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2022年5月15日日曜日

第44回首都圏孔球親睦会奮戦記と迷い子猫

 コロナという厄介な病が流行ってから、はや3年目。一向に収まる気配がない。いつまでも自粛、自粛で大人しくしていては山爺の大切な人生が終わってしまうではないか。なにせ、わしにはもう後がないのである。

我々はコロナが終焉するという希望的な考えを捨てなければならない時期に来ているのかもしれないなあ。コロナのバカめが、いつまでも居座り続けるなら勝手にしろ。わしは知らんぞと居直るのだ。

というわけで我が首都圏孔球親睦会はコロナを横目に見ながらゴルフコンペ継続中です。

5月8日(日)に第44回首都圏孔球親睦会ゴルフコンペを大平台CCで、いつものごとく平然と開催しました。

それにしてもコロナ流行をうまく逆手にとっているのがゴルフ場かもしれません。ここ大平台CCも感染予防対策と称して

①風呂はなし、シャワールームだけ・・湯船に入るのとシャワーによる感染の差ってあるのかいな???

②ロッカー閉鎖・・・なんでだ~、ロッカーが何をしたというのだ。単にロッカーの取手消毒が面倒なだけじゃないのか。ロッカー室そのものを全面閉鎖なら対策として納得だが、利用することは出来るのだ。その場合は別途¥380徴収とは、呆れたもんだ。

③キャリイバッグの運搬セルフ化

玄関での係員の出迎えとキャリイバッグの引き取り運搬はなし。自分でキャディルームまで運んでくださいときたもんだ。かくて無様なおじさん方がエッチらとフロント前を大きなバッグをぶら下げて通り過ぎてゆく。

バッグ運搬が感染源になるとは到底思えない。なんでもコロナのせいにするな。しまいにゃコロナが怒るゾ。便乗サボりもいいとこだ。

④プレー後のクラブ清掃はしない。・・はいはい、分かりましたよ。後片付けも自分でやりゃあいいんだろう。

⑤料金精算が自動化・・・といえば聞こえが良いが、要はレジ操作をお客に担わせているだけではないか。

これだけ省力化に協力しているのだからさぞや料金が安くなるのかと思いきや、ゴルフ場は現在売り手市場、密を避ける数少ないレジャーとして逆に繁盛している。それをいいことにコロナ前と比べると休日料金が¥2000くらい上昇中だ。・・お客に不便を強いるのだから勉強するのが筋とちゃうか?。

そのうち完全無人ゴルフ場なんて出現するかも・・・料金は事前にコンビニなどで振り込ませ、ゴルフ場到着後は自分でゴルフカートにバッグを載せて暗証番号を打ち込むとカートが動き出す。昼食はパネル操作でメニューを選択、ロボットが食事を運んでくる。そしてプレー後は自分で片付けて、とっとと帰る。なんてシステムが今にも出来そうだ。

とにかく、なんでもコロナのせいにして、どんどんお客を不便化させておきながら料金は値上げするという経営姿勢に山爺は怒っておるのじゃよ。(`ヘ´) プンプン

でもね、大平台さん今日8日(日)はGWの最終日で安かったことは付け加えておきます。

さて冗談はともかく、今回も10名の方々がエントリーしてくれた。今日のトピックは栃木地区から40代のKUさんが新たに加わったことです。北関東からも参加、いよいよ会の名前の面目躍如だ。

いつものように顔シャドーの記念撮影、


今日のスタートは東コースから、№1h340y 打ち下ろし左OB、右に池が控えており、出だしから侮れない。

先発組(9:15)は埼玉中央区SEさん、埼玉南区Iさん、東京地区のKAさんだ。(打順のとおり)

次発組(9:22)は埼玉中央区TAさん、栃木地区KUさん、埼玉東北地区HAさん、埼玉中央東部地区SUさん。SUさんは初参加以来2連勝で今日は3連勝がかかっているためか練習に余念がない。

最終組(9:30)は埼玉中央区NUさん、山爺、さいたま区のYAさんである。YAさん前回参加時に最下位となりハンディが軽くなった。彼も密かに優勝を狙っているかも?

さて、先発組の状況は?


