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2022年11月30日水曜日

太田市・天神山古墳探訪記

GoogleMapというホームページがある。開くと世界地図が現れ、世界中どこの地域にもアクセスできる。

画面左上の検索覧に探したいもの、例えばホームセンターと打ち込めば表示中の地域周辺に存在するホームセンター各所が現れる。当該のホームセンターをクリックすれば店の内部その他の貴重な画像まで載っている。

さらに優れているのは画面右下にある人型アイコンをクリックすると一部の道路が水色の線に変わる。そこをクリックすればリアルな道路・左右の建物、山林といった現場のリアルな画像が出てくる。進行方向の矢印をクリックすればあたかも歩いているように好みの方向に進むことができるのだ。(GoogleMAPビュー機能)

登山では山中入れば指導標などが整備されており迷うことは希だが、登山口にたどり着くまで、あるいは下山後に街中で道に迷い彷徨することが多々ある。GoogleMapのこの機能を知ってからは予め現場の画像を見ておくことにより、初めての場所でも既知の場所に来たような感覚となり迷わず行動が出来るようになった。誠に有難い機能だ。

ただし、画像の掲載は所有者などに断りもなく掲載しているようだ。個人宅といえども表札や自家用車の有無、家の中まで丸映しで、プライバシーもヘチマもあったもんではない。

10年近く前になるが拙宅前の道路を検索したら表札丸映り、網戸越しに我が家の猫がカメラ撮影者を不審者めといった感じで睨んでいる画像がドカンと載っており、びっくりしたことがある。どうやら猫にはプライバシーは適用されないようだ。 (^ω^)

22年11月29日現在の最新画像をチェックしてみると雨戸は閉めた状態だったので室内は見えないが表札は相変わらず丸映りのままだ。さすがに自家用車のナンバーにはぼかしが入っているが車種は丸出し、これっていかがなもんかなあ。Googleに苦情を言えばぼかしを追加で入れるようだが・・・

画像掲載の賛否はともかく、山爺はこの機能を便利に使わせてもらっている。例えば花見・紫陽花・コスモスと打ち込めば近所の花の名所がすぐわかる。これじゃあガイドブックが売れなくなるわなあ。

過日、暇にまかせ(いつも暇ですが問題でも・・)古墳と打ち込んで表示画面を見ていると群馬県太田市の駅チカ(太田市東南約1km)に天神山古墳群という大きな古墳群があることがわかった。

東日本最大規模だという。我が家の近くに映画”のぼうの城”で知られることになった行田市の古墳群を探訪したことがある。その時訪れた古墳もそれなりの大きさだったがそれを上回る規模なのか?、これは行かねばなるまい。

太田駅南口を出てのんびり20分も歩くと天神山古墳群に着いた。古墳の構成は三つ、陪塚・女体山古墳・天神山古墳。最大なのが天神山古墳で墳墓の長さは210m・高さは16mあるそうだ。築造は5世紀前半。

太田天神山古墳 - Wikipedia



まず、陪塚から見てみよう。

古墳、ちっさ!

陪とは、付き従う、お供するという意味合いがあるから天神山古墳に葬られた族長の家来かなんかが葬られているのだろう。


説明板があった。読んでみると規模は小さいがそれでも直径35m・高さ3mの円墳だ。

族長の親族・家臣の墓と書いてある。小さいといえど墓として1600年もの間、存在し続けたのだからここに葬られたご仁は幸せ者である。



次に女体山古墳に向かう。

女体山古墳 - Wikipedia

前方にこんもりした森のような物が見えてきた。あれが女体山古墳だな。

女体山とは、なんとも色っぽい名称ですが天神山古墳の別名称が男体山古墳と呼ばれており女体山もそこから来ているようです。邪推はあかんよ。めっ!!


