんだよ!!金ならあるぜい!!

ここから10時17分発の富士急で禾生駅まで行く。禾生(かせい)と読みます。珍しい駅名です。



10時27分禾生駅に到着。小さな駅ですが登山者が何十人か降りてきた。やはり東北や北関東とちがいこんな無名の山?でも登山者が沢山いる。

目の前をリニアモーターカーの実験線が横切っています。駅を降りていったん大月方面に戻るような格好で車道を進みます。




車道を折れると、なにやらレンガ作りの橋が見えました。橋の下は川で上も川が流れています。川用の橋のようです。川の上を発電その他の多目的用水が横切っているようです。

面白いものを見たものです。世界遺産登録、って無理か。



傍らにはいずれがアヤメかカキツバタが綺麗に咲いています。やはり山里はいいですねえ。思わぬ景色に遭遇します。

身支度を整え10時45分、いよいよ山道に入ります。






新緑の眩しいこと。山道の歩き始めは独特の匂いがします。この辺が、ただの散歩と山歩きの違いです。辞められまへんなあ。









九鬼山山頂は標高970mですが禾生駅がすでに420mあります。差し引き550mの標高差を登ることになるので2時間くらいが目安かな。

禾生駅から九鬼山へのルートは地図を見ると愛宕神社→紺場休場経由と杉山新道経由の2つあります。

前者は急登で途中に天狗岩なんてあるから歩きにくいのでしょう。迷わず後者のルートを選択して歩き出しました。なだらかな歩きやすい道をのんびりと歩いて弥生峠に12時15分到着。

手持ちの新兵器の高度計は800mを指しています。山頂まで170mだからあと30~40分で山頂かな?なんて思いながら上を目指す。安物で信頼性イマイチの高度計だがこんなものでもあると
残りの時間の目安になるので励みになる。頑張んべえ!!。





13時少し前にたくさん人が休んでいるところに出ました。

皆んなお弁当を広げてくつろいでいる。山頂か?さにあらず。山頂手前のビューポイントでした。富士山がよく見えました。左画像は人の目でみた大きさの富士、右画像ははアップです。

やあ、疲れが吹き飛ぶほどのすばらしい眺めだ。なぜ、日本人は富士山をみると華やぐというか安らぐというか興奮するというか・・よくわからないけれど感動するのだろう。

かたわらで弁当ぱくついていたおばちゃん数人のパーティとの会話



『山頂はもう行かれたんですか?』
『まだです。お腹すいちゃったのでここで休憩』
『はあ、色気より食い気ですか』
『わはは!!』

富士山を間近に見ながらの昼飯!なんと贅沢なことだこと。

しばし写真撮影してから山頂を目指します。


山頂に13時10分到着。先ほどのビューポイントと違い富士山は木々の間からしか見えません。なるほで先ほどのビューポイントの方が座ってお昼食べながら富士山をを良く見ることができます。納得です。

しかしながら大菩薩嶺方面は開けており素晴らしい景色が待っていました。




中央のガレ場のあるところが大菩薩峠かな?来年の冬は絶対あそこに行くぞ!!。ピッケルも新調したしねえ。行かねばなるまい妙心殿ってか!。なんだそのセリフ!山爺古い!!。

ピッケル購入の件はこの項の末尾に記載。

【山爺の一言メモ】

一世を風靡した三波春夫大先生が1960年代に歌った”大利根無情”に出てくる名セリフです。
講談『天保水滸伝』に出てくる剣の達人「平手造酒」に関する歌ですが歌の間に芝居がかったセリフが入ります。・・ひらてみきと読みますよ。よろしかったら覚えてね。

 平手造酒は江戸のお玉ヶ池・千葉周作の剣道場で修行した剣の達人で、酒を愛しすぎたために破門扱いにされ、胸をわずらって笹川繁蔵のところに助っ人的な立場で住みついています。妙心というのは平手造酒の知り合いの尼さんです。





浮世の義理でヤクザ同士の喧嘩(笹川繁蔵と飯岡助五郎の縄張り争い)に加わろうとするのをこの妙心尼が必死に止める。このときの名セリフを三波春夫大先生が芝居がかって絶叫する。
 『止めて下さるな妙心殿。落ちぶれ果てても平手は武士じゃ、
 男の散りぎわだけは知って居り申す。
 行かねばならぬ。そこをどいて下され、行かねばならぬのだ』


ちなみに大利根河原の決闘で笹川組で死んだのは平手造酒だけでした。あれまあお気の毒。最近氷川きよしがこの歌をカバーしてますが迫力では三波先生の足元にも及ばない。

ここでいつものようにコーヒーを沸かしてサンドイッチ・アンパン・梅握りの昼食タイムを摂る。腹もいっぱいになり素晴らしい景色も満喫したので14:00山頂を後にした。



下山ルートは馬立山方面の途中、札金峠で左に折れて田野倉駅を目指します。登りと違い下りルートは急で痩せ尾根が続き岩場もある。これは慎重に歩かねばならない
こんな山ですっ転んで怪我でもしたら恥ずかしい。

