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2016年11月7日月曜日

国立科学博物館に行ってきました。


11月5日(土)上野にある国立科学博物館に行ってきました。ここは随分と昔になにかの特別展開催の時に行ったきりです。

本来この日は延び延びになっている山へ行くつもりでザックには食料・衣類をパッキングしていつでも行ける準備はしてあったのですが①週半ばで微熱が発生(久ぶりの頭脳仕事で知恵熱か? ^0^)②持病の軽い腰痛③新職場馴染めず憂鬱④天候良好も木枯らしの兆し・・・・日本海を北上中の2個の低気圧が気ががり・・などで山に行く気力がさっぱり起きません。

土曜日は良い天気でポカポカ陽気、あれえ山へ行けばよかったかなぁ、と後悔しましたが山爺の予想通り日曜日は好天ながら北海道は季節外れの大雪で関東地方も強風が吹き荒れています。笠取山の山頂はさぞや大荒れで登頂は無理だったでしょう。・・・中止大正解でした。・・・と納得。

普通の山好きは絶好の好天だと喜んで出かけるんだろうなあ。まったく山爺は昔から行かない理由を先行するへたれ山男です。これでは山友なぞできるわけもありません。(苦笑)(´д`)

今年は泊まり山行はもうないかなあ。これからは秩父・武蔵・奥多摩などの低山が目標です。日帰りでは大きなザックは必要ないし、せっかくの梱包が無駄になってしまいました。荷造りのやり直しです。

そんなわけで(どんな訳や!一人ツッコミ)土曜日時間が空いたので上野の科学博物館でもと思い立ち、出かけました。なぜ科学博物館なのか?ここの常設館は入場料¥620のところ、なんと65歳以上は無料なのである。只より安いものはありません。

いつものように秋葉原を散策の後上野駅に行き公園口下車、駅を出ると行楽日和のせいで人だかりがすごい。まるでお祭りでもあったような混雑ぶりです。

やはりたまには都会に出かけないと田舎暮らしの山爺は世の中から取り残されてしまう。億劫がらずに時々出かけなくては駄目ですなあ。人ごみを掻き分け(大げさな!)科学博物館へ。

着いてみると特別展としてクロマニヨン人のラスコー洞窟壁画展が開催されていた。そんなに混んでいなかったので入ってみようかと思ったがこちらはシニア割引はなし、当日入場は1600と高い。来年2月19日まで開催なので事前に展示内容をよく調べてから前売券手に入れて再来訪することにしました。なんといっても今日の趣旨は無料で館内に入ることにあります。

常設館入口に入ると40cmほど大きな看板に65歳以上無料と書いてある。フロントでシニアなんですがと告げると身分証明書を提示してゲートを通過してくださいとのことでした。

ゲート(右画像)で入場券を受け取っている係員のお嬢さんに免許証を見せるとにっこり笑顔で、いらっしゃいませとペコリお辞儀をされた。いやあ、他の家族連れなんかチケットを手渡しているのに私はフリーパス、VIP扱いのようで誠に気分が良い。

博物館は日本列島の自然と生き物がメインの日本館と人類の進歩をテーマの地球館の二つの建家に分かれている。今日見たいのは地球館にある江戸末期の工作機械やゼロ戦、惑星探査のイトカワなので地球館に向かう。

いきなりそこに行くのもなんだから博物館の趣旨に沿ってまず太古の時代から順番に見ることにしました。地下2階からスタートです。・・退館後よくカタログを見たら地下は3階までありそこに宇宙に関する展示があったみたいです。しまった館内案内よく見るんだった。まあいいか無料だからまた今度!

地下2階に行くと太古の三葉虫やらアンモナイトの化石がズラリ、1mものアンモナイトの化石もある。

地下1階は恐竜やマンモスの化石が実物大に組み上げて展示してある。マンモスは現在の象より2周りも大きく巨大な牙もある。太古の人類はこれに粗末な武器で立ち向かったのかと思うと改めて食料を得るために当時の人々が必死だったことが分かる。

なにも好き好んであんな大きなものを仕留めなくともねえ。余程食いもんがなかったのだろうねぇ。あれじゃ狩りの度んびに死者もさぞかしと思いながら見学しました。今も昔も生きるため、お父さんは辛かったんだねぇ。山爺も新職場が気に入らんなんいて贅沢言ってたら原始人に笑われるかなあなんてちょっぴり思ってしまいました。

