夢で見たつまらない話を今から書きます。m(_ _)m・・・11/28
昨日(11/27)去年亡くなった愛猫の夢を見た。場面は我が家らしいのだが雰囲気は少し違う。周りはどうも洪水らしく水で囲まれて水没している家も見える。私の夢は大抵総天然色(古っ!)なのであるが今回もカラフルな家々が水没している様子が見えた。猫は私の背中にまとわりついたあと飛び降りてどこかにいってしまった。
行方が心配になり、どこに行ったと聞いた相手が実の兄で、猫のいる方向を指さした。夢とは不思議なもので、そのときはなぜ洪水が起き、なぜ遠く離れて住んでいる実の兄がそこのいるのか疑問にも思わない。
見ると普段使っている厚みのある見慣れた座布団(背もたれ)の上で寝ているのだが中央が膨らんだ形状で収まりが悪い上に乗って寝ているものだからそこからずり落ちているところであった。相変わらずドジなことをやるなあこの猫は、と思ったあたりで目が覚めた。心理学のフロイトならこんな心情をどう分析してくれるのだろうか。
雄であった愛猫は下の娘が随分と幼い頃、家内と散歩中に近所の公園に捨てられていたのを拾って来たのが縁で飼い始めた。娘達が『たまら』と命名し、以来16年の長きに渡り我が家で愛嬌を振りまいてきた。生まれたばかりで、まだ目が開いていない時から育てたので自分のことを人間と思っている節が多々あり、猫らしからぬ変なところが随所に見られたおかしな猫に成長した。
たとえば不意に背中を触ったりすると『ううん!』といった人間と同じ音声で声を出すのでそのたびに家族は大受けであった。言葉も『ごはん』と言えばすっ飛んで来るし、『ないない』というと目を瞬き寂しそうな顔をした。『待て待て』といえば餌を見ないでそっぽを向くといった具合でかなりの言葉を理解した。
また、いたずら等した時に叱りつけると毛造くろいして誤魔化したり、終いには専用のハウス(手作りダンボール製)の方にトボトボ歩いて行き、ふて寝する愛嬌者でした。
かなり賢い奴でガラス戸の鍵は小さな2重ロックまで外して開けたり、玄関のロックレバーをひねれば開くことをいつの間にか学習し開けようとする知能がありました。
掃除機が大嫌いで(大抵の猫は騒音の大きな掃除機は苦手のようです)いつも逃げ回っていたが、ある日、私がこたつでうたた寝をしているとカツン!カツン!と不思議な音に気づき目が覚めました。なんだろうと目をやると猫が、こいつめ、こいつめと一生懸命に携帯用の小型掃除機に猫パンチを食らわせている最中であった。大きな奴は怖いけど小さいこいつなら大丈夫と思ったのだろう。愉快なことをする奴である。
それだけの個性を持ち合わせただけに、私の夢枕に立ったと言うことは、『俺のことを忘れないようにブログで紹介しろ』とでも言われているよう気がしたのでブログで紹介することにした。
この猫が我が家に来るまでは、幼い娘二人はいつも口癖のように『なんかつまんない』を連発していましたが、それからはその声を一度も聞くことがなくなりました。よい遊び相手になったようです。二人が素直に成長したのもこの猫に負うことが大だったのでは、と本当に感謝しています。
娘達が成人してからは、ともすると家族の会話が途絶えがちになってきましたが、その時に救ってくれたのもこの猫でした。
猫を介して間接的に会話をするのです。お互い直接には言いづらいことを『そんなこと言っても無理だよねぇ、たまちゃん!』といった具合に・・猫は10年過ぎると人間の会話を理解するとよく言うので猫としてはえらい迷惑だったろうねえ。
いつの間にか家族の中心的存在となってしまった猫であったが去年の10月31日の早朝に突然亡くなってしまいました。
16年といえば人間では80歳近くの老人に該当していたようですが食欲も旺盛、洗濯機位の高さには軽く飛び乗れるくらい元気だったので我々にも油断がありました。死因はどうも毛玉が吐き出しきれずに喉に詰まったようです。日頃の状態をよく観察しケアして病院で見てもらえばまだまだ長生き出来たのではと今でも悔やんでいます。
亡くなったペットは市で焼却してくれるということを普段から知っていたのでそうしようとしたが、一度に数体くらい焼くようで娘たちから『それではかわいそう、お金出すから別のところで』と健気なことを言う。そんな訳でペット専用の葬儀社に持ち込み我が愛猫だけで火葬、骨壷に収め、と人間並みの葬儀をしました。
当日は土曜日だったので家族4人とも立ち会うことができました。娘達から『亡くなる時も休みの時を選んで本当に迷惑の掛からないお利口さんだ』のつぶやきが・・・本当に利口な奴でした。今、我が家の居間で供養しています。
ペットロス症候群という症状を知識としては知ってはいましたが、いざ体験してみると本当に辛いもので半年位は本当に寂しく家族の会話も沈みがちになります。猫を飼っているという存在ではなく完全に家族の一員あるいはそれ以上の貴重な存在だったのだなあと今もつくづく思っています。
愛猫が亡くなってから1週間後丹沢の塔ノ岳という山に1泊で出かけましたが山頂で猫に遭遇しました。思わず『おまえ、たまか?』と声をかけると『にゃ~』と返事をしてくれました。やはり私の後をついてきたのかと感傷的になり話しかけ続けました。
