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2017年1月27日金曜日

消防設備士再講習 Part1

山爺はこう見えて数々の国家資格を持っています。その大半は以前在職していた家電メーカーで上司の命令により嫌々取ったものですが、この家電メーカーの存続が危うくなってきた50代半ば以降には将来を見越し(退職)ボイラー技士2級・防火対象物点検資格者といった資格を自主的に(自腹)取得しました。

防火対象物点検資格者は歌舞伎町火災で大量焼死者災害が発生したことに伴い特定の建物の防火査察を民間が行えるようにした新たな制度で専用測定器具など必要がないので開業資金がなくても個人開業できるかなあと甘い動機で取得したのですが・・・結局、履歴書のお飾りとして役に立つことになりました。  (´+ω+`)

取得した国家資格のうち消防に関する資格が4点ほどあります。1点を除いては当時(平成15年頃)の役員の思いつきで消防関係の新事業開設を企画したことに伴い、これまた嫌々取らされた資格です。社内どこを見渡しても誰も実務経験者がいないなか、新たに人材を引き抜くわけでもなく適当に人選をして新商売を始めてしまうところがなんともいい加減ですごい会社でした。殿様商売丸出しです。

この会社は大企業にありがちな組織上の欠陥がありました。ISO管理の取得などにより国家資格者の必要性が生じると管理職、自らは絶対に取得に動きません。もっぱら気の利いた平社員に命令し取り繕います。その結果、平社員は知識や技術が向上し上司はその業務にまったく理解不足のままといった、ちぐはぐな組織が出来上がることになります。野球経験の全くない者が監督をやるようなもので勝てる訳がありません。

昔々の昭和40年代の頃、水質汚濁防止法という法律が施行され山爺の工場でも有資格者が必要となりました。その当時はまだ管理職も率先して受験する気風がありました。山爺の直属課長も張り切って勉強会など開催してくれて他工場の関係者も集まり皆で受験に挑みました。お陰で山爺は見事1発合格です。その時の合格免状はいまでも大切に保管してあります。なんせ発行人が通産大臣田中角榮だからして、希少価値です。(^0^)

早速課長に報告しました。『課長おかげさまで受かりました、課長は?』 『うん!僕かね、まだ来ないね』 いやあ、私も当時20歳そこそこでウブだったんだねえ。状況確認もせず迂闊に報告に行ってしまい課長に恥をかかせることに。今でいう空気読めない男でした。私は合格、課長は不合格だったのです。当人の名誉のために言うと他工場の人も最初は確か全員落ちたと思います。

私の心証がこれ以降、悪くなったことは間違いありません。あの当時はそれ以外でもまったく空気読めない不器用な男だったので随分損ばかりしてきました。

それらが原因でその後、管理職の資格受験は制限されたのではと思ったりも・・・・ってそんな訳ないか。・・・でも人を指導する立場の人が受験に失敗して平社員が受かったのでは組織管理上極めて具合が悪いものねえ。誰でも出来れば受験は回避して不合格のリスクは避けたいよねえ。   (´▽`*)アハハ

会社役員の全くの思いつきで始めた消防点検事業ですが当然国家資格者以外は点検業務をする権限がありません。そこで防災面に少し知識のあった山爺に白羽の矢が・・・断ることを知らない山爺は引き受けざるを得ませんでしたが受験手続き自体からして誰も分からず全部自分で調べて対応しなければなりませんでした。

事業開業日程はまさに絵に書いた餅のような中身のない日程をいとも安易に決められてしまったので受験まであまり日にちがありません。勉強は通常の業務終了後、会議室におこもりし連日受験勉強しました。さらに土日返上で家でも勉強です。『なんで俺が!』と、ぶつぶつ言いながら・・・努力の甲斐がありなんとか受験に合格しました。

無事合格するとそれまで防空壕に入っていた人々(知らん顔をしていた方々)が壕から出てきて、すぐにでも開業できると思い、さあやれ、始めろ、金は出すぞ、何が必要だ、と矢継ぎ早に催促です。これでは会社の組織が弱体するのも頷けます。まさに旧日本軍の組織そのものです。

日本軍の場合は幹部将校はいつも安全な後方陣地で指揮を執り被害甚大なのは下士官・兵のみ。日本の軍隊を評してあるアメリカ軍人が『下士官・兵は強かった・愚かなのは高級将校』とも言っています。また、こんなジョークもあります。アメリカ人の将軍にドイツ人の参謀が付き日本人の下士官と兵士で構成された軍隊が最強だとも。