1階は今の世界に生きる様々な動物がテーマっで剥製や骨がズラリです。勉強になったのは人間の骨格と恐竜時代の小動物の骨格が並べて展示してあり骨の数量や構造がほとんど同じであることでした。手足の指5本も同じなら第1関節から第2第3と同じ構造なのには改めてびっくりです。

人間々と威張ってみても、それを支える骨格が1億~5000万年前?から同じとは笑える。基本構造はまったく同じなんだねぇ。・・・動物界では新参の人間ども!少しは謙虚になり自然破壊を止めんかい。


いよいよ今日の目的2階のゼロ戦の展示場へ!いきなり飛び込んできたのはからくり儀右衛門こと田中久重(東芝さんの生みの親?)が作った万年和時計です。

和時計はただ正確に時を刻めばいいってもんではなく江戸時代は日の出から日の入りまでを等分して時間を決めていました。・・・不定時法・・・どうやら24節季毎(15日毎)に時間設定を変えるようです。ろくな照明がないからサマータイムを導入していたんですなあ。

で、この時計は経過時間を可変出来る構造らしいです。自動?手動可変?いずれにせよ、からくり儀右衛門さんすごい。それに引き換え今の東芝さん元気がないよ。田中久重さん、さぞかし草場の影で・・・

次のコーナーは江戸~明治初期の時計がずらりです。一際目を引いたのが携帯日時計!江戸時代の人って時間はお寺の鐘による人任せで時間を知っていたとばかり思っていましたが道中困らないように携帯日時計を持ち歩いていたようです。磁石が埋め込まれており方位を南に合わせて時を読み取る構造です。

山爺も中学生の頃作ってみたことがありますが結構正確に時間が把握できて30分くらいの精度で時間が分かります。

そういえば江戸時代の時間呼称も1刻(2時間)半刻(1時間)四半刻(30分)でそれ以下の時間の呼び名はないそうです。昔の人は時間に縛られなくて豊かな暮らしをしていたんですねぇ。


ほかにも懐中ネジ巻時計(右画像)が江戸後期には作られていたようですがこれは高額で所持はお金持ち町人やお殿様などに限られていたようです。

お馴染み茶運び人形も展示されていました。鯨のヒゲゼンマイのみで複雑な動きを再現する江戸時代の職人技には改めて脱帽です。

ともすると明治維新により西洋文明を模倣して技術が一新したと思われがちですが・・・・事実明治新政府は新政府は偉いんだぞ!旧体制は文明が遅れていたと盛んに宣伝した節がある。・・・いつの時代も新政権は旧政権のやったこと全てがなっとらんと言う傾向にあるけどね。


 あれだけ急速に西洋文明に追いついたのは既に優れた技術者がちまたに大勢いたから、成し得たことだろうと改ためて展示物を見ながら納得です。



 画像右は伊能忠敬が使った車輪回転を応用した距離計です。忠敬さんは歩測ばっかりかと思っていましたがこんなものもしっかりと開発していたんですねえ。






 1957年製の国産初の電子計算機です。ST菅という真空ガラス製の電子部品(真空管)で構成されれいます。どの位の演算ができたのか?・・きっと今の関数付電卓の方が上だと思います。

山爺が小学校低学年の頃だね、これが完成したのは。今のPCやスマホといった進歩はどうだろう。私も含め当時の人々は今日のITの進歩は想像すら出来なかった。

腕時計型の携帯電話は手塚治の漫画で将来こんなん出来るのかなぁと想像したけれど(今は実用化された・・少し大きいけれど皆持っている。)電卓、ましてPCなんて想像すら出来なかった。もしかすると山爺たち団塊はとんでもなく大きな時代の変化の中にいるのかもしれないねえ。

いまの中年も含め若い人は知らないと思うけれど計算尺が展示してありました。よく役に立たなくなった品物を博物館行きと言うけれど計算尺も博物館に飾られるようになってしまったんだねえ。なんか寂しい。

昔といっても70年代くらいまでは技術者必携のツールでした。工業高校では必須科目で山爺も学習したので使うことが出来ますが、乗除、三角関数が簡単?に割り出せた不思議なツールでしたが、あれはいったいなんだったのかなあと今でも若い人に冗談で語っています。