次発はどうでしょう。


さて、山爺のグループは


山爺はくじ引き打順は2番手と好きなポジションゲット。

1番手は最近不調のNUさん。目一杯叩いた打球は、真っ直ぐに・・おやあ、今日はくるかな。

さて山爺です。左OB、右池、油断するといきなり大叩きの恐れがあります。ここは慎重に左右に曲がらないアップライト気味に打とう。小細工が災い。打球は頭叩いて急降下、崖をコロコロ。こらあ~下まで落ちろ~、と叫んでも虚しく途中で止まってしまいました。

3番手のYAさん、明らかに抑え気味のショットはジャストミート。

さて坂の途中からの山爺の第二打は無理せず8番Iで下に下ろしました。うまくセンターキープ。第3打でグリーン手前へ、4打目がトップのミスショット、結果は5オン2パット。早くもお鳥様のご降臨です。ジャジャーン。

その後もくすぶり続けてダボ・ダボ・9(大叩き)ダボ・トリと大低迷。上がってみたら60ジャストの大乱調。('`ァ'`)  .  。o  (ダメだこりゃww)

午後もダボとトリが交互に現れる大不調で不思議と(不思議でも何でもない・下手なのだ)ボギーで上がれません。何かの祟じゃぁ~。結局午後も57の御乱行で終了。ガックシ。

大平台の成績です。埼玉中央東部地区のSUさんが親睦会初となる3連勝を見事達成、賞品多数をさらってゆきましたとさ。山爺?当然最下位です。ふん!!


【川柳】
・パーおろか ボギーも取れず 大乱調
・今更に ゴルフむずしと 達観し
・学問も ゴルフも終身 努力かな

【捨て猫の保護、そして死】

ゴルフから帰り、家に入ろうとすると、どこかで子猫の鳴き声がする、もうあたりは夕闇で薄暗い。よく見ると玄関扉の脇に小さな物体が動いていた。・・・小さな小さな子猫である。抱き上げるとさらに激しく鳴く。まだ目が開いたばかり、生後10日くらいであろうか。

我が家は公園が目の前、時々子猫が捨てられることがある。この子も捨てられて箱から抜け出し自力で危険な道路を横断、我が家にたどり着いたに違いない。

子猫を抱きながら家に入って事情を話す。家内と娘二人の意見は一致しており可愛そうだけれど家で飼うわけには行かないと猛反対された。

我が家ではかつて猫を飼っていた。娘達が幼少の頃から可愛がり16年も一緒に暮らし家族同然の扱いだった。それが突然亡くなったのが6~7年前。ペットロス症候群と簡単に言うけれど、いざ体験してみるとその悲しみは半端でない。その時は家族一同大ショックで1ヶ月以上も暗く落ち込んだものだった。

娘たちはその体験をもうしたくないというのだ。もっともな考えだと思う。今から飼えば猫より山爺の方が先に逝っちゃうかもしれないし。

しかしながら、この子猫は必死の思いで公園を脱出し我が家に救いを求めに来たのだ。見過ごすには忍びない。今晩から天気予報によれば雨、公園に戻せば濡れそぼり寒さで生き延びられないのは明らかだ。

仕方がないから表の濡れ縁に急ごしらえのダンボールハウスを作り、中にボワの布切れ・子猫用のミルク・離乳食を入れて様子を見ることにした。子猫はミルクには手を付けなかったが離乳食は少し食べたようだ。

抱き上げてやると狂ったように鳴きながら山爺の腕と腹の間にしきりに潜り込もうとする。潜ると母猫の感触を思い出すのか鳴くのを止めて大人しくなる。こんな小さいうちに捨てるなんてなんてひどい奴もいたもんだ。せめて自力で餌を食べられるようになってから捨てろよ、と怒りがこみ上げてきた。

翌日の朝、箱を覗くと元気に鳴いて箱から出ようとしきりに動き回っている。
うん、これなら生き延びるかな。二週間もして大きくなったら保護猫活動者に引き取ってもらおうと家族にも伝えた。

ところが3日目の朝、覗いてみると丸まって寝ており昨日の元気がない。餌も食べた様子がない。お昼ごろ覗くと横倒しになってしまい弱々しい声で少し鳴くだけ。明らかに衰弱している。

