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2021年12月12日日曜日

21年度首都圏孔球親睦会最終戦

 12月5日(日)に、わが首都圏孔球親睦会が催行の運びとなった。21年度の〆の最終戦だ。本会の開催も42回の長期に渡っている。ひとえに会員各位様の尽力の賜物と感謝、感謝の一語に尽きます。

会場は野田市パブリックG場ひばりコースだ。フルメンバー参加を期待して3組を予約したが所用その他でキャンセルもあり


9名がエントリーとギリギリ3組を維持する結果となった。


当日の天気は小春日和で無風快晴、絶好の大会日和となった。
寒さを想定して準備した山爺の自慢の電気ベストも電源オフに終始、嬉しい誤算となった。

選手諸兄、我こそは優勝とパター・素振りの練習に余念がない。

今日のスタートはOUT9:22からだ。

先発組は東京地区のKAさん、埼玉県南地区Iさん、埼玉中央地区SEさんだ。

次発がさいたま地区のKOさん、埼玉東北地区のHAさん。埼玉中央東部のSUさん、SUさんは初参加なのでハンデなし、今大会の目玉的存在だ。

最終組が埼玉中央地区のTAさん、さいたま地区YAさん、そして山爺。

今日はOUTスタート №1h 170yPar3 長い距離のショートからだ。体のほぐれる前でもあり1オンが至難の技?

案の定、先行の2組はいずれも1オンした者はいないようだ。ははは、下手くそどもめ。

さて、山爺達のスタート時間がやって来た。山爺はくじで三番手、選択クラブに迷う。3Wか、いやいや引っ掛けるとOBゾーンが待っている。無難に5Wか・・・え~い男だ!3Wをチョイス。打った打球は、あちゃあ、ダフリ気味でぜんぜん届かず。2打目はグリーン左隅ラフに着地。パターで寄せてチップインを狙うもまたもやダフリ、・・・って、おいおいパターでダフるかね?

結果は3オン3パットのトリプルスタートだ。早くも暗雲が・・・・

続く№2h316yPar 4 距離は短いが左右に林が待ち受ける。左に落とすのは2打目、林がブラインドになるので避けたい。右目に狙いを決めて打ちました。右に打ちすぎました。1ペナルティーゾーンまで飛んでいってしまいました。

4オン+ペナルティーで5オン、オンしてもピンは遠い、3パットしたらダブルパーになってしまう。いやな予感の中、それでもグリーンを読んでパッティング。すると、どうでしょう、するするとラインに乗ったボールがカップイン、竿1(1ピンパット)で賞品ゲット、ダブルボギーで切り抜けた。

次はPar5 493y、やっと5オン、またまたカップは遠い。3パットするとお鳥さま(トリプルボギー)が待っている。しかし、またもや奇跡が起きました。しっかりグリーンを読んで打った打球はラインに乗ってカップに吸い込まれました。連続竿1で早くも賞品2個獲得です。ロングをボギーでホールアウト。ははは、絶好調だわい。

その後もボギー・ダボと無難に周り、52でホールアウト。天気が良いと気分も好調だ。

名物のB級グルメを食すべくコンテナ売店へ、お目当ての焼きそばが見当たらないのは残念だがお稲荷さんと梅握りを購入し素早く腹に流し込んでINコースへと向かう。(当野田パブリックひばりコースはスルー(連続18hを回る)なのです。)

第42回大会の成績は以下のとおりですが、下馬評通り初参加のSUさんが後半49をマークし優勝しました。


山爺は後半も竿1パット(1ピンパット)を2回達成、53で回り4位に食い込み賞品も4個ゲットました。目出度し目出度し。

さて、これまでハンディは1位と最下位のみ見直してまいりましたが、より公平を期する意味で次回からは2位・BBについてもこれを見直し、より楽しいコンペを目指します。ご期待下さい。

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①ここに掲載されたルポや川柳の著作権は作者(日暮道長)にあります。
②作者以外の方による無断転載は禁止で、行った場合、著作権法の違反となります。