人馴れした猫のようで、しばらく私のそばにいましたが私には生憎と猫に与える餌らしき持ち合わせがありません。そのうち猫の方も諦めて別の登山者の方へ餌をねだりに行ってしまいました。
帰宅後その話を家族に話すと『好奇心旺盛なたまちゃんだから追いかけて行ったんだね、きっと』と喜んでくれました。
てっきり近くの尊仏山荘の飼い猫かと思っていましたが、後でHPで調べるとどうも麓から上がってきた野良猫で尊仏山荘の飼い猫とは相性が悪く追い出されてしまい、登山者から餌をもらいながら山頂付近のどこかで暮らしているらしいとか。・・・今年でもう3年くらい越冬し住み着いているスーパー猫らしい。
寒いのが最も苦手の猫がなぜ厳しい雪山の中で生き延びることが出来るのだろうか、頑張れよと応援せざるを得ません。今年は雪も多く厳冬の予報です。この猫が無事越冬できるか心配です。
1人旅のこと
今のところ失職中で日程に自由が利く・・・所謂暇なので、こんな時こそと思い立ち、格安高速バスを利用した大阪・京都・奈良へ放浪の旅に出かけようと考えています。・・・旅行業者のキャッチコピーではありませんが『そうだ!関西へ行こう』です。
高速バスは早割特別料金制というサービスがあり早めに切符を購入すると格安で手に入ります。出発の2~3週間前なら往きは(木)朝発で¥4000、復は(日)朝発で¥4300とメチャ安で購入できます。これが1週間前くらいになると¥6000~¥7000位に跳ね上がります。
そんな訳で、なにはともあれ大阪までの往復切符をNet予約で入手済みです。これで関西ぶらり旅実施はほぼ確定です。バスは往復ともトイレ付きなのでおションの近い山爺でも安心です。
去年もこれを利用して、犬山城・彦根城・姫路城と建造時から現存する古城巡りをしてきました。
夜は大阪のこれまた格安のカプセルHを利用し夜の居酒屋を訪問、人気番組、BSのTBS吉田類の酒場放浪記の真似を実践しました。
今回は奈良の東大寺・興福寺・法隆寺、京都の八木邸(元新選組屯所)・御所を巡ります。奈良のお寺は高校の修学旅行以来の訪問で一際楽しみです。
法隆寺は一般的には聖徳太子が建立したとされているが哲学者の梅原猛ほかの学者によれば、ここは聖徳太子の怨霊の祟り封じのために藤原一族が建立したとの説もあり興味深い。
徳のついた人物の大半は諡号(死後の忌名)で大方は無実のものを陥れた側が祟りを恐れ神社を建立、偉大な名前とともに供養したものが多いという。崇徳・安徳・孝徳・称徳・順徳・聖徳いずれも不遇な死に方をしている場合が多いとか。
最近では聖徳太子そのものが実在したかどうかも疑わしいとの学説もある。あの乙巳の変(いっしのへん)で非業の死を遂げた蘇我入鹿の祟を恐れて、聖徳太子という架空の太子をでっち上げ祀ったのではという。そのために、あんな立派なお寺寄進したのだとしたら藤原一族よほど後ろめたいことをしたのかなぁ。。
そういえば私が若い頃に習った日本史では大化の改新と言っていたはずだが最近はNHKでも乙巳の変と言い換えている。そりゃあそうだろう。改新でもなんでもなく、なにも悪いことをしていないのに、ただの権力争いで殺されたのだとしたら、蘇我入鹿としてみればいつのまにか大悪人とされてしまい、『ふざけるな何が改新だ!よ~し祟ってやる』と、こうなるだろう。・・現代の祟られる側の誰かがこれを意識し言い方を変え始めたのだとしたら?。(笑)・・いや笑い事ではなく恐ろしいことです。
この辺の知識をもう一度おさらいしてから法隆寺を訪問するのも面白いと思います。
夜は大阪の道頓堀・難波で山爺版酒場放浪記をやりたいと思ってます。
去年立ち寄った天満商店街の鉄板焼屋さんを今回再訪しようとも考えてます。山爺よりひと回り干支が上の女将に再会するのが目的です。・・覚えていてくれるかなぁ、無視されるとガッカリですが・・・。
愛猫のこと・一人旅計画のこと・・完
♪ 疲れを知らない子供のようにぃ~ 時ぃが私を追い越してぇ行くぅ~。還暦はおろか古希も過ぎてしまいご同輩諸兄は盆栽やゲートボールに興じる年齢となりましたが、若いころから好きだった単独山歩き・放浪旅が忘れられずに未練!今も細々と続けています。
2016年11月29日火曜日
2016年11月23日水曜日
中学時代の同窓会に参加
中学時代の同窓会が開催されるという往復はがきが舞い込んできたのは10月半ばであった。5年ぶりの開催なので是非参加を、と書かれている。日にちは11月20日(日)17時からのようであるが、この時間からでは遠方からやってくる者は2次会への参加はまず無理だろう。何と言ってもこういった催しはお酒の入った2次会からが盛り上がるのでそれに参加できないのは誠に残念である。
そんな訳で参加するのを躊躇していたが、あれからもう5年も立っている。女子も男子も大分変貌(老けた)を遂げているだろうし次回開催がいつになるかも分からない。そうこうしているうちに幼馴染のYちゃん(女子)から電話で催促が来た。この後押しにより参加することにした。
ただ今回の会場となる居酒屋は駅から離れているのも問題だ。我がふるさと北関東T市は最寄り駅が2つあるが今回の会場までは、いずれの駅からも離れている。地元優先での会場選びで県外者への配慮なぞお構いなしのようだ。・・・おお~い、幹事さん。今後は県外者のことも配慮してくれぇ。 (;`Д´)<お゙お゙!お゙お゙!
