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2017年6月27日火曜日

愉快な仲間達・・・17年度高校のクラス会開催記(6/24 ~25)

皆んなにおだて上げられ高校のクラス会の幹事長を仰せつかって今年で6年目となる。今では終身名誉幹事長になりつつある。企画から実施まで一人でこなすので面倒であるが毎年皆んなの喜ぶ顔をみると苦労も癒される。母校の所在地がT市にあるため、これまでの5回は全て日光・鬼怒川方面の温泉地を選び宿泊宴会プラン(飲み放題・カラオケ付き)のある格安旅館を見つけては実施してきた。

開催時期は6月の最終の土日と決めてある。この日に決めた理由は、この時期はほぼ梅雨期間であり誰も予定をあまり立てないだろうと、我がクラスの策士が考えた深謀遠慮からである。確かに納得の考えだ。

皆さん最初のうちは、『幹事長が計画したのならどこでも良いよ』 などと殊勝なことを言っていたが一昨年辺りから県内は飽きた。ぼちぼち県外にも行きたいなどと少しわがままを言い出す者もちらほら出てきた。

じゃ伊香保でもと思い2軒ある伊藤園Gの旅館を検索してみたが生憎と宴会プランがなく諦めた。
草津や伊豆は遠いし、さてどうしよう!。

例年14~5名の参加があるので早めに宿は決めなければならない。いつも3月末頃から会場選びを始め、4月中旬には場所を決めて仮予約、月末には参加募集の往復はがきを出して出欠を募る。

往復はがきとは今時アナクロであるが我々は工業高校出身で皆、技術屋の端くれながらPC操作が、からっきしという面々が多い。機械科卒だからかなあ。あの当時(50年も前の話)の機械科の授業(実習)と言ったら、あなた!。

 ①1貫目(約4kg)ハンマーを振り上げ振り下ろし訓練や鍛造実習(鍛冶屋さん)
    *刀鍛冶になるわけでもないのに連続50回(だったかな)も振り上げ振り下ろしでヘトヘト。
 ②旋盤はじめ色々な工作機械をすべて手動操作で行う加工実習
 ③電気・ガス溶接実習・・・学校祭ではブランコ作って保護者に販売したりした。
 ④溶鉱炉で鉄を溶かして鋳物作り。・・・危険と隣り合わせで命懸け・・今でもやってるのかなあ?

ね!どう見たって電気に関係のある実習内容がないでしょ。特に①のハンマー連続50回振り下ろし実習はいったいなんだったんだろうと今でも不思議に思ってます。今の工作機械はCNCが主流だからいやでもPC技術をマスターしなければならないがその当時は仕上がりの優劣は本人の腕次第でまさに職人養成学校であった。

技術屋なら計算が付き物だが当時電卓なぞはもちろん存在しない。複雑な計算をどうしていたか。ジャーン!!計算尺という便利なツールがあったのである。これがあれば乗除や平方根、三角関数、対数計算といった値をスケールを動かすだけで求めることが出来たすぐれ物で理工系学生は必携品であった。

皆んな一生懸命に操作法を学習し資格まで取ったのであるが電卓の普及とともに姿を消した。今では履歴書の資格欄に載せるのがはばかれるくらいである。・・あれもいったい何だったんだろうと懐かしく思ってます。

ここで問題です。計算尺とは下図のどれを指すのでしょうか。  (^0^)
正解は C です。

母校には当時ほかに電子科・電気科があったが機械科が世間では一番もてはやされていた時代で受験競争率も高かった。まさかITがここまで発展するとは誰が予想し得たであろうか。

【山爺の一口メモ】

CNCとはcomputerized numerical control machining の略でコンピュータ制御で機械が自動加工をしてくれるシステム、本人の手先の器用さは不要で誰でも精密な加工が出来る。要求される技術はコンピューターへのデーター入力や異常時の処理、制御盤内の電子回路の修理など電子技術力が必要となる。

そんなわけで我がクラスの面々は今でもPCに精通している方が少ないようです。本当は出来るけれど幹事仰せつかるのが嫌だから内緒にしているのかなあ・いやあそんな策士はいない!。したがって今でも通信は往復はがきのご厄介になっているのです。クラス会終了後の会計報告や記念写真の配布も全て郵便です。

問題なのは印刷代も含めこれらの費用が結構かかることである。もし皆さん全員がPCに精通していればこれらの資料を全て電子メールで配布できるので幹事長もずいぶん楽になるのですがねえ。ここまで来たら(作者注・・年齢)もう、かなわぬ願いか!。ええい!こうなりゃあヤケだ、アナクロ万歳・・・Y(^ω^)

冗談はさておき、クラス会に話を戻します。クラス会は毎年1泊で行っていますが、山爺含め他県からくる数人が電車利用で来るほかはT市周辺在住のものが多く彼らはお互いで調整を取り車数台を連ねてやってくるのが常です。

山爺は前々から運転者は負担が大変だなあ。(特に宴会疲れの帰路運転)事故でも起こさなければいいがなあと思っていました。もし事故でも起こされてしまったら一番嫌な思いをするのは会を企画した者、つまり山爺です。