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2021年11月5日金曜日

キャンプ登山に挑戦するも・・・

価格が四千円と廉価だからとは言え性懲りもなくソロテントを衝動買いしてしまった。さてどこに行こうかなあと山地図を引っ張り出して候補地をさがしている。

条件としては公共の交通機関を利用して登山口から徒歩で2時間圏内、それ以上だと重い荷物を背負っての行動は古希もとうに過ぎた身の上とて体が悲鳴を上げる。

大菩薩嶺登山はどうだろうか。最も近い登山口である上日川峠からテントサイトがある福ちゃん荘まで1時間未満で歩けそうだ。上日川峠までのバス便は普段は土日のみだが紅葉時期は平日も臨時バス便が出ているようだ、結構、結構。

アウトドアーレジャーの中でもゴルフとキャンプに関しては、コロナの密に当たらないと勝手に思っている諸兄が大勢いるせいか、いずれも盛況だ。

ヒロシのボッチキャンプというBSの番組が隠れた人気でキャンプ人気をさらに煽っているようだ。

そのお陰なのかキャンプ場も強気の値段設定で値上がりムード、幕営料¥2000~¥3000なんて所もザラ、なんと高いことか。地べた借りるだけですよ、トイレなんて汚くてひどいもんです。あと¥1000も追加すれば素泊まり民宿や温泉宿に泊まれてしまう価格設定だ。確かに運営費÷顧客数で割るとそんな数字になるのだろうけれど、値頃感ゼロ、なんか理解に苦しむ価格設定である。

さて福ちゃん荘の幕営料はとみると¥400!安っ、ここに決めた。

10月中旬以降、日夜天気予報とにらめっこしているが台風が来たりして、さっぱり天気がよくない。かつて晴れの特異日とされた10月10日も今は通用しなくなった。これも温暖化による影響なのだろうか。

様子見していたら10月も中旬になってしまった。もたもたしていると寒くなってしまう。10月21日が晴れ、翌日は曇りの予報を得た。もう待てない。出かけよう。出発4~5日前より荷造りを始めた。

山小屋泊まりの登山と違いテント泊は自己完結装備が必要だ。テントやら照明、寝袋、マットなど余計なものが増えてしまう。あれやこれや放り込みザック重量を測ってみると9kgだ。これに食料を加えると2k増量で間違いなく10k超えになる。食料は手持ちで行くとしてザック重量を8k以下にしたい。


これいらない、あれもやめたと、減量に苦慮しているとまたまた天気予報が・・なになに、
気圧配置が冬型になるだとう。

当日の甲府の最低気温8℃の予報だ。福ちゃん荘の幕営地は標高1700mのところにある。

1700mー300m(甲府標高)×ー0.6℃=ー8.4℃ 幕営地は氷点下になっちまう。ひええ。装備見直し!、セーター、下着、カイロ、エアーマット、もろもろ追加してパッキングしたら総重量が11kになってしまった。これにカメラ2台を乗せると11.5kgだ、ふええ。

時間切れ、これで行くしかなくなった。重い荷物を背負い早朝に家を出る。武蔵野線で西国分寺に出て豊田駅で一旦下車、この駅から甲府行の始発電車が出る。それに乗り換えて一路登山バスの出ている甲斐大和駅へ・・・

順調に乗り継いで定刻通り甲斐大和駅9時27到着し9時50分の臨時バスに無事乗ることが出来た。10時30分プラン通りに上日川峠に降り立った。同乗の皆さんは日帰りなので軽装だ。重いのを背負っているのは山爺だけ。

ベンチに座り水分補給しながらしばし休憩。さて幕営地まで出発。重いなあ、荷物がズシッと腰にくる。この重さのためこの後に起きる悲劇に山爺はこの時点では気がつかない。

ハイカーの皆さんはここから山道を福ちゃん荘へ向かうが、山爺は歩きやすい林道(車通行可)を選んでのしのしと歩き始める。周りの木々はまだ緑色で紅葉には少し早かったかなあ。

順調に歩を進め12時前には福ちゃん荘に着いた。早速受付に向かう。ぶっきらぼうな親父が応対。小紙片に住所・電話・目的地・下山日を書かされる。なるほど登山届を兼ねているんだな、と納得。