幸い開けたほうの駅前からちょうど良い時間帯のバスが出ていることが分かったのでそれに乗車し会場まで行くことにした。
私の住む埼玉のH駅を15時頃に出発、予定通り16時過ぎT市に到着した。バス停にて10分ほど待つと中型バスが定刻通りやってきたので運転手に行先を確認し乗車する。ほどなく発車、見慣れた市街をバスから眺めるのは初めてである。
T市も近年開発が進み駅周辺も随分と都市化してきている。それに引き換え私が住む埼玉の北の外れH市はどうだろう。住みついて28年が過ぎようとしているが都市化とは無縁、駅舎が少し変わっただけで街並みはまったく変わらないでいる。もしも毎年同じ場所から街を撮影し10年経って見比べてもまったく変わらないだろう。そんなところに私は住んでいるのだが、まあそれはそれで、のんびりしていて住みやすい街だけどね。・・・負け惜し。(^0^)/
しかし、ふるさとのT市も5分も走ると元の古臭い町並みへと変わった。うん!こんなもんだよ、と納得していると、またまた賑やかな国道沿いの郊外へ出た。開催時間まで少し時間があるので会場のちょっと先にある公園まで足を延ばすことにした。
T市駅の駅舎も今でこそ近代的な建物に変貌を遂げているが昔は古色蒼然とした佇まいで明治村に移築してもおかしくない価値のある建物だった。私はそのレトロな旧駅舎のほうが好きだったのであるが、とうの昔に取り壊されていたものと思っていた。バスの時間をPCでを検索中にそれが公園付近に移築保存されていることをHPで偶然見つけたので、それを見学するのが目的である。
公園口に到着したので下車すべく料金の¥200を払おうとすると料金投入口がふさがっている。んん!どこに入れるのだと目が泳ぐ。すると運転手から『今日は県知事選挙なので無料です』と告げられました。ええっ!選挙とバスの運行とどう関わりがあるんかいな、一瞬固まったが、ともあれ無料とはラッキーである。只より安いものはないと気分良く下車し、薄暗くなってきた道を急ぐ。
おおっ!ありました夕闇のなかにそれは突然現れました。周囲が田んぼなので違和感はあるものの懐かしい佇まいです。なんせ独身時代に20年近くも通い続けた駅舎なので懐かしさでいっぱいです。新駅舎を作る際てっきり取り壊されていたものと思っていただけに、よくもまあ無事に残してくれたものです。T市の皆さん!なかなか味な真似をしてくれますなあ。ありがとうございます。深く謝意を表します。
腕時計を見ると宴会開始5分前である。急いで会場へ向かう。会場の居酒屋へ着くと入口に4~5人中年親父がたむろしている。何人かこちらを見ているが、声が掛からないので同胞ではないのかな?。そのうち彼らは居酒屋内に消えました。たしか彼奴はと思うがこちらも自信がない。彼らのあとを、トコトコついて行く。
途中で店のお姉さんに『H中の同窓会は』と聞くと先ほどの中年男達が歩いて行った方角を指さした。おお!いるいる皆さん既にほとんどお集まりである。先ほどの中年はやはり、わが同胞であった。『おおい、しばらく』と声を掛けるがこの時点では相手は誰だか分からない。向こうもしばらくキョトンとしていたが。『おお、Kか!』とこちらに気がついた。
幼馴染のYちゃんとも再会、相変わらず元気印の女で息災の様子、いやあ結構、結構。今となっては貴重な女友人である。お互いいつまでも長生きでいよう。
参加者は16人くらいだろうか。女子は少なめのようだ(5人)。座敷に上がり、『いやあ、しばらく』と声を掛けながら男子群の中へ分け入り座り込む。正面に座っている3人のうち2人は直ぐに思い出したが残り1人が分からない。私の両隣の男も誰だかさっぱり思い出せない。
正面の男、誰だっけ、う~ん!ニックネームは直ぐに出てきたが本名が思い出せない。『〇でもなし×でもない』しばらく思案の後、我がくたびれた脳が前頭葉からデーターを引き出した。『おおAか、そちらはWだよな!』・・相次いで思い出す。
あちこちで、お前誰だっけ、と誠に失礼な会話が飛び交うのも同窓会ならではの醍醐味である。そんな中にあっても中学時代とまったく顔の造作が変わらない学術的に貴重な奴もいた。
良く人の顔は20代までは親からもらった顔、それ以降は自分の顔とか言うけれど親からもらったまんま、中学時代とまったく変わらないあきれた奴が我が同胞にも複数いた。
お互い相手を思い出し識別が出来たので会話も弾んできた。もう還暦もとうに過ぎた面々である。話題はなんたって体の具合の話を外す訳にはいかない。誰かが『薬飲んでる人手を挙げて!』というと大半が手を挙げる。中には『毎朝腹いっぱい飲んでるよ!』といったすごい奴もいる。全然飲んでない人は?と質問すると、なんと私の向かいの席のA君が手を上げた。『お前その年で薬いらずとはおかしいぞ!病気だよそれは!一度医者に見てもらえ』、てな会話が飛び交う。(笑)
宴もたけなわ、自分のカメラを取り出しあちこち記念撮影を撮る。ブログ掲載用だと告げるとメールで送ってくれと注文がきた。『あいよ』と軽く返答、箸のケースにアドレスを書いてもらう。すると隣に座っていたI君がやおら¥1000札取りだし俺に郵送してくれと懇願してきた。金は不要と固辞したがどうしてもと言うのでありがたく頂戴し、金額分印刷して郵送するので皆んなにも配ってくれと約束した。
俺の遺影に使うからいい男に撮ってくれという奴も複数現れた。カメラがいいから良くは撮れるがいい男は無理だと言い返す。まさに無礼講、これだから同窓会は楽しい。あっという間に中学時代に逆戻り、だんだん皆んなの顔が当時の顔立ち戻って来るから不思議なものである。
カメラは旧駅舎の撮影用に持ってきたのだが思わぬところで宴会盛り上げに役に立った。持ってきてつくづくよかったと思う。
女子群にカメラを向けると慌てて顔を隠す者もいる。今更隠したってしゃーないではないか。老いるのは私も嫌だけれども現実として受け止めないとねぇ。
『人間50年(もう皆んなとっくに通り過ぎた!)下天のうちにくらぶれば夢、幻の如くなり』とはよく言ったもんだ。金持ちも貧乏人も年齢だけは平等に過ぎてゆく。平等でないのは途中で人生のリタイアが起きることである。
皆んないつの間にか齢を重ね無事ここまで来たことに改めて感謝しなくっちゃ。・・・不幸にして途中でリタイアした者もいるのだからして・・・ここまで来たんだ、これからもコケないよう用心して頑張らなくっちゃ、ねえ、ご同輩!。(´^ω^`)
宴が進むにつれ皆んな打ち解けたのであちこちで遺影や見合い?用の単独撮影やツーショットシーン等が沢山撮れました。墓も生前に作ると長生きすると言われているので遺影も生前に準備する奴は長生きするよ、きっと、うん。
次々と料理が運ばれてくる中、きしめんの様なメニューが出てきた。そろそろ宴会お開きかな?と思っていると代行車の予約会話が交わされ始まった。楽しかった宴もどうやら終盤に近づいたようである。
次回は来年ね、とか2年後では、とかの会話を皆んなで交わす。そうだよ、これからは5年後では遅すぎるゾ、・・・理由は言わずもがな。(^ω^;
是非とも早めに開催して欲しい。『鬼怒川で泊まりでどうだ格安で企画するゾ』との声もあがる。・・・だれだそんな提案した奴は・・・って俺かい(1人ツッコミ)。結構賛同者もいるようなので本気で計画しようかな。大盛り上がりのうちに1次会は幕とあいなりました。
地元の方々はこれから二次会へ行くようです。いいなあ、前回も参加出来なかった。次回は早い時間での開催か温泉でゆっくりしようではないか。おいらのコミックソングたっぷり聞かせてやるぜ・・何!それだけは勘弁してくれだと! (`ヘ´) プンプン
帰りは、自分の車で駆けつけたA君が駅まで親切に送ってくれた。いささか酔っている中で20分の徒歩行軍は辛いところだったので多いに助かった。
このA君、お酒は呑めるのに埼玉S市からわざわざ車で駆けつけたそうだ。地理的条件からそうしたのかな?。我々は中学時代に、たった1年だけ一緒に過ごした、それだけの間柄なのに、やはり同窓会というものは飲む事を犠牲にしても参加したくなる何かがあるようだ。
中学時代の同窓会に参加の項・・・完
そんな訳で参加するのを躊躇していたが、あれからもう5年も立っている。女子も男子も大分変貌(老けた)を遂げているだろうし次回開催がいつになるかも分からない。そうこうしているうちに幼馴染のYちゃん(女子)から電話で催促が来た。この後押しにより参加することにした。
ただ今回の会場となる居酒屋は駅から離れているのも問題だ。我がふるさと北関東T市は最寄り駅が2つあるが今回の会場までは、いずれの駅からも離れている。地元優先での会場選びで県外者への配慮なぞお構いなしのようだ。・・・おお~い、幹事さん。今後は県外者のことも配慮してくれぇ。 (;`Д´)<お゙お゙!お゙お゙!