ここ数年クラス会の参加常連3人が相次いで病気その他で鬼籍に入ってしまったこともあり(ブログ16/8/25 お盆のこと・友人のことの項参照)余計に弱気になります。諸君!もう皆んな若くはなく体力、集中力ともに落ちているのだから無理は出来ないよ。遠距離ドライブは気をつけてね。

そこで、よし今回はT市駅前から送迎バスを出そうと考えました。しかしまともにバスをチャーターしたのでは費用がかさんでしまいます。おおるりGの温泉旅館なら15名以上集まれば指定場所まで無料送迎、10人でも¥10000で送迎をしてくれることを以前より知っていたのでそれを利用することにしました。

開催場所は1昨年に川治温泉の一柳閣で開催した帰りに幹事長の考えを無視、どういうわけかT市に向かわず反対方向の湯西川に全員向かった経緯があったので、そんなにご執心なら湯西川もいいかなと思い湯西川の平家本陣に宿を予約、バス利用の有無を選択する項目も入れて開催案内を作成し配布しました。

配布後すぐに参加する旨の返事が4~5人来ました。いずれもバス利用賛同者からです。ところがいつもすぐに参加表明するT市の常連達から誰も返事が来ません。

変だなあと思っていると茨城在住のO氏から山爺に電話が入りました。ちなみにO氏は若い頃より我がクラス会をリードしてくれていたキーマン的存在の男です。

『T市の連中の一部は今まで通り車で途中色々立ち寄りながら出かけたいが、せっかくバスを企画してくれた〇〇(作者注山爺のこと)に悪くて言いづらい。Oから言ってくれないか』
との申し入れです。なんだそんなことなら遠慮しないで直接山爺に申し入れすればいいではないかと思ったが直接言えないところがなかなか奥ゆかしい。ちょっと嬉しい山爺ではありました。

確かに車で行く人の中にはT市に戻るような地域に住んでいる人もおり一旦走り出したら湯西川に行くのもT市に行くのもたいして変わらんと言う気持ち、分からんでもないけれどねえ。

ここ1~2年は参加員数は13~14人くらいです。6人もバス利用がペケでは送迎バスチャーターは難しい。そんな訳で当初はバス送迎を諦めていましたがその後、参加者が増えて17名になりましたが、それらは全員がバス利用者です。O氏も茨城からT市まで車で来てバスを利用してくれることになりバス利用者総勢11名となり、めでたくバスをチャーターすることが出来ました。

それにしても17名も参加とは、幹事を任されてから一番大人数の参加者で幹事冥利に尽きます。これで鬼籍に行ってしまった常連3人がもしも元気だったら、さぞや賑やかになっただろうと叶わぬ想いがわいてきました。改めて3人のご冥福を祈るばかりです。

6月24日(土)山爺は電車で12時12分早めにT市に到着。構内を見渡したが誰もいません。集合は12時40分で出発は13時の予定ですがバスが到着し全員が揃ったらすぐに出発する旨あらかじめバスドライバーと打ち合わせ済みです。

構内から外に出ると、いたいた、埼玉南部在住のKが『おおい〇〇、昼飯どうする』と近づいてきた。この男は、何かというと『お昼どうする』が口癖で電話でも必ず飯どうするを相談してくる面白い奴である。

ほかに2人も待っていた。OH氏は今日5時起きで一仕事?してきたがまだ飯食ってないとのこと。だが集合時間まであと20分しかない。駅そばなら早く食べられるけれどそんな気の利いた店はなさそうだ。構内に居酒屋魚民でランチメニューやっているから行こうという。おいおい今から食堂かいな!。一抹の不安はあったがほかに集まっている者がいないので4人で駅構内にある魚民へ入った。

なかは結構混んでいる。ランチメニューは焼き魚定食やらヘビーで調理時間の掛かりそうな物ばかりです。加えて山爺は9時過ぎに朝食を食べたばかりで食欲もない。サブメニューのミニうどん¥150が目に付いたのでそれを注文した。ほかの3人はメインランチを注文しているが大丈夫かな。10分、20分・・・経ってもなにも運ばれない。あっという間に集合時間の12時40分になってしまった。

もう皆んな集まっているだろうなあと焦る。山爺だけなにも食べずに出ようとした時にようやくミニうどんが!そしてほかの注文品も運ばれてきた。猫舌の山爺であるが無理やり(さほど熱くないが)流し込んで山爺だけ急ぎ店を出た。集合時間を10分オーバーである。

居た居た、残り全員すでに集合済でバスも到着している。『幹事長遅い!』の非難の声が挙がる。食事組を急がせるために再び店に戻ってみると3人は席を立ち支払いを始めている様子。と、ここでK氏がやおらトイレに向かい始めた、もう1時を回ったと言うのにのに悠然としている。やきもきしているのは幹事長の山爺だけのようだ。トイレは事前に済ませろよと心で叫ぶ。結局出発は定刻5分過ぎとなってしまった。・・・運転手さんとの事前打ち合わせはもろくもパアになりました。