15時20分無事林道まで降りてきた。

まもなく一般道へ出たがここでも富士山がで~んと姿を見せてくれました。
しかしながら手前の高圧電線のなんと無粋なことか。

画像の中央を横切っている高架線はリニアモーターカーの実験線ですが開業予定は
品川~名古屋間が2027年(9年後)


品川~新大阪間が2045年(27年後)
9年後ならなんとか試乗出来るかな?無理だろうなあ。大阪までは27年後!!ふえぇ~大阪は時間切れで完全にアウトだなあ。
(ヽ´ω`)トホホ・・

15時50分田野倉駅に到着し・・・田野倉駅小さっ!!・・16時22分の電車で無事帰路につきました。

【山爺ピッケル購入するの巻】

最近、頼んでもいないのにどんどん歳が増えていき、友人・知人が相次いで鬼籍に入るに及んで焦りが出てきました。いつまで健康で山歩きやゴルフが出来るんだろうと。

とりわけ山歩きは体力勝負の世界です。若い頃やっていた山歩きを2010年7月から再開しましたが、もう少し早めにやっておけばよかったとか、残雪期や冬山にもう一度行きたいなあ、とか未練がたらたらです。

冬山登山にはピッケルは必携道具です。山爺は若い頃冬山もやっていたので当然持ってはいるのですが何分古い。シャフトは木だし、全丈75cmと長い(画像右)。そのまま山岳博物館に飾れるような代物です。



新しく購入したいのですが信頼出来る高品質のピッケルは高額で数万円もする高嶺の花、あと何回使うかわからない物においそれと無駄金を使うわけには参りません。

でも、欲しいなあ!。そこで去年の秋頃からヤフーオークションで中古ピッケルにちょっかいを出し入札を続けてきました。

このオークション、以前は銀行口座を登録しなければ入札参加が出来なかった?ので敬遠していたのですが、最近は口座登録不要(金銭やりとりはヤフーが肩代わり)となったので参加してみることにしたのです。





中古とは言え、数万円するピッケルが入札スタートは¥100から始まるのが魅力ですが締切日が近づくにつれて¥1000、¥2000、と値がつり上がってきます。

午前0時の締切、数時間前あたりからが勝負で、1時間前あたりは¥3000くらいだったのが一気に¥6000位に跳ね上がります。山爺の落札目標は¥5000以下なので何度も諦めていました。



今にして思うに秋頃からはピッケルの需要期です。(冬山に使うので当然だ!!^0^ )本当に欲しい人が集中していたのでしょう。数回チャレンジしましたが数千円の入札価格が終了間際で7~8千円、場合によっては1万円以上に跳ね上がります。そんな訳でいったん入札を諦めていたのですが需要期を過ぎた(と勝手に思う山爺)4月から再挑戦してみました。



対象ブランドはフランスシャモニ製のシモンカマロだ。相手にとって不足なし。¥1000から入札開始、¥3000まで自動入札モードで対応(本人の許容限度価格を設定すればいちいち入札しなくても自動で対応してくれます)

終了1日前で¥3000突破、やはり無理なのかなあ。¥100刻みで入札を続ける。この辺から入札者は2人だけ、山爺との一騎打ちとなった。残り4時間前に相手が¥3500の値をつけてきた。



う~ん、相手も本気だな!残り2時間前で山爺が一気に¥3900の値を付ける。これ以上の価格なら諦めようとPCの電源を切って入札中断しその日は就寝。




翌日、PCメールを開くとヤクオフからメールが入っていた。
『おめでとうございます。あなたが落札しました』
『やったー!』
なんか嬉しい。オークションというものもやってみるとなかなか面白い。
結局送料含めて¥5000で老舗ブランド品を入手することが出来ました。

落札してからの手続きは、
①出品者から落札価格+送料が落札者(山爺)に連絡。
②コンビニでヤフーに一時入金。
③出品者へヤフーが入金連絡。
④品物が届いたら入荷連絡をヤフーに連絡
⑤ヤフーから出品者に送金

となっており不正行為が容易に出来ない仕組みになっています。
やってみると結構面白い(のは山爺だけ?)ので皆さんもチャレンジしてみてください。

落札手続き(入金)をするとすぐにピッケルが届きました。品物は錆もなくおニューに近い状態です。満足満足、惜しむらくはピッケルカバーと石突カバーがスポンジなので経年劣化しこのままでは使えません。カバーを別途購入しなくっちゃ。

しかし、今になって冷静に考えたら、このピッケル、あと何回使うのかなあ。1回も使わないで飾りのまま、ということも?なんだかなあ。やや反省もしている山爺なのであります。

【狂歌】
・ヤクオフで ようやく手にした ピッケルも 何回使うや 我は後悔 
【川柳】
・富士を見て 騒ぐ思いは DNA? 
・なぜなのか 数倍感動 富士の山
・買ってから 使い方を 悩み出し



富士山を見てきましたの項・・・完







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