そして3時ころには全然動きが止まり、とうとう夕刻には亡くなって体が硬くなってしまった。我が家に救援を求めてから、たった3日の短い命がこうして消えた。山爺としては生きるチャンスを与えたつもりだったが、自力で満足に餌を取ることもできない子猫に対して手当が不十分だったのではと、反省しきりで後味の悪い始末となった。
短い間だったが子猫の生きた証を記録してやるのがせめての供養と、ことの顛末を載せた次第です。名前もないと可愛そうだ。ちびトラとでもつけてやるか。

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②作者以外の方による無断転載は禁止で、行った場合、著作権法の違反となります。

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2022年5月3日火曜日

秩父の羊山公園散策

 巷で言うゴールデンウイークが近づいている。勤め人時代は胸ときめく週間だった。残雪期登山に放浪旅にと夢中で計画を立てて出歩いたものだ。今となっては年中暇な山爺には無縁となってしまった。むしろ期間中はどこに行っても人、人なので家にこもる方が多い。


山歩き人の習性で天気予報は日に何度となく目を通す。

家にくすぶり続けるのは体が錆び付きよろしくない。連休前にどこかに行かねばならないとの強迫観念に囚われながら天気予報に目を通す。
27日が雨、29日も雨で28日だけ晴れ間の予報だ。今頃咲いている花はと思いを巡らす。芝桜が撮影には格好の題材なのでは。

我が家からほど近い茂林寺に芝桜の名所、野鳥の森公園があったがコロナの影響で閉園と聞く、ここは秩父の羊山公園まで足を伸ばしてみるか。

前日、ニコン一眼レフの80mm・105mm・210mmのレンズをカバンに放り込み準備をする。

4月28日、早朝に家を出て秩父線で一路秩父へ。御花畑駅で西武秩父線に乗り換え横瀬駅で下車、ここから羊山公園に登って公園を縦断して御花畑駅にもどるつもりである。

時間があったら西武秩父駅前にある祭りの湯か横瀬地区にある武甲温泉にでも立ち寄ろう。


9時14分に御花畑駅下車、駅舎を左に出て路地を100mほど歩いて2本目の大きな通りを左に曲がり踏切を渡る。渡るとすぐに右に入る路地があるのでそこを抜ければほどなく西武秩父駅だ。(徒歩2~3分)


ここに来るたび、否応なく小資本の秩父鉄道と大資本の西武鉄道を見比べさせられることになるのであるが、その差のあまりにも違う作りには感心するやら呆れるやらである。資本主義の見本ここにあり。

なぜ、同一の構内に乗り継げるよう工作できなかったのかなあ。大資本のエゴと小資本のあきらめ?により最初から交渉の余地がなかったのかなあ。

かくて利用者はこの先、何十年も風雨にさらされる露天を歩いて乗り継ぐという不便を被らなければならないのである。


横瀬駅に9時36分到着。ここは去年の9月にも寺田棚田の彼岸花群落の撮影に訪れている。駅前にテントが張ってありお嬢様方々?が、おいでおいでしている。立ち寄るってみると芝桜見学(有料¥300)すると地域振興クーポン¥500をいただけるそうな。ありがたくクーポン引換券を頂いてから現地に向かう。

駅前から地下道(池袋寄)をくぐって反対側に出て里山をのんびり歩き出す。


武甲山が間近にでーんと見えるが天気予報と違え曇り空、山頂付近はお隠れです。


民家の石垣に綺麗な芝桜が咲いてます。もう目的の花を愛でてしまいました。

20分も歩くと宇根口の料金所に到着。料金¥300を支払い中に入ると地域振興クーポン引換所があったので早速手続きして¥500のクーポンをゲット。
さっそく芝桜の咲く園内に入場。平日なのに大変な賑わいである。

咲き具合はここにきて寒さが続いたせいか7分咲きといったところでしょうか。GWが丁度見頃になりそうです。



武甲山は相変わらず山頂は雲で見えません。しかしながら月並みな評価ではありますが、芝桜の咲き様は見事の一言に尽きます。


しばし、芝桜の響宴をご覧あれ。










さて、芝桜を堪能したので移動です。武甲山資料館というところがあるのでそれを訪ねてみよう。

途中の山道に芝桜に負けず、あたいらだってとばかりに八重桜や山吹が咲き誇っていました。こちはら無料で見られます。

(^ω^)