バスは20人乗りの中型バスが来てくれました。11人の乗車だから社内はがらがら、おおるりGのサービスのなんと素晴らしいことか。

途中大谷PAで休憩し宇都宮日光有料道路経由で大沢ICで一般道に出てひたすら湯西川に向かって順調にバスは走り続けます。いやあ、この面々とのバス旅行は50年前の修学旅行以来です。話も弾むってもんです。残り6人も乗ればもっと楽しいのになあ。・・・

15時30分湯西川平家本陣に無事・・・でもなく予定より30分遅れで到着、ロビーに入ると車組はすでに到着しておりビールを飲んでいる奴もいる。フロントで受付を済ませ4部屋分の鍵を受け取り再びロビーに戻り幹事長の一番重要な仕事を行う。参加費の集金である。

合計金額が予算通り集まった。¥1000のプラスもない。( ´•ω•` )  集めた軍資金は用途別に封筒に小分けし再びフロントに行き預けておく。こうしておけば盗難の恐れもなく幹事長としての勤めから一旦解放される。

皆んなはめいめい鍵を持ってすでに各部屋に散っていった。もう16時を回っている。宴会開始は17時30分であまり自由時間がない。まあ、このくらいの時間の方がちょうど良いのかもしれない。なまじ自由時間があると我が面々は何をするでもなく、ひたすら飲み続ける連中だからして。

鬼怒川での開催時は14時に受付けたら、それから飲み通し飲んで肝心の飲み放題宴会プランが始まった時にはだいぶ出来上がってしまい、ほとんど飲まなかったことがあった。喜んだのは旅館だけである。


急ぎ着替えて宿自慢の温泉に向かう。ここは湯量が豊富で源泉かけ流しなのも魅力の一つだが我がご同輩は気づいているのだろうか。・・・170L/分 PH8.3 弱アルカリ単純泉

裸で洗い場を歩いていると『〇〇も腹が出たなあ』と湯船から声が掛かる。お互い様だろうそれは!この歳で腹も出ていないのは病気だぞ。

ゆっくり内湯、露天湯の湯船につかり、しばしまったりとする。外にある園内庭園風呂は時間がないので明朝入ることにして部屋にもどる。

17時30分いよいよ1次会の始まりである。カラオケやゲーム用景品をザックから取り出し会場へと向かう。この時一緒に持ってきた宴会盛り上げグッズ(タンバリンやら拍子木、メガネなど)を忘れる。やれやれ、決めた行事もなかなか計画通りにいかないものである。

幹事長(山爺)の開会宣言の後、去年亡くなったOK氏を忍び全員黙祷を捧げる。昨年のクラス会でも亡くなったH氏の黙祷を捧げたが願わくば今後しばらくはこのようなセレモニーはしたくないものだ。

N氏による乾杯の音頭で元気よく宴会が始まった。N氏の近況連絡によれば痴呆症が進行中とあったがそんな素振りはない。まあ、痴呆症は自覚症状があるうちは大丈夫だよ、うん。記憶をなくし夜な夜な徘徊しなければ・・ってそれじゃ手遅れか。アボーン(´・ェ・`)

宴会場は畳ではなく囲炉裏と椅子の組み合わせで楽に座ることができた。このような席は体がややくたびれて故障の多い我々熟年世代にはありがたい。

しかし相手の前に廻ることが出来ないのでお酒のお酌などがやり難く、何となくしっくりこない。やはり宴会は和室に限るのだろうか。

今回は部屋に入ってから宴会までの待時間が少なかったこともあり飲み物がどんどんはけてゆく。『幹事!ビールがない』とやや酒の飲み方に難のあるT氏から声がかかる。幹事だとお!幹事長と呼べ!幹事長と!と言いたかったがまあ我慢した。下戸のために瓶コーラも若干準備したが誰も飲まない。わいわいがやがやと誠に盛況である。

5回開催のうち最初と2回目、2回分のクラス会の様子を編集した画像をカラオケモニターで流す。これには鬼籍に入ってしまった3人も数多く写っている。モニターが小さくて今ひとつであったが皆んな懐かしく見てくれた。

♫『酔が回れば~それぞぉ~れに、歌の一つも飛び出して』・・・居酒屋兆治の主題歌より。

セルフセットによりカラオケが始まった。口開けはやはりカラオケ大好き、自称、埼玉の五木ひろし・・と勝手に自分で決めている埼玉南部から参加のK氏である。

これが呼び水になり次々と歌が飛び出す。なにせ芸達者な面々である。宴会盛り上げに不自由はしないのでこの点、幹事は楽である。

幹事長の発案で100均一商品を沢山用意しカラオケを歌った人に差し上げるようにしている。これも少しは盛り上げの後押しをしているのだろうと自画自賛。

予定の2時間もあっという間に過ぎてお開きに近くなって来たので恒例のじゃんけん大会を行う。

【山爺の一言メモ】

じゃんけん大会:全員参加!隣同士がじゃんけんをして勝ち上がった同士が更にじゃんけんして勝ち残るゲームで優勝者に商品授与。

原案は参加者全員が100円を握り締めて隣同士でじゃんけんし負けたほうが勝ち残ったものに100円を渡す。これを繰り返し優勝者が総取りするゲーム。人数が多ければ多いほど盛り上がるが、お金を直接やり取りするのは少々えげつないので前述内容に替えて楽しんでます。