幸い開けたほうの駅前からちょうど良い時間帯のバスが出ていることが分かったのでそれに乗車し会場まで行くことにした。
私の住む埼玉のH駅を15時頃に出発、予定通り16時過ぎT市に到着した。バス停にて10分ほど待つと中型バスが定刻通りやってきたので運転手に行先を確認し乗車する。ほどなく発車、見慣れた市街をバスから眺めるのは初めてである。
T市も近年開発が進み駅周辺も随分と都市化してきている。それに引き換え私が住む埼玉の北の外れH市はどうだろう。住みついて28年が過ぎようとしているが都市化とは無縁、駅舎が少し変わっただけで街並みはまったく変わらないでいる。もしも毎年同じ場所から街を撮影し10年経って見比べてもまったく変わらないだろう。そんなところに私は住んでいるのだが、まあそれはそれで、のんびりしていて住みやすい街だけどね。・・・負け惜し。(^0^)/
しかし、ふるさとのT市も5分も走ると元の古臭い町並みへと変わった。うん!こんなもんだよ、と納得していると、またまた賑やかな国道沿いの郊外へ出た。開催時間まで少し時間があるので会場のちょっと先にある公園まで足を延ばすことにした。
T市駅の駅舎も今でこそ近代的な建物に変貌を遂げているが昔は古色蒼然とした佇まいで明治村に移築してもおかしくない価値のある建物だった。私はそのレトロな旧駅舎のほうが好きだったのであるが、とうの昔に取り壊されていたものと思っていた。バスの時間をPCでを検索中にそれが公園付近に移築保存されていることをHPで偶然見つけたので、それを見学するのが目的である。
公園口に到着したので下車すべく料金の¥200を払おうとすると料金投入口がふさがっている。んん!どこに入れるのだと目が泳ぐ。すると運転手から『今日は県知事選挙なので無料です』と告げられました。ええっ!選挙とバスの運行とどう関わりがあるんかいな、一瞬固まったが、ともあれ無料とはラッキーである。只より安いものはないと気分良く下車し、薄暗くなってきた道を急ぐ。
おおっ!ありました夕闇のなかにそれは突然現れました。周囲が田んぼなので違和感はあるものの懐かしい佇まいです。なんせ独身時代に20年近くも通い続けた駅舎なので懐かしさでいっぱいです。新駅舎を作る際てっきり取り壊されていたものと思っていただけに、よくもまあ無事に残してくれたものです。T市の皆さん!なかなか味な真似をしてくれますなあ。ありがとうございます。深く謝意を表します。
腕時計を見ると宴会開始5分前である。急いで会場へ向かう。会場の居酒屋へ着くと入口に4~5人中年親父がたむろしている。何人かこちらを見ているが、声が掛からないので同胞ではないのかな?。そのうち彼らは居酒屋内に消えました。たしか彼奴はと思うがこちらも自信がない。彼らのあとを、トコトコついて行く。
途中で店のお姉さんに『H中の同窓会は』と聞くと先ほどの中年男達が歩いて行った方角を指さした。おお!いるいる皆さん既にほとんどお集まりである。先ほどの中年はやはり、わが同胞であった。『おおい、しばらく』と声を掛けるがこの時点では相手は誰だか分からない。向こうもしばらくキョトンとしていたが。『おお、Kか!』とこちらに気がついた。
幼馴染のYちゃんとも再会、相変わらず元気印の女で息災の様子、いやあ結構、結構。今となっては貴重な女友人である。お互いいつまでも長生きでいよう。
参加者は16人くらいだろうか。女子は少なめのようだ(5人)。座敷に上がり、『いやあ、しばらく』と声を掛けながら男子群の中へ分け入り座り込む。正面に座っている3人のうち2人は直ぐに思い出したが残り1人が分からない。私の両隣の男も誰だかさっぱり思い出せない。
正面の男、誰だっけ、う~ん!ニックネームは直ぐに出てきたが本名が思い出せない。『〇でもなし×でもない』しばらく思案の後、我がくたびれた脳が前頭葉からデーターを引き出した。『おおAか、そちらはWだよな!』・・相次いで思い出す。
あちこちで、お前誰だっけ、と誠に失礼な会話が飛び交うのも同窓会ならではの醍醐味である。そんな中にあっても中学時代とまったく顔の造作が変わらない学術的に貴重な奴もいた。
良く人の顔は20代までは親からもらった顔、それ以降は自分の顔とか言うけれど親からもらったまんま、中学時代とまったく変わらないあきれた奴が我が同胞にも複数いた。
お互い相手を思い出し識別が出来たので会話も弾んできた。もう還暦もとうに過ぎた面々である。話題はなんたって体の具合の話を外す訳にはいかない。誰かが『薬飲んでる人手を挙げて!』というと大半が手を挙げる。中には『毎朝腹いっぱい飲んでるよ!』といったすごい奴もいる。全然飲んでない人は?と質問すると、なんと私の向かいの席のA君が手を上げた。『お前その年で薬いらずとはおかしいぞ!病気だよそれは!一度医者に見てもらえ』、てな会話が飛び交う。(笑)
宴もたけなわ、自分のカメラを取り出しあちこち記念撮影を撮る。ブログ掲載用だと告げるとメールで送ってくれと注文がきた。『あいよ』と軽く返答、箸のケースにアドレスを書いてもらう。すると隣に座っていたI君がやおら¥1000札取りだし俺に郵送してくれと懇願してきた。金は不要と固辞したがどうしてもと言うのでありがたく頂戴し、金額分印刷して郵送するので皆んなにも配ってくれと約束した。
俺の遺影に使うからいい男に撮ってくれという奴も複数現れた。カメラがいいから良くは撮れるがいい男は無理だと言い返す。まさに無礼講、これだから同窓会は楽しい。あっという間に中学時代に逆戻り、だんだん皆んなの顔が当時の顔立ち戻って来るから不思議なものである。
カメラは旧駅舎の撮影用に持ってきたのだが思わぬところで宴会盛り上げに役に立った。持ってきてつくづくよかったと思う。
女子群にカメラを向けると慌てて顔を隠す者もいる。今更隠したってしゃーないではないか。老いるのは私も嫌だけれども現実として受け止めないとねぇ。
『人間50年(もう皆んなとっくに通り過ぎた!)下天のうちにくらぶれば夢、幻の如くなり』とはよく言ったもんだ。金持ちも貧乏人も年齢だけは平等に過ぎてゆく。平等でないのは途中で人生のリタイアが起きることである。