今にも飛びそうなたんぽぽの綿帽子。


見晴らしの丘というところにやってきました。見下ろすと秩父市が一望です。

休憩テーブルがあったので急ぎ昼食。公園なのでガスコンロは使えません。ポットからお湯を注いでミルクコーヒーを作り、いつもの梅握り・ミックスサンドで腹ごしらえ。


腹も膨れたので武甲山資料館へ、入館料¥200を支払い中へ入る。展示品は熊、猪、鹿の剥製、岩石標本といったところで見所は特にありませんが、唯一昭和30年代の武甲山の姿と現在の比較写真が目を引きました。



昭和30年代、高度成長前の武甲山の姿です。石灰岩の採掘は右端のみで武甲山の由来である甲の姿がよく現れています。

山爺は昭和40年代後半にこの山を登頂しましたが、その頃はまだこの姿を留めていましたよ。



それがどうでしょう、高度成長を機にセメント需要が高まり機械力を活かして山のてっぺんからじゃんじゃん掘り崩し、ダンプカーでどんどん運び出す。現在はこの有様となってしまいました。

山頂付近の平たいところをダンプカーが行き来しているのがよく見えますよ。

唯一、救いなのが南面(写真の反対側)側で、こちらの地質は石灰岩ではないので採掘に値しないそうです。

しかしながら北面(秩父市側)はそのうち下まで掘り尽くされてアイガー北壁のようになってしまうかもしれません。

そうなったらロッククライマーの聖地になるかもです。掘り尽くすまでは止めない!なんと人間は浅ましい性を持っていることか、いやだ、いやだ。

【山爺の一言メモ】

武甲山となるまでの山の名前の変遷が掲示してありました。

嶽(嶽山) タケ(タケヤマ)

古い時代、まだ言葉のみ用いて文字を持つにいたらなかった頃には「たけ」・「たけやま」と呼んでいました。人々にとってこの山は秩父の象徴であり、神奈備山(カナビヤマ-神様のこもる山)として崇められてきました。この山名は現在「武山」(タケヤマ)に残っています。

知々夫ヶ嶽-秩父ヶ嶽(チチブガタケ)

第10代崇人天皇の時代に、知知夫彦命が知知夫の国造に任命され、秩父神社を拠り所にして神体を奉祀しました。知知夫国時代へ入った時点で「知々夫ヶ嶽」と呼ばれるようになりました。江戸時代の文献に「秩父山」と見えるのは古代の名残でしょう。

祖父ヶ嶽(オオジガタケ)

大宝律令が制定(701年)されて、武蔵国初代の国司として赴任した人物が引田朝臣祖父です。この名前が冠せられて「祖父ヶ嶽」と呼ばれるようになりました。

武光山(タケミツヤマ)

平安時代、山麓地域に武光庄という荘園が成立しました。武光とは荘園の開発者名であったのでしょう。これによって「武光山」と呼ばれるようになりました。

妙見山(ミョウケンヤマ)

1235年秩父神社は落雷により炎上しました。これ以降同社に妙見大菩薩が合祀されその後秩父妙見宮として隆盛しました。これにより神体山の名称も「武光山」から「妙見山」へと変化しました。

武甲山(ブコウザン)

日本武尊が登山されて武具・甲冑を岩蔵に納め、東征の成功を祈ったところから山名が「武甲山」になったという伝説が元禄時代の頃から秩父の人々に伝承され定着しました。


さて、今日の予定は終了、資料館から山道を選んで下山すること10分ほどで国道209号に出ました。右に行けば武甲温泉(左画像)


左に行けば西武祭りの湯(左画像)です。当初ひなびた雰囲気のある武甲温泉に行こうとしましたが手に入れた¥500クーポンの対象外で使えない。(゚д゚lll)


仕方なく祭りの湯に入ることに決定。


祭りの湯の入口にシャクナゲが咲いてました。里ではもう咲くんですね。5月末はシャクナゲ撮影の山旅かなあ。


2時間近く、のんびり出たり入ったりしてから帰路につきました。


【川柳】
・羊山 訪ねて棚ぼた クーポン券

・山の湯も 地区クーポンで 温まり


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