今の日本の会社組織も相変わらず旧日本軍と似たそんな感じがします。N自動車が調子がいいのは?社長が外国人だからかなあ。しかも会長兼社長兼CEOだもんね。権限独り占めでなんでも即決かなあ。T芝みたく副社長以下役員を何十人も作って美味しいところを分かち合うムラ社会構造では平常時はうまく機能しても経営危機に陥ると身動きが取れずどうしようもなくなる。とうとう空中分解寸前まで追い込まれてしまったものねえ、この先どうなるんだろう。地下で創業者のカラクリ義衛門(田中久重)さんきっと泣いてるよ。

資格を取得したとは言え、車で言えば学科に合格しただけで運転そのもの、つまり点検の仕方、報告書の書式やまとめ方なんかさっぱりわかりません。社内の人間はおろか他工場にもそんな知識人はいないので誰にも相談できません。第一もっと有資格者を増やさなければ商売として成り立ちません。これらも全部私一人でやらなければなりませんでした。

それでも起業当初は私の懇意にしている人が課長に就任し何かと相談しながらやって行けたのですが・・・なんとこの人は中途で業務を放棄、会社を退職し海外の別会社にとっとと赴任してしまいました。

途方にくれた時に山爺を助けてくれたのが当時我が会社の消防設備点検を委託していた東京にあるS社のT社長(のち会長に退き、残念ながらすでに他界)と現社長のK氏でした。このお二方には受験の段階から新事業立ち上げ~営業活動まで大変お世話になった、いわば我が師匠にあたります。このお二人がいなかったなら私もその事業は投げ出していたと思います。今も足を向けては寝られません。・・・ん!東京はどっちだ?こんだけ持ち上げればいいかな。(^0^)

K社長とはそれがご縁となり今でも良き友人としてゴルフ付き合いなどをさせていただいております。

そんな訳で嫌々始めた仕事でしたが、こんなまとまりのない組織では会社の景気が回復するはずもなく、まもなく閉鎖となり北茨城の工場に吸収合併となってしまいました。やっとお付き合いを始めたお客さんに今度は点検業の廃業の連絡をしなければなりません。ひどい話もあったもんです。

お客といってもお相手は100%、大企業の威を借りて押し売り的に獲得した協力企業ばかりです。開業当初は協力企業の現場担当者に随分イヤミを言われ辛い思いもしました。・・・・曰く①社長命令で何の落ち度もない長年付き合っていた業者を切った②前のところより対応が遅い③寄せ集め会社じゃないか等々。・・・それが数年もしないうちに今度は廃業連絡のため頭を下げなければなりません。全く理不尽そのものでしたが、嫌な業務から解放されることについてはありがたかったです。私は北茨城までついてゆく気力は到底なく、それを期に優遇制度に手をあげて退職し新規の会社を探すことにしました。

正直の頭(こうべ)に神宿る!の例え通り、神様は正直者をちゃんと見ていてくれたようで、あれほど嫌々取った資格や知識でしたが再就職に際してはこれが大いに役立つことになりました。応募した大手自動車部品メーカーが山爺の防災知識を高く評価し即採用することになります。

当時面接していただいた役員の方のお一人が特に私を高く評価してくれ、募集時の年俸よりかなり上乗せして採用していただきました。

この方がなんと私が家電時代に同じ職場にいた腐れ縁的友人の奥様の叔父様であることが後ほど分かりました。いやあ世の中狭いもんです。この友人とは海外出張で一緒に仕事をしたりして楽しく仕事をした仲でしたが残念ながら去年の暮れ病で急逝してしまいました。本当に残念でなりません。合掌!

家電時代に散々苦労したことで、いつのまにか消防に関する専門知識が身につき新会社でISO監査員やTPS(トヨタ生産方式)コンサルタント員との交渉時に相手側の指摘内容の不具合を逆にやんわり訂正させたりもして、さすがは大手家電出身と評価されたりしました。

そんな訳で新たな職場でも、なんとか役員の方々の期待に答えることが出来、防災アドバイサーとして私の居場所を確保することが出来ました。この会社の皆さんにはよそ者にも関わらず本当に良くしていただき、今でも感謝しております。退職後も所属していた部署からは飲み会に誘われたりもして現在に至っております。

9年間そこでお世話になりましたが皆さん紳士な方ばかりで会議で怒鳴り声などの下品な言動は一切ありません。前勤務先で存在した肩書きを威にしての威高丈な者など一人も見かけません。それまで部下や弱い立場の下請けさんへの罵声などしょっちゅう聞いていたので、会社組織とはそんなもんだとばかり思っていた私は目からウロコでした。