横で受付表に諸事を記入をしているとカップルのハイカーと店の親父の面白い会話が耳に入った。ハイカーが、なにやら3個入り¥600のおにぎり弁当について件のぶっきら親父に質問している。

ハイカー『あのぉ このお弁当4個入りに出来ませんか』・・・二人で分けるつもりだろか?。
・・・そりゃ無理だろう、もう作り貯めしているだろうし・・(山爺)

親父『出来ません、3個入り買って!』・・・と手短か、かつ横柄な返答、へえ~よく商売になるなあ、ここだから通用する言い草で普通の商店街では即廃業だな・・・(山爺)

¥600のおにぎり弁当は梅干が入った3個入り沢庵付きだ。山中でこの値段は仕方がないだろう。聞く方も聞くほうだなあ。弁当2つ買ってあんたが2個食って旦那?に4個喰わせりゃいいだろうに、あるいは一つの弁当で仲良く1個半づつで我慢せいや・・・(山爺)

さて、受付も済んだのでテントを張って昼飯だ。テントサイトに行くとテントが2張りだけだ。おお、空いてるなあ。アウトドアーは、やはり平日に限ります。

大きな木の下が雨もしのげて幕営には好条件の場所です。すでに1張りテントがあるが、そこにテントを張ることにする。


テントを張っていると近くの茂みでガサゴソ音がする。ん、熊か?なんと親子連れの鹿が現れました。全然人を恐れない様子で悠々と草を食ってます。

設営も済んだので水を手に入れよう。1.5Lの容器を携え水場へ、水場はテント場のすぐ上にあり遠くまで汲みに行く必要がない。楽ちんだ。(山岳テント場の場合水場まで往復30分なんてところも多々ある)

昼食はバターロールと、ミルクセーキ、余興にガスコンロに網をのせ焼き餅に初トライしてみたが全然焼けず焦げるだけ、少しづつ、かじって食う羽目に・・バターロールも焼いてみたが、網にパンが食っ付いて持ち上がってしまい、それが剥がれた拍子に網が山爺の右手の上へ、アチチ・・指先が網目状のやけど模様になってしまいました。

腹も膨れ、人心地ついたら眠くなってきた。ちょっと昼寝しよう。実は夕べほとんど寝てないのです。(興奮して寝られなかった。いい歳をして子供の遠足じゃあるまいし)

しかしよく見ると山爺のテント小っさ。軽量設計でポールが1本タイプなので貧弱なのは仕方がないのです。(一般の自立型テントは十文字に2本ポールが入ります・・丈夫だがその分重量が増す)

夕方近くに夫婦らしきカップルがやって来て手馴れた様子であっという間にテント1張り設営。今日は都合4張りだけという贅沢な幕営状況です。

さて明るいうちに夕食の準備だ。福ちゃん荘が閉まる前にビールも買っておこう。¥450、1本購入、山小屋より少し安いが車で運べるにしては高いか。

夕食はドライフードのピラフと茄子の煮浸し、ソーセージのソース炒めを作る。作るったってソーセージ輪切りにして鍋に入れソースをぶっかけ火を通すだけ、ピラフはお湯を入れて15分待つだけですが、これが結構うまい。

夜も更けてきたので、といってもまだ夜7時30分、山小屋閉まっちゃったのでビールも買えないし、めちゃ寒いので寝るとするか。気温は3℃です。

右画像は我がテント内です。去年買ったテントより居住スペースは広いです。広いをいいことに中は散らかし放題。

ちらかしたまま寝たので夜間トイレに起きるたびライトが見つからず往生しましした。どこでも整理整頓は必要ですなあ。

夜10時、11時が過ぎても寒くてなかなか寝付かれません。外気温は1℃、テント内は7.5℃とやや暖かい?のですが地べたから冷気が上がってきます。

最初は下着姿で寝袋に潜り込みましたが結局、寒さに耐えられず寝られません。ダウンまで着込んでカイロ2枚も体に巻きつけようやくウトウト・・時折女の悲鳴・・じゃなくて牡鹿の嘶きでウトウトと、眠たところを邪魔されます。寒さと鹿の悲鳴で今夜もほとんど寝られませんでした。夜中にトイレに行こうと起き上がったとたん腰にズキンと激痛が・・あちゃあ持病の腰痛が襲います。