優勝者はなんと乾杯音頭を仕切ったN氏が勝ち残りました。自称痴呆症進行中なれば無心の勝利だろうか。(^0^)

一次会の締めの音頭は自称埼玉の五木ひろしことK氏により行われ無事閉幕です。

さて、次は二次会です。

二次会は旅館の近傍にあるスナック『浮路梨多』で行われます。店から送迎があるので15分後に玄関前集合です。服装は自由でなんと浴衣のままでもOKです。さすがは温泉街のスナックです。

ホテルから歩いても行けるのですがそこは横着な面々、送迎がないとブーたれる奴が続出するので今回も送迎をお願いしてあります。
スナックのママさんがワゴンで何往復もして送迎してくれました。
感謝、感謝です。


さてお店の中に入ります。もう先発組はめいめい席を確保してわいわいがやがや、やっている。部屋も広く雰囲気は申し分ありません。

毎回2次会の場所選びは事前に下調べで訪れることをする訳でもないので気苦労が耐えません。狭かったりボロかったりしたらどうしよう、ガラの悪い客がいたら嫌だなあと思ってしまいます。

幹事として安堵の瞬間です。幸いこれまで期待はずれ(あくまで幹事長の主観)の2次会場に遭遇したことはありません。まあネットで十分に下調べはしておきますがね。(^ω^)

服装はなんと山爺だけカジュアル服装。あとは全員浴衣姿で入店です。幹事は色々動き回らなければならないのでカジュアル服に着替えたのです。決して洒落っ気が出たわけではありませんよ。念のため。

皆んな乗りに乗っているのでここで幹事長から一言注意。『カラオケは1人3曲までを目安にお願いします。』我がご同輩はカラオケ好きな面々が多い。放っておくと歌い終わったら即、次曲をリクエストする人も出てくる。2次会は2時間である。全員が3曲歌うと仮定すると 17人×5分×3曲=255分 (4時間超)となってしまう。カラオケに夢中になるとこれに気がつかず次から次へと自分の好きな歌をリクエストしてしまう人が多い。

大体に多少上手いといってもそこは素人、カラオケは歌う当人が楽しいのであって周りはろくに聞いちゃいない。〇〇ショーではないのだから特定の人に次から次へと歌われたのではかなわない。

山爺の一言が聞いたのか今回は皆んな注意を守ってくれたようだ。そのせいかどうか普段歌わない人もマイクを握って歌ってくれた。宴会はこうでなくてはいけません。

楽しいひと時はあっという間に過ぎてゆく。この辺まで来ると山爺(幹事長)も酔が回って誰がどうしたか記憶があやふやとなってくる。

帰りもママさんが皆んなを赤いワゴンで送ってくれた。何人かは歩いて帰ったようだが途中で追いついて回収して帰った。

もう10時も回って年寄りは普段なら就寝のお時間だが我が同輩はこのままでは終わらない。ちょい悪親爺集団である。有志により3次会の開催です。遅くまで世間話や思い出話に花が咲きました。

山爺は途中で抜け出し部屋に戻り爆睡。だが床が変わると寝られない性分なので2時・3時と目が覚める。6時になったので床を抜け出し地下一階の大風呂と昨日行けなかった1階の庭園露天風呂へ。・・・・


庭園露天風呂は文字通り庭園内に露天風呂が散在している誠に風情のある所である。低料金ながらこれだけ施設が充実しているとは、この旅館の人気ぶりが分かると言うものだ。


朝食はバイキングだ。バイキング、バイキングというがバイキングとは北欧の海賊集団のことで料理名ではない。食べ放題方式をバイキング料理と命名したのは日本の誰かさんが勝手につけた和製英語です。ルーツは北欧の人々が個々に得意料理を持ち寄り分け合って食べる形式のことだ。

まだ夕食料理ならバイキングと呼べるかもしれないが質素な朝食をバイキングと呼ぶのは片腹痛しである。セルフ配膳朝食と名を改めるべきだろう。

こんなのがバイキングでは日本のバイキングは粗末料理だなあと北欧人が誤解して蔑視されてしまうだろう。

朝食を終えても山爺には最後の大仕事が残っている。宿代の精算である。フロントに行き預けた軍資金を戻してもらい精算!。おお!予定より若干安く上がった。(高速料金を多めに設定)
企画通りの費用で精算を終了した。

これで幹事長としての仕事はすべて終わった。やれやれである。あとは玄関前に全員集合して記念撮影し解散宣言すれば御終いである。

集合時間の9時になっても玄関前に全員集まらない。昨日1次会で説明したのに誰も聞いていないのか。(`ヘ´) プンプン・・・ようやく全員が集まり記念写真をパチリ。

これで17年度のクラス会も一応終了。バス組と自家用車組に分かれてそれぞれ帰途に着くだけだが、バス組は10時発なのでまだ時間がある。自家用車組はもう帰れるのだがバスの後を付いて帰ると言う。まったく仲間思いの連中だ。ん!それともなにか幹事長に内緒の陰謀でもあるのかな。