前勤務先ではこんなことがありました。ISOを取得しようと準備していた頃ですから平成の初めの頃です。社内で進捗状況確認のための社内監査が行われることになり、他工場の役員(工場長)の監査を受けることになりました。

我々の係長が神妙に書類の説明をこの監査長にしていましたが、ある書類の綴られたファイルを一べつするや、なにが気に入らなかったのか、なんとそのファイルを床面にポイっと投げ捨て『鼻くそにもならん』と侮蔑の言葉を吐き捨てたのです。横で見ていた私は、なんと下品な奴だ、こんな程度の低いのが我が社の役員なのか情けないなあ、と嘆きました。今でも時々その事を思い出しては不愉快な思いに駆られます。いやはやです。役員からしてこうですから他は押して知るべしです。・・・中には尊敬に値する役員や上司が希には、いましたけどね。

自動車部品会社を定年退職した後も新たな職場の応募に際してはビル管理会社がそれらの経歴や資格を評価してくれて即採用となったりもしました。人間何が幸いするかわからないものだと、この歳になって改めて実感しています。

長々と山爺の愚痴混じりの話をお読みいただき恐縮です。話を再講習受講に戻します。

そんな大切な消防に関する資格ですが、これらは5年ごとに再講習を受けないと資格が失効するという厄介な決め事があります。おまけに講習の最後にちゃんと聞いていたかどうかを判断するために効果測定、つまり簡単な試験があるので受講中おちおち寝てもいられません。

この協会いわく、人命に関わる大切な業務をするのであるから常に最新の情報を身につけていなければならないと。まあ建前はそうだけれどねえ。人命に関わる資格なんか他にいくらでもあるではないか、なんでこの資格だけといつも思ってしまう。車なんかも書き換え講習の最後に再試験したら大混乱になるだろうなあ・・(笑) (^0^)

今回は『消防設備士・警報設備』、いわゆる火災報知設備に関する再講習の受講です。2月には消火器に関する受講もあります。受講料が¥7000と高いのが悩みの種で5年後は返納かなあ、なんて考えたりもします。公的資格にしては少し高すぎませんか関連協会さん。危険物は確か¥4700ですよ。(`ヘ´) プンプン


再講習受講の会場は東京の秋葉原駅北口近傍に有る神田消防署と併設された『消防技術試験講習場』で行われます。

朝8時半に到着、もうエレベーター前には沢山の人々が並んでいます。エレベーターで7階の講習会場へ、時間前に無事到着し取り合えずやれやれです。

掲示板で自分の名前を確認し受講番号の座席を探す。あったあったは良かったが前から三番目と講師に近いゾ。うふぇ~だが話がよく聞けるからいいか、考え方を改める。前向きだねぇ山爺は!。


講習会場は右の画像のような雰囲気で各机にモニター画面が付いており、いちいち正面を向かなくても楽に説明図を見ることができるようになっていました。5年前に同じ場所で受講したときは講師の頭上の大きな画面を見なければならなかったのでこれはありがたい。消防関連協会は講習会で儲かってるのかな?

今回のスケジュールはこんな感じです。

 9:00~ 9;10 講習案内
 9:10~10:50 設備関係法令・設置基準等
11:00~12:00 行政事例等
12:00~13:00 休憩(昼食)
13:00~15:00 整備・点検要領
15:10~16:10 整備・点検要領
16:10~16:35 効果測定(出題10問解答時間20分)
16:35~16:50 採点及び免状返還

びっしりと講習科目が並びます。問題なのは16:10からの効果測定です。テキストを自由に見て解答してもいいとは言うものの、なにせ1問あたり2分で解答しなければならずじっくり探していては時間がなくなります。事実上はほとんど見る時間はありません。

講師によっては今説明したところは大変重要だからよく理解するようにと2~3回同じ項目を念入りに説明してくれることがあります。この場合はこれが出題されるので助かりますがそういう講師ばかりではありません。誰が最初に思いついたのか知れませんが実に狡猾な手段を考えたものです。これでは講習中におちおち寝てもいられないわけです。
          Y(^0^)/