女体山古墳は帆立貝のような形状なので帆立貝型古墳という種類に分類されるんだそうです。円墳⇒帆立貝⇒前方後円墳と進化したのかな?
その規模は総長140m・円墳部106m・高さ7mだから円墳としては大きいほうだ。
築造は5世紀前半だが天神山より少し古いそうです。

山爺の素人考えで天神山族長の妃の墓かなあと思いましたが、こちらの方が先に築造となると、先に亡くなった?・姉さん女房?・ご母堂さま。そんなたわいも無い想像が楽しい。

いずれにせよこんな立派な墓に葬られたのだから天神山族長の勢力範囲はどんだけ~と思わずにはいられない。

周囲は芦のような雑草に守られて容易に近づけない。唯一小道が開いたところが有りそこから古墳内に進入することが出来ました。

この辺の古墳は近畿の古墳のように宮内庁の息が掛かっていないので柵も何もない。まあ、文化財保護の予算がないんでしょうなあ、出入り自由なのが嬉しい。古墳のてっぺんには小さな祠が祀ってありました。

さて、天神山古墳に向かいます。

さすがに天神山古墳は大きいです。保存状態も良く今も周囲は堀のようなもので囲まれています。




水こそ僅かですが、周囲は芦のような植物が生い茂っており野次馬の進入を拒んでます。


僅かに国道側から進入出来そうな場所が見つかったので10mも雑草をかき分け古墳内に進入することができました。(後でHPを閲覧しわかったのですが古墳の東側に見学用の小道が設けてあるようでした・・事前に調べんかい!山爺の悪い癖です、はい。





記念碑があるだけで説明版はありません。
古墳内は木々が生い茂りまるで山の中です。

左画像の小道は古墳上の尾根筋にあたります。

前方部から円墳部に移動中です。

山腹の南側、前方後円墳の前方部には祠ではなく立派な神社と鳥居があり丁重に祀ってありました。説明版はこちらにありました。

さすがは東日本最大級の古墳、でかいです。山にでも登っているような錯覚に陥ります。貴重な史跡でありながら自由に歩き回れるのがなんともありがたい。


行田・羽生(地名の起こりは埴輪からとも)・館林・太田は古墳が多く点在する。

この辺一体は古代より米の生産地、富と権力の集中が置きやすい地域だったんだろうなあ。と改めて古代のころの思いにふける山爺でありました。

【川柳】

・族長に 脅され墓盛る 民(たみ)哀れ

・大墳墓 造らせ王は 富を分け

さて、あのような巨大古墳は①人々を脅かして只で働かせた②富を分け与える手段として作らせた。どちらでしょう。山爺は②だと思います。①なら権力を失ったとたん墓は民衆により崩され、田んぼ造成の土にされてしまったと思います。

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①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転載は禁止で、行った場合、著作権法の違反となります。

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2022年11月16日水曜日

442年ぶりの天体ショー

 11月8日の夕方より皆既月食と惑星食が同時に起きるらしい。このような現象は442年ぶりらしく織田信長も見たとTVニュースが囂しい。442年前は1580だから本能寺の変の2年前だ、確かに織田信長も安土城から見たかもしれない。

皆既月食+月の裏に天王星が隠れる現象が同時に起きるらしい。天王星が隠れるのは4000年ぶりとか、縄文人が観て以来のことだ。う~ん気が遠くなるわい。

次に皆既月食+惑星食が起きるのは332年後の土星食。これは見なければならないだろう。


夕方に東の空を見上げると既に月の下側が欠け始めている。天候は雲一つない絶好の観測日和だ。慌ててこの間、買い求めたニコンCOOLPIXP500と三脚を引っ張り出して撮影を試みる。

このカメラの優れているところは36倍の超ズームが内蔵(800mm望遠相当)しているのでかなりのUP撮影が可能であることとモニターが自在に角度を変えられること。さらに難しい天体撮影もモード設定を選べば自動で条件をセットしてくれることである。

モニターのおかげで暗闇でも簡単に照準を合わせることが出来た。セットもトワイライトモードにして数枚をパチリ。
画像確認、なんとまあ、良く撮れているではありませんか。ニコンCOOLPIXP500恐るべし。







皆既に入り月が赤銅色に変わりました。これもしっかり捕らえてくれました。

画像編集してていたら左下に天王星らしきものも写っていました。

食に入る寸前の貴重な瞬間も偶然捉えたようです。素晴らしいカメラです。

こんな高性能のカメラだ、壊れたら大変。同型の予備機購入しておいたほうが良いかなあ。




一旦部屋に戻り時間を潰して再び観測を試みる。

もう皆既は終了し反対側が明るく輝き出してました。


こうして、442年ぶりの天体ショーは終りを告げた。人生80年(100年は大げさだろう)織田信長さんの時は50年、まさに『人間五十年 下天の内を比らぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか……』をしみじみ感じた夜でした。

【川柳】
・この次は 誰が観るやら 惑星食
・見て欲しい 次回の惑食 我が子孫 

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2022年11月2日水曜日

全国旅行支援使ってみました(榛名山散策)