バスは予定通り10時に出発したが川治ダムで時間調整のためまず休憩。(おおるり直営の食堂へ入るための時間調整)更に鬼怒川湯けむり会館で土産購入ため立ち寄り、その後おおるり直営店”田吾作”で昼食をとった。

宿の送迎バスを利用するとおおるりGの直営店である土産物屋と食堂『田吾作』へ必ず立ち寄るようになっている。ここでお客から少しでも財布の紐を緩めてもらうための経営戦略である。おおるりG 恐るべし。

山爺は自家用車組にもテーブルを確保していたのだが誰もやってこない。どうしたんだろう。・・・なんと誰かの発案で昨日そばを食べたので今日はラーメンが食いたいと急遽近くのラーメン屋に変更してしまったようだ。まあ旅館を出た時点で幹事長の役目は終わっているので勝手にするさ。


愉快な仲間達・・・17年度高校のクラス会開催記・・完






















2017年6月22日木曜日

栃木・岩船山探訪


月1回の登山をすることに決めたので6月もどこかに行かねばなりません。
『ええっ!聞いてないよそんな話』
と自分の頭の中に住むもう一人の自分、サボ郎君が騒ぎ立てます。サボ郎君にそそのかされいい気になって怠けていたら6月も、月の半ばを過ぎてしまいました。6月17日(土)は町内会の会合で夏祭りの打ち合わせがあります。欠席すると後々なにかと不具合です。・・・不都合ではなく不具合とした作者の深謀にご注目。  Y(^ω^)/

ここだけの話、お祭りなんか好きな人だけでやりゃあいいんだがネ。建前論としては地域活性のため云々とか言っちゃって秋の運動会とともに地域の2大行事として相変わらず代わり映えのないことを連綿と続けている。なにせ日本人は何か始めるのは得意だが止めることは大の苦手と来ているからこれからも止めようと言う人はいないんだろうね。

かの太平洋戦争だって、誰の命令で始めたのかも定かでないから明らかに負け戦と分かってからも誰も止めようと言えず、止めるのに往生したものね。それにより死ななくても良い人々が多勢亡くなった。

あの時は幸い昭和天皇が聡明なお方だったから戦争を止めることが出来たけれど、もし優柔不断な天皇だったとしたら、あるいは日本に天皇制がなかったとしたら、日本本土も沖縄みたく全滅状態まで戦って、あげく指導者達の多くが無責任にも勝手に自刃ししたりして大混乱となり収集がつかなくなったかもしれない。実際、先の大戦では多くの指揮官が戦闘末期に負け戦になると自刃した。

そのような行為は一見見事な最後のように見えるが山爺に言わせれば無責任な指揮放棄以外の何者でもない。本当に立派な指揮官というものは最後まで戦い降伏した後も捕虜の屈辱に耐え、捕虜としての待遇要求を先頭切って交渉し事の収集に当たる人だ。

そんな立派な人はそうそういないから今頃は北海道はロシア、本州はアメリカとイギリス、九州は中国、四国はフランスの物になっていたかもしれない。そうなっていたら山爺もこの世に生まれこなかったかもしれないな。本当に日本人は止めるのが下手な民族だからねえ。

こんな民族性だから相変わらず例年7月・8月は各地で祭りが行われる。これらの大半は昔からの仕来りに引きずられて山爺のように嫌々やってる人が多いんだろうねえ。

来週は楽しい高校の同窓会があるので山に行けるのは明日(18日)しかありません。目下浪人中の山爺なれば平日ならいくらでも空いているのですが山だけは、なんとなく出かけにくいのです。その理由は
①平日早朝は通勤や通学客で電車が混む。
②お仕事や勉学といった真摯な人々に紛れて物見遊山丸出しの格好でいるのがなんか後ろめたい。・・・心なしかそういった視線が時々感じられます。・・そんなデカイ荷物、混んでるのに持ち込みやがって!なんてね。

というわけで18日(日)に出かけることにしました。幸いお天気も曇りで暑くもなく丁度良さそうです。ただし次週に同窓会が控えているので軍資金を抑えなければなりません。交通費のかからない桐生・足利・佐野・栃木あたりの山に狙いを絞り検討していると佐野の飛駒町の山中で(奈良部山)で男性が熊に襲われ大怪我のニュースが飛び込んできた。

飛駒って前によく行っていたゴルフ場があるところじゃん。あそこも熊出るんかいな。もともと今月はサボ郎君の意思が強く働き本格登山する気がしない。即、企画変更で前から行きたかった栃木市の岩舟地区にある岩船山(178m)に決めました。

駅から30分もあれば登れるので手抜き登山です。おまけに麓には町運営の格安温泉まである。こんな場所はそうざらにあるもんじゃない。しかも山爺の家の近傍なので交通費もさほどかかりません。