すぐに開けるようにテキスト下部に付箋を貼り付けます。いつの間にやら10枚以上貼ってしまいました。余計に混乱してしまうぞこれでは。・・・(╯•﹏•╰)コマッタ

講習会も終わりいよいよ効果測定となり前のほうから順送りで解答用紙と問題用紙が配られてきました。まだ見てはいけないのですが裏返すと3問見えます。ささっと目を通すと先ほど大切だよと言っていた問題ばかりで正解もすぐに分かりました。これで30点は取れそうです。30点以下(だったと思う)の人は居残りで補修講習を受けなければなりません。それだけは御勘弁願いたいです。第一そうなると皆が帰る中ぽつんと残るので目立って恥ずかしい。よし!取り合えず30点はクリアーしそうです。

それでは問題用紙を見て落丁印刷不良がないか見てくださいの合図があったので問題の中を開く。急いで問題に目を通すと2問ほど確実に正解が分かる問題が見つかった。これで50点は確保だ。

それでは今からテスト開始です。制限時間は20分です。始め!の掛け声で問題解答に挑みます。
第一問からつまずいて簡単に解けません。第1問は飛ばし第2問に、あれえこれも簡単ではありません。5年前は簡単に解答したと思いましたが、今回が難しいのか、山爺の頭脳が衰えたのかどちらだろう。時間だけが刻々と過ぎて不安がよぎります。(´^ω^`;)

テキストを見返しますが該当する項目がなかなか見つからず、いらいらします。テキストを見返すより聞いたことをよく思い出し、その時メモった内容を読んだほうが早そうです。こうすることにより分からなかった2問をクリアーしました。どうしても自信のないものが1問残りました。これだけは時間をじっくりかけてテキストを調べますが該当解説が見つかりません。ついに時間アップで試験終了。・・今回は残余時間がゼロでした。・・・いやあ確実に我が頭脳は衰えていると実感した次第です。

効果測定も終わり免状返還が始まりました。まさかと思いますが係員が渡しに来るまで落ち着きません。私の前に係員が立ち、お疲れ様という挨拶とともに免状を返還してしてくれました。やれやれです。

今回の効果測定で不成績となり居残りとなった人は数人だけのようです。5年前は数十人いたと思いましたが・・・帰宅準備を整え離席して講習会場を振り返ると無愛想な表情の人が3人ほど残っていました。お気の毒です。来月13日(月)は消火器部門の再講習を受けねばなりません。老骨に鞭打ちもうひと頑張りです。

退屈な講習会を終えて1句。

【狂歌】

・この後に 絶えて試験のなかりせば 講師の解説 子守唄らん。 
・講習後 うるさき試験のなかりせば うたた寝よきて のどけからまし。

【川柳】

・不眠症 講師の解説 聞き治り
・解説は 右から左の 講習会


消防設備士再講習 Part1の項・・完 







2017年1月25日水曜日

江戸東京たてもの園散策

1月21日(土)東京の小金井にある『江戸東京たてもの園』に行ってきました。前の日に低気圧が通過し全国的に天候が大荒れ模様でしたが正月明けから初詣以外どこにも外出していません。
このままでは脚力そのほかの体力が減衰するのは明らかです。東国原さんのセリフを借りると『どげんかせにゃいかん!』です。

先週末に出かけようと準備はしておいたのですが前の晩に迂闊に腰をひねって持病の腰痛が発生してしまい2~3日遠出を控えなければならない状態となってしまいました。早くも初詣でのご神託の兆候が現れてしまいました。

今回は幸い症状は軽く週半ばには収まったので今回の外出と相成った次第であります。(拍手)

江戸東京たてもの園は去年向ヶ丘遊園にある川崎市立日本民家園を調べていた時に見つけ、いずれ行こうと思ってプランを温めていたものです。日本民家園は去年4月訪れていますが合掌作りの民家や古民家が広い山中に点在しておりなかなかの見ごたえでした。

写真を撮るのも目的なのでこういう施設には開園と同時に入った方が入場者が少なく撮影の邪魔が入らないので早朝から出かけます。

埼玉の最寄駅を6:30過ぎ頃乗車し新越谷で武蔵野線に乗り換え西国分寺へ、このコースは奥多摩や山梨方面への山歩きで利用するお馴染みの路線です。

武蔵小金井駅に9:30頃に到着、北口駅前から出ている西武バス②~③乗り場に急ぎます。それぞれ35分発と37分発のバスが出ています。やはり都内は便利ですね、バスが頻繁に出ています。山梨の山へのアプローチ路線バスなぞ午前1本午後1本、吉幾三の♫ バスは一日一度きり!そのまんまだもんねえ。