関数電卓の普及で姿を消した秀逸品です。博物館行きとはねえ。山爺も博物館行きと言われないように努力をしないと。

江戸末期の工作機械(縦型切削盤)が展示してあります。これがなんと平成10年の最近まで現役で活躍していたとは、びっくりしました。



その横には明治22年に日本の池貝庄太郎さんが作った旋盤がありました。池貝さんとは後の池貝鉄工の創始者でしょう、多分。




まあ木工ロクロ加工は江戸時代以前からからあったので国産化はそうそう難しくなかったと思いますが今と構造はまったく変わりません。・NC(数値制御)ではないシンプル構造なので山爺でも動かせそうです。


展示場の中央に国産人工衛星のレプリカ?が飾ってあります。
おお!惑星探査機イトカワもありました。予想したよりも大きいですね。こんなのが火星と木星の間まで飛んで戻ってきたとは改めてびっくりです。

 展示場の奥にありました。ゼロ戦です。戦争礼賛するわけではありませんが当時の技術者が寝食を忘れ真摯に取り組んだ結果デビュー当初は向かうところ敵なし!無敵を誇った勇姿が目の前にあります。

今の日本人はこの精神を忘れてはならないと思います。最近の民放TVは相変わらずへんてこオカマまで繰り出して馬鹿番組を流し続け、ちまたではゲームオタクや訳わからん萌え萌えが跋扈、嘆かわしい若者を多々見受けます。このままでは日本滅亡も近いゾ!!

借金先送りの能無し政治家や福島原発処理で先の見えない国家財政規模の費用処理!・・昨日のNHKの報道番組で、この費用がいつの間にか国民負担にすり替える法案が可決されているというではありませんか。処理費用を電気料金に上乗せて〇電に収益を出させ、その半分を国に納める仕組みを考えるとは、その前に原発事故を起こした戦犯ものの責任はどうなったのだ。なんで自家発電機を水が入り込む地下に作ったんだ。あんな低い防潮堤でいいといった奴は誰なんだよ。当事者は万死に値する。(`ヘ´) プンプン

ある政治家曰く・・電力会社を潰しても意味がない、よけい混乱するだけとは、なんという言い草だ、未だに国と電力会社がつるんで、なあなあ体制のままでいる。一旦解体して別の民間会社に全て任せたほうが保身ばかりで役に立たない指揮系統共が一掃されて余程処理がはかどると山爺は思うけどね。
今こそ、このゼロ戦や戦艦大和などを真摯に設計し作り上げた先人の精神を見習うべきと思うが、どうであろう。新幹線も今の自動車も家電、IT技術も戦時の兵器技術者が平和産業に流れて開発した結果であることを忘れてはならないと思う。今日の繁栄はこれらの遺産で食っていると言っても過言ではない思います。そろそろ皆真面目に反省し将来を考えないと・・・アカンえ!

靖国神社記念館にあるゼロ戦も既に見学しましたがあちらは単座(一人乗り)こちらは複座(二人乗り)なのでこちらのほうが1周り大きいような気もします。・・・気のせいかな。

靖国の展示と違い空中に浮いているので真下からも覗けます。当時の設計者堀越二郎さんが考案した空気抵抗を抑えるための沈頭リベットを始め細かい構造が容易に観察できるので時間を忘れ見入ってしまいました。

当時恐れられた20mm機関砲は靖国神社のほうはきちんと銃身が伸びていたけどこちらのは穴だけしかありません。あちらは戦争記念館、こちらは子供たちも訪れる博物館なので遠慮したのかな?博物館なら銃身もきちんと復元して欲しい。それとも元々こういう構造なんかな?。


出口付近で全身を投影できるサーモグラフィーがあったので山爺も計測してみました。おお!顔と手が真っ赤!山爺燃えてます。
真ん中の黒い点は画像中心マークで山爺の身体の一部ではありません。念のため。(笑)(^^;





日本館に展示してあった日本に落ちた隕石です。結構あちこちに落ちているもんですなあ。
【おまけ】

地球館の1階で弦楽四重奏の生演奏も聞けました。やはり生演奏は音の響きが全然違います。しばらく聞き入ってしまいました。これも只とはラッキーでした。芸大のお姉さん達かな?すぐ近くだから・・・






いやあ、期待以上の面白さでした。後で調べたら見逃した項目も数多くあります。・・・日本狼の剥製見逃し残念。・・また見に行かなくっちゃ。なんといっても無料ですから!!。

国立科学博物館に行ってきましたの項・・完


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