岩船山は霊山として有名で元栃木市民としては一度は訪れて見たいと前々から思っていたのですが未だ果たせずにいました。

小学生の頃の曖昧な記憶なのですがお袋さまか誰かに岩船山は死者の集まる山だから子供達だけで近寄ってはいけない。と言われたこともトラウマとなっているようです。

【山爺の一口メモ】

・岩船山高勝寺

岩船山は死者の霊の集まるところ、霊魂の集まるところといわれる霊山である。春秋の彼岸には近隣の人々が父、母、きょうだい、吾が子、水子の供養に登山する。
全国的に詠われる「帰命頂礼岩船の…」に始まる岩船地蔵和讃の舞台は当山です。
 また、古来より子授・安産の地蔵といわれている。徳川三代将軍家光の側室、お楽の方は岩船地蔵を信仰した。 江戸城に入る時、岩船から地蔵様をむかえて場内に祀り、子孫繁栄と武運長久を祈った。その御利益を得て生まれたのが四代将軍家綱といわれている。
 日本三大地蔵 岩船山は足尾山系の最南東端にあります。岩石の山で、山麓をJR両毛線が走り岩舟駅から山頂まで20分程で登山できます。
1周約1キロの三角形の山で山全体が船の形をしている処から岩船山と言われています。

ね!すごい履歴のお寺が山頂にあるんですよ。やはりこれは一度は行ってみないと。

ちなみに、この山は『岩船』と書き、住所や駅名は『岩舟』と表示しているようです。どのような訳があるのかは分かりません。・・・まあ舟は小型船で船は大型船のことなので山は大きいから船を当てたのかなあとは思うけれど・・・(^m^)

山爺の家から近いので今日はゆっくりと8時半の電車で出かけました。館林⇒佐野と乗り替え、それでもJR岩舟駅に1時間もかからず到着してしまいます。岩舟駅は小さな無人駅ですがここから馬不入山(うまいらず)・晃石山(てるいし)・大平山(おおひら)への一般向けのハイキングルートがあります。

これらの山はこの先の大平下駅から登り岩舟駅は下山駅として利用したほうが歩くのは楽になります。
そのためか岩舟駅で降りたのは日曜日だというのに山爺と地元の人らしき人の2人だけという寂しさ。

先月の奥多摩御嶽駅のように何百人ものハイカーが一斉に下車するのとはまるで違う異次元の場所です。

駅は小さな無人駅です。駅構内にも人影は見当たりません。駅を出てすぐに左折6~7分も歩くと岩船山の登山口に着きます。この間数台の車とスレ違いましたが第1町人とは遭遇しませんでした。

ここから岩船山の登りになります。坂道を登ると草刈り機のエンジン音が聞こえてきました。
右手の家で覆面男(覆面で年齢不詳。多分爺さん)が草刈の真っ最中、ついに第一町人発見です。相手が会釈したのでこちらも返礼しました。

いよいよ階段が現れました。この山は600段の階段が延々山頂のお寺まで続くそうです。

さすが霊山です。ひんやりとした霊気が襲います。ゾゾッ!!って今日は昨日(17日)と違い曇りで気温も低め、ジャンバーを羽織ったまま階段を登り始めました。

100段も歩いたでしょうか、左に祠が見えました。これをよいことに早速休憩、暑くなったのでジャンパーを脱ぎます。

なんか霊気漂う雰囲気良さそうな祠です。

すぐ横に東屋があるので水を飲みながら横を見ると広場があります。

正面は崖で、ここはよく子供向け番組の〇〇戦隊何レンジャーの爆破シーンロケによく使われている場所だそうです。付近の左側も同ロケや音楽コンサートがよく開催される広場があります。・・・これが本当のロックコンサートなんちゃって。


 しばし休憩した後またも、とぼとぼ長い階段を登ります。

『♫長い階段をおらは登っただ~』

・・んん!どこかで聞いたセリフだがそれにしてもやけに古いぞその歌は!。

下の方から女の子の声が聞こえてきます。振り返ると女の子とお父さんが黒い犬を連れて登ってきます。

手ぶらだし犬連れているので地元民でしょう。どんどん近づいてきます。


道を譲り先に行ってもらうことにします。

お父さんと女の子は元気に歩いていますが肝心の犬はもう歳らしく、いやいや登ってるのが見え見えです。時々休んで動きません。山爺とおんなじだなあと妙に親近感がわく犬です。


犬の方も山爺の考えを察したのか恨めしげにこちらを見ています。

『いいなぁ、あんたは自由に休めて。おいらはご主人様が煽るから簡単に休めないよ』

と目で訴えて、トボトボ階段を登ってゆきました。

ワン公、お前も大変だな頑張れよと念力を送る。



階段の傍らにはホタルブクロや紫陽花が咲いており山爺の目を楽しませてくれます。

やっと長かった600の階段が終わり見晴らしのよい展望台に着きました。

さっき降りた岩舟駅が小さく見えます。

登り始めて30分でお寺に到着しました。楽勝です。

先ほどの親子も休んでいます。もちろんワン公は地べたにで~んと座り込んでます。やはりお疲れの様子。なんかかわいそう。
 親子を見送り先を急ぎます。聖徳太子と書いた碑が立っていました。なんでこんなところに聖徳太子の碑があるんだろう?。