皆んないつの間にか齢を重ね無事ここまで来たことに改めて感謝しなくっちゃ。・・・不幸にして途中でリタイアした者もいるのだからして・・・ここまで来たんだ、これからもコケないよう用心して頑張らなくっちゃ、ねえ、ご同輩!。(´^ω^`)
宴が進むにつれ皆んな打ち解けたのであちこちで遺影や見合い?用の単独撮影やツーショットシーン等が沢山撮れました。墓も生前に作ると長生きすると言われているので遺影も生前に準備する奴は長生きするよ、きっと、うん。
次々と料理が運ばれてくる中、きしめんの様なメニューが出てきた。そろそろ宴会お開きかな?と思っていると代行車の予約会話が交わされ始まった。楽しかった宴もどうやら終盤に近づいたようである。
次回は来年ね、とか2年後では、とかの会話を皆んなで交わす。そうだよ、これからは5年後では遅すぎるゾ、・・・理由は言わずもがな。(^ω^;
是非とも早めに開催して欲しい。『鬼怒川で泊まりでどうだ格安で企画するゾ』との声もあがる。・・・だれだそんな提案した奴は・・・って俺かい(1人ツッコミ)。結構賛同者もいるようなので本気で計画しようかな。大盛り上がりのうちに1次会は幕とあいなりました。
地元の方々はこれから二次会へ行くようです。いいなあ、前回も参加出来なかった。次回は早い時間での開催か温泉でゆっくりしようではないか。おいらのコミックソングたっぷり聞かせてやるぜ・・何!それだけは勘弁してくれだと! (`ヘ´) プンプン
帰りは、自分の車で駆けつけたA君が駅まで親切に送ってくれた。いささか酔っている中で20分の徒歩行軍は辛いところだったので多いに助かった。
このA君、お酒は呑めるのに埼玉S市からわざわざ車で駆けつけたそうだ。地理的条件からそうしたのかな?。我々は中学時代に、たった1年だけ一緒に過ごした、それだけの間柄なのに、やはり同窓会というものは飲む事を犠牲にしても参加したくなる何かがあるようだ。
中学時代の同窓会に参加の項・・・完
2016年11月16日水曜日
月例ゴルフ行ってきました。
新職場が馴染めず、むしゃくしゃしていたので絶好のストレス解消の機会となりました。
このゴルフ場は西と東に別れ各々6ホールの変則設計です。何かで聞いたことがありますが、河川は国の管理下にあるので9ホール未満のゴルフ場は公園扱いとなり賃貸料が大幅に低減されるのだとか、料金をリーズナブルにするためあえて6ホールで抑えているのかな?・・本コースにするつもりなら6ホールくらい増設する広さは十分ありそうです。
3コース回れば18Hとなるので、まあその辺は割り切って考えてます。河川ながらコースコンデションはよく手入れされており、広くて距離も長く、東→西→東と回ると全長5845Yあります。601Y Par6 などの名物ホールもあり侮れません。
なんといっても安いのが魅力です。土曜日でありながら¥6150(食事無)例によって山爺はシニア扱いなので更に特典があります。なんと¥4720!¥1430も割り引いてくれるのです。高崎市偉いゾぉ~正義の味方!今後共アベノミクスに負けず頑張ってください
高崎市民は当然これより安く土日でありながら¥4610、シニアはなんと¥3490、(平日¥2050)だそうです。これなら毎週行ける、高崎市民になりてぇ。 ・・右画像は河川らしからぬロケーションのゴルフ場風景です。
メンバーは前回の上武G場と同じで都内のKさん、埼玉中部のSさん埼玉東北部のHさんと山爺です。
スタート時間は手頃な9:03を取りました。我々2人は予定通り30分前の8:30にゴルフ場に到着です。おやぁ!いつも早く到着し練習に余念のないKさんがいません。またSさんもおりません。
すると山爺の携帯に入電!Sさんからです。『関越で渋滞に巻き込まれてのろのろ運転中、到着大幅に遅れそう』、『今どこですか』『川越と鶴ヶ島の間』。!?工エエェ(゚〇゚ ;)ェエエ工!?だからKさんも居ないのか!弱ったなぁ・・・とそこへKさんが到着しました。
聞けば鶴ヶ島で事故渋滞との情報がはいったので、一旦関越降りて鶴ヶ島を迂回、再度関越に入り無事到着、全てナビの指示通りに来ましたとのことでした。そのお利口さんなナビはスマホだとか。さすがスマホは優秀な案内をするようです。普通のナビの売れ行きが落ちているのも分かるような気がしました。
Sさんは通常ナビなのでこの情報が入らず、いきなり渋滞の最後尾まで走ってしまったのだと思います。
仕方ないのでフロントに連絡し時間変更を依頼しました。9時半ころになるとカートは殆ど出払ってバックが積んであるのは我々だけです。フロントからも到着次第いつでも出られますとの暖かい声援が・・・・といっても4人揃わないことにはどうにもなりません。麻雀ならそこにいるカート係員に代打ちを頼む場面です。・・・右画像は所在なく、ただ待つだけのメンバー。
9時40分・・50分・・まだ来ません。そのうちレストランがオープンしました。じゃあ一杯やるか!と3人で相談していると、来ました。来ました。ようやく4人揃いました。バック搭載もそこそこに出かけようとすると今から12ホール回ると(変則なので6H・6H回って昼食さらに6Hが通常のラウンド)昼食が遅くなるので6Hで昼食にしますか?とのこと。早く回るには先に12H回ったほうが食堂もすいているので良いのでは、とのアドバイスも受けたので12H強行軍で行くことにしました。
するとフロント嬢が駆け寄ってきて、お腹すくでしょうからと一人2個づつ飴玉非常食の差し入れがありました!。おおぉ!なんて親切なんだろう。嫁にもらうなら気の利く群馬嬢ですよ皆さん! (´;ω;`) 感激です。
せわしなくクラブハウスをあとにしゴルフ場へ。
いやあ広々としていていいですなぁ。河川とは思えないロケーションが目の前に広がります。
東西のスタート地点に行くと係員がおりました。
西はコンペが入っているので間に割り込めない。東から出たほうが空いているとの指示なので東→西のコースを回ってそのあとは状況次第ということなりました。