朝5時にトイレ起床しするとまたまた腰に激痛が、激痛に耐えながら外を見ると夫婦キャンパーは既に起きておりテント撤収中、あっという間に撤収完了していなくなりました。へえ、手馴れたもんだ。山爺は撤収にゆうに小一時間かかりますわ。それにしてもこんなに早く何処に向かうのかなあ。

さて6時に改めて起きてみるとあたり一面ガス(霧)で雨もぱらついている。腰痛がひどくて行動する気が起きません。そんな訳でテントに再び潜り込み1寝入り。

7時に改めて起きて猛烈な腰の痛みに耐えながら朝食準備、朝食はドライ白米でお茶漬け、ミニラーメンを作る。福ちゃん荘は静まり返っております。

8時、テントはそのままで(ここのテント場のチェックアウトは曖昧で決まっていないようです・・12時過ぎにテント撤収でもOKでした)痛い腰を気遣いながらサブザックに雨具、軽食、を放り込み首にカメラぶら下げ大菩薩峠に向かう。天候は濃霧で時折小雨がぱらつく最悪の状況です。

歩き始めは猛烈に腰が痛いが歩き続けると麻痺してくるのか、あるいは脳内麻薬が出るのか痛みが消える。

登山者の多くは林道を毛嫌いし山道を歩くのが常なのですが今日は山小屋が荷揚げに利用する林道を歩く。軽トラが通れる林道は起伏が少ないので歩きやすいのです。

立ち止まって息を整えるため小休止すると、歩き始めがズキンと腰にくる。まいったなあ、コロナ渦ですっかり腰が弱ってザックの重量に負けたようです。無事に家に帰れるだろうか、先行き不安。

それでも1時間も歩き続けたら霧の中に介山荘が見えてきました。大菩薩峠に到着です。介山荘には誰もいません。

店も開いてはいるようですが節電のためか中は消灯。昨日のハイカーたちの混雑が嘘のようです。

さて、現地到達の証拠写真を撮影しよう。

霧で視界は10mもないようです。あたりは真っ白で何も見えません。


五里霧中を地で行く世界に入り込んでしまいました。

おまけに寒いのなんのって。こんな天候の時、軽装備で道に迷い進退極まったら一巻の終わりだろうなあ・・が実感で伝わります。

軽装で行けるところまで行こう的な考えがいかに危険かよくわかります。

私のミニザック内には本格雨具上下と万が一のためアルミシートで出来たレスキュー袋、携帯ライトが入ってます。

それにしても天候が回復する兆しはありません。

とりあえず賽の河原にある避難小屋まで行ってみようと思いましたが腰は痛いは、霧は深いは、寒いは、コンデション最悪です。

だめだこりゃ、去年の那須登山に続いて悪天候のため引き返しです。

晴れたらこんな眺望が得られるというのに、最近木花開耶姫に嫌われ通しです。わし、最近なんか嫌われるようなことしたかなあ。(上のガスっているところが晴れると左画像のような景色が見えます)

下り道は普段は楽ですが、今日は違います。腰に体重が掛かるためちょいと重心が外れると痛みが起きます。

そろり、そろりとすり足忍者のような格好で下山して行きます。誰もいなくてよかった。こんな格好の登山者は本来いません。小雨降る中、11時ころ福ちゃん荘のテント場に戻ってきました。登山靴のままテント内に倒れこみました。

いつの間にか寝てしまったようです。気が付くと12時近く、上日川峠のバスの時間は2時です。うわあ、のんびり昼食を食べてる暇がなくなりました。外は雨、雨の中のテント撤収など初めてです。どうやってテント撤収しようかなあ。結局、テント内で装備や残りの食料をザックに全て詰め込み、最後にテントを畳んで手持ちの手提げ袋に押し込んだ。