【山爺の一口メモ】

「岩船」の名前の由来は、日本書紀で饒速日命にかかわる神話に出てくる「天磐船(天磐樟船)」からきているようです。
4~5世紀ごろ、物部氏たちが関東や越後の地を訪れ自分たちの故郷である大和を遠く離れた彼らは、この地にも土着して地方の有力部族となっていきました。そして、自分たち物部氏一族が神とする饒速日命をお祀りした神社を作ったそうです。そのような神社は全国にたくさんあり、物部神社や磐船神社と名付けられました。岩船では、その神社の名前が「岩船」という地名になり、現在まで残っていたのではないかと思われます。

なんとまあ神代の昔から著名なところだったんですねえ。びっくりです


 さらに進むと左に三重塔と書いた標識があったので標識に従ってまたまた階段を登ります。やがて今日の第一目的である三重塔が目に入りました。1751年建立の高さ19mの宝塔です。緑の中にひっそりとそれは建っていました。周りには誰もいません。

静かな山中にあるので京都・奈良の宝塔よりはるかに威厳が漂います。いやあ来て良かった。左右の壁の彫刻もなかなかの物です。これで拝観料無料とはありがたや、ありがたやです。ハイ!
m(_ _)m





孫太郎(本殿)という案内板に従って本殿を目指します。坂道をちょっと登ると本殿に到着しました。んん!これが本殿?小さな祠と常夜灯があるだけですが場所はかなり広い。ここに昔は本殿があったのかなあ。どうやらここが岩船山頂のようです。・・・実際はもう少し高い所があるのですが危険なのか柵があり入れませんでした。きっと山頂の向こうは崖なんでしょう。・・・

テーブルが2組みあるのでここで少し早いが腹ごしらえ。梅にぎり1個とミニアンパン2個をいただく。

アルコールバーナーもザックの中にあるので珈琲でも入れたいところですが境内なので遠慮しました。・・・山火事注意の看板もあることだし。(~ω~;)))


本宮に下る途中に不気味なモニュメントが並んでいました。石仏にシャツや帽子が被せてあり妙に現世っぽい格好の石仏です。傍らに今脱いだばかりのような靴まで並べてあります。

若くして最近亡くなった人の供養に違いありません。周りは木々に覆われて薄暗く人っ子1人居ない。ちょっと不気味な雰囲気が漂います。


こりゃあ、確かに子供達だけで訪れる場所ではないわいと改めて実感した山爺でありました。





本宮に降りてから今度は奥の院という所を目指します。









ここも薄暗い道沿いに石仏群が並んでおり、あまり愉快なところではありません。








薄暗い山道をしばらく登ると奥の院に着きました。祠は建っておらずお地蔵さまが2体あるだけです。




お地蔵さまの左横をすり抜けて進むと崖に出ます。












ここが今日もうひとつの訪問目的であるビューポイントです。このV字型に崩れた崖はこの前の東日本大地震の時に崩壊したものです。

それまではこちら側と継っていたみたいです。よく見るとV字の左先端に白い手すりが見えます。遊歩道でもあったのかなあ?ギョギョギョ~!です。















侵入防止冊にもたれて夢中で撮影していましたが、ふと足元を見ると今自分の立っている位置の真下は崖が迫っておりいつ柵もろとも崩落してもおかしくない状態です。クワバラ、クワバラ、早々に現場を立ち去りました。














本宮に戻る途中に綺麗なツツジが咲いていました。地獄で仏とはこの事です。薄気味悪さを少し和らげてくれます。
















紫陽花も道端いたるところの咲いており和ませてくれます。






本宮に戻ると卒塔婆の大群が!またも霊の世界に戻りました。


血の池という表示のある場所があり白く濁った水が溜まっています。

















立派な山門です。寛畝保2年、1742年の建立です。両側の仁王様もなかなかの力作です。


岩船山は子授・安産の地蔵さまでも有名だそうです。

6地蔵がお行儀よく並んでいます。















ここは賽の河原、幼くしてこの世を去った子供達への供養なのでしょう。風車やおもちゃ、ぬいぐるみ、果てはベビーカーなどが供えられています。合掌!


高勝寺境内を十分堪能したので下山することにします。








下山は元来た道を戻るのではなく反対側に降りて関東ふれあい道を経由、今回のもうひとつの楽しみ岩舟の温泉、遊楽々館(ゆらら)に向かいます。


下山途中に眺めた先ほどの崩落現場です。先程は左側のてっぺんから右の崖を見たわけですね。剣呑剣呑だねえ。

下山は楽です。あっという間に里まで降りてきました。先ほどの崩落現場も小さくなりました。














里山の関東ふれあい道をのんびり歩き鷲神社を過ぎると再び山道に入ります。馬不入山の分岐までは人通りも多いのでよく整備されていました。











そこを過ぎると歩く人もあまりいないと見え道も笹薮が覆いかぶさっていたりクモの巣が張っていたりで荒れています。 ⇒






おまけに山菜採りの人や釣り人が頻繁に車道脇から入り込むようで枝道も多い。・・・なんと山中に農業用ため池があり、魚がいるようで釣り人が数人いた。・・・暗いのでブレた画像です。m(_ _)m