乗車時間約5分で小金井公園西口到着です。広い公園内に入るとジョギングや散歩、太極拳集団など色々な人々が集い心身鍛錬に余念がありません。都会の公園はこういうところがいいですね。これなら誰に気兼ねすることなくラジオ体操だって出来ると言うものです。

我が家のすぐ前(道路挟んだ向こう側)にも公園があり立地条件はすこぶるいいのだが、なにせ田舎、朝早くなどはおろか日中でも誰もいません。ラジオ体操などしたら目立ってしまいます。ましてや太極拳などやったら地方紙に載って・・んな訳ないか。(笑) Y(^0^)/

余談ながら我が家は建売ですが広い玄関とそばに公園があったのが決め手となり契約した経緯があります。

平成元年、折しもバブル末期で売り手市場だったころに販売フェアのチラシを見て現地を訪れました。・・・駅から徒歩8分とチラシには書いてありましたが時々走らないとこれは無理で実際は10~15分かかりますが立地条件が良いこともあって、お客さんがいっぱい訪れていました。

14棟あった販売物件を家内と2人で見学していると、時折カランカランの鐘の音とともに大きな声で〇〇様何号棟ご契約!と販売員が大声を張り上げ嫌が上にも購入意欲(あせり)を掻き立てます。もたもたしているとすぐに売れ切れてしまう勢いです。あの頃は良きにつけ悪しきにつけ世の中の活気があり面白い時代だったなあと思います。


そんな風にして手に入れた我が家です。入居してすぐに早速ゴルフクラブを手に公園へ、早朝で誰もいないので危険はまったくありません。私だってそれくらいのことはわきまえています。セッセと素振りをしていると遠くの家の2階がガラっと開いて何やら視線を感じる。そのまま素振りを続けました。その日は何事も起こらず終わったのですが異変は後日突然訪れます。

数日後公園に行くとゴルフ素振り禁止とでかでかと書かれた看板がお目見えです。驚いたなあ、わざわざ私だけのためにこんな立派な看板を作ったとは誠に恐縮です。

あれから29年、すでに当時の看板は朽ち果ててしまいありません。目撃当事者も同じく朽ち果てたかな?そろそろまた素振りしてみようかな。・・今度は監視カメラと、更に大きな看板が立ったりして。(大笑) (*´∀`*)

以上、我が家購入にまつわるエピソードの一席。・・・余談終わり。

計画通り10時前にたてもの園入場口に到着です。入園料は大人¥400ですがここも65歳以上は特別割引きです。免許証を見せるとご丁寧に65歳と記入された¥200の入場券とパンフレットをいただきました。

建物内には武蔵野で発掘された縄文時代の遺物が展示してあるのでまずそれを見学する。縄文中期というから4000~5000年前の土器が目に入りました。なんかぐい呑と徳利そっくりで笑える。

4~5千年前に、これで仕事(狩り)から帰った親爺が暗い灯火の下で上機嫌で一杯やっていたのかなあ。

4~5千年前も今も親爺はちっとも変わっていないんだろうねえ。こんなもんで、ちびりちびりやってたんだなあ、と思うと親近感が湧くね。

丸木舟が展示してあった。こんな不安定な舟で魚取りをしていたんだなあ。漁労に夢中になって引っくり返ったりもしたんだろうなあ。今も昔も食うためには大変なんだよまったく。男はつらいよと一人ごちた。



表に出ると明治4年から昭和4年まで東京市中に時を知らせた午砲が置いてあります。通称ドンと呼ばれ東京市民に親しまれた大砲です。

ちなみに学校やお役所が午後から休みになることを半ドンと言ったのは、この正午の午砲のドンの音が語源だという説もある。何!半ドン知らねえだと。世の中も変わったねえ。・・と思う山爺であった。

園内の建物は大きく西ゾーン・センターゾーン・東ゾーンの三のエリアに分かれて移築されています。東ゾーンには建物を利用したうどん屋さんが営業しているので見学後そこで食事をとることにしよう。まずは西ゾーン→センター・東ゾーンの順に見学です。

園内修復中でネットがかけられ見学できない建物が大分あるようだ。まあシーズンオフだし、お役所の予算上の都合(年度末の予算余剰金で修復?)で今頃が一番修復に都合がいいんだろうなあと勝手に思いながら歩く。