 コロナで冷え切った観光業喚起策として政府による全国旅行支援なるキャンペーンが10月11日から始まった。いつまで?終わりは、これがはっきりしておらず12月下旬までとなっている。予算がなくなり次第終えるようだ。いかにも場当たり的な今の政府のやりそうな施策だ。

支援内容はざっくり右図のとおり、旅費の40%を負担してくれてさらに地域クーポンなるものがが平日なら¥3000もらえる。旅好きにとって誠にお得な施策だ。これは使わねばなるまいて。

利用方法は大きく二通りの方法がある。

①大手旅行業者(じゃらん・楽天・JTB・近鉄など)が発行する旅行セット商品(割引折込商品)から選択。

②自分で旅行支援登録されている旅館を探して予約⇒予約番号をもらう⇒STAYNAVIで会員登録(メールアドレス・・Gmailでも登録できます。とパスワードを決め登録)⇒所定の書式に住所・氏名・宿泊日・予約番号などの個人情報入力⇒支援番号がメールで送られてくるので宿でチェックイン時に番号を告げると割引+地域クーポンが支給される。

以下がステイナビのHPです。

STAYNAVI 宿泊TOP

山爺は旅行業者というものが昔から馴染めない。直接の方が安いに決まっているという偏見がある。商品を覗いてみたが高級ホテル中心に商品組んでいるように思える。高額宿泊代がこんな下がります。さあ、どうぞといった姿勢が見え見えだ。

山爺は②で利用することにしました。場所は伊香保温泉の老舗旅館の金〇〇、宿代が1万円ちょい欠けだから割引後は6千円以下となった。平日宿泊なので地域クーポンは¥3000が支給される。差し引き3千円以下で老舗温泉でのんびりすることができる訳だ。旅行支援キャンペーン万歳。

伊香保に決めたのには訳がある。ここからバスで30分くらいのところに榛名山があり紅葉目当てのハイキングに好都合なのである。

早朝に家を出てJR渋川駅に9:58着、ここから10:05発のバスで榛名山へと向かう。乗り継ぎ時間がないのでのんびりトイレ休憩も出来ない。

10:55登山口着、天候は今にも雨が降り出しそうで心もとない。取り敢えず榛名湖全体が俯瞰できる硯岩(すずりいわ)1251mまで急ごう。

登山口は国民宿舎吾妻荘の右側にある。




20分も登ると掃部岳(かもんがたけ)1449mと硯岩の分岐点到着。左に行けば榛名山の最高峰、帰部ケ岳に至る。ちなみに榛名山とは榛名湖周囲の外輪山の総称で榛名山そのものの山はない。天候が思わしくないので先に榛名湖ビューポイントである硯岩に向かう。



道が急峻になり岩がごろごろしてきた。こりゃあ観光目的で湖畔をぶらついたついでに思いつきで革靴・ハイヒールで登ろうとしても無理だなあ。第一危険だわいなどと思いながら登り続けること10分、急に前が開け榛名湖が飛び込んできた。硯岩に到着だ。先ほど通った国民宿舎吾妻荘が小さく見える。

この岩の先はスッパリ切れており絶壁になっている。100mはあるだろうか、しゃがみこんで岩に掴まりながら恐る恐る覗き込むと足裏がムズムズする。こんな場所での撮影には細心の注意が必要だ。座り込んだ姿勢でシャッターを切る。

ファインダーを覗き込み不用意に立ったまま夢中で撮影すると知らず知らずのうちに前のめり姿勢を取ってしまうので剣呑だ。

人間の頭は相当重いのでバランスを崩して転落の憂き目に遭う。クレヨンしんちゃんの作者、臼井儀人氏が2009年に荒船山の絶壁から転落死したのはそういう所作が原因なのではと山爺は思っている。遺品のカメラの最後の記録が崖下を写した画像であることが何よりの証拠だ。

パノラマ映像も撮ってみよう。紅葉時期には少し早いがなかなかの眺めだ。雨模様でも肉眼ではそれなりに感嘆出来る景色なのだが機械(カメラ)では表現がイマイチになる。晴れていたらもっと綺麗に撮れていたろうに、誠に残念だ。