スタート前のKさんパットのチェックに余念がありません。・・・(右画像)
ドタバタににも動ぜず落ち着いています。さすがです。
確かにゴルフはアマチュアでもパット次第でスコアーが5~6は変わるほど重要な技です。なにせ全ホール使う道具ですから。
私もパットチェックしなければと思いパターを取りにカートに戻りました。パターを引き抜き再び練習グリーンへ戻ったのですが、『そうだ!ブログに載せる画像を撮らなくては』と思いパターを生垣に立てかけてカメラを取りにまたカートへ・・・このあと悲劇が訪れるとも知らずに・・
スタートは東7H283Yサービスホールです。ここは距離が短いのでドライバー禁止のホールです。Sさん、やはり心にゆとりがなかったのか打った打球は大きく左に曲がりラフを転がり藪の中へ。いきなりOBです。いやぁなものを見たなあ。次は山爺の番です。朝一は体が硬いので3Wにするか5Wにするか迷ったのですがここは一つサービスホールなのだからと3Wをチョイス。これが裏目に・・打った打球はSさんと同じ弧を描き、ラフを転がりOBの待つ藪の中に消えました。
スタート早々二人共前進4打の救済マーカーから第4打のハメに!。
まあいいさ、あの位置ならカップも近いし2打で上がることも・・・うまくすればチップインも可能とグリーンに上がりいつも携帯のサブバックの中のを見ると、ガガーン!パターが入ってないではありませんか。
急いでカートに戻り探してもありません。『おーい、俺のパター誰か持っている?』と聞いても全員左右に手を振るだけで返事はNoです。いやな予感がしてきました。賢明なる読者諸君はもうお解りのことと思う。そうです、スタートホールの生垣に立て掛けたままなのです。ほかのクラブなら無くとも何とかなりますがパターだけは無いとゴルフが出来ません。えらいことになってしまいました。前の組が気づいて持ってきてくれないかなぁと淡い期待をしつつ、取りに戻ることにしました。
急いで小走りに元来た道を戻ります。もう次の組はセカンドを打つ用意をしています。恥ずかしいったらありません。前の組が私を怪訝そうに見ていますが『パターですか』の声は掛かりませんでした。ガッカリ!。
スタートホールまで戻ると次の次の組みがティーショット打つ体制です。そこも通りすぎ、練習グリーンのそばの生垣を見ると、おお!ありました。立て掛けたままです。
急いで戻りたいのですが、もう息が上がっていけません。とぼとぼ皆のところへ戻ります。グリーン上ではもう次の組がパタープレーに入ってます。山爺のボールはメンバーが既に回収したようです。前進4+3ということで交渉成立。いきなりトリプルスタートとなってしまいました。
8Hは360YPar4です。左OBですが右は広く、なんの問題もなしです。と思ったが山爺の打球はいきなり左にすっ飛んで行き、あわれOBゾーンの露と消えました。またもや、おトリ様です。アクシデントの後で精神動揺しっぱなし、意気消沈です。
9Hは486Y Par5のロングホールです。ここでもおトリ様がご降臨遊ばしました。3連続おトリ様です。もうあきまへん。その後ボギー・ダボ・パーとやや立ち直ったところで6ホール終了、西コースに移動です。
西コースに着くと3台カートが止まってます。
スタートホールは134YPar3からです。なんでこんなに広いショートなのにこんなに詰まってるんだと、それぞれの組のプレー振りを見学するとメンバーの中にチョロ連続や真っ直ぐに飛ばせない者が混じっています。これは時間がかかりそうです。
東の最終Hでパーで上がりやっと掴んだオナーの座ですがこうも待たされたのでは、昔の会社の経営陣の決まり文句ではありませんが、先行き不安!。
散々待たされやっと私の順番が回って来ました。こういう状況ではあまりいいことは起こりません。案の定、第1打はダフリでグリーンとティグリーンの間くらいのラフに落ちました。2打も乗らずグリーン手前のラフです。隣にSさんのボールがありました。Sさんが打ちます。ボールは上手くあがりピン方向へ。手前で1バウンド・2バウンド!おおっ!そのまま入ってしまいました。チップインバーディです。
それに引き換え山爺はやっとこ3オン。なんとかねじ込んでやろうと無理をしたのがいけません。ボールはカップをかすめ打った距離より遠くで止まりました。やな予感!返しも入らず3パット、またもおトリ様スタートです。
結局9Hまでの暫定集計は56となりました。10Hめからは別カウントです。よ~し頑張らねばです。ショートが2つ続きましたが4・6とこれまた不調、名物ホールの6H Par6をなんとかダボであがったものの憂鬱な結果となりました。やっと昼食です。時間は2時を回っていたと思います。
次のスタート時間は、なんと昼食終えたらいつでも出られるそうです。何のこっちゃ!。またまた慌ただしいことになりました。
昼食はざる蕎麦にかき揚げ丼+グラスビールをチョイス。これで¥950とは高崎市民ゴルフ場、やはり庶民価格でした。かき揚げ丼なかなかのお味です。
慌ただしく、残り6ホールを回りましたが、またまたスロープレーに巻き込まれ最後のホール当たりで日没となってしまい薄暗い中でのプレーとなってしまいました。
今回の月例会は結局、スタートから昼食含め御終いまでドタバタとスロープレーに悩まされ、なんかスッキリしない結果となってしまいました。
そんな状況下でも1人気を吐いたのが都内のKさん。あれだけの不安定な環境ながら47・44と好成績でした。
月例ゴルフに行ってきましたの項・・・完
2016年11月7日月曜日
国立科学博物館に行ってきました。
11月5日(土)上野にある国立科学博物館に行ってきました。ここは随分と昔になにかの特別展開催の時に行ったきりです。
本来この日は延び延びになっている山へ行くつもりでザックには食料・衣類をパッキングしていつでも行ける準備はしてあったのですが①週半ばで微熱が発生(久ぶりの頭脳仕事で知恵熱か? ^0^)②持病の軽い腰痛③新職場馴染めず憂鬱④天候良好も木枯らしの兆し・・・・日本海を北上中の2個の低気圧が気ががり・・などで山に行く気力がさっぱり起きません。