痛みを堪えて、えいやあ、と重いザックを担ぐ。山爺が陣取った幕営地は木の下の一等地。山爺が撤収完了したとたん側に設営していたカップル達が自分のテントをひょいとつまんで移動して私の跡地に収まった。あらら、山爺が寝ている間、近くで待っていたんだなあ。この爺いめ早く起きろと心で叫んでいたにちがいない。悪いことしたなあ。

重いザックを担いでとぼとぼ霧の林道をひたすら歩き続け、なんとか2時のバスに間に合うことができました。


無事に家にたどり着けますようにと神仏に祈願しつつ、電車乗り継いでなんとか家までたどり着きました。

さて、翌朝から数日間は猛烈な腰の痛みで寝返りも打てません。咽頭炎を患って以来突然でる咳が大敵で咳込たびに猛烈な激痛が腰に・・・その時は誇張ではなく目がくらみます。

なんとか腰痛が和らいで普通の生活が戻ってきたのは11月に入ってからでした。もう、山は引退かなあ、

しょぼん (´д`)

【川柳】

・年寄りの 冷や水たたる ソロキャンプ

・年を知れ 重荷たたるや ソロキャンプ

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2021年10月18日月曜日

秩父(横瀬)の棚田と札所散策

 コロナ自粛で外出もままならない。終日(ひねもす)のたりの徒然にAmazonや楽天のネットサイトで買うともなく出品を眺めるのが楽しみの一つとなっている。時折テントの好いも
のがないかと眺めていた。

山歩きに使うテントの絶対条件は背負って歩く都合上、軽量であることだ。テントは大別するとシングルウォール(覆いが1枚構造)とダブルウォール(覆いが2重)に分かれる。


当然シングルの方が軽量であるが欠点は雨に弱いことと、気密による内部結露が起きやすい。ゆえにテントの主流はダブルウォールだ。去年ソロテントを買ってみたがダブルでも軽量(1・5k)で前室もあり使い勝手は良いのだが居住スペース(寝床)の横幅が100cmとちょいとせまい。更に耐水性がフライ(覆い部)で1000mmと少々劣るのが気になる。1000mmでは小雨程度なら凌げるが大雨は心もとない。床部も薄く下からの浸透も気になる。

素材の進化でダブルでも総重量が1kg以下の超軽量テントは金さえ積めば沢山あるが、登山ブームの今日日、目の玉が飛び出るほど高い。2万円~6万円もする。(右画像nimo製1人用760g価格4万6千円)びえぇ~高嶺の花じゃわい。

それでも山爺が20~30代であれば躊躇なく購入するのだが、残り少ない人生であと何年元気に動けるか読めない奴がれにとっては論外の投資だ。

ある日格好な物件が目にとまった。居住スペースが210cm×150cmあり、ダブルウォールでも重量は1.7k。少々重いが耐水もフライで2000mm(大雨でもOK)シートも5000mmの耐水仕様であり下からの浸透も防げて問題なさそう。

これだけの仕様ながら価格は楽天が6千5百円、ヤフーで5千8百円、と値頃だ。これに決めようかなあと更にAmazonサイトを検索してみると同じものが見つかった。
残り在庫が2個で売り終いと見えて4千円の値が付いているではありませんか。

お店を歩き回らずともちょちょいとネット検索するだけで2千5百円の値段差を探せる。だからネット購買はやめられない。

さっそく衝動買いしました。(^ω^)

さあ、新しいテントが手に入ったのでどこに行こうか。以前から目をつけている秩父の武甲キャンプ場はどうだ。西武横瀬駅から徒歩15分程度、地理的条件は申し分なくキャンプ場内に武甲温泉もある。

近くに彼岸花の群落で有名な寺坂棚田もある。棚田越しの武甲山の眺めは実に素晴らしい。ほかには秩父札所もあり撮影ポイントに事欠かない。彼岸花の咲く時期は例年9月末~10月上旬らしい。