関東ふれあいどころではない。山慣れた人じゃないと遭難するぞ、ここは。山爺もすでに道探しで苦労し笹薮を潜るので顔面クモの巣だらけ。なんじゃあこれは!!関東クモの巣ふれあい道だぞここは!。

辛抱たまらず途中で車道に出て遊楽々館を目指すことにした。

やっと遊楽々館が視界に入りました。





岩舟総合運動公園の一角に遊楽々館はあります。広々とした運動公園です。やるじゃん岩舟も、大したものだ。

入湯券は自動券売機で購入だ。一般¥300のところ65歳以上は¥200のはずだが・・・っと!ありました。ちゃんと65歳以上の金額枠があり¥200です。自販機なので身分証明も不要です。こりゃいいや。


但し貸タオルが¥200と入湯料金と同じだから持参したほうがいいよ。



館内はすでに爺さんたちがカラオケの真っ最中でボリュームを最大限に上げてダミ声で歌っている。そりゃ¥200で1日遊べるんなら最高だがね。

脱衣所も貸ロッカーがあり山爺のザックでもすっぽり収納できる大きさだ。¥100投入してロックするが開けると¥100が戻る。いたれりつくせりだね。こりゃ。なんか妙に楽しくなってきた。

湯船も立派でなかなかのもんですよ。館内はお風呂の他、大広間(カラオケ舞台あり)休憩所や会議室や多目的部屋もあるようです。

岩舟町民は幸せだねぇ。まったく。

それにしても爺さん婆さんのカラオケのやかましいことと言ったらない。

入浴を済ませてカラオケ部屋を覗くと椅子に座った婆さんが一生懸命に歌ってた。


観客も知り合いが多いのか声援や笑顔満面で皆んな楽しそうにしている。こんな光景を目の当たりにしたらやかましいといった不満は消え、むしろ微笑ましいと思えるようになって来た。

結構、結構、お金もさほどかからなく毎日遊べる所があるお年寄りはこんなにも幸せなんだなあと思いました。

休憩所で休んでいると山歩きスタイルで場違いな格好の山爺を怪訝そうに婆さん達がじっと見ている。別に怪しいもんじゃありませんよ。単なるハイカーですと心で念じながらザックからサンドイッチやアンパンお菓子を取り出し昼食とする。ついで眠くなったのでちょいと昼寝!。軽く寝たつもりが前回の三ッドッケ山同様30分以上も寝てしまった。

そろそそ帰るとするか。岩舟駅まで30分もあれば歩けるだろう。

また周囲の景色をのんびりと眺めながら里山を歩き出す。折しも田植えのシーズンで田んぼは水が張ってある。逆さ富士ならぬ逆さ岩船を見ることができた。














こうして見ると説明の必要もないほど岩船の地名の由来がよくわかるね。確かに大きい船に見える。

ちなみに東日本の大地震で崩壊する前の岩船山をご紹介します。こちらのほうがより岩船らしいね。古代人が目をつけたのも納得です。

【川柳】

・岩船の 長い階段 犬もバテ
・名ばかりの ふれあい道で 遭難す
栃木・岩船山探訪の項・・・完


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天候が安定する7月下旬に南八ヶ岳縦走を企んでいます。茅野駅から美濃戸口まで路線バスで入山。日程と予定コースは次のように考えてます。


1日目:美濃戸口⇒行者小屋(泊)
2日目:行者小屋⇒地蔵尾根か中岳コル経由⇒赤岳⇒キレット⇒権現岳⇒権現小屋(泊)
3日目:権現小屋⇒三ッ頭⇒天女山⇒甲斐大泉駅

地蔵尾根経由か中岳コル経由か悩んでいます。一応、好天なら地蔵尾根経由、ガスってたら中岳コル経由にしようかなあと思ってはいるのですが、いずれにせよ文三郎道は避けようと考えてます。

このブログを読んだ経験者の方々からアドバイスをいただけると良いのですが。・・・・(´・ω・`)

行くとすれば30数年ぶりの高山での本格登山となります。普通の人は1泊2日、健脚者なら夜行日帰りでこなす山ですが、いささかガタの来ている山爺のことゆえ、大事を取って2泊3日で踏破しようと考えてます。

それでも昔から鎖場ありのハシゴありの険しい危険な山であることには変わりありません。一度天候が荒れれば遮る木々もないので強風がもろに襲います。

その分天候に恵まれれば大展望が望める素晴らしい山塊です。その上にアプローチが短かいときているので申し分ありません。

そんな山なので天候が思わしくなければさっさと中止や延期をするので単独の方が好都合です。

パートナーがいると遠慮やお互いの強がりが邪魔をして判断が鈍り、かえってリスクを背負い込んでしまう。だから昔から山爺は単独行が多いのです。

誰か書いたエッセイか忘れましたが(多分深田久弥)こんなことを書いていました。

『山を好きになるのは性悪女に惚れるようなもので何度もひどい目に遭うので止めよう止めようと思っても止められない。』

同感です。!! (´^ω^`)・・赤岳もかつて3回は登っているので昔の女に会いに行く心境です。えへへ!!。