このビューポイントでドリップコーヒーでも、と今日はガスコンロも持参して来ているのだが、生憎昨夜からの雨で下はぬかるんでおり腰を降ろす場所がない。
そうこうしているうちに小雨がぱらついてきた。お茶どころではない急ぎ撤収。元の分岐点まで降りてきた。

さて、帰部ヶ岳へはどうしようか、ここから往復約2時間。行くか行かざるべきかそれが問題だ、せっかく来たのだから・・とは思わない、山爺即決『行くのや~めた』・・雨ん中歩いたってしょうもない。とっとと下山し国民宿舎まで戻ってきた。時間が余ったので予定にはなかった榛名神社に行こう。3kmくらいなので歩けない距離ではなかったが運良く路線バスに乗れた。

榛名神社はあまり期待はしていなかったのだが、境内全体を沢や岩峰、杉木立などで上手くレイアウトし最奥の本社は自然の岩峰を取り込んで荘厳な雰囲気に包まれている。近年パワースポットとして人気なのもうなずる。
【山爺の一言メモ】

主祭神

赤城山妙義山と共に上毛三山の一つとされる榛名山の神を祀る神社で、現在の主祭神は火の神・火産霊神と土の神・埴山姫神である。水分神・闇神・大山祇神大物主神木花開耶姫神を合わせ祀る。
南北朝時代ごろから上野寛永寺の下に属し、高崎市中里見町の里見山阿弥陀院光明寺から別当が派遣されて管理がされてきた。

建物

・榛名神社 6棟(建造物) - 内訳は次の通り。平成17年12月27日指定[2]

本社・幣殿・拝殿(合わせて1棟) - 春日造本社と入母屋造拝殿の間を幣殿でつないだ複合社殿で全体としては権現造棟札により文化3年(1806年)の建立と判明する。屋根を銅板葺きとし、


柱、梁などの各所に華やかな彩色と彫刻を施している。本社は背後の御姿岩と接続しており、御姿岩内の洞窟御神体を祀っている。

・国祖社及び額殿(合わせて1棟) - 本社・幣殿・拝殿の向かって左に建つ。国祖社は元々勝軍地蔵阿弥陀仏を安置していた本地堂で、享保年間(1716 - 1735年)の建築、接続する額殿は文化11年(1814年)の建築。本来は神楽拝観所。

・神楽殿 - 明和元年(1764年)の再建。舞台は板張りで三方吹放ちとして、格天井には花鳥図や神楽面が描かれている。


・双龍門 - 安政2年(1855年)の建立。入母屋造銅板葺きの四脚門。竜の彫刻や水墨画が施されていることから双龍門と呼ばれるようになった。

・神幸殿 - 安政6年(1859年)の建立。神幸祭のとき神輿が出御しとどまる社殿。古制により彩色は施されていない。

・随神門 - 弘化4年(1847年)の建立。入母屋造、瓦棒銅板葺きの八脚門。元来は仁王門、神仏判然令が出されたとき隋神門と呼ばれるようになった

それにしても縦長の神社だなあ。しかも坂道と階段が延々と続く。車やエスカレーターといった文明の利器の恩恵にあやかる迂回路もない様だ。頼れるのはおのが2本の足のみ。山男の端くれの山爺でもいささか疲れた。一般の参拝者はさぞ疲れるだろうに。


本社は生憎と改装工事中で全体は拝めなかったがここに到着するまで散々苦労しているので霊験あらたに思えてしまう。創建者の思惑に見事はめられ、お賽銭をはずんでしまった。
周囲は杉の巨木がズラリで本社を盛り立てている。すっかり洗脳された山爺はすぐ下にある社務所売店でお守りまで買ってしまった。榛名神社の計略恐るべし。
バス停に戻る途中で見つけた倉掛岩なる自然が作り上げた橋のような物を見つけた。来るときは傘さしていたので見逃したらしい。
小雨が降り続いて寒い。山爺の携帯温度計は8℃を指している。さて、宿に戻って温泉に浸かりのんびり過ごそう。

宿の夕食はバイキングスタイルで70分飲み放題付きだが、最近滅法酒に弱くなった山爺、ビール一杯・日本酒1本を消化するのがやっとである。経営が苦しくなったのだろうか、なんか料理の質も落ちたような気がするなあ。豚肉フェァー?、牛肉はどこに行ったのだ~。
【川柳】
・絶景は 恐怖と引換え 硯岩
・硯岩 足裏掻痒 我慢撮り
・これでもか 霊験ずらり 榛名山

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