画像左の眺望を期待し9月下旬に出かけようと荷造りを済ませて日和見する。と、好事魔多し、台風16号めがやって来た。キャンプの天敵は台風だ、あんなヤワな構造物では台風に遭遇したらひとたまりもない。

来週末は月例ゴルフがある、その後だと確実に彼岸花は咲き終わってしまう。大事をとって9月末のキャンプは中止、台風が去った10月4日(月)天気が良さそうなので愛用のニコンと交換レンズをザックに放り込み日帰りで横瀬に向かう。

今日の行動は武甲キャンプ場の現場を確認してから

寺坂の棚田で武甲山を背景に棚田撮影⇒7番寺の法長寺⇒8番西善寺⇒西善寺そばにある根古屋城址⇒9番寺の明智寺⇒横瀬駅にもどるコースだ。
早朝に家を出て9時30分ころ西武横瀬駅に到着、瀟洒な駅で食堂も隣接している。さすが大企業の西武さん、秩父線の駅舎とは大違いだ。良い天気だなあ、暑くならなければよいのだが。

駅前から北に延びる道を歩くとほどなく国道にぶつかる。正面は小学校、そこを右折すると武甲温泉の案内表示看板がある。

看板に従って歩くこと5分もすると橋が見えて左に武甲温泉、キャンプ場の看板が見える。普通に歩いて駅から15分、徒歩キャンパーにとって貴重な存在だ。

橋の上からキャンプサイトを覗く。サイト横を浅い小川が流れており幼い子供でも安心して川遊びが出来る。家族向けに良さそうなサイトのようだ。

そういえば山爺の子供たちが幼い頃このようなキャンプ場で川遊びしたなあ。あのころは本当に毎日が楽しかった。いつの間にか歳取ってしまった。諸行無常だなあ。

さて、本命の寺坂棚田はこの川の向こう側にある。車の通れない山道を選べば10分もかからないだろう。えっちら、山道を歩いていると人家の門前に猫ちゃんがくつろいでいる。近づいても逃げる気配がない。ここは俺の家だ、お前何者?と言いたげな顔つき、なんか和むなあ。

左の人家の横にある山道を抜けると寺坂棚田への近道です。

少々心もとない道ですが標識があるので大丈夫だろう。

細い山道を抜けると舗装道路に出ました。

傍らはコスモスの群落です。はて?コスモスが盛り?コスモスと彼岸花って共存したかなあ、秋が思ったより進んでいるようだ。

いやな予感がする。

それにしてもコスモスは何のためにこのように艶やかな色を付けるのだろうか。
よく、昆虫をおびき寄せるためと言われているがそれは俗信です。虫は複眼、しかも花びらは虫たちにとっては巨大です。人間の視覚とは見えかたが全然違うのだそうです。

花々が美しい色をしているのは偶然という乱暴な説を唱える学者もいます。

さて寺坂棚田に着きました。おお、突然、標高1304mの武甲山が目に飛び込んできました。

いつだったか、1978年ころかなあ、山爺はこの山に登りました。遠路栃木からやってきたので登り始めたのが遅かったことと今と違い採掘の発破が遠方飛び散るためか発破の都度(サイレンが鳴る)山道各所にある避難所(粗末な小屋)で待機しなければなりませんでした。

そんなこんなで山頂到達が15時ころになってしまい11月半ばだったので秋の夕べは釣瓶落ち、下山途中で日が暮れて山道は真っ暗、懐中電灯を持たずに入山したので立ち往生、暗中模索を地でいく失態をやらかしひどい目に遭ってしまいました。それ以来日帰りのどんな小さな山でも懐中電灯はザックに忍ばせるようにしている。

どっしりした山ですが山頂付近から中腹にかけて石灰岩の採掘により無残にえぐられています。中央にあるプラント的な建物は三菱マテリアルのセメント工場?です。

あれが山を崩している元凶かな?でもそのセメントの恩恵に浴しているのは我々だから非難ばかりするのはどうかと思うね。

山爺が登った頃はもっと緑の多い山だったような気がします。このまま掘り続けたら秩父のシンボル武甲山はいずれ低山になるのではと危惧する向きもいますが、ある資料によれば石灰岩があるのは山の北斜面(画像の正面側)だけで南側の多くは輝緑凝灰岩、採掘に値しないそうです。そのうち北斜面だけがアイガー北壁のように切り立った崖になり採掘を終える?そうなれば、それはそれで新名所が誕生だ。ロッククライミングで賑わうかもね。(^ω^)