土曜日は良い天気でポカポカ陽気、あれえ山へ行けばよかったかなぁ、と後悔しましたが山爺の予想通り日曜日は好天ながら北海道は季節外れの大雪で関東地方も強風が吹き荒れています。笠取山の山頂はさぞや大荒れで登頂は無理だったでしょう。・・・中止大正解でした。・・・と納得。
普通の山好きは絶好の好天だと喜んで出かけるんだろうなあ。まったく山爺は昔から行かない理由を先行するへたれ山男です。これでは山友なぞできるわけもありません。(苦笑)(´д`)
今年は泊まり山行はもうないかなあ。これからは秩父・武蔵・奥多摩などの低山が目標です。日帰りでは大きなザックは必要ないし、せっかくの梱包が無駄になってしまいました。荷造りのやり直しです。
そんなわけで(どんな訳や!一人ツッコミ)土曜日時間が空いたので上野の科学博物館でもと思い立ち、出かけました。なぜ科学博物館なのか?ここの常設館は入場料¥620のところ、なんと65歳以上は無料なのである。只より安いものはありません。
いつものように秋葉原を散策の後上野駅に行き公園口下車、駅を出ると行楽日和のせいで人だかりがすごい。まるでお祭りでもあったような混雑ぶりです。
やはりたまには都会に出かけないと田舎暮らしの山爺は世の中から取り残されてしまう。億劫がらずに時々出かけなくては駄目ですなあ。人ごみを掻き分け(大げさな!)科学博物館へ。
着いてみると特別展としてクロマニヨン人のラスコー洞窟壁画展が開催されていた。そんなに混んでいなかったので入ってみようかと思ったがこちらはシニア割引はなし、当日入場は1600と高い。来年2月19日まで開催なので事前に展示内容をよく調べてから前売券手に入れて再来訪することにしました。なんといっても今日の趣旨は無料で館内に入ることにあります。
常設館入口に入ると40cmほど大きな看板に65歳以上無料と書いてある。フロントでシニアなんですがと告げると身分証明書を提示してゲートを通過してくださいとのことでした。
ゲート(右画像)で入場券を受け取っている係員のお嬢さんに免許証を見せるとにっこり笑顔で、いらっしゃいませとペコリお辞儀をされた。いやあ、他の家族連れなんかチケットを手渡しているのに私はフリーパス、VIP扱いのようで誠に気分が良い。
博物館は日本列島の自然と生き物がメインの日本館と人類の進歩をテーマの地球館の二つの建家に分かれている。今日見たいのは地球館にある江戸末期の工作機械やゼロ戦、惑星探査のイトカワなので地球館に向かう。
いきなりそこに行くのもなんだから博物館の趣旨に沿ってまず太古の時代から順番に見ることにしました。地下2階からスタートです。・・退館後よくカタログを見たら地下は3階までありそこに宇宙に関する展示があったみたいです。しまった館内案内よく見るんだった。まあいいか無料だからまた今度!
地下2階に行くと太古の三葉虫やらアンモナイトの化石がズラリ、1mものアンモナイトの化石もある。
地下1階は恐竜やマンモスの化石が実物大に組み上げて展示してある。マンモスは現在の象より2周りも大きく巨大な牙もある。太古の人類はこれに粗末な武器で立ち向かったのかと思うと改めて食料を得るために当時の人々が必死だったことが分かる。
なにも好き好んであんな大きなものを仕留めなくともねえ。余程食いもんがなかったのだろうねぇ。あれじゃ狩りの度んびに死者もさぞかしと思いながら見学しました。今も昔も生きるため、お父さんは辛かったんだねぇ。山爺も新職場が気に入らんなんいて贅沢言ってたら原始人に笑われるかなあなんてちょっぴり思ってしまいました。
1階は今の世界に生きる様々な動物がテーマっで剥製や骨がズラリです。勉強になったのは人間の骨格と恐竜時代の小動物の骨格が並べて展示してあり骨の数量や構造がほとんど同じであることでした。手足の指5本も同じなら第1関節から第2第3と同じ構造なのには改めてびっくりです。
人間々と威張ってみても、それを支える骨格が1億~5000万年前?から同じとは笑える。基本構造はまったく同じなんだねぇ。・・・動物界では新参の人間ども!少しは謙虚になり自然破壊を止めんかい。
いよいよ今日の目的2階のゼロ戦の展示場へ!いきなり飛び込んできたのはからくり儀右衛門こと田中久重(東芝さんの生みの親?)が作った万年和時計です。
和時計はただ正確に時を刻めばいいってもんではなく江戸時代は日の出から日の入りまでを等分して時間を決めていました。・・・不定時法・・・どうやら24節季毎(15日毎)に時間設定を変えるようです。ろくな照明がないからサマータイムを導入していたんですなあ。
で、この時計は経過時間を可変出来る構造らしいです。自動?手動可変?いずれにせよ、からくり儀右衛門さんすごい。それに引き換え今の東芝さん元気がないよ。田中久重さん、さぞかし草場の影で・・・
次のコーナーは江戸~明治初期の時計がずらりです。一際目を引いたのが携帯日時計!江戸時代の人って時間はお寺の鐘による人任せで時間を知っていたとばかり思っていましたが道中困らないように携帯日時計を持ち歩いていたようです。磁石が埋め込まれており方位を南に合わせて時を読み取る構造です。
山爺も中学生の頃作ってみたことがありますが結構正確に時間が把握できて30分くらいの精度で時間が分かります。
そういえば江戸時代の時間呼称も1刻(2時間)半刻(1時間)四半刻(30分)でそれ以下の時間の呼び名はないそうです。昔の人は時間に縛られなくて豊かな暮らしをしていたんですねぇ。
ほかにも懐中ネジ巻時計(右画像)が江戸後期には作られていたようですがこれは高額で所持はお金持ち町人やお殿様などに限られていたようです。
お馴染み茶運び人形も展示されていました。鯨のヒゲゼンマイのみで複雑な動きを再現する江戸時代の職人技には改めて脱帽です。
ともすると明治維新により西洋文明を模倣して技術が一新したと思われがちですが・・・・事実明治新政府は新政府は偉いんだぞ!旧体制は文明が遅れていたと盛んに宣伝した節がある。・・・いつの時代も新政権は旧政権のやったこと全てがなっとらんと言う傾向にあるけどね。