昭和12年頃まで常盤台にあったという写真館に入ってみる。園内の大半の建物が内部に上がれて見学できるのもなかなか気の利いた対応です。

 小ぶりながらよく保存された写真館です。ここで何百人もの人がチーズといいながらすまし顔で写真に収まったんだろうなあと館内を1人ウロウロする。

2階は日差しが差込み暖かく明るい。館内に誰もいないのもいいものだ。やはり早い時間に訪れた甲斐があるというものです。

三井邸は修復中で見学不可、三井財閥にゆかりの建物かなあ?残念です。




八王子千人同心組頭の家を見学、江戸時代後期に建てられたものだそうです。

ご存知八王子同心は江戸時代の初期に八王子に配備された徳川の家臣団です。

続いて吉野家を見学、吉野家と言っても、牛丼屋ではありませんがな、江戸時代後期の農家です。三鷹付近にあったものを移築したそうな。

中でボランティアの係員が囲炉裏に火をくべていた。毎日こうしないと藁に虫が沸いて駄目になるんだそうです。青い煙が懐かしいが煙たい。山爺の幼少期もこんな煙が台所を充満していた頃を思い出した。


綱島家もやはり農家ですがこちらは江戸時代中期の建物で玉川ベリに所在していたそうな。

早咲の梅が咲いていました。
ご同輩諸兄、頑張れ!春は近いぞ!

やや強い風が吹く中、山の手通りと名前の付いたエリアに移動する。デ・ランデ邸なる建物を見学。ドイツ人技師により明治43年頃の建てられた洋館で平成11年まで信濃町に建っていたそうです。なかなかおしゃれな建物でコーヒーの一杯も飲みたくなる雰囲気です。実際喫茶サービスがあるそうなのですがまだ朝早いので開店前でした。

この頃より入場者も増えてきました。特に気がついたのは高級カメラをぶら下げてパチリパチリやっているうら若き?単独女性がちらほら居ることです。撮り鉄ならぬ撮り建さんです。なかなか良い趣味をお持ちのようで、そういえば去年12月の関西旅行にも結構、歴女の撮り建さんがいたっけ。

田園調布の家と銘打った建物があります。どこかの漫才師のセリフ『田園調布に家が立つ』の例え通り別荘風の瀟洒なセレブの家、大川邸の中に入って見ます。大正14年の建造だそうです。

入場口付近に戻ってきました。旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)なるお宮がありました。なかなか荘厳な化粧ぶりです。尾張藩主正室千代姫なるご仁が母親お振りの方(3代将軍徳川家光の側室)の供養のために1652年に建立したものだそうです。お振りの方ってどこかで聞いたことあるなあ。誰だったかなあ!。


後日ネットで調べたら女嫌いの男好き(つまりホモさん)だった家光に手を焼いた春日局が切り札として充てがった側室で家光さんようやく女に目覚め、お振りの方にかぶりつく。ほんでもって息女を授かる。この息女がのちに尾張藩に嫁ぐ千代姫だそうな。

お振りさんとやらは、よほど色っぽかったんでしょうなあ。女嫌いの若者を手懐けて筆おろし・・・・いやいや失礼、下衆な下ネタ話になってしもうたわ。 (´▽`*)アハハ お主も好きよのう。いやいやお代官様ほどでは、てか!。

このお振りの方の素性は関ヶ原で滅ぼされた石田三成の曾孫だそうです。春日局は明智光秀の重臣斎藤利三の娘。一方の家光の生母お与江の方(2代将軍秀忠正室)は織田信長の血筋(お市の方の3女)であり、明智光秀の血筋の春日局とは真っ向、敵同士だから絶対相容れない。

権力固めのためにお江与の方の勢力とは真反対の女性を見つけて家光に引き合わせる。やるもんですなあ春日局ちゃんも(十朱幸代の顔が浮かんだ)大奥の権力争いの渦中の人だったんですなあ。お振りの方は。

江戸時代から一気に昭和の建物に移ります。明治から昭和の初めに辣腕を振るったダルマ宰相のあだ名で有名な高橋是清の邸宅を見学します。この是清さんは総理大臣にもなりますが主に大蔵大臣として日本経済の立て直しに尽力した爺様です。

昭和の初め頃から勢力をどんどん伸ばし軍事費使い放題の軍部に予算削減を正面切って物申した人物です。なんせ軍部の中枢にいた人でさえ『予算がない!だったら日銀でどんどん印刷すればいいではないか』と言うくらいの経済学しか持ち合わせていない連中ですからして。・・ジョークではなく国会?で軍部幹部が発言した実話です。

当然軍部の恨みを買い昭和11年に起きた所謂2.26事件で赤坂の
自宅、つまりこの建物に押しかけた青年将校らにより暗殺されてしまいました。享年81歳。

←2階のこの部屋で銃弾6発。

・・おお痛そう!