さて、棚田に咲く彼岸花はどこにと田んぼに目をやれば・・・咲き終わりで残骸だけが目に付きます。あちゃ~遅かったか。

所々晩熟の彼岸花が咲いているだけです。がっかりです。がっくりしたら疲れがどっと出てきた。

田んぼの中に屋根付き切り株椅子の休憩所があった。ザックを広げお茶タイム。ポットからお湯を注いでミルクセーキを作りアンパンを頬張っていると野良仕事をしている方々も休憩にやって来た。しばし歓談。

『彼岸花咲き終わっちゃいましたねえ、今頃では遅いのですか?』
『いつもは今頃なんだけれど、今年は9月半ばに寒い時がしばらく続いたので早咲きになっちゃった』
はあ、デリケートなんだなあ彼岸花は、咲き頃情報を掴んでから出かけなくちゃいあかんなあと学習した山爺でした。
(;ω;) 

代わりと言ってはなんだけれどコスモスの花が棚田のいたるところに咲いておりそれはそれで絵になる。




保育園児が作った?かかしの軍団が稲刈りを終わった田んぼに所在なく立っておりました。

さて、小腹も膨らんだし次の目的地の札所に行こう。
棚田からは下り坂なので足取りも軽くずんずん下って行きます。途中にそば畑が・・今まさに咲盛り。ああ、新そばが食いたい。

棚田から20分も歩くと秩父札所7番寺の法長寺につきます。
途中道しるべがあるので助かる。

法長寺は小さな門構えのお寺でした。お堂(観音堂?)と武甲山のコラボが絵になる高台にあるお寺です。

本堂に牛の置物が寝そべってました。
それにしても本堂があの平賀源内の設計とは恐れ入りました。

源内さん、キャッチコピー(土用のうなぎの日発案)やら怪しげな紛い品(エレキテル)作ってみたりお寺のデザインまでやっていたとは驚きです。日本のダビンチ?いや、詐欺師まがいの香具師といったところかなあ。確か平賀源内は殺人事件を起こして捕らえられ獄中死していたよなあ。

【山爺の一言メモ】
7番寺:青苔山法長寺(せいたいさんほうちょうじ)

法長寺の本堂は、江戸時代に、エレキテルを発明したことで有名な平賀源内が設計したと伝えられています。観音堂は「牛伏堂(うしぶしどう)」とも呼ばれ、その由来の一説には、伏して動かなくなった牛のいた場所から、十一面観音像が現れたと伝えられています。境内には、その由来となった牛の石像も安置されています。観音堂は1782年に焼失とあるので創建は古い。

さて、次は8番寺を参拝しよう。一旦、国道299に出て大型トラックがびゅんびゅん走るなかを歩かねばならない。怖いこと怖いこと、20分も怖い思いをし8番寺の道案内に添って右折。ようやくもとの里道散歩にもどりました。
ここに根古屋城址があり遺構もよく残されているようなので当初立ち寄る予定だったが、本日は季節はずれの夏日(30℃越え)でいささかバテ気味だ。
城址の西入口(左画像)まで来たが、なにせ山城だ。150mを登らなければならないのでこれ以上体力使うと後が続かないような気がする。また別の日に来よう。

8番寺の西善寺が見えてきました。ここのお寺も高台にあります。まいっちゃうなあ、ここでも坂をえっちら登りを強いられました。

坂道途中で堪らず足が止まってしまいました。給水兼ねて一休み。今も昔もお遍路は大変だわ。

法長寺よりも小さな山門をくぐって境内に入るとなにやら貼り紙が・・『境内写真撮影禁止、御朱印購入者は除外』

なんとまあ商売っけたっぷりなお寺だこと。寺の関係者が居なそうなので構わず撮影だ。お地蔵さまがお出迎え。

【山爺の一言メモ】
8番寺:清泰山西善寺(せいたいさんさいぜんじ)
開祖は文暦元年(1234年)と古い。

雄大にそびえ立つ武甲山の麓に建つ西善寺。境内付近から見えるその眺めは、特に素晴らしいものです。西善寺のシンボルにもなっているコミネカエデは、樹齢約600年の巨木。
埼玉県の天然記念物にもなっているため、紅葉の時期には、観光客も多く訪れます。