あれだけ急速に西洋文明に追いついたのは既に優れた技術者がちまたに大勢いたから、成し得たことだろうと改ためて展示物を見ながら納得です。
画像右は伊能忠敬が使った車輪回転を応用した距離計です。忠敬さんは歩測ばっかりかと思っていましたがこんなものもしっかりと開発していたんですねえ。
1957年製の国産初の電子計算機です。ST菅という真空ガラス製の電子部品(真空管)で構成されれいます。どの位の演算ができたのか?・・きっと今の関数付電卓の方が上だと思います。
山爺が小学校低学年の頃だね、これが完成したのは。今のPCやスマホといった進歩はどうだろう。私も含め当時の人々は今日のITの進歩は想像すら出来なかった。
腕時計型の携帯電話は手塚治の漫画で将来こんなん出来るのかなぁと想像したけれど(今は実用化された・・少し大きいけれど皆持っている。)電卓、ましてPCなんて想像すら出来なかった。もしかすると山爺たち団塊はとんでもなく大きな時代の変化の中にいるのかもしれないねえ。
いまの中年も含め若い人は知らないと思うけれど計算尺が展示してありました。よく役に立たなくなった品物を博物館行きと言うけれど計算尺も博物館に飾られるようになってしまったんだねえ。なんか寂しい。
昔といっても70年代くらいまでは技術者必携のツールでした。工業高校では必須科目で山爺も学習したので使うことが出来ますが、乗除、三角関数が簡単?に割り出せた不思議なツールでしたが、あれはいったいなんだったのかなあと今でも若い人に冗談で語っています。
関数電卓の普及で姿を消した秀逸品です。博物館行きとはねえ。山爺も博物館行きと言われないように努力をしないと。
江戸末期の工作機械(縦型切削盤)が展示してあります。これがなんと平成10年の最近まで現役で活躍していたとは、びっくりしました。
その横には明治22年に日本の池貝庄太郎さんが作った旋盤がありました。池貝さんとは後の池貝鉄工の創始者でしょう、多分。
まあ木工ロクロ加工は江戸時代以前からからあったので国産化はそうそう難しくなかったと思いますが今と構造はまったく変わりません。・NC(数値制御)ではないシンプル構造なので山爺でも動かせそうです。
展示場の中央に国産人工衛星のレプリカ?が飾ってあります。
おお!惑星探査機イトカワもありました。予想したよりも大きいですね。こんなのが火星と木星の間まで飛んで戻ってきたとは改めてびっくりです。
展示場の奥にありました。ゼロ戦です。戦争礼賛するわけではありませんが当時の技術者が寝食を忘れ真摯に取り組んだ結果デビュー当初は向かうところ敵なし!無敵を誇った勇姿が目の前にあります。
今の日本人はこの精神を忘れてはならないと思います。最近の民放TVは相変わらずへんてこオカマまで繰り出して馬鹿番組を流し続け、ちまたではゲームオタクや訳わからん萌え萌えが跋扈、嘆かわしい若者を多々見受けます。このままでは日本滅亡も近いゾ!!
借金先送りの能無し政治家や福島原発処理で先の見えない国家財政規模の費用処理!・・昨日のNHKの報道番組で、この費用がいつの間にか国民負担にすり替える法案が可決されているというではありませんか。処理費用を電気料金に上乗せて〇電に収益を出させ、その半分を国に納める仕組みを考えるとは、その前に原発事故を起こした戦犯ものの責任はどうなったのだ。なんで自家発電機を水が入り込む地下に作ったんだ。あんな低い防潮堤でいいといった奴は誰なんだよ。当事者は万死に値する。(`ヘ´) プンプン
ある政治家曰く・・電力会社を潰しても意味がない、よけい混乱するだけとは、なんという言い草だ、未だに国と電力会社がつるんで、なあなあ体制のままでいる。一旦解体して別の民間会社に全て任せたほうが保身ばかりで役に立たない指揮系統共が一掃されて余程処理がはかどると山爺は思うけどね。
今こそ、このゼロ戦や戦艦大和などを真摯に設計し作り上げた先人の精神を見習うべきと思うが、どうであろう。新幹線も今の自動車も家電、IT技術も戦時の兵器技術者が平和産業に流れて開発した結果であることを忘れてはならないと思う。今日の繁栄はこれらの遺産で食っていると言っても過言ではない思います。そろそろ皆真面目に反省し将来を考えないと・・・アカンえ!
靖国神社記念館にあるゼロ戦も既に見学しましたがあちらは単座(一人乗り)こちらは複座(二人乗り)なのでこちらのほうが1周り大きいような気もします。・・・気のせいかな。
靖国の展示と違い空中に浮いているので真下からも覗けます。当時の設計者堀越二郎さんが考案した空気抵抗を抑えるための沈頭リベットを始め細かい構造が容易に観察できるので時間を忘れ見入ってしまいました。
当時恐れられた20mm機関砲は靖国神社のほうはきちんと銃身が伸びていたけどこちらのは穴だけしかありません。あちらは戦争記念館、こちらは子供たちも訪れる博物館なので遠慮したのかな?博物館なら銃身もきちんと復元して欲しい。それとも元々こういう構造なんかな?。
出口付近で全身を投影できるサーモグラフィーがあったので山爺も計測してみました。おお!顔と手が真っ赤!山爺燃えてます。
真ん中の黒い点は画像中心マークで山爺の身体の一部ではありません。念のため。(笑)(^^;
日本館に展示してあった日本に落ちた隕石です。結構あちこちに落ちているもんですなあ。
【おまけ】
地球館の1階で弦楽四重奏の生演奏も聞けました。やはり生演奏は音の響きが全然違います。しばらく聞き入ってしまいました。これも只とはラッキーでした。芸大のお姉さん達かな?すぐ近くだから・・・
いやあ、期待以上の面白さでした。後で調べたら見逃した項目も数多くあります。・・・日本狼の剥製見逃し残念。・・また見に行かなくっちゃ。なんといっても無料ですから!!。
国立科学博物館に行ってきましたの項・・完
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