さすがの だるまさんも転んだ!!

そばにいたボランティア係員の親爺としばし歴史談義をしました。・・(あなた良くご存知でと、お褒めの言葉をいただいた)・・そして合掌!

宇和島伊達家の門なんてものも移築してあります。今にも時代劇でお馴染みの番兵が出てきて、おいこら何者だなんて言われそうな雰囲気です。右側に番兵の詰所も見えます。建立は大正時代で比較的新しい。



ここから東ゾーンに移動です。懐かしい都電がまずお出迎え。



町並みが見えてきました。千と千尋の神隠しに出てきたような銭湯が正面に見え両側にレトロな建物が立っています。


丸二商店、荒物屋さんで昭和初めに建てられたそうで神保町にありました。・・右奥建物

手前は大和屋本店乾物屋さんで港区白金台に
ありました。店の中には商品も陳列してあり当時を再現しています。
元祖シロガネーゼの場所だけに高級そうな結納セットも展示してありました。場所が場所だけに当時大儲けしたんだろうなあ、とゲスの勘ぐりをしてしまいます。昭和3年頃の建物です。

お風呂屋さんの左斜め向かいが小寺醤油店でお酒も売っていたそうです。
当時の店内商品群が再現されております。大正時代に港区白金で商売をしていた。ここもシロガネーゼ御用達のお店だったのかな?

道路隔てた反対側は万徳旅館、中に入るとごっつい自転車や湯呑道具も置いてあり今にも番頭さんが『いらっしゃい』と出てきそうなリアルな保存状態です。江戸末期の建造です。


お風呂屋さんの隣が居酒屋の鍵屋さんで江戸末期安政年間に下谷言問通りにあったそうです。
中に入るとカウンターがあり良い雰囲気です。こんな店が我が家の近くにあったら絶対馴染みになります。



いよいよ子宝の湯見学です。中に入ると女湯と男湯に分かれています。・・て当たり前か!今日は特別に女湯に入らせてもらいます。じゃーん女湯に潜入です。むふふ!、て誰もいません。




保存状態も良く綺麗に管理されています。当時はこんな具合に混雑していたんだろうなあと妄想が湧いてきます。         

えへへ (^┰^;)ゞ

一通り見学をしたので古民家風の休憩所に入ることにします。ここの2階がうどん屋さんで国産小麦粉(栃木産?)にこだわり腰の強い武蔵野うどんが名物と案内にあったのでそれを賞 味したいと思います。

 古い作りを模した店内に入り空いている席に座ろうとすると食券をお求めくださいとの声が聞こえ現実の空間に戻されてしまいました。¥630の冷たいうどんを注文する。

ほどなく出来上がり我がテーブルに運ばれてきた。これまで沢山歩き汗をかいたせいか冷たい喉越しのうどんが誠にうまい。


ごちそうさまと声を掛けて店を出て入場口へ戻ることにしました。

途中に、こじゃれた交番が立っておりました。

神田万世橋のたもとにあった交番で推定明治後期建造だそうです。





←付近にさらに上野消防署の望楼部分(大正14年)なんかもありました。

¥200で藁屋根屋敷や洋館、昭和のレトロな3丁目の夕日みたいな町並みなど、いろいろ古民家が見学出来て誠に楽しいひと時を過ごすことができました。

皆さんもお孫さんでも連れて訪れてみてはいかがですか。館内自由に入ることが出来る(一部制限)のでお孫さん喜ぶのは必定ですよ。

江戸東京建物園 HP http://www.tatemonoen.jp/index.html



4千年前の土器、ぐい呑?をみて1句

【狂歌】  ♫ (^0^)

・幾千年 土に埋もれしぐい呑みに 縄文親爺も かくて呑むらん。

・幾千年 過ぎし徳利を眺めなば、縄文親爺の思ひ伝わる。


【川柳】


・ぐい呑で やはり呑むかや 古代人 

・縄文も 猪口で呑んだか にごり酒




江戸東京たてもの園の項・・・完

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①ここに掲載された狂歌・川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
③作者以外の方による無断転載は禁止で行った場合、著作権法の違反となります。