やあ、大きな楓だわ。こりゃあ紅葉時期には木々と地面が真っ赤になり絵になるんだろうなあ。本堂に撮影代を兼ねてお布施¥100投入し家内安全祈願。

お昼が過ぎたのでここで昼食をと思ったが、見咎められて注意されるのも不愉快だ。うるさそうなお寺はとっとと退散しよう。

今度は下りなので楽ちんだ。西武線沿いの里道をのんびりと歩く。

こんな道なら歩くのも楽しい。振り返ると西善寺が山裾にぽつんと建っているのが見える。一旦線路の下をくぐりしばらく行くとT字路にぶつかる。左は三菱マテリアルと書いた大きな看板がある。はて?このまま真っ直ぐ行くと、再び喧騒な国道299に出ちゃう。おかしいなあ、え~い、ママよ工場方面に行ってみよう。曲がって正解。正門前で再び線路越えの道がありました。紛らわしいなあ。看板に横瀬駅と併記してもらいたいなあ、三菱さんお願いしますよ。この工場が寺坂棚田から見えた武甲山の麓にあったプラント建造物です。

線路を越すと傍らに祠がありました。延命地蔵さまだそうです。早速お賽銭を奉納し『今少しこの世に居させてください』祈願をしました。

再び線路沿いを横瀬駅に向かって歩き出す。道の反対側も三菱さんのおおきな工場があるので里道ではありません

道路は工事の真っ最中でホコリ舞っている。その中を我慢してしばし行軍すると再び線路をくぐって反対側に。9番明智寺の標識に従って歩みを進める。・・・また坂道かい!・・なんか知らんがなんで札所は丘の上にあるんだ?、自問自答していると小さなお堂に着きました。

え、これがお寺?でも9番明智寺と明記してある。

【山爺の一言メモ】
9番寺:明星山明智寺(みょうじょうざんあけちじ)

明智寺は建久二年(1191年)西善寺よりも古い。明智禅師の開創と伝えられる。
観音堂は札所五番語歌堂と同時代同形式で建立されたが、
明治16年に落雷で焼失して以来仮堂のままだったが、近年再建された。このお寺は安産子育ての観音菩薩として有名で、
毎年1月16日の縁日には各地より女性参拝者でにぎわう。


お地蔵さまが交通整理。朝晩子供たちを見守っているのかな?遠方の二股の山は二子山です。武甲山同様秩父のいたるところから見える有名な山です。

山爺の登りたい候補の一つです。なんかクレヨンしんちゃんのお尻に似ていると思うのは山爺だけでしょうか。

小さなお寺ですが参拝客がひっきりなしに訪れ次々とご朱印を求めて行きます。

中にはお遍路姿(菅笠・白装束)の御夫婦らしき人が般若心教を唱えて行きました。物見遊山は山爺のみ・・なんだかなあ。

もう2時を回った。一応今日の予定は消化したので横瀬駅に戻ろう。傍らの花々を愛でつつ駅へと急ぐ。






それにしても良い天気は結構だが季節はずれの30℃超えの、この暑さにはいささかへこたれました。

時間はまだ午後2時台、西武秩父駅に併設の祭りの湯にでも立ち寄りたいが暑さでバテバテ、このまま帰宅しよう。

【狂歌】
・秩父路に 凛と聳えし武甲山 我が身削りて 世に尽くしなん
ずいぶんと兜のてっぺんを削られてしまっています。お労しや。
【川柳】
・信心も お布施幅効く 秩父寺
皆さん熱心にご朱印をお買い求めのようです。お賽銭だけでは肩身が狭い

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