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2017年1月12日木曜日

初詣・おみくじ

新年あけましておめでとうございます。遅ればせながらご挨拶申し上げます。
今年も稚拙な我がブログご愛読賜りますようよろしくお願いいたします。

1月2日にT市にある我が実家に新年の挨拶のため娘2人とともに出かけました。膝が痛く正座が叶わぬ家内は今年も留守番と相成った。

今年で95歳を迎えるお袋さまも去年寝込むこともなく達者でいる。孫娘2人に会えて殊のほか嬉しそうであった。気のせいか去年のお盆の時よりも元気な様子であり私としても慶賀の至りである。まあ真夏は誰でも体力消耗するので元気を維持するのが難しいけどねぇ。

年始挨拶をする前に実家の近傍にある神社、日限浅間神社に初詣に出かけた。この神社への参拝は私がS県に所帯を持って依頼、毎年欠かさず初詣に出かけており我が家の恒例行事となっています。

もちろんT市に住んでいた独身時代も事あるごとに訪れていました。・・参拝の大方の動機がなんとも不純でありまして、『どうか麻雀で大勝ちしますように』とか!   (^0^)

この神社の特徴は名前の通り、日にちを限ってお願いをしなければならないと言うことです。漠然とお願いしたのでは成就はなりません。

たとえば、どうか就職が・・では駄目で、〇月×日までにどうか就職できますように・・と言った具合にしなければいけないのであります。

この社は霊験あらたかなのか近県はおろか東北・甲信越からも参拝者が訪れるという隠れた風水パワースポットなのであります。ここでは祈願成就した人は鳥居を奉納する習わしとなっていますが、これだけ多く鳥居が存在するということはそれだけ成就した人が居ると言うことです。私もかつて祈願成就したので小さな鳥居を奉納したことがあります。

神社は拝殿のほか小さな社が二つあり、拝殿→附属社→附属社→本殿後方(本殿が見えるので奉拝する)→拝殿戻りの順序で参拝を行う。従って一箇所¥10奉納しても¥40が必要です。・・・『これ!せこいこと書くでない!』・・・声の主は木花咲耶姫命(このはなさくやのひめ)・・ここの神様です

各奉拝箇所までは祈願成就した人々が寄進した沢山の鳥居群をくぐり抜けながら参拝するのでおごそかな雰囲気が漂います。

拝殿に戻り、家族でおみくじを引き今年一年の運勢を占うのも楽しみの一つである。

今年は娘2人はともに大吉を引当て大喜び、私は吉で小喜びとなりました。

問題なのは私が引いたおみくじの内容である。

全体文:時が来れば思うままになります(ここまでは良い)鏡のかげにしたがう様に心正しく行いをすなおにしないと家の内に不和が起こって災が生まれます。特に男女の間をつつしめ。

( )作者注

続いて個別神託のうち

願望:ととのう しかし色情につき妨げ起こる

ってなんじゃこりゃあ!

ふえぇぇ~さすがは神様!我が心の内を見透かれたか。・・・って、全然心当たりないんですけど。それとも今年これからそんな場面に遭遇するのかな、気をつけなくっちゃ・・です。ハイ Y(^ω^)/

この後は社務所に立ち寄り、家内安全・交通安全の御札と破魔矢をいただいて帰るのも我が家の恒例行事となっています。

いつものようにそれらをお願いすると破魔矢は売り切れてしまったそうである。あらら!吉の運勢通り早くも我が運勢に翳りが出たようです。替りに今年は熊手を購入し幸運(具体的にはお金でんがな)をかき集めることにしました。

初詣で浮かんだ句など。・・・ご笑覧あれ

【狂歌】
・色即を 是空とすれば 幸せが 訪れるぞと 神はのたまふ。
・初 詣 色即是空を 守らねば 災い起こると 神託下る。

【川柳】 
・色恋を 我慢が吉の みくじ引き。
・下 心 捨てれば吉の ご神託 。
・初 詣 浮気は 凶の みくじ引き。 

この歳で女難の相ありとは、わしゃ寅さんか!・・・びっくりしたなもう!・・ムフフ ( ̄▽ ̄)

初詣・おみくじの編・・・完

日限冨士浅間神社は栃木県栃木市の神社。
御祭神は木花咲耶姫命(このはなさくやのひめ)。悪事以外の事は日を限って祈ると願い事が叶うことから、地元では「日限(ひぎり)の浅間(せんげん)さん」と呼ばれている。願い事が叶うとお礼参りに鳥居を寄進する風習があり、沢山の鳥居が立ち並んでいる。
現在の場所(柳橋町)には明治38年に移設され、さらに昭和9年8月に現在の社殿が建立された。

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①ここに掲載された狂歌・川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
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